双子星の円舞曲   作:厳冬蜜柑

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CC = Counterclockwise(左回り)


スーパー・スター――Hollywood Park; American Oaks Invitational Stakes (Grade 1)(10T, CC, Fm)

 その日のハリウッドパークレース場は、例年のそれに比べても一段と上の盛り上がりを見せていた。

 ――極東(Far east)から、日本(Japan)から、二年続けての挑戦者(Challenger)がやってきた。

 地元の新聞が、そう書き立てる。

 その対象というのは、言うまでもなく今日のメインレース、アメリカンオークス招待ステークスのことであり、そしてその中で日本のウマ娘として初めての栄誉に挑む、シーザリオのことでもあった。

 

 アメリカという国のウマ娘レースにおいて、芝とダートの力関係というのは、おおむね日本のそれと真逆と言ってもいい。

 つまり今日のレースというのは日本におけるダートGⅠのような位置づけを以て、本来なら迎えられていた。つまり同じティアラ戦でも、ケンタッキーオークスやCCAオークスのようなダート戦に比べれば、その注目はどうしても一段落ちる。

 ただ今年は違った。或は、去年も。

 つまり去年、はるばる日本からこのレースに対して殴り込みをかけて、結果一バ身差二着という好走を見せた桜花賞ウマ娘ダンスインザムードに引き続いて、今年も遥か遠くの国から、芝の有力ウマ娘が力試しにやってきたことを、現地のウマ娘レースファンは歓迎の意思を以て受け止めていたのである。

 

 この辺りは、自由の国たるアメリカのアメリカらしさだろうかと、ダイナファントムは思う。

 挑戦者を愛し、開拓者を愛し、来訪者を愛する。すべての者に門戸を開き、成功者は最上の賞賛で以てこれを迎える。それこそが、かの国の人々の基本的なマインドセットである。

 その在り方を、ダイナファントムは好ましいと思っていた。シャダイ一族に連なる者としてのアメリカ贔屓が少なからずあることは事実であっても、しかしその国民性そのものは、洋の東西を問わず尊重されるべきものだろうと、ダイナファントムは深く信じていた。

 

 ともあれそういうわけでこの日のハリウッドパークは、メインが芝レースであるにも関わらずかなり客の入りが多かった。体感では、東京レース場のオークスの時のそれと同じか、もしかしたら少し多いかもしれない、それほどである。

 

 

 

 アメリカのレース場の一つの特徴というのは、出走ウマ娘の関係者の席が、観客席よりも一段前にあることである。つまりレースに勝ったウマ娘の陣営が、一度地下バ道にあるエレベーターなどの経路を通らずに直にウイナーズサークルへと足を向けて、その勝利を称えることができる、そういう構造になっていた。

 そういうわけで、福井トレーナーとダイナファントムの二人は、レース場の最前列よりも更に前、まさにレースの路面のほど近くに立って、その時を迎えようとしていた。

 しかしそこに、一人の影が差す。ベージュ色のスーツに紺色のボウタイをつけた、壮年の白人男性であった。左手側から二人の方へと近づくその者の姿を視界の隅に認め、ダイナファントムが向き直る。そしてそれが誰かを識って、彼女は相好を崩した。

 

"お久しぶりです、オーナー"

 

 当然に英語で呼びかける。そして右手を差し出した。釣られて彼女たちの方を向く福井トレーナーのほうにちらと目線をやって、「オーナー」と呼ばれたその男は、差し出された右手を己の右手でしかと握った。

 

"久しぶりだね、ミス・……あー……"

"『ダイナファントム(Dyna Phantom)』です"

 

 反射的に『元の名前』、つまりシャダイ一族の苗字で以て呼びかけようとした彼が、言葉に詰まった。一般に三女神から名前を頂戴して現役の競走ウマ娘となったウマ娘のことは、その「いただいた名前」で以て呼ぶことが、万国共通のマナーであるとされているからである。

