十月の末、二週にわたって続いたクラシック級ウマ娘の狂騒曲は、この世代の先頭を走る二人のウマ娘、ディープインパクトとダイナファントムの持てる実力というものを、これ以上なく証明することになった。
そもそもにして、その兆候は常に出ていた。つまりダイナファントムとディープインパクトがこれまで競った四つのレースのうち、三つのレースはなにがしかのレコードを更新しているのである。
メイクデビューでは、ジュニア級の芝二千のレコードを上回った。
皐月賞も、レースレコードをコンマ三秒更新している。
極めつけは日本ダービーで、こちらは前年に既にキングカメハメハがレコードを記録したところを更に一秒も上回る大レコードを、この二人のウマ娘は作り上げていた。
結局のところ、これはダイナファントムがほとんどのケースでレコードペースの逃げを繰り広げ、それにディープインパクトが後ろから勝ち負けにする末脚を発揮するからこその構図である。互いが互いの持ち味を引き出し、高め合う関係にあるという認識は、衆目の一致するところであった。
兎も角も、秋の二戦を経て世代をまたいだ評価を確固たるものにした二人のウマ娘の陣営は、ともに秋シニアの二戦目であるジャパンカップをスキップして、そして年末の大レース、有馬記念に臨むことを発表する。
有馬記念というのはグランプリレースである。つまるところ出走ウマ娘候補として人気投票のために特別登録を行ったウマ娘のうち上位十名に優先出走権が付与されるわけだが、しかし同時に充分以上の賞金を得ているウマ娘は、それに関わらず出走することもできた。
ただ、ディープインパクトにせよダイナファントムにせよ、その年のクラシックの冠を戴いたり、海外のGⅠを勝利したりとはっきりした功績を持つウマ娘は、ほぼ確実に人気投票では上位に入る。何となれば多数のファンが参加するこのグランプリの人気投票というのは、その名に反してどちらかといえば知名度投票と表する方がその実としては正しいからである。ただそれは世に数ある人気投票と呼ばれるものに共通する宿痾のようなものでもあった。
ただいずれにせよ、彼女たちが出走のための特別登録を行ったということはほぼ、いや確実にその出走が決まったということでもある。トゥインクル・シリーズのファンたちは、この年の春から輝かしい功績を上げ続けてきた二人のウマ娘の五度目の激突、GⅠでの三度目の衝突の時を、まさに心待ちにしていた。
さて、ところ変わってトレセン学園である。
ダイナファントムは先の秋の天皇賞での明らかに分を超えた激走を、福井トレーナーに誉め言葉半分小言半分といった態度で評されていた。
結局のところ、ウマ娘のレースというのはタイムアタックではない。集団の中で勝てればよいのである。逃げ以外の脚質のウマ娘が勝ちやすいのも結局のところはそういう性質からくるものであるわけだが、つまりトレーナーという視点から見れば、ダイナファントムの先日の走りというのは端的に言って「やりすぎ」だったのである。
が、その底流にある意気込みというものも、福井トレーナーは理解していた。つまるところ、あのレースに至るまでのダイナファントムを取り巻く環境というのは、そういう走りをさせるだけの心理的負荷というものを、彼女に対して与えていたのである。
故にこそ、「世代の強さを証明する」という大目的を果たしたダイナファントムに対しては、小言も加えつつもしっかりとその労をねぎらうことは忘れなかった。
が、それはあくまで評価という側面の話であって、あのレースにおける激走が与えた身体的影響というのはまた別である。
つまりダイナファントムには、見事に先のレースの反動が来ていた。いつも以上に体力を使っていて、それが戻り切らないのだ。普段の調整がてらのウッドチップ周回でもあまりタイムが出せていなかった。
激走の反動で出力が落ちるというのは、ウマ娘にはよくあることである。それは時間によってしか解決できない。そう言うわけで、ダイナファントムは足元をあまり酷使しないようなプール運動を中心に、体力を戻しつつも次の有馬記念へと備えることになっていた。
