個室を借りて食事をしながら、タルタリヤは凡人の生活を、鍾離は璃月の歴史を、それぞれ語って有意義な時間を過ごした。
璃月はテイワットに存在する七国のうちの一つで、岩神モラクス。璃月港で呼び親しまれる名で示すなら、岩王帝君が統治する岩の国のことをさす。
そんな璃月の南西部に位置する璃月港はテイワット最大の貿易港で商業の中心地。タルタリヤの故郷であるスネージナヤから水のフォンテーヌ、火のナタなど有名どころから無名のところまで、その他で言えば鎖国中の稲妻も取引を有するような場所であることは、周知の事実であった。
数千年もの歴史を持つ栄えた国ではあるのだが、元々は妖魔や疫病が蔓延し混沌とした土地でもあって、岩王帝君をはじめとして仙人や夜叉達が魔と戦って璃月を庇護する。彼らの庇護下で人々が歴史を築き上げ、璃月は今に至った。
現在の璃月は岩王帝君の庇護の下「璃月七星」が統治しており、璃月七星とは、璃月の政治を担当する七人の大商人のことを指すのだとか。
「先日、公子殿が会食で言葉を交わした銀髪の女性―――天権もその一人だ。」
「……へえ。」
生返事で相槌を打つ。うっかり力を入れ過ぎて握りつぶしそうなので、神経のほとんどを指先に寄せる。ぷるぷると震える箸先でもたつくこと三分。
格闘の末、ようやくのことである。かたく揚げられた豆腐を摘まめて表情が華やぐ。「先生っ」 弾んだ声で男を呼ぶ。正式に関係を結ぶために、公子タルタリヤの顧問として会食しながら璃月のことを教わる家庭教師のような雇用契約を結んだのだ。
「先生、できた!」
「上手だぞ、公子殿。」
親子のような微笑ましいやり取りだが、どちらも成人した男性である。ぐっと体の方へ寄せるのは諦めたらしく、少し身体を傾けてぱくりと一口。
ちょっと冷めてしまったけれど、ダシが凝縮されたことで濃厚な味わいになっている。大格闘の後の食事ほど、美味なものはなかった。ウマそうに食うあんちゃんだ。タルタリヤの表情こそが、料理人たちにとっての報酬である。不慣れな箸を使っての食事だから礼儀作法には目をつむった。美味しく食べてもらえるならそれでよいという方針の料理人だからだ。
良い店を選んだとそれぞれが気配を感じ取り、タルタリヤは無邪気に箸を鳴らした。行儀として璃月ではあまり好まれていないとやんわり指摘すると、ピタリと音が止む。
「そうなんだ、ごめんね先生。」
「知らなかったのだろう。次から気をつければいい。」
「うん、ありがと。……えーっと、次は」
年齢相応の顔をして、ころんと当たり前のように謝った。タルタリヤは箸を止めたまま、ちらちらと皿を見るものだから男は小皿を運んでやる。
「こちらの料理もお勧めだぞ、公子殿。」
「ふうん? それなら、次はマメが相手だ。」
「うむ、頑張るといい。」
こうした子どものような素直さを見せてくれるファデュイの青年のことを料理人たちはそれなりに気に掛ける始めた。ぐぐっとぎこちなく広げられた箸の先には、豆料理がある。我が子の成長を見守るようにハラハラとした気配を感じながら、タルタリヤ(の箸)は出陣した。
その合間も、往生堂の客卿としての地位を紹介してきた鍾離先生からの雑談は止まらない。正直手元が狂ってしまいそうで話しかけてくるのは止めてほしかった。
しかし、鍾離先生が語る内容の精度はどれもこれも為になるような日常会話のため、止めてしまうのはもったいないということで、タルタリヤは豪華なバックミュージックを聞き流しながら格闘を続けるのであった。
―――…
璃月七星は「璃月常務議事委員会」のこと。璃月の政治を担当する七人の大商人のことを指す。と記憶しておけば大丈夫だろうか。
天権は法律の解釈と補充を担当で、玉衡は土地や建設に関する仕事と民の生活の管理を担当、天枢はほとんど公には出ず、背後で策を考える裏方。タルタリヤが集めた中で現在、表立って顔が分かるのはこの三人程度。もっと調べたり、ちゃんと顔を合わせる機会を作ればすぐに分かることだろうけれど、簡単に手に入れてしまってはつまらないからそんなことはしなかった。
その他では、そう、目立った建物の紹介を受けたのだったか。お箸との大格闘のおかげでどことなく右から左へと受け流してしまった部分もあるが、聞き心地の良いバックミュージックはタルタリヤが食事処から北国銀行のオフィスに帰還した今でも聞こえてくるような気がした。
公平な契約を結ぶためにも、まずは璃月について知ってもらわねばならない。というのが、生きる璃月字引の掲げるポリシーのようだったから。
