双子星の円舞曲   作:厳冬蜜柑

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宵に宴、仲春に約束を

 シャダイの娘が、ダイナのウマ娘が、クラシックの冠を戴いた。

 

 その出来事はかつての栄光の再来として、日本のトゥインクル・シリーズ関係者の中に驚きをもって迎えられた。

 しかしそれは同時に、ある種の時代錯誤のようでもあった。

 

 かつてこの国のトゥインクル・シリーズを牽引していたのは、宮内庁、いや戦前の宮内省における主*1の御料館*2に所属していたウマ娘たちの血を受け継いだ、少数の名家であった。例えばそれはシンボリ家であり、また或はメジロ家である。

 シャダイ一族はそれより少し時代が新しく、二次大戦後のアメリカとのウマ娘交流の中にその端を発しているのだが、いずれにせよそうした強い血を持つ「ウマ娘()()」なるものが、どこまでもトゥインクル・シリーズの主役であり続けたのは確かなことであった。

 

 しかし今やシンボリにせよメジロにせよ、自らの一族から有力なウマ娘を輩出できなくなって久しい。最近ではもともとゲーム業界における雄であったサトノグループがウマ娘レース業界に名乗りを上げてきているが、界隈の中ではどこまでも新参で、結果を出すに至っているとは未だ言えない。

 

 そしてその代わりに勃興しつつあるのが、シャダイレーシングクラブの外部トレーニング設備――所謂「外厩」を活用して実力を磨いた、個人のウマ娘たちだった。ただ個人とは言えウマ娘の育成にかかる費用の高さや、或はウマ娘の「血」を取り入れてきた社会階層の問題で、その出自が上流階級に偏っているのは今のところ事実ではあるし、それがまた別の社会課題を生んではいるのも確かなことである。

 

 しかしいずれにせよ、そして兎にも角にも、時代の流れとは本来的に不可逆なものであって、故にかつての栄光を歴史の中から掘り返そうとする営みなど、うまく行く方が稀なことなのだ。だからこそ、レース業界の雄であるとは言えウマ娘の輩出という意味では()()していたはずのシャダイの一族が突如クラシックに有力ウマ娘を送り込み、その彼女が見事皐月賞ウマ娘にまでなったというのは、まさにトゥインクル・シリーズの関係者、あるいは有識者からすれば青天の霹靂であるとしか評価しようがなかった。

 

 

 

 

 

 ダイナファントムは、先日の狂騒について、ただ思いを馳せる。

 GⅠレースを勝利したウマ娘のためには、記者会見が組まれるのが通例である。ジュニアGⅠはどうしても軽んじられる傾向から未だそこまでの立ち位置を得ていないが、クラシックやシニアのGⅠに関しては間違いなくそうである。

 そして皐月賞を勝利し、無事クラシックの冠を一つ手に入れたダイナファントムに対しても、また等しく会見が組まれていた。

 

 トレセン学園のプレス用ホールの中、URAのロゴの入った緑色の市松模様の壁紙を背に、数多くの記者とカメラに囲まれる。

 知覚が鋭敏であるウマ娘に対してはフラッシュを焚いてはならないとURAに厳命されている以上、彼らからストロボの閃光が絶え間なくこちらに向けられるということはない。

 ただそうであるにせよ、シャダイの、名家の一員であるダイナファントムにしても、これほど多くのカメラを向けられる経験というのは、間違いなく初めてであることは確かだった。

 

 URA職員が司会して場を取り仕切る中、彼女は自らにかけられる問いに淡々と答えていく。

 

 

 

 ――まずはダイナファントムさん、今回の皐月賞制覇、おめでとうございます。

 

「はい、ありがとうございます」

 

 ――一夜明けてですが、レースを終えられての感想は。

 

「今まで四戦走ってきましたが、一番いい走りができたんじゃないかなと、考えています」

 

 ――確かに、素晴らしい走りでした。特にあのスタートは、見ている方も驚きました。何か秘訣があるのでしょうか。

 

「秘訣……難しいですね。強いて言うなら、ゲートの中でしっかりと気を落ち着けること、でしょうか」

 

 ――ありがとうございます。レース展開の方はどう考えていましたでしょうか。

 

 

 

 まずはそんな形で、レース全体に関する振り返りの質問が飛ぶ。

 トレーナーとの反省会はこれからとなっている手前、あまり深い分析ができているものではなかったが、しかし彼女の心情の正直なところが、答えとなって出てきていた。

 

 正直な話、今回のレースは、皐月賞は、なぜかダイナファントムとしては負ける気がしていなかった。前走の弥生賞、同条件でディープインパクトに敗れ、それからまだひと月程度しか経っていないのにもかかわらずである。