 よってそれに答えたダイナファントムの言葉に頷いて、オーナー、つまりこのハリウッドパークレース場の所有者、支配人たる彼が、大きく頷く。

 

"ダイナファントム……そうか、ダイナ……それが、君の『三女神からの贈り物(The gift from the tri-goddess)』なんだね"

"はい。その通りです"

"そうか。……いい名前だね"

"ありがとうございます"

 

 随分と大きくなったね、であるとか、何年ぶりに会うだろうか、であるとか。

 そんなどこか親戚のようなやり取りを続けている二人のことを訝しんだか、福井トレーナーが控えめにダイナファントムの服の裾を引っ張る。

 何事かとそちらに顔を向けたダイナファントムに、彼女は問いかけた。

 

「ごめん。この方、どなた?」

 

 なるほど、確かに置いてけぼりであったか。そう考えたダイナファントムが、己がトレーナーに向けて軽く頭を下げる。

 

「あ、すみません。この人は、このレース場のオーナーの方です」

「……は、え、えぇ!?」

 

 その答えを聞いて、一瞬だけ福井トレーナーが固まる。ぱちぱちと何度か目を瞬かせた末に、その意味するところをようやく理解したらしい。

 そんな素っ頓狂な声を上げつつ、手で示されたかの男性の、オーナーの方へと身体を向ける。そしてばっと、その頭を下げた。

 

 当のオーナーの方はと言えば、確かに多少の日本語こそ解するものの、小声のやり取りを聞いてそれを理解するほどには日本語への造詣は深くない。そういうこともあって、いきなり挙動不審な動きを始めた女性の姿に不思議そうな顔をして、ダイナファントムへと訊ねた。

 

"えっと。この女性は?"

"ああ、はい。トレーナーです、私の"

"トレーナー? なるほど"

 

 軽い調子で頷いた彼は、顔を上げた後もどこか緊張した雰囲気を醸し出している福井トレーナーめがけて、右手を差し出した。

 そして己の名前を名乗りつつ、自らがこのハリウッドパークレース場の所有者であることを告げる。

 それに恐縮しきりな態度を隠すことなく福井トレーナーも自らの名前を名乗って、そしておずおずと右手を出し、握った。

 

 斯くしてどうにかこの場の三人が挨拶を済ませたところで、本題だとばかりにオーナーが、ダイナファントムに話題を振った。

 

"それで、君たちのチームの子はどこだい? たしか、ミス・シーザリオだったか"

"ああ、はい。ええと……"

 

 問われた言葉に、ダイナファントムはシーザリオの姿を探す。

 レースは既に七つ目が終わり、第八レースに予定されている今回のアメリカンオークスはもう三十分も経たないうちに始まる。そういうわけで今回の出走者十二人の姿は既に本バ場、ターフの上にあった。そしてそれぞれがバラバラの色の勝負服を着ていることもあって、探そうと思ってそちらに目を向ければ、その姿はすぐに見つかった。

 

"ええっと、あの。植え込みの前あたりにいる子です"

"ああ、あの青毛(black)の子か。……確かに登録のところにはあったけど、珍しいな"

"そうですね。私も青鹿毛(Seal brown)のなかでは黒い方ですけど、ああはなかなか"

 

 その言葉にオーナーはダイナファントムの方をちらと向いて、しかしまた目線をターフの上のシーザリオへ戻す。

 何か考え込むように腕を組んで、しかしその後にうんうんと、二度ほど頷いた。

 

"まあ、私は君のその青鹿毛も好きだがね。……まあでも、とにかく"

 

 仕切り直すかのような咳払いで、話題を変える。

 

"君ほどのウマ娘のチームの子なんだ。しかもこの場所の芝に慣れるために相当練習もしたそうじゃないか"

"ええ、まあ"

"なら、期待は大きいな"

 

 にやりと笑うオーナーめがけて、ダイナファントムも笑い返した。

 

"それはもう。……あの子は、シーザリオは、取りますよ。このレース"

 

