双子星の円舞曲   作:厳冬蜜柑

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「2006年3月25日 第11回ドバイデューティーフリー(ナド・アルシバ 芝1777m): ハットトリック 12着」。


『ゴールネット』を、揺らせ――Nad Al Sheba; Dubai Duty Free (Group 1)(9T, AC, Good)

 その年の計が立ち、月が替われば、時はまさに飛ぶように過ぎていった。

 そのなか、ダイナファントムたちとはまた別の戦いも、始まっている。その最たるものこそが、この年からクラシック級となる二人の後輩、ダイワスカーレットとウオッカの争いであった。

 

 実のところ、年が明けて二月の時点での二人の前評判は、当初から比べて逆転していた。つまりこの年のティアラ戦線の中で現状最有力と目されるウマ娘は、ウオッカの方であった。

 理由はいくつかあるが、その最も大きいところはやはり、去年のジュニアティアラ王者を決めるレース、阪神ジュベナイルフィリーズにおけるウオッカの勝利だろう。

 

 その時点で世代トップと目されていたのは、実のところウオッカでもなければ、ダイワスカーレットでもない。

 デビューこそ二着であったもののそこから破竹の勢いで勝ち進み、圧倒的なスピード能力から同世代の中では一つ抜きん出た力を持っていると言われていた、アストンマーチャンである。

 そしてそんな彼女を向こうに回して、去年の暮れの阪神レース場においてなんと四番人気からの逆転で以て「女王」の座を手にしたウオッカは、その後年が明けて一月の初め、クラシック混合戦であるとは言えどもGⅢ競走たるシンザン記念にてアドマイヤオーラ相手に後れを取っていたダイワスカーレットとの比較において、評価の面でははっきりと優位に立っていた。

 

 無論そんな事態は、「一番たること」を強く志向するダイワスカーレットにとってみれば面白いはずもない。ただ実際のところ今の彼女はその持てる素質に対して結果が出ていないことは事実であり、その評価は甘んじて受け入れなければならないものであるというのは、ダイワスカーレット自身よく理解していた。

 

 だからこそ彼女はトレーニングに余念がなく、また三月末の明け初戦、ドバイに臨むべく調整を進めるダイナファントムに対しても、忌憚なくアドバイスを乞うていた。無論、シーザリオに向かってもである。

 

 それを受けたダイナファントムであったが、実のところ彼女はダイワスカーレットの走りそれ自体に対して、一つのシンプルな見解を持っていた。

 つまりそれは、こういうことである。

 

「うーん……多分なんだけどね、スカーレットさんって、本当のところは()()()()()()()んだよ」

「忙しい……ですか?」

「うん」

 

 どういうことか。そんな空気を纏いながら首を傾げたダイワスカーレットを目の前に、ダイナファントムはシンプルに言い切る。

 

「つまりね、スカーレットさんは中距離の方が向いているんだ。脚の使い方からみてもそう」

 

 時は二月末、桜花賞前哨戦であるチューリップ賞の一週前追い切りを次の日に控えた火曜日のトレーナー室の中、ダイナファントムは彼女の前走、シンザン記念のレース動画を、自らのラップトップの上で再生する。

 

「マイル戦が得意な子って、基本的には()()()()()の子が多いんだ。つまり巡航速度から一瞬でトップスピードに到達するってことね」

 

 だけど、とダイナファントムは言葉を継ぐ。

 

「スカーレットさんは、正直そうじゃない。――跳びが大きいんだよね」

 

 ほら、と画面を示す。そこ映るのは最終直線の攻防だ。三番手から教科書通りの好位抜け出しを試みて、先で大逃げを打つエイシンイッキと二番手追走のエーシンビーエル*1を捉えに掛かるダイワスカーレットだが、しかし彼女が自らのトップスピードに乗り切ろうとするよりも前に、更にその外からアドマイヤオーラに並びかけられ、ゴール板手前百メートルほどの位置でかわされてしまっている。その一部始終、三十秒ほどの部分を再生して、ダイナファントムは指摘した。

 

「だから加速のつき方が遅い。他のマイルウマ娘のセオリー通りの位置から仕掛けようとすると、距離が足らないんだ、きみの場合は」

 

 そういう意味では、ダイワスカーレットの走りのスタイルというのはどこかシーザリオのそれと重なるものがあるとも言えた。ただダイワスカーレットに関してはそのあまりの前進気勢の強さが故に、控える形のレースという手段を取るのが難しい辺りは、明確な違いであるとは言えたが。

 

