BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第八十一話 絶望の終着点

 

 ディーヴァを確保して、すぐにでも逃げ切らなければ。

 

 それ以外は些事――そう断じたアンシェルはサヤによって付けられた傷跡が癒えないのを感じ取っていた。

 

「……何故だ。何故……私は最強のシュヴァリエだぞ……!」

 

 あのサヤはどう見ても前回遭遇戦を行ったサヤに比べれば数段劣る。

 

 だと言うのに、自分の血に肉薄してみせた。

 

 その事実に怖気が走る。

 

 震え出す指先にアンシェルは、まさか、と目を見開く。

 

「恐怖していると言うのか? この私が……? ディーヴァのシュヴァリエであった、このアンシェルが? あり得ない、サヤは……どれもこれも弱々しく成り下がった量産型のはずだ。どうして……私を殺すに足った……?」

 

「あんし、ぇる……?」

 

 抱えたディーヴァが声を発する。

 

 彼女を不安にさせてしまったか、そう感じたアンシェルは完全翼手化を解いていた。

 

 だが、右腕は戻らない。

 

 相貌にも縦一文字の傷痕が走り、じくりと痛む。

 

「……どうなさいましたか、ディーヴァ」

 

 傅き、女王の威光を前にアンシェルは服従を示す。

 

 それこそが自分の役割、そして自分の生きる最大の目的でもある。

 

「あん、しぇる……」

 

「だから、どうなさったのです、ディーヴァ。私はあなたのためならば、何度でも命を投げ打ちましょう。この時代に蘇ったのです。あなたの歌で、全てを開放するに足る世界。そう! 人間は翼手未満のオニゲンとやらに成り下がった! これはつまり、人類の九割近くがあなたの歌で覚醒する可能性が高くなったという事! さぁ、あの時の約束を! あなたの理想郷はここにある! 全人類へと、翼手の福音を――!」

 

「あれ」

 

 ディーヴァが指し示した方向へと視線を向けた、その瞬間。

 

 白銀の砲弾が四方八方からアンシェルの躯体を射抜き、その衝撃波で再生の途上であった肉体が砕ける。

 

 呻き声を上げる前に、蓮の花の如く開いた砲撃より拘束の武装が放たれていた。

 

 アンシェルは地に縫い留められ、ディーヴァへと血濡れの手を伸ばす。

 

「ディーヴァ……」

 

『シュヴァリエを捕縛完了。これより第二次捕獲作戦に入る』

 

「何を……貴様らのような……羽虫がァ……ッ! 人間でも翼手でもない……成り損ない共がァ……ッ!」

 

『撃ち方、はじめ』

 

 さらに捕縛するように網が放たれ、アンシェルの行動を阻害していた。

 

 電流が体内を焼き焦がし、臓腑が灼熱を前に機能停止に追い込まれていく。

 

「ディーヴァ、は……彼女だけは……わた、し、の……」

 

 その姿はかつて恋焦がれた永遠の乙女であるディーヴァと二重の像を結ぶ。

 

 自分に向けられた微笑み。

 

 永劫の慈愛。

 

 そして――果たされぬ恋慕。

 

「ああ、私はこんなにも、満たされて――」

 

『掃射』

 

 銃弾の雨嵐が肉体を突っ切っていく。

 

 細切れになるまで引き千切られ、それでも死を受け入れられない無限の修復能力が死と再生を繰り返す。

 

「あ、ああ……あああ……ッ!」

 

 再び完全翼手化し、アンシェルは全方向へと雷撃を放っていた。

 

 だが、それも空を支配する敵勢には届かない。

 

 天地を縫い留める創生の稲光を最後に、アンシェルは完全に沈黙していた。

 

『これより、特一級シュヴァリエを捕獲』

 

『D因子の少女は? 処遇を問う』

 

『上に任せておけ。どうやら考えがあるらしい。飼い殺しにするよりももっと都合のいい、運用の仕方がな』

 

 それらの無線が耳朶を滑り落ちるのを最後の感覚として、アンシェルは意識を闇に閉ざされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『酷いものだな』

 

 審判の声を聞いて、ようやく面を上げる。

 

『ジョエルの死。それだけではない。我々の運用するサヤ、全四十体のうち、二十五体が死んだ。再建にはそれなりの時間がかかるとされている』

 

『加えてワイズマンの同胞も半数が殺された。幸いにして、機関に駐在していなかった者はそれを免れたが』

 

 生き残りのワイズマンの審問に、今さら問い返すまでもない。

 

「……そうですか。それで、オレに何をしろと?」

 

『口を慎めよ。貴様の身柄とて、我々の意に添わなければ父親と同じ道を辿るのみだ』

 

『しかし、貴様はあの稀代の裏切り者、カインと兄弟の関係にある。血の宿命は侮れんな』

 

『貴様の血は、彼奴の血と言うわけだ。そして、蘇生措置を行った際、現ジュリアから面白いデータを算出されている。貴様が生きている事、それそのものに価値を見出すべきだと。……なるほどな。忌むべき血筋が』

 

「……あなた方がやれと言うのならばやりましょう。どうせ、純正人類はもう、一パーセントも居ないのですから。その責務はオレが果たす」

 