彼から璃月のことを教わるのはフェアになる為の下準備。実際にどのように動けば、氷の女皇様からの命令を完遂できるのか設計図を書き記せるようになりつつある。
顔を合わせて食事をするたびに永遠と璃月語りが続くけれども、読書でじっとり腰を据えて文字を追わずに済むのだから悪いことではなかった。読書は好きではあるのだけれど、それ以上に闘争が好きなので。
タルタリヤの感覚的に、おそらくは岩神直属の
今まではおんぶにだっこ状態だったのに、急にひとりで立てと言われた赤ん坊のようだ。ファデュイで愛する氷の女皇様からそんな試練を与えられたら、真っ先に泣き出しそうな部署を頭に浮かべて唸る。
そして不意に、信頼のできる、もしくは、契約を結んだ相手にはせめてぼんやりとでも伝えておくのが筋ってものではないだろうかと思った。神様ならば置き去りにされた側の抱える気持ちは分からないはずがないだろうに。―――それとも見送ったからと他人事なのだろうか。
今はもう神々が死闘を繰り広げた戦の時代ではないのだし、不慮の事故とかなんとかも起きるはずもないし、起きたとしても神がダメなら人間なんてちっぽけなのだからどうこうしようとしたとてもっとダメだし、もうフツーに、平穏に譲り渡すとかではダメなんだろうか。ああ、でも、今まで守られてばかりの子を外敵ばかりの場所に置き去りにするのなら実績がなきゃ不安かも。
だとしたら、コレは、岩の神が人間に下す譲り渡すための審判―――のつもりなのだろう。やり方は気に入らないけど契約もある。矜持にかけて、協力だけはちゃんとしよう。
まさか、これが彼から民へ与えてやれる最期の抜き打ちテストだから―――なんてことはないだろうな。頭にぽわんと風をまとう夜叉の友人が浮かぶ。
伝書鳩の役目を果たしてくれる鍾離先生には悪いとは思うけれど、仙人仲間ですら欺けと言うのだから、同胞である仙人は岩神も直下の眷族を名乗る鍾離先生とかもまとめて一緒に怒ってもいいと思う。知ってて知らん顔して、お前たちなら大丈夫だろうなんて言われてるんだから。
タルタリヤのそれを散兵が聞けば、それこそが凡人の考えだと吐き捨てるような思考であった。あんな唯我独尊的な存在に凡人のような情を抱けと言う方が無理である。
全てが己の思うがままである神だからこそ、アレらは好き勝手にするのだと。
―――…
そうして璃月のことを学びながら日々を過ごし、一定の計画が出来上がるたびに契約者のもとへ赴き、相談を重ねること数ヶ月。
あれもダメ。これもダメ。それもダメ。自立を促すならもっとちゃんと叩き落すべきだろうに、強固な契約で雁字搦めにして庇護する国のカミサマは、どうにも過保護が過ぎると唸った。
未だ仙人である鍾離先生をも満足のいくレベルの計画書は出来上がっておらず、当の契約者代理からは内容の取り決めどころの問題ではないレベルの他人任せの丸投げで無自覚な煽りと労わりのコンボを叩き出していた。人間歴0歳児に、猛烈に、あおられている、と感じる程度には凡人の情緒も風情もない。イラッとした。
憤慨した公子は颯爽と内部のものとあわせて外部のお仕事に勤しんでいたのだが、少々タイミングとめぐり合わせが悪かったようだ。倒したばかりの遺跡守衛から離れてすぐ。
タルタリヤの手から滑り落ちた弓が、からん、と虚しく音を立てて大理石に転がる。指先はかろうじて折り曲げられるが、如何せん力が入らなかった。
「あー、……ハー、そうなるよね。」
冷静に今日はもう活動できそうもないと判断し、「淑女」から貰ったそれを指に引っ掛けるようにして拾い上げる。
今日は「博士」からの指示で、部下たちにも「公子」が服毒した日が分かるように服毒初日から完治するまで扱う武器を変える取り決めがあった。そんなものほどさっさと終わらせたくなるもので、モンド行の淑女から武器と一緒に薬を受け取ったタルタリヤは早々に装備交換。すなわち、服毒したのだ。
場合によっては、元素力―――人によっては魔力と呼ぶそれが馴染んだ愛用武器が肩代わりをしようとする研究結果も、公子のカルテに記録されてたので、現在タルタリヤの手元に輝くのは愛しき冬の白銀ではない。ちなみに、武器を交換する理由としては二つあり、一つは武器が肩代わりをしたという研究データは今のところタルタリヤのみで薬の成分を武器に取られないようにする為であり、もう一つはそれも含めてのカルテを期待されてのことである。
その為、執行官の中でも公子だけはこういった試薬日が定期的に設けられていた。イライラしてたし、耐性つけるためにわざわざ服毒したり、苦しんでるとこかまけて裏切り者を処理しろって辞令を出されたりとで、嫌な仕事ばかりで溜息が出る。あー、やだやだ。
