「倉橋真那。君のサヤとしての素養はかなり高い」
そう出し抜けに言われても、真那はベッドに横たわったまま聞くしかない。
「……でも、私……戦いで勝てるかどうかなんて……」
「サヤには、多かれ少なかれ血中のSコードによる実力差が存在する。数値が高ければ高いほど、その内包する実力は高度だが……君の場合はケースが僅かに異なる。前任者のオトナシから直接、血分けされたんだ。元々の戦闘能力だけじゃない、ジュリアの解析によれば、君の中には音無小夜の戦闘経験値と、これまでの能力が全て眠っているとされている」
そういえば、と真那は思い返す。
イザヨイと会敵した際、自分はどうしてあそこまで切り裂かれても復活出来たのだろうか。
あれはただの偶然かと思い込んでいたが、前任者のオトナシの素養が関係しているのだとすれば、幸運では説明し切れない。
「……私は何に長けているんですか……?」
デヴィッドは書類を捲り、一つ一つ説明する。
「再生能力、索敵能力、そして未知数だが、サヤとしての血の潜在能力を発揮した瞬間の、最大戦闘能力……どれを取ってしてみてもトップクラスだが、同時に弱点でもある」
「弱点……?」
「オールラウンダーは機関のサヤでは数少ない。強いて挙げれば、カナデのサヤと、アマミヤくらいか。他のサヤは特別な能力を保持している。そして、ミッションにおいては特別な能力のほうが重宝しやすい。倉橋真那、君はサヤとして突出した才覚があるが、それは特別かと言えばそうでもない」
デヴィッドは書類を最後まで捲ってから締めくくる。
何だか落胆したような、そもそも理解の範疇の外にある話だ。
生返事で応じていると、しかし、とデヴィッドは言葉を継ぐ。
「それが有用になる事もある。倉橋真那、君の戦闘能力は未知数と言ったな? それはこれから先、オトナシとしての血の力を発揮すれば発揮するほどに、磨かれていくという事だ。……少なくとも、俺が見続けて来た前任者の音無小夜はそうだった。力に際限などないように、いつだって余裕を持って振る舞っていた。……君にそうなれとは言わない。だが、君の中には確かに息づいている。機関の中でも指折りの実力者、その名を誇るといい」
「誇る……」
どれもこれも、自分のものではない。
だが、自分の努力次第でそれが実るのだとすれば。
真那は掌を眺める。
巡る血潮、今も脈打つ心の臓。
この血を絶やさぬと言うのならば――自分はサヤの衝動でさえも飼い慣らそう。
それこそ、命を賭して。
空気が明らかに変わった。
纏っている殺気の方向性が極まり、眼前の音無小夜は別種の生き物と化していた。
先ほどまでなまっちょろい事を口にしていた少女ではない。
真紅の瞳を鋭くさせた彼女は間違いなく狩人だ。
だが、とキザハシは自らの戦闘経験値に頼っていた。
十二年間も戦ってきた。
レクディを殺すため、全てを清算するために。
だと言うのに、この間サヤに成ったばかりのひよっこに敗北して堪るか。
何よりも、相手の殺意がどうであれ、自分の覚悟のほうが強いに決まっている。
「……殺すわ」
キザハシは言葉少なに、自身の決意を刃にしていた。
血を吸わせた神託兵装が「emeth」の血文字に命を宿す。
真っ赤な閃光の残火が振るわれ、オトナシを斬り落としたかに思われたが、彼女は一足飛びで瓦礫へと飛び移り、それを足掛かりにしてこちらへと飛び込んでくる。
まるで砲弾――そのあまりの苛烈さに、キザハシは一拍だけ反応が遅れてしまっていた。
弾き返す程度の反応速度でしかないキザハシへと直後、煤けた灰が投げられていた。
一瞬とは言え、致命的な誤差。
視界を閉ざされたキザハシへと、オトナシは下段より一閃を見舞う。
片腕が落とされかねなかったが、咄嗟にキザハシは地面へと踏み込む。
土煙が舞い上がり、オトナシの必殺の射程を僅かに鈍らせていた。
薙ぎ払う一撃で始末しようとするも、それを心得て弾き、相手は剣戟を見舞う。
「……本ッ当に……あんたは……!」
払った一撃を跳躍して回避し、オトナシはサヤ候補生を回収していた。
「……灯里ちゃん。少しだけ安全なところに隠れていて」
「そんな……オトナシさんはどうするんですか……?」
「倒してから向かう」
迷いなく断じられた論調に、キザハシは奥歯を噛み締めていた。
