BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第九十八話 シフ

 

 連戦は限りなく不利に転がる、とキザハシが判断したのは何も間違いではない。

 

 事実、真那自身、実戦クラスのサヤと相見えれば、これほど損耗するとは思いも寄らない。

 

「……しっかりしなさいよ。治療は受けたでしょうに」

 

「で、ですけれど……私、サヤ同士で戦うなんて想定していなくって……」

 

「イザヨイを倒したんでしょう。なら、あんただって充分に実戦レベルよ。……ま、他のサヤからの心証は良くないでしょうけれど」

 

 暗に自分も完全に信を置いていないとでも言うような論調であったが、真那は余計な感慨を浮かべる前に瓦礫へと座り込んでいた。

 

「……す、少しだけ休ませてください……歩き詰めで……」

 

 息が上がっている。

 

 機関のサヤに成ってからこのような醜態は晒した事がなかったのに、ウキフネと戦った直後の疲弊は激しかった。

 

「……他のサヤ候補生も体力は限界? 一旦、ここで休憩する選択肢もある」

 

「いいですけれど……翼手を三十体倒さないと駄目なんですよね? それなのに、ゆっくりしていていいんですか?」

 

 灯里の正論に、そうね、とキザハシは澄ました様子で応じる。

 

「あんたのペアであるオトナシがこんな調子じゃ、サヤ候補生だけで狩りに出かける? それを止めはしないわ」

 

 灯里はうろたえて言葉を仕舞う。

 

 それもそうだろう。

 

 ここは最早、獣達の檻だ。

 

 閉ざされたセクションとは言え、28号翼手相手に常に優勢に立ち回れるわけではない。

 

 しかも、サヤ候補生の身となれば、簡単にスコアを上げるのは難しいだろう。

 

「ごめん、灯里ちゃん……。私、足手纏いになってるね……」

 

「そんな事ないです! ……ボクは臆病ですから……オトナシさんが居ないと、何も出来ない……」

 

「それ、この試験を終えたらもう言えない言い草よ? 選抜試験を超えたという事は、ビギナーズラックがあろうとなかろうと、一端の“サヤ”に成るという事。襲名の儀が行われ機関のサヤとしての名前を持つ事になるわ」

 

 そういえば、と真那は愚鈍にも今さら思い返す。

 

「……私の時はなかったですよね、それ」

 

「あんたはイレギュラーなのよ。機関でも指折りのオトナシから直接、血分けをされたなんて。データベースを探したって前例がなかったんだから」

 

「……だから、隔離病棟に送られたんですよね。実戦で使えるかどうかを見るために……」

 

「……恨んでいるの? その時の事を」

 

 真那はゆっくりと頭を振る。

 

「……もう、今さら……。けれど、あんな形で……出会いたくはなかったのは、本当なんです。私の手で……殺したんですから」

 

 隔離病棟の少女達の相貌、そして自分に良くしてくれたショーコの笑顔を思い出す。

 

 そして直後には、血濡れに染まったその記憶を。

 

 刀を抱き寄せ、真那は思い出を振り払おうとしていた。

 

 今は、縋っているような時間も惜しいはずだ。

 

 サヤとして次のミッションに向かうのには、ここで勝利しなければいけない。

 

 敵を殲滅し、刃でサヤ同士、鎬を削る。

 

 誰がこんな世界にしたのか、誰が望んだ結末だと言うのか。

 

 理想郷だとうそぶいていた誰かの面影を探ろうとして、真那は撫でていた瓦礫に纏いついた煤を握っていた。

 

 黒々とした、血の塊のような泥が手の中で崩れる。

 

 瞬間、記憶がフラッシュバックしていた。

 

「ここ、って……」

 

 立ち上がり、周囲へと視線を巡らせる。

 

 崩落した建築物は完全に黒ずんでいたが、馴染んだリノリウムの匂いも、そして記憶の中の平穏な日々も――全てが完全に合致していた。

 

「……オトナシ? どうしたのよ、急に」

 

「ここ……私、知っている……?」

 

「オトナシ? オトナシってば」

 

 震え出す歯の根を止められない。

 

