双子星の円舞曲   作:厳冬蜜柑

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梅香、風に載せて――1回東京6日11R・共同通信杯(GⅢ)(芝左1800・晴・良)

 京都レース場、若駒ステークスにてディープインパクトが衝撃のパフォーマンスを発揮し、やはり自らをして今年のクラシック級一番手の素質ウマ娘であるということを周囲遍くに知らしめてから、ひと月の時が経過した。

 つまりそれは、ダイナファントムというウマ娘が、ディープインパクトとある種の顔見知りになってから、同じだけの時が過ぎたということでもある。

 

 時節は冬の盛りである。乾ききった空には、凍てつくほどの冷気が染み入っていた。

 トレセン学園近くの遊歩道、多摩川の近くにある公園では、梅の木が寒中に花をつけている。その香りが風に乗って学園の敷地の中にすらも届くかと思われるほどに、この空も風も澄みわたり、そして透き通っていた。

 

 そんな季節の中で、彼女はいま府中、トレセン学園ほど近くのレース場に立たんとしていた。

 つまるところそれは、東京レース場のことである。

 

 ダイナファントムは実のところ、トレセン学園という場所に通っていながら、この東京レース場に()()()()()()()()()()やってきたことは、今まで一度もなかった。

 尤も、彼女のこれまでのキャリアというのは京都でのメイクデビューただ一戦のみである。故にこの府中のレース場にて走る機会なぞありはしなかったのは当然と言えば当然であって、ただそれでも自らの所属する学園から目鼻の先にある施設で一度も走ったことがないという事実は、なお彼女に些か以上の奇妙な感慨を齎していた。

 が、いずれにせよそれも今日で終わりである。つまるところダイナファントムは、ここにレースをしに来ていた。

 キャリア二戦目にして格上挑戦*1となる、共同通信杯に出走するためであった。

 

 

 

 東京レース場の地下バ道は、その一部がガラス張りになっている。つまりこの場所にやってきた観客が、パドックから本バ場に向かうウマ娘たちの様子を見ることができるわけだ。

 GⅠレースともなると満座の観衆が詰めかけ、それはともすれば初めて府中にやってきたウマ娘には大変にストレスになることもあると聞く。

 しかしダイナファントムが参加するこの共同通信杯は重賞といえどもGⅢであり、流石にそれほどの強烈な注目を浴びるということはない。覗く窓にはちらほらと観客の姿が見えているが、逆に言えばその程度であるとも言えた。

 

 故に彼女は独り、ただ黙々と本バ場へつながる道を歩く。そしてその中で、これからのことについて福井トレーナーと合わせていた内容を振り返っていた。

 今日のレースは、彼女にとって一つの重要なチャレンジでもあった。

 格上挑戦が、という話ではない。というより、クラシックも始まっていない世代戦において、条件の上下というのは大した意味を持たない。尤も未勝利と一勝の間には明確な差こそあるが、それは別にして、である。

 つまるところ彼女は、一つ別の戦法を試そうとしていた。若駒ステークスで見せたディープインパクトの鬼脚が、彼女にその必要性を強く感じさせていたからだ。

 

 本バ場にたどり着き、発送位置まで軽く流して走る。

 ウマ娘によってはこのアップ、いわゆる返しウマを「無駄に体力を消耗する」として嫌う者もいるのだが、しかしダイナファントムはこの瞬間こそが好きだった。

 地下バ道から開けたレースコースへとやってきて、足元の状態、芝のコンディションを確かめながらもこの広大な空間を存分に感じる一瞬は、競走ウマ娘としての随一の特権であるというのが彼女の持論であった。

 今日の東京レース場は晴れ、冬と言うこともあってこの場は全く乾ききり、バ場状態は良好だ。ただ東京レース場一回目開催も七日目と言うこともあってか、去年の末に一か月の間シート養生をかけ、生育していたはずの芝もそこそこの荒れ模様となっている。コースはDコースであり、これ以上外に仮柵は行かない。次にAコース替わりになる次回開催の辺りではグリーンベルトが内ラチ側に見えるものと思われるが、ただ今日の間は内の伸びづらいバ場であることは確かだった。

 

 ともかく、発走時間が近い。三々五々にゲート前に集まり、スターターの合図を待つ。

 そして程なく、東京レース場重賞ファンファーレがこの場に響いた。

 そう、世代戦とはいえ、春本番のクラシックのための前哨戦の一つでしかないとはいえ、重賞である。これを勝てば、ダイナファントムは取り敢えず重賞ウマ娘という称号を得ることになるわけだ。

