氷の国・スネージナヤの擁する組織。ファデュイ。
けれども、目立つのは侵略行為だからこそ、人々に疎まれるのだろう。もとをたどらなくても、名前だけで施設の運営する国は特定できるだろうに、人々はそれをしない。利用できるものが減るのは困るからなのだろう、と知ったのは執行官の側仕えとして仕事を見て回ったからだ。
ファデュイとしての仕事は基本的には新たな執行官「公子」が苦手とする、陰謀の類であった。各国に対し表では合法的に外交圧力をかけ、裏では傾国の策謀を巡らせる。二重の侵略行為を働く事実上の侵攻部隊。そんなことをするよりも武力で全てを圧してしまった方が何よりも闘争本能が掻き立てられるのに、知的生命体としてのポリシーがどうのこうのと「博士」も「富者」も生まれたばかりの執行官の言葉には取り合ってくれなかった。
少年が抱える実績のじの字は、すべて闘争に関係するものだからなのだろうか。ある意味では混沌を好むとも言えるから当然といえば当然なのだけれど、それでも少しは考える素振りを見せるべきだと思うのだ。
正攻法で勝つのが最高なのに、と言う少年の気質は組織では浮き浮きだった。交渉の余地もないとはこのこと。その代わりとばかりに、取り立てやら素材集めやらには駆り出してくれるから嬉々として刃を揮うけれども。「あーあ、つまんない!」 北国銀行を運営する執行官の側仕えとして働く日々は取り立て以外に楽しめるものがなかったから、不満をこぼした。
蹴りつけるように机の上へと乗せられた足に「富者」は穏やかな笑みをぴくりと動かし、冬国の子どもを見た。目が合う。しきりに「つまんない!」と駄々を捏ねるポーズは、地頭が悪くないと判明してから書類仕事を積極的に回すようになってからよく見かける行為である。
「仕方がありませんねぇ…。」
つまるところ、お行儀の悪い子どものコレは身体を動かしたいというアピールであり、最年少からの執行官たちへ向けられた分かりやすい”甘え”である。理解があるからこそ、見るからにわざとらしく肩をすくめた「富者」はゆったりと一枚の資料を取り出した。
机の上に乗せられたそれを足の隙間からちらと見やり、少年は深海をぱちくりとさせる。今から向かう水の国から受けた裁判の案内のようだ。
「近々フォンテーヌで部下の不手際を片付けねばならなくなってしまったのですが、―――これに出てみますか、公子。」
「ッ出る! 俺が出る、出る出る!」
執行官としての仕事を学ぶべく、先駆者であり出資者であるファトゥスからの手ほどきの途中の為、執行官たちに与えられた個室の一つ「富者」の部屋で絶賛お勉強の途中なのだ。
場所と資料の表題から言葉の意味を理解した少年の表情があからさまに華やぐ。机から成長期のおかげで一気にすらりと伸びた足を退けた少年は、ガタガタと音を立てて椅子から立ち上がり挙手をして主張した。素直な反応である。瞳こそは輝くことはなかったが、とても表情豊かだ。
流れる水のように、表情や歩みすらも同じところに留まらず。眩しいとすら思うそれは、はるか遠くの昔に先達の執行官たちが捨て去ったものである。無邪気に、無垢に、ただ執行官や氷の女皇を慕う姿は何の裏もなく、強者を求める心はまっすぐなものであった。少年が闘争ばかりに身を投じる部分以外でも異質、と言われる所以だろう。
だからこそ、執行官たちは公子の「戦わせてくれ」という欲求を思い思いの形で飲み込む。戦を前に大きな損害を与えることもあったが、ときにはそれ以上の利益を意図せず回収してくるのが、最年少にして執行官の座に就く「公子」なのである。
彼が与えた他国の被害は、「博士」や「富者」が積極的に外交を行える下拵え。北国にとっての恵み。「公子」自身もそれなりに学はあるのかして、独自の店を構えて図らずとも名誉挽回出来てしまうから外交官としては若くとも、「富者」視点では許容できる範疇にあった。
そのおかげで安心して外にも出せるし、愛する国内より未知の国外で遊ばせた方が、より自由な「公子」は喜び輝く。執行官たちの間では誰が一番「公子」が喜ぶような仕事を与えられるか密やかな遊びが生まれているのだが、本人のあずかり知らぬところ。
与えられたおもちゃ箱を開けるその瞬間を無邪気に待ちわびる姿は改めて見ると、確かに「公子」の名が相応しかろうと「富者」は少年が淹れてくれた紅茶を飲み干して仕事を託した。
こうして、ファデュイ最年少の執行官「公子」のしばらくの仕事は、フォンテーヌでの裁判劇となったのである。
―――…
水と共に生きるフォンテーヌ町並みの中は、からくり仕掛けの人形たちが踊る劇場のようなそれである。悲劇のようで、喜劇。喜劇のようで悲劇。まるで劇団の演目を眺めるかのような風景の中に、海の巨大な生き物は悠々と遊び渡った。
水の国の裁判で定められた代理決闘人制度というものは「公子」にとっての遊び場でしかない。彼が好む生死を別つそれから、劇場を好む人々の為の手遊びのようなそれまで、多岐に渡って戦法を変えて披露する。誰も彼もを魅了する闘う姿から始まり、数多の策を企業する期待の新星。冬の栄光なる執行官、その地位に座する新たなファデュイ幹部は「公子」と名乗った。
まるで子どものような青年だともっぱらの噂が立つほどに、水神が庇護する国の裁判で踊り闘う日々を大胆かつ快適に過ごして。彼は今ではすっかりフォンテーヌでのビッグスター。