 そこに理屈の立った理由というものはなかった。実際、ディープインパクトには最後の直線で一と半バ身差まで詰められた。実力は伯仲していて、展開で勝敗が入れ替わる可能性も、ゼロではなかっただろう。

 けれども、確かにあの瞬間、ダイナファントムの目には勝利以外のビジョンは浮かんでいなかったのである。

 

 

 

 ――このクラシック戦線、ディープインパクトさんはダイナファントムさんの唯一のライバルであると目されていますが。

 

「まあ、はい。あの皐月賞に出走している皆さんは全員結果を出してこられている方ですので、何か一人を、という風に言うのが正しいかは分からないのですが……」

 

 ――ああ、確かにそうです。すみません。

 

「いいえ。ですが、そうですね。記者さんのおっしゃられる通り、ディープインパクトさんは非常に強いウマ娘です。これからも勝ち負けを続けると思っています。全力で勝ちには行きますが」

 

 ――そうですか。では今回の皐月賞、勝利の決め手を一言で表すと、何になると考えていますでしょうか。

 

 故にそう、ライバルたるディープインパクトを絡めた問いの中、自らのレースにおける勝因を訊ねられたダイナファントムは、それまでの流暢なやり取りから一転、答えに窮することになる。

 なんとなれば、根拠のない自信で勝ちを意識して、そのまま先頭を譲らず走り切って、栄冠を頭上に戴き、そして今自分はここにいるのだ。

 確かに、勝因の探求はこれからいくらでもできよう。レース展開一つ一つを話せば、その積み重ねが勝利に至るのは確かなことだ。

 けれども、そうではない。訊かれているのも、話すべきことも、きっとそうではないのだ。それぐらいのことは、ダイナファントムにも分かっていた。

 

 内に潜るように、目を閉じる。あの日曜日に至る何もかもを、しばしの間に顧みた。そしてきっとその最後、辿り着くのは一つの約束に相違ないのだろう。

 彼女は目を開き、そして自らの抱える答えを、言葉に載せた。

 

「……託された、からです」

 

 ――託された、とは。

 

「皐月賞の前の週ですけれども、同じチームのシーザリオさんが、ティアラに、桜花賞に挑んで……結果は、ご存知だと思いますが」

 

 ――ええ。アタマ差という僅差ですが、二着でしたね。

 

「そう、です。彼女は、ティアラの一冠目を取れなかった。このチームも。だから、託されたんです」

 

 ――つまり、皐月賞を。

 

「はい。『必ず勝って』と、その日の夜に。……それが、多分理由です、かね」

 

 静寂がやってくる。ダイナファントムの言葉が、どこまでも透明な眼差しが、問いを投げ続ける記者の胸を、きっと打った。

 

 ウマ娘は、思いを背負う。その思いの強さは、力になる。

 勝負服という、一見して走ることに不合理な格好こそがそのウマ娘の実力を発揮させるに相応しい装いであることの理由も、その原点は同じであるのだ。

 

 ダイナファントムの言葉は、この場に詰めかけた記者たちの心中に、その事実を否応なく想起させた。

 彼女たちウマ娘の存在の根源というものすら実感させ、意識させる。それはそんな会見となったのだった。

 

 

 

 それからあとの流れは、ある程度和やかに、予定調和に進んでいった。

 当たり前のことではあるが、ダイナファントムは次走を東京優駿、つまりダービーに据えていると公表する。当然に目標は二冠獲りとなるわけだが、しかしそこに立ち塞がる最強の敵はまさしくディープインパクトであり、その巻き返しは十二分にあると言うことも、ダイナファントムは主張していた。

 それゆえに、これからのトレーニングも決して欠かさず行うということも。

 同時に、以降の方針については未定であることも明かした。今から結果の如何に言及することがあるべき姿かはともかくとして、ダービーというものはクラシックのウマ娘にとって一つの区切りなのだ。いや、それはトゥインクル・シリーズ全般にとってそうだろう。なぜならばそこからジュニアのメイクデビューが始まり、そしてダービーを超えたクラシックウマ娘は、それ以降シニア混合のレースへの出走資格を得ることになるからである。

 「ダービーに始まり、ダービーで終わる」。トレセン学園内部の事情は兎も角として、トゥインクル・シリーズの年度感覚というものはそういうところであった。

 

 

 

 それが、大体一週間ほど前のことである。

 そして今、彼女は、否チーム《ポルックス》の面々は、トレーナー室でささやかながらダイナファントムの皐月戴冠を祝う食事会を開いていた。

 

「乾杯の時も言ったけど、ちょっとチームというにはこじんまりすぎるよね、今の私たち」

 

