コーマタイセーと過ごして約二月が過ぎた頃、彼が相対する敵の名を教わった。ぱちぱちはぜる焚き火の音を背負って、彼は魔神による問題を語る。
ゴウショウ、とか言うのが敵の名前のようだった。魔神というものは、不滅の体を持っていて、その意識は消えたとしても力と憎しみはずっと在り続ける。ある意味では死はなく、膨れ上がるそれは、やがて「穢れ」となり、民の暮らしを徐々に侵す「魔」と化す。
その「穢れ」と呼ぶ魔神の残滓とやらを祓う役目を担うのがコーマタイセーなのだと言う。もっと正確に言うなれば、ヤシャ、と呼ばれる存在だ。
彼はその最期の生き残りであるらしく、ある程度のゴウショウを吸収しても耐えることが出来る特殊体質の持ち主であった。病院で治療しないのかという少年の質問に対して、彼はただ静かに首を横に振る。
しないのではなく、出来ないのだと。ゴウショウとやらは魔神の執念―――呪い、という概念のようなものだから、痛みを和らげる薬はあっても治療は不可であるというのだ。
魔を倒す際に飛び散った穢れが徐々にコーマタイセーを蝕むが、世から穢れを消すために、それらのゴウショウを背負わなければならないのが彼の役割であった。「ふうん?」どこか誇らしげにするから自ら痛むを背負うことを悪く言うつもりはなく、けれどもくすぶる感覚を言語化できず、それを態度として表しながら言った。
「薬の他には、音楽と食べ物を献上したら和らぐんだよね?」
奉納と改められたそれを少年は嫌な顔をせず、せっせと振る舞った。音楽の腕は、冬の故郷でギターなるものを兄貴に貸してもらったことがあったので、それを璃月で買ったのだ。
さわやかな音が響く方のそちらは、アコースティックギター。風に乗って、海に乗って、冬の景色と颯爽とした潮風を運ぶ演奏は少年の耳をもってして見事なものである。望舒旅館周辺で行われる野外ライブは意外にも人気となり、少年が近くを通るたびにライブを求められるようになったのは想定外の副産物であった。
舞うことも似た効果が得られると言うから、剣舞―――武器とともに戦の場で踊るそれを奉納と称した。不思議と効果はあるようで、今の今まで痛がるコーマタイセーを見ていない。
効果あり? 二人揃って顔をあわせて、彼は微笑む程度ではあったのだけれど。小さく噴き出した日には、嬉しさのあまり彼の好物なのであろう杏仁豆腐を大盤振る舞いした。
「……なるほど、家族の為に各国を…」
問題を起こして故郷を出た、と少年が言えば、コーマタイセーはすかさず否定してくれたのにはビックリしてしまった。思わずじっと見つめながら、ぱちぱち、と瞬きを繰り返す。
自分の発言を見つめ直したのか、彼はそっぽを向きながら咳払いをして赤く染まった頬も一緒に誤魔化そうとしているようだった。そんなに信用してくれるだなんて嬉しいよ。少年はにっぱーっと眩いほどの笑顔で肩を組み、旅の目的と今後の予定を話した。
「次は稲妻に行こうと思ってて、商船護衛の依頼待ちなんだ。依頼があればキャサリンが連絡してくれることになってるし、手伝えるところまではやるよ。」
「身の程を弁えろ、おまえの力では無理だ。」
「足止めぐらいはできるもん……。」
ムッとして言葉を返せば、彼は珍しく狼狽えたように組んでいた腕をほどき、手を前に突き出して制止の姿勢をとった。「待て、」普段の彼からは伺えぬ弱気な声である。「すこし考え直す。」コーマタイセーの律義さからおそらく考え直すのは表現であり、内容ではないのだろう。どのような言葉を尽くそうとも、少年には不可能だと言われるのだと察した。
何が何でも無理を押し通すつもりかと目を皿のようにしてジトーと見つめる。果たして彼はどうやって少年を諦めさせるつもりなのかと待つこと数十分。器用にナイフを回す手遊びで時間を潰す少年からの眼差しから逃げるように顔を背けられた。
「想像……してみたのだが、」
「うん。」
実際にコーマタイセーが魔を退治する間に、少年が後方で人々の避難誘導やら攻撃の撃ち落としやらをしてきたことをポツポツと語り始めたところで、少年はニッコリした。でっしょー!
