砂漠を抜けて、正義の国。船に乗って、燃える国。再び砂漠から森林を超えて、足を運んだのは岩盤揺るがぬ岩の国。璃月へと到着した少年は、正直、旅の配分を間違えたなと思った。
だって、故郷のスネージナヤを出て、外で過ごした時間はまだ半年程度なのである。そのスパンで世界の半分はもう巡ってしまったような気がした。
旅した地をくまなく冒険した、とは言えないのだろうけれど、七天像やワープポイントの解放は終わっているから何時でも足を運べてしまうから、少年としては似たようなものである。なるべく使わないようにしなきゃつまんないよね。今度は人を誘って冒険しようと心に決めて、新たな街へと足を運び入れたばかりの少年はきょろきょろと辺りを見渡した。
多少は温度に慣れたと言っても、生まれ育った環境は極寒のそこである。地方に合わせた素材の軽くて清涼とした工夫の衣類が欲しかった。ぱたぱたと手で仰ぎながら、目当ての店を探す。
「ん-……?」
港に入ればすぐ冒険者協会が見当たるものだとばかり思ったのに、うんうん唸って探すことの数十分。見当たらぬまま茶屋の辺りまで足を運んでしまった。
「やあ。何か、お探しかな?」
「わっ」
歴史書を穏やかに読み上げる学者の如き理性と知性の伴った声がした。にゅ、と少年の肩口から顔を覗かせる女性との距離感に驚き、ちょっとだけ仰け反る。
「ああ、すまない。驚かせるつもりはなかったんだが…。どうだい、少年。お困りならお姉さんに相談してみないかい。」
可憐な少女は、老齢の仙人のような口調で今なら特別価格だと付け加えて言った。法律家である自分への相談料と考えるならば格安である、と。
そこで引っかかりを覚えるのは、己の行動である。璃月へ入国してからどの店にも入らず、数時間ほどきょろきょろと周りを見渡してばかりだった。流石に悪目立ちしすぎである。あの中の行動で何か国の法律に抵触するようなことでもあったのだろうか。冷やかしたつもりはなかったが……冷やかしするな、とか。
だとしたら入店すらしていないのだから、そんなのもはや言いがかりだと返したいけれど自信がなくなった。「此処で見渡してると何か引っかかったりするの?」おず、と尋ねると少女の眠たげな瞳がぱちくりと開かれて、両手を交差させながら慌てて否定してきた。
「勘違いさせてしまったか。そうではないが、君が街に入ってからずっと、あまりにもきょろきょろしていたものだから気になってしまってね。」
「不審者っぽかったってこと? ただの迷子だから気にしないで。適当に散策して、とりあえず冒険者協会を見つけるよ。」
おや、と今度はべつの意味で目を瞬かせた少女は少年のつま先とは違う方向をさす。にこりと微笑んだ彼女の指先を視線で追う。ひとつ向こう側の通路をさし、背伸びするようにと添えられた言葉に従って少年は足を伸ばしてから言った。
「ではこちらは全くの逆だと助言しておこうか。」
「えーっ」
モンドやスメールでは、町の下側に冒険者ギルドがあったからてっきり下の方にあるものだとばかり。素直にこぼせば、少女はカラカラと笑った。あのまま進んであるのは料理屋ばかりであったとも言われて少年は言葉を詰める。
ぐぐっと落とした眉に少女はさらに笑って、詫びだと道案内を申し出てくれた。冒険者ギルドの前に探そうとしたのは何かと尋ねられたので、素直に衣類を販売している店だと言った。
「それは何故?」
「ここ暑いから。」
「今は冬だが?」
「俺の故郷はもっと冬だからね。」
少年は自信満々に言った。方々ではそれを嫌悪の対象とされるのに、なんともあっけらかんとした態度である。
悪事を働いていない潔白の訴えか、それとも隠し通せる自信の表われか。そう囁かれる言葉に対してさして気にした様子を見せず、けれども見えぬ鋭利な言葉の刃で斬り返した。
たとえば、外国で璃月人ってだけで悪人にされたとして、璃月を知らぬ他国の人からの誹謗中傷を耳にしたとして。
それで故郷の価値は、自分の中で何か変わるものなのだろうか。ともすれば、璃月人を敵に回しそうな発言でも少年が言うと不思議なことに、ただの疑問として胸中に落ちる。
スネージナヤ出身ってだけで何もしてなくても疑われるけれど、自慢の故郷であることには変わりはないのだから。「恥ずかしがることなんて何もないんじゃない?」 だって、そこは、自分の生まれ育ったうつくしき故郷なのだから。
他の人にとっての悪だったとしても、自分にとっての善であるなら、それを隠すのは可笑しいだろうと大胆に言ってのける爽快さは、武人ならではの潔さなのだろうか。
「なるほど……。それでは璃月の冬は暑く感じるのも無理はない、のか?」
「あははっ! 俺にとっては璃月だけじゃなくてモンドも暑かったよ。スメールの砂漠なんて夜以外は本当にダメだったし、夜は夜で寒さのベクトルが違ったから大変だった。フォンテーヌは水でずっと包まれてる感じでマシだったけど、やっぱり慣れた故郷が一番ってことなんだろうね。」
真面目に受けた少女の言葉を笑って肯定しつつ、ほかの地域での経験も上げる。故郷への愛はどの国の人でも変わらずあるのだと少年は謳うように言って、遠くの愛する雪原を語った。
とても積もった時は家の屋根をも埋めるほどで、そうならぬようにスネージナヤの屋根瓦には、冬の国ならではの工夫があるのだとか。
