BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第九十九話 迎撃

 

「アマミヤ……? あんた……」

 

 ほんのレイコンマ以下の、絶対氷結の時間が解ける隙。

 

 しかし、それを逃すわけにはいかない。

 

 真那は灯里の手を引き、戦術ヘリから投下された特殊弾頭へと駆け抜けていた。

 

 判断、と言うほどではない。

 

 だが間違いなく決断ではあった。

 

「灯里ちゃん!」

 

 声を弾けさせ、真那は開いた特殊弾頭へと灯里を閉じ込める。

 

 シフの一員が挙動し、自分の背後から刺そうとしたのを留めたのはキザハシの刃であった。

 

「こんの……! 後ろがお留守だってのよ……っ!」

 

「オトナシさん? オトナシさん……!」

 

 灯里が特殊弾頭へと収容され、ホバリングする戦術ヘリへと回収されていく。

 

 きっと、これでよかった。

 

 完全にイレイナの殺気に負けていた灯里では、殺される可能性のほうが高い。

 

 真那はキザハシの押し留めた敵へと浴びせ蹴りを打ち込み、直後に下段から斬撃を見舞う。

 

 確実に片腕を落とすほどの勢いであったが、シフは武器で受けて後退していた。

 

「……あんたも一緒に逃げればいいってのに」

 

 キザハシが呼吸を整える。

 

 それに対して、真那は頭を振っていた。

 

「……私は、もう逃げない。逃げちゃ、駄目なんです。……私の名前は“音無小夜”――機関の、人類のための刃たる、サヤの一員」

 

 キザハシの過去を知った、彼女らの痛みを知った。

 

 その上で、戦うか退路を選ぶか。

 

 これまで無数の犠牲の上にあった。

 

 千佳を殺した、ショーコを殺した、イザヨイを殺した、チトセを殺した――それだけではない。

 

 自分は名も知らぬ者達の血を踏み締め、そしてここに立っている。

 

 ならば、刃を握るのは自分自身の覚悟に他ならない。

 

「……あんたも、馬鹿正直ね、本当に」

 

「……行きます。キザハシさん、理恵ちゃんを回収してください」

 

「いいけれど、治療が出来るサヤを帰すのはちょっと惜しいわね」

 

「……誰一人として、これ以上死なせません」

 

 乱れていた呼吸が、数拍の鼓動の後に静まり返っていく。

 

 続いて、ドッドッ、とエンジンが点火するように脈拍は高まっていった。

 

 心の臓は、自分がここに居るのだと雄弁に物語る。

 

 真那は刃を翻し、切っ先をシフへと据えていた。

 

「……付いて来なさいよ。加減して速度落とすの、面倒だからね」

 

「分かっています。私だって負ける気はありません」

 

「言うじゃないの。……じゃあ、そっちは任せた」

 

 新鮮な空気を肺に取り込む。

 

 鼓動が澄み渡り、呼吸は鋭敏な血の源泉となる。

 

 視聴覚はこれほどまでにないほどに静謐で、そして討つべきと捉えた敵を見据える。

 

「……はい……!」

 

 そう返事をした直後には、キザハシと真那は駆け出していた。

 

 青い残像に塗れた加速度に身を浸し、真那は敵を引き剥がす役割を担う。

 

 真正面に構えたシフが大写しになっていた。

 

 敵の武器は大型剣であったが、自然と撃ち負ける気持ちはない。

 

 瞬発的な膂力で薙ぎ払われた大型剣の一撃を、真那は刃の腹で逃がしつつ散る火花を視野に入れる。

 

 チリチリと舞い遊んでいく超加速域の衝突と、削れていく刃の表層。

 

 刃毀れの一拍でさえも感覚器の中に認識した真那は、着地と同時に反転し、刃で叩きのめす。

 

 シフの腹腔を切り裂き、臓腑を寸断する感覚が手の中に居残る。

 

 その感触を振り払うようにして、断絶の膂力を込める。

 

 次の瞬間には胴体が生き別れとなったシフの遺骸が血濡れとなる。

 

 真那はステップを踏んで、背後から狙い澄ました鋭い音叉を回避していた。

 

 断ち切ったシフの遺体へと、構えた別のシフが打ち下ろした刃が食い込む。

 

 肉と臓物に塗れ、刃が抜けなくなった相手の背後へと回り込む。

 

「――獲った」

 

 真紅の旋風が舞う戦場で、真那は刃を薙ぎ払う。

 

 敵のシフの首を刎ねたかに思われた一閃であったが、それは薄皮一枚を叩いただけだ。

 

 恐らくは瞬時の硬質化。

 

 だが、柔い。

 

 飛び退ったシフの頸動脈からは血潮が撒き散らされていた。

 

 真那は刃を振るい落とし、纏いついた血を払う。

 

