BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第八話 滅びに染まる世界にて

 

「デヴィッドさん!」

 

 デヴィッドは奥歯を噛み締めて痛みに耐えていたようであったが、それでもどこかを酷く損傷したのは明らかである。

 

「……どうして……どうしてそこまでするんですか……! 私を助けようとするなんて……!」

 

「……君に死なれれば困る……。“音無小夜”が、君を生かした。……意味があるはずだ……」

 

「……オトナシ……サヤ……?」

 

 その疑問を氷解する前に、廃工場の一部が剥離していた。

 

 針の鋭さを伴わせた器官が振るわれ、キザハシが鞘に納めたままの刀で応戦する。

 

「この……! 翼手風情が、先制攻撃なんてしゃらくさい……!」

 

 真那は最奥からゆっくりと現れた上級翼手を視野に入れる。

 

 両肩より伸びているのは肉腫であった。

 

 その肉腫から針が生じているのだ。

 

 針の器官を巧みに用いて、上級翼手はキザハシを接近させない。

 

「こんの……! 情けない戦法を取る! そこの! “小夜”の新人!」

 

 業を煮やしたようにキザハシが叫ぶ。

 

 真那は戸惑いを浮かべていた。

 

「あんたが横から切り込みなさい! そうすれば勝ちの目が見えてくる!」

 

「で、でも……でも……!」

 

「でもじゃないわよ! こいつだけじゃないって事くらい……分かるでしょうに……!」

 

 その言葉を証明するように、上級翼手の後ろから現れたのは四つ足形態の下級翼手であった。

 

 その数は全部で四体。

 

 針の上級翼手がキザハシを遠ざけ、その隙を突いて下級翼手が砂埃を払ってこちらを睥睨する。

 

「……わ、私……!」

 

「その刀は飾りじゃないのよ! さっさと切り込むか、そうじゃないんなら死になさい! 迷惑なのよ……戦場を鬱陶しくちょろちょろされるってのは……!」

 

 下級翼手が獲物だと判定し、一斉に向かってくる。

 

 真那は逃げ出そうとしたが、足腰が竦んで動けない。

 

 それに何よりも――デヴィッドを置いて行けるものか。

 

「……デヴィッド……さん」

 

「……俺の言える事は少ない……。――戦え。戦って、生き抜け。それが“小夜”の務めだ」

 

「私は……“小夜”じゃ……」

 

「……分かっている。だが、君も望んだはずだ。だから、翼手を斬れた。力は、望むものの側へと流れるのが必定。そうして望んだのならば、それを得るんだ。そう誰でもない、自らの血が訴えかける。君を生かした“音無小夜”はきっと、それを願っている。今も君の、血の一部となって……」

 

 下級翼手が迫り来る。

 

 真那は抱いた刀を意識していた。

 

 ――分かっている、怖い。

 

 ここで抵抗する事も、ましてや翼手を斬れると断定された事も。

 

 逃げ出してしまいたい。

 

 何もかも悪い夢なのだと。

 

 そう思って消えて行ければ、どれほど楽だろうか。

 

 だが、内奥から訴えかける血が。

 

 この小さな身体一つに流れる、血脈が。

 

 脈動が。

 

 鼓動が。

 

 そして――脳裏にちらつく、あの麗しいかんばせの少女の残像が。

 

 こう告げるのだ。

 

 ――小夜、戦って、と。

 

 何も分からない――怖い。

 

 何の自信もない――怖くって仕方がない。

 

 下級翼手が涎を垂らし、野生を剥き出しにして吼える。

 

 デヴィッド共々、自分はここで喰われるのだろう。

 

 ――ああ、だからさ。

 

「――ここで何もしないまま死ぬのは――もっと怖い」

 

 種の生存本能であろうとも、人間として残った獣の野生とも違う。

 

 これは――己が望む、そうでありたいと願ったヒトの本能。

 

 ――だから、「私」は刃を握る。

 

 そう断じた直後、真那の意識は赤い旋風に塗り替えられていた。

 

 世界が赤一色に染まり、真那はいやに冴えた神経で抜刀する。

 

