双子星の円舞曲   作:厳冬蜜柑

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凄まじい独自設定の乱舞になっています、あらかじめご承知おきください。


これは、私の願い

 その時、多分私は知ったのだ。

 確かに、結果とは経過の積み重ねだ。そしてその底流にあるのは、ともすれば冷たい理論で、理屈だ。

 それを整理し、最適化し、撚り合わせて編んでいく。そこに描き出されるものこそが、現実になると思っていた。

 そうやって育てられて、そうやって自らを作り上げて、そうやって結果を出してきたのだから。

 

 しかし、それだけではないのだ。世界は理屈だけではない。特に、私たちウマ娘は。

 誰かの願いを、思いを背負って走る私たちであっても、それでも自らが強く持つ意志の力こそが、最後に世界を塗り替える。

 その瞬間を、私は見た。夢の大きさが、思いの強さが、歴史すらも書き換えるのを。

 それを成し遂げた、我が朋友の姿を。

 

 故にこそ私は挑む。

 私の選択で、私の責任で、私の意思で。自らが勝ち取るための何かを、見つけ出すために。

 

 

 

 

 

 シーザリオがアメリカンオークス制覇を成し遂げた夜、ホテルの一室で、三人は集まった。

 それはシーザリオの偉業を讃えるため、そして彼女がトレーナーに、そして自らのパートナーに、感謝を伝えるための時間だった。

 しかしその最後、そのやり取りが落ち着いたあとに、ダイナファントムは、そして福井トレーナーは示し合わせたように口にした。

 

「それで、これからのことだけど」

「それで、これからのことですが」

 

 唱和された声に、互いが戸惑うように声が止む。駆け引きのような目配せの末に、ダイナファントムは福井トレーナーから言葉を譲られる。

 果たして会話のボールを持つことになったダイナファントムが、そこで仕切り直すかのように深呼吸する。目を瞑った。そしてたっぷりの間を開けて、彼女はそれを言葉に出した。

 

「思ったんです。ザリオが、()()()()()()、この三週間ぐらいずっと頑張っているのを見て。今日、それが結果になったのを見て」

 

 対する二人とも、真剣な表情だ。ただ黙って、ダイナファントムから放たれる一言一言に、耳を傾けている。

 

「はっきり言って、がむしゃらが過ぎると思っていました。理屈としては、無駄のある頑張りだって、多分色々あったと思うんです、ザリオの。……でも、それ以上に多分、強かった。『思い』、みたいなものが」

 

 俯いて、顧みるように言葉にしていく。膝に載せた肘の先、開いた掌に視線を落とした。

 

「それを追いかける価値、みたいなものも、だからきっとあるんだって。いや、それが今の私に足りていないものなんだって、そう思って。……ですから」

 

 そしてダイナファントムは、顔を上げる。福井トレーナーのほうに、すっと視線を合わせた。

 

「私にも、やらせてください。チャレンジを」

 

 無言で、福井トレーナーが続きを促す。頷いて、身を乗り出した。

 

「次走です。私も、『日本初』が欲しい。何年か前、私と同じに、皐月賞を勝ってダービーを負けた、エアシャカールさんが挑戦して、でも届かなかったレースを、取りたい」

 

 ――つまり。

 

「三週間後の、KGⅥ&QEDS(キングジョージ)。私に、やらせていただけませんか」

 

 横に座るシーザリオが、口に手を当てた。しかし目の前、福井トレーナーは、動じることもなく、まだ黙って聞いている。

 

「多分今からだと、追加登録になると思うので。……私の賞金の()()()から下ろしていただいて、構いませんので」

 

 それは熱意と誠意の表れだった。

 預託金というのは、平たく言えば競走ウマ娘が本人の獲得した賞金のうち、URAに預け入れた分のことだ。ほとんどの場合において、その歩合は獲得した賞金の九十九パーセントとされている。