「……これが機関のサヤか」

 

 言い捨てた相手へと、瞬時に肉薄し真那は太刀を打ち込む。

 

 だが、相手も心得ているのか応戦の太刀筋を交わした後に、こちらの優位となる距離では逃げに徹する。

 

 力の質は違うようだが、どうやら敵も加速手段を持っているようであった。

 

「……なら、応じるまで」

 

 自分でもぞっとするほどの冷たい声。

 

 切り詰めた冷徹さを想起させる狩人の感覚が、再び刃を構えさせる。

 

「……悪く思うな。サヤは一匹でもサンプルとする……!」

 

 敵のシフが携えるのは細身の剣であったが、人間の身で振るうのには重量がある。

 

 一撃離脱――相手の戦法をはかるとすればそれに尽きるのであろう。

 

 先ほどカナデを殺してみせたのも、その極致に他ならない。

 

 シフの持つ武器の強みは、その強靭さと、相反する彼ら本体の持つ柔の速力。

 

 力の度合いだけで言えば、上級翼手を遥かに凌駕するに違いない。

 

 真那は指先を刃に添わせ、刀身へと命を宿す。

 

「emeth」の名を与えられ、真紅の殺気が灯火となっていた。

 

「……私は、戦う」

 

 敵が舌打ちを滲ませ、次の瞬間には青い加速度の末に、真那へと大上段から打ち下ろす。

 

 剣筋が沈み、真那を断ち割ろうとしたが、赤い静寂の前には全てが些事。

 

 軽い身のこなしで相手の懐へと潜り込み、真那の刃が鮮烈に叩き込まれていた。

 

 一瞬の交錯の後に、真那とシフはその立ち位置を入れ替えていた。

 

 硬直、しかして、真那はよろめく。

 

 シフが勝利を確信した笑みを浮かべるのが伝わる。

 

 その気配で相手が剣を仕舞おうとして、その肉体が斜に傾ぐ。

 

 次の瞬間には、シフは倒れ伏していた。

 

 その躯体から血飛沫が舞い上がる。

 

 真那も、しかし無傷ではない。

 

 脚部へと突き刺さったのは、相手の持っていた暗器であった。

 

 深々と突き刺さったそれを引き抜こうとして、別の気配を感覚する。

 

 向かってくるシフ相手に、真那は一歩出遅れていた。

 

 巨大な槌が打ち下ろされる、その刹那。

 

「……あのね。言ったでしょう。出遅れたら知らないって」

 

 大槌を刃で跳ね除けたのは、キザハシであった。

 

 真那は静かに笑いかける。

 

「……けれど、来てくれたんですね」

 

「うるさいわね。あんたみたいな末端のサヤを助けるのにここまで回り道したのよ? 感謝なさい」

 

 キザハシが相手の武器を弾き返す。

 

 その時には大局が移り変わっていた。

 

 シフの残存兵はこれ以上の損耗を恐れているようであった。

 

 アマミヤと激しく剣戟を交わすイレイナは、こちらを一瞥して苦々しそうに顔をしかめる。

 

「どうしたん? 一方的な戦いは好みやないんやろ? なら、殺し合おうやないの」

 

「……サヤと心中する旨味はないんですよ」

 

 イレイナは踏み込んでアマミヤの太刀筋を弾き返すなり、指笛を吹く。

 

 それは翼手の用いる“声”によく似た波長であった。

 

 シフは戦闘態勢から、一瞬にして離脱挙動に入る。

 

「……ここは逃げに徹しさせていただきますよ。機関のサヤの皆さん」

 

「ええけれど、逃がすと思っとるん? 劣勢になった途端に逃げ腰とか、情けないにも程があるわぁ」

 

「……挑発には乗りませんよ。また相見える事もあるでしょう。その時に、お互いに十全に殺し合うのには、今のこの場は相応しくない」

 

「……そう。せやけれど、あんたさんら迂闊やろ。ウチらサヤを愚弄したんやもん。一人や二人の死骸で足りると思っとるんか?」

 

 踏み込んだアマミヤの一閃を、受け止めたのはマイヤと呼ばれたシフであった。

 

「マイヤ……! あなたも撤退を……!」

 

「イレイナ……私はもう、“ソーン”が出ている。なら、切り捨てるといい。どうせ、長くはないのだから」

 

 その言葉にイレイナは一瞬だけ逡巡を浮かべたが、即座に決断する。

 

「……また、この世界の裏側で出会えれば……」

 

「ええ、また。地獄で会いましょう」

 

 シフが離脱していくが、大鎌を持つマイヤはアマミヤと剣戟を繰り広げる。

 

 その模様に、真那は分け入る事さえも出来ずにいた。

 

 アマミヤの熟練度だけではない。

 

 マイヤと言うシフも、相当な手練れだ。

 

