双子星の円舞曲   作:厳冬蜜柑

2 / 46
実質一話目です。
多数のオリジナル要素が含まれます。詳しくはあとがきにて。



第一章 望まれた娘 (ジュニア期~クラシック期前半)
「ダイナファントム」


 ただ、勝つことを望まれていた。

 ダイナの冠を持つ者として、私は久しく待ち望まれていた、希望の星であったから。

 負けが許されないというわけではない。何か具体的な目標を提示されていたわけでもない。

 それでも確かな、無形の期待が私の背中にはかかっていた。

 

 ウマ娘は、夢を背負って走る存在だという。ならば私が今のところ背負うものは、実家の掲げる二つの願い、に相違ないのだろう。

 国内重賞、GⅠレースで明白な結果を残すこと。

 そして、海外GⅠ――とりわけイギリスとフランスのGⅠを勝つこと。

 それのできる日本出身ウマ娘を輩出することが、まさしく私の実家の積年の夢でもあるのだから。

 

 しかし――あの日、メイクデビューの舞台で、私は一つの出会いを果たした。

 忘れえぬ出会いだった。小柄な身体、暗い鹿毛、アイスブルーの瞳をした、一人のウマ娘。彼女とあのレースの中で相見え、そして――私の主観では――死力を尽くして戦い、何とか辛勝をもぎ取った経験は、私の胸の中にそれとは違う情動の渦を生み出したような、そんな気がしていた。

 

 あいつと競いたい。

 どこまでも駆けてゆきたい。

 そしていつかきっと、遠い異国のターフの上でさえも――。

 

 それは私に持つ目標からすれば、ノイズに過ぎないのだろうか。

 なぜなら私は誰かの願いを、祈りを仮託されてあの場所を駆けることこそが、レースに向かう意義だと、ずっとそう思って生きてきたのだから。

 

 けれども私は、直感していた。

 きっと私はあのウマ娘と、()()()()()()()()()と、その競走ウマ娘としてのキャリア全てを使って競り合うことになるのだろう、と。

 その是非も、その未来も、その結果も、今この場からは望むべくもなく、それでも私はそれを自然と、当然のこととして受け入れていた。

 まるで、初めからそうあることを運命づけられていたかのように。

 

 

 

 私は、ダイナファントム。

 未だメイクデビュー戦を勝ったばかりの、ただの一人のウマ娘である。

 

 

 


 

 

 

 「シャダイレーシングクラブ」、という企業がある。

 ファンも含め、日本のトゥインクル・シリーズに携わる人々の中で、その存在を知らぬものなどまずいないであろう。

 

 ――世界に通用するウマ娘づくりを。

 斯くなるスローガンを掲げ、彼らは主にトレセン学園入学前のウマ娘に対する初期教育を行う、謂わば私塾のような立ち位置の施設を運営している。

 その力の入れようはすさまじく、トレセン学園内の設備に匹敵するほどの大規模トレーニング施設を、日本に二か所設けているほどだ。

 東日本出身のウマ娘のために、福島県に。

 西日本出身のウマ娘のために、滋賀県に。

 その他にも中小規模のトレーニング拠点を全国に多数展開しており、現在のトレセン学園所属のウマ娘たちでも重賞戦線に絡むような上位層では、そのお世話になっていないウマ娘の方がむしろ少ないのではないかというほどに、彼らは日本のウマ娘レース業界の中に浸透し、確固たる立ち位置を確保していた。

 最近のウマ娘では、一年ほど前に皐月賞とダービーの二冠を獲得したネオユニヴァースも、このシャダイレーシングクラブ出身である。

 

 ともかくもその興隆ぶりは凄まじく、口さがない識者が現状の日本トゥインクル・シリーズを指してこう言うほどである。

 ――即ち、「現在のトゥインクル・シリーズは、()()()()()()()()()()()()()である」、と。

 

