二人の女の子がイチャイチャした結果、国が滅んだ話。一話完結。

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命をくれたあなたと

 腐敗しきった王国を破壊し、差別のない平等で豊かな社会に作り直そう。今こそ革命のとき、立ち上がれ民衆。

 

 昼下がりから始まった大演説は、無駄に長いだけで目新しい内容は何もなかった。物心ついた頃から仲間たちが鳴き声のように繰り返してきたことそのままだ。にもかかわらず演説が終わると、せまっ苦しいアジトは歓声と熱気に包まれ、「革命を! 悪逆非道の愚王に鉄槌を!」と大盛況だ。

 

 その熱と勢いにうんざりして、ルゼアはこっそりアジトを抜け出した。

 

 外に出ると、もう赤くなった空が目に入る。埃っぽい貧民街の裏路地に姿があるのはルゼアの他に、野良猫一匹だけだ。他の連中は軒並みアジトの中で気炎を上げているのだろう。付き合ってられない。

 

 懐から取り出したパンをかじる。スカスカで何の味もしないが、噛んでいると小麦のほんのりした甘さが口から抜けていく。育ち盛りの少女の体には不足でも、何もないよりはマシだ。食べなければ人は死ぬし、王国の貧民街で食べ物を得るには革命派で働く以外に道はない。

 

 ふと、肩に食い込む革のベルトの感触に顔をしかめる。一般的なロングソードを両手剣のように背負っているのは、ルゼアの体躯では大人のように腰に下げれば引きずってしまうからだ。

 

 ルゼアは王国の貧民街にありふれた孤児だった。家族はおらず、気づけば革命派のアジトで大人に混じって剣を振るっていた。どうやら才能があったらしく、いずれ来たる革命のときには大きな戦力になるとして、貴重なパンと水を優先的に回されている。

 

「おい、何をしている。中に戻れ」

 

 背後から、獣の唸り声を思わせる低い声。

 

 革命派の参謀、二番目に偉い人とルゼアが記憶している人物、ジャックのものだ。

 

 振り返る気にもならず、パンをかじる。

 

「ボスのありがたいお言葉は最後まで聞きましたよぉ、ジャックさぁん」

「お前は我々の力の象徴だ。演説の場にいなくては恰好がつかんだろうが」

「だってお腹すいちゃってぇ……力の象徴が空腹で倒れたらぁ、それこそ恰好悪いでしょぉ?」

 

 ジャックは舌打ちしてルゼアの背を軽く蹴りつけると、「食ったら戻ってこい」と吐き捨ててアジトへ戻った。

 

 地下のアジトから微かに漏れ出る大歓声を背中で受けながら、もそもそ、のろのろとパンをかじる。手元には最後の一かけらが残る。

 

 食べなければ死ぬし、食べ物は食べたらなくなってしまう。大人たちのような熱意や思想を持たず、王国の行く末にも興味がないルゼアでも、そのくらいは分かった。だから、食べきったなら戻らないといけない。

 

 ため息と共に、最後のパンを口に運ぼうとすると──

 

「えっ」

 

 パンが消えた。同時、手元を黒い影が横切る。

 

 反射的に目で追うと、黒猫が路地を駆け抜けていく。

 

「ま、待てぇ!」

 

 ジャックのお小言を完全に忘れ、ルゼアは駆けだした。

 

 黒猫の足は速く、しかも人一人がようやく通れそうな建物の隙間なども容赦なく使うので、ルゼアは見失わないようにするのが精いっぱいだった。すぐに息が上がり、背中の剣がずしりと重くなる。捨ててしまいたい衝動と戦いながら、粘り強く追いすがる。

 

 一かけらのパンに全力を注ぎこむ、無我夢中の追走。だから、貧民街の汚い路地が清潔な石畳に変わっても、荘厳な屋敷が通りの左右に並んでいても、気づくことはなく。黒猫が立派な門扉の下に潜り込んで姿を消すと、ルゼアは迷いなく門扉をよじ登り、侵入したのである。

 

 目の前には園庭とお屋敷。しかし黒猫の姿はない。見失ったようだ。

 

「パン……私のぉ……」

 

 汗だくで息を整えながら、ルゼアは諦め悪く歩を進める。

 