興が乗ったらしい少女との他愛もない故郷の良いところ自慢のような応戦は冒険者ギルドへ到着しても続き、夕食も共にする。お勧めの店は、庶民的な食堂「万民堂」だと教えてもらったそこは確かに異郷の舌を持つ少年の味覚もよく楽しませてもらえる場所だ。
お箸とか言うのには既視感を覚えたが、とにかく掴みづらく食べづらい。技の精度を上げる為にも練習しておくべきだろうかと雑貨屋を視野に入れて、少女の質問にさらさらと答え続けた。
モンドは一晩放置されたし、スメールだと実験動物にでもなったような気分だったし、同じ事情聴取でも断然こちらの方が良いと感じる。踏み込みすぎる内容を問うても、すぐさま訂正して他国の法のことへと話題を転換してくれるのも良かった。
「しかし、」
お箸で器用に白くて四角い食べ物を掬い上げた彼女は、茹だるそれを口に放り込んでモコモコと動かす。飲み込んでから続けられた言葉は、彼女が好きだと言った法に関することだった。
法を覚えやすいというのは、すなわち、守りやすいということでもあるのだから、確かに利点と言えば利点である。とは言え、自由度が高く、少なすぎる法では人々の統率は取れない。国ならではの統治法があると理解はあれども、納得できるかと聞かれればなんとも言えないだろう。従わねばならないことだけは分かるし、心身ともに叩き込む所存ではあるけれど。
「モンドの法は驚くべくほど条文が少ないのだな…。」
「すぐ覚えられるのは利点だよね。」
それを証明するかのようにモンドの治安は平穏のようで、西風騎士団が多忙を極める理由そこにあり、と言わんばかりにあまりにも無法地帯であった。というのが、少年の見解である。
全体的に大雑把で自由を赦す法の前では、解釈が自由すぎて法律としては無意味の太鼓判を押されるほど。犯罪を取り締まりに関する治安向上の法とは反対に、誰であっても歓迎すると言った矛盾を抱える法もあると言うのだから、法律家である少女は頭を抱えてしまった。
その反動で、無罪の者が罪悪の対象とされている印象もあるけれど、という話題に触れてしまったからだろうか。法律を愛する彼女は、どうしてそんなことになっているんだ、と呻いていた。
常に法律の許す範囲内で、顧客に最大限の利益をもたらす。それを生業とする故に、彼女は璃月の歩く「規則」と二つ名で囁かれるほどの筋金入りの法律好きである。
その少女は自らを「
璃月を創成した岩神・岩王帝君の庇護たる象徴「契約」とは数多の規則が絡んで国の、国民たちの繁栄に導くものである。商業で賑わう港ではあらゆる戦が生じ、その為、「天権」が細かな法律を制定し、民を守る一手を打ち出したのが「法」の始まりであった。
岩神・岩王帝君の
ぱらっと借りた本をめくって中身を改める。少年は顔をしかめた。「うわぁ……」思わず零れ出たのであろう言葉は素直なものである。スプーンのようなもので煮込み料理を食べ終わった少年の手元には、「璃月百法通則」なるものがあった。法に興味があると言ったから、少女が貸し出したのだがお気に召さなかったようだ。
よくあの速度で十割中、一割を読めたものだと感心しながら少女はよどみなく答えた。パラパラめくって、少女と答え合わせをして、最終的には顔をしかめて今に至る。
「お気に召さなかったかな?」
「覚えるのが面倒だね。」
「ふふっ、素直だなぁ君は!」
わかりきったこと尋ねて、わかりきった答えを返した。本当に璃月の民を守ることにフォーカスが置かれた法典なのである。他国との商業で気を付けるべきことまでを刻み込み、自国の民を守る為だけに誕生したそれのようでもあった。璃月で、あくまでも商人として長期滞在するなら、滞在用の許可証のような幻と言わしめるほど希少なそれを手に出来たのなら、その庇護に適用してもらえるのだろうけれど。
それはそれとしてあまりに面倒なものが多かった。少年の態度も失礼には当たるが、法に引っかかるようなものではない。この程度のことなら目をつむってもらえるだろうと確信した上での言動である。
数年後には店を置きに長期滞在することになってしまうのだが、しかめた顔をやわやわと戻して少年は丁寧な手つきで本を返した。とても大切なもののようだったから、貸してくれたことの礼として食堂での代金を請け負う。「ありがとう、助かったよ。」少女はにこりと笑って、ひらひらと手を回した。彼女と別れてからは、少年は教わった宿をとり今後の計画を練る。
どうにもじわじわと圧迫感があって、イヤな予感がしたのだ。何か来そうだった。道中感じた複数の視線はかなり排他的なものであったから。
「長居すると面倒なことになりそうだから、さっさと船見つけようかな。」
スネージナヤ出身者の事情聴取はむしろ歓待を受けたようでとても気分が良かったのだけれど、
少年が最後の予約で隣の部屋は誰も居なかったはずなのに、ガタガタと物音が騒がしく、人の気配がする。荒んだ呼吸と血走った眼を暗がりから確認した少年は重々しく溜息を吐き出した。法をひっかけた絡み方をされると果てしなく面倒なことになるだろうと感じたので、早々に商船の護衛依頼を見つける必要が出てきてしまったのは気持ちとしては微妙なところ。
やっぱり璃月の観光は他の国よりも短くなりそうだと布団に潜り、あたたかな夜を過ごした。姉曰く、あんなのは相手にしないに限るのだ。