31.大胆な呼び出し
あはは、と笑って新しく岩の国で撮影したばかりの雑誌もついでに机の上で広げる。乱暴な手つきでありながら、雑誌によれた様子はなかった。器用なものだ。
雑誌をめくって中を読み込んでみると、冬の彗星とデカデカと一面を飾る文字のほかには、岩の国ならではの味を感じさせる短剣を巧みに操り魔獣を倒す公子の姿がある。ファデュイの人気はうなぎ登り、公子の人気は絶賛滝登り中であった。
鍾離は短剣のお礼にそんな雑誌を無料で受け取ることになっており、公子様の一ファンである堂主からの視線がちくちくと刺さった。目利きゆえに、経費でバンバン骨董品を競り落とす鍾離を従業員に抱える身としては、一ファンとしての気持ちと同列にモラの気配にも敏感である。余計に目が座ろうと言うもの。
ファデュイ兵士を優先的に販売が行われる雑誌の、スネージナヤ国民以外の一般人による獲得率は10%とも満たない。その上、「本人のお手付きだなんてプレミアムものだよぅ!」 言い方はともかく、本人が触れた雑誌ともなれば、一定の層の人たちがざわつくものなのだ。
雑誌の短剣を投擲しているページをとんとん、と軽く指先で叩き、タルタリヤは笑った。使い勝手も良かったし、デザインも良かったし、氷の女皇様からも好評なのだと上機嫌である。
「ちゃんと持ち歩くようにしてるよ、ほら。」
だから、と言ってぺらりと軽く捲ったのは上着の前側である。普段から白刃のような腹をちらつかせるそこを持ち上げ、上着の裏側を見せて差し込んだ短剣の存在を主張した。
暑かったから着崩して、そこから風が入り込んでくるのが涼しかったからそのままにしてあったのだが、これがまた、タルタリヤにとっては短剣の隠し場所として良いところだったのだ。取り出しやすさのあまり短剣もこの恰好も重宝しており、この間はある程度シャツの動きを止めるためにベルトを新調したのだと世間話を一つした。
そうして、不機嫌丸出しだった表情が一変したところで、気持ちの切り替えが出来たのだろう。緊急の呼び出しを食らったはずのタルタリヤは、ようやくのことで本題を尋ねる。
「それで、お嬢さんは何か用だったのかな?」
「あ! 公子さんにまたお願いしたくてお呼びしたんでした!」
だろうね、とタルタリヤは微笑みのまま首肯する。わざわざ公子としての職務中に、緊急事態だとアクシデントを起こすぐらいなのだから。
あのですね、と手を擦り合わせながら往生堂の少女は用事を語った。―――けれど、聞けば聞くほど、その事情に対して本当に
ああやって緊急事態だと言って、あんなふうに目立つような呼び出し方をするまでではなかったような気がする。次第に微笑みを引きつらせながら、最後まで堂主の言葉を聞くと、無関係とまでにはいかないということが分かった。
事の発端は、タルタリヤと往生堂の初共同任務―――夢死の秘境を壊してから数日を経て、彼女のもとへ一通の手紙が届けられたことにある。
黒門を破壊による解決に導いた一行に依頼が舞い込んだのだ。往生堂の中ではさほど珍しくはなく、それは何の変哲もない日常の一つ。手紙を受け取った現地への調査は、いつものように往生堂の渡し守が行くことになった。先んじて調査を重ね、適切な対応を堂主に求めるための工程だ。
そして数日を経て、再び往生堂へと手紙が届けられた。今度はその渡し守からの手紙で、内容は任せられた仕事が長引くから帰るのが遅くなる、と言った旨である。
名前と印鑑がなく、宛名もないそれは、葬儀屋として、埋葬や火葬の準備をするのが仕事である渡し守の女性の執筆だった。
「普通のことじゃない?」
任された仕事が期日までに間に合いそうになかったら、ちゃんとお知らせするところは好感が持てるし、何よりも記されているのが彼女の文字であるならば拉致などの事件性は感じない。こういうオシゴトなので、と彼女は苦虫を嚙み潰したような表情で唸る。普通なのでは、と感覚に、けれども堂主は肩を落とした。
