第八十三話 ゲームの駆け引き
浮遊感が僅かに腹腔に感じられて、視界を閉ざされた少女は問いかけていた。
「飛んどるんよね? これ」
真っ黒な視野で少女は首を巡らせる。
「そうだと言えば、貴様は信じるのか? 違うだろう? よくもまぁ、長い間オレ達を出し抜いたもんだ。だがな、アシッドはそんなに甘くない。ここ一番で近づき過ぎたな。――機関のサヤ」
「ウチがサヤや、言う証拠は?」
「アシッドの中でも出入りが禁じられている部屋……四神官と王のみが通ずる部屋へと幾度となくハッキング。律義なものだ。あの部屋にはカメラも何もないと言うのに。記録映像は全て、ダミーを忍ばせてある。残念だったな。貴様らが回収した映像は、偽物だ」
「心外やわぁ。ウチはエンジニアとして呼ばれたはずやろ?」
カツン、と少女と相対する男は靴音を響かせる。
一瞥を振り向けた男の視野には、拘束服に包まれ、その指先でさえも自由ではないおかっぱ頭の少女が一人。
一方で、男は神経質そうに灰色のスーツを身に纏っていた。
撫でつけたオールバックの髪に、金色の瞳が怜悧に細められる。
「貴様はつい三か月前にセクション三十七から派遣された、職業訓練の女子高生としてアシッドに潜り込んだな? あそこの高校は工業系が多いから楽に忍び込めると思ったのだろう」
「ウチはただの女子高生やけれど? 何の取り柄もあらへんから、せめてエメトピア中央庁にインターン生として今から職業訓練が出来ればええと思っただけやし、それを教職も認めてくれたから、ウチがここまで来られたんやんか」
「確かに。セクション三十七の許可証も出ている。この推薦状は偽物にしてはあまりにも精巧で、なおかつ裏も取れている。申し分ない」
男は端末上に表示された少女の来歴をスクロールする。
全ての情報は同期され、一分の隙もないように思われた。
「……だが、これは貴様も想定外だったのだろうが……つい一か月前の事だ。セクション三十七は“SAYA”感染者増加と、そして中央庁への反逆罪によって粛清されている。これは隣接されたセクションにさえも知られていない、完全なる秘匿事項だ。その中で、我々は貴様の情報を洗い直した。セクション三十七に残存する全ての女子生徒を、だ。そうするとね、不思議な事に居ないのだよ、“雨宮小夜”などと言う少女は。どこにも」
拘束服を解かず、男は“雨宮小夜”と書類に記載された少女へと顔を近づける。
もしもの時には舌を噛んで自害でもするか、と思われたが、少女は大人しかった。
「……何で、そこまで裏が取れててウチを逃がすん? これ、処刑場に向かうにしては軽装なヘリやろ?」
「……やはり、貴様は機関の“サヤ”か。改めて、驚いたと言っているんだ。ここまで周到な潜り込みは、セクションが焼かれた現状を知らなければ不可能だっただろう。恐れ入るよ。加えて、サヤの名前は一度記録されれば反証がされる、と言うのも嘘だったわけだ。なるほどな、エメトピア中央庁も万能ではない」
「……何か、その口調には一家言あるようやわぁ。まるでエメトピア中央庁の役人でもなければ、機関の回し者でもないみたいな言い草やね」
「……雨宮小夜、貴様は何を命令されて、セクション出身を偽り、そして調べて見て分かった事だが……この十二年間、同じような手口で職を変え、経歴を変え、過去を抹消し、名前も偽りながら……正直、恐怖したよ。アシッドに十二年も潜伏していたなんて」
――この男は知り過ぎたな、とアマミヤは判定していた。
自身に課せられた、十二年もの間のアシッドへの潜入任務。
そして、その間、記録を変え、記憶を改ざんし、自分にまつわる全ての足跡を消してきたと言うのに、セクションの一つが焼かれただけで露呈しては元も子もない。
「……あんたさん、死相が出てるねぇ」
「見えなくとも分かるのか? サヤと言うのは」
「簡単よぉ……ウチに、行き会ってもうたんやもん。それに、ここまで馬鹿正直に言ってきたのは、あんたさんが初めてやわぁ。気づいた人間は片手くらいしか居らんかったけれど、みんな殺してきたんやし。どれもこれも、迂闊やったんやけれど」
「そいつらに比べてオレはどうだ? 貴様のお眼鏡にかなったかな?」
アマミヤは集中して、相手の“声”を聴く。
波長パターン、これまでの戦歴、そして経験則から来る予感が、ある事実を浮上させる。
「……あんたさん、珍しいわぁ。自分がオニゲンやって分かっていて言うとるんは」
「いやね、周りが上級翼手とシュヴァリエだと、オレも知った時には絶望したよ。この職務に就くまでなかなかに苦労もしたんだ。だが、全て無為だとはね」
「どこまで知っとるん? それ次第では殺し方を考えてあげるわ」
「どこまでって、今しがた言ってのけた情報を知るのにはかなり危ない橋を渡ったんだ。……全て、と言うのは驕り過ぎだろうか」
「あんたさんが知らん事も、この世にはたくさんあるんよ。まず一つは……何でウチと対峙するのに、空を選んだんか」
「機関の連中は戦術ヘリと特殊弾頭で固めた戦闘狂共だ。サヤも、どのような固有能力持ちか分かったものじゃない。だが、舞台が空ならば、少しは時間を稼げるはず。そう思っただけさ。何か可笑しいか?」
澱みのない男の返答にアマミヤは微笑みかける。
「なら、あんたさん、ちょっと詰めが甘いんよ。ウチが雨宮小夜やって分かった時点で、地面に埋めるでも、上級翼手やシュヴァリエを連れて戦うでもよかったやんか。ウチを糾弾したいんならね」
「それは現実的じゃないな、雨宮小夜。第一、これだけアシッドに肉薄しておいて、今さら腰が引けたサヤだと判断するのはおかしい。十二年だ。……まったく、恐怖するほどの年月、そして執念……。それをたった一人のサヤで遂行し続けて来た。そして、前任者達は、貴様の処遇を決めかねているうちに、真実に辿り着いた順から始末された。その帰結するところを見るに、機関のバックアップなしで勝利し続けられるだけのサヤだという事だ。だから、上級翼手をぶつけても塵芥だろう。シュヴァリエなどぶつけてみろ。殺してくれ、と言っているようなものだ」
アマミヤは感覚器だけで、眼前の男がナンセンスだと肩を竦めたのが伝わって来た。
「じゃあ、ウチをここまで追い込んだ、理由を知らせてはもらえるん? 拘束服を用意して……ヘリには、あんたさんとパイロットが二人だけ。そのパイロット、知らされてへんね。警戒がまるでないもん」
暗に、この拮抗状態は長続きしないと言い含めたつもりだったが、男は何でもないように告げる。
「……オレはね、少し思うところがあったんだ。これは極秘情報の一つに抵触するのだが……つい先日、機関のサヤへと四神官が一人、ラビが接触を図った。そこに誰を連れて行ったと思う?」
「もったいぶらずに答えぇや」
男はヘリの羽音に掻き消されかねないような、潜めた声で言い放っていた。
「――王だよ。このエメトピアの支配者、楽園の王。……知っているはずだ、七原文人を」