「よく……吼えられるわよねぇ! そういうの!」
瞬間、周囲は血の噴煙に塗れていた。
真紅に染まった景色の中で、キザハシは切っ先を突き付ける。
オトナシが脱力した様子で刃を下げたのを目の当たりにして、怒りで脳内が白熱化していた。
踏み込むと同時に打ち下ろす一撃。
それを同等の力で阻まれ、火花と共に大きく後退する。
オトナシは脚力で上回ろうとするが、その速度が如何に常人離れしているとしても、サヤであるのならば感覚出来る。
背後に回り込んだオトナシの一閃を振り向きもせずに受け止め、回し蹴りで脇腹を叩き据える。
地面を滑ったのも一瞬、その頭蓋に刃を突き立てようとしたが、オトナシの立て直しは素早い。
頭部を捉え損ねた切っ先が食い込んだほんのレイコンマの世界でオトナシは躍り上がり、キザハシの頭部へとハイキックを見舞う。
「……意趣返しの……つもり……!」
脚部を落とそうと刃が奔る。
それを相手も予見して宙返りし、着地と同時に刺突の構えを取る。
キザハシは呼び合うように同じ姿勢を取って刺突を心臓へと向ける。
切っ先同士がもつれ合い、肩口を傷つけるのみで終わった交錯だったが、オトナシは空いた片手で掌底を作り腹腔に打ち込む。
肺の空気が一気に削がれ、数秒のブラックアウト。
その隙を講じてオトナシが大上段に刃を振るい上げたのを、キザハシは戦闘経験値で感覚し、受け流していた。
互いに飛び退り、刃を振るう。
「……ここまで本気を出したのは、もしかしてあんた、初めて?」
「どっちだっていい。……弱いほうが死ぬだけだ」
平時のオトナシの口調ではない。
こうなってしまえば、オトナシの血の中で未だに前任者の音無小夜が生きていると言われても信じるくらいだ。
「弱いのが死ぬ、ね。意外な帰結だわ。……そればっかりは意見が合うんだから……」
刃を腰だめに構える。
オトナシも同じ戦闘姿勢を取り、互いに鏡合わせのようになっていた。
――ここで出し切るべきか。
脳裏を掠めたのはほんの気紛れじみた些末事。
まだ二日間まるまる時間はある。
オトナシと決着をつけなくとも、二日間、スコアだけを上げて選抜試験を超える方法もあるだろう。
――でも許せないのよ、今ここで……!
オトナシを認めてしまえば。
彼女の弱い理論も、かと思えば全てを断絶したかのような冷徹な殺気も。
何もかもを肯定してしまえば、自分の存在意義は薄らいでしまう。
ならば、無謀でも断ち切るべきであれ。
キザハシは親指の先を刀で軽く切る。
それは自身の持つ、呪いのような力の証明であった。
「……行くわよ、音無小夜。ここで死になさい」
全てを出し切り、相手へと死と言う名の結果だけを与える――そのつもりで構えたキザハシは灯里とやらの叫ぶ声を聞いていた。
「オトナシさん! 近くまでサヤが来ています! この感覚は……!」
迂闊であった、とはこの事であろう。
索敵に秀でたサヤであるのならば、オトナシだけに伝えるべきであった。
ここで愚直にも声を上げた灯里へと暗く沈んだ街並みを縫うようにして、影が這い進んでいく。
その正体を理解する前にオトナシは駆け抜けていた。
自分との勝負よりも、ここで挑戦してきた新たなサヤを優先したのだ。
オトナシは刀を掲げ、影へと突き立てる。
だが、それは疑似餌だ。
一瞬にしてオトナシの背後へと浮かび上がったのは少女の痩躯。
「――遅いのよ」
しなやかな指先が見合わぬ杭打機を構え、オトナシの心臓を狙い澄ます。
振り返り、斬撃。
だがそれが遂行される前に、パイルバンカーはオトナシの肉体を貫いていた。
脇腹を抉られ、激しくかっ血する。
第二射が装填される前に、オトナシは刃を翳していた。
弾頭へと直接打撃を与えるべく、力任せに薙ぎ払われた一撃が食い込む。
舌打ちを滲ませ、相手は影の中へと沈んでいた。
「オトナシさん!」
灯里が駆け寄ろうとしたのを、キザハシは制する。
「来るな! ……いえ、来ないほうがいい……敵の領域よ」
訂正しながら、キザハシは廃屋を縫うように進んでいく影へと捕捉しようとして、やはりと言うべきか、その気配が薄らぐ。
自分は索敵に長けたサヤではない。
よってこの場では、敵の正体を看破しておきながら、何も出来ないでくの坊だ。
周囲へと超感覚の視線を巡らせるが、相手は姿を見せない。