 これほど極端な傾斜でURAがウマ娘に支払われるはずの賞金を一時預かりとするのには、当然ながら理由がある。

 まず言うまでもないことだが、獲得した賞金に対する金銭債権というのは各々のウマ娘に帰属する。URAはこれを侵害する権利を持たない。これは事実である。しかしその一方、レースの勝利によって急に降って湧いた賞金に、ウマ娘が身を持ち崩してしまうことをURAは望まないし、またその年の中で大幅に出入りする可能性のある賞金をベースとした所得税にウマ娘が振り回されるのも、同じくよしとしなかった。

 そういうわけで、彼らは一つの制度を作った。つまり各々のウマ娘には年相応の賞金分のみ渡して、残りをURA内部に積み立てる。そしてそれはウマ娘が現役を引退して、トレセン学園から卒業したそののちに、凡そ五十年に亘って年金のような形で分割して支給する。それによって、引退後を含めたウマ娘の生活保障を実現する。それこそが、彼らの言う「出走賞金預託制度」であった。

 

 つまりダイナファントムは、自らの将来の生活の原資の一部を、今使うことを提案していた。確かに彼女はシャダイの一族に連なる者で、それ故にそうそう将来の生活に不安を抱えるということはないが、それでもその行いは、その決断は、まさしく自らの選択による決意であることの意思表示に他ならなかった。

 

 それを聞いて、福井トレーナーは大きく頷く。

 

「そっか。決めたんだね、あなたも」

 

 まっすぐに見合う。鳶色の双眸がダイナファントムを覗いて、その真意すらも窺っているように映った。

 

「なら、()()()()()んだ」

 

 何をか。それを質す必要も、ない。ダイナファントムは、小さく首を振った。

 

「いえ……実のところ、まだ。ですけど、それでも私は、自分から挑戦しようと思うことが、きっかけになると思ったんです」

「……そっか」

 

 なんとも煮え切らない答えだと、ダイナファントムは自覚を新たにする。それでも対面のトレーナーは、その表情を緩めた。

 きっとそのことを、好ましいと感じてくれたのか。また或は別の感情が、そこには働いたのか。

 

「でもね、ダイナファントム。このレースに出るのにあなたの預託金を当てにしなきゃいけないことは、ないんだよ」

 

 しかしそこで徐に、彼女は横にあるバッグからタブレットを取り出す。そして何か操作をしたあと、そのディスプレイに映る一つのファイルを、ダイナファントムに掲げて見せた。

 

「こんなこともあろうかと、思ってね。……ほら」

 

 それを、ダイナファントムとシーザリオ、二人で覗きこむ。

 そこには、英語で書かれた一つの文言があった。

 

 ――Invoice for the registration fee(登録料請求書)

 つまりそれは、既に遡ることひと月も前、福井トレーナーがこのレースへの出走を見越して予備登録を済ませていたということを、意味していた。

 

「まあ、一応ね。予備登録だけはしておこうと思ってて。……無駄にならなくて、よかったよ」

 

 なるほど、何もかもお見通しであるということか。

 心なしかドヤ顔を見せる自らのトレーナーの様子に、ダイナファントムも、そしてシーザリオも、思わず苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 斯くしてチーム《ポルックス》は、アメリカンオークス優勝の報と同時に、一つの発表をする。

 ダービー二着惜敗のダイナファントムの次なる挑戦は、これもまた海外。

 イギリスの格式あるクラシックディスタンスの大レース、キングジョージ六世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスである、と。

 

 

 

 

 

 ロンドンから北北東に凡そ百キロほどの位置、名門ケンブリッジ大学の近くに、ダイナファントムたち三人はいた。

 つまりそれは、ニューマーケットトレニーングフィールドのことである。

 

 イギリスの各地に存在するトレーニング設備は、日本と同じように一つの統括機関がその管理運用を行っている。その名を、The British(英国) Horster(ウマ娘)*1-racing(レース) Board(公社)*2という。その中でも最大で、かつ最古の歴史を持つのが、このニューマーケットのトレーニング設備である。