『では……現時刻より、アベル。貴様へと勅命を下す。ワイズマン生き残り全員の総意だ。貴様はこれより――ロンギヌス機関長官、ジョエルを引き継いでもらう。悪いが、拒否権はない』

 

 ああ、そうだろうとも。

 

 自分にとって、既に運命の血は動き始めている。

 

 今も脈打つこの厄災の血を、終わらせるために。

 

「……誓いましょう。オレは……いいや、僕は今日から、ジョエルだ」

 

 それはこれまでの安寧の日々からの、あまりにも短い訣別の言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽園の中心は、思ったよりも簡素で、そして退屈な代物であった。

 

 目の前に跪くのは、三名の男女である。

 

「ようこそ。お帰りになりました、我らが王」

 

「王……か。それも妙な心地ではあるんだけれどね。……君達の顔をよく見せてくれ」

 

 三名の相貌を観察してから、文人は振り返る。

 

「九頭、どうにも……今の僕では彼らの王には成れそうにない。脳内でたくさんの記憶が蠢いているんだ。今の僕は、“カイン”なのか、“七原文人”なのか、自我が曖昧になっている」

 

「それも当然でしょう。あなたは名を取り戻すと同時に、その身に刻まれた血脈が目を覚ましたのです。それらが馴染むのに時間はかかるでしょう」

 

「ああ、そうだね……。少し休んでもいいかな? 何だかとても眠いんだ」

 

 九頭の肩を借り、文人は白い棺へと歩を進めていた。

 

 水色の血脈が至ったその棺桶へと、文人はゆっくりと寝そべる。

 

「……ああ、これで少しは安心出来るかな」

 

「ゆっくりとお休みなさいませ。私はその間の留守をしっかりと努めてまいります」

 

「ああ、頼むよ、九頭。……一つだけ、眠る前に聞かせてくれないか。機関は壊滅したのかい?」

 

「現状、我々アシッドに対し、有効な対抗手段は持ち合わせていないでしょう。サヤの数も随分と減りました。これで、時間は稼げるはずです」

 

「そう、か。ああ、そういえば……彼女らを殺したのは僕だったね」

 

 瞼を閉ざそうとする。

 

 意識を手離そうとする。

 

 本来ならば、「七原文人」として、王の施政を敷くべきであったが、この身体が馴染んでいないのだ。

 

 本来の名前に回帰したところで、十全な性能を発揮出来るとは限らない。

 

 文人は一呼吸ついた後、九頭へと呼びかける。

 

「起きた時、君が傍に居てくれ。それだけだ」

 

「承知しました。お休みなさいませ、文人様」

 

「ああ、おやすみ……そして……」

 

 文人は昏睡の中へと意識を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、ようやくエメトピアの王が帰って来たって言うのに、いきなり休眠期に入るなんて!」

 

 少しだけヒステリックに告げた相手へとマハラルは冷静に返す。

 

「しょうがないわよ。長年、“七原文人”の後継者は現れなかった。このエメトピアが成立してからずっとよ? それだけ稀有な特性の持ち主なの。一筋縄じゃ行かないわ」

 

「だからって……! エメトピアの施政を放棄して……何年だったっけ? 九頭が概算した時間は」

 

「十二年、それが最短ね。それよりも長くなるかも」

 

「十二年……か。それほどの時間があれば、機関のネズミ共も戦局を整えられる……。今しかないのよ、滅ぼすのならば」

 

「ジャンヌ。事を急ぎ過ぎよ。彼らは大打撃を受けたのは間違いない。それに、ほとんどのサヤが死した今、アタシ達は準備に打って出るべきでしょうね。これまでよりも、もっと28号翼手を完全にする事と、上級翼手の潜伏。エメトピアを真に理想郷にしたいのなら、文人様が眠っている間にしか出来ない事くらいあるわよね?」

 

 こちらの意見に、ジャンヌは腕を組んでふんと鼻を鳴らす。

 

「あなたは相変わらず……敵に回したくはない素養ね。いいわ、私の計画を進めてみせる。十二年あれば少しはマシでしょう」

 

 それにしても、とジャンヌは自分の姿を訝しんでいた。

 

「何であなた、もう旅支度なんてしているのよ? いいの? だって最強のシュヴァリエは行方不明なんでしょう?」

 

 鞄を担ぎ、そうねぇ、と思案する。

 

「何かあったのかしらねぇ」

 

「はぐらかさないで。……死んだの?」

 

「いえ、生きているわ。生きているけれど……」

 

「けれど?」

 

「……まぁ、これ以上は藪蛇よね。ジャンヌ、ちょっとアタシ、旅に出るわ。今のエメトピアの状況、知っておきたいもの」

 

「許可するけれど……随分と悠長ね。何か当てはあるのかしら?」

 

「当て、と言うと違うかもしれないけれど……アタシはいつでもあなたのシュヴァリエ。用があったら呼んで頂戴。何があっても帰って来るわ」

 

 それから、何でもない事のように別れの挨拶を済ませる。

 

 ジャンヌはその際、少し微笑んでいた。

 

「ちょっと……楽しみかもね。土産話を期待しているわ」

 

「ええ、最上の土産話を持って帰って来るわ。またね」

 

 

 

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