「なら、私はどうすれば……桜花賞は、いやその前のチューリップ賞もマイル戦ですし、『短いから』なんて理由で、アイツに、ウオッカに、負けたくないんです」

 

 当然のこととして、ダイワスカーレットはそう主張する。

 ――一番になりたい。負けたくない。特に、同室にして既に終生のライバル足りうるウオッカに対しては。

 そんな思いがにじみ出るようであった。どこまでもダイワスカーレットらしい態度であるとも言えた。

 

 ただいずれにせよそうであるならば、彼女がマイル戦で勝利を得るために必要な戦術は、一つである。

 ダイナファントムは、目の前に座る悩める後輩めがけて、人差し指を立てて見せた。

 

「まあ、手はある。……()()()()()()()んだ」

 

 そしてそう、端的に解決策を示す。

 それを聞いたダイワスカーレットは、目をぱちくりとさせた。

 

 

 

 狙いはどこまでも単純だ。元々中距離以遠に適性のある跳びの大きい走りをするダイワスカーレットは、その走り方故にスタミナの持続力には長けている。強い前進気勢を下支えする心肺能力も、優秀なものだ。そうであるのならば、特にマイル戦においては、三ハロンより少し手前の位置からスパート体勢に入るやや長めの脚を使うことも、不可能なことではない。

 

「脚を余すぐらいなら、それぐらいの位置から仕掛けを始めてトップスピードのパフォーマンスを長く出せるようにした方が得だよ、実際。最後の一ハロン、ちょっとだけ垂れてもいいから、ね」

 

 早仕掛けによって、ダイワスカーレットのスパートにおける武器である「前受けからでも繰り出すことのできる持続性の高い上質な終いの脚」を最大限有効活用する。他の瞬発力自慢のウマ娘が仕掛けを始めるころには、ダイワスカーレットはすでにトップスピードでの巡航に入っていて、ちょっとやそっとのことではもはや追いつけない。そのまま後続を「完封」した形で押し切れれば、それはまさにダイワスカーレットにとっての理想的な勝ち方に相違ない。

 

 

 

「スピードに乗り切れてない……なるほど」

 

 ダイナファントムの考える「改善案」を聞いて、ダイワスカーレットが口の中でそう反芻する。思い当たる節があるということだろう、小さく二度三度と頷く素振りも見せた。

 よし、と小さく呟いて、ダイワスカーレットはソファから立ち上がる。座ったままのダイナファントムの方に視線を向けて、頭を下げた。

 

「ありがとうございます、アドバイス。それと……今からでもそれ、試せますか?」

 

 そのまま上から、しかし上目遣いに訊ねてくるダイワスカーレットのいじらしい態度に、ダイナファントムは破顔した。

 

「勿論! じゃ、トラックコースに行こうか」

 

 ダイワスカーレットの併走トレーニングのお願いを快諾し、彼女もまた席を立つ。ダイナファントムとしても、クラシックに上がったばかりとは言え素質溢れるウマ娘であるダイワスカーレットとの併せで得られるものは少なくはないし、来るドバイに向けての調整を彼女へのトレーニングがてら進めるのは願ったり叶ったりとしたところであった。

 

 一直線に自身のことを慕ってくる、才気煥発な後輩とのそんな時間は、ダイナファントムにとっては常に満ち足りたものであり続けていた。

 

 

 

 そしてやってきた次の週、桜花賞の前哨戦である阪神レース場のマイル戦、チューリップ賞であるが、ダイナファントムはダイワスカーレットに向けて、一つの打診をしていた。

 

 それはつまり、本番たる桜花賞における最大の競合となるであろうウオッカの()()()()()()()()である。

 ある種ダイナファントム自身がかつて弥生賞でディープインパクト相手にやったことと似てはいるが、チューリップ賞においてはダイワスカーレットに、()()()()()()で終いを走ることを持ちかけた。

 

 それは当然、「何事も一番でありたい」、「全力で事に当たらなければ気が済まない」というダイワスカーレットの心情には真っ向から反するものである。ダイナファントムとてそのことに関しては理解していた。

 しかし実際問題として、ウマ娘のレースとは結果が全てである。その中でも本番というのは何よりも大事なもので、つまり今回であれば桜花賞の場で勝利を得るという結果は何ものにも代えがたい価値があるのだ。

 そのために使えるものはすべて使う。それもまた、「全力を尽くす」ことである。ダイナファントムがそういう考え方を持っているのは、ある意味では福井トレーナーの薫陶を受けた部分も多分にあった。