 下級翼手が飛び掛からんとしたのを、真那は一文字で両断していた。

 

 親指を切りつけ、滴った血が刀身に刻まれた「emeth」の文字を赤く濡らす。

 

 踊るように懐へと入り、さらに二の太刀が閃く。

 

 下級翼手の頭蓋を寸断し、その躯体を足場として迫ってくる相手へと断罪の一閃が浴びせられていた。

 

 血飛沫が舞う。

 

 それと同時に凍て付くようにして、翼手の死骸が結晶化していく。

 

 真那は刀にこびりついた翼手の血の欠片を、鍔を叩く事で払っていた。

 

 残り一体、うろたえた様子の下級翼手が距離を取ろうとする。

 

 両腕を引き延ばし、痩躯の末端まで拡張させたかと思うと、その骨格が皮膜を帯び、次の瞬間には廃工場の粉塵を吹き飛ばしていた。

 

 翼を得た下級翼手が舞い上がり、逃げおおせようとするのを真那は姿勢を沈め、一足飛びで跳躍する。

 

 下級翼手の飛翔高度を超えた肉体が躍動し、その背筋から断ち割っていた。

 

 全身に翼手の血を浴びながらも、真那は意識の手綱を手離さない――否、とっくの昔にそう言った段階は過ぎていたのかもしれない。

 

 上級翼手相手に苦戦するキザハシへと、真那は身を躍らせて太刀筋で介入する。

 

 針の器官が伸びて妨害しようとするが、それを紙一重で回避して懐へと飛び込んでいた。

 

「……あんた、その眼……」

 

 どこかでこの状況を客観視する意識が、キザハシの言葉を受ける。

 

 ――あの少女と、そしてキザハシと同じく真紅の瞳が上級翼手を捉える。

 

 真那は相手の放った針の包囲網へと身を返して斬り捌く。

 

 肉体の脈動。

 

 精神の高揚。

 

 そして何よりも――討つと決めた神経は何よりも雄弁。

 

 真那は自分の肉体とは思えない挙動を実現したまま跳躍し、中空で上級翼手の放った無数の針の応酬を弾き返す。

 

 反射神経が、網膜がそうだと認識する前に直感する本能が、敵の攻勢の一手、さらに一手を読み切る。

 

 その針のうち数本が途中で折れ曲がり、軌道を切り替えて真那へと襲い掛かる。

 

「馬鹿! 避けなさい!」

 

 キザハシの声が響き渡った瞬間、真那は眼前に迫った針の先端を瞬時の判断による手刀で叩きのめす。

 

 掌が半分ほど引き裂けただろうか。

 

 だが、それも策のうち。

 

 迸った鮮血が白い針の器官に浴びせられ、相手の動きが僅かに鈍る。

 

 降り立った真那の姿は、よろめいた上級翼手の目の前にあった。

 

「……終わらせる」

 

 今一度、刀へと手を這わせ、流れ落ちた血が「emeth」の血文字を赤く照り輝かせる。

 

 上級翼手が吼えていた。

 

 その高周波の咆哮は通常ならば感覚器を狂わせ、聴覚を奪い取るそれであっただろう。

 

 自分が“小夜”でなければ、至近距離の音叉は即死であったかもしれない。

 

 しかし、この肉体に宿った力は翼手の雄叫びを無効化する。

 

 真那は上級翼手へと薙ぎ払いの一閃を浴びせかけようとして、直上の異常音階を聞き分けていた。

 

 先ほど上級翼手の放った針の一斉掃射が天井を射抜き、ばらけた二階層の床が真っ直ぐに落下してくる。

 

 それに対応するような時間もなければ、余裕もない。

 

 何よりも――ここまで迫った相手の喉笛を掻っ切らんとする野生が勝る。

 

 赤い閃光の残火は上級翼手の頸動脈を引き裂いていた。

 

 天上を仰いで硬直した上級翼手はしかし、自分ごと始末するつもりだ。

 

 落下物を防ぐ術はない。

 