 部屋の中いっぱいを見渡して、福井トレーナーがそう口にする。

 学園の食堂に申請して、そこそこの規模の料理を運んできてもらってテーブルに広げているものの、たしかにそれはその通りであった。

 結局今ここにいるのはいつもの三人、つまりダイナファントム、シーザリオ、そして福井トレーナー、それだけである。

 

「エルシエーロさんは……でもちょっと声をかけづらいですし」

「そうだよねぇ……」

 

 チームに残るもう一人、ダイワエルシエーロは先々週のダービー卿チャレンジトロフィーにてブービーから五バ身のシンガリ負けを喫していて、はっきりこういう場に顔を出せるような精神状態ではなかった。次走は六月の中京レース場、愛知杯を想定しているとはいえ、もしかすれば出走を回避し、最悪の場合このまま引退すらもあり得る、そういう厳しい情勢*3にあった。

 ただ彼女がこの場に出席したとしても、なお参加人数は四人である。現状のチーム《ポルックス》が、チームと呼べる規模にないことだけは、ほぼ間違いがなかった。

 

「いいじゃありませんか。少ない人数でも、いえ、少ない人数だからこそ、ファンさんの勝利を真っ直ぐに祝えるんです。こじんまり、上等でしょう。……そうではなくて?」

 

 どこか少し陰気になりかけていた空気を、シーザリオが吹き飛ばすように声に出す。ダイナファントムに視線を向け、念押すように首を傾げた。

 

「そうだね。……きみがそう言ってくれるのは、嬉しいよ。食堂の人も色々奮発してくれたみたいだし」

 

 問われたダイナファントムは、テーブルの上へと視線を向ける。そこには確かに日々の食堂の献立とは違う、はっきりと祝賀用に用意された豪華なメニューが並んでいた。

 例えばテーブルの中央に強く存在感を主張する、三段重ねになっている大判のにんじんハンバーグなど、そうそうお目にかかることもない代物だろう。

 これを公言すると厭味になりかねないが、相応の出自を持つダイナファントムやシーザリオにとっても、こういう類の「ご馳走」というのは逆にあまり目にしないものなのだ。素朴ながらも温かみあるこの光景は、だからこそ何重もの意味において、彼女たちには見慣れないものであった。

 故にかそれを見て、シーザリオもまた相好を崩していた。

 

 ダイナファントムは考える。

 この場において、最も先行きに不安を抱えているのは間違いなくシーザリオである。桜花賞二着は確かに優秀な結果とは言え、トゥインクル・シリーズの世界は結局のところ勝者の総取りに近い。つまり次のオークス、彼女は本当に必勝を期して当たらねばならないのだ。特に自らの距離適性ど真ん中のレースで、桜花賞で負けて強しのレースを見せたことで当日の勝ちについては正直なところ誰も疑っていない。

 それがどれほどのプレッシャーであるか、察するに余りある。それでも今ここで、素直にチームの、そしてダイナファントムの勝利と栄光を祝している彼女の態度と心根は、どれほどに芯の入った強いものであるか。

 

「……ありがとね、ザリオ」

 

 故にダイナファントムの口から自然とそういう言葉が零れてしまうのは、宜なるかなとしたところであった。

 

「何が、かしら」

「いや……きみもこれから大変なのに」

 

 出てくるのは曖昧な台詞でしかない。なのに、なんなのか。それから先をうまく言葉にできない自分が、ダイナファントムはどうにももどかしかった。

 その様子に、シーザリオは笑った。小さく、笑い声すらも上げて。

 

「見くびらないで頂戴な。これでも私、『あなたに負けてはいられない』って、思っているのよ」

 

 言ったその目を、ダイナファントムは見る。どこか挑発的な目線であった。

 目を丸くしながら自らを見る僚友の姿を傍目に、手元の皿に取り分けた料理を頬張り、行儀よく嚥下しきってから、彼女は徐に続きを口にする。

 

「だってそうでしょう? あなたはトレーナーさんにGⅠのタイトルを一つプレゼントしたわけじゃない。しかも初めてのクラシックの冠よ。けど、私はまだ。同じチームメイトだけど、それはちょっといただけないわ」

 

 何のことかと思ったら、そう言うことらしい。どこか稚気も含んだ言い草に、ダイナファントムもまた失笑せざるを得なかった。

 

「何だそりゃ。そういうもの?」

「ええ。そういうものよ」

 

 対するシーザリオはいつもの澄まし顔である。ただそれは明らかにわざとらしい。ある種のじゃれつきにも等しかった。

 

「だからね、ファンさん」

 

 手に持つ皿を、テーブルに置く。そして身体ごとダイナファントムに向き直り、シーザリオはぐっと身を乗り出した。

 