奇しくもルームメイトであるシーザリオも、足の靱帯を保存しながらも筋力を維持するメニューとして、PRP療法での経過観察が終わったここ一か月はプールを使ったトレーニングをその中心に据えていた。必然的に彼女たちは再び、寮の自室以外においても同じ場所で顔を合わせることになっていたのである。
そして、否、しかしその傍らで、ダイナファントムは一人のウマ娘にある種「夢中」になっていた。言わずもがな、ダイワスカーレットのことである。
月の替わった十一月、福井トレーナーがずっとかかりきりになって指導を行っていたフサイチパンドラが、無事にメイクデビューを勝ち上がった。次走はそのまま余勢を駆ってジュニア級のティアラウマ娘の頂上決戦、阪神ジュベナイルフィリーズと決まった。ジュニア級においては一勝ウマ娘がそのままジュニアGⅠに挑むことはそう無謀とまでは言えないが、ただやはり大きなチャレンジには相違ない。必然的に引き続きそちらの方を重点的に監督することになった福井トレーナーを差し置いて、ダイナファントムは自分があまり負荷をかけないトレーニングを課されているのをいいことに、ダイワスカーレットとの併せをひたすらに繰り返していた。
ダイワスカーレットは本格化も始まったばかり、レースに出ることができるのは大体一年後のウマ娘である。つまりクラシック級といいつつ実質的にはシニア級のそれであるダイナファントムが全力で走っては、流石に勝負にならない。
ということでダイナファントムは、自らが二年ほど前に、つまり今のダイワスカーレットと同じぐらいの頃に出すことのできていたタイムを意識しながら、僅かに先行するような形でダイワスカーレットのことを引っ張りつつ、トラックを駆けていた。
「ほらほら、もうちょっとやれるでしょスカーレットさん」
「ぐっ……! まだまだぁ……ッ!」
調整半分で余裕残しに走るダイナファントムに対して、それをダイワスカーレットが歯を食いしばって追っている。それは本格化が始まってからの時間の差である故にどうしようもないのだが、後ろ半バ身ほどを何とかついていこうとする彼女の脚は、もはや一杯になっている。ほぼ限界であった。
しかしそれでも、ダイナファントムは内心思わず舌を巻いていた。つまりこちらが初めから飛ばすのでなく、ギリギリついてこれるように少しずつペースを上げていくに限っては、ダイワスカーレットは最後まで食らいつかんと決して諦めないのだ。
ハロン十四秒で入って、段階的にペースを上げ、ラスト一ハロンの今はもう十二秒前半ほどのペースで走っている。それは今の時期のウマ娘からすれば限界を超えていてもおかしくない速度だ。それでも、彼女はついてきた。ダイワスカーレットは結局その七ハロンの間じゅう、ダイナファントムの半バ身後ろはギリギリ保ち切ったままにゴール板を駆け抜けた。
ゴール板から助走で少し距離を取った先、ダイワスカーレットは膝に手を置きながら肩で大きく息をしている。十一月の寒空の中では彼女から放たれる熱気は湯気となって立ち上り、ぽたぽたと汗すらも垂らしていた。
ダイナファントムは一度内バ場に足を向けて、スポーツドリンクを取り出す。そして今にも崩れ落ちそうな姿勢で、しかし殆ど意地のような形で足を踏ん張っているダイワスカーレットに向けて、そのペットボトルを差し出した。
「お疲れ」
かけた声に、その顔が上げられる。
相変わらず息は荒く、表情には疲労の色が張り付いて、紅の虹彩の奥に覗く瞳孔も、呼吸に合わせるように拡縮を繰り返している。
この構図そのものはダイナファントムとしては何度も目にしているが、それでも毎度、どこかゾクリとする謎の感覚が背中を走る。疲労にぼやけながらも、爛々とした意志の強さを感じさせる目の光が、その眼差しがそうさせるのだろうか。
しかしそれもつかの間、首を何度か左右に振ったダイワスカーレットが、手渡されたそれを手に取った。
「あり、がとう、ございます」
乱れた息遣いにぶつ切りになる言葉も、しかし受け取ったボトルに口をつけてしばらくすれば、元通りになる。
ついでにと手渡したタオルを首に巻いて、ダイワスカーレットはようやくその背筋を正した。
