26.仙人との契約
―――岩王帝君 誕生
事は魔神戦争以前まで遡る。今から約6000年以上も昔のこと。七神の中でも最古の一柱とされる岩の魔神モラクスが誕生した。
―――魔神戦争 以前
岩神モラクスと塵神帰終は同盟を結び、帰離集を共同統治した。
竈の魔神マルコシアスは幾千の小さな童子の姿に分かれて人々を助けながら細々と暮らしを支えてきた。一時の平穏はやがて荒れて行った魔神戦争の業火によって戦乱に飲まれる。帰離集は戦で燃え、塵神帰終が死亡。
この時の洪水により、琉璃百合はほとんど絶滅した。人々はモラクスに導かれて南下し、現在の璃月港へ移住することとなる。
「ううー……」
神代の出来事は想像しづらく、何なら実際に闘争の中へと身を投じたくなるようなことばかり。感想としてこぼすならば、創作物と歴史が混ざったような伝記だったと言える。
文章が堅苦しくて辞書かと叫びたくなった。途中まで読み込んだ本を、借りたものだから一応丁寧にぱたりと閉じて、タルタリヤは息をつく。予想以上に重々しくて、全身に降りかかるような疲労を感じて足を伸ばした。
自国の神様を称えたいのは分かるけれど、永遠とガンオーテークンバンザーイのような内容だったのだ。なんか、初めて食べるものでちょっと美味しいと思うよりも早く、同じものを永遠と善意でお代わりさせられ続けているような、そんなものである。分かりにくいかもしれないが、つまるところ胸焼けしそうなほど満腹。これなら気持ちを理解してもらえることだろう。
スケジュール調整をしてもらったけれど、事務作業は苦手なのだ。力量を見誤ったつもりはなかったが、疲労を感じるということは予定を詰め込み過ぎたかもしれない。
それに、―――この本。そこまで璃月の神様に思い入れがあるわけではないから、ものすごく疲れてしまった。
しかし、戦士としての矜持がまだ見ぬそれと戦えと吠える。戦う前から逃げるのは敵わぬ相手と判じていない以上、なおのこと、挑むべきだと。本が相手ならば、著者こそがボスだ。読み切ってこそ倒しきったと言えるだろう。
そう考えるとこのまま読まずに置いておくという選択肢は、タルタリヤにはなかった。筆者へ挑む気持ちで、本を読み切ってしまおう。これもまた戦いの一つなのだ。
にしても、辞典のような伝記で璃月の人たちはよく飽きず内容を暗記するほど読み込めるよね。タルタリヤは謎の感心を抱く。
そこまでのめり込む必要性はこれっぽっちもないが、最後までコレ読み進められるようなコツとか場所とかないのだろうか。あれば伝授してほしいものである。あ、でも、母国の本だったら読み進めるの楽しいかも。モデルになったであろう場所もある程度は予想できるし、と。
ふと考え込み、自分の愛読した―――と言うよりも父の愛読書をさんざ読み聞かせてもらった本を思い出す。自分たちも自国のことであれば多少なりとも理解があるからよくよく英雄譚とか読むよなと考え直した。対象への理解や認識の有無は大いに関係あるはずだ。
だけど、書類仕事のあとにこうも座学ばかりではつまらなくなってきた。戦士としての本分が、戦いを求めてくすぶり始めたのも事実なので。
それだけで見識が変わると聞くし、実際に璃月の土地を巡りながら読んでみるのはどうだろう。実際の場所に足を運びながらの黙読であれば、雰囲気もあって没入感も出てきそうだった。
そうだ、帰離原と言えば望舒旅館が近くにあっただろうか。懐から折りたたみ式の小さな地図を取り出して確認する。「帰離原……帰離原……。」 指でなぞるように滑らせて、一点で止めた。これなら望舒旅館からでも一望できそうな距離感である。
それなら、次の公休日にでも足を運んでみるとしようかな。舞台を俯瞰して見えるのは、大きな収穫である。民衆が語り尽くせるほどの人気ある伝記と言うし、観光客用のパンフレットなんかもありそうだから、より捗るはずだ。
タルタリヤのお休みはそれなりに多く盛られたし…。討伐系統をせっせとぶん取ってくものだから千岩軍の仕事をかっぱらってしまったことには本人は気づかぬまま。基本的な問題は、璃月港お抱えの軍が対応するからファデュイは璃月港郊外の治安向上を図ってくれと体よく部隊を外へ追い出されたのは記憶に新しく、現在璃月港に残ったファデュイの兵士たちは北国銀行勤務の者たちだけである。追加で色々と探索を命じられるから逆に幸運と言えば幸運ではあるのだけれど、ああもあからさまな態度を取られて気分がいいはずもなかった。
親しくなった兵士だって居たのに、と拗ねたポーズをとったのも最初だけである。一ヶ月も経てば璃月港の歴史を調べる程度の仕事を進め始めた。暇だから観光したくて、と言えば相手も断れなかったようだ。
「もし、そこな青年。岩王帝君が好きなのか?」
(……そもそも神の心って何?)