 しばらく園庭をあてもなく徘徊するが黒猫は見つからない。園庭は花の咲いた植え込みが点在していて、その上すでに日が落ちている。黒猫を探し出すのは至難の状況だった。

 

 それでもルゼアは諦めない。食い意地が張っているのか、あるいは状況の厳しさを分かっていないのか。半分泣きながら執念深く屋敷の周りをさまよい歩く。

 

 そうして出会ったのだ。

 

「あなた、誰?」

 

 まばゆい火炎の花を従える、一人の少女に。

 

 

 

ーーー 

 

 

 

 庭の一画に設えられた柱と屋根だけの簡素な休憩所(ガゼボ)。その下に少女が立っている。

 

 支配階級の証である黒いローブととんがり帽子。艶のあるはちみつ色の髪が腰まで伸びている。黒を基調とする装いの中、きらめく髪の金色、そしてエメラルドのような緑眼が際立っていた。

 

 ルゼアは少女に目を奪われた。彼女の瞳に輝く純真な光には、絶えず現状への憎悪と不満をぎらつかせている貧民たちのそれとは違う、深みのようなものがある。

 

 次に目を引かれるのは、少女のたおやかな手、その上に弾ける火炎の花。緑色の炎が花の咲くように繰り返し弾け、燃え尽きていく。

 

 少女はルゼアの視線を受け、得意げに笑った。

 

「キレイでしょ? 花火って言うんだよ」

「はなび」

「魔法で作ってみたの。本当は火薬の炎色反応を使うんだけど、この国に火薬はないから」

「はぁ……キレイですぅ……」

「ありがとー!」

 

 ルゼアは見たまんまの感想を述べながら、ようやく状況に理解が追い付いてきた。見たこともないほど立派な屋敷、園庭、とんがり帽子の少女と魔法。黒猫を追いかけるうち、貧民街から貴族の屋敷までやってきたらしい。

 

 冷や汗が頬を伝う。状況の深刻さにじわじわと理解が及ぶ。

 

「で、あなたは誰かな? 来客の予定はないのだけど」

「へへぇ……私はルゼアといいますぅ……見ての通り貧民でぇ、さっき泥棒にあってぇ……」

 

 とはいえ、ルゼアに嘘をつく頭脳はない。

 

 パンをめぐる壮絶な追いかけっこの経緯を正直に話すと、少女は目をまん丸にする。

 

「それで中まで入ってきたの? すごいねルゼアちゃん。よく見たら剣持ってるし、他の屋敷に入ってたら大騒ぎだよ。暗殺者だー、革命派の刺客だーとかいって」

 

 嘘はつけなくとも、言ってはいけないことの判別はついた。革命とは今偉い人達を蹴落とすこと。偉そうなとんがり帽子の少女に所属は明かせない。

 

 話す最中も弾けては消える緑の花火を見上げながら、少女は続ける。

 

「バカらしいよね、革命とか貴族とか。魔法使いの素質がある人は貴族で、ない人は平民。貴族の方が偉いから平民は奉仕しろって、そりゃ嫌になるよ」

「はぁ……」

 

 バカらしい、と言ったのはこの国の構造そのもの。この国はかつて、強力な魔法使いによって興された。魔法は素質ある者しか扱えず、素質のない者は軽視され、時には排斥される。その風潮は人々を支配階級と被支配階級に二分し、排斥された者たちが今、革命派として暗躍している。

 

 とはいえ、現状の是非にルゼアの興味はない。肝心なのは泥棒猫の行方だ。

 

「あのぅ、猫は……」

「魔法なんて、本当は誰でも使えるのに」

「えっ」

 

 さすがに興味が湧いた。

 

 魔法は素質のある者しか扱えない。だからこそ優遇され、そうでない者は不遇に苦しむことになる。これが革命派を駆り立てる前提だ。

 

 それをひっくり返す情報となると、さすがのルゼアも聞かざるを得ない。

 

「誰でも? 私でも、ですかぁ……?」

「もちろん。ほんのちょっと勉強すればね」

「べんきょぅ……」

 

 勉強とは難しい本を読み、その内容について質問され、答えを間違えれば殴られる理不尽のことだ。

 

 本を読むのも殴られるのもルゼアは大嫌いだが、少女の手の上で弾けて消える炎の花を、自分で咲かせることができたなら。

 

 それは、きっと素敵だ。

 