それを見計らって、ダイナファントムは話し始める。
「まあ、タイムという意味でもこの時期にしては相当優秀だと思う。同世代に、そうそう敵はいないんじゃないかな」
手に持っているストップウォッチを片手に、短評を告げた。
しかしダイワスカーレットはどうにも納得のいかない表情をしている。
「でも、ファントムさんの抜いた走りに全然かないませんし……」
返されたそれに、思わず吹き出すように笑っていた。
「そりゃそうだ。本格化してから三年ぐらいって、一番ウマ娘が伸びるところだからね。それでそんなに簡単に追いつかれちゃ、私の立つ瀬ってものがないよ」
その言葉を聞いてなお得心のいっていない彼女の様子に、ダイナファントムはダイワスカーレットの本質というものを改めて感じ取った。
平たく言えば、「先頭至上主義」。それがダイワスカーレットの
つまり、基本的には彼女は何でも「トップ」でありたいのだ。いつぞやのダイワスカーレットの言葉を借りるなら、「一番」ということである。
それはレースだけではなく私生活や学生生活にも及ぶ。
一番であり続けるために勉強を欠かさないし、一番模範的な生徒であるために優等生的な態度を頑なに崩さない。
どうやら寮生活における家事も率先してやっているというのだから、その気合というものは恐れ入る。
そして走りにおいては、言うまでもない。
「まあでも、スカーレットさんの前進気勢は武器だと思うよ」
聞いているダイワスカーレットの目が、小さく開かれた。
直後、顔が少し逸らされる。右手が左腕を掴んで、そこにぎゅっと力がこもった。
「そう、でしょうか」
「……どうして?」
「いえ、その」
言いにくそうな様子で問いかけてきて、直後に首を振った。
ダイナファントムが、首を傾げた。
その後のダイワスカーレットの話を総合すると、つまり彼女は周りの色々な人から、その前進気勢をあまりよく思われていないらしい。
つまり彼女はレースのなかで、道中から積極的に先頭を押さえなければ気が済まない、いわゆる「行きたがる」性質を持っていた。山元パークの中で行われる模擬レースでも、とにかくダイワスカーレットはひたすらに先頭を走ることに固執していたという。地力という意味では抜けていたがゆえにほとんど負けることはなかったらしいが、その在り方そのものに関しては、あまり好まれてはいなかった。取ることのできる戦術が狭まるからである。
「なるほどねぇ」
ダイナファントムは、顎に手を当てる。なんとも身につまされる話といえなくもなかった。彼女にしても、逃げという極端な戦術を取っているのは同じであるからだ。
ただ実のところ彼女の逃げというのは、前に出たいからという理由でなされているわけではない。どちらかといえば、レースにおける展開を自ら作り出すためには前に出るのが最も効率的であるという、そういう打算からくるものであった。他のウマ娘の動向によって自らのレース展開を妨害される余地を可能な限り減らしたいという要求が、結果として今の戦術に彼女を落ち着かせていた。
ただ、ウマ娘にはウマ娘ごとの走りというものがある。ダイワスカーレットにとってどういう走りがプラスなのかというのもまた、ダイナファントムはここひと月の併せ運動のなかで何となく掴みかけていた。
「まあ、その人たちの言うことも一理はあるよ、当然」
そう、口火を切る。はっと顔を上げたダイワスカーレットが、直後また目を伏せる。やはり彼女とて、その指摘は謂われなきものとは思っていないのだ。
「そもそも逃げ戦術ってさ、一番頭を使うんだよね。というか、基本的には頭を使わなきゃ勝てない脚質だ」
訥々と続ける。それはかねてからのダイナファントムの持論だった。いや、ウマ娘レースにおける常識でもあるのかもしれない。
「相手関係、脚質分布、その日の芝のコンディション、有力ウマ娘のポジション取り。その辺りをぜーんぶ頭の中に入れて、動きを予測して、それで自分の出せるペースとか残せる脚からどのぐらいのハロンラップで組み立てていくかを考える。自分のプランを他のウマ娘に気取られないように、乱されないように、どうやってカモフラージュするかも常に頭の中に入れておく。それを大体一ハロンごと、つまり十一秒から十三秒ごとにリアルタイムに組み替えていく。そうしてやっと、