 中央所属のウマ娘にとっても、それはまさに上澄みの中の上澄みだというのは事実である。この場に立つこと自体一つの目標になるウマ娘とて、少なくはないのだろう。

 それでもダイナファントムにとっては、これはあくまでも布石の一つでしかなかった。そうでなければ、ならなかったのだ。

 

 自らのゼッケンと同じ、七番のゲートに入る。奇数番である故に先入れとなり、順序としては一、三、五と来て四番目だった。

 するりと中に入って、息を落ち着ける。ダイナファントムは、この狭いゲートという空間が決して嫌いではない。むしろ、これから始まるレースに対して否応にも高まる緊張を、誰にも邪魔されることなく一人で迎えることのできるこの場所は、彼女にとっては好ましさすら感じるものでもあった。

 今回の共同通信杯は、フルゲート十六人に対して僅か十人しか登録をしていない*2。当然にして除外も発生せず、このままの人数が今ゲートに納まろうとしている。或はこれも、ディープインパクトの若駒ステークスと同じような理屈なのであろうかと、ダイナファントムは推測していた。

 というのも、このレースにおいて世間から注目されているウマ娘は、二人いるのだ。

 一人は昨年の札幌ジュニアSを勝利し、朝日杯FS二着を経由してここに参戦しているクラシック有力ウマ娘の一角、ストーミーカフェ。そしてもう一人こそがダイナファントムである。事前の予想においてもこの二人が完全に抜け出た扱いで、故にここは皐月賞への権利取り*3には到底使えないと断じるトレーナーが数いるのも事実であった。それ故の現状こそが、これである。

 しかし何であれ、ダイナファントムにしてみればやることなど変わらない。

 競う相手が誰であろうが、このレースにおいて彼女自身が持ってきて、そしてぶつけようとしている課題というのは、ただひとつでしかなかったからだ。

 

 ゲート入りが終わる。係員が離れた。

 僅かに身を屈め、その時を待つ。ほんのしばしの静寂がやってきて、自らの視界が少しだけ狭まった。

 彼女はただ、前だけを見る。そして自らの内の気の高まりが最高潮に達したその時が、まさにゲートの開くタイミングであった。

 自然とその一歩を踏み出し、ゲートを打ち破るような勢いで、ダイナファントムは再び絶好のスタートを決めた。

 

 

 

 他のウマ娘よりも一完歩、いや二完歩は速いスタートである。よって七番という外枠でありつつも、彼女はハナを主張することができそうであった。

 ただそこに横から、一人のウマ娘が猛然と競りかけてくる。それこそがゼッケン二番、ストーミーカフェだった。

 

 基本的に、逃げウマ娘はハナを主張できないとその力が数段落ちる、と言われている。そのレースのペースコントロールを自らの力で行うことができないからである。故に有力ウマ娘二人がともに逃げウマ娘であるこの共同通信杯は、最初のハナの争いで勝った方がそのまま大きく優位を取ることになると、そう下バ評においては考えられていた。

 そしてそれは、ダイナファントムに対するストーミーカフェ陣営の思考においても同じことだったらしい。絶好のスタートでつけていた一バ身を上回るほどのリードを、しかし内枠の有利を使ってほんの少しだけ詰めることで、ダイナファントムにハナを譲らせないようにプレッシャーをかけにきていた。

 というのも、府中千八百メートルのコース形状は、向こう正面への合流地点まで百五十メートルほどしかなく、うち五十メートルほどが緩やかなカーブを描いている。つまり逃げウマ娘としてはその間じゅう外々を走らされるのは不利であるし、ならばと強引に内々に割り込もうとしても、斜行を取られない安全距離である一バ身*4を確保できない状態では、進路妨害での失格や降着を招くリスクを取れない以上切り込むことが難しい。そういうわけで、ダイナファントムは完璧にストーミーカフェに内への切れ込みをブロックされつつ、ハナの競り合いで有利に立たれようとしていた。

 

 ――面白い真似をする。ダイナファントムは思った。これがメイクデビュー戦で彼女のやった戦術にぶつけられていたら、少しばかり焦りもしたかもしれない。よく研究しているものだと、素直に感心した。

 ただ、実際のところ今回彼女が狙うところは()()()()()()()()()のだ。故にダイナファントムは、一瞬だけ()()()()()()()()。すんなりストーミーカフェにハナを譲り、そして真後ろ、番手に控えつつも内々へと潜った。

 

 空気が揺らぐ。恐らくは前方を走るストーミーカフェだ。それはある意味では動揺なのだろうか。「レースを捨てた」、そう感じたのかもしれない。

 ただいずれにせよ、彼女たちのやることは何も変わらない。ハナを取ったらペースの制御、それが基本である。最初の百メートルほど、向こう正面に入る手前でおおよその隊列は決まり、そして十人は淀みない流れの中で中盤戦へと入った。