「ど、どんな勉強をぉ……?」

「おっ、興味ある? じゃあまずは──といきたいとこだけど、今日はもう遅いし」

 

 手のひらを握り込む少女。それに呼応して花火が消え、夜の闇が二人の間に広がる。

 

「また明日来て。あたしはピノン。ピノン・ペル・レイランド。よろしくね、ルゼア」

 

 少女、ピノンがわざわざとんがり帽子を脱いだ意味はルゼアには分からなかったが、差し出された手をどうすればいいか程度は察しがついた。

 

「こちらこそぉ……」

 

 ピノンの手は驚くほど滑らかで柔らかく、思わず手をこねるように味わってから、ルゼアは屋敷を去った。

 

「遅いぞルゼア! どこへ行っていた!」

「えへへぇ実はぁ……あれ?」

 

 アジトに戻って叱責を受ける頃には、そもそもなぜ猫を追いかけたのか、ルゼアはすっかり忘れていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 革命派の活動は、王国各地で仲間を募り、アジトを整備し、反動的な下級貴族に働きかけるなど、根回しがほとんどだ。いざ王国と事を構える場合の戦力であるルゼアは、重要な演説に同席する以外は暇なことが多かった。

 

「どこへ行く!?」

「訓練でぇーす」

 

 よってピノンと出会った翌朝も、ジャックの苦虫をかみつぶしたような顔に見送られ、ピノンの屋敷に来ることができた。

 

 ピノンは昨日と同じ園庭のガゼボでくつろいでいる。

 

「どうぞぉ」

「へ?」

 

 挨拶もそこそこに、ルゼアは頬を差し出した。

 

 ピノンは少し迷い、ルゼアの頬を引っ張る。よく伸びた。

 

「じゃなくてぇ、殴ってくださいぃ」

「なんで!?」

「これから勉強するんですよねぇ。いっぱい間違えますよねぇ。その分を前払いで殴られておこうと思いましてぇ」

「勉強はそんな過酷なものじゃないから!」

 

 育ちの違いを痛感しつつ、勉強が始まった。

 

 ルゼアの覚悟とは裏腹に、ピノンの教えは実に分かりやすかった。

 

 まず、魔法の素質とは魔力の有無である。生まれ持った魔力という力で魔法を使う。生まれつきない者が素質のない者だ。

 

 しかし、魔力とは生まれ持ったものの他に、空気中にも含まれている。それを使えば誰でも魔法を使えるらしい。

 

「空気中にぃ? 吸ったり吐いたりしてる、これですかぁ?」

「そうそう。どうやって使うのかというと──」

 

 ピノンがルゼアの手を取り、目を閉じる。手のひらから暖かい何かが流れ込み、体を満たしていく。

 

 体中が暖かくなると、奇妙な感覚を捉えた。透明な雲のような、実体のない力のうねり。そんなものが見渡す限りどこにでもある。

 

「感覚、つかんだ? その、なんかふわふわしたのが空気中の魔力。名前はマナとエーテル、どっちがいいかな?」

「じゃぁ、マナでぇ……」

「はい決定。後は、今感じてるマナを理屈に沿って動かすだけ。簡単な魔法からやってみようか」

 

 そうして理屈を学んだ。口頭で、分厚い本で、お手本を見せて、様々な方法でピノンはマナの運用法を教え込み、ルゼアは三日後の夕刻には初等魔法を習得した。

 

 マナの感覚さえつかめば簡単だった。手足のように動くマナを、決まった手順で動かせば、魔法という現象が出力される。ルゼアの手のひらの上で、出力された火、雷、風、水がふわふわと舞っている。

 

「もしかしてルゼア、天才……?」

「うぇへへぇ、バカなのに覚えは早いとは言われますぅ」

「そんなレベルじゃないんだけど……」

「花火も使えるようになりますかぁ?」

「うん、ルゼアなら一年あれば──」

 

 不意に、ピノンが口を噤んだ。

 

 かぽかぽ、と軽やかな音。馬の蹄の音だ。続くがたこと揺れる音は、馬車の音だろうか。それはピノンの屋敷の正面で止まった。

 

「隠れて!」

「はぇ?」

 

 不思議に思いつつも指示に従い、近くの植え込みの陰に隠れた。すると、正門の方からいかにも偉そうな衣装の男たちがずかずかと歩いてくる。

 