指折り数えて、自らがレースの中で常に念頭に置いていることを挙げていく。
「だから前進気勢だけで前に行って、何も考えずに走って、最後粘り込んで一着をもぎ取ろうとするだけだと、どうしても勝ちづらくなっちゃう」
目の前のダイワスカーレットの纏う空気が、はっきり萎んでしまった。思わずダイナファントムは苦笑する。
「そういうこと、教官とか
「……まあ、似たようなことは」
また、小さな笑い声が漏れた。
つまりダイワスカーレットは、逆にその前進気勢の強さが故に、実のところ脚質として「逃げ」は向いていない。
しかし一方で、それを活かすレース運びというのは、確実に存在した。
「だからスカーレットさん、私と同じ『逃げ』を目指すのは、あまりお勧めはしないよ。でも、代わりに」
言って、指を立てる。顔を上げたダイワスカーレットめがけて、それを提案した。
「『番手逃げ』。多分スカーレットさんが一番向いているのは、それだと思う」
番手逃げ、とダイワスカーレットが呟く。
ダイナファントムは頷いた。当然、そこには理由もあった。
「前進気勢を一番活かしやすいのが、先頭に一人ウマ娘を置いた時だ。さっきみたいに私が前を走ってたら、絶対に食らいつこうとするでしょ」
ダイワスカーレットが、黙って頷く。
「あわよくば先頭を取ろうとしてたみたいだけど、でもレースではそれをぐっと抑えるんだ。最後の最後、自分が一番条件のいい形で末脚を発揮できるところまで待つ」
つまりレースの中において、自ら頭を働かせてのペースメイクを考える必要はない。ただ先頭のウマ娘が作るペースを読んで、そこから逆算して先頭を捉えて抜け出すタイミングだけを考えればよい。最後の最後まで我慢して、自分が一番過不足なく脚を使いきれると思ったタイミングを見計らって、先頭を躱して仕掛ければいい。
尤も、前を走るウマ娘が大逃げを打つような極端な場合を除けばだが。
「あと、スカーレットさんは『長い脚』を使うタイプだから、そう言う意味でも先団につけるのは向いてると思うな」
「なる、ほど……」
考え込むように、ダイワスカーレットが呟いた。
つまり彼女の勝ち筋は、先頭のウマ娘のペースを読みながらマークするようについて行って、自分に最も都合のいい条件で加速を始めつつ先頭に躍り出て、後ろには無理な長い仕掛けを強いながらも、自分だけは持続力のある脚でトップスピードに勝る他のウマ娘の猛追を凌ぎきるところにある。
「その戦術を完全にものにしたら、私も危ないかもしれないよ? いや、本当に」
茶目っ気を込めて、片目を瞑って放ったダイナファントムの言葉を受けて、ダイワスカーレットの表情が少しずつ晴れていく。
やがてその笑みの中に勝気さと、どこか挑むような目線すらも宿しながら、彼女は上目遣いにダイナファントムを見上げた。
「……じゃあ、いつかファントムさんにも勝っちゃうかもしれませんね?」
「お、言うねぇ。じゃあそれまで、私も現役でいないとだね」
もしそれが叶う日が来るとしても、どんなに早くてもそれは二年後だ。つまりダイナファントムは最低でもシニア二年目の有馬記念まで走り続けている必要がある。
今の彼女からすればそれは見果てぬ先の話であって、だからそれはある意味では、「それほどまでに長く走っていてほしい」という、ダイワスカーレットの内心の表れであると、ダイナファントムは読み取った。
二人の間、自然と生じた笑い声が、漣の如く広がって、大きくなる。
しばらく続いたそれがおさまった後に、ダイワスカーレットはパシンと一つ、頬を叩いた。
「よし! それじゃ、もう一本お願いします!」
「任されました」
そして二人また、併せのためにスタート地点へと戻っていく。
斯くの如くに、シーザリオに「イレ込み過ぎよ」と呆れられるほどの熱意を帯びたダイナファントムの指導は、その後断続的に、ダイワスカーレットのメイクデビューが近くなるまで続けられることになる。