 弥生賞で、そして阪神大賞典で、ダイナファントムは自らの課題を洗い出し、それによって彼女は大一番で強敵であるディープインパクトを二度に亘って打ち負かしている。「前哨戦とはどういうものか、どう使うべきか」という視点については、ダイナファントムはその自らの経験を下敷きとしたうえで、その()()()()の方法をダイワスカーレットめがけて提案していたのだ。

 

 ダイワスカーレットもそれ故に、自らの主義を枉げてでも、ダイナファントムのその話に乗った。

 果たして次の日曜日、チューリップ賞の舞台である阪神レース場の上で、ダイワスカーレットは終盤、そのスパートのタイミングを、ダイナファントムとの併走の中でつかんだベストタイミングから、()()()()()()遅らせた。

 それでも以前のダイワスカーレットの仕掛けに比べれば、随分と早い。恐らく百メートルほど後方の仕掛けであった。前走のように後続が上がってきたタイミングを見てからの加速でない、それは、後方勢からは仕掛けのタイミングを誤った、早めに過ぎたように映る。それを好機と見たウオッカが阪神外回りの最後の直線から一気の仕掛けを試みるものの、しかし最後の直線の攻防の中で、彼女の想定するものよりもはるかに持続するダイワスカーレットのスピードを前にして、なかなかそれを捉えることができない。

 結果ウオッカがダイワスカーレットに並んだのはゴール前ギリギリのタイミングで、ウオッカは思った以上の出力を強いられつつ、ギリギリ何とかダイワスカーレットをハナ差で競り落とすことになった*2

 

 一方のダイワスカーレットは、それでもやはり、そして狙った通りに、仕掛けが遅いことを自覚していた。阪神の最後一ハロン、ゴール直前の急坂の手前で本来はトップスピードに達していなければならないところ、彼女はそのスピードを乗せきれないままに坂に達し、それによる急激なペースダウンがウオッカにハナ差先着を許す原因となっていた。

 つまり彼女が万全のタイミングでの仕掛けを行っていれば、ウオッカに今走のパフォーマンスを大幅に上回るような上積みがない限りは、逆転は大いに望めることを意味している。

 本番たる次走の桜花賞は同じ阪神外千六百メートルであり、今回の結果はそれゆえに、ダイワスカーレットを、そしてダイナファントムを大いに勇気づける、まさに価値ある二着であった。

 

 そして巷の評価においても、前走、シンザン記念での敗北によって、世代全体から見た時に三番手か四番手かとその評価を少しばかり落としていたダイワスカーレットは、しかし今回のウオッカとの激戦によって、自らもまた世代の一線級の力を持つウマ娘であることを証明してみせたと判断されていた。

 

 

 

 斯くて次走への展望が開けた自らの後輩のその雄姿を見届けて、ダイナファントムは日本を発つ。

 目指す先はドバイ、彼女もまた必勝を期して当たることになる年内初戦、ドバイデューティーフリーの開かれる地である。

 

 

 

 

 

 ドバイ。それはペルシャ湾沿岸、砂漠の真中に設けられた、人工の楽園だ。「首長国」と呼ばれる小規模国家の連合体として成立するアラブ首長国連邦(UAE)のなかで、このドバイという都市はこの一か所だけで一国を成す、事実上の都市国家である。それが実現できるほどの多大な富と繁栄を一点に集中させて咲き誇るこの市街の一角に、ダイナファントムを始めとする遠征組がこれから挑むレースのための施設があった。

 「ナド・アルシバレース場」。芝とダート両方を備え、完全に平坦で平等な競走条件を実現するために造成された、人の手になるレース場である。

 

 その場所にて挙行される「ウマ娘レースの祭典」、去年の同じ日に、テレビ越しに見ていた「ドバイワールドカップミーティング」の場に、今ダイナファントムは立っている。

 しかしそれは彼女一人ではない。日本からやってきた数多の挑戦者が、彼女と共にいた。

 

 ダイナファントムと示し合わせて、ドバイシーマクラシックを獲りにやってきたディープインパクトも、当然にその一人である。またそのレースには、昨年の有記念でディープインパクトとダイナファントムの争いの後ろで三着に入ったポップロックも参戦を表明していた。

 

 そしてそれ以外にも、ダイナファントムと共にドバイデューティーフリーに挑むウマ娘たちがいる。

 例えばそれは、シニア一年目、シニア初戦の京都記念を飾ってここにやってきたアドマイヤムーン。

 また或は、ダイワスカーレットの姉であり、こちらも昨年の有記念で共に走る機会があった、ダイワメジャーもそうであった。

 