「勝つわ、私。絶対に。それで、競争しましょうよ」

 

 何をかと言葉を挟む暇も与えず、彼女は一呼吸の後に続けた。

 

「現役生活で、どれだけトレーナーさんにGⅠタイトルを持ってこれるか。差し当たっての目標は……『シンボリルドルフ』さんの七つね」

 

 茶目っ気たっぷりな響きのそれと共に、片目を瞑る。

 全く以て、遠大な目標である。本気かウソかも判別のつかない、絶妙な表情と、そして内容だった。

 ただ、それであってもダイナファントムは分かっていた。

 シーザリオという少女は、決して口から出まかせを言うようなウマ娘ではないと。

 

「それは……またすごい自信だね」

「ええ。でも、そうでしょう? 私たち、お互い確かにライバルはいるけれど、()()()()

 

 だからこそそこで、ダイナファントムは気づいた。

 確かにシーザリオは未来を語っている。そしてそこに含む意味合いに、無責任な展望はない。

 ただそうであっても、そしてそれ以上に、彼女はこう言っているのだ。

 

 ――心配しないで。あなたはあなたのレースをしなさい。

 ――私は自分で自分の面倒を見れる。そして、きっと勝つ。特に、次のレースは。

 

 ともすれば傲慢なその物言いにしても、畢竟そんな形の、きっと鼓舞なのだ。

 どこか奥ゆかしい含意で以てそれを伝えんとするやり方も、ある種のらしさに相違なかった。

 

 ならばその意思を汲むのが、チームメイトとしての、ルームメイトとしての意気というものだろう。

 ダイナファントムは、無言で頷く。

 

「――ならさ、二人とも。これから元気で長く走って貰わないとね!」

 

 そこに横から、茶々が入った。二人してそちらを見る。つまり、福井トレーナーであった。

 ウマ娘用にたっぷり用意されている目の前の料理を、しかしこんな機会だからとバクバク口に入れながら、彼女はそんな明るい声で、あっけらかんと言っていた。

 

 どこか湿り気を帯びていた空気が、一気に晴れていく。いいところの出である彼女たちからしたら随分と行儀の悪いトレーナーのその振る舞いも、今のこの場を和らげるにあっては最適解に近いものであるのかもしれなかった。

 

「確かに、そうですね。無事これ名バなんて、トゥインクル・シリーズの格言*4ですし」

「そう! だからさ――」

 

 福井トレーナーは、テーブルの上の料理を指さして、目の前の二人めがけて目線を送った。

 

「ほら、もっとしっかり食べときなさいって。こんなご馳走次はいつ食べられるかって話なんだから。で、明日からはまたトレーニング、しっかりやっていきましょう!」

 

 急に世話焼きおばさんのようなことを言い始めた彼女の様子に、対面のウマ娘たち二人は面食らい、互いに顔を見合わせる。

 

「確かに……」

「そうですね」

 

 が、それも束の間のこと、彼女たちもまた頷き、そして福井トレーナーの言うことに倣うことにした。

 

「なら、福井トレーナー。それ以上食べられるとは考えないことですよ」

「そうです。私たちウマ娘の食欲というものを、軽視してもらっては困りますわ」

 

 そしてそんな宣戦布告の台詞と共に、ダイナファントムとシーザリオ、二人して食事の争奪戦に身を投じる。

 望むところだと応じた福井トレーナーではあったが、しかしというかやはりというか、現役ウマ娘の食欲と反射神経の前に、テーブルの前にある食事は本当に粗方片付けられてしまうことになった。

 いかなる意味においても、ウマ娘に人間が勝てるわけがない。ただそれだけの話であった。

 

 

 

 トレーナー室の中、週末の夕方は斯くも賑やかに過ぎてゆく。

 しかしそれが終わって一夜が明ければ、チームの意識はすっかりと、次の戦場に向いていた。

 

 つまり、シーザリオは、オークスへ。

 そして、ダイナファントムは、日本ダービーへ。

 

 今ひとたびの勝負の時は、またひと月の先にある。

 遠いようで近いそれは、彼女たちにとって――否、その場で走るであろう全てのウマ娘にとって、まさしく、確かに、一つの運命の岐路であった。

*1
主馬寮。律令制における馬の管理を司る機関。

*2
こちらは独自設定の施設。御料牧場をイメージしている

*3
史実においては出走しているが、このレースだけ鞍上が福永Jから武幸四郎J(武豊Jの実弟)に替わっている

*4
これは本当。この諺の初出は漢籍ではなく、小説家(馬主でもあった)菊池寛によるものである。彼がJRA刊行の機関紙「優駿」に寄稿したコラムの題名にもなっている。

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