 何せこの場所に存在して、現在でも2000ギニーステークスの開催地となっているニューマーケットレース場の設立は、記録によれば千六百年代、しかも正確な年が分からないほどだというのだから、それはそれは長い歴史を持っているというのは、確かなことなのだろう。

 そして同時にここにはウマ娘のための世界最古の寄宿舎施設たるRoyal(王立) equiness(ウマ娘)*3 college(学校)の所在地でもあり、そして彼女たちが今立っているニューマーケットトレニーングフィールドは、この学校の実質的な管理下に置かれている施設でもあった。

 

 彼女たちがこのトレニーング場を間借りできているのは、理由がある。

 その理由の一つ目としてあるのが、BHBとURAの提携関係である。互いにウマ娘レースを統括する公的、ないし準公的機関として、双方のウマ娘レース文化の醸成への協力や、また人材交流もこの二つの組織の間では盛んにおこなわれている。そういった関係において、日本からのウマ娘がイギリスでのレースに挑戦するというその心意気というものは、個々人のウマ娘や陣営の中での印象は兎も角としても、BHBという機関にとっては歓迎するべきことであるのだろう。

 無論その中には、ウマ娘レースの市場規模という意味ではもはや世界最大となっている日本のトゥインクル・シリーズのファン層を自国のレースにも取り込みたいというBHB側の、いわばビジネスとしての視点は確かに存在していたが、しかし彼らの間にあっても、二昔ほど前までは雛鳥のようなものであった日本のウマ娘レース業界の成長と発展は、純粋に祝福すべきものとして捉えられていたのは事実であった。

 

 そしてもう一つの理由は、まさにこのレースに挑むダイナファントムというウマ娘が、「シャダイに連なる者」であるということに因む。平たく言えばそれは、「社会階層」の問題であった。

 イギリスという国は、いわゆる近代ウマ娘レースの発祥の地である。これは有名な話だ。

 そしてその図式というのは音楽家や画家とパトロンの関係に近い。つまりウマ娘という、現在でいうところのアスリートがその才覚を発揮するのを、富裕層、というよりも貴族がそのパトロンとなって支援する。そして彼らは自らの支援するウマ娘たちを持ち寄って競わせ、そこに少なくない金を賭けた。そのレースに賭けられた金を、勝者総取りの形で分配し、そしてそれがレースを走るウマ娘にも報酬として支払われていたりしたわけである。

 現在も色々なレースに名称として残っている「ステークス(stakes)」という単語は、結局のところこれから来ている。

 持ち寄った賭け金(stake)を、レースによって奪い合う。即ち近代ウマ娘レースの興りというのは、貴族たちによる遊興にして、同時に多分に賭博的性格を内部に含んでいた。

 

 実のところ現在も、その「ステークス」としての名称を完全に形骸化させないために、ウマ娘たちに分配される賞金のごく一部は、各ウマ娘やトレーナーが払い込むレースに対する登録金から拠出されるようになっている。ただその割合はほんの一部であり、賞金の原資のほとんどはグッズの売り上げやレース場への入場料、そしてウイニングライブへの参加費用などで賄われているのが実情だ。

 とは言え、このイギリスという国のウマ娘レースは、そのルーツが故にどうしても格式が高い。つまり未だに、ウマ娘レース、そのうちでもとりわけ平地競走の類は、アッパークラス(上流階級)の娯楽としての性質を強く帯びていた。

 

 そういうわけで、日本において相応の階層を持ち、また五十年ほどの時をイギリスのウマ娘レース社交界でのコネクション醸成に努めてきたシャダイの、「ウマ娘華族」の一員であるダイナファントムは、ある意味においてはイギリスのウマ娘レースソサエティの一員として歓迎される立場にあった。

 そのことに表立って言及することは、日本人的な感覚としてはどうしても憚られるものがあるのは確かである。ただ何にせよ、イギリスという国はそういう階級社会であるのだ。それは隠し得ぬ事実であった。

