ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
レースとは違う、『バ術』を舞台に、これから世界に羽ばたこうとしている小さなウマ娘とトレーナーたちがいた。
大きな障害を飛越しようとする彼らの物語が、ついに幕を開ける!
※これは史実を基にしたオリジナルウマ娘、トレーナーのお話です。
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『ウマ娘』。
彼女たちは、走るために生まれてきた。
ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る——。
それが、彼女たちの運命。
……しかし、”走る”ことだけが、彼女たちの生まれてきた意味ではない。
時に踊り、時に跳び、そして時に耐える。
ウマ娘に備わったあらゆる力、そして魅力を最大限に引き出し、競い合う。
それもまた、彼女たち『ウマ娘』の運命であり、生まれてきた意味なのである。
——『バ術』。
それが、レース以外での、彼女たちのもう一つの舞台である。
それは、人類が書物に文字を残す前から続く伝統。
ウマ娘が、自身が持つ能力をどれだけ引き出せるかという術。
その術は、19世紀ごろから『バ術競技』として整備され、レースに続く、ウマ娘の晴れの舞台となるに至った。
ウマ娘の美しい肉体の全てをもって”踊り”、その美しさを競い合う『バ場バ術(ドレッサージュ)』。
ウマ娘が野原を駆け回っていた時代から洗練されてきた飛越力を競う『障害飛越(ジャンピング)』。
そして美・飛・走、全てをもって競い合う『総合バ術(イベンティング)』。
しかし、そんな晴れ舞台で競い合うウマ娘たちも、たった一人で立ち向かうことはできない。
ウマ娘の隣には、いつも人間たちがいた。
それが、『トレーナー』である。
トレーナーはウマ娘の隣に立ち、未来を見て共に歩む。
時には親友のように、時には妻と夫のように、時には腐れ縁のように。
共に鍛え上げ、共に泣き、共に笑う。
バ術におけるウマ娘とトレーナーの絆は、特に固く、強い。
『人バ一体』。
ウマ娘とトレーナーが半身を共に共有するような、”最強のふたり”となったとき。それこそが、彼女ら彼らの目指すべきところなのだ。
20世紀前半。
それは、バ術が最も発展した時代である。
日露戦争、そして第一次世界大戦における機関銃等の登場によって、今まで軍事の主役であったウマ娘とそれを支えるトレーナーの兵士たち……『騎兵』がその力を疑問視されてもなお、ウマ娘と人が持つ力に人々は酔いしれてやまなかった。
その騎兵の力は、やがてバ術競技として人々を更に魅了させることとなった。
とりわけ『障害飛越』は、20世紀前半で最も盛り上がりを見せた競技と言ってもいいだろう。
ハードル、横木、そして水たまり。
数多の障害を跳び越え、ゴールまでの美しさと速さを競うこの競技は、世界のスポーツの祭典である近代『オリンピック』大会のトリを飾る競技だった。
オリンピックへの出場を許されたのは、軍服を着た騎兵のみ。
華やかな軍服を元にした勝負服を着たウマ娘が、相棒であるトレーナーと共に世界の頂点を目指す。
この物語は、そんな20世紀前半という時代の中で最も輝いていた”騎兵”たちが世界を舞台に戦い、どのように振舞ったかと言う物語である。
レースだけではない、バ術のウマ娘とトレーナーの絆を知るには、我々は数人の騎兵たちを追わなければならない。
この頃、ある一つの国が、バ術の開花期を迎えようとしていた。
欧米列強と肩を並べて間もない東洋の島国、日本。
千葉県・習志野にある陸軍騎兵学校に、ある男たちがいた。
男たちは、ウマ娘を育て、共に戦い、時に競い合うために腕を磨き続けるトレーナー……騎兵たちである。
「おい、来てみろよ!」
騎兵学校にある練兵場の砂のバ場に、トレーナーの卵であるバ術学生たちがぞろぞろと集まっていた。
「どうしたんだ、いったい」
近所のおじさんのような優しさを身にまとい、しかし細身で常に姿勢を良くした軍服姿の教官が騒ぎの隙間から練兵場を覗く。
「教官、お疲れ様です」
「ああ、で、どうした」
「”西”のやつが、自分のウマ娘に自動車を跳び越えさせるらしいんですよ」
「ほう、噂だけかと思ったら、本当にやるのか」
学生から聞いた話に、その教官はどこか頼もしそうに見つめていた。
その視線の先には、高さ1.8m、幅は2m以上はあるだろう軍用自動車があった。
