夕暮れの果実と同じ色をした癖のある髪が、少年の動きに合わせてぴょこりと揺れた。忙しなく同じ年頃に見える神秘的な雰囲気を持つ少年の周りをうろうろ世話を焼き、覚えたばかりのレシピを頼りに料理に取り掛かる。
背を向けた途端、今にも風とともに立ち去りそうな少年に、料理に勤しむ少年は瞳に宿る沈んだ海をちらりと向けて言った。何も言わせんぞと迫力を感じる。
「お礼を受け取ってくれなきゃ、こっから追いかけるよ。」
ビシッと指をさしたそこは手摺りだった。脅しにしかならない物言いで、望舒旅館の手摺を間違いなく指している。そんな本気でやると言わんばかりの冬国の気配をまとう子どもに押し負けて、槍を抱えた少年は璃月随一の旅館に居た。
脅しかけてまで押しとどめた彼の名は、ほかにも名前はあるようだったけれど、なんかカッコよかったから少年は彼のことをコーマタイセーと呼ぶことにした。
同じ年頃のように見えて、その実、少年の幾千倍もの時を重ねた生き物であるコーマタイセーは基本的には食事を必要としていないらしい。味覚など人型の機能としてはあるが、そう言ったものでは少年の身を襲う瘴気を祓えないからより強く不要だと感じているのだとかうんたらかんたら。人の身ではない以上、献上品と称されたそれは多少なりとも寄せられると律儀な性格上、受け取りはするようだけれど。なら作って献上してしまえば受け取らざるを得なくなるのでは、と
コーマタイセーが現状を不服に思う気持ちは、それなりに肌で感じる。だが、借りを借りっぱなしにするのはむずがゆくてイヤだったから。
「わ、我のことは放って―――」
「放っておけって言ったら、追っかけまわす。俺だって元素視覚を扱えるし、足だってそれなりに自信はあるし、危険は承知の上で闘える戦士でもあるし?」
コーマタイセーはゆっくりと言葉を消して口を閉ざし、その様子を見た少年はにこりと笑って、終始を遠方から観察するオーナーは震え上がった。
兄属性である少年の前で急激にうずくまった我が身を恨めなどとは言わず、凡人と称した少年の前で蹲ったことを失態と落ち込んだ彼をそっとしておく。全ては無傷で業魔を制圧した後、瘴気に耐えかねてしまったことが原因なのだと言われても分からなかったからである。
ただの人の身であるがゆえに、コーマタイセーが相手取るようなモノを前に少年は戦って、劣勢を強いられた。すぐさま体勢を立て直したが、それでも人の身には余るものと言うのは偽りなく、毒を受けてふらつくそこに彼は足を運んだ。
敵を疾風が吹き飛ばした光景は、他国に来るまで知らなかった落ち葉を散らせる瞬間のように鮮やかなもので。「その齢にしてよく持ち堪えた。」胸が躍る光景の中、コーマタイセーによる些細な声掛けが、少年を懐かせた原因であるとは誰も気づかなかった。
その後コーマタイセーの身を襲った瘴気のことを即座に危険なものだと本能的に理解した少年は聡く、けれども、躊躇なく身体に触れて旅館まで運び込んだのだから、愚かでもあった。
せっせと世話を焼き、コーマタイセーが食べられるものを言葉巧みに厳選し、起き上がろうとするたび布団へと転がす器用さを遺憾なく発揮した。仙人である彼からしてみれば、凡人相手に怪我を負わせるつもりはさらさらなく、逃げ出そうと思えばいつでも離脱は可能だったが、その気配を見せるたび少年は察知して冬の気配を纏って言うのだ。
もしお礼もさせてくれずにどっか行っちゃったら、璃月人はみんなそうだって思うからね。俺は怒るよ、お礼もさせてくれないって。年齢相応の笑みには何か形容しがたい迫力があった。
ただの冒険者と言うのならばすぐに居なくなってしまうのだろう。だが、国へ立ち寄った旅人の印象と言うものは、善きものであってほしいとは思うので。敬愛などという言葉はおこがましいかもしれないが、そのような感情を抱くお方が愛する国のことなら、尚の事。コーマタイセーにとってはひどく効果的な脅し文句であった。
そんなわけで、望舒旅館のオーナーを驚かせるような偉業を為した少年は、現在ニコニコ笑顔で精進料理に勤しみ、人々からの混乱と畏怖と羨望を独り占めにしていた。
璃月人なら誰もが知る彼の名を一度たりとも呼ばぬ少年は、本当に何も知らぬ冒険者であるのだろう。コーマタイセー、とたどたどしく呼ぶ覚えたばかりの名も、どことなくイントネーションが異なる。警戒だけはなくなったけれど、故郷の名前を出しただけで膨れ上がる懐疑的な雰囲気にはもう慣れたものだった。