 

 

 

 ともあれそういうわけで、ダイナファントムはトレーニング場の中の芝コースに入っていた。

 彼女はこれから調整のために走る立場である。よって格好は動きやすいものを選んでいた。つまるところそれは、いつもの体操服姿だ。

 しかしそれを横で監督する立場の福井トレーナーは、いつものようなトレーナー支給のジャージ姿ではなかった。

 燕尾服のような黒い上着の下、生成り色に近いスキニーなズボンを履いている。そして頭には、なんとシルクハットを被っていた。

 

 それが、いわゆるイギリスにおけるトレーナーの正装である。本来であればわざわざトレーニングの場にまでそんな装いで来る必要があるかは微妙なところであるのだが、初めてダイナファントムと一緒にこのトレーニング場へと入るこの日は、多少なりとも気合を入れたいところがあったらしい。そういうわけで彼女は今、はた目から見て場違いかもしれないと思えるほどのキメっぷりで、その場に立っていた。

 

 それは兎も角として、ダイナファントムはまず軽く、六ハロンほどを走る。基準タイムはハロン十一秒九の合計七十一秒四、つまりいつもトレセン学園で行っている余力残しの一本追いだ。

 しかしいかなダイナファントムとはいえ、やはりそう単純にはいかないものがあった。

 

「うーん……六ハロン七十三秒八、ハロン十二秒三か……」

 

 一本走り終えた後、福井トレーナーがストップウォッチ片手に唸る。

 当然に余力残しを意識していたダイナファントムは、あまり息を切らすこともなくトレーナーの横に立つ。そして、険しい表情で頷いた。

 

「やっぱり違いますね、こちらの芝は。分かってはいるんですけど」

「まあ、ね。でも最初に走ったにしては優秀過ぎる時計だよ」

 

 福井トレーナーのそのフォローにも、ダイナファントムはいまいち納得していない表情のままだ。

 しかしそのさらに隣、ダイナファントムに先立って併せのために準備をしようと別のコースを走っていたシーザリオが、大きく首を横に振った。

 

「というか、優秀過ぎるわ。私なんて全然、ハロンごとに一秒ぐらい遅れてしまうもの」

 

 これじゃ併せの役には立たないわね、と自嘲する。その様子に、ダイナファントムの方も小さく苦笑いをせざるを得なかった。

 

 

 

 イギリス、フランスやドイツもそうだが、ともかくこのヨーロッパ一帯の芝が日本のそれと大きく違うというのは、一般に広く知られた話である。

 日本の野芝、いわゆる暖地型芝と、この辺りのレース場で使われるブルーグラスやライグラスの類の寒地型芝は、確かにその性質が大きく異なる。

 よく言われるのが「洋芝は重い芝である」という言葉だが、厳密に言えばそれは正しくない。

 

 暖地型芝と寒地型芝の最大の違いは、根の張り方である。更に正確に言えば、地下茎の構造だ。

 日本の芝、暖地型芝というのは、土の中のかなり浅い場所に広範囲に地下茎を作る。これを所謂匍匐茎といい、それがまさに網の目のように張り巡らされていて、そこから芝が生えてくる。構造としては、竹に近いだろうか。

 そしてこの匍匐茎の網目が、地盤の中で反発力を生む。野芝の植えられた日本のレース場のトラックコースを踏んだとき、トランポリンのような感触が返ってくるというのは、ウマ娘やトレーナーの中での共通認識であった。つまりその反発力を推進力に変換できるという寸法である。

 

 それに対して寒地型芝は、一般に株型と呼ばれる、それぞれの種から生育した芝が独立した、そんな植生をしている。したがって匍匐茎のような地下構造を持たない。例外的にケンタッキーブルーグラスのようなブルーグラスの仲間は匍匐茎を持つ構造であるが、それにしてもその密度は低く、地盤に反発力を生むことはない。

