翌朝。ぱっちりと澄み渡る水面のような瞳を大きく開けて目を覚ました子どもは、夫妻が想像した通りの表情でぷんすこと照れた様子を見せてくれた。
齢が二桁に乗ったことで増したやんちゃさや生意気さも相まって、子どもの言動は夫妻の心がくすぐられるほどの愛らしさで癒されるものであったことが酒の席で盛り上がり、しばらくそっぽを向かれることになるのは余談である。
家の戸をあけてすぐ広がる一面の穢れを知らぬ白。まるで子どもたちのようだと。雪の上を自由奔放に走り回る子どもたちを見守りながら、そんな感想を隣人たちと言い合った。親である彼らにとって我が子が一等愛らしいものなのだ。
朝っぱらから恥ずかしさと嬉しさの板挟みだった子どもは、背後から突き刺さるその眼差しにとうとう照れの許容範囲を超えてしまった。寒さでなのか恥ずかしさでなのか、湯気がそそり立つほど赤く染まった顔を背けて夫妻の視界から飛び出す。
それでも夫妻が頑張って探せば夕暮れの実のような髪色が見える範囲には居てくれるから、どちらも筋金入りの家族愛である。
「朝からゴチソウーサンだよ、まったく。……しっかし、こうも真っ白な景色だと雪かきは避けられないなぁ…。」
昨日は戸を叩くほどの雪風がスネージヤ全土へやってきたので、朝から雪かきをして人々が通る為の道を捕獲しなくてはならないだろう。
隣人のぼやきに反応して照れのあまり家から飛び出した子どもは、早めの帰宅で下の弟妹たちを抱きしめて帰りを宣言し、それぞれ抱きしめながら再び外出を宣言した。あまりの疾さに子どもたちは呆然とし、夢だとすら思って布団にくるまり直す。まるで一陣の風のようだったのだ。
そうした経由をたどった子どもは、無邪気に親を呼びながら、しかと慌ただしく足音を立たせてシャベルやらスコップやら防寒具やらを抱えて戻ってくる。
体を動かすことが大好きな性質であるからか、こういった肉体労働にはとても積極的に貢献してくれるのだ。その反面、夫妻は肉体労働をよく強いられてしまうのだけれども、夫妻の心には不満も不服もなかった。ああも無垢な笑みを向けられては応えぬわけにはいかないという使命感はあったが、何より我が子が幸せであるなら、それに勝るものは何もなかったのだ。
下の弟妹たちはまだ全身が埋もれてしまう高さに雪があるから家でお留守番だ。とは言え、兄である子どもの真似をしたがる下の弟妹たちの気持ちも考える必要がある。
あの子たちが手伝えるようになったら準備をして外に連れ出す担当を決めなくてはならないが、どう見ても最初から最後までやる気の子どもに「お留守番」を任せるなんて酷なことは出来るはずもなかった。頃合いを見計らって、ちょっとしたお手伝いを任せるぐらいはしなければ、へそを曲げてしまうだろう。その為、朝食と昼食を合わせて支度する都合も踏まえて、妻が帰宅した。
未だ布団にくるまったままの子どもたちから暖かな布を引っ張り、ひっくり返してうとうと微睡むかわゆい子どもたちの目を覚まさせる。母親から掛かる無慈悲な、お兄ちゃんはもうお外よ、と言葉が降りかかり、先ほどの兄は夢などではなかったのだと突き付けられた。生まれて間もない末の弟テウセルは、兄の短な抱擁と温もりを思い出し号泣。それぞれつられるように発生した、兄を求める大合唱は今ではすっかり海屑町の名物である。
「愛されてるなぁ。」
「からかうなよ、おじさん。」
むう、とふくれっ面になった子どもの、頬の赤みは寒さだけではなかった。この子どもは生意気にも大人顔負けの真面目な子なので、一度引き受けた仕事をしっかり完遂するまでは何をやっても止まらない。「終わったから次行ってくるよ。」お礼を受ける間もあけず、子どもは大合唱に後ろ髪を引かれながら雪を掻きわけ、約束通り道を開拓したところで家の塀を軽々飛び越えた。隣人の家を挟んだ、更なる隣の家に住むのは出兵したひとり息子が”居た”老夫妻だ。
足腰もまだまだ健在ではあるが、屋根の上などは力の他にバランス感覚も要する。見守る側の大人たちがあまりにもハラハラするものだから、ある年を境に子どもが自ら申し出たのだ。
「よ、っと! おはよう、ザハール爺さん、マルファ婆さん。」