面倒なことには変わりなかったので、視線を避けるように厨房に籠って品を追加した。「芸がなさすぎるよ。」桃のような髪色の法律家を名乗る少女に言った時と同じ心持ちではあったが、一周回って呆れかえった。コト、コト、と心地の良い間隔をあけて出来上がったばかりの料理をテーブルへと運ぶ。
ところでコーマタイセーって精進料理専門の評論家なのかな、と見当違いなあたりをつけながら少年も席に着く。背中にざっくりと突き刺さる眼差しは、料理人からの羨望であった。
今回覚えたレシピは、旅館の料理人との合作である。璃月ならではのお茶で炊き込んだあっさりとした主食の御飯や絶雲の唐辛子を混ぜ込んだ味噌で味を付けた大根。清心という花を浮かべた苦みのある汁物。杏仁豆腐は、絹のような滑らかな触感を生み出すためだけにわざわざ水と氷のスライムを狩ってまで特にこだわった。その日の食事を彩る最後の締めとなるからだ。
お箸は相変わらず苦手だった。モタモタと覚束ない子どもの手つきに微笑みを浮かべた望舒旅館のオーナーのおじさんが持って来てくれたから、スプーンのような形状の道具を遠慮なく使わせてもらう。確かメレンゲだとか言ったっけ。それは食べ物か。
「……、」
ただひたすら無言で消える料理の数々。ピタリと止まった箸の先を見れば、汁物は見事に空っぽであった。「安心してくれよ、まだまだあるからさ。」自分と同じように食べ盛りだろうから多めに作ったのだと言って、厨房の鍋を指して言った。
立ち上がろうとした少年に待ったのポーズをとった望舒旅館のオーナーが、すかさず給仕のような真似をしておかわりを注ぐ。場所を借りはしたが、自分がもてなすつもりだったのに、と見つめると笑って言った。
「お二人ともどうぞごゆっくり。」
癒されるのだと顔にありありと描かれて、少年は接待を受け入れた。長らくお兄ちゃんだったから兄気質ではあるのだけれど、これでいて末っ子時代も長かったとも言えるのでお世話を焼かれることには慣れているのだ。―――そこから逃げ出してきたわけだけれども。
すっかり鍋もフライパンも釜の中身も空っぽになるほど平らげた頃に、やりたいことは少年は椅子から立ち上がって身体を伸ばした。
「ぷはーーッ、食った食った。」
自分で手掛けた料理ではあったけれど、相手を満足させられたことは食事の光景で見て取れる。無言のまま空っぽになったそれこそが、お礼となったのであろう証拠だ。
満腹感でいっぱいにはなったのだが、まだ真っ昼間。食事の為とは言え、座りっぱなしだったからとにかく動かしたい気分である。…ではあるのだけれど、未だ具合の悪そうなコーマタイセーを放っておけるほど子どもは薄情でも、冷酷でもなかった。
生来の兄気質が”そう”させるのか、人に不慣れな獣のような彼はわりかし押せば戸惑いながらでも聞いてくれる年上のような感覚があるからか。「……もう充分だ。」自分のことは放っておけ、とコーマタイセーからの抗議には遠慮なくにこり、と笑顔で黙殺した。一体何と戦っているのか分からないけれど、彼の状態がまともではないことぐらいは少年にも理解できるから。
むしろあの闇に触れたことによって、どちらかと言えばコーマタイセーの方への理解がそこそこ出来ているかもしれない。精進料理専門の評論家などと思ったことはあるけれど。
厳密には違う存在なのだろうが、とにかく只人―――璃月風に言うなら”凡人”では叶わないような存在なのだろう。神の祝福があっても対抗できるかどうか危ぶまれるようだが、とても不思議なことに少年には倒せてしまったので「そうなんだ?」程度の感覚である。彼らが相対した敵は、血なのか水なのか、飛沫を上げながら崩れ落ちた肉体は空気に溶けて消えて行ったから。
原理はよくわからないが、子どもが作った料理を「献上品」として食べさせると苦痛はほんのり和らぐようだから、冒険者としての依頼が終わるまでの間は”そう”するようにしたのだ。
「そのかわり、リーユエのこと教えてくれよ、約束!」
「……ハァ、言っても聞かぬのだろう。」
少年はにこりと笑って肯定した。
愛しき末っ子・テウセルへ、兄ちゃんは岩の国の旅館にて友人得たり、なんちゃって。精進料理と言って素材の味を楽しむ料理を好む少年戦士と仲良くなったよ。と手紙に花を添えて、故郷へと送ってもらった。