 よってこれらの芝が植えられた路面というのは、純粋に草の感触の下には土壌そのものがあって、結果として路面の反発力を活かした加速は不可能である。これを非常に感覚的に説明すると、「野芝は軽い」、「洋芝は重い」という一言になっていくというわけだ。

 

 したがって、それぞれの路面における走り方も変わってくる。野芝の生えた路面においては、地面に強く足を叩きつけて、その反発力を身体を傾けることで前方方向のベクトルに変換すれば、効率よく進むことができる。つまり自らの力によって足を強く後方へと蹴りだすエネルギーは、あまり求められない。

 しかしこのイギリスの地の路面は、まるで別物である。あまり強く足を地面に突き立てると、それはそのまま地面の中に埋まってしまう。全く推進力には活用できないのである。よって自分の力で地を蹴って、それを推進力に変えるような脚力が、パワーが求められた。当然に、それを維持するためのスタミナもである。

 日本のウマ娘がしばしばこの辺りの路面を指して言う「沼のようだ」という比喩は、故にこそまさしく彼女たちが日本の野芝を駆けるための走り方に最適化されていることの証左に他ならなかった。

 当然、ダイナファントムはそのあたりの理屈を理解している。それはシャダイの中の海外遠征プログラムの教育の中にあったものでもあるし、またURAも昨今の海外遠征の興隆に触発されて、トレセン学園のレース座学の中にそういった芝質と走法にまつわる講義を取り入れてもいたからである。

 

 しかし、頭で理解しているのと身体が追い付くのとはやはり別物である。最初の一度である程度のタイムが出せたのはまさしく知識によるものであるとは言え、そこから日本の芝の如くのタイムを出せるようになるまでに、未だ多くの隔たりが横たわっているのは確かであった。

 

 

 

 そしてそれを埋めるために求められることとは、結局のところシーザリオがアメリカでやったことと何一つ違わない。

 つまりそれは努力、努力、そして重ねて努力である。

 幸いにしてダイナファントムは、この一般に「重い」と呼ばれる芝にあっても、そこまで強い負担感を感じると言うことはなかった。それは普段、日本にいる時にも野芝の反発力に頼り切る走り方ではなく、ストライドでありながらも後方への蹴りだしの強い、ピッチのような掻きこむ走りとのハイブリッドを意識した走法を心掛けているからかもしれなかった。

 故に今、彼女に残された課題というのはこの地における芝と土の感覚を掴むこと、約めて言えばこの場所に慣れることであった。それこそが大変であるというのは間違いなくあるのだが、それでも他のウマ娘、例えば横で既にここの場所で走ることを半ば諦めてしまったシーザリオのようなウマ娘と比べれば、随分の恵まれたスタートを切れるというのは、間違いのないところであった。

 

 そういうわけで彼女は、またトレーニングコースへと戻っていく。

 全てはこの先の栄誉のためであり、そして自らが決めた約束に悖らないための、プライドによるものでもあった。

 

 

 

 

 

 それから、二週間と少し時が経過した。

 レース当日の前日の金曜日、彼女たちの姿はトレーニング施設のあるニューマーケットから遥か南西の方向、ロンドン中心部から西に八十キロほどの場所にある一つのレース場の中にあった。

 今回のレース、KGⅥ&QEDSの開催地である、ニューベリーレース場である。例年であればこのレースは、ここよりも四十キロほどロンドンに近いアスコットレース場で行われているのだが、この年だけは当のアスコットレース場の工事の影響で、この首都から大分離れたレース場での開催となっていた。

 

 イギリスのウマ娘レースは、貴族の遊びである。つまりそのイベントとは同時に、社交界における交流にも類似した立ち位置にあった。特にこのキングジョージは「ダイアモンドウィークエンド」という一大レースイベントの目玉として位置づけられていることもあって、殊更にその趣向が強く表れていた。

