水で征せよアカデミア 作:わこうど。
「クソッ!」
壁を殴る。鈍い衝撃が拳に伝わり、皮膚が裂けて血が滲んだ。遅れて痛みが走るが、そんなものは今の胸の内に比べれば取るに足らない。
体育祭のプログラムに基づき、一時間ほどの昼休憩が挟まれる。午後の部はその後になる。他の生徒たちはグラウンドから離れ、食堂へ向かったり、友人同士で昼食を取ったりしている頃だろう。だが、その喧騒に混ざる気分にはなれなかった。俺はひとり、人通りの少ない廊下に身を置き、胸の奥に燻る悔しさをどうにか消化しようとしていた。
──頭の中を占めているのは、つい先ほどまで行われていた騎馬戦だ。
戦略は悪くなかったはずだった。実際、途中までは順調にポイントも稼げていた。
耳郎は峰田からハチマキをひとつ奪っている。俺の意図を察してアシストもしてくれたし、瀬呂の妨害も上手く防いでくれた。
砂藤もまた、障子の守りを掻い潜りながら指示通りに動いてくれた。あの圧倒的なスタミナと筋力は、騎馬の一員としてこれ以上ないほど頼もしかった。
青山も、出力を抑えたネビルレーザーで牽制を続けてくれた。腹痛というデメリットを抱えながら、それでも最後まで役目を果たそうとしてくれていた。
皆は十分すぎるほど働いてくれた。
ㅤだからこそ思う──足りなかったのは、やはり俺だと。
もっと良い判断があったんじゃないか。
ㅤもっと上手く指示を出せたんじゃないか。
ㅤもっと仲間たちの力を活かせたんじゃないか。
終わったことだと分かっていても、そんな考えばかりが頭の中を巡り続けて止まらない。
「……先輩に、謝んないとなぁ」
ほんの少しの期間とはいえ、特訓に付き合ってもらった波動先輩には申し訳なかった。おそらく体育祭の進行上、三年生も今は昼休憩中だろう。控室から持ってきた携帯を起動し、先輩にメッセージを送る。
「“すいません、二種目目で落ちました”……と」
送信ボタンを押し、画面を閉じる。
さてどうしたものかと、その場にしゃがみ込んだ。
昼休憩が終わった後はレクリエーションだ。
ㅤ個性を使った徒競走や借り物競争などが予定されているらしい。参加が自由なのは第三種目へ進出した生徒のみで、それ以外は原則全員参加。よって第三種目に進出しない俺も出なくてはならないのだが、正直なところ気分が乗らなかった。
一位を目指す。そう意気込んで始まった体育祭の結果が、障害物競走四位、騎馬戦五位。
悪い成績ではない。むしろ十分に上位だということは理解している。客観的に見れば誇っていい結果だろう。
それでも、自分ならもっとやれたはずだという思いが脳裏に焼き付いて離れない。
レクリエーションは適当な理由をつけてサボろう。そう決めたはいいものの、同じく脱落した耳郎たちは真面目に参加するだろうに、自分は何をやっているんだろうな、と自嘲気味に笑った。
「……はぁ」
その時だった。
Prrrrr──と着信音が鳴り、携帯が震える。手に取ると、画面には波動先輩の名前が表示されていた。
電話に出るか少し迷ったが、無視をするのも忍びない。観念してスワイプし、耳に当てる。するとスピーカーの向こうから、聞き慣れた元気な声が飛び込んできた。
『一水くん一水くん! 最終種目、行けなかったの〜?』
「う、……はい、すいません!」
『あはは、謝らないでいいのに! 律儀だね、不思議ー!』
これは後から知ったことだが──波動先輩は、現在の雄英高校において頂点に立つ三人の三年生のひとりらしい。食堂で上級生たちがそう話しているのを偶然耳にした。