 ――だってここははじまりの場所。あの夜、鮮烈な真紅の口づけと共に、自分の楽園を壊した、斬撃の地。

 

「……ここは、セクション三十七……? まさか……」

 

 だがそうと考えれば全てがパズルのピースを嵌めるように、なだらかに繋がっていく。伝播していくのはあの日、残穢の炎の向こう側に置き去りにした、最悪の闇であった。

 

 思わず、真那は叫んで耳を塞ぐ。

 

 この黒く染まった地平は。

 

 この血の臭いがこびりつく風は。

 

 全て、全て、自分が捨て去って来た、「楽園」の残滓。

 

「オトナシ! 落ち着きなさいよ! ……ここがセクション三十七だって、今は選抜試験中なのよ! 取り乱している場合じゃ……」

 

「……キザハシさんは、分かっていたんです、ね? ここが私の故郷だって」

 

 そう問い質すと、キザハシは視線を逸らす。

 

「……知らないほうがいい事もあるに決まっているでしょう。あたしはここがあんたの故郷だろうと、それでも知らなければいいと思った。そうじゃないの」

 

「……オトナシさん? どうなさったんですか……」

 

 畏怖を宿して灯里がおずおずと尋ねる。

 

「……私がここで……千佳とお父さんと、お母さんを……自分の手で殺した……。翼手だったから……」

 

 さすがに全員が押し黙る。

 

 だが、それでもキザハシだけはここで安きに流れてはいけないと判断したのか真那の肩を引っ掴んでいた。

 

「……あんただけが、故郷を失ったわけじゃない。分かるでしょう? あたし達は大なり小なり、過去を切り捨ててきている。それは灯里も、理恵もそう。あんただけが悲劇のヒロインじゃないのよ」

 

「でも……っ! それでもぉ……っ!」

 

 真那は感情の堰を切った熱い熱が頬を伝うのを感じていた。

 

 ここまでしろと、誰が言った。

 

 ここまで追い込めと、誰が望んだ。

 

 ここまで――自分は咎を背負いながら生きていくしかないのか。

 

 前後不覚になりかけた自分の感情へと、すっと掲げられたのはキザハシの刃であった。

 

 喉元へと突き付けられた切っ先に思わずしゃくり上げていた呼吸が止まる。

 

「……黙りなさい。あんたがそういう宿縁を背負っているのは分かった。けれどね、あたし達だってそう。サヤであるあたし達は進み続けるしかない。進んで、進んで、愚直にも前にずっと進んで……その先に何か……語り継ぐ事が出来るはずだから。だから、ここでの泣き言は許さない。あんただけ気持ちよくなるような、そういうのは他所でなさい。そうじゃないなら、共闘関係は解消よ」

 

 キザハシは自分の目指すべきもののためなら、何もかもを犠牲に出来るのだろう。

 

 それがかつての妹であれ、自分自身の積み上げて来た骸の数であれ。

 

 射竦められた茶褐色の瞳は、進むべき道筋を辿っているようであった。

 

 真那はその場で膝を折り、何度か涙を堪えてから、ようやく拭って唇を震わせる。

 

「私……は……私だって、前に……進みたいんです。でも、忘れる事なんて出来ない! 斬った人を、殺してきた人達を……忘れる事なんて……出来ないよぉ……ぅ!」

 

「そう。じゃあ、あんたはそれを背負いなさい。サヤの在り方だって、千差万別よ。別にあたしに従う必要性はない。ただ、この選抜試験じゃ話は別。共闘関係にあるのなら、あたしの指示にはある程度理解してもらう。いいわね?」

 

 涙が溢れ出しかけていた。

 

 けれど、ぐっと堪えてキザハシの眼差しと交差させる。

 

 彼女はフッと笑っていた。

 

「……酷い顔ね、あんた」

 

「……ですかもしれません。でも、私……諦めたくないんです。諦めて、自分の命まで投げ打っちゃったほうが全然楽なんでしょうけれど……それはしたくない。サヤに成ったんですから……戦い抜きたい、最後まで……」

 

 胸に宿した、戦意の焔。

 

 それを枯らしたくないと、真那は立ち上がっていた。

 