「……時間かかるんは惜しいさかい、即時決着させてもらおうと思っとるんやけれど。あんたさん、強いね。シュヴァリエとさほど変わらん手数に、あれにはない別種の能力も持っとる。気配が感じづらいのは生まれ持ったもん?」

 

「……機関最強のサヤ、雨宮小夜……ここであなたは……仕留める」

 

 マイヤが地面へと手を付ける。

 

 それを目の当たりにしてアマミヤは声を張っていた。

 

「……あかんねぇ。オトナシ、キザハシ、二人とも即座に距離を取りぃ……! ちょっと厄介やわ、これ」

 

「どういう……!」

 

 その声にキザハシが問い返す前に地面へと変化が訪れていた。

 

 赤い亀裂だ。

 

 地面が波打ち、赤い亀裂を生じさせている。

 

 それはさながら、血の波のようであった。

 

 アマミヤは飛び退り、足元の石を放り投げる。

 

 触れた途端、力場が生じ石は粉々に打ち砕かれていた。

 

「……面倒な力やねぇ、それ。けれど、命を削る、そういうもんに見えるけれど?」

 

「……そう、よ……。雨宮小夜……あなただけでも、この檻の中で殺す……!」

 

 面を上げたマイヤのフードが剥がれる。

 

 露となったその相貌に真那は後ずさる。

 

「……顔に、亀裂……?」

 

 否、顔だけではない。

 

 全身に至る赤い亀裂が生じ、マイヤの肉体を蝕んでいるのが窺えた。

 

 磁場を生じさせ、血の檻が拡大しようとしている。

 

 触れた箇所から分子崩壊を起こす絶対の死地に、キザハシは刃を構え直して問い返す。

 

「……アマミヤ。ここであんただけ死なせるわけにはいかないわ。機関のためにもね」

 

「あらぁ、キザハシ。あんたさんも言うようになったやないの。……けれど、駄目やねぇ。あんたさんでは止められんよ、これ。言いようはあまり好きやないけれど、これって自爆特攻みたいなもんなんよ。それも……この感じ、ウチは十二年前に知っとる。雷撃を操るシュヴァリエが居った。その全力の雷霆に、よぉ似とるわ、これ」

 

「……あの時のシュヴァリエ……? だけれど、何で……」

 

「何でも何もないよ。あれを広範囲に放てるとすれば、それは脅威以上の何者でもない。キザハシ、それにオトナシも。いっぺんでも触れたらいかんよ」

 

 その言葉に反して、アマミヤは刃を構える。

 

「……あんたはどうするって言うのよ……」

 

「まぁ、見とき。ウチだって十二年間、何もせんと過ごしとったわけやないんよ」

 

 紫色の稲光の網が今に自分達を覆いつくさんと迫る。

 

 キザハシが一拍だけ迷いを浮かべた後に、こちらへと飛び退く。

 

「……オトナシ。今はアマミヤに任せましょう」

 

「で、でも……! アマミヤさんだって、これはまずいんじゃ……」

 

「雨宮小夜は機関で最強のサヤ。信じるのも悪くないんじゃない?」

 

 その言葉を潮にして、キザハシに抱えられ真那は後退する。

 

 アマミヤの背中は一度だって振り返らない。

 

 その刃の赴く先を、真那は惑っていた。

 

「……信じる……信じるって言ったって……勝てないんだったら同じじゃ……」

 

 戦術ヘリからロープが下ろされ、キザハシはそれに掴まっていた。

 

 稲妻の半球状のフィールドがじりじりと煤けた大地を押し流していく。

 

 その牙がアマミヤを食い破ろうとしたその瞬間であった。

 

 姿が掻き消える。

 

 赤くひび割れた大地の中心で、アマミヤは刃を振るっていた。

 

 分子分解の力場が途絶する。

 

 極大化された耳朶が、その声を拾い上げていた。

 

「……馬鹿ね、私。殿を務める事も出来ないなんて……」

 

「よぅ、やったほうやと思うけれど。まぁ、敵に賛辞送るのもウチの悪いクセやね」

 

 マイヤの肉体が崩壊していく。

 

 赤い亀裂が全身に至ったかと思った瞬間、その躯体から炎が迸っていた。

 

 蒼白い炎が上がり、マイヤを焼き尽くしてく。

 

 視線を投じれば、マイヤだけではない。

 

 シフの遺体は、どれもこれも焼失しようとしている。

 

「……何が起こって……」

 

「さぁね。……けれど間違いないのは、あいつらはあたし達の敵だって言う事でしょう」

 

 キザハシの言葉を噛み締める前に、真那は砂礫の大地で一人佇むアマミヤの背中を眺めていた。

 

 超越者の座にまで到達した少女の背中は、思ったよりも小さく映った。

 

 

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