スネージナヤの、ファデュイの仕事でも似たように一筆をしたためるときには名前も印鑑も、身元を証明するあらゆるものを削り落として必要事項だけを報告に上げる。
璃月でそんなことをするとは予想外だったけれども、ない手法、というわけではないのだ。むしろ個人情報保護の観点からしてみれば、推奨されるべきだと故郷の組織では取るべき手法として浸透しつつある。逆恨みでなくとも、ファデュイというだけで負の対象となるから。
けれども、自分だけでも名前も、自分をイメージとしたくじら印を押すのも、「どうぞ俺のところまで闘いに来てくれよ。」という意志の表れとして、公子タルタリヤはそれを良しとした。
「うんうん、そうなんですよね。それが、彼女の名前で、私の名前付きで、印鑑も往生堂の従業員のものであればカンペキだったんです。」
「なんだ、璃月ではやっぱりそれが主流なんだ。」
「ですです~。」
ひとまず本人かどうかを確認するために、そう言えば、冒険者の一人が山奥の村の出身で。遺品の整理などを任せるついでに、ご家族へのお知らせも頼んだのだったと営業活動の間に思い出した堂主は、それに了承の返信と手は十分かと尋ねる手紙を出した。
「本人かどうかって普通に会いに行けばいいだけじゃないか? どうしてそんな回りくどいことをしてまで確認するの。」
「それがですねー……。相手がただの人間なら何の問題もないんですけど、”もしも”のことがあれば私たちの管轄に―――つまり責任も私たちが受け持つことになるんです。」
「ああ、”もしも”の為にってことか。」
異形、怪異が関係なかった場合の責任は、依頼者および千岩軍が請け負う。一般的であり、日常の当たり前の中での異変であるからだ。
反対に、胡桃が境目を線引き、あやふやなものを夢物語と押しのける世界が関わるものについては、責任を持って夢物語のままにさせなくてはならない。―――そこの責任の問答は、すでに依頼開始からあるのだ。下手をうって、負わなくても良いものを負いたくないというのは理解できる。
「それで? 俺に声を掛けて来たってことは、人間相手じゃないってこと?」
「可能性としては、最も高いんですよね~……。」
裏付けるように、身の内側で同意するようにヒトならざる者に名を教えてはいけないよ、と囁く声がした。言い聞かせるような声だ。
タルタリヤは納得する。「往生堂の出番ってこと?」 でもそれなら何故、部外者であるファデュイの執行官を呼びつけるなんてことになるのだろうか。ファデュイを相手に内情を知られることはもちろん、目に見えるような貸しを作ることだって、むしろ璃月人である彼女たちにとっては不利益になるはずだ。
それが分からぬ彼女ではなかろうに。不思議で首を捻るタルタリヤの意見は、それがまさしく組織の幹部に座するものでなければ素直に頷けるものだった。
策略は苦手と自称する通りのようで、裏表なくあっけらかんと疑問をぶつけるスタイルは今までのファデュイにはないものである。
それにしかと「そうですよね、そこ気になっちゃうよね。」と同意しながら往生堂の若き堂主・胡桃は、ずばりと本音を叩き出した。あまり回りくどすぎると彼には逆効果のようだし、重要なことであるから直球でお伝えした方が良いと思ったのだ。
「公子さんの
ソファーの肘掛けにのっそりと置いたままの腕が、ぴくりと反応した。
実力を認めてもらえることは、誰でも嬉しいことである。それが生粋の武人であるならば、尚の事。にこりと笑んだ表情は噓偽りなく、年下の少女から向けられる眼も嫌なものではなかった。むしろ「たすけてお兄ちゃん!」の文字を掲げて面倒事を持ち込んでは強かに生き抜く妹が居る分、とても懐かしく思った。ああ、トーニャ元気かな。
雄鶏のもとで実績を積み上げていた頃、里帰りをしたことがあるのだけれど兄が高収入だと知った途端に、かわゆい妹は年頃の顔をしてブランド品をおねだりしたのだ。兄がいればそれだけで、と言った口であまりにも素早すぎる手のひら返し。