 そんな彼らシャダイレーシングクラブであるが、そのオーナー一族もまた、かつて名のあるウマ娘を多数輩出する名門としてその名を馳せていた。

 例えば、彼らのグループ名の元となった「シャダイ」の名を冠するウマ娘、キャリアの最初に怪我に悩まされるも、遅咲きながらも有記念と春の盾を獲得した息長きチャンピオン、アンバーシャダイ。*1

 例えば、かの「皇帝」シンボリルドルフの三度の敗北の一つ、秋の天皇賞で彼女に土をつけ、世紀の大番狂わせを演じたトリックスター、ギャロップダイナ。

 例えば、皐月賞十着大敗から巻き返し、シャダイの一族に初のダービーの栄誉を齎し、その年の有記念制覇も併せて年度代表ウマ娘に輝いた優駿、ダイナガリバー。

 

 彼女たちの才能はまさに綺羅星の如くであり、故に彼らはまず自らの一族のウマ娘の功績を以て、日本トゥインクル・シリーズのあるべき未来の範とした。また彼女たちの存在こそが、彼らの所有するトレーニング設備の有用性を何よりも示していて、それは結果としてシャダイレーシングクラブという組織の日本ウマ娘レース界における立場をますます確固たるものにしていく原動力ともなっていた。

 

 斯くの如くあり、彼らはまさしくレースにおける名門()()()()

 そう、「であった」のだ。「である」ではない。

 

 確かに、シャダイレーシングクラブという組織それ自体は現在も隆盛を極めている。それどころか、日本トゥインクル・シリーズを支配せんとするほどの圧倒的な影響力を発揮している。それは事実である。

 しかしそれはあくまでもレーシングクラブ出身のウマ娘たちによるものであって、オーナー一族に連なるウマ娘によるものではない。

 否、それは正しくない。つい最近に至るまで、彼らシャダイの一族には、()()()()()()()()()()()()

 一体それがどのタイミングからだったかは定かではないものの、シャダイのオーナー一族の中に、()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

 

 ウマ娘がいなければ、育てることも、レースに出すことも出来はしない。当然の話だろう。そういうわけで彼らは暫くの間、自らの事業の順調さとは裏腹に、レースの世界においては塗炭の苦しみを味わうことになった。つまり日本トゥインクル・シリーズの表舞台に躍り出ることが物理的に不可能な立場へと、追いやられてしまっていたのだ。

 

 しかし――そんな一族の中に、ついに待望のウマ娘が生まれた。それは今から十年と少し前のことであった。

 長ずるにあって活躍を期待できる器であるかはともかくとして、その存在はまさしく彼らにとっては恵みそのものであった。結果として彼女は下にも置かない扱いで大切に育て上げられ、そして幼少期からシャダイ積年の育成ノウハウを一心に詰め込まれて、すくすくと成長した。

 

 その結果は、目に見える形で表れた。過不足のない栄養を与えられ、最適な睡眠と無理のないトレーニングによって作り上げられた身体は雄大なバ格を有し、その青鹿毛の長い髪は陽の光を混ぜ込んだかのようにようにきらきらと輝く。前髪には一房の白い流星が映え、目鼻立ちもすっきりと通っていて、そのやや切れ長の目の中からは柘榴の瞳が爛々と、暗赤色の煌めきを放っている。

 概してそれは、強く大きく、何より美しいウマ娘としての姿であった。そういう風に、彼女は育っていた。

 

 

 

 そして時は更に流れ――そのウマ娘は、本格化の時を迎えるに至る。

 

 一般にウマ娘はその本格化に先立って、競争バとしての名前を三女神から授かる。最低でも、そう信じられている。実際、ウマ娘が競争バとしての名を得たその時から概ね二年、長くても三年以内には、そのウマ娘は本格化によってトゥインクル・シリーズに出場するに足る競争能力を呈するようになる。それは長年の観測に基づく客観的な事実であった。

 

 かのウマ娘が三女神から自らの名前を知らされたのは、トレセン学園入学の一年ほど前のことであった。

 「私の名前が分かった」。日常を過ごすなか、ふいに告げられた彼女のその言葉に、彼女の両親は飛び上がらんばかりに驚いた。そしてその場ですぐ彼女に、授かった名前のことを訊ねる。