凡人には凡人なりの戦い方というものがある。そこらへんで遊ばせておくにはもったいない戦力となり得る可能性を感じてくれているのであれば、遠慮なく声を掛けてくれた方が嬉しいものだと言って額を寄せ合った。
純粋な子どもである少年はくふくふ笑い、コーマタイセーはそんな異郷の子どもの様子を見て仕方なさそうに肩から力を抜いて微笑んだ。
「そうだな……。冬の子ではあるが、……王難、賊難、火難、水難、羅刹難、荼枳尼鬼難、毒薬難の際は我が名を呼びたまえ。」
「コーマタイセー呼ぶの? おう……ってなに…?」
「そうか、おまえはまだ童であったな。」
オウナンから片っ端に意味を教えてくれたが、そもそもそんなことって滅多にないのでは―――あっ、と少年は思い出したことをそのまま口にした。
彼から教わったオウナンとは、国の王の命令に背いたために受ける災難・刑罰のことをさす。現在の少年はただの一般人ではあるが、スネージナヤは氷の女皇が頂点に居わす国柄であるために、無きにしも非ずだろう。
「そう言えば、俺ってファデュイに目を付けられてるんだった。なんか有望な戦士になりそうだとかなんとかって。」
コーマタイセーも知っての通り、ファデュイから勧誘の声を掛けられても無視したり、強制的に連れ去ろうとする人たちとは相対したり、そんなことでは手を借りることはなかったけれど。
逆に、ゾクナン―――ってやつにはむしろ少年側はウェルカムの姿勢である。盗賊や強盗による災難が相手なら、自慢の腕っぷしで退けられる自信があった。興奮気味にどうやったら呼び込めるだろうとコーマタイセーに聞くと、彼は呆れたような表情をしてその見た目であれば釣れるだろうと少年を見ながら言う。
どうやってと話を詰めようとしたら、他のものは分かるかと聞かれたので素直に答える。火難、水難は分かる。火と水に関わる事故のような、災害のようなものだろう。
「じゃあさ、ラセツナンってなに?」
「我の責務だ。」
「……ゴウショウ退治?」
「正確には魔を帯びたものを、だ。」
童には悪鬼滅殺と言えば分かりやすかろうと言われて納得した。コーマタイセーの身を削ることが日常に溶け込んでしまうお仕事である。ダキニナン…? も然り。毒薬難はそのままだろう。
「結局、名前ってコーマタイセーって呼ぶの? それともキンホウ?」
「………魈、と呼べ。」
そう言えば、と少年はあらゆる災難に対応できるコーマタイセーを見て言った。きょとりと目をしばたかせた少年に、コーマタイセーは首を左右に振って同じ言葉を繰り返す。
「ショウ?」
「魈、だ。」
「しょ……しょう? 将…翔…昌……」
「魈。」
「んんう……そ、魈!」
「そうだ、それはしかと呼べるのだな……。」
「え!?」
意図を理解した少年は、繰り返される言葉を復唱し続けた。どことなくイントネーションが違うことは分かったから、文字を探りながら反応を探る。最後の方で輪郭をなぞるように言葉をたどれたらしく、ほっと一息つく。しみじみと言われたことには肩を驚かせてしまったが。
二ヶ月も呼んでて一度も指摘されなかったことやコーマタイセー……否、魈と呼ぶのだった。その魈からの軌道修正もなかったから、少年としてはちゃんと呼べてると思ったのにな。
やっぱり璃月の文字の勉強はすべきだろうか。スネージナヤの文字であれば問題なく綴れるのだけれど、とモソモソメモ帳を広げて魈へと見せると、彼は顔をしかめた。文字と言うよりも記号のように見える。だが、流石は貿易で栄えた都の守護者。知識としてはあるらしくて、異郷のものであっても問題なく読み書きは出来るようだった。
「時間あるとき、教えてくれる…?」
「我は構わない。」
