22.冬の執行官
かくして少年にとっては不本意な状況で帰国することとなり、さらには女性執行官の手から老人執行官の手へ渡ることとなった。
鳥の嘴のような大きい鼻。シルクハットを被った小柄な老紳士。
なんだか見覚えのある顔だな、と思わず見下ろせば、老人は長く尖った鼻先をつんとさせて部下へ指示を出す。「この少年を訓練してやってくれんかの。」 困惑をそのままに少年の身は兵舎へと預けられることとなり、心向くまま刃を揮って日々を過ごす。船上での少年の言動記録を見た結果であった。
スネージナヤの大きな街の市長―――「雄鶏」。彼は少年に一体何をさせるつもりなのだろう。ときおり顔を出す老紳士の周りをちょろちょろと辺りにつきまとっては兵舎へと転がされて、教育係ってなんなんだろう、と思った。確かに放ったらかしの退屈はつまらないけれど、今は刺激的な日々を約束してくれている。
デッドエージェントたちに混ざって勉強して来いとまず先にファデュイの団体に放り込まれはしたものの、そこで少年の闘志が爆発した。判断を見誤ったと言えるだろう。要するに、好きに戦えと差し出されたおもちゃを前に大はしゃぎしたのだ。
「つまらない闘い方はしないでくれよ!」
ぱしゃん、と水が弾けて剣をかたどる。
無邪気な子どもような少年の浮かべる笑みが実力差をただ叩きつけて末恐ろしさを感じさせ、地面に崩れ落ちたまま気を失った兵士たちは数知れず。度胸試しのように挑んでは安易に床へと転がったままひゅうひゅうと虫の息を繰り返す者が増えるばかりである。
退かし方は乱雑ではあったが、しかと場外に放りだされていて戦闘に巻き込むなんてことにはならないだろう。さりげない気遣いは執行官たちにはないもので、闘うたびに戦法が変わり、自分の戦術さえも我がものとしてもらえる高揚感は少年と対峙した者しか味わえぬ快感であった。
ここでは、新入りの洗礼として、先輩たちからの訓練が行われるはずだったのに。そうして洗礼を受けているのは、ベテランの兵士たちの方である。「何があったと言うのだ…。」 騒ぎを聞きつけて早足で駆けつけた上官は、ただの子どもに翻弄される兵士たちを見つめて呆然と言った。
記録係はあの子どもに骨の髄まで魅了されてしまったらしく、うっとりとした表情で報告を申し上げた。生意気なお子様は、執行官様が直々にスカウトした羨むべき地位に居られるお方である。誰もが立場を理解させるつもりで挑み、誰もが土台の位置を理解した。アレは、もうすでに一介の兵士でおさまるような器ではなかったのだ。我先にあのお方に挑むのは自分なのだと刃を揮う兵士たちを前に、少年は寛大な態度で水とともに踊った。
少年の前で転がったのは、最後まで立ちふさがり続けたデッドエージェントである。どしゃりと崩れ落ちた身体には限界だろうと、両手で球体を転がすようにコロコロと動かして。
「もう戦えない? 冗談は止してくれよ、ファデュイの兵士であるならまだ戦えるはずだ。さあ、俺をもっと楽しませて―――」
仕切り直そうと。転がったまま起き上がって来ない兵士たちを見渡した少年は、ぱちくりと深海のような瞳を瞬かせて首を捻る。死屍累々である。手合わせで子どもに転がされただけだろうに、どうしてまだ起き上がろうとしないのか。遊びだと思われているなら不快である。ぷんすこと憤慨しながら少年は腕を組んで立ち上がって来るのを待った。
だって、燃えるような戦いを、凍てつくような闘争を、体験させてくれると言ったのは彼らの方なのだから。ちゃんと責任もって、もっと戦ってくれなきゃ消化不良を起こしてしまう。「ね。」と少年が同意を求めたのは、すでに少年を心酔している記録係であった。戦えぬ身である彼へと刃を向けるわけにはいかないから、訓練用のナイフをしまって。