 強気な言葉だ。オーナーは目を見開いた。そして、頷く。

 

"そうかい。それは、楽しみにしておくよ"

 

 その言葉と共にもう一度手を差し出して、握手を求める。

 それに応じたダイナファントムとしばし見合って、そしてその離れ際、オーナーは一言漏らした。

 

"これは、君に言っても仕方がないことなのかも、しれないが。……頂に挑む勇者に、神の祝福を(God bless the brave against the apex)"

 

 その期待と祈りの言葉に、ダイナファントムは黙って一礼することで返した。

 そこに込められた無形の意思を汲んだか、オーナーはくるりと後ろを向く。左手を挙げて、ひらりとさせた。そして今度こそ、彼女たちから離れ、レース場関係者ブースの方へと戻っていった。

 

 

 

「……それで、どうしてあの人と知り合いなのさ」

 

 その、恐らく福井トレーナーの主観においては嵐のような邂逅のあと、彼女はダイナファントムに、斯くなるシンプルな問いを投げかける。

 完全に不意打ちで、恐らく随分と肝をつぶしたのだろう。その目は細められて、有り体に言えばジト目ともいうべき目つきをしていた。

 

 そのどこか子供っぽい振る舞いに苦笑して、ダイナファントムは返す。

 

「ああ、いえ。まあ、私はシャダイなので」

 

 そのまま今度はレース場の方、シーザリオの様子を目で追いながら、続けた。

 

「ご存知だとは思いますけど、シャダイはずっとアメリカのウマ娘レース業界とは関係が深くてですね。うちの祖父も、父も、こちらの結構色々なレース場であるとか、育成機関の関係者の方々と、コネクションを持っているんです」

 

 そしてその中で、シャダイはアメリカのウマ娘の育成ノウハウというものを、果敢に取り入れた。アメリカの引退ウマ娘やトレーナーを招聘して、シャダイの、そして中央トレセンのトレーニングメソッドの指導監督を依頼したことも、一度や二度ではない。

 

「ですのでまあ、色々なレース場の支配人の方であるとか、支援者(クラブハウス)の方とか、あとはトレーナーズクラブ*1の方々とは顔見知りでして。それで、こんな感じで」

「なるほどねぇ……」

 

 その辺りの事情を話すダイナファントムに、福井トレーナーは妙な感慨というべきものを持った。

 いや、それはもしかしたら重い責任感ともいうべきものなのかもしれない。

 つまり、ダイナファントムというウマ娘は、まさしく「シャダイの直系ウマ娘」なのだ。それ相応の格を持ち、背景を持ち、そして期待を抱えている。それを、自覚している。そういうウマ娘を、今自らは担当しているのだと。

 かつてメジロやシンボリのウマ娘を担当したトレーナーも、或は今の自分と同じような感情を、担当するウマ娘に懐いたのだろうかと、そんなことまで考えた。

 

 思わず固唾をのんだトレーナーのことを一瞥して、しかしそこでダイナファントムは笑った。

 

「まあ、私のことはいいでしょう。それより、今日はザリオの日ですから。……もう、そろそろ準備も始まりそうですし」

 

 その言葉に福井トレーナーがターフの上へと目を向ければ、果たして発バ機がコースの上にその姿を現し、そして今日のレースに挑む十二人のウマ娘たちが、そちらの方へ歩みを進めはじめていた。

 その中にはシーザリオもいて、彼女もまた落ち着いた、しずしずとした足取りでその場へと向かっていく。遠くから見るばかりのその様子も、しかしその立ち姿、歩く様子は研ぎ澄まされて、気合乗りも十分、いや十二分であるように感じられた。

 

 

 

 二人の目の前、粛々とレース前の段取りが進む。日本のレースと違って、始まる前のファンファーレが鳴り響くこともなく、がやがやとしたホームストレッチ、観客席側の喧噪の向こうで、しかし彼女たちは静かに自らの準備を整えていく。