 ここまでで既に五人、日本からの挑戦者がいる。

 しかしこの「ドバイワールドカップデー」は、芝レースばかりのための一日ではない。否、寧ろその本来的なウェイトは、ダートの方にこそあるといえた。何となれば、この祭典の名前をそのまま冠するこの一日全ての締めくくりたるメインレース、「ドバイワールドカップ」は、芝ではなくダートの二千メートル戦として施行されているからだ。

 よってここには、普段日本の中央、トゥインクル・シリーズにおいては花形とはされないダートのウマ娘たちも、同じくらいの、或はそれ以上の熱量でこの場所に参加していた。

 

 例えば日本の中央ダートの主力番組ではあまり見ることのない短距離ダート戦、GⅠ「ドバイゴールデンシャヒーン」に更に二人のウマ娘、アグネスジェダイとシーキングザベストが参戦すべくここにいる。

 同じく日本では、南関三冠のような地方レースにのみ存在するダートのクラシック、「UAEダービー」に、ビクトリーテツニーが。

 ダートのマイルGⅡ、「ゴドルフィンマイル」に、フサイチリシャールが。

 そして最後、ドバイワールドカップデー全体のメインレースである、ダート二千メートル戦「ドバイワールドカップ」に挑むヴァーミリアンが、ディープインパクトとダイナファントムの同期のウマ娘が、やってきていた。

 

 芝で五人、ダートで五人、合計十人もの大所帯である。それはまさに「チームジャパン」の様相で、日本からやってきたウマ娘たちのために用意されていたブースの空気は、ともすれば日本のレース場の調整ルームであるかと錯覚するほどの「ホームグラウンド」感を醸し出していた。

 

 それは既に海外において四戦、シーザリオの帯同を含めれば五つものレース場を渡り歩いた経験のあるダイナファントムにとって、逆に新鮮さすら感じるような経験である。

 同じレースで競うものもいるはずの日本ウマ娘の一団が、しかし奇妙なチームメイト感すらも懐き始めた心理状態で、「ドバイワールドカップデー」の本番が、いよいよ以てやってきていた。

 

 

 

 昨年テレビの中に見ていたものと同じように、ドバイワールドカップデーの各レースは日がまだ高いうちから始まる。日本勢が最初に出走するゴドルフィンマイルから、凡そ四十分から五十分に一走のペースで進んでいくレースは、しかしこの年の日本勢はあまり揮わないままに推移していた。

 

 昨年ユートピアが優勝したゴドルフィンマイルに挑んだフサイチリシャールは、六着。

 UAEダービーのビクトリーテツニーは、掲示板には入る健闘を見せたものの、五着。

 陽が落ち始めた辺りの第六レースドバイゴールデンシャヒーンに至っては、日本におけるダート短距離路線の充実度の低さがそのまま表れたか、二人の日本勢は十着と十一着に惨敗と、揃って討ち死にと言った有様であった。

 

 やはりどうしても、日本のダートが世界に伍していこうとする流れは、芝に対して立ち遅れている。そのことを痛感させられる結果とも言えた。

 

 

 

 しかし、ここからが逆襲の時である。次から始まる芝の二戦、ドバイデューティーフリーとドバイシーマクラシックは、ダイナファントムとディープインパクト、日本の総大将二人の出陣する戦場だ。

 ここまでの日本勢の無念を引き継いで、そして今年も挙行する欧州遠征の景気づけとしても、その二走は落とすわけにはいかないレースだった。

 

 ナド・アルシバのコースへと出る直前、ダイナファントムは同じようにレースのために外に出ていくアドマイヤムーンとダイワメジャーを横目に、ディープインパクトに向き合う。それまで奈瀬トレーナーと何やら話をしていた彼女が、そのタイミングで直々に見送りに来てくれたから、でもあった。

 

「……じゃ、走ってくるよ」

 

 すっと正面から見つめてくるディープインパクトのことを視界に入れて、ダイナファントムはシンプルに、その一言だけを口にする。諸々背負うものがないわけではなかったが、しかしダイナファントムの今の心は、まさしく無風というのが正しかった。

 

「ん」

 

 いつものようにシンプルに、その声だけを発して頷いたディープインパクトも、煌めく眼光をダイナファントムに向けつつ、しかしその心持ちは穏やかに映る。

 一呼吸を置いて、ディープインパクトはそこから、一言だけ続けた。

 

「じゃ、待ってる」

 

 その言葉を受けて、ダイナファントムが相好を崩した。彼女の言の裏側にある意図を、ダイナファントムは正確に読んでいた。

 「勝利など祈らなくても、ダイナファントムならばこのレースは勝ってくる」。他のウマ娘に対する不遜ともいうべきその断定は、しかしこれまでのダイナファントムとディープインパクトの間からの中で積み上げられ続けてきた、シンプルな事実であった。

