彼女の走る姿が見える。
…羨ましい、私も走りたい…なんで走れないんだろ。
私は五体満足なのに、どこも痛くないのに。
歩き出すことはできるのに、どうして、走れないんだろう。
──ちゃんが順調そうだから?私は未だトレーナーの一人もつかないで、デビューどころかトレセン学園に居るのも難しいのに?
……妬ましい、羨ましい。
どっちの感情か、整理はつかないけれど。
……それでも、トレーナーさんが、私を見つけてくれる日まで頑張るしかない。
そういやって騙し騙し、入学して三年…中等部も終わるのに、トレーナーさんは期待の新人ウマ娘だとかに群がっていく。
…仕方ないよね、名前なんて知れてない、同級生の何人かに覚えられてて……──ちゃんには、覚えられてるのかな。
なんて、そんな愚痴のような、諦めのような、そんな負の感情を煮詰めて固めた感情を押さえつけつつ。
重りをつけている訳でもないのに、異様に重たい足を引き摺ってトレーニングコースへ向かう。
───
……───ちゃん、また…
……ううん、今はそんな時じゃない、デビューまでもう少しだから…頑張らなきゃ。
───ちゃんに距離を置かれちゃってから、どれだけの時間が経ったんだろ……
…私にトレーナーが着いた時から、その時からになっちゃうか……
…ここに入る前、約束したの、覚えてるかな?
───ちゃん、いーっぱいの夢を語ってくれたもんね。
いっぱい走って、いっぱい一着を取るって言ってたもんね。
……でも、もうそんなことを言えるような状況でもないんだよね。
三年間、トレーナーに声すらかけてもらえなかったんだよね、───ちゃんは頑張ってるのに、模擬レースだっていっぱい走ってるのに。
どうして───ちゃんの良さを誰も知らないんだろう、私はいーっぱい知ってるのに。
笑顔が可愛くて、努力してる顔がカッコよくて、挫けそうになってる───ちゃんになんども声をかけようとしたけど、自分一人で這い上がって来てて。
……私よりすごいよ、───ちゃんは…それなのに、それなのに……なんで、なんだろう…私の方が先なんだろう…
…───ちゃんの分まで頑張らなきゃ…私がもっと、もっと…!
…もっと、もっと、もっと、もっと……彼女が走れていない分まで…もっと、もっと……
あ
───
…──ちゃんが怪我をした、私はその現場を見てた、見てた一人なのに。
……体が動かなかった、ただ──ちゃんが転んで倒れて、その場から動けなくなってる姿を少し遠くから見ていることしか出来なかった。
…どうして、少し嬉しいと思ってしまったのだろうか。
……どうして、そんな感情が出てきてしまったんだろうか。
先に行っていることが妬ましかったんだろう。
私だけどうして、なんて憎悪のような、そんな感情があったんだろう。
心の奥底、深層心理、そんな場所では。
……謝らなきゃ、いま、行かなきゃなのに……どうして、足が動かないんだろう。
…保健室にいるんだ、走っていけばすぐだろう、歩いても五分とてかからないだろう、なのにどうして動かないんだ。
この足は、行くことを拒んでいるのか。
…ごめんなさい、──ちゃん、今日は…行けそうにない。
───
怪我、しちゃったな。
トレーナーさんには、もちろんすごく怒られちゃった。
心配をかけたこと、怪我をしてしまったこと、オーバーワーク気味だったこと、いろいろと謝って。
その時はなんとも思っていなかったのに、いざこうして振り返ってみると、本当にオーバーワークで。
無意識のうちに、───ちゃんのことで…
……お見舞い、来てくれるかな…なんて……
…いや、今は…治すことを考えなきゃ、全治三ヶ月って言われちゃったし…暫くは、全力で走ることもできなさそう。
保健室で横になって、窓の外を見てる。
酷い雨、稲妻も、稲光も、雷鳴も、今はこの音が私を落ち着かせてくれる。
…お母さんの子守唄、みたいな…そんな感じの音。
今は、そう感じる。
昔は───ちゃんとふたり、雷を怖がってたもんね。
今はどうなんだろう、怖がってるなら抱きしめに行きたいな。
相部屋じゃないけどね。
……どうか、明日までこの大雨が続きますように。
そんな、届くか分からないお願いを口に出して、瞳を閉じる。
───
……やっと来れた、気がする。
…それでも、一日しか経ってない。
私にとっては長い長い夜だった、今の時期に似合った大雨と雷。
眠ろうにも、未だに恐怖心が勝ってしまって眠れない。
──ちゃんに、抱きしめられたい。
そんな思いが頭の中をぐるぐる駆け巡って、眠ろうにも眠気は来ないし、雷の音は酷くて。
ふらと時計を見たら四時を指していて。
漸く雷が収まってきているものの、それでもまだ雨は酷くて、朝日の光すらも届かないような曇天で。
……そのまま、日が昇る時間まで時計を見つめた。
時計を見つめているあいだは、外の音が遠くなって、思考に集中できた。
今日、お見舞いに行ったらなんて言おう。
まずは動けなかったことを謝るべき?
