故郷では誰もが待望してやまぬ暖かな花の風が全身を撫でる。モンドの城下町に足を運んですぐさま少年は向か入れてくれるようにふわりと息吹く風に目を開く。「わ、あっ!」ふわりと蒲公英の綿毛が、ともになびくスカーフに乗っかる。思わずつまんで、バッと振り返りながら顔の前へとそれを持ち上げて言った。
「みて、ディルック!綿毛!」
「そうだな。」
自由に人々が横行する道中でなんとも器用な乗り方をしてくれたものである。絡んだそれを指でちまちま取り、数個だけハンカチでくるむ。弟妹への手紙のネタとなるのだ。
そして、思わず大はしゃぎして、反射的にやってしまった行動に頭を抱えた。普段は、普段は、あんなふうにはしゃいだりしないのだ。弁明むなしく恥じ入り縮こまる姿からは、成長途中の背格好も相まって大人ぶりたいお年頃にも見える。
そんな少年の行動が微笑ましく見えたのだろう。「モンドへようこそ!」「あなたに素敵な風が吹きますように。」そこかしこから声を掛けられるだけには留まらず、見知らぬ誰かから頭をわしわしと遠慮なく撫ぜられる。容赦のない子ども扱いが少年を襲った。故郷でもこんな風にされたことは―――わりとあるのだけれども、武には心得がある為そっち方面で厚く頼られることもあり、それ相応の態度の方が多かったのでその比ではなかった。
はぷはぷと人がごった返したそこから抜けると、あたたかな手に引かれて店の中へ。歓迎の言葉とともに出されたのは、しゅわしゅわと水の中で空気が爆ぜる飲み物だ。ぱちぱちしながら喉を通る感覚は面白くて、これを故郷に送ってやりたくてディルックを見た。「心得た。」今度こそ間違えないと連れてきてくれたのは、アカツキワイナリーという酒屋である。
朝からどんちゃん騒ぎ。仕事終わりであろう男たちが酒を浴びるように飲みながら、隣人と言葉を交わして笑みが溢れる。少年が到着した風の国は、そのような自由と風の国であった。
「それで、ここでは他に何を? サイダーにも種類はあるが、」
「せっかくの酒屋だし、親父に酒でも送ろうかな。モンドならではのお勧めってある?」
「……ああ、それなら」
流石に見知った故郷の酒はなく、けれども結構豊富な種類がある。オトナを引き寄せる独特な香りは、異郷のものとは言えども慣れたものだ。
酒を包む瓶も雪山を領地に抱えるからか、寒さにそこそこ耐性があるようで運搬中によほどのことでも遭遇しない限りは割れることもないだろう。これならば、ボトルの耐久を気にせず心ゆくまで納得できる酒を選べそうだった。
実際に味を確かめるわけにはいかないから、大人の感想を細かく聞く。この酒はオヤジの土産にどうだろうか。店主と相談しながら、モンドの酒を吟味した。あの人、畜無害で温厚に見える見た目に反して酒豪なのだ。
愛する家族の話題で無意識に声を弾ませていることに気づかず、少年はわくわくを滲ませた顔で言った。頷きが返ってくる。「それじゃあ、それ選ぼうっと。」弾んだ声で言った。
今までの旅路で魔物を倒したり、ヒルチャールを赤髪の騎士と倒したり、盗賊団を一網打尽にしたりとしたおかげで稼ぎは結構ある。冒険者となった今、騎士団と冒険者協会の双方から賞金と依頼達成の報酬を受け取らされた時には吃驚したが、思わぬ臨時収入だ。
そうして潤った懐は、裏メニューを頼みさえしなければ全種類を一本ずつ選べる財力はあった。おかげさまで金に糸目を付けず、お勧めの香りを片っ端から確かめられるので、少年は気に入った数本を選び取る。ピックアップした内容は結構なお値段だが、その価値のあるものだった。国際便も可能だと言うから、店主に朝の一番に届けられるだろうか、という相談を寄せる。隣の騎士の眉がしかめられてしまった。
「……なに?」
「失礼。君の、父君は、朝から酒を嗜まれる方なのか?」
「……え、違うよ?」
「なら何故、朝一で到着するようにと?」
夕方辺りがちょうどなのでは、と続けられて。大量の酒を購入した山と床に崩れ落ちたモンドの酒飲みたちを見やってから少年は得心得たりと表情をしてポンと手を叩く。おそらく飲兵衛だと思われたようだと。訂正するために、ある一本のボトルを見つめながら言った。違う違う、と明るく否定する。
「…ああ! 俺たちの故郷はずっと雪が降り積もってる場所でもあるから、体を温めるために酒を飲む習慣があるんだよ。朝から飲む場合は、俺たちの故郷ならではのものをちょっとだけね。」