 

 互いに、互い以外に先着など許さない。私たちはそうあるのだ。これまでも、そしてこれからも。

 息を吸って吐くように、自然体のままで、素朴なまでに、そのことをディープインパクトは、きっと当然視していた。

 

 ならば、それには応えよう。彼女が目の前で見守る中で、何よりも雄弁に示してみせよう。

 ディープインパクトに並び立つダイナファントムというウマ娘が、どういう存在であるのかを。

 

「うん。……待ってて」

 

 故にその一言が、ダイナファントムの答えになった。

 

 

 

 ナドアルシバレース場は、平たく言えば「ワイヤーハンガー」のような形をしている。その右辺の真ん中あたりが、ドバイデューティーフリー、芝の千八百メートル、正確には千七百七十七メートル戦の発走地点である。

 すっかり陽は落ち切って辺りを夜の帳が包み、しかしレース場を煌々と照らすカクテルライトの光が、ターフの緑を深みある色合いに浮き上がらせている。ダイナファントムはゲートの前に揃った十六人のウマ娘たちの中で、ダイワメジャーの一つ内側、十二番の枠*3に納まろうとしていた。

 

 ダイナファントムの隣、ダイワメジャーは、彼女の後輩であるダイワスカーレットの姉である。基本的には健康優良児であるダイワスカーレットに対して、彼女は幼い頃から呼吸器系の疾患を持ち、ダイワスカーレットの姉として持っている優れたレースパフォーマンスを発揮できてこなかった。

 それでもなおダイナファントムの前年の皐月賞を制している辺りに素質の高さが表れているのだが、しかしその後は呼吸器の問題が表面化して成績が低迷してしまう。

 

 そこで彼女は、思い切って手術を決断した。ダイナファントムの、ディープインパクトのクラシックシーズンのさなかのことである。その後の競走寿命の復活に関しては五分五分とも言われる中での果敢の選択であった。

 そして――ダイワメジャーは賭けに勝った。去年の春先から完全に呼吸器の機能が快癒して本領を発揮できるようになった彼女は、その後マイラーズカップ、毎日王冠、天皇賞秋、そしてマイルCSと重賞を四連勝、GⅠを連勝する。

 有記念こそ距離の壁に泣かされて思うような結果を出せなかったが、しかしこのドバイデューティーフリーは、まさに彼女の得意中の得意距離である。長い苦難の末に花開いた素質をぶつける、またとない機会であるとダイワメジャーは考えていた。

 

 事程左様に、ダイナファントム以外のウマ娘も、このドバイのゲートの中に至るに値する物語を、各々持っているのだ。彼女たちのストーリーの主人公は彼女たち自身で、しかしその中にあって、ダイナファントムはその全てを押しのけてでも、今勝利を求めてゲートの中に佇んでいる。

 それを強く意識して、一度ぎゅっと目を瞑る。カクテルライトの光が、その照り返しが瞼の裏を眩しく照らし出し、ゲート入りに伴うガチャガチャとした音が、暫くの後に止んだ。

 

 目を開ける。顔を前へと向けた。ダイナファントムが身体を少しだけ沈めて一呼吸をしたそのタイミングで、十六人の前を遮るゲートが、開け放たれた。

 

 

 

『さあドバイデューティーフリースタートが切られて、今一人ポーンと出てくるのはやはりこのウマ娘。ダイナファントムいつものようにうまく出て、しかしその右隣りダイワメジャーに二つ隣のアドマイヤムーンと、日本勢揃って五分以上のスタートを切っています。その内五番ゲートから出たラヴァマンが内々からグーンと前に出てダイナファントムとバ体を併せに行くか、ハナを主張しようとして、しかしやはりそこは出足の差、ダイナファントムしっかりと、余裕をもって前を確保したか。その後ろダイワメジャー。アドマイヤムーンはうまく出ましたが内に入れつつ下がっていきますバ群の真ん中あたりか』

 

 最初の攻防を、日本にて放送されているテレビのなか、実況が伝える。暗闇に泥むダイナファントムの漆黒の勝負服が微かに照らすカクテルライトに浮き上がるようで、それは先頭集団の中で強い印象を見る者に残していた。