曰く、雄英BIG3。
随分と分かりやすい呼び名だと思ったが、USJや運動場で実際に戦った経験からすれば納得しかなかった。むしろそう呼ばれない方がおかしい。そんな凄い相手に目を掛けてもらったというのに、結果はこの有様だ。
申し訳なさが先に立ち、自然と謝罪が口から出る。しかし波動先輩は、そんな俺の気持ちなどどこ吹く風といった様子で軽快に笑っていた。
「先輩は……どうだったんです?」
『問題なし!』
「おめでとうございます。三年の方はうちで録画してあるんで、せっかくなんで優勝してカッコイイ所見せてください」
『うんうん、ちゃんと頑張るよ! なんたって今年で最後だからね! でも残念! 私も一年の方、録画してあったんだ〜』
「……先輩って追い討ちが得意なんすか?」
『そういうつもりじゃなくてね? 一水くんなら、きっと体育祭で活躍するって思って! だって私と最後に戦った時なんて、こう、バー!って、凄い技出てたもん!』
「まぁ、結局使う機会はなかったんですけど……はい」
『その声、分かるよ〜! 悔しいんだね?』
「当たり前やないですか」
揶揄うような言い方に、少しムッとして言い返してしまう。
ㅤしかし言った直後に後悔した。思わず口を押さえる。誰もいない廊下だというのに、何をやっているんだ俺は。悔しいからといって先輩に八つ当たりするのは違うだろう。
『うん! でもね、一水くんにはまだ次があるよ! 今日がダメでも明日が良いならダイジョーブ! 明後日はもっと良くなる! 体育祭が終わったら私とまた特訓しよう? もっと強くなろーね!』
「波動先輩……」
しかし、俺の失礼な態度を気にした様子は欠片もなかった。
むしろ励ましてくれている。その優しさがありがたくて、同時に情けなくて、胸の奥が少し痛んだ。
だが──そんな自己嫌悪の渦は、ふと浮かんだ疑問によって中断された。
「……先輩って、なんでそんなに俺のこと気にかけてくれるんですか? 言っちゃなんですけど、まだ付き合いも短いですし……いや、とても有難いんですけど」
『なんでなんだろうね! 不思議! でも多分、一水くんが面白いからだよ!』
「お、面白い……ですか? 俺が?」
流石に首を傾げた。
面白いなんて言われたのは初めてだった。
いや、昔坊主頭にした時、お茶子に大爆笑されたことはあったが、あれとは絶対に意味が違うはずだ。
『うん! 面白いよ! だって一水くんと戦うのは楽しいもん!』
「それは……空中戦のこと?」
『ううん、ゼンブ! だってキミ、本気で私のこと倒そうとしてたでしょ? 足りないものは分かってて、それでも私を全力で倒そうとしてくる後輩なんて、私には居なかったから! というかあんまり下級生と話したことないから、だから楽しいの!』
「……なる、ほど?」
根性論なのか、それとも仲の良い後輩がいないという悲しい話なのか。彼女の言葉は相変わらず独特で理解しづらい。それでも悪意がないことだけはよく分かった。
ㅤそして、彼女なりの理由があって俺の特訓に付き合ってくれていたのだということも。
「……とりあえず頑張ってください。波動先輩のことは、一年生の中では俺が一番応援してますので」
『うん! ありがとう! また連絡ちょうだいね!』
最後まで元気な人だった。通話が切れても、耳の奥にはまだ彼女の声が残っている気がする。けれど不思議と騒がしいとは思わなかった。むしろ胸の内に溜まっていた重苦しい感情が、少しだけ軽くなったような気がする。