 ハナを切って進むストーミーカフェに、ぴったり真後ろにつけるようにダイナファントムが続く。そしてその後ろ、若駒ステークスでディープインパクトに文字通り千切り捨てられたケイアイヘネシーが外、内にモエレフェニックスが内からじわりじわりと前二人にプレッシャーをかけるように詰めてきていて、その辺りが先頭集団を形成していた。

 ダイナファントムはそこからさらに後ろのバ群についてまでは気を配れない。ただ自らの周辺三人が互いを強烈に意識しながら牽制を続けていることは、そのビリビリとした空気から明確に感じていた。

 ただなんであっても、()()()()()()()()()()()()()。結果として内に閉じ込められる格好にはなっているが、それでも彼女の中の体内時計が、それを十分なものであると告げていた。

 レースは向こう正面にて後半へと入る。大欅を左手に望みながら、そろそろ第三コーナーへと差し掛からんとしていた。

 未だ隊列は固まって動かない。しかしこのカーブの中というのが最も展開の動きがみられるところだ。そしてその入り口、前半千メートルを通過する。

 

 ――一分丁度か、コンマ一かな。

 彼女は自らの体内時計によってそう推測を立てた。府中千八の前半戦としては、まあ概ね平均ペースではあるだろうか。メイクデビュー戦のそれとタイムとしては同じでも、トータルの距離が一ハロン分短いということそれ自体が、前半戦のペースの基準には働いてはいた。

 が、いずれにせよここからが勝負である。それぞれに立てた戦術の見せどころでもあると言えた。

 それは、まず自らの斜め後ろを走るウマ娘たちに現れた。カーブに合わせて、彼女たち二人が少しずつ後退していく。明確にペースを落とした。府中の五百三十メートル近い直線の攻防のためには、ここで息を入れておきたいと言うことだろう。

 そして同時に彼女は気づいた。

 自らの体内時計が確かなのであれば、前を行くストーミーカフェもまた、少しペースを落としている。寧ろそれはこの手前、前半千メートルの最後一ハロンからそうだったようにも思われた。恐らくこのままだと、第四コーナーへ入ってL3標識を通過するこの一ハロンは、ラップタイムで十二秒コンマ三か四ほどまでに速度が緩むことになるだろう。

 それは息を入れるためか、カーブであるが故か、或はその両方か。

 ただもしそうなのだとすれば、ダイナファントムにとってこれはある種のタイミングであった。

 徐に、外へと持ち出す。それは後ろへと下がったケイアイヘネシーたちがぽっかりと空けた空間でもあった。そしてストーミーカフェを基準に、少しだけ足を速める。じりじりとした距離感の中、少しずつ彼女と並び、そして前へと進まんとした。

 変わる足音とペース、或は存在感にか、ストーミーカフェがこちらをちらと見た。コーナー半ばで外に持ち出したダイナファントムの意図は、凡そそれで察することができたらしい。

 彼女の足が、また速まる。L3標識を前にして、またテンと同じ先頭の奪い合いが起きようとする。――かと思われた。

 

 されど、違う。もはやダイナファントムは、横を走るストーミーカフェのことなど気にもしていなかった。

 L3標識を通過し、直線コースへと入ろうとする。そこで彼女は、強く一歩を踏み出した。

 ぐん、と身体が前に出る感触を覚える。自らの纏う空気が変わったのを自覚した。カーブの途中で始めた加速故に遠心力で振られる身体を、しかしそれに逆らうことなく進んで外へと持ち出す。そして最後の直線、荒れた内々を避けるようにバ場の三分どころへと一気に突っ込んだ。

 

 ダイナファントムの視界が、顕著に窄まる。もはや横を何が走っているかなど気にする余裕もなかった。しかしホームストレッチ、横の観客席から盛大に聞こえる歓声だけはあまりに大きく、耳に届く。

 意識は深く沈む。息が少し切れてきた。それでもこの直線、残り五百か四百か、彼女はそれまで()()()()()脚を一気に解き放つことだけを考えた。

 

 そうだ、今まで脚を溜めていたのだ。つまりダイナファントムは今回のレースにおいて、「溜め逃げ」という戦術を試そうとしていた。

 若駒ステークスで、彼女はディープインパクトの脚を見た。多少前のペースを速めたところで、前半をマイペースに走って十分に脚を溜められると、最悪三十三秒を切る勢いの末脚でもって後ろからかっ飛んでくる。それがディープインパクトの絶対の武器であった。