 彼らの目の前、かのウマ娘は目を閉じた。そしてその名前を、三女神から与えられた競争バとしての名前を、ゆっくりと口にした。

 

 ――『ダイナファントム』。私の名前は、ダイナファントム。

 

 それを聞いた両親は、涙を流して喜んだ。

 「ダイナ」の名を冠するウマ娘が、シャダイの象徴たる名を持ったウマ娘が、再び私たちの中に現れてくれた。未来のことは定かではないにせよ、その事実はそれだけで彼らにとっては大きなものであったのだ。

 その後は一族を集めた大祝賀会が執り行われ、彼らは一族の中の新たな競争ウマ娘の誕生を大いに祝った。

 そして一年の予備期間を使い、更に綿密な事前トレーニングを受けた彼女――ダイナファントムは、まさしく一族の期待を一身に背負う形でトレセン学園へと入学する。

 

 

 

 そこから更にもう一年と半年ほどが経った十一月の末こそが――今日、つまりメイクデビュー戦を無事に勝ち上がったその翌々日の月曜日であった。

 

 

 

「入ります」

 

 名家のウマ娘らしい礼儀を伴った挙措で、ダイナファントムがトレーナー室へとやってきた。数回のノックののちに静かにその扉を開け、音もなく入室する。

 彼女がそこへ足を踏み入れたとき、自らを担当するトレーナーは作業机の上、ラップトップPCと向き合っていた。どうにも集中しているらしい、ダイナファントムの来訪にはどうやら気づいていない様子であった。

 どうしたものかと、辺りを見回す。するとその左手、談話ブースのソファに腰かける、一人のウマ娘の姿を見つけた。俯いて、手許の何かに視線を落としている。ウマホだろうか。

 その毛色は彼女と同じく黒だが、しかしそれよりも更に深みある色合いを呈している。曰く青毛であって、それがまことのことなのだとすれば、中央のトレセン学園においてはあまり見ない毛色であった。

 その黒く、そして彼女自身よりも随分と小柄な姿を目に留めて、ダイナファントムは小さくその片手を挙げた。

 

「よっ、()()()。きみもここだったか」

 

 かけた声に、視線があげられる。覗いた(かんばせ)は抜けるほどの白さだ。そしてそこに見える翡翠の瞳がぱちくりと瞬いて、彼女の姿を捉えた。

 数瞬ののち、あら、と気の抜けた声が、向こうから漏れる。

 

「ファンさん、ごきげんよう。あなたもここにいらしたのね」

 

 嫋やかさを帯びた響きで返したそのウマ娘が、音一つ立てずに立ち上がる。そしてそのまましずしずと、ダイナファントムの方へ歩み寄ってきた。

 彼女の名前は、()()()()()。メイクデビューをひと月後に控えた、ティアラ路線のウマ娘である。そして同時に、彼女はダイナファントムと同じトレーナーのもと、チームメイトとして修練に励む仲間でもあった。

 

「トレーナーは?」

「見ての通りよ。お仕事でお忙しいみたい。ただ……」

 

 そこで言葉を切って、目を凝らす。ダイナファントムも倣ってそちらの方へと目を向ければ、遠目に見えるそれはどうやらレース映像のようであった。

 しかも、その風景には見覚えがある。そこに映る空模様と仮柵の位置関係からして、恐らくは一昨日の京都レース場の映像だろう。そして今、かのトレーナーがそのレース場で行われたレースの中で見るべきものというのは、凡そ一つしかありえなかった。

 

「随分とご熱心ね。あれ、あなたのよ?」

「……そう、みたいだね」

 

 息を一つつく。トレーナーの方から用があると呼ばれ、自主トレーニングの予定を潰してここへとやってきているのだ。それを未だに私たちが話しているところでなおその存在に気づかないとは何事かと思う反面、それほどまでに自らのレースの分析に余念がない己がトレーナーの熱心さは素直に尊敬に値すると、そういう複雑な気持ちをダイナファントムは裡に抱えていた。