冬国ならではの文化である。あの過酷な北国では生きる為に必要なことなので、故郷で酒は『命の水』として親しまれる存在なのだ。
飲み方はそのまんまでも良し。度数をすこし飛ばしてからでも良し。とにかく身体を温めることが出来れば良い程度の認識。とは言えども、美味しく飲めたらもっと良いという感覚はもちろんあるから、品種改良を重ねられた特産品もあるし、ディルックが言うように気候によっては朝から嗜むこともある。
「ワ、ワシか?」
「だってこれ、朝の方が美味しいんでしょ? 朝露がどうとかっておじさんが言ってたし、地元の人が教えてくれた飲み方を手紙に書こうかなって。」
あまりにも素直な所感であった。あっけらかんとモンド土産の酒を美味しく飲食してもらう為だと言ってのけるものだから、純粋な言葉にディルックは頭を抱えたくなる。少年の言葉は正しく、店主は確かに朝露が落ちる頃に嗜むのが美味であるとそのように言ったのだ。
しかし、見るからに未成年の少年に、そんなことはさせられない。未成年の息子がある日、酒を美味しく嗜む方法を実筆で送ってきたら、飲ませたのは誰かということになる。真偽はともかくとして、モンドは未成年に飲酒をさせる国だと不名誉な評判が上がってしまうだろう。ひやりとするような感覚は少年の善意だけで築き上げられたものだからこそ、厳重な注意も難しいものだ。
ディルックは言葉を濁してから店主へと顔を向けた。年齢相応の困惑である。社交界で嗜むものはどれもノンアルコール。つまり、ただのジュースなので彼も未知の領域ではある。こっそり拝借したことはあったけれども。気まずげな訴えかけに、店主はしかと意図を理解して頷く。歩き始めたばかりの孫に向かって話しかけるような表情であった。
「それならワシが酒にメモを添えておこう。それを付けて、責任もって朝一番のウメェ時間に到着するよう郵送してやろうな。」
普段の店主を知らぬ少年は優しく接待を受けて、ぱあっ、と表情を華やがせる。マァ大変素直な坊やだこと。セシリアの花がポコポコそこかしこに飛んだような気がした。
「え、ほんとう!? ありがとう、おじさん。それじゃあ、お会計お願い出来るかな。あと毛糸? 布? 服の生地?を売ってるところ知ってる? 姉ちゃんたちに。」
「お、趣味なのか?」
少年は緩やかに首を振った。腰に手を当てながら、むん、と胸をそらしてにっこりと。自慢気に語られるのは、知恵の国スメールで修行の身である彼の兄姉のことだった。少年が故郷を出てから彼もまた、在るべきところへと戻ったのだと言う。たった一日ぽっちのことであったが、モンドの冒険者協会の受付嬢からそのような連絡を受けたのだ。
一週間にも満たぬ休暇であったが、その間でも仕入れだのなんだのと色々出来たはずなのに兄姉たちは弟である少年を優先した。死にかけたことが原因だろうけれど、事故に遭ったのだと事実をぼかして。自分のために貴重な時間をくれたから、何かお返しがしたくてと。
「デザイナー目指してるんだ。修行中らしいから、異国の布を土産に贈ろうと思って。」
「いいねぇ、家族孝行な坊やじゃねえか。それに事故たぁ、もう怪我は大丈夫なのかい?」
「……、まあね。」
ぱちぱち、と目を瞬かせる。家族や故郷の人たち以外から心配されるとは思わなかった。深淵での三ヶ月で大幅に鍛えられて最後の辺りでは掠り傷もなかったし、それだけの月日もあれば負った重傷だってそれなりに回復するし、ある程度なら自分で治癒も出来る。残ったそれは、戦闘に支障がない程度のものばかりだからとにこりと笑って誤魔化した。
まだ故郷から巣立ったばかりだとも言うし、グイグイと次々と言葉を紡ぐ姿はまるで旅立ちを歌う小鳥のようであった。沈んだ海底のような瞳をしながら、真夏を鮮やかに照らす向日葵のような晴れやかさをのせた笑みに店主はうんうん頷く。おまえもわしのまご。モンドで冒険者登録をしたばかりの少年は、家族の為にしばらくは土産を見て回る予定だと言ったから、店主は昔なじみの店を紹介してやることにした。
「手土産に”セシリアの花”を持ち寄ると、あの店の婆さんは喜んで相談に乗ってくれるだろうよ。」
「セシリアの花?」
アドバイスを受けて、それはどんなものかと問う。少年からの視線を受けたディルックはよどみなく答える。曰く、モンド城から出て北東の坂上にある、名も見た目も綺麗な花のことを指すのだと言った。清凉かつ、風が強いところにしか咲かない高嶺の花なので、探索や採取にはすこし苦労するだろうとも。