 いよいよ以て、シーザリオはこの国の、アメリカのレースを走るのだ。それは少しずつ現実感を帯びて、じわりじわりとダイナファントムの胸の中に広がっていく。

 シーザリオの三週間の努力の結実こそが今であり、彼女が立つこの場所こそが、確かに夢見た舞台であるのだと。

 

 つい先ほどまで、「シャダイの娘」として振る舞っていた己の心情が、「ダイナファントム」という個人へと回帰していく。共に駆けた三週間と、その中に懐いた彼女への羨望と、それが齎した隠しきれない衝動への答え合わせの時間が、もうすぐそこにあるのだと。

 

 日本のトゥインクル・シリーズとは違ってバラバラに、自らの望むタイミングでゲートの中に納まっていく彼女たちの様子を見て、ダイナファントムは指を組む。

 ――どうか彼女の、シーザリオの努力が、報われるように。彼女の夢の形を、このレース場に描くことができますように、と。

 

 暫しの前に、レース場の支配人にかけた言葉とはどこまでも裏腹な、すがるような思いで見据える先、十二人のウマ娘の準備が、ついに整った。

 ここからは遥か遠く、大外に入ったシーザリオが気息を整えて、そのわずか数秒後、けたたましいベルの音が鳴り響く。

 

スタート(They're off)アメリカンオークス(The American Oaks)招待ステークス( Invitational Stakes)が始まった( has been started)!』

 

 それはスタートの合図である。ゲートが開いて、そして彼女の舞台が、その二分間が、始まった。

 

 

 

『シーザリオ、いいスタートだ。横のシンハリーズと外枠の二人がいいダッシュを見せる、内側ザッツワットアイミーンとイスラコジーンが前につけて、そこに外からシーザリオが合わせてくるぞ』

 

 流れてくる実況も、当然のことながら英語である。

 そこで語られる通りにまさに抜群のスタートを切ったシーザリオが、一瞬だけ外にヨレたシンハリーズを躱しながらも内側に切れ込んでいく。内枠の有利を活かしつつ出足をつけて前に行った三番ザッツワットアイミーンと四番イスラコジーンに対しては無理に競りかけることなく、第一コーナーへの入り口辺りではさっと下がって丁度三番手の位置につけた。

 

『日本からの挑戦者シーザリオこれはいい位置につけたぞ、二番手から二バ身ほどの位置だ、そしてバ群がクラブハウスターン*2を回っていく』

 

 確かに非常にいい位置取りである。桜花賞からオークスと結果的に位置取りを下げざるを得ない形でのレースを強いられてきたシーザリオにとっては、久々に彼女らしいポジションからのレースを進めることができていると言えるだろう。

 それもこれも、やはりアメリカの芝に慣れることができたのが大きい。そして休日土日に開催されるこのハリウッドパークレース場のレースを見て、アメリカにおけるウマ娘レースの在り方というものを、その流れを知れたのも、いい方向に作用しているだろう。

 

『ハーフマイル通過して四十六秒とコンマ三十八だ、クォーターマイルニ十三秒三三から凡そ二十三秒、ペースは保っている。しかしここで先頭と後ろが離れ始めたぞ、先頭イスラコジーンが揚々と前を行って後ろとは五バ身差だ。この差を守ってアメリカンオークスを自らのものにできるのか』

 

 ハーフマイル、つまり前半の八百メートルということだが、それを四十六秒前半で回っていると言うことは前半のペースとしてはかなり速い。ただそうは言ってもアメリカのダートレースのような狂気じみた前傾ラップのレースとまでは言えないだろう。アメリカのハイペース戦は前半のハーフマイルを四十四秒台などという凡そあり得ないペースでぶっ飛ばすこともままあるのだから。

 

 その中で、シーザリオは二番手ザッツワットアイミーンの後ろ二バ身の位置を常に守り続けている。先頭を飛ばしているイスラコジーンはいずれ垂れてくると見て、実質的な逃げとペースメークの役をこの三番のウマ娘にしっかり定めて、それに対する番手の立場でレースを進めることにしたらしい。堂々たるレースぶりである。