 それを飲み込み、意を決して作業机へと近づく。できる限り驚かせないようにやや距離を離して傍に立ち、そこから彼女はわざとらしく足音を立てて見せた。

 ひゃっ、と小さく、かわいらしい声がする。その肩が、びくりと震えた。レース映像の動画を停止し、トレーナーが顔を上げる。そして、こちらを見た。

 

「お疲れ様です、()()()()()()()。お呼びでしたので参りました」

 

 いつもの調子で告げた彼女であったが、どうやらそこに勝手に別の意味を読み取ったらしい。「福井」と呼ばれた目の前のトレーナーは、()()は、少し気まずそうな態度で、ダイナファントムに向けて弁明の文句を口にした。

 

「あ、うん。……そう、ちょっとレース映像を見返しててね、それで」

 

 それで、何か。彼女がそう思いつつじっと待っていれば、目の前のトレーナーの目が泳ぎ出す。そしてその末何を思ったか、平伏せん勢いで深々と頭を下げた。

 

「……ごめん!」

 

 面食らったのはダイナファントムのほうである。別にそこまで深々と陳謝されなければならない理由などどこにもありはしなかった。

 そこからはやや当惑気味に自らのトレーナーを押し止め、そこから続いたしばらくのドタバタのあと、ようやく彼女たちは平静を取り戻すに至った。

 

 ダイナファントムがトレーナー室へと入ってから、もうすでに二十分ほどの時間が経過していた。

 

 

 

 談話ブースに、この部屋に今いる三人のすべてが集まっている。そしてその中央、ガラス張りのローテーブルには、トレーナー支給品のラップトップPCが置かれていた。つい先ほどまで、福井トレーナーが外界の尽くを忘れて見入っていたものだ。

 

 ――さて。

 全員が腰を落ち着け、一息ついたところで、福井トレーナーはそう切り出した。

 

「改めてだけど、ダイナファントム。あなたを呼んだのはつまり、一昨日のおさらいをしようという話なの」

「はい。理解しています」

「よろしい。なら、レース映像を再生するね」

 

 福井トレーナーの細指が、トラックパッドにかかる。そしてそこから暫く、頭出しされていたレース映像が、音を伴ってこの場に再生された。

 

 

 

 レースの展開それ自体に関しては、ダイナファントム自身よく覚えている。

 あの日の前日、現地入りする前、トレーナーから受けた指示は()()()()()であった。

 

 ――得意のスタートを、完璧に決めて。

 ――そのあとは、ハロン十一秒九を刻み続けることを、意識して。

 

 本当に、これだけである。ただそれは、ほかのウマ娘からすれば異常としか表現しようのない指示でもあった。

 その時同じトレーナー室にいたシーザリオの態度は、というよりも発言は、ダイナファントムにとっては今も記憶に新しい。

 

 ――失礼を承知で申し上げますが、トレーナーさんは常識というものがおありになるのですか。

 

 本当に失礼な話である。ただそれを言うシーザリオの考えというのは、ウマ娘レースの一般常識から考えればあまりにも当たり前のものではあった。

 メイクデビューのウマ娘に完璧なスタートを求めるというのが、まず一つ目の無茶である。そしてその次、同じくメイクデビューのウマ娘に対して、ハロンラップ十二秒を切るタイムでの走破を求めるというのは、それを上回るレベルの無茶だろう。

 しかしそれにもまして、ハロンタイムをすべてのハロンで等しく刻むという、正確な体内時計と精密な身体感覚の両立を容赦なく要求するその指示の在り方が、何よりも無茶であった。というより、やってはいけない類の指示であった。――その対象となるのが、()()()()()()()()()

 

 つまりこのダイナファントムというウマ娘は、()()()()()()のだ。というより、そうでなければわざわざメイクデビュー戦を()()ディープインパクトの出るそれにぶつけたりなどしない。

