白刃の流星   作:夜鷹ケイ

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冬国の少年は冒険者となる
8.宿りし闘争本能


 岩壁に叩きつけられて息が詰まる。振り下ろされた拳をナイフの腹で叩き、すかさず肩に足を乗せた。投げつけた鉱石すら噛み砕く顎の持ち主である。噛みつかれでもしたら一巻の終わりだ。

 だから迷わず喉を斬った。叫び声が無意味な空気となって宙に溶ける。暴れまわろうとする両目を捉え、銀の切っ先を振り下ろす。全身を染める色をまた受けて、少年は潰したばかりの視界をより確実に奪うべく、隆起した壁を背に音を立てた。突進してくる化け物を交わしながら、その足を引っかけて更に前へ。

 

 

「はー……はー……!」

 

 

 また一匹。倒せた。

 否、―――倒した(・・・)。ただの狩人であった自分でも、あんな化け物を相手でもやれば出来てしまうのだと実感を前に震える。恐怖なんてものではなくて、少年の表情には笑みが乗った。

 

 少年の父は冒険者ではあったけれど、荒事がとても苦手な人だと思う。正直、怒るのも苦手なはずだ。元の職業であった冒険者は、冒険をする者のことを指すからなのだろうか。目を吊り上げてむつりと黙り込んで、頭痛を訴える姿からはそのように感じたのだ。

 尋ねてみれば、冒険者としての生活は、二つに分かれるようだった。荒事と関係があるタイプの冒険者と、その反対にまったく無関係で過ごすタイプの冒険者の。

 アヤックスの父はかなりレアな後者の類であった為、いつもハラハラ。気づけば狩りに出かける我が子を見送りながら薪を売る仕事へ転職していた。息子を守る為に身体を鍛えようと思ったのだけれども、試してみて判明する。どうにも己には、武術がの才能がまったくの皆無であることを。そうして確信したけれど諦めきれず、森の友人へ相談し、今ではすっかり勧められた薪割りで鍛えるのだと言った。

 それってもしかして、薪と書き人と読み、割りと書きて成敗と言ったりするのでは……と思わなくもなかったが、うっかりその友人とやらの尋問現場を目撃してしまったからだろうか。

 ちなみに、お勧めするだけあって彼も父と同業である。筋骨隆々な白き山の男。頭にぼわぼわと靄掛かったように浮かんだイエティとか言うのに、似てるかもしれなかった。

 

 汗水流して薪割りに勤しむ父の見送りを受けながら、暁の見える冷たくも柔らかな空の明かりを頼りに狩りに出て、朝陽が目を覚ました頃に町へと戦利品を持ち帰る。昼間には同郷の友人たちと言葉を交わし、町の広場で遊ぶ。帰宅した頃には弟妹たちからの厚い抱擁を受けて、賑やかな声を慎ましやかに響かせて夜を共する。

 そんな忙しくとも充実した日々であったように思った、のに。同郷の友人グループの二つが結託して殺されそうになった現実があまりにもショックだった。悲しいことだ、そうだろう。誰に言い聞かせるでもなく、少年は笑って言った。

 彼らは言葉巧みに、ヒルチャールの巣を発見したとアヤックスに餌で罠に引っ掛けて、存在の排除を目的としたのだ。「此処だよ!」焦った様子で言うから大きな穴をのぞき込んで、とん、と。道はもうなかったのに、まだ前があると言わんばかりに背中を誰かに押されて。彼らの行動の根源にあるものは、要は、嫉妬であったのだ。

 あまりの衝撃と恐怖に悲鳴を上げた。でも誰も助けてくれなかった。何度かの落下を繰り返して暗闇へと叩き落されて、慌てたように遠ざかる足音。今の状況は、誰一人として生きた人間の気配を感じぬ暗闇にひとりぼっち。―――…それが答えだった。

 今のアヤックスが出来るのは、ただの強がりである。さて、アヤックスは狩人(・・)としての腕前は、些か自信があるから戦えるけれど、あの子たちは無事だろうかと本音を交えて。

 そんなことよりも、彼らの無事を祈るしかないだろうだなんて強がることしか出来ない。転落したのが一回、二回であれば、まだ戻れたのだけれど、想像した以上に体幹がまだまだ頼りなかったので此処に居た。今なら感謝を口にしたいぐらいである。

 

 