 ピノンは帽子を脱ぎ、先に口を開く。

 

「ごきげんよう、お兄様。わざわざこのような──」

「御託はいらん。明日、革命派の(ねぐら)を潰しに行く。日の出前に城へ来い」

「申し訳ありません。あいにく、研究が佳境に入っておりまして」

 

 空気が張り詰めた。もっとも偉そうな男の眉間に深い皺が刻まれる。

 

「まだ世迷言をほざくつもりか。魔法はかの大魔導士の祝福を受けた者にのみ許された秘儀。理屈をこねたとて誰にでも使えるはずはない」

「その可否を明らかにするのが私の義務ですので。お兄様もご自分の義務をご自分の力で果たしてくださいな」

 

 男がピノンの頬を平手打ちした。あっ、とルゼアは声を漏らすが、顔を真っ赤にして興奮する男たちには聞こえなかったらしい。

 

 ピノンと男たちはしばしにらみ合い、やがて平手打ちの男が不満げに鼻を鳴らす。それを合図にして、彼らは来た時と同じくずんずん大股で出て行った。去り際に植え込みを蹴飛ばし、「汚らわしい妾腹のガキが」などと丁寧に吐き捨てていく。

 

 男たちが去り、馬車の音が聞こえなくなったところでルゼアが姿を現す。

 

 ピノンはガゼボの下の椅子にぐったり座り込んでいた。

 

「ほっぺた、平気ですかぁ……?」

「へーきへーき、いつものことだし。でも疲れたー。自信がないからって私のとこに来ないでほしいわ」

 

 魔法で作り出したのだろうか、ピノンは手のひら大の氷を頬に当てている。

 

「誰ですかぁ、あの偉そうな人ぉ……?」

「私の兄、クプト・パル・レイランド。この国の大臣」

 

 はえぇ、とルゼアの口から気の抜けた声が漏れた。

 

 大臣とは王様のすぐ傍で働く偉い人だ。そんな人が直接訪ねてきたり、ましてや普通に話ができるあたり、ピノンも相当に高い地位についているのだろう。

 

 縁遠い世界に感心していると、ピノンが不思議そうに見つめているのに気が付く。

 

「なんですかぁ?」

「いや、あの……聞かないの?」

「ふぇ?」

 

 ルゼアは覚えは早いが、察しは悪い。男たちとのやり取りからピノンの素性が気にならないのか、という意図は届かなかった。

 

「ま、まあそれなら別に……なんかやだな、よし言っちゃおう」

「どうぞ」

「んんっ、改めて、私はピノン・ペル・レイランド。偉大なるレイランド大王の末子にして、王位継承権34位。魔法の研究と研鑽を対価に大王の治世と寵愛を享受する魔女である」

「おぉ、偉そうですねぇ、偉い偉い」

 

 あんまり胸を張って堂々としているので、ルゼアは手を叩いてはやし立てた。

 

 ピノンは苦笑する。

 

「すっっごく興味なさそうだね!」

「貴人に払う礼儀を知りませんのでぇ……教えてくれたら、そうしますがぁ……」

「じゃあ教えない」

 

 くすくす笑って、ルゼアの頭を撫でるピノン。

 

 よく分からないが、自分たちはこれでいいのだと、なんとなく思った。

 

 が、次の日、ルゼアは認識を改めることになる。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 朝からアジトが騒がしく、目を覚ます。

 

 何があったのかと聞く暇もなく、誰かがルゼアの腕を掴んだ。寝起きのままどこかへ引っ張られていく。

 

 気づけばアジトの入り口で剣を構え、とんがり帽子と黒いローブをまとった男たちと相対していた。

 

「ああ、バレちゃいましたかぁ……」

「そういうことだ。突破するぞ、ルゼア」

 

 拠点が特定され、攻め込まれている。よくあることだ。いつものようにルゼアとジャックを筆頭に包囲網を食い破り、革命派の中核メンバーを逃がす。

 

 しんがりはルゼア、これも毎度のことだ。

 

「なんだこのガキ……!?」

 

 迫る追手の中から油断している相手を見定め、急所を迅速に裂き、突き、捻って殺す。

 

「こいつまさか──」

 

