BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第九十六話 死徒の乙女

 

 どれもこれも、詮無い事象ばかりだ――そうウキフネは規定していた。

 

 三十体のスコアも大したデメリットではない。

 

 むしろ、デメリットはサヤ候補生であった。

 

 元々、最有力に近い自分の実力にとって足を引っ張るだけのサヤ候補生は邪魔なだけだ。

 

 だからこそ、影へと沈めておいた。

 

 死んでいるわけではない。

 

 自分の有する武器と同じく、影の中で身動き一つとれないだけ。

 

「……さて、そろそろ仕掛けてくる」

 

 索敵に関しては得意ではないが、狩人の領域に入った敵くらいには応戦出来る。

 

 振り向いたウキフネは、刀を提げたキザハシと相対していた。

 

「あの新任のオトナシは?」

 

「生かしておく理由があると思う?」

 

 なるほど、確かにその通り。

 

 キザハシの性格が以前と変わりないのならば、オトナシの脱落は予見出来ただろう。

 

「それでキザハシ。私に立ち向かう気?」

 

「正直なところで言えば、御免被りたいけれど……あたしだって選抜試験を勝ち抜かなくっちゃいけない。いつまでも背中に怯えていたんじゃ、勝てるものも勝てなくなってくる」

 

 キザハシは刀へと血の残火を宿らせ、こちらへと切っ先を向ける。

 

「……アマミヤの後ろに付いてばっかりの弱かったサヤが、ここまで育つなんてね。意外な事もあるものだわ」

 

「ウキフネ、抜きなさいよ。パイルバンカーの装填には時間がかかるでしょう?」

 

「そうでもない。察しの通り、この影そのものが私の血そのもの。武器には既に血を吸わせてある」

 

 影に沈めた物質を完全に掌握する――それこそが浮舟小夜としての固有能力。

 

 だが、キザハシは恐れた様子もない。

 

「そう……じゃあ、互いに遺恨なく戦いましょうか」

 

「キザハシ。一つだけ言っておく。……私は新任のオトナシと違って、あなたは買っている。ここで死ぬべきじゃない」

 

「それは随分と大きく出たものよね。けれど、突破出来るのはたったの六組。あたしはあんたを蹴落として、そして勝つ」

 

「……どこまでも馬鹿ね、あなたは」

 

 瞬間、キザハシの姿が青い残像に掻き消える。

 

 超加速度に至ったその疾駆が横合いから斬撃を振り向けたのを杭打機の銃身で受け止める。

 

 即座に引き金を引こうとして、キザハシは弾いて距離を稼いでいた。

 

 駆け回り、一時として同じ場所に留まらない。

 

「……なるほどね、考えたじゃない。大きな得物である私のパイルバンカーでは、高速移動を繰り返すあなたを捉えられない、と。けれどそれは無策同然よ」

 

 手を払うと地表を這う影がキザハシへと到達する。

 

 途端、彼女の動きは硬直していた。

 

「……筋の一本でさえも、動かない……?」

 

「言ったでしょう。影は私の領域。そして、血の力でもあるこれは、あなたの影を縫い留められる」

 

 刃を振るおうとして、キザハシの肉体を完全に支配していた。

 

 最早、その指の一本でさえも自由ではない。

 

「諦めなさい、キザハシ。私には勝てない。あなたは遭遇した時点で、もっと逃げに回るか、それとも離脱すべきだったのよ」

 

「……そう、ね……。まさか肉体を縛るなんて想定外だったわ」

 

 それでも口だけは回るらしい。

 

 ウキフネは侮蔑の眼差しを投げて、キザハシへと歩み寄る。

 

「さようなら、階小夜。あなた、結構面白かったわよ。アマミヤの血を受け継いだからこそ、ここまで来られたんだろうし。……まぁ、それでも儚い希望だったんだろうけれど」

 

 影からずぶりと音を立ててパイルバンカーが浮かび上がる。

 

 最後の最後、引き金を絞るのは自分の役目――否、宿縁だろう。

 

 拘束されたキザハシの頭部へとそれを照準する。

 

「……一つ、言ってもいい?」

 

「今際の際の言葉くらいは聞いてあげる」

 

「……そう、なら……。あんた、索敵は苦手でしょう? その証拠に、サヤ候補生が声を出さなければその位置情報でさえも掴めていない様子だった。あくまでも、あたしと戦っていたオトナシしか見えていなかった。何故か。……憶測だけれどあんたは影に入ってずっと、あたし達の戦いを見ていた。その中で、ここ一番に仕掛けられるタイミングを講じるのに、至近距離まで迫らなければいけない。杭打機の武器の特性よね。弱点でもある。あたし達の戦いは激しいから、どちらかが損耗したその時に、ゼロ距離で一撃。それで決着はついた」

 

「時間稼ぎのつもり? ベラベラと喋って、みっともないわよ」

 

「……まぁ、話はここからよ。じゃあ、何であんたは、ゼロ距離パイルバンカーを僅かに狙った部位から外したか。これにもカラクリがある。……思うに、あんた索敵だけじゃなくって血を辿るのも苦手なんでしょう? あんたの得意分野は奇襲と一撃の攻撃力。そして自在の影……なんだけれど、これも思ったよりも自由自在じゃない。あんたと今しがた打ち合って確信したわ」

 

「だから、何なのだと……」

 

「座興はここまで。――今よ、オトナシ」

 

 途端、首裏を粟立たせる殺気にウキフネが振り返ったその時には、大上段に血の刃を振るい上げたオトナシが大写しになっていた。

 

「……死んだんじゃ……!」

 

「敵の言う事を真に受けるなんてある?」

 

 キザハシへと一撃を与えれば、なるほど、確定の勝利だろう。

 

 だがその一瞬後に、自分は両断される。

 

 この時、選んだのは影に潜ませていたサヤ候補生を使う事であった。

 

「動くな! サヤ候補生を盾に……!」

 

 しかし、オトナシは迷いなく両断の太刀を見舞う。

 

 その瞬間、キザハシはパイルバンカーから身をかわしていた。

 

 引き金を絞ったその時には、相手を捉え損ねている。

 

 舌打ちを滲ませたウキフネはオトナシが真紅に染まった眼光でこちらを睨み据え、構えるのを目にしていた。

 

 ――挟撃が来る!

