「――揃ったん?」
訓練場にて、真那は番傘を差した少女の声を聞いていた。
おかっぱ頭に、人形を想起させる陶磁器のような白い肌。
しなやかな指先が一人二人、とこちらを数え、ぷっくりとした唇が言葉を継ぐ。
「全部で二十四人、問題ないみたいやね」
「アマミヤ。まだ私達は全容を聞いていないわ」
そう口火を切ったのは確かカナデのサヤであったか。
彼女は勝気なツインテールを払う。
「あらぁ、カナデ、あんたさんも慎重になったやないの。十二年前はもうちょっと頭で考えるよりも行動してた癖に」
「貴女が言えた義理? ……まぁ、いいけれど。先んじて通告されていた通り、選抜試験とやらが催されるのよね?」
「ええ、それは聞いた通りやと思うけれど? まぁ、細かいルールはこれから説明するさかい、ちょいと待ちぃや。マイケル」
アマミヤが促したのは灰色のスーツを着込んだ男であった。
ぼんやりと、“デヴィッド”でも“ルイス”でもないのか、と真那が考えていると、マイケルはケースからバングルを取り出す。
赤く発光するバングルを翳し、彼は説明していた。
「全員、このバングルは装着したな? これにはサヤのバイタルと、それに位置情報を常に捕捉するための道具だ。加えて今回の選別試験において、ペアを組む者同士の照合でもある」
「話は聞いとるんやんな? 実戦型のサヤ十二人と、サヤ候補生十二人。サヤは候補生とペアを組んで、28号翼手が跳梁跋扈するフィールドで生き抜いてもらう。期限は二日間。けれど、二日間隠れ潜んでばっかりのサヤと候補生に、次の作戦を任せるわけにはいかんからね。最低限のスコアとして、翼手を三十体、倒してもらうわ。もちろん、そのスコアはペアで共有してもらって結構。こっちからもモニターさせてもらうし。ああ、それと。バングルは破壊されれば失格やから、そのつもりで。大事に扱いや」
その言葉ににわかにどよめきが上がる。
実戦型のサヤとサヤ候補生では戦力にあまりに差があるはずだ。
だと言うのに、この試験ではそれこそが肝だとでも言うような構成がされている。
「はいはーい! 文句やなんやかんやの愚痴は後で聞くから、ひとまずあんたさんらは目標となるフィールドにそれぞれ移動を開始。ええね?」
「一つ、いいかしら? アマミヤ」
挙手したのはキザハシで、真那は覚えず委縮する。
「何やのん、キザハシ」
「……バングルが破壊されれば失格……でもそれはサヤ候補生も同じという事よね?」
キザハシの言わんとしている事は分かる。
実戦型のサヤならば、奇襲をかけてサヤ候補生のバングルを破壊するくらいは訳ないだろう。
だが、それ以上に深刻なのは――。
「せやけれど、まだ何かあるみたいやね」
「……破壊されれば失格。それは当たり前だとして……死んでも失格よね? 当然」
にわかに沈黙が降り立つ。
その静寂を吸い込むように肺に溜めて、アマミヤは発言していた。
「……せやね。当たり前過ぎて言うまでもないかと思っとったわ。最終的に残る枠は最大六組。ちょうど半分やね」
つまりこれは、選抜試験と言う名のサバイバルなのだ。
これを契機にして、気に入らないサヤを蹴落とす者も居るのかもしれない。
そんな自分の不安が顔に出ていたのか、キザハシの一瞥が振り向けられて真那は目線を逸らしていた。
「準備はええね? これからそれぞれのデヴィッドとルイスに運んでもらう。今回が普段のミッションと違うのは、デヴィッド、ルイス共に手出し無用という事。バックアップが受けられん中で、どれだけ戦い抜けるかと言うのを試させてもらうわぁ」
アマミヤがまるでこれから先の地獄を予見しているように邪悪に笑う。
その言葉を潮にして真那達は戦術ヘリへと乗り込んでいた。
先に乗り合わせていたのはペアを組んだサヤ候補生だ。
「あ、あの……よろしくお願いします……」
内気なのか伏せ気味の瞳に真那はかつての自分自身を重ねてしまっていた。
「……よろしくね」
浮遊感を味わいつつ、デヴィッドが振り返らずに声にする。
「……すまないな、オトナシ。俺の一存ではどうしようもなかった。……アマミヤは次の戦場で使えるサヤを選別しようとしている。それがどれほど……酷な道なのかは……」
「いえ、デヴィッドさん。こういった形で戦闘経験値を積むのも大事だと思うんです。それに、私は今回の試験、嫌じゃありません。サヤとして少しは出来るようになった事を示すのには、ちょうどいいはずです」
「……また君に言わせてしまっているな」