ㅤ今日はダメでも、明日なら──その何気ない言葉ひとつで、胸の奥に澱のように溜まっていた靄が少し晴れた。
ㅤ悔しさは残っている。騎馬戦で負けた事実も消えない。だが、だからといっていつまでもその場に立ち止まっている訳にはいかなかった。
ㅤ負けたなら負けたで、その先を見据えるしかない。
「しゃーねぇ、いつまでもクヨクヨしてられっかよ」
ㅤガリガリと頭を掻きながら立ち上がる。
ㅤ最終種目まで進めなかったからといって、別にヒーローへの道が閉ざされる訳ではない。
ㅤ騎馬戦で脱落した俺が、体育祭後に予定されている職場体験でプロヒーローから指名を受けられるかは分からない。どうせ最終種目では残った連中がこれでもかというほど目立つだろう。観客もプロも、そちらへ視線を向けるはずだ。
ㅤ願わくば、ここまでの競技で少しでも誰かの目に留まっていればいい。だが、それが全てではない。
ㅤ俺の目的はあくまでヒーローになることだ。自分の力を、誰かのために使うことだ。そのゴールラインだけは、何があろうと揺るがないのである。
「さーて、飯食うかぁ……ん?」
ㅤようやく腹の虫が騒ぎ始めた。食堂へ向かって歩き出し、通路の向こうから漂ってくる香ばしい匂いに空腹を刺激されながら腹を撫でる。
ㅤその時だった。
ㅤふと視界の端に、妙に目立つ集団が映る。
「お前ら何しとんの?」
ㅤ1-A組に割り当てられた控え室から、女子たちがちょうどゾロゾロと出てきた。
ㅤしかもなぜか、全員がチアリーディングの格好をしている。
ㅤ薄着も薄着だ。腹部は露出しているし、身体のラインもはっきり出ている。不躾にジロジロ見るのもどうかと思い、とりあえず視線を正面に固定したまま声を掛けた。
「あ、一水くん。どこ行ってたん?」
「野暮用……つーか、なんでチア? コスプレ?」
「先ほど、上鳴さんと峰田さんから相澤先生の伝言を頂きましたの。この後のレクで女子は全員、チアリーディングを行うとのことでして……」
「ほーん……峰田ね」
ㅤ確かアメリカからチアチームが応援に来る、という話は耳にしていた。
ㅤだが雄英の女子生徒までチアをやるなんて聞いていない。
ㅤ八百万の言い方からして、おそらくあの性欲コンビに騙されているのだろう。薄々察しはついたが、ここでネタばらしして後で逆恨みされるのも面倒だったので、あえて深くは追及しなかった。
「ちょっと千重波〜! 私ら見て何か言うことあるんじゃないのー?」
「どう? 千重波くん、似合ってる?」
「おう似合っとる似合っとる」
ㅤ不満げに寄ってきた芦戸と葉隠を適当にあしらいながら、お茶子へ視線を向ける。
ㅤ彼女は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。もちろん俺に対してではなく、自分の格好に対してだろう。
ㅤだが正直な話、今さらである。赤子の頃からの付き合いだ。海でも川でも一緒に遊んだし、一緒に着替えたことだってある。こいつの薄着程度で今さら何か思うこともない。
「ハッ」
「あー! 何でいま私見て鼻で笑ったん!? あ、ちょ、スマホ構えんといて!」
「おばさん達に写真送っといてやるよ」
「ちょちょちょちょ──!」
ㅤ慌てふためくお茶子へスマホを向けた瞬間、ぐいっと視界へ割り込んできたのは梅雨ちゃんだった。
「ケロ、お茶子ちゃん。せっかく珍しい格好だし、私も一緒に写りたいわ。千重波ちゃん、後で送ってちょうだい?」
「うん」
「梅雨ちゃん!?」
「あーずるいずるい! 私も!」
ㅤそこからは早かった。