そこからの問題なのだが、神の力の塊のようなものだとざっくばらんとした回答を雄鶏から受けて、宇宙に打ち上げられた公子になった。ナニソレ…? あの人たまに大雑把な説明になるんだけど…。言葉の意味を汲み取りきれなかった問題点はさておきとして、公子タルタリヤは神の関心を惹けば機会は訪れると睨んだのだ。
神の関心―――璃月港の神モラクスの、最も関心を惹くものと言えば、すなわち璃月港のことである。当たり前すぎるそれだが、外部からの風を悪いようには捉えていないようだった。今までの傾向から、否定的な態度をとられたことはかつての侵略ぐらいだろう。外部からの刺激ならば大の得意である。
「ふむ、聞こえていないのか…?」
そこを突かせてもらおうと方針を絞り、公子タルタリヤは岩神モラクスの趣向を知るための勉強としてそれを読んでいたが、決して愛読書というわけではなかった。
このようなお決まりの文句を聴くのが嫌だったからスルーしたかったのだが、どうにも今回の相手は諦めが悪すぎる。きっとタルタリヤが反応するまで居座り続けるのだろう。休暇中に闘争以外の面倒事は嫌だけれど、仕方なしに振り返った。
「……何か俺に用かな。迷子? それとも盗難事件に遭った? 軍の屯所はあちらだよ。」
如何にも品の良い男が居た。どこのお偉いだ。こんなの、前に参加した会食に居たっけ。地図を再び折りたたんで、タルタリヤは見るからに品の良さそうな男へと言った。盗難事件に遭ったわりには身綺麗だったから、おそらくは大きな迷子だろう。
所謂、お金持ちたちが暮らす場所の人だろうかと視線を走らせて、護衛の類が一切不在であることに気づく。彼の側には誰もいなかった。しまったな、面倒事のほうか。戦えるなら歓迎なのに、安全に隠れ忍んで連れ帰れとかそういうの? 娯楽を求めて家から逃げ出すとかもう何軒目になるだろう。璃月港のお金持ちって暇人が多すぎるのではないだろうか。
千岩軍も嫌がらせなのか、護衛任務ばかりを回してくるから。少々胡乱な目つきになりそうになった自覚のあるタルタリヤは表情にやや意識して、被ってにこりとした。
「うむ、ファデュイの公子殿に話がある。取り次いでくれ。」
「正気?」
結果:相手の正気を疑うこととなった。
ところで、璃月港でファデュイ執行官・公子タルタリヤが滞在する為の条件についてなのだが、これは衝突を避ける為にも民間人たちにも一般公開されてあるものだった。
公子へのアポイントメントや連絡などは直下の側近であるエカテリーナか、北国銀行のマネジメントを担当するアンドレイを通して行われることもまた、同じほどに浸透したはずである。そのおかげで、青年の形をした執行官相手ならばどうとでも出来ると勘違いしてくれた人たちからのトップを呼び出せという類の楽しい面倒事も舞い込んでくるほどだ。
なので、男のように直球で相手を指定してくるのは初めてのことだった。しかも、闘争を好む噂が璃月港中に響き渡る「公子」への取り次ぎだなんて。
戦ってくれるならすぐさま話し合いの席を設けたのに、今まで通り言葉の駆け引きとやらをしなくてはならないのだろう。
相手を転がしているようで相手に転がされ、血が沸き立つような感覚はなくとも肉が踊るような感触がなくても、ある意味では口上の戦う場となる。ひとたびその場へ上がったのなら、最後まで戦えと奮い立たせて男を見た。イヤだけど。
「……手合わせ? それとも暗殺? 戦いの場であれば喜んで応じるだろう。それで、ファデュイの
「俺はただの凡人だ。戦わない。それに、白昼堂々とこのような人通りの多いところで暗殺などと口にする者は居ないだろう。あえて言うなら、交渉の類だ。」
そして、男をよく見てみた。一見、品の良そうな男に見えるが、鍛え抜かれた武人であることがよく分かる。音を最小限に消した足運び。佇まいは一本の槍のように凛としていて、何よりも存在感に迫力があった。凡人の看板を頑張って身につけた只者ではなさそうな気配。それ以前に、己を凡人だと称しながらも、冬の栄光なる執行官を相手に
隠すつもりはまったくないが、此処では話せないようなことを公子へと持ってきたという。口頭での情報と身体が訴える事実への、あまりにも大きな食い違いには、いっそのこと笑えた。―――それとも、それこそがフェイク? この男と軽くでも刃を交えられないのが、きっと心が躍るような一戦になるだろうにとても残念でならなかった。