ぱっと表情を華やがせた少年は、魈から手で制されてコクリと頷く。現在少年は臨時の用心棒スタッフとして望舒旅館の一室。寝る前に彼と言葉を交わすための場所として借り受けており、今のは人の気配がしたらその日は談話を終えるという合図であったのだ。
「入るわよー! ……坊や朗報よ! 前々から言ってた稲妻行きの商団の護衛依頼、あなた指名であったんですって。よかったわねぇ…。」
「え、ほんと!?」
人の前に姿をあらわさない彼は、けれども少年にとっての朗報を前に風で背を押してくれる。活動拠点を璃月港から望舒旅館へと移したが、結構楽しかったと少年は笑った。
冒険者としての活動がようやく実を結んだことを報告しつつ、依頼を持ち込んできてくれた望舒旅館での仕事で仲良くなった厨房スタッフとの会話をそのまま耳にしてもらう。さわさわと風が揺れてくすぐったく思いながら、出立は一週間後と聞く。
「わりと急ぎなんだね?」
「ええ、準備とかもあるでしょうし、ここからだったら明日には出発しなきゃ間に合わないでしょうね…。送迎会をしてあげたかったのだけれど……」
「アハハ、それは気にしないで。」
「そうか、ってそれだけ? 友人との別れを惜しんでくれたりしないの?」
「……我は人間ではない、人間の感情はあまり理解できない。」
「それはそうなんだろうけど、」
むう、と膨れっ面を見せる少年は異郷の人間である。時には魈すらも驚かせるような武人でもあるのだけれど、やはり庇護を受けるべき子どもであった。
「お前が望むようなものを言ってやれない。」
「……ふうん?」
魈の言葉に、少年はにまりと口角をつり上げた。理解できないと言った口で、少年が望むものを言ってやれないとくる。それだけで、もうすでに答えは出たようなものであったが、まだ答えとするには靄のように掴みどころがなかった。
心の中には朧げな形があるのだろうけれど、それが実を結ぶ前に少年は魈が愛する国を出立してしまうのだろう。だからこそ、少年は詠うように言った。
「また会おうよ。」
そのときに答え合わせが出来るといいね。心の中でそんなことを呟きながら、きっと、誰よりも再会を恐れるであろう彼に、少年は無邪気に次を求めた。
言葉を詰めた魈の指を、異郷の子どもは己の指でからめて歌う。約束の歌だった。声変わりが途中の声はよく耳に残る。子どもたち同士の他愛もない日々のようで、子どもと大人が交わす愛情のようで、約束をするときには、必ずと言っても良いほど出てくるお決まりのような歌だった。
「指きりげんまん。嘘ついたら氷漬けにさーれる! 指切った!」
「お、おい……!」
「噓にしなければいいんだよ。簡単なことだろ?」
出会った頃に魈を押し続けた笑顔を浮かべた少年は、明日の朝には望舒旅館を去る。商船を護衛する依頼を引き受ける形で、稲妻への切符を手にしたからだ。
商団や船の護衛であるため、彼らの帰国に合わせて少年も再び岩の国へと足を踏み入れることになるだろう。「また璃月に来たら望舒旅館に顔を出すからさ。」三ヶ月ほどの旅行だから、長きを生きる魈にとっては瞬きの間にまたこの激流のような水と顔を合わせることになる。結局ベッドの上で談話を続けた二人は、一睡もすることなく夜を明かすのであった。
―――…
船の上から遠くに見える風を見やり、少年は笑った。静かになるなと言ったと思ったら、それは実りそうだった感情の欠片であったのだろう。「見送りには来てくれるんだ。」 彼の気持ちを示すような行動であった。
視力も嗅覚も、五感のすべてが人間離れしたそれであると魈自身が言ったのだから、船に揺られる海の上からのことであっても充分見えるはずだ。
少年は口パクで三文字を伝えた。「 !」 風に煽られて、波に消える。きらりと光を反射したのは、おそらく彼の相棒である槍だろう。善い国だった。異郷の子どもは夕焼けに照らされる崖を見上げて笑い、岩の国を後にした。