薬物との反発をあまり呼ばない素材で作られた弓の状態を確認するだけでも、それなりに丈夫であることが分かる。大理石相手に傷一つ付いておらず、通りで遺跡守衛を弓でぶん殴っても壊れないわけだと強度に納得して、タルタリヤは遺跡の入り口まで戻って解毒の入った瓶を飲み干した。
「っはぁ……」
幾ら人間離れした戦場の覇者・
忘れられてしまっては困る。平常数値から底辺数値を叩き出しかけた計りを「博士」の部下へと投げ渡し、くすぶる苛立ちのまま暴れる前に撤退を命じた。「遺跡守衛の殲滅依頼もあったはずだ。」 それとも工場だったかな。
執行官の苛立ちを前に悲鳴を飲み込みながら逃げ出すように駆けて行った白衣は戦士ではなかったから、謀反を企てた科学者も含めてそれとなく見逃しておく。
此処で
とは言え、ついでとばかりにタルタリヤのことを同胞たちへの篩にしないでほしいものである。人外ばかりの執行官の中で唯一純粋な人間。なので、ひときわ目立って言いたかないが、弱いのである。耐性的な意味で。
流石に身体の内部までは鍛えられないから、こうして服毒して耐性を付けているのだけれども、その度に粛清の対象を引くほど割り出されると微妙な気持ちになるのは無理からぬこと。如何に肉体や精神が強靭な武人だからと言っても限度があるというものだ。
祖国の裏切り者をあぶりだすためであれば一応は従うけれど、スネージナヤの公子は他の執行官たちと比較してもかなり甘い考えの持ち主である。
同じ志をもって属する仲間を疑うこともタルタリヤには理解できない領分の考えであった。そこに対して、概念をぶっ壊すように裏切り者は存在すると明確にして始末させる行為の強制。
それでも公子の在り方は変わらなかったが、面倒になって他の執行官たちの部下を狩り出す戦闘狂の面を晒して、とある大貴族の豪邸を爆破した。大爆発である。
氷の女皇様曰く、”やんちゃな結果”を残したのは永きを生きる彼らの記憶に真新しく、冬の空に大輪の花火―――ではなく、邪眼による暴走で火花を散らしたのだ。百の単位で年の離れた大人である執行官たちは、最年少の取った大胆過ぎる行動に絶句した。
裏切り者を始末させる行為自体は効率を求めたそれではなく、踏み絵のようなもの。目の前の離反者と違ってお前はファデュイであるのか、という問いであると知ったのはずいぶん後になってからだった。雄鶏から教わったそのシステムには裏切りの心配なしと判じられたのだろうと理解はしたけど、味を占めた公子による裏切り者は全部ドッカンしちゃおう乱舞は止めなかった。
だって、本気で戦っちゃダメなら仕掛けるしかないだろう。というのが、当時より今現在も継続中の公子タルタリヤの考えである。
闘争を好む公子は大胆に、どうせなら真っ向から勝負を吹っ掛けろよと言ってのけ、大きな市の長を背負う雄鶏は頭を抱える。新たな問題の火種が見えたからだ。
富者は笑顔で裏切り者の一家から財産を徴収した。召使は孤児を抱え、元凶である公子は満面の笑顔であった。「あー! すっきりした!」それは執行官なり立てだった頃の話である。
以降、好き勝手に暴れさせては裏切り者から情報を集めきる前に全て爆破されると認識が執行官たちの間で広がり、唯一の人間であるという事実をファデュイという組織での特異性として利用することとなったのだ。
つまり、今の状況は自業自得の状態―――ではあるのだけれど、毒で弱ったところに仲間の裏切りとか発覚させなくても良くない? ダイレクトに戦う場をくれと声高に叫びたかった。
好き勝手なタイミングで博士から次が届くまでに最悪な体調でも通常通りの動きが出来るように鍛えておかなければ、また戦う場をやすやす取り逃してしまう。そのためにも、とタルタリヤは指先に力を込めてゆっくりと体を動かした。
「……うん、」
ある程度は動けるようになったことを確認し、飲み干した瓶のラベルを確かめる。見覚えのない名前のそれが、とにかくタルタリヤの持つ耐性と合わないのだろう。耐性つけるつけない以前に、致命的に相性最悪の場合もあるからこうした内容の分別は大事なことだった。
研究大好きな博士のことだから、すぐさま意図を理解して了承してくれるはず。幾つかの名前を簡易カルテに記載し、伝書鳩の足に結ぶ。現在「博士」は研究者やら科学者やらが多く存在するスメール辺りでぶらぶらしているらしいから、どちらの要件もすぐに届くことだろう。
如何なる場面でも戦えるようにするべく服毒期間のスパンを短く設定し、あえて、不調な状態が継続できるようにするのだ。だって、如何なる場面でも戦士として万全を保ててこそ、でしょ。