 兎も角もその始まりの二ハロン弱でしっかりと先頭を確保したダイナファントムは、後続にそこまでの差をつけることなく、凡そ二バ身前後のリードを保って最初のコーナーに入る。「ワイヤーハンガー」の右辺から左辺への辺りということで、そのカーブは大変に緩やかだ。鈍角の百メートル弱のカーブを一切ペースを落とすことなく走り抜けて、隊列形成をめぐる争いはその辺りで落ち着きを見せることになった。

 

『二番手集団もまとまってきました。二番手内外で争うのは内アメリカのウマ娘イリデセンス、外これもアメリカのラヴァマン変わらず横一線、その一列後ろがセイハリ、地元ドバイのウマ娘。それに横からイングリッシュチャネル並んで、この二人は二番手の一線とほとんど差がありません。一団と言っていいでしょう。それを外から見るようにダイワメジャー下がっていって今は六番手七番手という位置取りだ。先頭ダイナファントムこれはやや飛ばし気味か』

 

 その後ろ、インドやオーストラリアからやってきたウマ娘が中団バ群を形成して、アドマイヤムーンはその真後ろあたり、真ん中かやや後方かといった位置取りから前を窺おうとしている。

 兎にも角にも、今ターフの上を駆けるウマ娘はその国際色も豊かだ。まさに「世界一のウマ娘を決める一日」と主催が銘打つだけのことはある、そういうレースであった。

 

 ただ何にせよ、そしてどんな場所であろうと、ダイナファントムの取る戦術は変わらない。

 千八百メートル弱というこの距離はクラシックの前哨戦たる共同通信杯以来の距離条件であるが、ダイナファントムは前にその距離を走ったことに比べて、もはや別のウマ娘と評してもよいほどの成長を遂げていた。

 そのころは二千メートルにも満たないこの距離であっても、一度はラップを緩めなければ息が続かなかった。マイル戦のような息のつかない連続での早い流れに追随するのは、かの時のダイナファントムとしてはやや忙しさがあるとも言えた。

 

 しかし今は違う。クラシック期の秋の天皇賞、十ハロン戦であろうとも彼女はその全てを十二秒を切るラップタイムで駆け抜けた。それをすることのできる、まさに「規格外のウマ娘」へと、ダイナファントムはその在り方を変えていたのである。ディープインパクトとの永久に続くほどの殴り合いが、彼女をその位置にまで押し上げていた。

 

 更に今は、それからすらも一年半もの時が経っている。それが一体どういう意味合いであるのかを、程なくテレビの前の視聴者は、そして現地での観戦者は、知ることになる。

 

『二つ目のカーブ、最後のカーブにダイナファントム最初に入って、さあここで残り八百メートルのポール。前半の大体千メートルの辺りですが……五十八秒五! 五十八秒五です! これは日本式に直せば()()()()()()()()のペース! 千メートルよりはやや短いとはいえ、これは()()()()()()()()()! ダイナファントム大丈夫か!』

 

 現地でも英語による実況が同じ内容を伝えて、それが会場の中にどよめきを生む。彼らが見ているレースの内容以上に、このレースのペースははっきりと速かった。

 そう見せている原因は、結局のところ先頭を走るダイナファントムにある。彼女はそれほどのペースで先頭を走りつつも、完全に涼しい顔をしていた。日本式のタイム換算で五十七秒、つまりハロン平均十一秒四ジャストという完全に常軌を逸しているハイラップであっても、ダイナファントムからすれば全く問題にはなっていなかったのだ。

 それはまさしく、ダイナファントムが現役生活の中で鍛え上げた心肺機能と、そしてそれを下支えするフィジカルのなせる業である。事ここに至ってダイナファントムは、知恵とアイディア、そして策を弄することによる知的な逃げ切り戦術などではない、どこまでも己の身体的パフォーマンスに任せた平押しによって、このレースに勝利せんとしていた。

 

 このレースに己と一緒に臨んでいるウマ娘のなかで、自分よりも身体能力的に優れたウマ娘はいない。否、そんなウマ娘は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうであるべきで、そうでなければならないのだ。そういう信念すらも、今のダイナファントムの走りからは見え隠れしていた。

 

 そしてそれを後ろから追いかける二番手集団も、最初の攻防の中で先頭から二バ身というほど近い距離に陣取った流れを受けて、その速いペースについていっていた。()()()()()()()()()()()()()とも言う。欧州式のバ群の詰まったレース展開が、後ろから前方集団の彼女たち、ラヴァマンやイリデセンスに、この速さでの追走を強いていたのである。

 

 と、そんな殺人的ペースでレース全体が推移する中、しかしダイナファントムはここで、ペースを一度大きく落とした。最後の直線につながる長い、かつ角度の急なカーブを前にしてのことである。前のラップから一秒ほど遅い、十二秒前半から十二秒五のラップだった。