 福井トレーナーは、そしてダイナファントムの背後にいるシャダイの人間は、件のメイクデビュー戦において大真面目にディープインパクトに勝つ気で、彼女をあの場に送り出していた。そして同時に、()()までしなければ、ディープインパクトという規格外のウマ娘には勝てないと、そう考えていた。

 

 

 

 回顧を終えて、レース映像へと注意を向ける。

 この動画は、通常の並走カメラからの映像に加えて、パトロールカメラの映像も同期して映しているところにそのミソがある。

 

「大外から切れ込んでからは結構まっすぐ走れている、のかな」

「そうだね。それは良かったんじゃないかな、って思う」

 

 ダイナファントムの所感に、福井トレーナーが同調するように頷く。その顔はどこか満足げですらあった。

 歩様を真っ直ぐに、ぶれることなくコースを駆ける。それもまた、歴としたレースに関する技術である。つまりパトロールカメラの画角というのは、そういう横からのレース映像では分からない部分をも詳らかにするためのものであった。

 

「Bコース替わり*2の次の週だったけど、内ラチ沿いの芝はやっぱ結構荒れ気味だったんだね、これを見ると」

「まあ、コース替わりの週が雨でしたからね。とは言ってもあの日、それまでのレースは逃げ先行バの連対率が高めに出てましたよ」

「それは知ってる。不思議だよね、バ場傾向って」

 

 互いに確かめるようにつぶやき合いながらも、流れていくレースの展開を眺める。

 それはちょうど隊列が向こう流しに入った辺り、先頭を行くダイナファントムが十五バ身以上の差をつけて先頭を行く絵面を見てのことだった。

 

「何度見ても意味不明ね、これ。分かっていても、ファンさんがひどい掛かり方をしているようにしか見えないもの」

 

 とは、そのあたりの展開を見てのシーザリオの言だ。ダイナファントムのほうも、それにはただ頷かざるを得ないものがあった。

 

「メイクデビューなんてそういうもんだって理解はしてたんだけど……確かに、だね。これを見ると」

「でも、ラップタイムは正直だよ」

 

 福井トレーナーが、そのやり取りに待ったをかける。その勢いのまま、このPCのディスプレイの中、右上の部分を指で示した。

 このレース映像において、その右上にはスタートからの経過秒数が表示され続けている。また同時にそこには、一ハロンごとのバ群先頭のラップライムがその区切りごとに示されてもいた。

 今回のレースにおいては、ダイナファントムは一度もハナを譲ることなく先頭でゴールしている。即ちそこに書かれている数字こそが、彼女自身のそれでもあると言えた。

 

 そしてこの場にいる全員は、当然にしてここまでのタイムについてを記憶している。

 ――12.9-11.3-12.0-11.9-11.9。

 それが第三コーナーに入る辺り、前半千メートル、五ハロンぶんのラップタイムであった。

 

「確かに。……まあテンの二ハロンはおいておいて、その後ろ三ハロン分は概ね及第点、と思ってよいのではないかと思うのですが」

「まあ、そうだね。そうだと思う。三ハロン目のコンマ一秒分は、内ラチ沿いの荒れのせいかな?」

「どうでしょう。……戻して見てみますか」

 

 そうやってまた映像を戻し、つぶさに今回のレースについての検討を深めていく。その姿を見て、シーザリオは嘆息するばかりであった。

 何となれば彼女もまた、この凡そひと月後、十二月最終週にメイクデビューを迎える身であるからだ。彼女たちの姿は、まさしく五週ののちの我が身であるという事実が、俄に現実味を帯びてこの場に現れたように、彼女には感じられてならなかったのである。

 

 

 

 斯くの如く、レースに対する反省会は粛々と進む。そして映像はラスト一ハロン、猛追する鹿毛のウマ娘、ディープインパクトと、その前で逃げ粘ろうとするダイナファントムの一騎打ちの場面へと移り変わった。

