白刃の流星   作:夜鷹ケイ

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6.ぼくのそら

―――××××年 記憶は語る、彼の記録を。

 

 氷の女皇様を頂くスネージナヤにて、後の■■■。アヤックスなるものが誕生。

 彼はこの冬の国の大地に生まれながら、氷の女皇様へ対する忠誠心は薄氷を履むが如しで、その魂はいつも果ての見えぬ彼方の世界にあった。

 氷の張った海の底。雪解けの見えぬ山の頂き。風が躍る草原。揺るがぬ岩盤。雷鳴轟く孤島。緑豊かな叡智。まだ見ぬ彼方の世界はどれもこれもが楽しそうで浮足立つ。商人から聞くスネージナヤ以外の世界は、もとより好奇心旺盛な彼の魂を揺さぶる希望に溢れたものだった。―――…はずなのだが、既視感を覚えた。同時に、違和を抱く。一度経験したことではなかろうか、と。

 大きくなったら何になりたい? 子どもたちの未来に思いを馳せながら、そう問うた町の大人たちの言葉にアヤックスは屈託のない顔をして「世界を冒険する人になる」と明言した。

 そう答えた時からもうすでに、彼の冒険譚は故郷に居た頃から始まっていたのだろう。彼の眼は悠々と広がる大海原にあった。

 

 

―――××××年

 

 本来であれば、無垢なる存在ゆえ、言葉を覚え、文字を覚え、文化をその身に宿す日々を過ごしたはずだった。しかし、商人から物語を聞かされたときに芽生えた感覚は、アヤックスの誕生から数年に渡っての成長に影響を与えたのだ。

 知るはずのない言葉を理解し、分からぬはずの文字を書き綴り、文明をその身に宿す日々。冒険者の出だと言う父から武芸を学び、やがて独自の剣を振えるようになったアヤックスは、その町で一番の実力者となった。

 誰もが苦戦するような強敵と相対し、必ず生還する。その安心感と言ったら、子どもの身で討伐部隊に参加する彼を案じてきた大人たちから一目を置かれる存在となり、”アヤックス”の名を継ぐ者がスネージナヤで彼一人となるほどであった。

 魔物たちの大侵略。町に向かって押し寄せるそれを退けた偉業を以て、まさしく町の英雄となった彼は、同郷の子どもたちの言葉を信じて町を出る。なんでも町の近くに魔物の巣を発見したのだとかなんとかで。そうして彼は、町の安全のために巣を目指して雪山の奥へ奥へと進んだ。

 彼の腰には、神の寵愛を受けた証は”まだ”なかった。けれども不安はなかった。何せ冬の国は、神の寵愛を受けた国である。姿現さぬ他国の()と比べるまでもなく、スネージナヤの氷の女皇様はいつもその姿を玉座に表すのだと噂を耳にしたからだ。

 

 

―――××××年

 

 雪山の奥地。同郷の子どもたちが案内してくれたそこは、まるで何もなかった。雪ばかりが積もるそこに、ぽっかりと空く大穴。その中なのだとせっつかれて静かに覗き込む。何も見えなかったと顔を上げるよりも早く、己に背中に衝撃が走った。全身を襲う浮遊感。

 恐怖で表情をひきつらせたアヤックスを置き去りに、暗き闇の世界へと転落してしまった。氷の女皇様が手ずから統治するこの国で、奈落の地獄の如き暗黒が存在するとは思わない。家を出る前に持った、父親から譲り受けたナイフと、間食用にと持たせてくれた黒パンだけが、アヤックスの持ち物だった。

 

 

―――××××年

 

 アヤックスが故郷へ到着する頃には、町を救済する英雄の名前として知られることとなった。

 平穏なイマの不変を望む神々と異なり、彼は変化を愛する子ども。であるはずなのに、その(在り方)は変わらず。けれどもその柔軟な在り方ゆえか、彼は流動の化身たる”水神”の祝福を受ける子どもとなったのだ。

 

 

 

 鯨は叫ぶ。「君と僕が歩んだ物語なんだよ。」沈んだ声で言った。氷の張った海の底。雪解けの見えぬ山の頂き。風が躍る草原。揺るがぬ岩盤。雷鳴轟く孤島。緑豊かな叡智。まだ見ぬ彼方の世界でありながら、もう見知った世界の冒険譚を語って聞かせてくれた。

 巨大な生き物は深海のように沈んだ色の星海の中で動きづらそうにしながらも悠々と泳いで見せてくれた。時には背に乗せ共に海を踊り、時には星空を泳ぎ飛び、時にはその大きな身体に少年を隠して”何か”をやり過ごす。息を潜ませるばかりの時間は妙に落ち着かず、一つ提案してみた。純粋に闘争本能を掻き立てられたこともあるが、生まれてこの方、少年と生を共にしてきた相棒である鯨の恐怖をどうにかしてやりたかったのもあったからだ。

 水で作り上げた双生の剣を鋭く光らせて言った。「戦って、勝って強者を知らしめて来よう。」彼は不平不満を露わにする。「そんなことをして怪我をしたのは誰なのかな。」きっと”今の”少年ではなかったのだろうけれど、在り方というのはそう簡単に変わるものではないらしいということを悟った。説得力しかなかったから、少年は大人しく引っ込んだ。

 