その傍には、背の低いウマ娘が、足をぶるぶるとさせて泣きそうな顔をしていた。
「と、トレーナーぁ! ほ、本当にやるんですかぁ」
「当たり前だ! 吉住の奴に言わせたままにするわけにはいかん!」
ウマ娘を激励するように肩を叩くのは、背が高く、整った顔立ちをしたバ術学生の男である。肩には少尉の階級章をつけている。
男は同期の吉住少尉からこう言われた。
「いくらバ術の達人のキサマでも、自動車を跳び越えることはできまい」
からかい半分に言われたその言葉が、男に火をつけた。
「いいだろう。あんなものわけないさ。自動車を持ってこい」
そしてそれは騎兵学校中の評判となり、教官を含む多くの人々に囲まれた中で、自分の担当のウマ娘と自動車越えに挑むことになったのである。
「大丈夫だ、お前ならやれる、”福東(ふくとう)”」
”福東”と呼ばれたウマ娘は、男の顔を見て泣きそうな顔をごしごしと擦り、車から距離を取ったところに歩いて行ってしっかりと立った。
もう足は震えていない。男もそれに続く。
「いよっ、昭和の曲垣平九郎とそのウマ娘っ!」
集まった男の同期は、そう冷やかした。
「はっ、見ていろ。その曲垣平九郎よりも、凄いものを見せてやる」
男は、腰に差していた黒くてしなやかな棒……バ術用の指揮鞭を手に取り、びゅんと振って自動車に向けた。
曲垣平九郎とは、江戸時代の初期、讃岐にいたバ術の達人である。自分が鍛え上げたウマ娘と共に86段もある石段を一気に上り下りし、愛宕山にあった源平の梅を時の将軍である徳川家光に献上して出世したという逸話がある。
その逸話と同じように、彼にとって教官の前での自動車越えは、出世の道になるかもしれない大勝負なのだ。
「よし、いけっ!」
剣道なら木も真っ二つにしそうなほどの気合の叫びとともに、男は鞭で福東の肩を叩く。
それを合図に、福東は助走の100mをあっという間に走った。
「今だっ、そのまま跳べぇ!!」
「ぐ、っーーー!!!」
福東は顔を赤くしてぐんとした唸り声のような音を漏らしながら、疾風のように速く、しかし軽々と宙に飛んだ。
そして、高さ1.8mの軍用自動車をみごとに跳び越えて見せた。
「や、やった!」
福東のぱっと開いた笑顔と共に、周囲からどっと拍手がわいた。
それはあまりにも見事な飛越だった。
「よくやったなぁ!」
男は福東に駆け寄り、その頭をわしわしと撫でて笑った。
『西 竹一(にし たけいち)』。
後にバ術で世界を相手に挑むことに出ることになる貴族の彼は、まだ少尉のバ術学生だった。彼はこの年から間もなくイタリアに赴き、生涯の相棒となるとあるウマ娘と出会い、日本バ術における伝説を作り上げることになる。
「彼は凄いな」
群衆の隙間から覗いていた教官に、立派なカイゼル髭をたくわえた男に声をかけられた。カイゼル髭の男は”遊佐 幸平(ゆさ こうへい)”。1928年のアムステルダムオリンピックにも選手として出た男で、”バ術の神様”とも評される人物である。
そんな遊佐に声をかけられた教官は、優しい笑顔と眼差しを西に向けて笑った。
「彼なら、安心して任せられるかもしれませんよ」
「ほう、何に?」
「”オリンピック”ですよ。世界を相手に、彼ならやってくれるかもしれません」
『今村 安(いまむら やすし)』。
1923年から約10年間、陸軍騎兵学校の教官を務めることになる生粋のバ術家。1929年から3年、障害飛越競技が進んだイタリアのピネロロ騎兵学校に留学し、ヨーロッパ中の競技会に参加して多くの結果を残すことになる。
彼らは、まだまだ世界からは認められていなかった日本のバ術で、新しい歴史を作ることになる。
そして、そんな彼らの騒ぎを遠目に見ている、まだ小さなウマ娘の少女が一人。
「わぁ、凄い……!」
たまたま習志野を歩いている途中に自動車飛越の光景が見えたそのウマ娘は、思わずその飛越に見入り、感嘆の声を上げた。
「こら、”アスコット”! またぼーっとしてるな」
「げ、尾形さん」
「お前も強いウマ娘になりたきゃ、しっかりとしてもっと走らなければいかんぞ」
思わず足を止めて見入っていたウマ娘に、”尾形”と呼ばれた強面の男が注意した。
「えー、でも、レースのデビューなんてまだ先じゃないですかー」
「バカ者。レースに出たいなら、今くらいから走って強くならなければいかん。勝ちたいんだろう、特別競走」
「! はい、もちろんですっ」
「それなら行くぞ! まずは坂路往復だ!」
「えー! またキツい坂路ですかー!?」
文句を言いつつ、ウマ娘はどこか嬉しそうな顔をしながら駆けだした。