それを見た上官は、ううむ、と唸る。明らかに大人げないことをしたのは組織の兵士たちであると理解してしまったことや少年が己の実力で退けられることも判明し、兵士の言動に堪えた様子もなかったし、どう報告をあげるべきかと頭を悩ませた。
「だけど、此処が戦場なら君たちの命はなくなってるよ。訓練だからと言って、その場に居続けるのは危険な行為だ。分からないってことはないだろう?」
少年はスメールの死域を頭に浮かべながら言った。転がったままピクリとも動かない兵士たちを急かすように辺りを歩き回り、はた、と気づく。燃えるだのなんだとの言ってたし、もしかして燃え尽きてしまったのだろうか。
だから、燃えるなんて表現するべきではなかったのだと呆れて、手元の剣を弾けさせた。試しに近くの兵士を、つんつん、と指先で突く。呻き声は上がったが、それだけだ。
「………なーんだ、本当にもう動けなかったのか。じゃあ仕方ないな、俺は敗者に優しいからね。運んであげる。」
そこで力任せの戦闘に見えて、技術を求める戦闘スタイルであることが判明した。運ぶ、と言ってもズルズルと引きずるが正しかったからだ。記録係は自ら手を貸し、上司は別部隊の手を借り、医務室は混雑した。
ここのおじさんたちが相手してくれるから、好きに暴れて良し。そう言って子どもを置き去りにしてった市長の言葉を信じて大はしゃぎしまくったわけだが、最終的にその場に立つ者はもやは少年ただ一人となってしまった。教育係であるはずの「雄鶏」は他の仕事があるとかで、遊び相手をことごとく医務室に送り込んでしまって暇を持て余した。
あの女性や老人を見るからに、此処での少年は非力な子どもでしかないだろうから、頼れる武器や知識を増やす必要がある。戦場となるであろう地形の理解も深めておきたいところ。少年は許可を貰ってからスネージナヤパレスからの脱走を視野に入れて探検することにした。
少年にとって戦う舞台は、一つには留まらないことは船上で示したものだ。まずは相手の胃袋から確実に仕留める。愛する家族の為に磨き続けたのは、何も武芸だけではなかったのだ。
そうして作り上げたのが、焼き菓子で作った見事なスネージナヤパレスである。さくさく風味のタルト生地で土台を叩き上げ、上にはカスタードや生クリーム、蜂蜜や果物などをくっつけて組み立てたものではあったが、なかなかなものだろうと自画自賛する。シェフも造形もさることながら、雪国で採れる材料のみでの料理には拘りを感じると絶賛してくれたことだし、大満足。―――したところで、少年は現状を不服に思う。
「今日で、1ヶ月は経つんだけど……」
音沙汰無しってのはおかしくない? もうすぐ冒険者と旅立って1年になろうと言うのに、今頃なら璃月辺りで再び旅歩くはずだったのに。
スネージナヤパレスまで有無を言わさず連れて来られて、訓練場でドンパチやり合ってあらかた兵士を伸して倒して転がしたのは良かったけれども。何かよくわからないままキレイなお姉さんに礼儀作法を教わりながらお茶会して、暇を見つけてはスネージナヤパレスを歩き回る一日を過ごして、もう一ヶ月が経過したのだ。
訓練場に放り出されるだけ放り出されてほったらかし。どうにも少年に首輪をつけようとしているというのは分かったが、こんな餌で食らいつくほど安っぽくなった覚えはなかった。
それこそ、魂が震えるような血が沸き立ち肉が躍るそこでなければ厭だ。実行しなかったが、目に見えるものすべて壊してやろうかとたまに武器を手に城内を闊歩するぐらいにはストレスが積もりに積もって少年の心を荒らす。顔を会わせたら速攻で仕掛けてやる、それが少年の意志である。
「見つけたーっ!」
だからこそ、廊下でばったり顔を合わせた小さな老人の口に向かって、思いっきりショートケーキを投擲したのは無理からぬことである。