ㅤあれやこれやと騒ぎ始めた結果、いつの間にか女子全員が写真に写る流れになってしまう。
ㅤお茶子を揶揄うだけのつもりだったのだが、なぜこうなったのか。しかし発端は俺なので、大人しく流れに身を任せることにした。
ㅤもうどうにでもなれと腹を括ったらしいお茶子を中心に、梅雨ちゃんや芦戸たちが左右へ並ぶ。流石に通路では狭すぎるため、A組控え室の中へ移動したが。
ㅤ部屋の壁際へ集まった彼女たちは、それぞれ好き勝手なポーズを取って笑顔を浮かべている。若干一名、照れ臭そうに眉を顰めていた耳郎もいたが、芦戸に肩を組まれると苦笑いを浮かべながら控えめにピースをしていた。
「はい三、二、一」
「イェーイ!」
ㅤ何枚か連続で撮影し、そのまま個別チャットへ送信する。ついでにお茶子の両親にも送っておいた。今朝、「二人で応援してるから頑張って」と連絡が来ていたし、おそらく仕事は休みでテレビの前で観戦しているのだろう。すぐ気付くはずだ。
「ぐ、……千重波、あんた後で消しといてよ」
「なんで? 別にみんな写りええやんか」
「うちが恥ずかしいの……!」
ㅤそういうものか、と納得して大人しく削除した。
ㅤ峰田や上鳴は欲しがるだろうなと思ったが、渡したら何に使われるか分かったものではない。何かの拍子で発覚したら面倒だ。消しておくに越したことはない。
ㅤほれ、と削除済みの画面を見せる。すると耳郎は露骨に安堵したような息を吐いた。ポンポンを揺らしながら申し訳なさそうにこちらを見ている姿が、少しだけ面白い。
「ごめん、別にあんたを信用してないって訳じゃなくてさ」
「お茶子を揶揄おうと思って流れで撮っただけやし。ええよ気にせんで」
ㅤヒラヒラと手を振りながら控え室を後にする。
ㅤ背後ではまだ女子たちの賑やかな声が響いていたが、そのまま食堂へ向かった。残り時間的にレクリエーションの準備へ移っているのだろう。
ㅤようやく辿り着いたスタジアム食堂には、もう生徒の姿はまばらだった。普段なら騒がしいクラスメイト達の誰も見当たらない。まあいいか、と誰も並んでいないカウンターへ向かうと、ランチラッシュがスッと現れる。
ㅤ遅くなって申し訳ないと一言添え、すぐ食べられそうな蕎麦を注文した。片付けに入りかけていたランチラッシュだったが快く応じてくれ、ほどなくして冷やし蕎麦が運ばれてくる。
ㅤ空席へ腰掛け、薬味を入れる。
ㅤレクリエーションは出よう。
ㅤさっきまではサボるつもりだった。だが、あのチア姿を見る限り耳郎も参加するだろう。砂藤や青山の性格ならなおさらだ。同じチームだった連中が真面目に出るのに、自分だけサボるのは何となくズルい気がしてきた。
ㅤ蕎麦を急ぎ気味に啜る──だが心のどこかに、小さな引っ掛かりが残っていた。何なのか分からない。
ㅤそんな違和感を抱えながら、暇つぶしにスマホを取り出す。
「…………ヒーロー殺し、ね」
ㅤ最近よくニュースで見かける名前だった。
ㅤ警察が公開しているヴィラン警戒情報の記事を流し見し、その物騒な名前を呟く。
ㅤヒーローへの怨恨か、あるいは──そこまで考えたところで、スタジアム全体へアナウンスが響いた。
ㅤ昼休憩終了。レクリエーション開始。プレゼントマイクの陽気な声を聞きながら、俺はスマホをしまい、残っていた蕎麦を慌ててかき込んだ。
■■■
ㅤやはり俺の予想通り、A組女子たちのチア衣装は峰田と上鳴の策略だったらしい。
ㅤアホか! とポンポンを叩き付けながらキレる耳郎そして、まんまと騙された自分が情けなくなったのか、その場に崩れ落ちる八百万。その光景はなかなか印象的だった。