『アスコツト(アスコット)』。
1931年の10月11日に中山競馬場でデビューしてレースウマ娘になる彼女は、まだ夢を見る少女である。アスコットは今でいう重賞……特別競走を含む35戦17勝、2着13回という驚異的な成績をあげ、当時最高額の賞金を稼ぐことになる。そしてその後、彼女もバ術の世界に魅せられていくことになる。
まだまだ世界、そして勝利という”夢”を見る日本の人々。
そんな人々と深くつながることになるウマ娘が、海を越えた先にいた。
一人は、イギリス。
ロンドン郊外。イギリス陸軍が管理するウマ娘練兵場では、練習用に並べられたハードルを跳び越えるウマ娘がいた。
「っ! ……よし」
たった一人、雨が降りそうな曇天の中で障害を跳んでいる。
その姿はしなやかで、誰もいない練兵場の中に吹く風のように鋭く、しかし心地よささえ覚える飛越であった。
「必ず、いつか、世界に……!」
しかし、走る彼女の目の中で燃える炎は、どんなものよりも熱く激しく見えた。
『ソンネボーイ(サニーボーイ)』。
のちに今村と組むことになる、アイリッシュ系のバ術ウマ娘である。1929年ごろからイタリアを中心とする数々の競技会で入賞し、欧州バ術界からの注目を浴びることになる。
そして最後にもう一人、この物語の中心となる、あるウマ娘を忘れてはならない。
ポルトガル・リスボン。
ここでは、年に一度行われる障害飛越の国際競技会が行われていた。
石畳の広場には人がひしめき合い、その中心には異常ともいえる高さのハードルが重々しく佇んでいた。
そしてその障害の100m先から、今まさに、自分の背よりも高いそれを跳ぼうと疾走しているウマ娘がいた。
そのウマ娘は、目の前に立ちはだかる障害ほどではないがとても背が高く、181cmはあった。
体格も良く、重々しさはないもののブロンズのように美しい肉体をしていた。その肉体からもたらされた大きな力が、彼女自身を空高く、障害よりも遥か高く宙に浮かせるのだ。
「跳んだっ! 190cmの障害を、”ウラヌス”が跳びましたー!!」
その体の大きさからは想像できないほど軽やかな飛越に、会場で見守る人々は拍手するのも忘れ、魅入っていたのだった。
「……良い飛越だった、ウラヌス」
そんな沈黙を破ったのは、イタリア陸軍の青みがかった軍服を着た、騎兵の男の一声だった。
「え、ええっ。これくらいの障害、わけないわ」
ウマ娘は笑顔を見せるまでも、男の顔を見るまでもなく、額の汗を拭っただけだった。
『ウラヌス』。
のちに日本のウマ娘として世界に挑むことになる彼女は、このときはイタリア陸軍のバ術ウマ娘であった。彼女の中の世界を目指すバ術の炎は、この時からめらめらと燃えていた。
この物語は、まだ小さなウマ娘とトレーナーたちが、欧米の強豪のみならず、時代と言う巨大な怪物とどう対峙し、どのように振舞ったかという物語である。
彼らは、バ術の全盛期である20世紀はじめという時代で、前を向いて進み続ける。
この世界にいる人バの競技結果は、まだ誰にもわからない。
西も。
「よし、福東、もう一度跳べるか!?」
「あの、トレーナー、流石に……」
「よーしもう一回だ! 行くぞ!」
「え、えぇー!?」
今村も。
「このままいけば、西君も大出世かな……よし」
アスコットも。
「私もいつか、あのウマ娘さんみたいに、空を駆けるようなレースを……!」
ソンネボーイも。
「いつか越えてやるっ。そしていつかヨーロッパを越えて……!」
そして、ウラヌスも。
「これを越えて、私は絶対に、世界一のウマ娘に……!」
誰も、跳び越えた先の未来を知ることはできない。
しかしその瞳の先、障害を越えたところに僅かでもゴールが見えたのなら。
トレーナーは愛する担当のウマ娘に。そして、ウマ娘は自分自身に。
この二文字を叫ぶだろう。
「跳べっ!」
「跳べっ……!」
「跳べ—―!!」
「跳べ」
「跳べ!!」
「「「「「翔べ」」」」」
飛越の先に何があるのか。
物語は、ついに幕を開ける。
大変お待たせ致しました。
バロン西・ウラヌスの史実を元にした「跳べ、ウラヌス ~ウマ娘オリンピック物語~(https://syosetu.org/novel/257393/)」のセルフリメイク長編、スタートです。
※今回の史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』はこちら
→https://note.com/hal_sorami/n/n108eabecc598