何がそこまでダイナファントムのことを突き動かすのかは、結局のところダイナファントム自身もよくは分かっていなかった。
自らのことを真っ直ぐな憧憬の眼差しでもって見てくる後輩のことを、可愛いと思ったのか。
それともかのウマ娘の中に内包されている異常なまでの負けん気が、その根性というものが、ダイナファントムの心の「芯」の部分に、何か共鳴するものを巻き起こしたのか。
ただ兎も角も、その説明のつかない情熱の行く末は、ダイワスカーレットというウマ娘のキャリアというものに間違いなく作用することになる。しかしそれは、まだ少しばかり先の話であった。
そこからさらに時が流れ、いよいよ以て年の瀬がやってくる。
年末の大一番、中山のグランプリたる有馬記念がすぐそこまで迫ってきた。
この日、つまりその週の木曜日は、日曜日に開催される各レースの枠順が抽選される日である。
しかし有馬記念ともなれば、そのスケールは格別だ。即ちかのレースの抽選というのは公開の対象であり、加えてそれは都内のイベントホールが貸し切られ、さながらパーティー会場のような趣の中で行われるのだ*1。テレビ中継も、当然に入る。つまりそれは、「ような」というよりは、より直接的にパーティーそのものであると言えた。流石は年末の総決算、トゥインクル・シリーズきってのお祭りというわけだろう。
そういうわけで、出走が決まっているウマ娘たちはそのトレーナーを伴って、それぞれに勝負服を纏ってこの場にいる。据えられたテーブルにはドリンクや軽食まで用意されて、抽選の場は一段高い位置、雛壇の上にあった。
出走ウマ娘たちの陣営が会場に揃い、時刻は午後四時半となる。
つまりそれは、定刻だ。何のかと言われれば、この催しのである。
照明が暗くなり、そして壇上にスポットライトが当たる。誰とはなしに起こり始めた拍手が、この場の全体に広がってゆく。
斯くてこの年の有馬記念の公開抽選会が、その幕を開けた。
それはまず、今回出走が決まるウマ娘たちの紹介から始まった。
最初に言及されるのは、人気投票の上位勢についてだ。
今回の投票、一位と二位は接戦だった。
結局のところこれは、ダービーウマ娘というものの人気、そしてクラシックを最後まで走り切った王道の歩みが、イギリスGⅠの初勝利というこれもまた大きい功績を手土産としたダイナファントムのそれよりも上回ったということを意味している。が、ダイナファントムとて同じ三十二万票と少しであることからすればまさに誤差の範囲、トゥインクル・シリーズ的に言うなれば「ハナ差」程度の違いとでもいうべきものであった。
そして三位には去年の秋シニア三冠にして今年も勝利こそないもののシニア王道での好走を続けた「勇者」ゼンノロブロイがランクインする。
その後は「二千四百逃げ切り勝ち」の代名詞をひっさげたタップダンスシチー、「愛すべきワガママ娘」スイープトウショウと、ダイナファントムが秋天にてぶつかった見覚えある名前がずらり並ぶ。
ダイナファントムとディープインパクトのほかには、クラシック級としては八位にアドマイヤジャパンがランクインしたぐらいで、ディープインパクトとダイナファントム以外の世代の面々も決して弱くはないものの、どうしてもその二つの巨星の陰に隠れてしまう結果にはなっていた。
兎も角もその上位十人の中では、スイープトウショウ、アドマイヤジャパン、そしてアドマイヤグルーヴの三人が出走を回避しており、その他もろもろを合わせて、上位二十人の中から追加で三人、デルタブルース、スズカマンボ、そしてコイントスの三人が、人気投票結果からの優先出走としてエントリーを決めていた。
そしてそれ以外の六人、地方の星コスモバルクを初めとする賞金順でのメンバーが合わさって、今年の出走ウマ娘十六人が確定していた。
その名前が読み上げられるたび、小さな拍手が巻き起こる。そしてそれが終わり次第始まるのが、今回の催しの中でもメインイベント、つまり抽選である。
有馬記念の枠順抽選方式は、二段階からなる。まず向かって右側の抽選箱の中、出走ウマ娘の名前の記された紙を、主催者サイドの人員が引く。そしてそれで選ばれたウマ娘が、今度はその隣、枠番が記された紙が入っている抽選箱から、自らに割り当てられることになる番号を引き当てる。そう言う流れであった。
