BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第八十話 時のいやはてへ

 

 カイン――否、文人は柔和な笑みでそう告げる。

 

 今しがた父親殺しをしようとしているとは思えないほどに。

 

「……アマミヤ。この者を殺せ。ここで逃せば、禍根が残る」

 

「そうしたいのはやまやまなんやけれどねぇ……指が動かんのよ」

 

 凍て付いたように指先が動かない。

 

 先の戦闘で九頭相手に無理もしてきた。

 

 ここで動けない歯がゆさを噛み締めた自分へと、ああそうだ、と世間話のように文人は告げる。

 

「サヤは候補生含めてほぼ全滅。駐在していたデヴィッドやルイスも始末しておいた。今頃、アンシェルがネネ君……いいや、ディーヴァを確保している事だろう。全ては必然の中で生まれる色彩だ。誰も邪魔をする事は出来ない」

 

「……そうならあんたさんを殺すんも、必然や言うん?」

 

「強がるなよ、アマミヤ。サヤはヒトだけは殺せない」

 

「そう、やろうかねぇ!」

 

 一瞬にして肉薄した自分に文人は落ち着き払って手を払う。

 

 呪符が受け止めたのは鞘であった。

 

「……なるほど。これくらいなら死なないという手加減で僕と戦うつもりかい?」

 

「いかん? これでもウチは器用なんよ」

 

 鞘を突き上げて相手の防御を打ち崩し、そのまま横薙ぎに一撃――それが決まったはずであったが文人の肉体が斬撃と共に崩壊する。

 

 それは無数の呪符を固めた人型であった。

 

 疑似餌に釣られた――そう認識した時にはアマミヤはこちらへと銃口を構える文人を視野に入れる。

 

 瞬時にトリガーが引かれ弾丸をアマミヤは左目に受けていた。

 

 衝撃で転がり、地面を滑る。

 

 一瞬の状況判断が勝敗を分けた。

 

 左側の視野が回復する前に、文人は続けて銃弾を撃ち込んでいた。

 

 脚部に一発ずつ、肩口にそれぞれ一発ずつ。

 

 通常の弾丸ならば恐れるまでもないが文人はサヤの特性を知り尽くした最大の毒だ。

 

 当然、どこを撃てば効果的なのかは理解している。

 

「これでも僕に向かってくるつもりかい? アマミヤ」

 

 唇を噛み締める。

 

 相手は歴戦の小夜でさえも意味を成さないほどの熟練者。

 

 その上、サヤの弱点を知り尽くしている。

 

「……そこまでやっておいて……殺しぃや」

 

「いや、君には銃弾程度では効かないだろう。少しだけ時間を稼ぎたかったんだ。君とこうして、ちゃんと膝を突き合わせて喋るのは久しぶりだったから」

 

 アマミヤは周囲の状況を把握する。

 

 最悪の戦局に転がりつつあった。

 

 アベルは何か攻撃を受けて昏倒、あるいは即死か。

 

 そしてロンギヌス機関の最高幹部であるジョエルは反撃も出来ず、ワイズマンもほとんど全滅。

 

 この状態からどう持ち直せと言うのか。

 

 自分自身もカインが純正人類であるがゆえに、本来のスペックを出し切れずにいるのだ。

 

「……いつから、その、七原文人、言うんは名乗るようになったん? 宗旨替えはあんたさんの趣味じゃないやろ」

 

 ならば――ここで選んだのは時間稼ぎ。

 

 ともすれば、サヤのうち誰かがここまで到達し、文人を無力化出来るかもしれないと言う楽観視。

 

 だが、今の自分にそれしかない。

 

 文人は、ふむ、と一拍挟んでいた。

 