 あまりに急のことである。後ろのウマ娘も、先頭を走るダイナファントムが一気にそのペースを落としたことは自覚した。一秒のペースダウンというのは、体内時計がそれほど正確でなくとも体感で分かるほどの速度の差を生むからだ。

 ただだからとて、後ろのウマ娘がそれを奇貨としてダイナファントムに並びかけに行けるかといえば、そう話は単純ではない。何となればこのナドアルシバの最終コーナーは、凡そ三百メートルほどで三十度の鋭角を曲がる、アスコットも真っ青の小回りカーブの構造を取っているからであった。

 

 これほどの急激なカーブで、いきなり前を捉えようと後続が外に振れると、それは強烈な遠心力となって一気に更に外の方へと身体を持って行かれる。つまり大幅な距離ロスとなる。この局面にあってはそれは致命的なもので、ならばダイナファントムが落としたペースをうまく使って、この厳しい追走ペースで削られたスタミナをどうにか温存すべく最後の攻防の前で息を入れるほうが全体的には得となるであろうという損得勘定が、すべてのウマ娘の間に働いていた。

 よってダイナファントムもまた、終いの六百メートルの直線に臨むための準備を、そのコーナーの中で整える。

 

 一ハロン丸々を使ったそれによって最後の仕掛けに十分な息を整え終わった彼女たちは、最終的にはダイナファントムが二番手の二人に三バ身ほどのリードを保った状態で、最終直線における攻防へとなだれ込むことになった。

 

 

 

『さあ最終コーナーを抜けて六百メートルの直線に向いた。先頭ダイナファントム依然後続と三バ身の差をキープしたまま、しかし二番手集団にここで外からダイワメジャーが並びかけに行く。ここで仕掛けたダイワメジャー二番手に立って先頭ダイナファントムを捉えに行く! しかし内でドバイのセイハリまだ粘っている! セイハリ粘っている! 粘っているがこれは苦しい! ダイワメジャー単独二番手!』

 

 最終直線入り口に立った時点で、ダイナファントムを除いた先行勢はほぼ潰れ、総崩れの様相を呈していた。二番手の一線を走っていたイリデセンスもラヴァマンも早々に力尽きて後退、その一列後ろにいたセイハリがやや抵抗したものの、その後ろの中段前目でレースを進めていたダイワメジャーに早々にかわされる。それは完全にダイナファントムの生み出したオーバーペースに巻き込まれたことによる沈没劇であった。

 しかしその状況を作り出した張本人、ダイナファントムは涼しい顔で先頭を進む。寧ろ最後の一ハロンで多少なりとも溜めることのできた二の脚をつけて、後続を突き放さんとばかりに一段の加速に入った。

 そんな前目の集団に、更にその後ろ、バ群の真っ只中から一人のウマ娘が抜けて出てきた。ダイワメジャーとどこか似た色合い、青地の勝負服を身に纏うウマ娘だ。

 

『さらに外から今度は青い勝負服、アドマイヤムーンもやってきた! 日本勢がもう一人だ! ダイワメジャーを外から一気に飲み込もうとバ体を併せにかかる! 二番手は日本勢二人、その前ダイナファントムと合わせて日本のウマ娘が上位に固まっているぞ残り三百メートル!』

 

 それは同じく日本からのウマ娘、今年がシニア一年目となるアドマイヤムーンであった。クラシックではいいところなく涙を呑み、秋の天皇賞もダイワメジャーの三着といまいち力を出し切れなかったそのウマ娘が、今まさに開花の時を迎えようとしているかのように、抜群の伸びで、強烈な差し脚で、前の争いに食い込んできた。その勢いはすさまじく、内で粘ったセイハリを抑えきってここから先頭のダイナファントムをどう捉えようかといった調子のダイワメジャーを、まるで相手にすることなく抜き去ってゆく。中団後方で脚を溜めていたことが奏功したか、まさに一刀両断の切れ味のようにも映った。

 

『ここで抜けた! アドマイヤムーン抜けて単独二番手、さらにその先四バ身で進む先頭ダイナファントムとの差をじりじり詰める! じりじり詰める!』

 

 ダイワメジャーをまるで違う脚色でかわせたのならば、それより前を走るダイナファントムは更に脚色が鈍っているはずで、ならば程なくしてアドマイヤムーンはそれをも躱して先頭へと躍り出るだろうと、一瞬そんな観測が見る者の脳裏に去来した。事実アドマイヤムーンはそのままの勢いでダイナファントムとの差を縮め続け、残り二百メートルの地点において二バ身を着るほどまでにその差を縮めていたのだ。