そして例年このウマ娘の指名を行う側のくじを引く役割を負っているのが、数年前までトレセン学園の生徒会長を務め、そしてドリームトロフィーリーグからの引退を機にURAの理事の一人となった、「永遠なる皇帝」シンボリルドルフであった。
お茶の間の人間にとっては、これが国民的スターであったシンボリルドルフの姿を見ることのできる数少ない機会である。この公開抽選会というのは、彼らファンの中ではそう言う意味をも持っていた。
それぞれの陣営の席に座るウマ娘たちに一礼をしてから、シンボリルドルフは恭しくといった風情で抽選箱の前に歩を進める。
「では、これから不肖このシンボリルドルフが、抽選順を決める予備抽選を実施させていただきます。――運否天賦、と言うのは些か無責任かもしれないが、出走するウマ娘諸君においては、虚心坦懐の心持ちでどうか、待っていてほしい」
言った直後、えいやとその手が抽選箱に差し込まれる。暫しののちその手が引き上げられ、掌の中に納まる紙が開かれた。一瞥して、そして居並ぶウマ娘たちめがけて広げられる。
「では栄えあるトップバッターのウマ娘は――」
そこに書かれたウマ娘の名前が読み上げられるのを皮切りに、運命の抽選が始まりを告げた。
小一時間ほど続いたその「メインイベント」の果てに、すべてのウマ娘が自らの出走する枠番を得る。
その中で、人気上位の二人はどちらもやや想定とは外れた番号を得ることになった。
ディープインパクトは、三枠六番を。
そしてダイナファントムは、六枠十一番*3を、それぞれ割り当てられた。
内枠の位置取り争いに巻き込まれたくないディープインパクトが内枠をもらい、できれば内からハナをするっと奪いたいダイナファントムが外枠をもらう。
お互いに両極端な最内大外でないだけマシなところではあったが、それでもクラシック級の二人にとってはなかなかにチャレンジングな枠番となったことは確かであった。
ただそれこそ、先のシンボリルドルフの言葉を借りるのであれば、運否天賦でしかない。
ダイナファントムからしてみれば、普段くじ運という意味では極悪な自分が大外を割り当てられなかっただけ、幾分かマシとしたところであった。
そして今回の催しの最後、各ウマ娘たちの意気込みを語る場が始まる。
これは人気順から逆順、つまり賞金順によって出走するウマ娘を先に、そして人気トップで選出されたディープインパクトを最後にと、そう言う形で進められるものであった。
まずは賞金順の、つまり重賞級でありつつもGⅠにはあまり縁を持たないウマ娘たちが、一人一人壇の中央のマイクに進み出てその意気込みを語る。
与えられた枠についてや、これまでの自らの歩みについて、その上でこのレースにかけるところがなんであるかについて。そういった色々が、次々に吐き出されていた。
熱意を込める者、枠順に絡めて自虐する者、淡々と所感を述べる者、それは三者三様とも言えた。
それはやがて人気投票選出のウマ娘に移り変わり、錚々たる顔ぶれが、己の所信を述べていく。
その辺りになってくると、言及される方向性が次第に一つになり始めた。
つまりそれは、「シニアウマ娘の強さをここで示すこと」、である。秋の天皇賞、ダイナファントムによる大差での逃げ切り勝ちを許した彼女たちは、「今度ばかりはそれは許さない」と、「次こそはあの逃げウマ娘を捕まえる」と、口々に言った。
そしてそれと同じぐらいに、「もう一人のクラシックウマ娘のことも、十二分に警戒している」とはっきり彼女たちは口にした。
それほどまでにダイナファントムは、そしてディープインパクトは、シニア級のトップ層から目をつけられたのだ。言うまでもなくそれは、あの秋の天皇賞でのダイナファントムの激走がもたらしたものであった。
そしてマイクが、ダイナファントムへと回る。シンボリルドルフが、どこか面白がるような光をその瞳の中に湛えて、彼女のことをマイクの前へと促した。