 キザハシは肩にそっと手を置く。

 

「ま、せいぜい頑張りなさい。……あんた程度じゃ、たかが知れるってものよ。それに、共闘関係を結んだんだから、下級翼手三十体を二人分、獲るわよ」

 

 そうだ、ここでスコアさえ達成すれば、試験突破の光明が見えてくる。

 

 真那は頷きかけて、ふと違和感を覚えていた。

 

「今のって……“声”……?」

 

 自問自答した瞬間、ビルを打ち破って一人の少女の影が落下してくる。

 

 自由落下の途上で少女は携えた大鎌を握り直し、追撃してくる相手へと弾き返していた。

 

「あれ……!」

 

 キザハシも気づいて刃を握り直すが、その時には周囲へとローブを身に纏った者達が集っていた。

 

 真那は捉える。

 

 黒い外套に、その素肌は陶磁器のように白く艶やかだ。

 

 その可能性に思い至ったのは自分だけではない。

 

「……こいつら……まさか……!」

 

「シュヴァリエ……?」

 

 戦闘意識を滾らせた自分達に灯里と理恵が困惑する。

 

「し、シュヴァリエって……ついこの間交戦したって言う、新種の翼手ですよね……? 上級翼手を超える力を持っているって……」

 

「うろたえるな。ミスが増えるだけだ」

 

 そう応じつつも理恵の声も震えていた。相手は翼手の中でも最上位の存在。恐れないほうがどうかしている。

 

 降り立って黒い外套の一閃を振り払った相手はこちらを認めて声を振ってきていた。

 

「……貴女、キザハシと、確かオトナシのサヤ……」

 

「カナデ? 何だってあんたがここまで来ているのよ。自分の領分だけで足りているでしょう?」

 

 カナデのサヤは巨大な鎌を携えて、その事なんだけれど、と切り出していた。

 

「……私の索敵範囲の下級翼手は全滅させられたわ。他ならない、奴らの手で……!」

 

 忌々しげに真紅の瞳を投げたカナデは、瞬時に展開してみせた外套姿の人型を睨む。

 

 真那も刀を握って視線を巡らせるが、どうしてなのか、平時の超感覚が働かない。

 

「……どうして……? 気配が、ない?」

 

「こいつら、シュヴァリエだって言うの? なら、今のあたし達じゃ戦力として……!」

 

 キザハシも戸惑いながら自分と背中合わせになって敵を見る眼を寄越していた。

 

「……灯里ちゃん、血の魔眼は?」

 

「それが……さっきからどうしてなんだか、作用しないんです。気配も全然分からない……これがシュヴァリエなんですか……?」

 

 いや、自分達もシュヴァリエとはまた別種のものを感じている――と返すのにはあまりにも迂闊であろう。

 

 サヤ候補生としてみれば、上級翼手との対峙でさえも想定外。

 

 だと言うのに、シュヴァリエ相当と戦闘する事は事実上、不可能だ。

 

 真那は刀を腰だめに構える。

 

 キザハシも真正面に刃を翳していた。

 

 戦闘神経を尖らせた自分達に、黒い外套のうち、一人が歩み出る。

 

 フードの奥から覗いたのは、ぞっとするほどの美貌を誇る女性であった。

 

「……サヤですね?」

 

 凛と、鈴を鳴らしたような声。

 

 しかしながら、同時に威圧感も覚える。

 

 狩人の本能が、この女性はただの上級翼手ではない事を物語っていた。

 

「……あんた達は、何?」

 

 息を詰めて尋ねたキザハシに、女性は冷淡な声で応じる。

 

「我々は“シフ”、限りある者」

 

「シフ……?」

 

 キザハシの殺気が惑う。

 

 カナデも同様のようで、戸惑いの視線を交わし合う。

 

「……エメトピア中央庁の新たな一手、という事?」

 

「中央庁は関係がありませんが、まぁ、あなた方の敵と言う観点で言えば同じでしょうね。サヤ、このセクション三十七で試験めいたものを行っているようですが、永劫、その結果は出ない。何故ならば、あなた達はここで死ぬ」

 