お前では相手にならんから上を呼べと言えばよかったのに、丁寧に待つ姿勢なのか青年の正体に気づいているのか、涼しげな眼差しは全てお見通しと言わんばかりだ。
「……うん、」
とん、と伝記で肩を軽く叩き、タルタリヤはちょっと乱暴に交渉の場を設けることにした。
この奇妙な男のことが知りたい。あわよくば闘いたい。でも頭を使った会話は苦手だから逃げられるかもしれないし、そうなったら消耗した時間に対する元が取れないからぶった切る為の道も用意しておく。
この後には別の商談があるから、名も知れぬ男に取れる時間はたったの数分であると前提条件を開示して。
―――…
少年のような上司の自由な仕事ぶりには慣れたエカテリーナは、休暇中であるはずの上司とアポイントのない訪問者を目にするや否や、速やかに応接室を準備して案内する。
褒めるように細まった昏い深海が彼女にとっての褒美なので、お茶とお茶菓子のほかには必要だろうからとメモ書きの為の白紙やペンまでもをトレーに置き添えた。
「お疲れ様。」
彼女はそのまま応接室から退室する。重要な相談だからと言われてのこと。何処か楽し気に見てくる上司の瞳はエカテリーナが望んだ形となるから、それだけで十分だった。
部下たちが離れたことを確認したタルタリヤは、男を見る。湯気がくゆる茶器を手に取り、ふわりと香りを堪能する男はなかなかに要件を話し出さず、暇を持て余してお茶菓子に手を伸ばした。今回はアンドレイが取り寄せてくれた桃饅頭だ。モチモチしてる。
ようやく話し出した件の男は、すこし考える素振りをしてから「
そして切り出された本題とは、ファデュイが愛する氷神との「契約」に則り、彼女の部下であるタルタリヤからの助力を願う旨だった。契約の内容は知らないが、彼女の
「具体案は?」
「こちらに。」
一枚の用紙にまとめられた簡潔なあらすじは、目の前の男の正体をついでとばかりに仄めかしたので何とも言えない表情をしてタルタリヤは男を見た。璃月の凡人のレベルが分からなかったが、少なくとも目の前の人物のそれは逸脱したものだろう。「えぇ……。」 この非凡人丸出しの状態で、凡人を自称するような男が、スネージナヤが愛する氷のお方と同席に腰掛けるような存在だとは思うはずもなく、正しくタルタリヤは男の正体を誤ったまま認識した。
なんかスッゴイ立場に居る”せんにん”ってやつなんだ、へえー、である。彼の中の仙人像は、璃月を駆け回る一陣の風のような少年だった。彼の上官に当たるんだろうか。ふーんとしたタルタリヤの心情を知ってか知らずか。男は微笑みを浮かべて冬の子どもを見つめてくるものだから、脱力して証拠隠滅のために資料は燃やすことにした。
それなりに態度を改めようかとも考えたが、一応彼なりの作戦で凡人像を装っているつもりのようなので沈黙しておく。変に改まったら勘ぐられてしまうだろうから。
こうして、実にあっけなく、男の計画に協力する契約は結ばれた。―――のだが、終始、男の行動を観察してしまったタルタリヤは頭を抱える。
「どうかしたのか、公子殿。」
「ああ、えっと……」
今日の相談は、神と女皇様の手足である公子の間に契約を結ぶこと。
それだけで終わってしまっては、今後の関係性にボロが出るのは素人目にも見て分かることだった。契約完了と同時に立ち去ろうとした男の腕を掴み、凡人のワードを強調しながら食事に誘わざるを得ない。アフターフォロー、というわけではないが、とかく凡人離れした男へのフォローであった。
今後も関係を続けましょうって意味だったり、単純に友人との交流だったり、凡人ってのはそんなこともするものだと。計画に関わる部分が如何ほどかは不明瞭ではあるが、凡人として男が暮らせる程度にはレベルを引っ張り上げてあげるべきだろう。
これでは男が、と言うよりも、周囲が可哀想である。ナイフのなの字も知らぬような赤ん坊に槍を持たせて戦場に立たせてるようなものなのだ。
ちなみに、ここで言う赤ん坊が周囲のことであり、槍と戦場が男のことであった。タルタリヤが好むような雰囲気をまとった男と言えば、より一層分かりやすいかもしれない。
テウセル、兄ちゃん頑張って大きな子どもを一般人になるまで引っ張り上げるよ。その手紙を書き記してしまってはまずいだろうから、成人男性のポンコツ観察日記―――…それもどうなんだ。面白そうな話題があれば、それを家族の手紙のネタにしようと思った。
※公子
→岩国の建国に携わったことのある歴史ある偉い仙人。
※男
→にこり。