「名前と言うのは、恐ろしいと思わないかい? アマミヤ。君だって元々、小夜に成るまでの名前があったはずだと言うのに、もう忘却の彼方に忘れ去っている。身に馴染んだ“雨宮小夜”と言うのは呪縛でもあるんだ。君はこれまでも、そしてこれからも最強の小夜として君臨しなければいけない。どこまでも悲劇だよ。君は、自分で選び取った道に縛られ、そして死んで行くんだ。サヤの寿命がそれほど長くないのは知っているはず。さて、アマミヤと言う名のサヤは、いつまでその強さを維持出来るかな」

 

「挑発には乗らんよ……のつもりやったけれど、あんたさんが一番よく知っとるやろ? ……ウチはもう、さほど長くはないんよ」

 

「悲しいかな、僕は君を最後まで面倒を看切れなかった。だが、それももう今日までなんだ。アマミヤ。機関は終わる。ジョエルと言う人間が死に、大勢のサヤが消え、もう誰も楽園を抑止する事なんて出来やしない。完全な単一種族による隷属。そう、翼手人類の時代が訪れるだろう」

 

 文人がぱちんと指を鳴らすと牛鬼が蜘蛛の糸を束ねてアマミヤを拘束する。

 

 通常時ならば、この程度の束縛、破れないわけがないのだが、力が足りないのは先刻九頭を相手取ったからか。

 

 本来の力の半分ほどの性能でしかない自分では、文人の操る〈古きもの〉は振り払えない。

 

「……殺しぃや。どうせ興味もないんやろ?」

 

「僕は礼儀の話をしている。アマミヤ、如何に袂を分かつとは言え、今日まで共闘してきた、相棒と言える存在だ。だから、君は教えよう。僕が七原文人として、行う事を」

 

 文人が肩を叩き、そして囁きかける。

 

 驚嘆の内容にアマミヤは目を見開いて問い返していた。

 

「……正気なん?」

 

「正気でなければ楽園の王なんて気取れないとも。さて、もういいかな。ジョエル。充分に命乞いの時間くらいはあっただろう?」

 

 再び銃口が据えられたその時、扉を蹴破って来た影に全員が視線を振り向ける。

 

 紅蓮の炎が今も燃え盛る中で、血が滴る刃を提げ、その瞳は真紅に染まっている。

 

 狩人の眼差しが文人を捉え、そしてアベルと自分とを見比べて“音無小夜”は状況を把握したらしい。

 

「……共謀者か」

 

「人聞きが悪いなぁ、君も。僕は僕の意志で、ここまで来た」

 

 文人が呪符を用いて巨大な蛇の〈古きもの〉を召喚する。

 

 大蛇の牙が今にオトナシにかかるかに思われたが、直後には相手は硬直していた。

 

 獲物を丸呑みする巨大な口が開かれたまま、左右に傾ぐ。

 

 血飛沫が舞い上がり、大蛇の〈古きもの〉は討伐されていた。

 

 アマミヤはオトナシの性能に震撼する。

 

〈古きもの〉を見たのはほぼ初めてのはずだ。

 

 だと言うのに、最適解を導き出していた。

 

「……やるね。けれど、これは防ぎ切れるかな?」

 

 再び呪符に光が宿り、放出されたのは翼を持つ〈古きもの〉であった。

 

 だがその総数が尋常ではない。

 

 視界を埋め尽くす〈古きもの〉の軍勢に、オトナシは刃を構え直す。

 

「君の性能はよく知らなかったな。さぁ、示してくれよ」

 

 一斉に鳥型の〈古きもの〉が解き放たれ、アマミヤは奥歯を噛み締める。

 

 牛鬼さえ始末してくれれば加勢出来るものを――だがその遺恨は一瞬きの間に自分の眼前へと現れた血濡れのオトナシの姿に掻き消されていた。

 

「……嘘やん……」

 

 否。

 

 断じて否である。

 

 嘘でも冗談でもなく、誇張でもなく――音無小夜は真正面から文人の操る〈古きもの〉を全て両断してみせたのだ。

 

 刀が払われる。

 

