BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第八十二話 CRY NO MORE

 

 紫煙をたゆたわせる。

 

 灰が落ちかけて、不意に横合いから携帯灰皿が差し出されていた。

 

「ほれ」

 

「……俺達は御役御免。今回に関しちゃ、深追いするな、か」

 

「よかったんじゃないか? オトナシも余計な事は言わないように心掛けているようだ。それとな、辞令だとよ。これから先、音無小夜は実戦で用いる機会が増えてくるとの事だ。まぁ、減ったサヤの穴埋めだろうな。それと、もう一通」

 

「まだあるのか? ……おい、これはどういう……」

 

 デヴィッドはベンチで背中合わせのルイスへと問い返す。

 

「知らねぇよ、そんなの。もうおれ達にサヤをあてがう気もないんじゃないか? よりにもよって“サヤ候補生”への重点的な継続任務なんて」

 

 デヴィッドはこぼれ落ちていく煙草の灰を軽く振って捨ててから、次の煙草へと火を点けていた。

 

「……御役御免と言うのには少し違うな。左遷か」

 

「そう思いたければそうなんだろうさ。だが、本当に左遷したけりゃ、おれらは知り過ぎている。記憶を消すなり、あるいは色々と実験に使うなりあるんだろうが……現職のジョエルがそれを抑えてくれた形跡があった。ワイズマンの生き残りだけじゃ、おれらは今頃こうさ」

 

 首筋を掻っ切る真似をしたルイスに、デヴィッドは書面を睨む。

 

「……これだけの失態なのに、音無小夜の継続運用か。機関は何を考えている?」

 

「詮索はお勧めしないぜ? 捨てるはずのない命までドブに捨てる事になっちまうからな」

 

 恐らくは現状、ルイスのスタンスが正しい。

 

 だが、今回の一件に関しては異常な点があまりにも多い。

 

「……雨宮小夜は別の任務へと充てられ、そのお目付け役だったデヴィッドとルイスはもう二度と、か。なぁ、ルイス。俺達は何に向かって走っているんだろうな。真実なのか、それとも虚構なのか……。俺も自分もオニゲンだと知った時には死を選ぼうとした事もあったさ。だがな、今間違いなく言えるのは、人間の矜持と証明を胸に、ただひた走っているだけなんだ。そこに何が待っているのかなんて分からない。翼手に勝てるかどうかなんて、無謀な賭けだ。……だが賭けと言うのは、最後まで賭け切った人間が勝つ。俺は後悔なんてしていないよ。オトナシのデヴィッドとして……これまで通り戦おう。それが俺の存在証明だ」

 

 ベンチから立ち上がりかけて、ルイスはぽつりとこぼす。

 

「……おれ達は大した事なんてないんだよ、デヴィッド。オトナシのお目付け役に過ぎず、今回だってギリギリ間に合っただけで、たくさんのサヤと同僚を失った。そうだって言うのに何て言うんだろうな。……何も感じないんだよ。不出来に壊れてしまった機械細工みたいに」

 

 デヴィッドの胸中も同じであった。

 

 同胞への憐憫も、その誇りに生きた情景も。

 

 まして、真っ当な死への哀悼も。

 

 何もかもない、空っぽのがらんどうだ。

 

「……俺達は多分、もう壊れているんだ。とっくの昔にな」

 

 壊れている――それは機関のデヴィッドとルイスである限り逃れられない咎だ。

 

 自分達がオニゲンであると分かりながら、翼手へと対抗している。

 

 最後に生き残るのは、一パーセント未満の人類であると言うのに。

 

「……なぁ、ルイス。俺はこの職務、しっかりと続けようと思う。もしかすると……俺達みたいな人でなしでも、何か……得られる時が来るかもしれない」

 

「得られる時が、か。それが答えなのか絶望なのかは分からんがな」

 

「オトナシも同じ気持ちのはずだ。俺は信じていたい」

 

「信じた時に馬鹿を見るかもしれなくってもか?」

 

 その問いかけにデヴィッドは無言で身を翻していた。

 

 答えるまでもないからだ。

 

 機関の構成員であるのならば、自分達が担当する小夜が死ぬその時まで、命を燃やし尽くせ――きっと、それだけが生きている証明なのだろう。

 

「……付き合うぜ、相棒」

 

 追いついてきたルイスが肩を叩く。

 

 デヴィッドは口元を緩めてから、そして黎明の光へと視線を投じる。

 

「どんな運命が……待っているんだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カンカン、と長く遠い音程が鳴り響いている。

 

 遠雷にも似たその音叉とそして赤い信号の明滅。

 

 電車は間もなく踏切を通過するだろう。

 