それとも、暫く無視に似たことをしてきてしまったことを謝る謝るべき?
それとも…──ちゃんが怪我をしてしまった時、不意に嬉しいと言う感情が出てきたことを謝るべき?
そんなことを考えていると、かなり近くで雷が落ちたのか、バリバリという大きな音でベッドから飛び起きた。
無意識に眺めていた時計は、いつの間にか何時も起きている時間を指している。
こんな天気じゃあ、トレーニングをすることも出来ない。
…むしろ、言い訳が作れる状況を願っていた私にはこれ以上でもない状況ではあるけれど。
それでも、体が覚えた動作を淡々とこなして、部屋を出ていく。
同部屋の子を起こさないように、そっと扉を開けて。
肩にはいつものバッグじゃなくて、あの時一緒に使っていた、あのバッグを。
───
いつの間にか寝ちゃってて、目が覚めたらいつもと同じ時間で。
なんというか、やっぱり体が覚えちゃってるんだなぁ…なんて考える。
窓の外を見ると、夜かと思うような空の暗さで。
流石に臨時休校だなぁ…なんて、そんなことを思いつつ…ベッドに深く倒れ込んで。
何故か、向かってくる足音が聞こえた。
窓に打ち付けてくる雨音と、酷く鳴る雷とで、何も聞こえないはずなのに。
その足音は扉の前で立ち止まって、そしてその扉を開けて。
私はその正体を知っている、何回も聞いて、何十回もその足音を記録して。
…何時ぶりだろう、こんな…私と話してくれる気になったのは。
LANEでも返事はこないけど、既読だけは付くし。
……閉められたカーテンが開いた。
「…おはよう」
重く、そんな声が聞こえる
「おはよう」
いつもと変わらぬ調子で答えて。
「…朝、早いけど…お見舞いに…」
その時、稲光とともに酷く近く…もしかしたら、ここに落ちたかもしれない大きな音がして。
「ぁ…大丈……」
そう言い終わる前に、彼女は…私に抱きついてきて…
「こ、わいっ…よぉ……──ちゃんっ…」
昔と変わらない、震えた声で、私に抱きついてくる───ちゃんが居た。
「…大丈夫だよ、───ちゃん」
彼女の方が体は一回りも大きいのに、小さく感じる。
「…ご、めんねぇ…!……ごめんね…ごめんね…っ!」
そのまま、───ちゃんは堰を切ったように泣き出すと、謝罪の言葉が溢れてきて。
「…いいよ、全部…許してあげる」
何も聞かずに、全てを許して。
「ありがと、っ……う、っ…──ちゃんっ…!」
そのまま、ずっと抱きついてくる───ちゃんが…とっても可愛くて、とても、好きで…その感情に名前をつける余裕なんてないけど。
「…───ちゃん…ちょっと、顔を上げて?」
泣きじゃくる───ちゃんに、今伝えられる最大限は
「…ん…ぁ、ふぇ……な、にっ……?」
涙ぐしゃぐしゃの、昔と変わらないその唇と、そっと重ね合わせることで。
「……───ちゃん、大好きだよ」
これからも頑張ります、お騒がせしてすいませんでした。