今しがた、オトナシへと撃ち込んだ一撃で全てが決したと思い込んでいるのか、あるいは追撃は要らぬ禍根を残すとでも思っているのだろうか。
「オトナシさん! オトナシさん……!」
灯里が叫ぶ。
キザハシはその耳障りな声を聞きながら瞑目していた。
どうする、否、どうもしない。
このままオトナシを死なせれば、自分達は一抜けだ。
相手の実力が分かっているこちらのほうが生存率は高い。
選抜試験はサバイバル、よってここで自分達は逃げおおせればいい。
灯里とやらは、この場に置いておくしかないだろう。
オトナシが死ねば、自分にとって不利益なサヤが一人減るだけ。
ただそれだけの、シンプルな答えのはずなのに――。
「……だって、そうでしょう……」
キザハシは呻くと共にオトナシの躯体を担いでいた。
俊足には少しばかり自信がある。
戸惑う灯里を他所に、彼女へと声を投げる。
「……一時撤退、行くわよ」
サヤ候補生でしかない相手は従うしかないのだろう。
駆け出した速度で敵を引き剥がしていくが、それでも殺気が途絶えた様子はない。
恐らく、一度仕留め損なった獲物を逃すような馬鹿でもないのだろう。
キザハシは青い残像を帯びた高速移動術でビルの断崖へと上り切り、振り返って追っ手の相対速度をはかる。
「……少しは時間が稼げそうね……」
「あの……オトナシさんは……」
「このままじゃ死ぬわ。確実にね」
その言葉が冷徹に聞こえたのか、あるいは元々そういうつもりだったのか、灯里は慣れない刀を突き付けていた。
「……震えているわよ、切っ先」
「……殺し合いをしておいて、そんな言い草……」
「殺し合いをしておいたからこそ、この言い草なんだけれど? あたしが死ぬかもしれなかったんだし。けれど、運がいいわ。付いて来ているわね? 理恵」
「はい、一応は」
今の今まで戦力外であった自分のペアであるサヤ候補生は刀を携えて現れていた。
刈り上げたショートヘアの髪を傾け、理恵はゆっくりと歩み寄る。
灯里はそれに対して刀を構えていた。
「慣れない事はするものじゃない」
その一言で了承が取れたのだろう、灯里は口惜しそうに刃を下ろす。
「……ボク達の負けって言う事ですか……」
「だから、急かないでってば。理恵、この子、音無小夜。今しがた奇襲を受けて致命傷よ」
状況説明をした自分に理恵は手を翳す。
「どれくらい治せばいいですか?」
「動けるくらいで充分でしょうね」
「分かりました」
そう口にするや否や、オトナシの傷口から流れていた血潮が円環を描き、それらはゆっくりと、まるで時間の逆回しを見ているかの如く修復されていく。
三分もしない頃合いには、オトナシの傷は塞がっていた。
ぱちりと瞼を開いたオトナシに灯里が手を握って声をかける。
「オトナシさん! ……よかった……!」
「私……」
「奇襲を受けてあんた、死にかけたのよ。……まぁ、時間さえあれば自己修復でもしていたでしょうけれど、あの相手じゃそんな余裕もなかった」
自分の言葉にオトナシは何度か傷口をさすってから、理恵に気付いた様子で目を見開く。
「気にしないで。あたしのペアのサヤ候補生。血の特性として、サヤにしては珍しい、治癒能力を持っている。……ある意味じゃ当たりかもね。ただし、戦闘能力はまるで皆無だけれど」
「キザハシ先輩。それだと私はお荷物のようだ」
「実際、似たようなもんでしょうに。隠れろと言っておいたのはその事もあるのよ。……まぁ、お陰で助かったけれど」
「その……ありがとう……。助けてくれて……」
理恵へと礼を言うオトナシへと彼女は諫める。
「礼を言うのなら、キザハシ先輩に言うといい。私はこの人の命令以外聞かない」
オトナシの視線が戸惑い、こちらへと向こうとしたがつい先刻まで殺し合っていた手前、安易に礼を言えるわけもない。
「……キザハシさん。今しがた、私を殺そうとしたのは……」
「機関のサヤね。翼手じゃ、あそこまでの手傷は負わせられないでしょうし。それに……正直なところで言えば、相手の手の内は知ってもいるのよ」
「顔見知り……って事ですか」
「十二年も居たのよ。機関のサヤはほとんど見てきている。その中でも……折り紙付きの実力者。機関の持つサヤの中でも特殊な能力に秀でた才覚。――その名は浮舟小夜。覚悟なさい、十二年前の本部施設強襲で生き延びた、数少ないサヤよ」