にっこり愛想よく笑って挨拶頭のとんでもオプション。あくまでも善意である。「評判だから、受け取ってくれよ!」 少年の腕力と技術が折り重なった奇跡の一球。見事な軌跡を描きながら、目的の口へと無事着地した。
そうしてモゴモゴと老人がショートケーキを咀嚼して美味と舌打つ前に、少年からの直球に投げられた追撃が炸裂した。「結局、俺ってどういう扱いなの!」「正直すまんかった!」 溜まりに溜まった不満の爆発とも言えたし、特に気にした様子のなかった少年からの、立場をはっきりさせろと言う正当な抗議であった。
「……で、俺ってどういう扱いになるわけ。
改まった態度を取るつもりは毛ほどもなかったから、少年は不遜な態度のままである。気を悪くした様子もなく、ショートケーキの山を築き上げられた中で老人は胸焼けすると顔を逸らした。
少年を飼おうとするならば、少年の家族を大切にすることは当然ながら、彼自身の欲求を満たす必要がある。つまりは、戦えればどこでもいいが、ちゃんと満足に戦える場所であるならばという前提があってこそ成り立つものだ。
此処はまるで子犬のように飼うことを目的としたような活動を求められるから、はっきり言って不愉快。愛玩動物などでおさまるように見えるなら、今すぐにでもそこかしこで暴れまわって引っ掻きまわしてやる。もう訓練場に来る兵士たちではもの足りなかったから、どうせ不敬だとかそんなので罰を与えるならもっと強者が居るような戦場に放り投げでもしてくれよ。素直にそんな不平不満をこぼした少年の姿は、誰がどう見ようとも恐れ知らずの猛者であった。
あっさりと戦えればどこでもいいと言ってのける豪胆さは、此処でやって行くには十分だろう。この子どもは、下位で遊ばせておくには有望すぎる戦士の発見であった。ならば、と雄鶏は試練を与えることにした。スネージナヤを騒がせる魔獣の討伐だ。
山ほど巨大であり、雪崩を起こして人里を恐怖と混乱に陥れる化け物のそれで。「そんなのあるなら早く教えてよ!」ぱあっと表情に花を咲かせて少年は老人執行官から地図と情報を受け取る。高揚から恋する少女のように頬を赤らめた少年は、嬉々として弓と槍をもってスネージナヤパレスから飛び出して行った。
遠くから子どもを監視する目があると指摘した瞬間のことだったから、自分の監視専門なら着いて来れないはずがない、という純粋な気持ちを爆発させた結果だろう。雄鶏にも分かった。
少年が帰還した頃に一応は確認の為に尋ねてみても、呆れたような表情でビシッと人の気配のある場所を指して言った。「あそこだろ。」知ってるよと薄く笑んだ瞳も正面で受けたし、ほったらかしにしてしまった時期も、そう言った素振りがあったと行動の報告だけは聞いていたので疑うべくもなかった。
「あー! 楽しかった!」
結果は、雄鶏の思った通りとなった。少年は血の雨を被りながら山のような身体を足蹴にし、ふわふわとした毛並みに手を突っ込んで丁寧な手つきでむしり取っている。手を触れた際にカッと見開かれた目はそのためだったかと雄鶏は納得した。
「これふわふわだから、コートに仕立てて女皇様にお供えする!」
一応は、ファデュイとしての初任務であったから、その記念と言うことなのだろう。ニッコニッコと上機嫌の笑みをその顔に乗せてデッドエージェントに手渡し、「淑女」から教わった店に送り付けてくれと願った。
ある程度の考える力はあるようだった。恭しく受け取られたことには一切の疑問はなく、自分は名前付きの兵士として抱えられる予定でもあるのかなと尋ねてくるのには雄鶏も満足である。
その功績を以てして、少年は氷の女皇の膝元に抱えられることとなった。最年少の執行官―――闘争に身を投じる少年は、子どもの名を持って冬の栄光を賜ることとなったのだ。