模写のような姿絵をもらった少年は、これこそ妹に送り付けてぇな、と顔をする。ひとまず陽も沈んできたことなので、少年はディルックに宿を紹介してもらうことにした。しばらくはその宿を拠点として活動することになるだろう。
「宿はここで大丈夫そうだろうか。」
「うん、今日は案内ありがとう。おかげで満足のいく土産を買えたよ。たくさん紹介してもらえたしね。」
「いや、もとをたどればこちらの不手際が原因だ。……しかし、楽しんでもらえたようで何よりだよ。明日は勤務があるからついて行ってやれないが、君さえよければ義弟を紹介しよう。年も近そうだから、僕より話が合うかもしれない。」
「…いや、そこまでしてもらわなくても大丈夫だよ。冒険者になれたんだし。それに、弟さんにも予定があるんじゃない?」
最初に案内を受けた景色のチョイスはともかくとして、結構な出費をした懐も彼との旅路のおかげでまだ余裕はあるし、気に入ったものはたくさんあったしで、観光自体は満足に回れた。今回購入しまわったお土産は、一気に送り付けてしまうのも風情がないからと、それなりの感覚を空けてちょくちょく家族へ土産を送りつけるシステムだって教えてくれたのだ。
あとは冒険者としての登録も済ませたことだし、紹介を受けたお店に顔を覗かせるために件の花を探しながら適当にぶらつき、モンドを回るつもりであった。無計画なそれは自由を愛し、自由に愛される冒険者らしくて胸が躍るもの。
だが、他人を付き合わせるようなものではないだろう。それも見ず知らずの。ディルックのおとうとだろうとしても、その子にとっては少年は見知らぬ他人である。話を聞くに真面目な子のようだし、肩肘張ってしまうだろうからやんわりと遠慮した。
おそらくはセシリアの花についての続きなのだろう、とは思ったけど。「しかし、」眉を寄せたディルックは、もしかして世話焼きな性格なのだろうか。難しそうな表情のまま見つめてくるこれは、何やら実家の方で見覚えがあるものだった。己が行方不明になり、無事に生還した後のこと。実家に帰省したまま離れなくなった姉の顔でもあるし、よく見かけるようになった兄としての顔のようにも見えるそれでもあった。ならば尚のこと、唐突な会話の復活に一瞬困惑しながらも少年は再びやんわりと断った。
もしくは、年も近そうと言うからには、おそらくそこらへんで彼の琴線にでも触れたか。兄弟仲は良好のようだし、重ねて心配になったのかもしれない。
でもなあ、と少年は心の中でもやりとしたものを抱える。実力を見せて、認識してくれたはずなのに。”武人”なので目に見えるほど技量を心配されるのは、兄であり弟である身としてはくすぐったくある反面、それは身内だからこその感覚だ。
案内を引き受けてくれたけれども、一日をともに過ごしただけのディルックからそんな心配をぶつけられるのは不思議―――と言うか、正直不気味でもあった。
「せっかくの冒険者としての初陣になるわけだし、俺の腕前は君も知ってるだろうからあえて何も言わないけれど……。明日は教えてもらった通り花を見るついでに北西に行ってくるよ。」
とにかく不要であることをやんわりオブラートに包み込んで伝えた。終始もごつくディルックを押し切る形で断りきり、少年はホッと息をつく。
行き先だけ把握したかったのであれば、と考えで最後につけ足した言葉に引き下がってくれてよかった。少年はディルックの義弟とやらではないから、そこまで気にかけてもらう理由も必要もないだろうに。そこまでしなければ引き下がってくれないんだ? とは思ったが。
武人としての技量を心配されたのはとても不愉快だったので、とりあえず宿の予約は今日の夜だけにしておく。野営に必要な道具や食材などを揃えられる店も昼の間に教わったことだし、明日からは野営で鍛えまくってやる。宣言通り北西で。
嘘は一切無し。明日の行き先は北西だが、明後日以降からはそこら辺のどっかになるだろうが。戦えるし。戦士だし。修行中の身ではあるのだけれど。
すっかりヘソを曲げてしまったので、少年の中では野営修行が決定した。純粋に義弟と近そうな年頃の少年を案じるディルックは、明後日の勤務後に少年へ紹介した宿に足を運び、女将から少年が宿泊したのは一泊だけだと言われて己の獲物を手にモンドを飛び出すことになるのだが、マァ、余談である。