裁判劇も大好評。執行官「公子」が出演する裁判のチケットは必ず完売するほどの人気を誇り、図らずともフォンテーヌから世界に向けて名を馳せることとなったのだ。
スネージナヤ国内に広げられた年齢不詳の”最年少”執行官。数百を優に生きる彼らからしてみれば、たとえ百であったとしても最年少となるのだろうけれど。しれっと言ってのけた「公子」にフォンテーヌでの実働部隊は恐々とした様子で最年少執行官を見た。
稲妻で誘拐の形をとって連れ去ったあの日より、ずっと立派に成長した青年の形をとる少年は、陰謀渦巻くファデュイという組織では物珍しく真っ向勝負事を好むままそこにある。
新兵がやるような借金の取り立てから地脈異常による魔物の騒動を沈めたり、フォンテーヌでの裁判でも変わらず無関係の相手のそれにすら嬉々として飛び込む姿は、実働隊の上官である執行官が言った通りの戦闘狂であった。下っ端の仕事もかっさらって踊る。「ぐずりだしたら手合わせしてやれ。」無慈悲にも執行官様から執行官様のお相手をしろと命令が組み込まれるほど彼は戦いに餓えた戦士であるようだというのに、己のことを「兄ちゃん」と自称する姿もしばしば見受けられる幼さは人間のそれであった。
人間味のあふれる普段の姿を見せる新たな執行官様は、兄ちゃんの名称も相応しく、とても面倒見が良い人でもあった。「氷の女皇陛下の膝元で、冬の花が咲けるように。」そんな真綿で包んだような真心を惜しげもなく忠誠心として晒すものだから、雪崩のようにどさどさと。
気づけば「公子」に感化されて熱を上げる兵士たちが続出した。そうだろうそうだろう。どんな時でも兵士として抱えてくれたのは氷の女皇陛下、ただおひとりであったことも、彼らがよく実感するところであるから加速する。氷の女皇様を称えるたび彼は名前通りの顔で笑った。
彼がぐずるよりも早く根をあげる部下たちの首を斬り飛ばすでもなく、理想的な仕事環境を築き上げて効率を良くした。何ならファンクラブ結成を許可したのが、さらに円滑な運営を結んだのだ。
―――…
急激に向けられた数多もの激重な忠誠心と信仰心にドキリとした冬の母は、無防備に己へと無垢な心を預ける冬の子どもの気配を感じて久しく笑みが乗った。
とうとうフォンテーヌでの商売すらも始めた「公子」の活動をどうするべきかと伺う「召使」に我が子同然の冬の生命を「公子」タルタリヤとして抱えたその日と変わらぬ言葉を告げる。好きにさせよ、その方があの子はより輝くのだから。
同意するように頷く「召使」は、もうとっくの昔にあの子の性質を理解しているようだった。そうだろうね、と同意する「散兵」は不思議ではあるのだけれど。
「それで、どうなさるおつもりです。」
それぞれの手元に束ねられた紙は、民からの嘆願書である。罪を軽くしてほしい、と言った内容であればこれほどまでに困惑することはなかったそれだ。
その問題の内容は「公子様の写真集販売許可」である。当の本人は、演劇の舞台を見るのも乗っかるのも好きなようで、そう言ったことは気にしないと「雄鶏」プルチネッラからの確かな情報があった。件のタルタリヤを除く執行官たちが集められた場では、嘆願書の内容に眉をしかめる者もいれば愉快気に瞳を細める者もいた。
研究のけの字も入らぬそれに興味なしと「博士」は立ち去ろうとして、合法的に写真から少年執行官のデータを引き抜くことが可能であると演算を前に停止する。
それを見た「散兵」は博士相手の販売を禁止するならと許容の態度を見せた。目に見える関わり方はしてこなかったが、タルタリヤの方も覚えていたようで少年が少年である頃に細々とした友好関係はあったのだ。あの子どもも火の粉を好む性質ではあるが、不明瞭なそれではない。わざわざあの子の故郷に行ってまで確認した甲斐があったと言うもの。余計なちょっかいを掛けられる前に火の粉をパッパッと払った。
思わぬ人物からの前向きな返答に驚きながらも、「淑女」と「召使」もほぼ同時に同意した。口で認めるのも癪だが、あの愛らしかった子どもは少しずつ成長を続けている。永遠より刹那を好むアレを残すなら、的確な媒体だろうと思ったからだ。
「ふむ、ではワシのコレクションの出番かな?」
おもむろに懐から本を取り出した市長は、嘆願書の隣にそっとそれを添えた。ただのマゴバカの顔をしてデレデレと法典のような本を。
おもむろに懐から本を取り出した市長は、嘆願書の隣にそっとそれを添えた。
表紙にはデカデカと写しとあるから原本ではないらしく、「雄鶏」はそれを時間をかけて焦らすように開きながら「散兵」を含めた前向きな執行官たちの視線を奪う。タルタリヤになる前からのアルバムである。
まあ、と女性たちは声をこぼす。スネージナヤ最高峰の権力の化身は許可書を引っ張り出して、金銭が絡むことだろうからと「富者」へと一任した。
「他の
「承知いたしました。」
これが現在の氷の国・スネージナヤの擁する組織。ファデュイ。
タルタリヤ本人が見たら何事だと大笑いしていたことだろう。残念なことに今は、フォンテーヌからの一時帰省から、直接スネージナヤ付近に出現した魔竜を倒しに遠征中の身だ。公務中に自分の話題で執行官たちが熱狂しているとは知らず、彼は任務に精を出した。
世話焼き爺さんの「雄鶏」市長が寄越した案内人。彼らが毎度のことながら記録係としてカメラを構える理由を、数年後に売り出された執行官特集の雑誌にて知ることとなるのは余談である。