 シフと名乗った集団が一斉に武具を構える。

 

 どれもこれも、身の丈以上の大剣や、戦斧、鎌など、あまりにも鋭利な殺戮本能であった。

 

 彼女らは本気だ、と断じた神経に真那はキザハシへと問いかける。

 

「……どう、するんです……?」

 

「どうって……ここで邪魔されればあたし達は試練を突破出来ない。相手が翼手なら、殺して超えるだけよ」

 

「いいですね。あなた達のそういった、ストイックなのはとても。だって私達も、殺すのに躊躇いなんて必要ないですから」

 

 恐らくはリーダー格である女性が翡翠色の瞳に僅かな喜悦を浮かべる。

 

 彼女が保持しているのは白銀の大剣だ。

 

 鍔の部分に特異な細工がされており、その形状は銃のリボルバーを模しているように映った。

 

「……カナデ、あんたのサヤ候補生は?」

 

「逃がしておいた……けれど、逃げ切ったかどうかは……」

 

「それはこの子の事ですか?」

 

 いつの間に追従して来たのか、シフのうち一人がサヤ候補生の首根っこを引っ掴んで降り立つ。

 

 真那はその気配に気付けなかった。

 

 相手は真正面に居るはずなのに、まるで幽霊のように存在感が希薄だ。

 

「か、カナデ……さん……たすけ……」

 

 サヤ候補生が命乞いをする途中に、シフは携えた戦斧を振るい上げる。

 

「い、いやぁ……っ! いや……っ! こんなの……っ!」

 

 もがくサヤ候補生をシフが足で踏み締め、その首へと狙いをつける。

 

「イレイナ、この子は私がいただく」

 

「ええ、構いませんよ。サヤ未満の相手なんて、殺したところで大した利益になりませんし」

 

 巨大な斧が大上段に構えられた瞬間、カナデは青い残像を引いて駆け抜けていた。

 

 レイコンマの速度を飛び越えて、カナデがサヤ候補生を救い出す。

 

 打ち下ろされた戦斧は何もない空を切っていた。

 

「……私のサヤ候補生は殺させない……」

 

「……イレイナ、私が相手をする。あなたはそちら側のサヤ四人を」

 

「ええ。マイヤ、ただし無茶はしないよう。もうあなたには“ソーン”が出ている。いつ決壊してもおかしくはない」

 

「……任せて」

 

「さて、あなた方サヤには聞きたい事が山ほどありますが……それは四肢を切り裂いて、動けなくしてからでも遅くはないでしょう。それに、私達の目的はあなた方の血そのもの。サンプルはあればあるほどいい」

 

 イレイナと呼ばれた相手は血の入ったアンプルを振っていた。

 

 その血の種類を、灯里が看破する。

 

「……あれ、28号翼手の血です……」

 

「28号の……? じゃあこいつら、あたし達の標的を潰して回っているって事?」

 

 唾を飲み下し、灯里は首肯していた。

 

「恐らくは……。でも、何でそんな事を……」

 

「何で、どうして、ですか。まぁ、疑問でしょうが、それはゆっくりと聞き出させてもらいます」

 

 相手が一歩踏み込んだ瞬間を狙い、キザハシは青い加速度を帯びて肉薄する。

 

 血を吸った刃が振るわれ、赤い残光が一閃する。

 

 だが。

 

「遅いですね」

 

 軽く、揺らめくような挙動で相手はキザハシの一撃をかわす。

 

 即座に薙ぎ払いが振るわれるも、それは大剣に阻まれていた。

 

 白銀の鉄塊が片腕で軽々と払われ、火花が散る。

 

 まさか、押し負けると思っていなかったキザハシが後退し、刃を構え直していた。

 

「……妙な力ね。翼手の腕力にしても、単純に振るうのは難しい武器……。それに、血の臭いをまるで感じさせない振る舞い。あんた達、シフ……って言うのは、シュヴァリエとは違うと思っていいのかしら」

 

「そう思いたければどうぞ。打ってくるとよろしいかと。実力差が分かります」

 

 安い挑発だが、今のキザハシには何よりも効いたはずだ。

 