 シーザリオの後ろはややごちゃっとした展開となっている。四番手シンハリーズの後ろ半バ身ほどの位置でハロウズドリームとシルクアンドスカーレットが内外で競うようにして追走、その後ろのスリーディグリーズとルアスライン、更に今日の一番人気メリョールアインダもそこに続くような形で追走している。つまるところその六人は中団でごちゃっと固まって、互いにけん制と位置取りの争いを続けている形であった。

 そしてその後に三人ほどのウマ娘がぽつりぽつりと一人ずつ続いて、先頭から最後尾まではざっと十五バ身ほどの隊列となっている。先頭のペースが速い割にはあまり差が開かない辺りも、やはりアメリカのウマ娘レースらしさでは間違いなくあった。

 

 しかしその辺り、バックストレッチの中ほどを通過したところで、レースが動き始める。

 

『さあそろそろハーフマイルポール*3に差し掛かろうかというところだが、ここでイスラコジーンが減速する、レースのペースを落とそうとしているのか。しかし……それを見逃さないのが後ろの二人だ! ザッツワットアイミーン一気に差を詰めて上がって行く、つられてシーザリオも上がる!』

 

 息を入れてペースを落とし始めたか、それとも強引な先行策が祟ったか、先頭のイスラコジーンががくっとペースを落とした。少しずつ気づかせないような形での減速などではなく、はっきり分かる形での大減速である。それは直後、ハーフマイルポールの辺りで先頭がザッツワットアイミーンに変わったことで、目に見える形で示された。

 

『スリークォーターマイル通過、ハーフマイルポールの辺りでタイムは七十一秒コンマ六、はっきりとペースが落ちているがここでザッツワットアイミーン追い越して先頭に立った、イスラコジーンは二番手、いや三番手の辺りまでずるずるっと後退していく!』

 

 

 

 そしてそこからが、きっと始まりだった。

 

 

 

『いや、違う! シーザリオ動いた! シーザリオが動いたぞ! 二番手にとどまることなく一気に仕掛けてくる! もはや抑える必要もないと言うことか!』

 

 三番手の位置から先頭を窺おうとしていたシーザリオが、するするとその位置取りを上げていく。仕掛けのために身を屈めてスパートするような素振りすらもなく、それはどこまでも自然体の態度でしかなかった。まるでそれがスペックの、基本性能の差だと主張するように、悠々と先頭に並びかける。

 

『そしてコーナー入って途中、シーザリオここで並んで、そして頭一つ抜け出した! シーザリオ先頭に立った! まだゴールまでは距離があるがここからシーザリオ一気にすべてを飲み込むか! 更に差を広げていくぞ!』

 

 そして丁度シーザリオがハナを取り切って一バ身ほど差がついたところが、残り六百六十ヤード、つまり三ハロンのところだ。そしてそこで、まさに計ったかのようにシーザリオの身体が沈む。コーナーの真っ只中、彼女はそこで、このレースの全てに決着つけにいった。

 

『ザッツワットアイミーン内だが外からシンハリーズが捲って二番手、更にメモレットもそれに続いて前を捉えて三番手、ルアスラインも四番手の位置まで上がってくる! シーザリオが動いたのを皮切りに後ろが次々と仕掛けてきたぞ! 更に後ろから今日のフェイバリット(一番人気)、メリョールアインダも更にぐっと位置を上げて前の方へとやってきた、しかし!』

 

 三番手、好意につけていたシーザリオのともすれば早仕掛けに、後ろも一気にあわただしくなる。ラストスパートの時はほど近く、後ろに待機していたウマ娘たちは前を捉えて次々とその位置を上げてきていた。

 しかしそれすらも、シーザリオにはなんの影響をも齎しはしなかった。

 

『開く、開くぞ差が開く! シーザリオ涼しい顔で更に加速、トップストレッチに突っ込んできた! 大きなリードだ、これは止まらないか!』

 