 真那は結晶化した上級翼手を蹴りつけてトドメを刺し、己の集中の糸を切ろうとした。

 

 あまりにも苛烈な赤い旋風は消え失せようとしていたのだ。

 

 それは真那の身体がまだ“小夜”の意識に馴染んでいないせいもあったのだろう。

 

 あるいは、このような危険な目に遭うのは一回で充分だと思ったのもあるかもしれない。

 

 赤い視野は掻き消え、手綱を離そうとした瞬間、残光の剣閃が周囲で舞い散る。

 

「こんの……大馬鹿! 後始末を他の“小夜”に任せる人間が居る?」

 

 キザハシの太刀筋が残骸を突き抜け、世界を塵芥に染める。

 

 真那は荒い呼気をつくキザハシが歩み寄ってくるのを感じていた。

 

 一発ぐらいは殴られるか、と覚悟していた真那は元に戻った視神経の中で、キザハシが肩口を掴んだのを意識した直後――抱き留められたのを実感していた。

 

 呆けた直後には彼女の声が伝導している。

 

「……よし、ちゃんと生きてるわね。“小夜”の力を一気に使うと、それだけでオーバーヒートしちゃう子も居るからね。あんたはまだ大丈夫そうだけれど」

 

 即座に突き飛ばされ、真那は鈍く尻餅をつく。

 

「喜びなさい。あんたが上級翼手を仕留めた」

 

「……私、が……?」

 

 未だに呆然自失な真那へと、キザハシはどこか読めない眼差しを送ってからふと呟く。

 

「……それにしても、戦い方と言い、後先考えないところと言い……本当にあんたが“オトナシ”の“小夜”の継承者のようね……信じられなかったけれど」

 

 キザハシは負傷したデヴィッドへと問いかける。

 

「生きてる?」

 

「……何とか、な……。これくらいは職務上の負傷だろう」

 

「そう。労災が下りるといいわね。ルイス! 上級翼手を仕留めたって事は、下級翼手の動きは?」

 

『ちょっと待ってくれ……。おかしいな……。下級翼手の増殖がやまない……それどころか……おいおい! 反応が増えていくぞ!』

 

 戦術ヘリのルイスからのうろたえ気味な通信網にキザハシは眉間に皺を寄せる。

 

「……どういう事……? 翼手はそういう習性のはず……」

 

「下級翼手の暴走……とすれば、今度こそ止める術はないぞ。アシッドの連中が“後始末”にやってくる」

 

「……マズいわね。このままじゃ、あたし達の動きでさえも制されてしまう……。何とかして、翼手を殲滅する術は?」

 

「組織の特殊弾頭は今は難しいだろうな……それに、上級翼手を倒した時点で、ある意味では糸が切れたみたいなものだ。手がかりも何もない状態から、この状況を動かしている黒幕を探し出すのは……」

 

 濁したデヴィッドにキザハシは爪を噛んで口惜しそうにする。

 

「歯がゆいわね……。ここまで奔走しておいて、骨折り損ってのは」

 

「……あの……セクションは? ここはどうなるんですか……?」

 

 ようやく声を発する事の出来た真那へと、キザハシは冷淡に告げる。

 

「――セクションは焼き尽くされる。下級翼手を一掃するために」

 

 想定外の言葉に絶句していると、ルイスの操縦する戦術ヘリが降り立つ。

 

「それが連中の……アシッドのやり方だ。都合が悪ければセクションごとなかった事にする。それだけ奴らの持っている権限は強い」

 

 デヴィッドはまだ痛みが消えないようであったが、ヘリへと乗り込むなり波形データを凝視する。

 

「……増殖しているというのは嘘ではないだようだ。それどころかこの増え方は……何者かが作為的にこのセクションを終わらせようとしている……?」

 

 デヴィッドの懸念に真那は思わず声を漏らす。

 

「そんな……! じゃあお父さんや……お母さんは……!」

 

 こちらの決死の言葉にキザハシは冷笑する。

 

「……デヴィッド、まだ言っていなかったの?」

 

「……物事には順序がある。ショックを与えたくない」

 