 自分達が始末するはずの28号翼手を横取りされ、その上で介入してくるなど邪魔者以外の何者でもない。

 

 キザハシは青い残像を纏ってイレイナの横合いから振り抜く。

 

 相手は武装を翳して防御し、即座に打ち返してきた。

 

 それはほとんど力を感じさせず、むしろ脱力しているようにさえも映る。

 

 だが、キザハシは大きく距離を取らざるを得なかった。

 

 それは即ち、一撃でも許せば危うい間合いだという事だ。

 

 真那は踏み込み切れずにいたが、そんな自分の迷いを読み切ったようにイレイナが顎をしゃくる。

 

 シフの別の者達がほとんど瞬間移動と見紛うほどの速度で挟撃を仕掛けてくる。

 

 咄嗟の判断と、習い性の戦闘本能で迫る刃に返答し、もう片方へと反転し様に一撃を放つ。

 

 フードから覗いた相貌は、同じような白磁の肌であったが、こちらは男性のようだ。

 

「……本当に、シュヴァリエじゃ、ない……?」

 

「何度も言わせるな。我らはシフ」

 

「我らは限りある者がゆえに、貴様らサヤの血を欲する」

 

「……私達の、血を……?」

 

「マイヤ、そちらはどうですか」

 

 カナデと交戦していた女性のシフは明らかに重量級であるはずの斧を軽く何度も振るって答える。

 

「難しいですね。さすがは、カナデのサヤ。十二年前の本部襲撃よりずっと、第一線で戦い抜いてきた存在です」

 

「お喋りは……! 舌を噛むわよ……!」

 

 反撃の太刀筋を打ち込むカナデであったが、サヤ候補生を守りながらの攻勢はあまりにも鈍い。

 

「……マイヤ、一瞬だけ私に預けてください。決着をつけなければ、他のサヤに介入する時間もない。それに、つい先刻、本部からヘリが飛び立ちました。恐らくは、やって来るのはアマミヤでしょう」

 

「……分かりました。イレイナ」

 

 マイヤと名乗ったシフは瞬時にイレイナと立ち位置を入れ替わる。

 

「……どうしようって言うの? 貴女達みたいな手合いはたくさん見て来たわ。シュヴァリエとの遭遇戦がある経験を舐めないで欲しい……!」

 

 イレイナは静かにその殺意を翡翠色の眼差しで受け止めてから、淡白に応じる。

 

「……そうですか。では、一太刀。ほんの一太刀で、その自信に応じましょう」

 

 その言葉はカナデのプライドを傷つけるのに充分であったのだろう。

 

「……舐めるなァ――ッ!」

 

 歯を軋らせたカナデから歴戦のサヤの証であろう殺気が迸る。

 

 こちらまで飲みかねない殺意の渦を滾らせて、カナデは瞬時に空間を突き抜ける。

 

 その刺突の刃がイレイナを捉えるかに思われた。

 

 だが、イレイナは風に舞う小葉のような挙動で一撃を回避し、太刀を打ち下ろす。

 

 カナデもそれに負けじと踏み込むと同時にイレイナに二の太刀を閃かせていた。

 

 もつれ合うかのように二人が交錯した、直後には不意打ち気味の銃声が木霊する。

 

 カナデが後ずさっていた。

 

 心臓を射抜いたのはイレイナの持つ特異な形状の剣から放たれた、銃弾であった。

 

「なに、を……」

 

 傾いだカナデの肉体が内側より爆ぜる。

 

 血肉が舞い、カナデの半身を炸裂した榴弾が削いだのだ。

 

 イレイナは落ち着き払った様子で銀閃を振るう。

 

 カナデの首が落ち、一拍置いた後に血が噴き出していた。

 

 堰を切ったかのような血飛沫を背後に、イレイナは歩み寄る。

 

「ほら、サヤとは言え、心臓を止め、首を刎ねれば造作もないでしょう?」

 

 カツン、とその足音は流麗に。

 

 転がったカナデの首を拾い上げ、イレイナは絶対零度の眼差しでこちらを見据える。

 

 その有り様、そして苛烈さに中てられたのか灯里が膝を折って胃液を吐き出していた。

 