 

 しかしそこから数秒としないうちに、人々は知る。

 

『あと二百メートル! アドマイヤムーン二番手でダイナファントムを必死に追う! しかしその差は未だ二バ身、()()()()()()()()()()()!』

 

 その地点において、ダイナファントムとアドマイヤムーンの脚色が、同じになっていた。

 ダイナファントムに関しては、そのラストスパートにおいてペースを落としてはいない。故にそれは、「アドマイヤムーンの脚色がそこで鈍った」ということを意味していた。

 後ろで十分に脚を溜められたはずのアドマイヤムーンですらも、ダイナファントムが作り出していた殺人的ペースを射程に収める範囲で追走するために、実のところ脚を使わされていたのである。それが今この場において、完全に露呈していた。

 しかしダイナファントムは、変わらない。遅くもならなければ、速くもならない。そもそも彼女自身、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを念頭に入れて最初から逃げのペースを作っていたのだからそれは当然で、だからそれはまさに予定調和のような終いの脚であった。ともすれば機械のようですらあった。

 

『ダイナファントム先頭! アドマイヤムーン二番手! その差は縮まらずこれは決まったか! 更に後ろからアイルランドのリンガリが猛然と追い込んでダイワメジャーかわして三番手だがこれももう届かない!』

 

 無慈悲、冷酷、そうとすら称すべきほどの横綱レースだった。残り五十メートルより手前の地点で、すでに実況はダイナファントムの優勝を確信していた。

 そこから放たれる語り口が、今日のドバイデューティーフリーの、ダイナファントムの戦いが如何なるものであったかを、きっとこの上なく言い表していた。

 

『やはりダイナファントム、世界のダイナファントム! ここでは負けられないか、ここにはもう敵などいないか! 後ろ二バ身は鉄壁の二バ身! そして今――ゴールイン!』

 

 

 

 それはまさに完封勝利であった。

 後ろには何もさせない、影を踏むことも許しはしない。思い描いたレースプランを完璧に達成して、ダイナファントムはドバイデューティーフリーを制した。

 前二走にてディープインパクトにこそ連敗を喫したものの、それが何かに影響することなどありはしないと、そう言わんとするような勝利でもあった。

 

 ゴール板を通過し、止めていた息を吐きだして、()()()()()肩で大きく息をしながら、ダイナファントムは立ち止まる。

 スタンドから照らされる煌々とした山吹の光に目を細めながらも、その心中に広がるのは、奇妙な満足感だった。

 

 

 

 凱旋門賞における勝利から、摸索の中の国内の二走は、心の中に抱える悩みと思案が常に側にある、そういうレースだった。しかし今この夜の闇とカクテルライトの作り出すステージの上で走った彼女は、そんな諸々の思惟をすべて頭の中から追い出していた。いい意味で、頭を空っぽにしてレースを進めることができていた。

 

 その始終の中で、ダイナファントムは今一度思い出す。

 

 ――楽しい。レースを走ることが、人々の前で自らの走りを披露することが、これほどまでに楽しい。

 

 それはきっと原点で、そして同時にそのマインドセットこそが、恐らくはダイナファントムというウマ娘に欠けていた最後のピースであったようにも、今の彼女には思えた。

 それを「再発見」し、拾い上げたダイナファントムの胸中は、それ故にどこまでも晴れがましくあった。

 

 ここからすぐに、再び走り出したくなってしまうほどの、叫びたくなるほどの歓喜を胸に、彼女は自らを見下ろすスタンドの観客に向けて、大きく手を振る。

 

 

 

 そして一際高く、大きく上がった歓声を一身に浴びて、ダイナファントムはここしばらく浮かべることのなかった心底からの笑みを、そこで浮かべた。

 どこまでも無邪気で、楽しげで、なによりも美しい。彼女の相貌が模ったのは、そういう笑顔であった。

 

 

 


 

 Race result: Nad Al Sheba; Dubai Duty Free (Group 1)(9T, AC, Good)

 1st: Dyna Phantom

 2nd: Admire moon 2 1/2.L

 3rd: Linngari 1/2.L

 

 Last 3F: 34.8 (11.8-11.5-11.5)

 Total time: 1:46.05R*4

*1
表記はこれで正しい。同じ一族の親子で冠名を使い分けている。

*2
史実においてはゴール前100mほどで並びかけてクビ差で勝っている

*3
史実においてはMiesque's Approvalの枠番

*4
史実のタイムは1:47.94。

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