 先頭を走り、後ろ十一人を引き連れ、いや引き離して、風を切り裂き進むその青毛のバ体が、走る姿が、全力で主張していた。

 

 後ろの勝負など、知ったことか。

 今日は、私が主役だ。今日の舞台は、私のために用意されたものなのだ。だから――

 

『その差は四バ身ほど、後ろなど知らない、寄せ付ける気もない!』

 

 私を見なさい。私だけを、見なさい。

 光降り注ぐターフの中、直線の攻防にかけられる歓声を一身に、孤高なる青毛はその全てを帯びて、燐光すらも放つ。

 

『シンハリーズ二番手、必死に追ってそれでも差が縮まらない、ザッツワットアイミーンももう足が一杯だ! 後ろからやっとメリョールアインダやってきて四番手から三番手、しかし前との差は八バ身を数えるか!』

 

 熱を帯びる実況に、歓声も極致へと達する。

 何となれば、それは決定的な瞬間だった。ウマ娘レースの先進国で、アメリカで、まさに今この瞬間、極東の国のウマ娘が、GⅠという一つの栄誉を得ようとしている。

 アメリカの、そして日本の歴史の中で、それは初めてのことだ。遡ること五十年以上前、ハクチカラというウマ娘がアメリカではじめて重賞競走を勝ってから、あのシンボリルドルフすらもたどり着けなかった頂に、いまもはや手の届く場所に、先頭を走るウマ娘はいるのだ。

 

『それでも、それでも前は変わらない、止まらない、更に差を開く! 五バ身、六バ身! クォーターマイルを通過する!』

 

 その時にきっと、実況はシーザリオの勝利を確信した。故に彼は振り切れたテンションのままに、謳い上げた。

 

『見よ、これが歴史が変わる瞬間だ! 極東からの挑戦者が、主役となる時だ! 彼女が(She is, )彼女こそが(She is the)――』

 

 

 

 ――日本からきたスーパースター(Japanese Superstar, )シーザリオだ(Cesario)

 

 

 

 のちに彼女の、シーザリオの代名詞となるその決め台詞とともに、このレースにピリオドが打たれようとしている。

 

『シンハリーズ粘って二番手、しかしメリョールアインダそこでようやくそれを捉えて二番手に上がる! しかしもう関係はない、前のシーザリオにはもはや追いつかない!』

 

 後ろとの差を一切縮めることのないままに、彼女の一人、ゴール板を踏み切った。

 

『余裕の走り、悠々とした態度のままに――シーザリオが今、勝ち名乗りをあげた!』

 

 その瞬間、シーザリオは確かに、文字通りの歴史となった。

 

『今年のアメリカンオークス、勝者はシーザリオ! 日本のシーザリオだ!』

 

 そして今それを見る全ての人々は、故にまさしく歴史の生き証人となったのだ。

 

 

 

 割れんばかりの歓声が、勝者へと向けられる。

 日本のウマ娘が、歴史を作った。そのことへの熱狂は、惜しみない拍手と賞賛の声となって、この場の全てから降り注ぐ。

 だから確かにその時、この場の、いやもしかすれば世界の中心にすらも立っているのは、彼女だった。シーザリオだった。

 

 故にこそ今彼女は、確かにこの瞬間において、自らの夢を叶えたのだ。

 ターフにかける思いを遂げたのだ。その意思で、熱意で、そして努力で。

 

 誰に言われるでもなく、誰かのためにするでもなく、自らの手で、自らの責任で、自らの望みによってそれを選んで、そして今、確かにそれを勝ち取ったのだ。

 それが確かにできることなのだと、その思いは歴史をも形作るのだと、確かに彼女は証明したのだ。ダイナファントムは、まさにそれを思い知った。

 

 

 