 血でてらてらと輝く刀は間違いなく多くの命を啄んでいた。

 

「驚いたな。〈古きもの〉への対抗手段を知っているはずがないんだが」

 

「〈古きもの〉だろうと翼手だろうと同じだ。弱点があり、それを叩き切れば死ぬ。当然の摂理だろう」

 

 それを実行する事が如何に難しいのかを問う前に、オトナシは多くの命を吸った血の斬撃を直上の牛鬼へと放っていた。

 

 牛鬼が両断され、自由になったアマミヤは刀を握り締める。

 

「……借りとか思わんといてよね」

 

「思うつもりもない。奴を殺す、いいんだな?」

 

「せやね。もうどうしようもないところまで来とるんやし、これだけでどうにかなるとも思えんのやけれど……」

 

 震え始めている指先にオトナシが悟る。

 

「純正人類か」

 

「……せやから厄介なんよ」

 

「だとしても同じだ。私達サヤは人間だけは殺せないらしいが……それもどうなんだか。試してみるぞ」

 

 腰だめに構えたオトナシにアマミヤも呼吸を整えて刃を握る。

 

「どうなろうと知ったこっちゃないけれど、使い物にならんように気ぃ張りや」

 

 二人同時に刀へと血の残火を灯す。

 

「emeth」の血文字が脈動し、オトナシとアマミヤが疾走しようとした、その時であった。

 

「――あら。いいところでお邪魔かしら?」

 

 自分達二人の同時の打ち下ろしを止めたのは、金髪の優男風の相手であった。

 

 彼はこちらを一顧だにせず、文人へと語りかけている。

 

 ――全力でやっとるのに?

 

 刃は通らない、それどころか、命中する気配もない。

 

 変異さえもしていない指先で男は自分達二人のサヤを凌駕していた。

 

「マハラル。用事は終わったのかい?」

 

「ええ、つつがなく」

 

 目を凝らせばマハラルと呼ばれた男が小脇に抱えているのは――。

 

「……嘘やろ? アダム……」

 

「シュヴァリエ奪還作戦は成功したわけだ。もう片方はどうなっている? アンシェルの力量ならば、セキュリティも防衛網も関係なく、突破して今頃は中央庁でワインでも飲んでいるのかな?」

 

 その名を聞いた途端、怖気が走る。

 

 ――アンシェル。文脈上で考えれば、前回会敵したシュヴァリエだろう。

 

 それが今、本部施設に来ている時点で敗色濃厚だ。

 

 しかし、マハラルは頬を掻いて困惑したようだった。

 

「アンシェルは、ね……。ちょっと色々あってディーヴァを連れて帰還中。思ったよりも時間がかかったのとダメージが酷いみたい。それにしても……あなた達が組織の擁する最強の小夜なのよね? ……相性でもあるのかしら」

 

 相変わらずこちらを意に介していない。

 

 ならば、とアマミヤは血の衝動を発揮していた。

 

 胸の中に、静まり返った一面の血の湖。

 

 そこに降り立った水鳥をイメージし、それが羽ばたくほんの一瞬へと刃を突き立てる。

 

 すると、相手の防御が崩れていた。

 

「あら? おっと」

 

 僅かにたたらを踏んだマハラルへと今度はオトナシが斬りかかる。

 

 横薙ぎの一閃をしかし、マハラルは変異させずに腕で払う。

 

「あら、やぁねぇ……。これ、一張羅なのよ?」

 

 マハラルは軽口で袖口を切り裂かれたのを見せつけるが傷口一つない。

 

「……シュヴァリエとはここまで強いのか」

 

「あまり誤解しないでね? アタシだって全力なのよ。けれど、そうねぇ……あなた達、ここで文人様を逃がさないつもりなのかしら?」

 

「今さら問い質すまでもないやろ。ウチが殺したいのはそこの裏切り者だけなんよ」

 