 真那でさえも、これまでサヤとしての戦歴がなければ同じように無力に成り下がっていただろう。

 

 それほどまでの――混じり気のない、殺意。

 

 獣へと行き遭えば、自ずと死を覚悟する瞬間のように。

 

 あるいは、一拍の過ちが数秒の長さに引き延ばされたかの如く。

 

 カナデの死は、自分達にとって昏い影を落とす。

 

 キザハシでさえも、すぐに動き出せないようであった。

 

 その後ろに居る理恵は完全に硬直している。

 

 真那は刀を握り直そうとして、掌に滲んだ汗にぞっとしていた。

 

 ――これほどまでの畏れ、これほどまでの敵意。

 

 容易く踏み込むような愚は犯せない。

 

 何よりも、カナデほどのサヤがほとんど無抵抗に殺傷されたのに、自分のような半端者のサヤが拮抗すると思えるのか。

 

 全く想像できない。

 

 鍔迫り合いのビジョンも、思い浮かべた直後には血の赤に沈んでいる。

 

 カツン、とまた一歩、イレイナが近づく。

 

 勝てない、否、勝つなどと驕るほどの材料もない。

 

 煤けた風に黒い外套がはためく。

 

 足元まである長い黒衣は、本来ならば動きを阻害するもののはずだ。

 

 だがそのようなデメリット、最初から存在していないかのように。

 

「サヤ、五体ですか。ああ、でも、彼女のペアであるサヤ候補生を入れれば六体ですね。私、あまりにも甲斐がないものだから忘れてしまっていました」

 

 義憤か、あるいは仲間を討たれた怒りが勝ったのか。キザハシが刃を下段に構え直し、踏み込もうとして緑色の眼差しに射竦められる。

 

「あまり、動かないでもらえると助かります。何せ、腐っても機関のサヤ相手ですから。刃がぶれると、痛くない殺し方をするのは難しくなりますので」

 

 あ、と理恵がへたり込んでいた。

 

 足に力が入らないのだろう。

 

 震え始めたその身体を抱くようにして耐え忍ぼうとするが、絶叫しないようにするのがやっとのようであった。

 

 事実、シュヴァリエとの遭遇戦ならばまだ分があった。

 

 キザハシはその経験がある。

 

 自分も、手も足も出なかったとは言え、二度三度見れば少しは光明が差す。

 

 だが、この敵は別種だ。

 

 この敵は――まだこの時期に遭遇するべきではない。

 

 いや、もっと端的に言えば。

 

 どのような時期に遭遇したとしても、狩られる未来に相違なく。

 

「獲物の気分を、想像した事がありますか? サヤ」

 

 問いかけてくる声音はとても静かなのに。

 

 その問いは生殺与奪を完全に掌握しているように聞こえた。

 

「豚や、牛。鶏や、羊。喰われる側、狩られる側の気持ちを、一秒でも、あなた方は想像した事がないでしょう? エメトピアで生きて来たのならば、その立場には決してならない。この隔離された白の楽園において、そのロジックは存在し得ない。ですが、こうは考えた事はないのですか? 翼手であっても狩人と、そうでない者には隔てようもない差があるのだと」

 

 イレイナの持つ白銀の鉄塊がすっと向けられる。

 

 その眩い切っ先の誇る圧倒的な殺意に、真那もキザハシも一歩も動けない。

 

「そして――あなた方は今、狩られる側なのだと、理解しましたか?」

 

 切っ先の位相がぶれる。

 

 斬撃が来る、と予見したその瞬間には既に必殺。

 

 既に、必滅。

 

 確殺の間合いだ。

 

 この時、しかし真那は動けていた。

 

 イレイナの武器が光を反射したのを、確かに視認したからであった。

 

 直上からの投光器の輝き。

 

 羽音を散らす戦術ヘリの出現によって、イレイナがこれまで張り詰めていた死の包囲陣が僅かにほつれる。

 

 直上から舞い降りたのは、小柄な少女であった。

 

 一閃が叩き込まれ、地面が抉れてイレイナを縫い留める。

 

「――ここまでよぉ、頑張ったね」

 

 

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