 そして、思い立つ。

 自分もそれに続こうと思うのならば。それによって壁を越えたいと願うのならば。そうありたいと、シーザリオの在り方に倣いたいと、そう願っているのであれば。

 たとえ何かを見つけられているわけでなくとも、理由など探せておらずとも、まず何かに「挑む」ことから始めることが、肝要なのではないのだろうか。

 成すべき目標というものを、自らの意思で思い定める。それはきっと、目線としては高いものであるべきだ。

 

 関係者ブースを抜けて、ウイナーズサークルへと足を向けて、そして勝者となったシーザリオに、対面する。

 未だ少し息を切らし気味の彼女は、しかしそれでもどこまでも華やかに、ダイナファントムに向けて笑ってみせた。

 

「どう? ファンさん。私は、()()()わ」

 

 影ひとつない、無垢で無邪気で、どこまでも美しい笑顔だった。

 

「……うん。そうだね、ザリオ。本当に」

 

 誘われるように、ダイナファントムはシーザリオに近づく。身体の中の熱に浮かされるように、擡げる衝動のままに。

 そして、シーザリオに抱き着いた。彼女と、ハグを交わした。互いに軽く腕を背中に回す。それぞれの裡にある歓喜の情を、ただ分け合った。

 

「おめでとう、ザリオ」

「ええ、ありがとう」

「本当に、すごいよ、本当に。だから、さ」

 

 二人頬を寄せ合って、故に視線を合わせることなく、言葉を交わす。その末、ダイナファントムは目を瞑った。心中に抱え、決定的なまでの大きさに育った一つの決意を、言葉に載せた。

 

「私も、やってみるよ。きみが今、やってくれたみたいに」

 

 肩越しにシーザリオが息を呑む音を、ダイナファントムは聞く。

 それを区切りのようにして、彼女は身体を離した。しかしシーザリオの肩にその両手を添えて、まっすぐに見つめる。

 翡翠の瞳の中映る己の姿に、まるで誓うかのように、ダイナファントムはもう一言、言葉を重ねた。

 

「私も『()()』、してみようと思う」

 

 その宣言を受けて、シーザリオは笑った。嫋やかな表情を浮かべたままに、賛意を示すように頷く。

 そして二人、その横で所在なげに佇む福井トレーナーの方を向いた。示し合わせるように彼女の身体を挟み、そして双方から彼女の肩へと腕を回す。

 突如の教え子たちの行動を前にして、泡を食ったような素っ頓狂な声を上げた己がトレーナーの様子に、互いに小さく笑い声を上げる。そのまま、勝者の姿をファインダーに収めようとカメラを向けるレース場関係者やプレスの人々の前、堂々と躍り出た。

 

 

 

 そこで取られた一枚の写真、トレーナーを挟んで弾けるような笑みを浮かべた二人のウマ娘のポートレートは海を渡る。

 そしてその次の日の月刊トゥインクルの号外の、トップを飾ることになった。

 

 

 

 その日、日本のウマ娘レースの歴史が、また一つその針を前へと進めた。

 

 

 


 

 Race result: Hollywood Park; American Oaks Invitational Stakes (Grade 1)(10T, CC, Fm)

 1st・Cesario

 2nd・Melhor Ainda 6.L

 3rd・Singhalese 1 1/2.L

 

 Last 2F: 23.34*4

 Total time: 1:58.69*5

*1
現実におけるジョッキーズクラブに相当

*2
ハリウッドパークレース場第一、第二コーナーのこと

*3
日本でいう8のハロン棒、つまり残り八百メートル標識

*4
史実の上がり2Fは23.68秒。2Fなのはアメリカのレースが1/4マイル(=2F)刻みの計時しか発表しないため。

*5
史実における本レースのタイムは1:59.03。




基本的に実況は史実のものをコピらない(=無断転載に抵触する可能性が高いため)ことを徹底しているのですが、それでもこのワンフレーズだけは欠かせないので入れました。




それはそれとして、ドゥラメンテ実装で割とビビってます。
というのも、拙作のシャダイの設定とバッティングしそうな感があるからです。

まあそのときはサンデーと社台本体で違うから、で誤魔化すしかないか……
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