 このレース、ダイナファントムは自らの出した上がりの3Fについてはもうすでに認識している。即ち、三十五秒一である。その内訳は、11.7-11.8-11.6。良くも悪くも、その三ハロンをほぼ平行ラップで走り切っていた。

 翻ってディープインパクトを見る。こちらの上がり3Fも既に情報として彼女は得ていた。

 ()()()()()。三十三秒一である。ダイナファントムの出したそれに比べて、きっかり二秒早い。つまり大体、距離にして十三、四バ身ほどの差だ。それをディープインパクトは詰めてきた。彼女の前半通過タイムは一分三秒フラットと、十分に足をためることのできる展開であったことは確かではあるが、それは差し引いてなお、本当に、異常なまでの鬼脚としか評価できなかった。

 

「しかも加速ラップの三十三秒一とは……これ仕掛けあっちが早かったら普通に負けてましたよね」

「どうだろう。それはそれで脚が残らなかった可能性もあるんじゃない?」

 

 福井トレーナーは言うが、ダイナファントムにとってそれはほぼ確信に等しい発言だった。

 あの空気は、実際にディープインパクトと同じターフに立ち、一着を競わなければわからないだろう。

 ――飛んでいる。あれは飛んでいるのだ。背中に羽根が生えている。いっそ理不尽なまでの加速にトップスピード、そしていい脚を長く使うことのできる資質を持っている。そういうウマ娘であるのだ、彼女は。

 一歩間違えば、飲み込まれていた。今回の勝利は、ディープインパクト陣営の慢心、そして直前まで自らのトレーニングにおけるタイムなどの材料を積極的には公開してこなかった、こちら側の情報戦の成功がもたらしたものでしかなかった。

 言い換えれば、今回の我々は挑戦者であって、それゆえに勝利できたのだ。だから次は分からない。いや、今のままでは負ける。

 それは彼女にとって、明白な危機感としてそこにあった。

 

「トレーナー、あいつの、ディープインパクトの次走報は何か入っていますか?」

「いや、特にはないね」

 

 ダイナファントムの問いに、福井トレーナーは首を振る。しかしその顎に指を当て、すぐに自らの推量を口にした。

 

「まあでも、同じ関西で芝二千メートル条件のジュニア未勝利だと、来月の五回阪神五日(十二月第三土曜)か、五回阪神八日(十二月第四日曜)か、それぐらいかな。まず勝つんじゃない? したらその次は条件戦(プレオープン)は飛ばしてオープンでしょう。多分だけど、若駒ステークスでしょうね」

 

 指を折りつつ、自らの読みについて彼女は語る。

 なるほど、理にかなった推測ではある。ダイナファントムは改めて自らのトレーナーのソツのなさを見直した。

 

「じゃあ、私は行こうと思えばディープインパクトのいないジュニア重賞を取れるんですね」

「お、随分と自信を持っているね? ……まあ、そうかもしれない。ただ今のあなたは一勝級のウマ娘でしかないわけだから、多分朝日杯は足切りを食らう可能性が高いんじゃないかな。行くなら『ラジたん』*3ということになるでしょうね」

 

 どう? 登録しておく? そう訊ねた福井トレーナーに、ダイナファントムは首を横に振ることによって答えた。

 

「遠慮しておきます。あいつ(ディープ)のいないジュニアGⅠを取るために、脚を無駄に使いたくありません」

「そ。わかった。なら次走はどうする? 特に希望がないなら、こちらで決めるけれど」

 

 その言葉に、ダイナファントムは目を瞑る。しばしの考慮に沈んでその末に、彼女は一つの答えを出した。

 

「……でしたら、共同通信杯を」

府中の千八(共同通信杯)? 一月の京成杯(中山二千)のほうが皐月と同条件だしいいんじゃないかな、とはちょっと思うけど」

「いえ、それはその次、弥生賞を走ることで補います。共同通信杯はさらにその叩きです」

 

 毅然とした返しに、福井トレーナーはふぅん、と声を出す。二度三度と頷きながら思案して、そして今一度、ダイナファントムの方を向いた。

 