ㅤケラケラと笑っていたらなぜか俺まで共犯扱いされそうになったが、せっかくならチアリーディングを全力で楽しもうと洒落こんだ芦戸と葉隠のおかげでその矛先は逸れた。
『さぁさぁ、みな楽しく競えよレクリエーション! それが終わったらいよいよ最終種目!! 騎馬戦で進出した上位4チーム、総勢16名からなるトーナメント形式! 一対一のガチバトルだァ!!』
「トーナメントか……! 毎年テレビで見てた舞台に立つんだ……ァ!」
ㅤ切島が拳を握り締め、今にも飛び出しそうな勢いで燃えている。その背中をぼんやり眺めながら、俺は小さく息を吐いた。悔しさを飲み込んだばかりの身としては、あの純粋な熱量が少しだけ眩しい。
ㅤそんな中、ステージへミッドナイトが登壇した。手には「lots」と書かれた箱。最終種目の組み合わせを決めるための抽選箱だ。
「それじゃあ、組み合わせ決めの口引きしちゃうわよ。組が決まったらレクリエーションを挟んで開始になります!」
ㅤレクリエーションへの参加は任意。体力を温存したい者もいれば、気分転換したい者もいる。決勝進出者への配慮としては当然だろうが、進出できなかった側からすると少し羨ましく思う。レクリエーションの参加自由ではなく、その権利が与えられているということに対してだ。
「んじゃ、1位チームから順に──」
「あの……すいません!」
ㅤ抽選が始まろうとしたその瞬間だった。ミッドナイトの声を遮るように、一人の男子生徒が手を挙げた。
ㅤ尾白。USJ事件で共に戦い、そして関わりの増えた真面目で実直なクラスメイト。何だろう、と首を傾げた次の瞬間。
「俺、辞退します」
ㅤその言葉に会場が静まり返った。
「尾白……?」
「尾白くん、なんで!? せっかくプロに見てもらえる場なのに!!」
ㅤ最初に声を上げたのは緑谷だった。
ㅤ彼の反応も当然だ。体育祭は単なる学校行事ではない。全国中継され、現役プロヒーローたちが将来有望な人材を見定める場でもある。特に最終種目は最大の見せ場だ。
ㅤその舞台を、自ら捨てると言っているのだから。
「騎馬戦の記憶……終盤ギリギリまでボンヤリとしかないんだ。多分、奴の個性で……」
「……あいつか?」
ㅤ尾白が言う“奴”。心当たりは一人しかいない。
ㅤ普通科の心操人使。入試の時に助けたあの少年であり、騎馬戦前にはA組へ堂々と宣戦布告してきたやつ。視線を向けると、当の本人はポケットに手を突っ込んだまま、何処吹く風と言わんばかりに顔を背けていた。
ㅤ尾白の性格は知っている。彼は決して結果だけを求める人間ではない記憶の曖昧なまま勝ち上がり、自分でも納得できないまま決勝の舞台に立つ。それが我慢ならなかったのだろう。損得の話ではない。彼自身の矜持の問題だった。
ㅤクラスメイトたちが慌てて引き留めるが、尾白の意思は揺るがない。その表情には迷いよりも、覚悟の方が色濃く浮かんでいた。
「僕も同様の理由から棄権したい! 実力如何以前に、何もしていない者が上がるのは、体育祭の趣旨に相反するのではないだろうか!?」
「俺も!」
ㅤ続いて声を上げたのは、心操の騎馬を構成していたB組の二人だった。確か名前は、庄田と泡瀬。尾白と同じく、彼らもまた納得できないらしい。
ㅤ周囲が再びざわめく。
「おお……!」
「男らしいじゃねぇか……!」
ㅤ切島などは完全に感動している。だが、最終的に決めるのは主審だ。棄権を認めるか否か。その判断を下す権利はミッドナイトにある。