 レース開催の前日、ダイアモンドウィークエンド一日目の夕方たるこのとき、レース場のスタンドの一角、オーナーズクラブ棟のバンケットルームの中では、出走するウマ娘たちとその陣営による立食形式のパーティーが開かれていた。

 出走するウマ娘たちの装いは様々だ。勝負服を正装としても使うことのできるウマ娘はそのまま勝負服で参列しているし、そうでない、或は勝負服での参加を望まないものは普通のドレス姿でこの場に立っていた。

 ダイナファントムは、後者のほうである。正式な場とは言えどもドレスコードは準礼装で来るようにとの通達があったことから、ワインレッドのカクテルドレスをその身に纏ってこの場にはやってきていた。

 

 今日この場所でのダイナファントムは、出走するウマ娘であるのと同時に、ある種シャダイの名代のような役回りでもある。つまり他のウマ娘はその後援者や家族が陣営の代表として参加しているところを、彼女は自らをして「シャダイ」という陣営の代表を兼ねていた。兼ねざるを得ないという事情もあった。横にいる福井トレーナーは、あくまでもトレーナーであって、この集まりの中では半歩ほど控えた立場として見られるのは、致し方のないところであったのである。

 

 手にグラスを持ち――当然のことながらソフトドリンクである――、それぞれの陣営のお偉方が回ってくるたびに、挨拶と少しの会話を交わす。

 

 スイス生まれのイスラム王族、世界で十指に入る大富豪がいた。

 UAEのこちらも王族、ウマ娘育成における雄は、今年は意外にも一人だけをこのレースに参加させるウマ娘として派遣していた。

 アイルランドのEquines prep school(ウマ娘私塾)の経営者一族も、いつもは二人か三人のウマ娘をチームとして派遣してくるところ、珍しく出走させるのは一人であるという話をしていた。

 

 そしてそのなかでダイナファントムは、今年のこのレースにおいて、イギリスやアイルランド以外の場所から三人のウマ娘がこのレースへと挑まんとしていることが話題になっていることを知った。

 

 その一人は昨年のパリ大賞典、そして凱旋門賞の勝ちウマ娘であるバゴ。

 また一人は昨年のこのレース、キングジョージの勝ちウマ娘であり、今年も連覇を狙っているドワイエンだ。ちなみにこちらの後援者は、かのUAEの王族である。

 そして最後の一人こそが、極東からの刺客、日本随一のウマ娘私塾経営者の娘にしてJapanese 2000 guineas(皐月賞)の勝ちウマ娘、ダイナファントムであった。

 

 

 

 適度に食事を楽しみながらも、横でひたすらに恐縮する自らのトレーナーを少しばかり揶揄いつつ、またアテンダント(付添人)としてこの場所にやってきていたシーザリオとの息抜きがてらの語らいも交えて、時は過ぎていく。

 そしてその最後、宴もたけなわとなり、各陣営に属するウマ娘が己の意思表明を順繰りにしていくフィナーレの時間がやってきた。

 

 枠番とは違う、出走登録順に振られている番号に倣って、一人一人が短くも熱く、今回のレースにかける思いを語っていく。

 

 長いキャリアの最後、このイギリスのレースを栄誉として、トレーナーに捧げたい。

 フランスで確かな結果を残した自分の力を、去年に続いてこのイギリスの地で試したい。

 今年のオークス(英オークス)ウマ娘として、ティアラの実力を見せつけたい。

 ひと月前に上げたプリンスオブウェールズステークスの勝利の勢いで、ここも絶対に勝ってみせる。

 

 そしてそんな意気軒昂な宣言の中、最後にダイナファントムが、壇上へと呼び出された。

 

"最後は遥か東からはるばるやってきた挑戦者、我らが友人たるシャダイ・プレップ・スクールの一族の中に生まれたウマ娘、今年のジャパニーズ・2000ギニーの勝者、ミス・ダイナファントム!"