 無論それはコース形状も関わってくる。小回りかつ直線の短い中山のような場所では、あのレベルの常軌を逸した上がりで突っ込んでくるとはなかなか考えづらい。

 しかしそうでも、その対極の大箱では、つまりこの府中や京都、また或は阪神外回りのようなコースでは、あれは全てを断ち切る強烈な武器になる。

 そしてそれに抗えなければ、自らは逆立ちしてもかのウマ娘には勝てないだろう。それは、ほぼ直感であった。

 故にこそ、これである。最初のペースアップで全体のペースを誤認させ、その後隊列が定まってから誤魔化し誤魔化し脚を溜めて、最後にまた突き放す。それによって意図的に前残りを狙う。

 その時に、自らの脚はどれほどの上がりを出せるのか。それを、彼女はまさにこの場所で確かめようとしていたのだ。

 

 そして今、彼女はただ無心になる。

 回せ。脚を回せ。もはや息など止めてしまえ。ペースを保つのではない、ただ何よりも速く、限界を試すように、走ることだけを考えるのだ。

 思考が純化し、時間の間隔も曖昧になる。外界への知覚すらも鈍って、自らの周りを流れる空気の流れと、その風切り音だけがやけに耳に大きく残った。

 

 そしてそこで、ふと知覚した。

 ほんの少し前まで、自らの後ろに食らいついていた()()の気配が、ない。今の己はもはや何もかもを置き去りに、ただ独り前へと駆けていた。

 それに気づき、反射的に左奥、ゴール板のあるはずのところに目を配る。

 

 それは、もはや程近くにあった。故に目測で、残りは恐らく百を切っている。このレースが終わるまで、もうあと五秒ほどしかない。

 前にも、横にも、誰もいない。ただ自らと、ターフの緑と、空の青だけがそこにある。

 そのどこまでも純粋な光景を目の中に収めて――そしてダイナファントムは、ゴール板を駆け抜けた。

 

 

 

 減速していく。視界が広がる。音が、世界に戻ってくる。

 爆発的な歓声が、一瞬で耳を聾した。思わず耳を絞り、頭上を抑えていた。

 静止して、観客席に振り返る。

 

 思った以上の観客がいる。それがダイナファントムの最初の感慨だった。たかが世代戦、たかがGⅢだというのに、己は随分と多くの観客から、その勝利を賞されているなと、それを思った。

 その後ろ、ターフビジョンの横、着順掲示板に目を配った。

 

 

 

 勝ち時計、一分四十六秒八。

 上がり三ハロン、()()()()()

 二着との差は、六バ身。

 

 それを見て、ダイナファントムは自らがこのレースにかけた狙いというものを達成したことを、ようやくにして理解した。

 表情が笑みを象るのを、自覚する。今一度観客席へと振り返り、そして彼女はその右手を、強く空へと掲げた。

 

 割れんばかりの歓声が、今一度このレースの勝者たるダイナファントムを、大きく祝していた。

 

 

 

 斯くてこの年のクラシック戦線は、まさしく二人のウマ娘が高く並び立つ世代であることを、再び誰もが理解することになった。

 片や小柄な鹿毛の追い込みウマ娘、飛ぶような末脚で以て最後の直線だけですべてのウマ娘をなぎ倒す切れ味の暴力、ディープインパクト。

 もう片方、大柄な青鹿毛のウマ娘、正確無比なラップ刻みも溜め逃げからの鋭い伸びも変幻自在、確かな先行力で後ろの誰をも寄せ付けることのない逃げのファンタジスタ、ダイナファントム。

 

 片や先頭に、片や殿に、その双方によって演出されるであろう今年のクラシック三冠レースは、間違いなく近年でも最高峰の勝負となるに違いない。

 トゥインクル・シリーズに関心を持つ遍く人々の間で、それは確かな予感と興奮を生んだ。

 

 そしてその渦中にあって、最初の――否、二度目の両者の激突は、皐月賞の前哨戦たる弥生賞だと、その後両方の陣営が発表する。

 

 

 

 再戦の時は、すぐそこにまで迫っていた。

 

 

 


 

 レース結果:1回東京6日11R・共同通信杯(GⅢ)(芝左1800・晴・良)

 一着・ダイナファントム

 二着・ストーミーカフェ 6身

 

 上がり3F: 34.4 (11.8-11.3-11.3)

 レースタイム: 1:46.8*5

*1
自己条件よりも上のクラスのレースに参加すること。ただ世代戦、とりわけクラシック戦線の始まる前においてはあまりこう言われることはない。

*2
史実では九頭立てだった

*3
共同通信杯は皐月賞トライアルではないため、優先出走権の枠はない。ウマ娘における「収得賞金」の扱いは謎であり、故にぼかした表現としている。

*4
現実の競馬では二馬身。ウマ娘は人間と同じ姿かたちのためそこまでの距離は必要ないとして、独自設定で半分にしている

*5
史実における本レースのタイムは1:47.8。

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