ㅤ自然と全員の視線が彼女へ集まった。
「そういう青臭い話はさァ! 好み!!!」
ㅤバチンッと、勢いよくムチが鳴った。会場中に乾いた音が響き渡る。
ㅤああ、うん。こういうの好きそうだもんな、この人。
ㅤ以前、昼食をご一緒した時のことを思い出して妙に納得してしまう。
「庄田くん、尾白くん、泡瀬くんの棄権を認めます!」
「好みで決めた……!」
ㅤ思わず誰かがツッコむ。
ㅤしかし決定は決定だ。これで決勝進出者に欠員が三名出たことになる。
「となると、繰り上がりは5位の千重波チームだけど……」
ㅤその言葉を聞いて、ようやく俺も状況を理解した。
「あ」
ㅤ周囲の視線が一斉にこちらへ集まる。
ㅤ耳郎。砂藤。青山。そして俺。騎馬戦5位だった俺たちのチームが、次点として繰り上がり対象になる。
「千重波、俺の代わりに出てくれ」
「尾白……」
ㅤ真っ直ぐな視線だった。自分の意思で辞退するからこそ、その席を託す相手もまた自分で選びたかったのだろうか。
ㅤ棚から牡丹餅。まさしくそんな状況だ。だが、不思議と手放しでは喜べない。ほんの十数分前に、俺は騎馬戦敗退という結果を受け入れていたのだ。
ㅤ悔しかったが納得もしていた。今日がダメでも明日は──そんな波動先輩の言葉に心を入れ替えたばかりなのだ。だからこそ、いきなり目の前に転がってきたこのチャンスを、どう受け止めればいいのか分からなかった。
ㅤ胸の奥では歓声が上がっている。行け、掴め、まだ終わってない。そう叫ぶ声が確かにある。なのに頭の方は妙に冷静で、色々なことを考えてしまっていた。
ㅤ本当に出ていいのか、俺は決勝の舞台に立つ資格があるのか。そんな考えがぐるぐると巡る。唸るように黙り込んでいると、不意に頬へ柔らかい感触が当たった。
ㅤ耳郎のイヤホンジャックだった。
「そんな難しい顔しなくても、ラッキーくらいに考えれば?」
ㅤ呆れたような声。だが、その言葉には変な力みを吹き飛ばす不思議な軽さがあった。考えすぎだ、とでも言いたげな顔でこちらを見ている。思わず苦笑する。
「……ん、せやな」
ㅤ資格だの何だの、そんなものは後から考えればいいか。
ㅤチャンスが来た、なら掴む。それだけの話だった。
「わかった。出る」
ㅤそう答えると、尾白はようやく肩の力を抜いたように小さく笑った。どこか安心したような、そして少しだけ嬉しそうな顔だった。自分の意志で降りると決めた以上、その席を誰かに託したかったのだろう。
「千重波くんは参加ね。あと二人、同じチームの子はどう?」
「ぼ、僕はベルトが壊れたからね。どの道出られないさ」
ㅤ青山が苦笑混じりに肩を竦める。騎馬戦終盤、俺の判断ミスで上鳴の電撃を食らわせてしまったせいだ。ベルトはボロボロ、本人もまだ腹部を押さえている。
「青山……おう、お前の分も勝ってやる! 任せろ! 先生、オレ出ます!」
「うちも」
ㅤ砂藤が力強く手を挙げる。その声には迷いがなかった。青山の無念ごと背負うつもりなのだろう。耳郎もまた、当然のように片手を上げて参加を表明した。
ㅤ騎馬戦を一緒に戦った仲間たちだ。敗退という結果は同じでも、最後まで戦い抜いたことに変わりはない。ここで権利を得たなら、遠慮する理由もないだろう。
「──というわけで、千重波くんと砂藤くん、耳郎さんが繰り上がって16名! 組はこうなりました!」
ㅤミッドナイトの声と同時に、会場中央の巨大なデジタルサイネージへトーナメント表が表示された。
ㅤ観客席が再度どよめく。歓声と期待、そして各々の思惑。