「あらあら、そんなところからまた入って……。坊やは器用さんなのねぇ。」
「坊やって…もう10つだよ。坊やって歳じゃないよ。」
「生意気な坊主が来おったか…。それに……」
母の柔らかな雰囲気は、マルファ婆さんから家事の師事を受けたからなのだろうか。
母方の祖父母はスメールの学舎で留学中に雪崩に巻き込まれて自然へと還り、そうした傷心のさなかに冒険者として依頼を受けた父と出会ったのだと馴れ初めの合間に聞かされたことがある。子どもたちの記憶の中には思い出話という形でしか認識が出来なかったが、印象強く残ったのは温厚な父が思わず嫉妬するほど祖父母のような存在の話であった。
確かその頃の物語では、マルファ婆さんやザハール爺さんもよく登場したのだという記憶を呼び起こしながら、子どもは視線に耐えた。
「ま、だ、10つの間違いじゃろう。ワシらにとってお前さんはまだまだ坊じゃよ。」
ふん、と鼻を鳴らした翁は、スネージナヤに名を轟かせた作家。スネージナヤ文学の人気作家・ザハールである。彼の妻マルファは、小さな学舎を構えて子どもたちに読み聞かせを教えてくれる海屑町の人気な先生だ。
おざなりな態度で「はいはい」とあしらった子どもは、立てかけられたままの脚立を器用に組み立てて壁に引っ掛ける。ある程度の固定を確認したら、足を引っかけて後ろで文句を言う翁を置き去りに問答無用で駆け上った。視力を補強するザハールの眼鏡にちんまりとした雪の塊が落ちる。なんだと騒ぐザハールの声につられて視線が集まる中、眼鏡からちみっとした雪を退けたザハールもまた視線を追う。ザハールの家の、屋根の上だ。
そこでは「ふふーん。」と悪戯小僧の顔をした子どもが立っていた。掻き分けたばかりの雪で、あからさまな加減が見える雪玉を手にもって、ザハールを見下ろしている。なるほど、唐突の雪の塊はあの悪戯小僧が原因のようだ。びしりと血管が浮き立つ。
「降りて来んかい、悪ガキ坊主―――ッ!」
「あっははっ! やーだよ!」
深呼吸を繰り返したザハールから轟く怒号と、子どもの無邪気な笑い声。そこかしこの家から「今年もか~」と囁きが広がって、次第に笑顔が伝播する。大きな声をあげたザハールだったが、仕事はきちんと完遂するし、悪戯は最初の一回だけだったし、何よりも妻の笑顔が見れたのならと少しずつ怒りも萎み、茶葉を幾つか見繕って持って帰れと手土産を持たせた。
子どもの家で永遠と雪かきを続ける父親のもとへ帰す道すがら、しきりに「これ本当に美味しいの?」と疑問たっぷりの表情で聞いてくるものだから怒りがぶり返すところであったが、子どもにとって幸運なことに家はすぐそこだ。
よく働く悪戯小僧を送り届けたザハールは茶葉は濃厚な苦みが特徴的だから、ミルクを溶かして飲むよう父親の方へと伝えた。彼の妻はよく己の妻マルファを慕ってくれた良き生徒であった。愛する妻が娘のように可愛がる彼女のことならば、ザハールとて自然に覚える。それを気取らせたことはないが、こうした日常生活によく出てくるものだ。
己の妻が好きだという味なのだから当然、あの子も好む味わいになるはずだなんて、自信満々な態度はそれだけ共に居たということであり、そのような素振りも見てきたという裏付けであり、信頼の表れだった。結婚の際に一度は反対てしまったからか、ぎこちなくなった関係から素直に言い出しづらいのだろう。誤魔化すようにとって付け加えられた子どもも喜ぶだろうと顎でさすのは、悪戯小僧と呼んだ子どもだ。
ザハールにとってはあの子の夫となった若者もマルファの大事な生徒だと思っている。「近くの家だから」と少年の頃から薪作りを手伝ってくれるような好青年で、冒険者なんてものになっていなければ喜んであの子との結婚に賛同するほどには気に入った若者である。好評を酒の席で滑らせるほど高く買う男なのだが、危険の渦中に在る冒険者になったはずなのに如何せん打たれ弱すぎる気があった。ザハールはそこを心配したのだが、予想以上にうまく行っているようだ。