 

 そのやや芝居がかった煽りと拍手に迎えられ、一人彼女は壇に立つ。

 並みいる支援者たち、そしてその場でともすれば奇異の目すらも向けるウマ娘たちをぐるりと見まわし、一礼をする。

 拍手の音が止むまでずっとその姿勢を続けていた彼女は、場が静かになったところを見計らって、すっと顔を上げた。

 

 そして、口を開く。

 

"まずはこの場の紳士淑女の皆様方、わたくしどものような「来訪者(Alien)」をこのように暖かく迎え入れていただいたことに、感謝申し上げます"

 

 また軽く一礼する。

 

"あまり長々と話すものでもないでしょうから、私からもシンプルに、このレースにかけるものを話させていただきたい"

 

 そして今一度、場を見渡す。

 やはり何度見渡しても、異国だ。そして彼ら彼女らの半ば閉じられた「ウマ娘サロン」のなか、シャダイという名を背負っても一人飛び込もうという自らの行いは、その想定を超える挑戦であることを、改めて意識する。

 

"私にとって、まさしくこのレースは挑戦です。極東にあるちっぽけな島国のウマ娘として、ウマ娘レースのふるさとに挑むという決断は、見る人が見れば無謀なのでしょう。けれども"

 

 目を閉じる。息を吸う。それでも、いや、それだからこそ、この選択というのは己一人の意思によるものなのだ。何度だって思い出そう。忘れることなど、ありえない。

 目を、見開いた。

 

"私は、「シャダイの娘」としてではなく、「一族の誇りのため」でもなく、ただ「ダイナファントム」として、ここに立つことにしました。私は自らの意思で、この場所にやってきました"

 

 それを口にすることで、ようやく、そして少しずつ、己の中にその自覚が、そしてそれへの渇望が、芽生えてきたような気がした。

 

"名誉のためでもなく、賞金のためでもなく、期待に応えるためでもなく、ただ、勝つためにきました"

 

 睥睨する。その宣言に、並みいるウマ娘の中から、ある種の威嚇のような、或は闘志のようなものが、俄に立ち上がってくることを理解した。

 それを正面でひしひしと感じて、故にダイナファントムは自らの口の端が、吊り上がって行くことを自覚する。

 

 そうだ。いまあの子たちは、私を見ている。ただの極東のウマ娘、物珍しき来訪者ではなく、「ダイナファントム」を見ている。

 侮るでもなく、蔑むでもなく、ひたすらに直向きに、こちらのことを見ているのだ。それが、確かに心に火をつけた。

 

"だから、敢えて言います。私は明日、このレースを、名誉あるキングジョージ六世&クイーンエリザベスダイアモンドステークスを――"

 

 そして、彼女は宣言した。

 

"必ず勝ちます。イギリスの、ウマ娘レースの故地たる、誉れある国のGⅠを、日本のウマ娘が勝つ。その歴史を、確かに刻んでみせます。……これが、私の決意表明です"

 

 

 

 水を打ったように静かなバンケットルームの中、しかしそう言って言葉を切ったダイナファントムに対して、どこからか拍手の音が聞こえる。

 そのまばらな音は次第にその数を増やして、次第に大きくなっていく。

 やがてそのうねりはこの場所の全てを覆いつくし、まさに万雷の拍手となってダイナファントムに降り注いだ。

 

 

 

 その圧力に押されるかのように、弾かれたように最後の一礼をするダイナファントムに対して、しかしその音はいつまでも、止むことはなかった。

*1
本作における造語。hors-(古英語「跳ねるもの」) + -estre(古英語「~する女」)、現実世界におけるhorseと対応する。

*2
2007年にその機能を後継組織であるBHAに移管するが、作中に対応する2005年時点においては未だBHBが統括組織であった。

*3
こちらも本作における造語。equ-(印欧祖語「速い」[*ōku-]) + -ines(印欧祖語「女」[*-iHnos])、現実世界におけるequus(ウマ)と対応する。ラテン語起源の語彙のため、気取った印象となる単語である。

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