ㅤ俺も自然と視線を上げた。
ㅤ一回戦、俺の相手は──。
「げ、千重波!? マジか……!」
「ぶっ潰してやる」
「負けないからね! よろしく!」
ㅤ芦戸だ。意外な相手とのマッチアップに、思わず向こうも目を丸くしていた。これまでのヒーロー基礎学の戦闘訓練でも戦ったことはないが、互いに戦っている所は何度も見ている。騎馬戦では爆豪とばかりやりあったが、そういえば彼女も爆豪のチームだったな、と思い出す。
ㅤ油断も慢心もしない。
ㅤラッキーだろうが繰り上がりだろうが関係ない。せっかく掴んだ舞台だ。無駄にするつもりはなかった。
ㅤ後で波動先輩になし崩し的に決勝トーナメントに上がったことを報告しておこう。
ㅤそんなことを考えながら、俺はギュッと拳を握り締めた。
■■■
ㅤ閑話休題。
ㅤなんだかんだで、俺は結局レクリエーションにも参加することにした。最終種目へ進出が決まったから休んでおこうかとも思ったが、今さら一人だけ引っ込むのも気が引ける。どうせなら最後まで体育祭を楽しんでやろうと考えを改めたのだ。
ㅤ結果としては、滞りなく進んだ。
ㅤ最初は借り物競走。俺のお題は──『自分のことを誰よりも知っている人』だった。
ㅤ誰が考えたんだよ。紙を見た瞬間、思わずそんな悪態が口の中で転がった。視線を向ければ、葉隠や芦戸たちと一緒になってチアリーディングをしているお茶子がいる。
ㅤ緊張を紛らわせるためだろうか。応援に夢中になっている彼女へ近付くと、案の定というべきか、周囲の女子たちの目が怪しく輝き始めた。
「キャー! 千重波、つまりこれはそういうこと!?」
「あん? ちゃうわぶっ飛ばすぞ」
「いたァ!?」
ㅤニヤニヤと面白がっている芦戸へ遠慮なくデコピンを叩き込む。葉隠はどこが顔なのか分からなかったので、とりあえず頭がありそうな位置を軽く叩いておいた。
ㅤ抗議の声が飛んできたが無視だ。そのままお茶子へ紙を見せる。すると彼女は一瞬だけ目を丸くしたあと、納得したように苦笑を浮かべた。
ㅤそして何の躊躇いもなく、俺と一緒にゴールラインまで歩いてくれる。
「一水くんとはそういうんやないって前も言ったんやけどねぇ」
ㅤそうボヤいたお茶子だが、まあ無理もなかった。
ㅤ借り物競走で異性を連れて行くなど、漫画でもドラマでも定番中の定番だ。納得はできないが、勘違いされる理由は理解できる。
ㅤそして次は大玉転がしだった。相澤先生が、最低一種目参加すればいいと言っていたことを思い出したので、俺は壁にもたれながら、気楽に応援へ回ることにした。
ㅤ特に目立っていたのは障子だ。多腕を存分に活かして大玉を押し続ける姿は単純に頼もしい。周囲との連携も上手く、流石だなと思わされる。
ㅤ最後の三角ベースには砂藤や瀬呂、峰田たちも参加していたが、峰田だけは競技よりも相手女子生徒の胸元ばかり追いかけていた。あまりにも分かりやすすぎたので、アホやなぁと応援する気もなくなっていた。
ㅤ個性を全開にした午前中の競技とは違う。派手な爆発もなく、巨大な技の応酬もないただのレクリエーションだ。それなのに観客席の盛り上がりは凄まじかった。むしろ純粋に楽しめる分、こちらの方が歓声は大きいかもしれない。
ㅤみんなノリがいい。そんなことを思いながら、俺はA組用の観客席へ腰を下ろした。
ㅤグラウンドではセメントス先生が個性を使い、決勝トーナメント用のフィールド整備を終えたところだった。