「アハハッ、こーんな楽しいことを独り占めさせてくれるだなんて、太っ腹ってやつだよね!」

 

 

 ぐう、と腹の虫が鳴った。笑みがピタリと止む。

 外は冷えるからと母親が用意してくれたコートのポケットに手を突っ込んで、おもむろに黒パンを取り出す。昼食までに戻れなかったときの繋ぎだった。小さくちぎって口に放り込む。帰ったらオフクロの美味しいボルシチが待っているはずだったから、いくら美味しくても満たされることはなかった。そうだ、帰らなきゃ。

 震えとともに、風が止まったようだった。せめて小さな鍋でもあれば、と思ったが食材もない。おそらく家に帰るまで満たされることのないそれを、無自覚に空腹と定義する。立ち上がって砂を叩く。お腹すいたなあ、とぼやきながらアヤックスは辺りの探索を再開した。

 

 

―――深淵とやらに落ちて三ヶ月。

 ある日、戦い方がまるで成っていないと拳をぶち込まれて、アヤックスは無様に転がった。

 落ちるのは嫌だったから、必死で崖に捕まりながら殴った犯人を睨みつけようとして―――はたりと気づく。会話を今しなかっただろうかと。「ねえ、お姉さん!」「…何だ。」会話の出来る人が居る事実に、少年は興奮状態のまま絡んだ。

 やっぱり戦い方がまるで成っていないと拳をぶち込まれて。あんまりにも乱暴すぎる言動の少女に反発しながらも必死に武術を磨く。その世界で生き残る為のことだった。

 文字通り血反吐するほどの修行の合間のことである。アヤックスに師匠と位置付けられた少女の見た目をした数百年前の生き物は、テイワットという世界の真相を語って聞かせてくれたのだが、これまたヒドイ内容だった。

 どうヒドイって、アヤックスの柔らかな海を、深く沈んだ海底へ堕とすほど。狂気に侵されながらも、狂気を制御できたのは空腹な上に、記憶の中の美食が訴えかけるからなのだろう。闇落ち回避の為に、腹ペコキャラになりそうだった。ならないけれど。

 結果として、”前世”とやらの記憶は美食に飢えた日本人の感性を強く引っ張り出しアヤックスを苛んで、そのおかげで絶望しながらも希望を抱けるようになったのだ。

 

 化け物たちとの死闘の末、生の歓びを見出してしまったのか。師匠から刻まれた世界の真相という呪いへ抵抗する意思の表れか。どちらなのか、どちらでもないのか。アヤックスにはとんと分からなかったが、ただ一つだけ本能で理解した。

 それは、己の肉体は、血が沸き立つような闘争を欲しているということだった。半身が最期まで共に在ってくれることであった。―――そして、遅ればせながら、ゲームの中のキャラクターに、生まれ変わったのだと認識が芽生えたのだ。正確には、ゲームキャラによく似た世界と言うべきかもしれなかったが。

 かつての記憶や記録はあれど、もはやあまり関係ないだろう。少なくともアヤックスとして生きた記憶がある以上、世界の崩壊を感じられぬ以上、此処での”彼は自分”以外にはなり得ないのだと傲慢な考えを持ってみる。もとより自由に生きるのが性分なのだ。

 

 そうして深淵から森林へとほっぽり出されて。

 否、無事に帰還したアヤックスは、転落する前の自分や、かつての自分はどんな人物だっただろうかと朧気な記憶を手繰り寄せた。

 

 ファデュイの執行官。ファトゥス―――第11位、「公子」タルタリヤ。

 組織の中では異質なほどの血気盛ん……好戦的な性質から、基本的にはスネージナヤ外への派遣任務ばかりを宛がわれる青年。岩神やら同僚の「淑女」やらの手のひらの上で転がされるほど素直で、闘争における妥協や陰りを厭うタイプ。というのが、記録の中の”主観”であった。

 まるで文章を読み上げるかのようなそれは、記憶と言うより、記録。本来はあるべき姿ではあるのだろうけれど、アヤックスは自分の恰好を見下ろした。特に相違はなさそうである。

 