あまりにも愉快すぎて、可愛すぎて、思わず二つ返事で購入したのだった。タルタリヤがお兄ちゃんの顔で大笑いした妹のそれに、彼女のそれはよく似ている。
「わたしに払えるものであれば、一応なんでも……」
「ちょっとちょっと。女の子が何でもとか冗談でも口にするものじゃないよ。」
「あうっ」
妹を思い出している場合ではない。タルタリヤはぎょっとしてわざと音を立てて食器を置いて、胡桃の言葉を遮った。
ただでさえ璃月には悪徳商人が多いのになんてことを言うのだ。さらりと辺りを見渡して、そう言えば往生堂の奥まった部屋だから誰も居ないのだったと安堵する。うら若き少女から放たれるそれは、相手に隙を与えるものであったから。
戦士たるもの、如何なる場面であれ隙を自ら生む真似はすべきでない。活路を拓くためであれば自分もやるかもしれないが、あんなセリフを吐くような場面は早々やって来ないだろう。
閑話休題。
ともかく、正規の兵士である千岩軍でも、璃月の冒険者でもなく、タルタリヤを戦力として欲するのだと。一応は確認でほかの属性はどうかとファデュイの兵士たちの存在も匂わせてみるが、暖簾に腕押し。ファデュイ執行官の戦力を必要とする可能性あってのことだと認識した。
正直、今回の相談の場もスケジュールに無理を言って抜け出したから、すっぽかした先方の御機嫌取りが面倒くさいのだと愚痴を一つ。脱出を決めたのはタルタリヤではあるのだが、緊急のことだと呼び出したのは往生堂である。
「あー、でも一応、責任、取ってくれるかな? 鍾離せんせ。」
「ふむ、……何が望みだ?」
ちなみに、先んじて弁明しておくと、公子タルタリヤとして出席する会合が開かれた会場の窓を割ったのは、そこで腕を組んでいる男である。
緊急事態だ、と一言だけ添えられて。ある程度のあいさつ回りと引き継ぎをした後、タルタリヤは部下に任せて迷わず風が吹き抜けるそこから飛び出したのだ。何が望みだ、と言うよりもなんというか、この男にはアフターフォローの責任があるだろう。
「な、何をしたんですか、鍾離先生……!?」
「アセルの果実、璃月支店を構える為の下準備から執行官である俺を呼び出したのは先生だ。緊急だと言うから武器持って降りてきたのに今の状況だしね、窓から飛び出し損だよ。普通に出入り口のファデュイに、所属先と急ぎの用があるから取り次いでくれと言えば済んだ話だろう。」
「マッ!? マドォっ!?」
がったーん、とあらゆるものをなぎ倒しながら胡桃は立ち上がって、隣の席に腰かける鍾離へと詰め寄った。何を考えているんですかと常識を説きながらのお説教である。
「あぁぁあっ公子さんは窓から飛び出して来てくれたの!? 結構重要な案件中に!?」
「あはは、」
「笑い事じゃないですよ! 下手したら暴動が起きるじゃないですか、暴動ですよ! うぁ~~! ほんとにごめんなさい公子さん!」
まくし立てるように下からズズイッと迫って来る少女を片手で制して、もしや好機なのでは、と逸る気持ちを落ち着かせるようにタルタリヤはゆっくりと椅子に腰かけて。ことり、と首を傾げて続きを催促する。
「こういう面で頼れるの、私まだ往生堂の仲間以外に知らないんです~! 助けてもらえませんか!?」
「ええっと乗り掛かった舟ってやつだし、もちろんそのつもりだよ。さ、何があったのかもう一度、最初から順序だてて教えてくれ。計画を立てよう。」
「は、はいっ」
一度は胡桃からのSOSに了承を返したのだし、これ以上の手間を掛けさせないでくれと言う鍾離への願いであった。額に手を当てて項垂れたときに情報提供の場を設ければ、仙人ならではの観点で情報を落としてくれとも言ってあるし。充分に元は取れるだろう。情報はモラになるのだから。
とは言え、対峙する相手の情報は少しでも多い方がいいというのも事実。富者のアドバイスを受けながらも、タルタリヤの根元にあるのは武人視点の行動だった。