『サンキューセメントス! Hey Guys!! Are you ready!? 色々やってきましたが、結局これだぜガチンコ勝負! 頼れるのは己のみ、ヒーローでなくともそんな場面ばっかりだ! 心技体、知恵に知識、総動員して駆け上がれ!』
ㅤプレゼントマイクのハイテンションな声が会場中へ響き渡る。午前中から続く熱気は未だ衰える気配を見せず、観客席からは大きな歓声が上がっていた。
「(最初は緑谷……)」
「頑張れ〜、頑張れ〜!」
ㅤ隣ではお茶子が両手を合わせながら、小さく声援を送っていた。その視線の先にいるのは、もちろん緑谷だ。心操とは話したこともないだろうし、多分、相手が誰であろうと今のお茶子は緑谷を応援していただろう。
ㅤこれまで二人のやり取りを見てきた身としては、少なくともお茶子の方は単なる友情以上の感情を抱いているようにも思える。だからといって茶化す気はない。緑谷は本当に良い奴だし、お茶子も真っ直ぐな奴だ。仮に二人がそういう関係になったとしても、悪い方向には転がらないだろう、とスルーする。
『一回戦! 障害物競走一位、騎馬戦四位の好成績! ヒーロー科緑谷出久!! バーサス! ごめんまだ目立つ活躍なし、普通科心操人使!』
「紹介ひどない?」
「まあ事実だけどね……」
ㅤどこからかそんな声が聞こえてきた。
ㅤ決勝トーナメントのルールは極めて単純だ。相手を場外へ落とすか、戦闘不能にするか、あるいはギブアップを宣言させるか。そのいずれかを達成した時点で勝利となる。
ㅤ怪我についてはリカバリガールが待機しているため問題ない。もちろん命に関わるような危険な状況になれば、セメントス先生やミッドナイト先生が即座に試合へ介入することになっている。
ㅤ要するに、思い切り戦えということだ。
ㅤもっとも──。
『道徳倫理は捨ておけぇぇぇぇ!!』
ㅤそう叫ぶプレゼントマイクに対しては、放送倫理くらい守った方がいいんじゃないかと思わなくもない。曲がりなりにも全国放送だぞ、と心の中でツッコミを入れる。
『そんじゃ、さっそく始めようか! レディィィィィィ、スタート!』
ㅤ開始の合図と共に歓声が爆発した。
ㅤ心操がどんな個性を持っているのか、俺は知らない。尾白は知っている様子だったが、詳しく聞く機会もなかった。だが、それでも緑谷相手にどうこうできるとは思えなかった。
ㅤUSJ事件の前、梅雨ちゃんが言っていた言葉を思い出す。
ㅤ緑谷の力は、オールマイトを想起させる。実際、障害物競走や騎馬戦、これまでの授業を見ていても、その評価は決して大袈裟ではないと感じていた。身体への負担こそ大きいが、一撃の威力だけなら一年生の中でも群を抜いている。
ㅤ正面からぶつかれば心操に勝ち目はないだろう。
ㅤ頑張れよ、緑谷。そんなことを考えながらリング中央へ視線を向けた次の瞬間だった。
ㅤ緑谷の動きが、ピタリと止まったのだ。
「ああ! 緑谷、せっかく忠告したってのに!!」
ㅤ突然の異変に、尾白が立ち上がる。
『おいおい緒戦だぞ、盛り上げてくれよ! 緑谷、試合開始早々、完全停止!!?』
「……なんや?」
ㅤリング中央。拳を握ったままの緑谷は、一歩も動かない。
ㅤいや、動けないと言った方が正しいのかもしれない。
ㅤまるで何かに縛られたように、その場で固まっていた。歓声に包まれていた会場も、異様な光景を前にして徐々にざわめきへ変わっていく。
ㅤリングの反対側では、心操が静かに口角を吊り上げていた。
【悲報】B組、全滅。
千重波チームを5位にした時点で、そうなる運命やったんや……すまない、鉄哲と塩崎……すまない。