 自分の佇む反対側に、一人の少女が顔を伏せている。

 

 ――ああ、こうもまだ、耳障りな音が残響する。

 

 画材ケースに入れた刀を意識し、そっと提げていた。

 

 呼吸は一瞬の感覚でしかない。

 

 しかし、永劫とも言える緊張感に喉がひりつく。

 

 電車がやってくる。

 

 もう一分も猶予はない。

 

 長い髪の少女へと、一つ決意して刀の柄に手をかけていた。

 

 少女は顔を上げない。

 

 それでも、その“声”だけは否が応でも耳朶を打つ。

 

 破裂寸前な歪んだ音程が踏切の音階と入り混じっていく。

 

 この世のものとは思えない、軋んだ不協和音。

 

 電車が、間もなく来る。

 

 その断絶の前に一拍の呼吸。

 

 こちらのそれを相手は好機と受け取ったのか、あるいは仕掛けるのならばこの時しかないのだと互いに了承していたのか。

 

 少女の骨格が折れ曲がり、ワンピース姿の背骨が膨れ上がる。

 

 決断するのにはレイコンマの時間さえも惜しい。

 

 真紅の噴煙が世界を支配する。

 

 斬、と刃を振るい少女の背後を取っていた。

 

 相手がそれを認識する前に花開くようにして返り血が飛び散る。

 

 血潮が舞ったその瞬間に通過電車が速度を下げずに踏切を超えていく。

 

 やがて、少女の骸一つを残して現場を立ち去っていた。

 

 その背中に紳士が追従する。

 

「今回の獲物は偽装死体を用意するような余裕もなかったようだな、キザハシ」

 

「そうね。まさかあたしに直接挑んでくるなんて。……ねぇ、デヴィッド。あれから何年経ったのだっけ」

 

「もう三年だ。機関は再編成され、新たな世代の“SAYA”も生まれつつある。……これから先も、君の秘密とケース38は秘匿され続ける事がワイズマンとの議会で決定したそうだ」

 

「生き残った賢しい連中がよく言う……。けれど、いつまでこんな事を、続ければいいのかしらね。翼手と疑わしき者を斬り、その死体の上にあたし達の楽園の安寧は成り立っている」

 

「それが何も知らない子羊達の安息だ。彼らにとっては、翼手の存在も、君達、サヤの存在でさえも生涯知る事はないだろう」

 

 刀にこびりついた血糊は結晶化を始めている。

 

 彼女は刃を払ってそれらを振り落としてから鞘に収めていた。

 

「……ねぇ、デヴィッド。あたしの名前は……」

 

「君はもう“階小夜”だ。組織の擁する、サヤの一人であり、そして翼手人類を葬るための報復の矢」

 

 最善の解答にキザハシは手を叩いていた。

 

「百点満点ね、デヴィッド。……けれどね、お願いがあるの。もし……ディーヴァを……殺す機会に恵まれたとすれば……その時は協力して欲しい」

 

 虫のいい話だとは分かっている。

 

 その上、彼は組織の“デヴィッド”だ。

 

 不利益になる事は約束しかねるとでも返すのだろうかと思っていると、意想外の言葉が投げられていた。

 

「……キザハシ。君の意見は尊重したい。私は君の“デヴィッド”だ。デヴィッドとルイスはサヤと共に生き、サヤと共に死ぬ。それが宿命なのだから」

 

「だったら……! だったら、あたしの、最後の望みを、叶えてくれるの……? あんた達は処分されるのよ?」

 

「構わない。どうせ、デヴィッドに成った時点で死んだようなものだ」

 

 彼は“デヴィッド”として歴は長いはず。

 

 それでも自分のような小娘のサヤに寄り添ってくれるのか。

 

 キザハシはこみ上げてくる熱いものを堪え、それから鋭い論調で返す。

 

「……言っておくけれど、もしディーヴァを殺せるのならば、あたしは容赦はしない。あんた達が結果的に死のうとも」

 

 それにしても、とキザハシは夕映えに染まる街並みを眺める。

 

 どれもこれも、滅菌されたような楽園の片隅だ。

 

 それらを血濡れの道で歩みながら、自分は未来へと後ろ向きに佇んでいく。

 

 どれほど穢れていようとも、もう自分で決めた道ならば――。

 

「けれど、恨みたくない、よ……。生まれた事くらいは、ね」

 

 最後の最後、“階小夜”としてではなく、“ノノ”と言う少女はここで封殺、ここで打ち止めだ。

 

 この言葉を最後に、自分はもうサヤなのだから。

 

 ならば、歩もう。歩み続けよう。

 

 世界が終わる、その日までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五章「断末輪廻魔境」了

 

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