「なるほどね、だから十二月は走らないわけだ」

「ええ、そういうわけです」

 

 なるほど、なるほど。小さく口の中で呟いて、彼女は声を潜める。そして、ダイナファントムに一つの問いを発した。

 

()()()()()()()()()。そう見ているというわけだね、あなたは。ディープインパクトに」

 

 ダイナファントムは、それにただ黙したまま頷いた。真剣な面持ちであった。

 そこでどうやら、福井トレーナーは目の前のウマ娘の抱えている強烈なまでの危機感というものを意識したらしい。興味深げにその面持ちを覗きこみ、そして徐に大きく頷いた。

 

「わかった。なら、ここから共同通信杯まではみっちり詰めていきましょう。目標はさしあたり、『トレセンの芝コースでハロンタイム十一秒八を二千メートル持たせる』こと、辺りにしましょうか」

 

 ダイナファントムの隣で、黙って話を聞いていたシーザリオが、目を剥く。否、そこまではしたない顔つきはしないにせよ、凄まじい驚愕にその表情を歪めていた。

 ただ当のダイナファントムはそちらへは目すらもくれない。それは彼女にとって、まさしく「勝つために達成されるべき」目標でしかなかった。

 笑顔すらも浮かべて、自らのトレーナーに頷く。それを見て、福井トレーナーのほうもまた表情を緩めた。

 

「よし! じゃあ話がまとまったと言うことで、ちょっと遅くなったけど今日のトレーニング、始めますか!」

 

 言いながら立ち上がり、用は終いだとばかりに、目の前に座る自らの担当ウマ娘二人にも起立を促す。

 

 

 

 斯くしてようやく、福井トレーナー率いるウマ娘チーム――チーム《ポルックス》のその日の練習が、スタートの運びとなった。

 

 尤も、今の時節は十二月も近いころ、日はすでに西の空に橙の輝きを放っていて、したがってこれからどれほどの間屋外でトレーニングを実施できるかについては、やや疑問符がつくところではあったが。

*1
当然現実では因果は逆である。

*2
芝の保護とレースの公平性のため、競馬場(ウマ娘におけるレース場)は一定の開催日数ごとに内ラチの仮柵を外にずらしていく。その仮柵の設置場所ごとに、Aコース、Bコースなどと呼び分けを行う。

*3
現ホープフルステークス。作中に対応する現実世界の2004年時点では、まだ当該競争はラジオたんぱ杯というGⅢ競走で、開催地も阪神だった。




オリジナルキャラクター解説:

福井トレーナー (福井裕香)

チーム《ポルックス》のトレーナー。現在はチーム内にシーザリオとダイナファントムの二人のウマ娘を抱えている。

モデルは言うまでもなくJRA騎手(現調教師)の福永祐一氏。女性である理由は、アプリウマ娘のネオユニヴァースキャラストにおいて福永氏モチーフと思われるトレーナーが女性であったことから。

なお現実の福永祐一騎手はこの世代の牝馬クラシック路線でシーザリオの他にラインクラフトもお手馬としており、桜花賞では先約(ラインクラフトの新馬の方が先であった)優先主義に基づいてラインクラフトに乗っています。ただこの作品においてはのちの展開との整合性を踏まえてラインクラフトはチーム入りしていません。

ダイナファントムが福永Jのお手馬になっているのは元スレのキャラクターシートに基づいています。



それと当然ではありますが、作中の「シャダイグループ」関連の描写は現実の社台グループとは何ら関係ございません(現実世界における社台グループに対応自体はしていますが)。ご承知おきください。

また現実の社台RH系列の競争馬についても「ダイナ」冠のあるなしで直属かそうでないか分かれるわけでもなく、これもこの作品内での独自設定です。
実際は、ダイナースクラブと提携をしていた1987年ほどまで提携先のダイナースから名前をもらって「ダイナ」冠を使っていたようです。よって2004年にもなって急遽「ダイナ」冠が現れた理由は謎です(メタ的に言えば元のダイススレにおけるダイス神のお導き)。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。