当のダイナファントムは、はっきり言ってどこかテンションがおかしくなっていた。何となれば散々ぱら警戒と戦意を向けられ続けて、自らの闘争心の源泉を、どこまでも擽られ続けていたからだ。
――それほどまでに意識してもらえるなど、ウマ娘冥利に尽きる。
その思いを奥底に、彼女は外目には嫋やかな足取りで、マイクの前へと陣取った。
後ろを向いて一礼し、眼前に広がるトレーナー陣やプレス勢のカメラに向けても深々と頭を下げる。
しかしその長い時間を経て上げられた顔は――はっきりと、笑みをその中に形作っていた。
そしてダイナファントムは、徐に口を開いた。
「まずは今回人気投票で二位に推してくださったファンの皆さまに、お礼を言わせてください。今年一年の私の走りをこういった目に見える形で評価いただけるのは、やはり感無量ではあります。……ま、尤も、後に控えるもう一人に一位は譲ってしまったわけですが」
少しの自虐で聴衆の笑いを誘いつつもちらりと後ろを見て、そちらの方へ、つまりディープインパクトの方へと笑みかける。
視線の合った当のディープインパクトは、こてんと首を傾げた。そして瞬後に首を縦に振って、ひらひらと手まで振ってみせてきた。
いまいちこちらの言うことを理解していないらしい。というより、人気投票というものにはあまり頓着がないということだろう。
それもまた、彼女らしさだ。また一つ笑みを深くして、視線を前へと戻す。そして、大きく息を吸った。
即ちここからが、本題である。
「まあでも、クラシック組の私たちがシニアの諸先輩方を差し置いて上位に来るというのも、なんだか面映ゆいものがあります。……ですがそれは、ファンの方々からの期待の表れだと、今私は自負しています。ですから」
そこでもう一度後ろを向く。視線をディープインパクトの方へと向けて、ダイナファントムは
それを受けたディープインパクトが、目をぱちくりとさせる。戸惑ったように辺りを見回した。それでも彼女はしばらくして、意を決したかのような足取りで、ダイナファントムの方へと歩み出した。
かつかつという足音が響き渡り、マイクの上にも載る。果たして程なく、壇上にてマイクの前に立つウマ娘の横へと至ったディープインパクトに対して、当のウマ娘、ダイナファントムは、なんと
わ、と可愛らしい声がわずかにその鹿毛のウマ娘から漏れて、身体がぐっと引き寄せられる。
斯くしてディープインパクトと肩を組む格好になったダイナファントムが、またマイクの方へと向き直った。
「今回の有馬記念は、ダービーのあと、私がこの方と、ディープインパクトさんとぶつかり合うことになる最初のレースです。もう半年も前なんですよね。時が経つのは速いというか。ただ、とにかく」
また一度大きく息を吸って、そして、謳い上げる。
「だからこそ私はこの場所で、私たちクラシック組の強さを証明します」
おお、とどこからか声がした。恐らくそれは、取材陣だろう。続ける。
「あのあと、一か月前、菊花賞を圧勝したディープインパクトさんの強さは、皆さんとてもよくご存じだと思います。私もあれを現地で、京都で見ていました。『震えるほど強い』、と思いました」
まだ続ける。まさしく、唄うように。
「ですが私だって負けていません。なんてったってキングジョージウマ娘ですからね、こちらは。実績は十分だと、そう思っています」
つまり、と前置く。そしてダイナファントムは、また不敵に笑った。
「シニアの方々が私たちのことを意識してくださっているのは大変に光栄ですが……私たちは、私は、それよりももっと上に行ってみせます。それを上回ってみせます」
それは、不遜とすらいえる宣言であった。
「私たちが、ダイナファントムとディープインパクト、この二名の衝突こそが、これからの日本の……いや、
ダイナファントムは、斯くの如きに大見得を切る。
そこに浮かべた表情と併せて、その言葉は確かにこの場所を支配した。誰もが息を呑み、目を奪われて、壇上の二人のウマ娘を見ていた。
冬枯れ、暮れの中山にて、両雄が激突する。
そんな強烈な実感を、その会見は確かに見るものすべてに与えることになった。
有馬記念当日の、三日前の宵のことであった。