BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第八十六話 存在の証明

 

「オトナシには伝えたんだな?」

 

 扉の前で待っていたルイスは安物の煙草を吹かしていた。

 

 デヴィッドは彼が掲げたパッケージから一本拝借し、火を点けようとして何度も仕損じる。

 

「はいよ、火だ」

 

 横合いから出されたライターの火に、デヴィッドは視線を落としていた。

 

「俺は何一つ……守れないままだ。十二年前……あの頃のガキだった自分からは、もうとっくの昔に訣別したはずだったってのに……今も俺は、ガキの理屈で倉橋真那を苦しめている」

 

「上々なんだろうさ、おれ達みたいな人間のクズにはな。……オトナシには、おれ達もまた、オニゲンなんだってのは伝えていないんだろう」

 

 十二年もの間、ずっと戦ってきたのだ。

 

 今さらそのような隠し立ては意味を成さないか、とデヴィッドは紫煙をたゆたわせる。

 

「……どうしても、それだけは言えなかった。それを言えば、倉橋真那は戦う理由をなくす。俺達がいつ、翼手に覚醒するか分からないなんて知れば、もう二度と……剣を握れなくなるだろう」

 

「それはオトナシのためかい? それとも自分自身のエゴのためか?」

 

 すぐには答えられなかった。

 

 答えれば、自分の結論はどうしたところで致命的な欠陥が生じているのだと突き付けられてしまうような気がしたから。

 

「……どうすれば、よかったんだろうな、俺達は」

 

「簡単な事だぜ、デヴィッド。おれ達は変わらず、オトナシの“デヴィッド”と“ルイス”だ。それだけ守っておけばいい。他の事は、お偉いさんに任せておけ。どうせ現場判断、現場主義なのは変わらないんだ。なら……もう二度と、おれ達のサヤを死なせるべきじゃない」

 

 煙草をくわえながら、デヴィッドは深く瞑目する。

 

「……俺達のサヤは、どこまで分かっていたんだろうな。いや、全てか。全て分かっていた上で、愚かな道を辿る機関と俺達に、軽蔑していたんだろうさ。ルイス、俺はオトナシの戦闘を、一番近くで見てきたつもりだ。彼女はずっと、戦い続けて来た。それこそ、理想郷に裏切られてもなお、進み続けて来たんだ。その道筋を愚弄するような存在は許せない」

 

「シュヴァリエも強い。……その上でケース38にあった、〈古きもの〉、とはね。サヤの血では殺せず、一度に大量出血させるしかない。おれ達の切り札を殺されて、黙っていられるかよ。デヴィッド、おれは臆病だが、勇気がないわけじゃないぜ。サヤを、オトナシを守るために、やってやる」

 

 ルイスの決意が今は眩しい。

 

 彼もまた、最早逃れられぬ宿縁の中にある。

 

「……キザハシは、そしてあの“デヴィッド”は、きっとこんな風な絆だけじゃない、もっと深いもので繋がっていたんだろうな」

 

「その事だが、あの爺さん、現場復帰は絶望的らしいが、それでもまだ生きているらしい。キザハシに最後のメッセージがあるんだと。泣かせるね、忠義を尽くすと言う点ではあの爺さんも騎士だったわけだ」

 

 自分達は、機関のサヤにとってはパーツでしかない。

 

 どれだけでも替えの効く部品。

 

 壊れれば、別の部品があてがわれるだけ。

 

 だがそれでも、キザハシはあの“デヴィッド”を信じていたから、レクディ暗殺に踏み切れたのだろう。

 

 十二年の歳月は彼女を立派なサヤに仕立て上げていた。

 

 当初のような、自身の血の衝動でさえも飼い慣らせないサヤではない。

 

「……階小夜はもう機関のサヤなんだな、名実ともに」

 

「何だ、デヴィッド。キザハシに同情しているのか?」

 

「……まさか。それは最悪の感情だろうさ」

 

 如何にケース38の真相を知ったとはいえ、レクディの存在はそれだけでこの理想郷を破壊しかねない爆弾だ。

 

 知っただけでは勝てない――それを重々理解した上で、キザハシは殺しに踏み切っていた。

 

「……いや、待て。ならば何故、あの場にエメトピア中央庁の役人が居た?」

 

 鎌首をもたげた疑問にデヴィッドは端末を操作する。

 

 真那の証言では、その役人を斬れなかったと聞く。

 

 斬らなかった、ではない。

 

 斬れなかったのだ。

 

「……おい、まさかとは思うが、そこまで踏み込んじまう気か? 戻れなくなるぞ」

 

 相棒の忠告にデヴィッドは目線だけで返答する。

 

「とっくの昔に、もう戻れないようになっているんだ。なら……俺達のサヤのために、一手でも上回る」

 

 ホールでの出来事は学校側の監視カメラで克明に記録されている。

 

 映像データへとアクセスし、あの場で巻き起こった惨劇を目にしていた。

 

「オニゲンを歌で覚醒させる……。これも妙だ。何故、最初の歌唱では覚醒者は居なかった?」

 

「たまたまじゃないのか? 確率だとか」

 

「確率でどうこうなるものを、アシッドが欲しがると思うか? ……何か裏がある。そして、レクディはそのからくりを知っているからこそ、今日まで逃げおおせた」

 