僅かな悔恨を挟みつつ、目標地点へと戦術ヘリが到達したのを伝える。
降り立ったのは全面焦土の歓楽街であった。
訓練用のフィールドだとは聞いていたが、これほどまでに徹底して破壊されているのは物珍しい。
「……倉橋真那。平時のように特殊弾頭でのサポートも、ましてや28号翼手がどこに潜んでいるのかも教える事は出来ない。……口惜しいが……」
「いえ。デヴィッドさん、それにルイスさんも。心配しないでください。少しは……戦えるようになっているはずだから」
「……バングルで位置情報を本部は常に掴んでいるはずだ。死に瀕する危機は滅多な事ではないとは思うが、気を付けて欲しい」
「デヴィッド、そろそろ上がるぞ。……おれ達のサヤ、気を付けて欲しい」
ルイスがこうして自分に言葉を振るのは少しだけ貴重だ。
真那は精一杯の笑顔で返す。
「ありがとうございます。……行こうか」
サヤ候補生を連れ立ち、真那は離れていくヘリの羽音を聞き取れなくなるまで聞いていた。
「あの……音無小夜、さん……なんですよね? 機関のサヤじゃ、トップだって聞きました」
「それは私の前の音無小夜だね。私はまだまだ……力及ばずだよ」
「でも、それは……ボクみたいな出来損ないのサヤ候補よりかは強いんですから……」
ボブカットのサヤ候補生は所在なさげに視線を伏せる。
まるでその様子がかつての在りし日の自分自身のようで、真那は手を差し出しつつ歓楽街から降り立つ。
一面が真っ黒に染まった道筋と原型を留めていない煤けた街並みが続く。
「その、あなたの名前は? サヤ候補生って事は、まだ襲名していないと思うんだけれど」
「あっ……ボクの名前はその、稲葉灯里……って言います」
灯里の所持する武器はオーソドックスな刀であった。
訓練自体は積んでいるはずだ、しかし、翼手を前にすればその経験値がどれほど当てになるのかは分からない。
「……じゃあ、灯里……ちゃんは、サヤとして出来る事ってあるかな? 何か得意分野ってあるんじゃない? たとえば――」
そこから先を紡ごうとして、真那は耳朶を打つ“声”の残響を聞いていた。
即座に戦闘神経に切り替え、腰だめに刀を構える。
「……今の……」
「翼手……。思ったよりもたくさん居るみたい。灯里ちゃん、私から離れないで」
背中合わせになって真那は相手を索敵する。
上級翼手が統率していると言うよりかは、28号翼手が無数に存在している様子であった。
ゆえに、“声”自体に意志は薄い。
むしろ、彼らは呼び合っているようでお互いの縄張りを守っているようであった。
真那は一歩後ずさる。
その途端、直上の建築物のガラスが叩き割られ、飛び出してきた翼手の爪を掻い潜る。
「あ……あ……!」
恐慌に駆られた灯里へと有無を言わせず引っ掴み、真那は鯉口を切っていた。
鞘を投げ捨て、相手の視線が中空に囚われた一瞬の隙を突いての肉薄。
刺突で出鼻を挫いてからの、血を流し込んでの薙ぎ払い。
胴体と生き別れになった翼手が血飛沫を撒き散らし、瞬時に結晶化していく。
「……一体目、か」
28号翼手自体の強さはさほどでなない。
しかし、サヤ候補生である灯里を連れて、どこまで立ち回れるだろうかと言う不安はある。
灯里はしばらく震えていたが、肩に手を置くとびくりと硬直する。
「大丈夫だから。……サヤなら翼手を殺せる」
「け、けれどそれは……実戦型のサヤの話じゃ……」
「灯里ちゃんもこの試練を突破すれば実戦型になる。そうなった時、誰かを守れるようにして欲しいんだ。……だから、刃を取るのだろうし」
それにしても、二日で三十体と言うのは恐らくギリギリの数なのだろう。
否が応でも蹴落とし合いになるのは目に見えている。
真那は先ほど翼手が奇襲を仕掛けようとした廃屋へと踏み込む。
「……酷い血の臭い」
喰い合いがあったのか、あるいはそれまでの時点で被害があったのかまでは分からない。
ただ、翼手の脅威は一般人にとってしてみればおぞましいほどだ。
見渡すとこの場所はどうやら飲食店のようであった。
真那は電気が生きている事を確認し、冷蔵庫を開ける。
水が数本、貯蔵されていた。
賞味期限も大丈夫だが、ここは焦土に晒されたセクションだ。
恐らく、ほとんど使い物にはならないだろう。
「……お湯を沸かせれば少しは違うんだけれど……」
「オトナシさん、落ち着いているんですね……。ボクは逃げたくって仕方ないって言うのに……」
刀を抱いた灯里の感想に、そうなのだろうかと自問する。