 ああ、違うそうじゃなくて。俺はいまタルタリヤじゃないし。―――しかし、さすがにこれはマズイ。血やら塵やら埃やら泥やらでヒドイ有様だった。

 発見した川で大雑把に自分の顔や髪色が分かる程度に落として。あっけらかんと思考を手放し、今度はべつの記憶を手繰り寄せる。森林から故郷へ帰るまでの道のりだ。

 さほど遠くない距離で、けれども故郷からは遠い場所で、父親が自分を呼ぶ声がした。じわ、と目じりが熱くなる。「オヤジッ!」滲むような少年の声に反応して、弾かれたように上がったその人影と目が合う。つんとした鼻を誤魔化しながら、森林を駆け抜けた。

 平気だったつもりなのに、虚勢だったことに気づかされる。光の失った瞳から見て取れる色は、確かに平和を愛した少年の心に影を落としたのだということを自覚させられた。あんなことがあった後だからか今までのように他人を信じて生きるのは、どうにも難しそうだった。

 

 お互い、弾かれるように駆け出した。

 父は傷だらけの我が子をあつくきつくふかく抱擁し、息子はただその温もりに縋りつく。ぎゅうぎゅうに抱きしめられる愛情の狭間で、アヤックスは確かに芽生えた闘争本能の行き先を無理矢理に奥深くへと押し込む。今はオヤジの温もりを感じたかったし、オフクロのボルシチが食べたかったからだ。じわりと滲んだ血の色に、父親は血相を変えて息子を抱えたまま町へと戻る。

 14歳にもなって成長したアヤックスの身体を父はただ離したくなくて抱えながら故郷の家へと帰宅した。「体を鍛えておいてよかった…。」震える声でつぶやくオヤジのシャツを握りしめて、ただ顔を埋めることしか出来なかった。正直、あの場所から故郷迄帰って来れられるようになるとは思えなかったから。「会えないと思った、」当時の不安のまま風に攫われそうな声でこぼせば、どちらともなく力が強まる。わあわあと喜びの声と案じる声が聞こえる中、かすかに聞こえた同郷の子どもたち声を無視して家に帰った。

 家族愛に溢れたアヤックスが音沙汰なして行方を眩ませたことなど今までになかったことだったし、犯人である子どもたちは己が罪を告白したから崖から落ちたことも周知の事実だったし、そうなるのも無理からぬ状況ではあったのだが―――怒涛の嵐(上兄姉の愛)がアヤックスを襲ったのだ。のちに自由を得たアヤックスは、息継ぎはさせてほしかったと語った。

 

 オルァ!!これが愛情だァッ!!

 ソウラァッ!!くらええっ!!

 

 そんな思わず受け取るのも躊躇する剛速球の連続。何を込められたのか薄っすら恐怖すら感じるそれは、本当に普通に兄弟姉妹からの愛情だったからアヤックスは頑張ってキャッチした。

 おはようからおやすみまでどころか、風呂や寝入ったところも終始確認。食事の瞬間も、こちらでは数日程度のことだったようだけれど、あそこで一応の食事は取ったけれど三ヶ月を過ごしたことになる。すっかり痩せてしまったアヤックスを案じて、家族みんなから雛ペンギンのようにせっせと御飯の面倒を焼かれた。

 なんてこともあったので、本当の意味でひとりで落ち着ける時間は、かろうじて、のほほんと見守るようで見つめてくる母の料理時間だけで―――否、あるようでなかったなと思い直した。家の至るところで視線を感じながら過ごすこと二日間の出来事である。ようやくと言わんばかりではあったが、とうとうアヤックスは危機感を覚えた。

 あまりの衝撃の連続で頭からスポーンと抜けがちだった本能を掻き立てられるがまま、アヤックスは久しぶりに武器を担ぎ、狩りに出る。闘争の中に身を置き、血が沸き立ち、肉が躍る世界で己の運命を感じた。そして、時間を忘れるほど狩り尽くした己の芽生えを理解する。生態系には気を付けつつ、向かってくる敵を狂喜乱舞で倒す己の本能はあまりにも危険すぎるものだった。

 家族からの抱擁を受けながらも、スネージナヤを出る決意をした。此処にずっと居たら、なんかダメにされそうだったというのもあるが。

 

 深淵での出来事はアヤックスを歪めた。歪めてしまったから、きっともう元には戻れない。知らぬふりなど出来るはずもなかった。だからこそ、一度は世界を見つめるべきだろうと思ったから、父親が語って聞かせてくれた、冒険者になるのだ。

 旅支度を進めつつ、それを伝えるタイミングはどうしようかと時計を見つめながら少年は唸る。彼の中で冒険者になるのは決定事項であった。

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