「……確かに言われてみりゃ、レクディは逃げたんだよな? シュヴァリエである、アンシェルとか言うのと共に。だが、十二年も経っていて、そのシュヴァリエは姿も見せない。そして、レクディは単独で楽園の歌姫へと上り詰めた……。誰かがレクディの手引きをしていた、と考えられるか?」

 

「オニゲンでは無理だ。いや、オニゲンだとして、彼女の歌の利用価値を見出す存在が居たとすれば、それは……」

 

 赴くところをルイスは先回りして呻る。

 

「……楽園の破壊者、エメトピアを転覆させかねない、そういう思想を持った人物だろうな」

 

 現状、翼手人類は九割。

 

 その上で潜在翼手人類たるオニゲンまで操れるとなれば、十二年も機関を泳がせておく意味はない。

 

 どこかでレクディは、この均衡を崩せていたはずだ。

 

 だが、“SAYA”のキャリアーは生まれ続け、翼手との戦いは続いている。

 

 それ自体が、どこか遊離した現実でさえある。

 

「……レクディにも縛りがあるとすれば? 条件で、レクディはその真の価値を使いこなせない」

 

「だが前回のホールでは明らかに自ら歌を使っての覚醒を試みていたように映る。……彼女は何かを待っていた? そのために、機関とサヤを躍らせる必要があったとすれば……」

 

「それは最悪の帰結だな、デヴィッド。おれ達はレクディの匙加減次第で、いつでも翼手へと様変わりだ」

 

 デヴィッドは前髪をかき上げ額を押さえる。

 

「……だが、そうとしか考えられない。レクディは何かを待っていた、そしてその結実こそが前回の戦闘であったと。……七原文人の復活か」

 

「七原文人……機関登録名、カインは〈古きもの〉と呼ばれる呪符を操る事に長けていた……これは機関が始まって以来、一人たりとも現れなかった“デヴィッド”の素養だ。そして〈古きもの〉は奴に付き従う……前回のヒルの〈古きもの〉を倒せたのは偶発的なものがあったのだろう。たった一人の男が、〈古きもの〉を裁断した」

 

 その映像も克明に残っている。

 

 金髪に優男風な黒衣の人物。

 

 彼は一滴の血も浴びず、凄惨な現場で余裕を浮かべて真那を助け出した。

 

「……こいつもシュヴァリエだと想定すべきか」

 

「おれが変だと思うのはだな、その映像、観れば観るほど……何かが食い違っているように感じられる。オトナシを助けたシュヴァリエと、キザハシと戦っていたシュヴァリエは明らかに……戦闘能力の差が開き過ぎているように……。一体、どうなっちまってるんだ? おれ達の認識じゃ、シュヴァリエって言うのは全員、上級翼手よりも高次の権限を持つ存在、くらいにしか思っちゃいないが……」

 

「あるいはそのような思惑を超えて、シュヴァリエとは存在しているのかもしれない。あまりにも情報は少ないんだ。探りを入れようにも、上から勘付かれればそこまでだろう。ルイス、映像データをストレージに回しておいてくれ。後々でジュリアに見せれば役立つかもしれない」

 

 携帯灰皿で煙草を揉み消し、デヴィッドは立ち上がっていた。

 

「……仕事熱心なのはいいがな、捨てなくってもいい命を捨てるような状況になるのは御免だぜ? そうじゃなくっても、28号翼手と、上級翼手、そしてシュヴァリエと来たもんだ。おれ達でどうこう出来る領域は少しずつ超えつつある」

 

「だとしても、俺達はオトナシのデヴィッドとルイスだ。もし、倉橋真那が戦いたくないと願ったとしても、人でなしの俺達はこう言うしかない。“戦え”と。“戦って勝利をもたらせ”と。……なんて事はない、俺達なんてもうとっくに腐り切っている。外道だ」

 

 真那が生きていた事でさえも奇跡だろう。

 

 そうでなければ、機関は重要なサヤを欠き、その戦力を大幅に減らされていたに違いない。

 

「……直通通信だ。アマミヤが帰って来たらしい」

 

 雨宮小夜――かつて、ワイズマンより命令を受けた当初は、カウンターとしてのオトナシの運用を命じられていたものだが、今となってはそれも無意味。

 

「……アマミヤは俺達の事を覚えているだろうか」

 

「そりゃあ、オトナシの担当だぜ? 顔くらいは何となく分かってるんじゃないのか?」

 

「だが十二年だ。……ルイス、俺は資料室に向かう。ともすれば……七原文人の事も、少しは分かるかもしれないからな」

 

「ワーカーホリックだねぇ、お前も。……オトナシに次の任務が充てられるまで、おれはじゃあ、せいぜい武器を万全にしておくよ。それが“ルイス”として出来る唯一と言ってもいい、貢献だからな」

 

 片手を上げて身を翻したルイスの背中を見送り、デヴィッドは呟く。

 

「……俺達には、何が出来るんだろうな……。倉橋真那の苦しみを、分かった風にすら成れないなんて、それは……」

 

 言葉を詰まらせる。

 

 ――それはまるで、存在意義の否定のようで、デヴィッドは思案を振り払うかのように足を踏み出していた。

 

 

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