 

 その予感にウキフネは動こうとしたが、その肉体が縛られる。

 

「残念ね。あんたの影も血の力だって言うんなら、あたしの策も有効になる」

 

 キザハシは指先から滴った血で影を支配下に置いていた。

 

「……血による生物、無生物問わない隷属……! キザハシ……!」

 

「ほら、前。見てないと死ぬわよ」

 

 オトナシが一方的に仕掛ける。

 

 この状況下で、ウキフネはパイルバンカーの次弾を装填しようとして、彼女の声を聞いていた。

 

「……一つだけ。何故、サヤ候補生を迷わず盾に出来たんですか」

 

 質問はそれだけだと言うようにオトナシは超然として口にする。

 

 ウキフネにしてみれば、答えるのも煩わしい。

 

「……使い物にならないサヤ候補生なんて、弾避け以外の意味なんてないでしょうに」

 

 オトナシは短く、そう、とだけ応じる。

 

 直後、その真紅の殺気に射竦められていた。

 

 下段より軽く構えられた立ち振る舞いだけで、違う――と実感する。

 

 この者は、新米のサヤなどではない。

 

 敵を滅殺し、その血の一滴に至るまで潰えさせる死徒の乙女。

 

 ここで背中を見せれば、サヤとしての矜持が泣く。

 

 ウキフネも構え、オトナシと対峙していた。

 

 煤けた風が吹き抜け、肌寒さを感じる。

 

 呼吸が白く凍え、やがて一拍の呼吸。

 

 唾を飲み下したその時には、オトナシの疾駆が瞬時に空間を飛び越えていた。

 

 下段より振るわれた刃へと、パイルバンカーを添わせてから銃身の誇る重量で押し飛ばそうとしたが、相手はその時には直上を取っている。

 

 キザハシに逃げられない呪縛を与えられている自分にとって、立体的な攻めが何よりもきつい。

 

 武装を盾代わりにしようとするが、重い斬撃が衝撃波としてびぃんと肉体を震わせていた。

 

 それは引き金へと指をかける一瞬の好機を逃しかねない。

 

 ――弱きに流れたほうが敗北する。

 

 その意地が、覚悟が、サヤとしての潜在的な意志が弾き返そうと武装を薙ぎ払う。

 

 直後には反対側に回り込んだオトナシの切っ先から放たれる殺気が、背筋を凍らせる。

 

 斬られる、と本能的に思い知った脳髄が判断したのは、キザハシに向けての砲撃であった。

 

「……あなただけでも……!」

 

 キザハシは自分の影を縫い留めている以上、その場から動けないはず。

 

 そう断じたウキフネへと、キザハシの一言が黒々と染み渡る。

 

「――逃げるのね?」

 

 それは、聞いてはならなかった。

 

 それは、認識してはならなかった。

 

 それは――サヤとしての経験則上、捨て去るべき、唾棄すべき代物であったはずだ。

 

 だが、拭い切れない。

 

 ここでキザハシを討ったとして、それでも自分はオトナシに殺されるだろう。

 

 その逡巡が、一拍の迷いが、硬直した指先が全てを平定していた。

 

 オトナシの太刀筋が偏向し、刃が断ち切ったのは自分の右手首であった。

 

 バングルと、そして武装を握っていた腕を断ち切られ、しまったと思った時には既に遅い。

 

 キザハシがやおら立ち上がり、刃をバングルへと突き立てる。

 

「……最初から、このつもりだったのね……!」

 

「おあいにく様。全部が全部、うまく行くなんて思っちゃいないわよ。ただね……あたしが思ったよりもお人好しで、その上で実力もあった、って言うわけ」

 

 バングルが打ち砕かれる。

 

 たとえ右手首を修復したとしても、この選抜試験では失格扱いだ。

 

 影の力を緩めていると、どこからかこちらへと踏み込んできたのか、サヤ候補生らしき二人が自分の盾にした少女へと手を翳す。

 

「蘇生措置を行う。いいわね?」

 

 キザハシが切っ先を突き付けながら問う。

 

 最早、答えるまでもない。

 

「……勝手になさい」

 

 サヤ候補生のうち一人は治癒能力に秀でていたのか、肩口から両断された少女はどうやら息を吹き返したらしい。

 

 自分の右手首もすぐに再生するだろう。

 

 その前に、とウキフネはオトナシへと向き直っていた。

 

「……あなたは私がサヤ候補生を見殺しにすると思っていた。だけれど、勝利条件を見逃さなかった。それは何故……?」

 

 オトナシは自身の刀を鞘へと戻し、真紅の瞳から黒曜石の眼差しへと変移する。

 

 その先はどこか伏し目がちな、猫背の少女が残ったのみであった。

 

「そ、その……それは……」

 

「簡単な事よ。ウキフネ、あんたは勝つための方策しか練らない。けれどオトナシは、誰も死なせない作戦を提案した。その差でしょ」

 

 当たり前のように語ってみせたキザハシに、ウキフネは、ああと瞑目する。

 

「完敗ね、まさしく……」

 

 

 

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