「それにしちゃ、ぶっつけ勝負だったけれどね。……もう諦めなさい。下手な希望は持つだけ損よ」

 

「そんな事……! 私、一度家に戻って……!」

 

「その話でもあるんだがな。……悪いニュースだ。各種ライフラインが次々と断絶。翼手化の速度があまりにも速い……。追い切れないぞ……!」

 

 ルイスの返答に真那は刀を握り締めたまま、指先が震え出していた。

 

 もし、最愛の人達が翼手の毒牙にかかってしまったとすれば――。

 

 想像するだけで真那は心を抉られるようであった。

 

「……私、行きます。行かないと、いけないんです」

 

 決断した言葉振りにデヴィッドが忠言する。

 

「……言っておくが大きく後悔する可能性が高い」

 

「それでも……! 私が……翼手に勝てる“小夜”なら、可能性くらいはあるんじゃ……」

 

「生憎だけれど時間は刻々と迫っているわ。もうここまで来たら火の点いた時限爆弾と同じ。何かの拍子にバン! みたいなものよ。だって言うのに行くわけ? 上級翼手を倒した時点で、ミッションは成功なのよ?」

 

 どこか試すようなキザハシの言葉振りに真那は一拍の逡巡を挟んだ後に応じる。

 

「……それでも、出来る事をやらないで、それで後悔するのだけは、したくないから……!」

 

「やらないよりかはやって後悔、か。いい兆候とは言えないけれど、それでもやる気のある“小夜”候補なら、実戦経験を積ませるほうがいいはずよね?」

 

「キザハシ? 倉橋真那の提案に乗ると?」

 

「そうしかないじゃないの。それとも、彼女のデヴィッドとして、まさかアシッドの爆撃に甘んじるとでも?」

 

「……まさか。俺は俺の“小夜”のために、命を投げ打つと決めた。そうなのだと……規定された存在だ」

 

「あんたが従順なデヴィッドで、この鈍っちい“小夜”は助かったわね。感謝するとすれば、そっちによ?」

 

 どうやらキザハシは借りを作りたくないらしい。

 

 それはお互い様だと思いながらも、真那はデヴィッドへと訴えかける。

 

「……その、一人でも……助けられる可能性が……あるんですよね?」

 

「倉橋真那、君の両親の生存や友人の生死を問うているのならば……絶望的な数値が目の前に横たわっている、それでも、か?」

 

 真那はデヴィッドの青い瞳を覗き込んで、目線を逸らさずに頷く。

 

「……参ったな。“小夜”のために生きろと組織から言われている身、ここで退くわけにはいかない」

 

「おい、デヴィッド……! どんどん増えているぞ……! このままじゃ、下級翼手を抑える事なんて……!」

 

「ルイス、目標地点までヘリを飛ばしてくれ。倉橋真那の要望に応じよう」

 

「……知らないぞ」

 

 吐き捨てたルイスが戦術ヘリを飛翔させる。

 

 真那はデヴィッドへと声を漏らしていた。

 

「その……ありがとうございます……。私の我儘に……」

 

「気にするな。“小夜”の望みは応えるのが“デヴィッド”の役割なのだから」

 

 何だか役割一つに集約されたかのような言葉だけではないのは、何となく分かってしまっていた。

 

 それならば、自分を見捨てればいい。

 

 デヴィッドには恐らく、自分を守るだけではない――あの宵闇を引き裂いた“音無小夜”の遺志を継ぐ事こそが彼の本懐なのだろう。

 

「……あれ、何……? 爆撃機が……あんな低い高度で……」

 

 その時、不意に視界に入った両翼を広げた航空機の下腹部より、無数の蛹じみた形状が投下されていた。

 

 建築物に接触するや否や、爆雷が発動し、白い理想郷の棲み処が火の手に包まれていく。

 

「……街が……!」

 

「アシッドの連中……! やっぱり痺れを切らしたわね……!」

 

 忌々しげに口走ったキザハシに真那は灼熱が瞬く間に世界を埋め尽くしていくのを絶望的な視野に入れていた。

 

 

 

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