いつの間にか、必要以上の事を感じない戦闘マシーンに成り下がってしまったのかもしれない。
機関のサヤとしては正しくとも、ヒトとしての道は正しくないだろう。
「……水と食料は現地調達って言われていたから、少しくらいは、ね。けれど、このセクション、ちょっと変かも」
「ですね……全体がこんなに焼かれているって言うんなら、多分、他のセクションとの戦争をしたんですよ」
――戦争。
ついこの間まで、遠い出来事だと思い込んでいた、厄災。
自分の人生は閉じた白亜の理想郷で終わると信じ込んでいた。
だが、運命は血の道標を示し、刃を握る道を選ばせる。
真那はテーブルの埃と煤を拭い、その中に入り混じる人間の骨細工を感じ取っていた。
こうして、ヒトは死ねば無意味となる。
その存在証明すら消え去り、何もかも忘却の彼方へと追いやられてしまう。
悲しいとも、辛いとも違う。
これは――虚ろなのだろう。
虚無へと供物を投げ続ける事でしか、人間は存在証明を描けない。
それが翼手であると言う結果だとしても。この楽園で知らずに生きていく無知なる生存だとしても。
ヒトは選ばなければならない。
無知のまま死んで行くか、知った上で生き意地汚く生きていくか。
だから、恐ろしいのはその先に待つ結論でしかないのだろう。
「……灯里ちゃん。サヤ候補生になったっていう事は、戦う意志はあるんだよね?」
聞いておかなければならない。
生きるためだけに剣を取るのか、それとも大義あっての事なのか。
灯里は僅かに眼差しを伏せた後に、ぽつりと語り始めていた。
「……ボクは、誰かの役に立ちたいんです。“SAYA”に感染する前から、愚図って言われてきましたから。だから、名誉とかじゃないですけれど、少しでも自分が役立てれば、それに越した事はないんだろうな、って……」
灯里の後ろ向きな発言を、自分だけは諫めない。
真那自身も猫背の自分と、そして代わり映えのない日常への永遠の憧れがあった。
何者にもなれなくともいい――だからせめて平穏を、と願ったその先に待っていたのは楽園の外側での戦いである。
「……私ね。サヤとして戦うのに、実力も覚悟も、全然なんだ。キザハシさんやみんなはすごく立派な志で戦い抜いている。それに比べれば、私なんてまだまだだよ。……でもね
灯里ちゃん。無理だって決めつけていたら出来る事も見逃しちゃうよ」
その言葉に灯里はハッと面を上げる。その眼差しを真正面から見据えて、真那はうなずいていた。
「……強くあろうと、その気持ちだけでもきっと、報われるものはあるはずだと思う。私は何も出来なかった……両親を救う事も、親友を助ける事も……これまで守りたいと思った人達を……守り抜く事も。けれど、私はせめて強くなりたい。誰にも負けないくらい、強く……だから、諦めちゃいけないんだよ。今回の選抜試験はきっと、チャンスなんだ。だから、私は……」
「オトナシさん……。分かりました、ボクにも出来る事をやってみます……っ!」
「……前に出る事はないよ。敵と戦うのは私に任せて。サヤ候補生を死なせるわけには……」
「違って……! ボク、何て言うのかな……ちょっと他のサヤよりも、眼と耳がいいみたいなんです。デヴィッドさんに教えてらったんですけれど……」
そう言うや否や、灯里は軽く指先を切ってから地面に手を付けていた。
血の文様が床に刻み込まれ、直後に灯里の虹彩は真紅に染まっている。
「……灯里ちゃん? それって……」
「機関はボクのこの力を、“血の魔眼”って形容していました。ボクの索敵範囲なら、奇襲を仕掛けようとする翼手も、サヤも関知出来るはず……」
「その射程距離は? 把握出来るのはどれくらいなの?」
「……比べた事は、もちろんありませんけれど……デヴィッドさんの見立てでは、雨宮小夜さんよりも強いかもしれない、と」
アマミヤ以上の索敵の使い手となれば、真那にしてみても動きやすくなる。
最低限度の戦闘行為だけでこの二日間を突破出来れば、それに越した事はない。
「……分かった。索敵は灯里ちゃんに任せる。集中して、私は戦闘を担当するから」
「は、はい……っ。待って、これ……」
その言葉に違和感を覚えるよりも先に地面に刻まれた血の文様が枝葉を伸ばしていく。
何が起こっているのか分からない真那は遅れてその存在を関知していた。
「――遅いわよ」
ハッとして交錯した一瞬は、習い性の戦闘神経の賜物だったのか。
下段より振るわれた斬撃を真那は弾き返し、対象を見据える。
「……どうして……キザハシさん……」