いや、あの子どもがうまく立ち回っていると言えばいいのだろうか。よく悪戯を仕掛ける子どもであるが、悪質なイタズラをしたことはなかった。どれもこれもが笑い話で済むような、そんな些細なことばかりである。ザハールはそれに毎度目くじらを立ててしまうのだが、ある意味パフォーマンスのようなものだと理解した。きちんと腹は立つけれど、子どもの楽し気な雰囲気につられてどうでもよくなるのだ。
子どもは、そうした人間の感情が爆発するギリギリ境界線の上を歩くのがとても上手だった。分析能力はもともと高く、だからこそ、あの齢で一端の狩人として成立する。
自己研鑽の意志も強く、失敗を失敗のままに、苦手を苦手のままにすることを良しとはしない。狩人として苦手だとこぼした仲間を相手に「…それは怠慢なんじゃない?」と冗談と取れる程度に笑って辛辣に斬り捨てる様から、幼くとも戦士としての誇りもありそうだとザハールは分析した。冗談キツイと笑う仲間たちの間で「……まあ、俺がフォローするよ。」と言ってのける生意気な態度は、きっと無意識に出たあの子の限りになく心に近い本音だ。
あの子どもは己の苦手なものを苦手などとは口にこそしないが、まだ子どもの身であるが故に、苦手なものはきちんと存在することが観察していればきちんとわかる。
しかし、怠慢だと斬り捨てる様は当然と思えるほど、あの子どもは己の苦手を克服する為の訓練やら特訓やらを日々の終わりの決まった時間に行う。ある程度は自分の物に出来たら次へと手を出す向上心の塊のような子だから、本音であることがより裏付けられるような気がした。
―――何とも言えぬ予感がした。
これは懐に入れたものに対してうんと甘くなる性質であるからふわふわと揺れる夕暮れの髪が、ふとした瞬間に見えなくなるような。ザハールはそんな嫌な胸騒ぎがした。
見極めが上手なあの子が居なくなったら、きっとあの家庭の均衡は崩れるだろう。甘く穏やかな両親は、蓋を開ければ本来のこの子の気質を厭うものだから。
気が弱すぎるあの子たちには、まだ家庭を支えられるだけの強さがない。心がしかと成長しきる前に夫婦となるのはまだ早すぎたのだろう。上の兄姉たちはそれを察し、あの小さな箱庭を早々に出て行った。家が小さすぎると言ったけれど、常々あった両親からの拘束が強まり、そんな両親からの束縛をお気に入りの人形を着飾らせようとする子どものわがままのようだと感じてしまったからなのだろう。事実少し前まで、あの二人にはその気があった。今では親になりつつあるが、子どもの誘導あってこそなのだ。
それ故に、あの子どもは夫妻から子どもとして愛されるという当たり前に戸惑っているわけだが放っておくわけにもいかない。子どもたちの成長を手伝うのもまた、周りの大人であるザハールたちのしてやれることだった。
あの大人顔負けの働きを見せる子どもを当たり前のように甘やかす者は、もちろん存在する。その筆頭であるザハールは、まったく手のかかる親子だとくすぐったさを潜ませながらわざとらしい咳払いをした。子どもの父親である男をちらと見やりながら、ふんと鼻を鳴らして言った。
「悪戯小僧に言っとけ。いつでも遊びに来い。マルファが茶菓子をこさえて、やんちゃな坊やがひょっこり雪の合間から顔出すのを待っておる……とな。」
自由な風のようで、流れるまま動きが止まらぬ水のようなあの子どもは、きっと夫妻どころかザハールの手からも零れ落ちてしまうのだろう。ひとところに留まらぬ様は、まるで川のようで、海のようだった。星空を自由気ままに泳ぐ巨大な生き物のように、あの子どももまた、自由を愛する存在だからだろうか。
息継ぐ場所のひとつとして顔を出してもらえたのなら、嗚呼、それはなんて―――。ザハールは考えるのを止めた。やや怒ったようなどすどすと足音を立てながら、ザハールは愛する妻の待つ家へと帰る。まるで、そんなの。ないったらないのだ。
「あらまあ、うふふ。あなたも素直ではありませんね。」たおやかに微笑みを浮かべたマルファの一言が、噓偽りのない翁のただ一つの心境であった。
スネージナヤ文学の人気作家・ザハール
小さな学舎の先生・マルファ
※子どもの家族
両親共通 :弱気(ちょっとのことでも怖がる)
子どもたち:強気(どうしたよ)