 鯨は少年が夢見るここを、この海を、”深層心理”と呼んだ。人の意識の奥深くにある精神の塊。つまるところ、魂の宿るところとも言えるような場所なのだと。

 少年は幾度となく”■■”に命を奪われた。彼の在り方とも言えるような”魂”の保護は、最初の生からずっと側に居た鯨が抱えて泳ぎ、咥えて空を舞ってくれたのだと。

 だが、少年の魂を形作るその多くは欠けたままだった。最初の原因である、”■■”との度重なる激闘の末に欠け続けてしまったからだ。今は安らぎの時であるはずだったのだと悲しげに教えてくれたのは、おそらく鯨の指した”魂”が癒えきる前に”深淵”を知ってしまったからなのだろう。旅の間も闘争を楽しむことは多々見かけられたが、武人であるが故のそれだからだ。本来の少年は、ある程度の生存本能で制御し、理性ある武人であったはずなのだ。

 ”深淵”を知って以降、柔らかな部分に深く傷を負った少年は手の施しようがなくなるほど闘争に飢えた。武人であることに磨きが掛かったと言えるようなそれではなく、戦を愛する武そのものとなってしまったのだ。かと言って、変わらず自由を愛するのだから鯨としてはたまったものではなかった。

 空を希う鯨が幾分も重たくなった”彼の世界”で泳ぐのは、彼が未だ愛した空のままであるからでもある。危険は多少なりとも伴ったが、鯨は少年と同じ位置にまでその身を泳ぎ一つで落として、ソラへ上げることにした。

 遠き空を彩る白を曇らせて、深き海を揺蕩う黒に染める。そして再び白へと。鯨のそれは自由自在に切り替えの出来るものであったが、少年の瞳は変わらなかった。少年の澄んだ海が、深き底のそれへと変貌した時のような痛みが伴ったのに、鯨の在り方は決して変わらぬもの。―――否、そうやすやすとは変えられぬ。鯨も少年も、どちらも苦痛に苛まれながら、それでも同じように息をして、顔を合わせて笑い合った。運命を伴にする仲とは、よく言ったものだ。

 早く成長して、ゆっくり大きくなって。再び共に世界を歩む夢を唄って、再び共に生を謳歌する未来を夢見て、空の鯨は彼を背に乗せたまま泳ぎ始める。

 本当ならもうすぐ会えるけど、本来ならまだ会うつもりはなかった。再開が早まれば早まるほど少年の寿命が短くなってしまうことは、流転を見つめてきた鯨も気づくと言うものである。あまりにも早すぎる一等愛しき彗星との再開と別れの期間に、己の半身を失ったと傷つく間もなかったのは鯨にとっては僥倖なのだろう。

 

 

「旅をしようよ。」

 

 

 幸いにして誰も居なかったから羞恥心も、取り繕う必要もない。未だ”深淵”の底で囚われたままの少年が彼方の空があるべきそこを見上げて言った。はたから見ればただの独り言であり、精神を病んでしまった哀れな少年である。

 しかし、夢を記憶した少年は己の内側に「相棒」が悠々と泳いでいることを自覚していたから、気にせず同じ言葉を繰り返した。謡うように言った。

 冒険は、少年の大好きな言葉である。旅も、少年の大好きな言葉である。父が語って聞かせてくれた冒険家のように、世界を旅歩くことを夢見たのだと少年は語った。鯨は記憶をなぞるように申し出る。「僕を使って。」希うように、祈るように。言葉を受けて少年は楽し気に「俺が強くなることは当然だけど」と前置きを一つして、次なる夢を語った。

 

 

「陸地の俺と、海の君。最強になれると思わない?」

 

 

 それは奇しくも、かつて鯨へと投げかけられた馴染み深き言葉であったことが、鯨の心を大きく揺さぶった。少年と相棒は、唯一無二となった互いの名をひっそりと明かす。

 あの日の再現のようだと「空鯨」は感じた。流転を繰り返し、それでもなお、大事に抱え続けてきてくれたのかと星の輝きが強まる。とっくの昔に限界を迎えた実体は海へ還り、テイワットの空を彩る命の導きとなった身であったが、かつての友を今の友に見た。

 水を纏ったナイフを振りかざし、少年は迫りくる魔獣を倒す。地上で日常を過ごせば、おそらく一生顔を合わせることのないはずの化け物であったが、少年は難なく屍を重ねる。深淵で彼を鍛えた少女のような武人が、彼に戦を教えてくれたから動きはこの短期間で目を見張るほどのものにまで磨き上げられた成果なのだろう。

 かつての最盛期には至らなかったが鯨にとっては変わらぬ空を見た。「嗚呼、」暗く深く沈んだ海で涙が落ちた。やがて大きな水たまりになり、少年の心に水球を作る。出来上がったばかりの水球には何もおらず、ぷかぷかと空間があるだけだった。他の何かが埋まることもなく浮かんだままのその中に、ちょん、と鯨は遠慮がちに小さな分身体を放り込んだ。

 甘えるように心の中央に鯨の存在を置く。「おかえり、僕の(そら)…。」誰よりも少年の存在を望む声だった。きっといつの間にか腰のベルトに結びついていた神の祝福を確認したら、この”相棒”の存在が在るのだろう。少年は当たり前のように受け入れて、ただ笑った。

 鯨へと返した柔らかく穏やかな声は一切の迷いがない。「おかえり、俺の半身(星座)。」白刃のような真っ直ぐな心根は相も変わらずそこにあり、欠落や衰弱を感じさせぬ輝く星のようであった。

 

 彼はそう、どんな姿になったとしても。

 鯨にとっては、鯨が一等愛した還るべき故郷(うみ)であり、そこに在るべき生命(そら)なのだ。

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