「それは変ねぇ。文人様は自分からあなた達との縁を切ったのよ? その因果をそそごうとして、わざわざ時間をかけて機関を叩き潰しているって言うのに、あなた達二人はそれを阻止しようとしている。これも妙な話よね。もう彼はあなた達の言う“デヴィッド”じゃない」

 

 その言葉がまるで断絶の証のように。

 

 文人は心底理解しかねるとでも言うように肩を竦める。

 

「仕方ない。小夜でさえ、情念に囚われてしまえばそこまでさ。しかし、アマミヤ。君はもっと冷酷だと思っていた。冷静で、冷徹で。僕達の小夜はどこまでも――最強なのだと、思い込んでいたな」

 

「まるで今のウチにその資格がないみたいな言い草やね」

 

「だってそうじゃないか。僕一人殺せない、不完全で歪な存在。ああ、それとも。こう言ったほうがいいか。オニゲンもどきであると言うのに、血の宿命で互いに喰い合いを続ける、愚かしさの極まった少女達。それがサヤの正体だとでも」

 

 途端、アマミヤの思考回路は白熱化していた。

 

 真紅の衝動に任せ、刃を振るい上げる。

 

 明瞭な絶対零度の殺意。

 

 それを受けて、文人は――微笑んでいた。

 

「残念だよ、アマミヤ。君はここで一度、打ち止めだ」

 

 刃を受け止めたのは一枚の呪符。

 

 そこから溢れ出したのは真っ赤な血潮だった。

 

 呪符を伝って、奥で座り込んでいたジョエルの肩口が引き裂ける。

 

「……アマミヤ……」

 

「呪符を父さんに繋げてみたんだ。何でこれくらいが予測出来ない? それで機関最強を謳うと言うのか? でもそれは無理だろう」

 

「ウチ、は……」

 

 呪いだ。

 

 純正人類を傷つけた、と言うだけの呪詛。

 

 それだけの咎。

 

 それが跳ね返ってきて、アマミヤの殺意を完全に消し去る。

 

 アマミヤの太刀筋から気勢が削がれ、直後には文人を目の前にして脱力していた。

 

 力が入らない。

 

 それだけではなく、意識が靄のように薄らぐ。

 

 カツン、と文人の靴音が響き渡る。

 

 今、銃弾で狙われれば間違いなく即死。

 

 しかし、彼は自分の頬を撫でた後に、そっと口づけを交わしていた。

 

「……な、んで……」

 

「君が愛おしいからだよ、雨宮小夜。また会おう。しばらく、君達は遠くなりそうだ。血の宿縁に縛られ、君達は集合無意識の内奥に刻まれたコードの本能を前に、抗えない。それは僕も同じ。だから、これは僕の意思だ」

 

 振り返って銃口をジョエルへと向け直す。

 

「やめ……」

 

「さようなら、父さん。さようなら、ジョエル。さようなら、最後の咎人」

 

 引き金が絞られ、銃弾がジョエルの心臓を射抜く。

 

「文人!」

 

 オトナシの声が跳ね上がる。

 

 刃はしかし、マハラルによって防がれたようであった。

 

「文人様、そろそろ帰還しましょう? アタシ達の楽園に」

 

「そうだね。アマミヤ。また時のいやはてで、僕らは君達と邂逅を果たす。その時を、楽しみにしているよ。時が訪れれば、もう一度だけ、キスをしよう」

 

 マハラルの剣戟とオトナシの刃が交わされ合うのが伝わるが、今のアマミヤには何も出来ない。

 

 目の前でジョエルを殺され、アベルも瀕死の重傷。

 

 そして自分は――口づけを奪われた。

 

 これほどまでの醜態があろうか。

 

 機関は大勢のサヤを失い、ほとんど瓦解したも同然。

 

「……なん、で……なんでこんなふうに……」

 

 意識が闇の天蓋に閉ざされていく。

 

 明確であった殺意の衝動は、それに伴い胸の内から消え失せていた。

 

 

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