 動揺によって生まれた間隙にも剣を振るい、頭数を減らす。全員殺せばこちらの顔は割れない、とはジャックの教えだ。

 

 ルゼアは覚えが早い。教えられた通りの剣術で、教えられた通りに魔法使いを皆殺しにしていく。魔法使いは魔法を使う前に殺すのが安全だ。

 

 とはいえ、魔法使いもそこまで大人しくはない。同士討ちをものともせず、残った者たちがしゃにむに魔法を連発する。火炎の槍に風の刃、水の礫に雷の光条。花火とは違う、殺意に溢れた魔法が周囲を飛び交う。

 

 破れかぶれの反撃は今まで、生傷を作りながら躱してきた。

 

 だが今回は違う。ルゼアの目には、大気中のマナの動きが見えた。マナが特定の動きをすると、数瞬後に魔法が発動する──魔法の予備動作を学習し、それに合わせて動きを最適化していく。

 

「バカな……!?」

 

 魔法使いたちが驚愕するのも無理はない。まるで未来が見えているように、小柄な少女が魔法の嵐の中を駆け回り、次々に味方を殺して回るのだから。

 

 程なく魔法使いは最後の一人になり、ルゼアが吶喊する。

 

 マナの動きが見える。顔面に向かって火炎の槍。身をかがめて回避し、そのまま接近して──

 

「わわっ」

 

 回避のため姿勢を低くした瞬間、眼前に火の玉が迫っていた。

 

 無理やり体を捻って躱す。体勢は崩れたが、剣の間合いだ。逆手に持ち替えた剣を魔法使いのふくらはぎに突き刺す。

 

 悲鳴と共にひっくり返る魔法使い。ルゼアは慌てて馬乗りになり、首に剣を突き刺した。

 

「魔法で虚を見せる(フェイント)とはぁ……」

 

 絶命をしっかり見届けながら、感嘆する。マナの動きによるフェイントと、読みで魔法を置いておく高度な戦術。一歩間違えばルゼアの方が死んでいた。

 

 まじまじと魔法使いの顔を眺める。すると、その面影に何か引っかかるものがあった。

 

「あれぇ、どこかで見たような……あっ」

 

 豪華な服を着た、平手打ちの男。ピノンが兄と呼んでいた人物だ。

 

 あの時憤怒の表情を浮かべていた男が、苦痛に歪んだ顔で死んでいるのを前に、ルゼアはようやくピノンとの関係を理解した。

 

「私たち、敵同士ぃ、なんですねぇ……」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ルゼアは実感をもって、ピノンとの関係を理解した。お互い会わない方がいいことも無論分かった。

 

 にもかかわらず、ルゼアは平手打ち男を殺した翌日にはピノンの屋敷を訪れていた。

 

 いつもの時間、いつもの場所。園庭の一画にあるガゼボの下で、ピノンは変わらぬ笑顔でルゼアを迎えた。

 

「いらっしゃいルゼア。貧民街の方で騒ぎがあったって聞いたけど、大丈夫だった?」

「はいぃ……そちらはぁ、その、大丈夫ですかぁ? あの男の人とかぁ……」

 

 ピノンはきょとんとして、「あー」と気の抜けた声を上げた。

 

「お兄様ならもう来ないよ。死んだって」

「そ、そんなあっさりぃ……家族なのではぁ……」

「来るたび怒鳴って暴力振る人を家族とは言わないんだよ」

「じゃあ何て言うんですかぁ?」

 

 数秒考えこんだ末にピノンの口から出てきたのは、「迷惑な人?」と何の捻りもない答えだった。

 

 悪口を言い慣れていない人なんだろうなと考えると、ルゼアの口角が自然と上がる。

 

「はい、死んだ迷惑な人の話は終わりっ! 魔法の練習しよ」

「はぁい」

 

 その日から、変わらずルゼアの屋敷通いは続いた。新しい拠点からピノンの屋敷までは以前よりも近く、通いやすかった。

 

 ピノンの教え上手とルゼアの覚えの良さもあり、ルゼアは半年足らずで中等魔法のすべてを習得。高等魔法と、その応用である魔法花火の学習に足を踏み入れた。

 

 半年もの学習の間、魔法使いに拠点を四度襲撃されたが、ルゼアにとっては印象が薄い。それよりも、素敵な花火に一歩ずつ近づいていく達成感と、ピノンに対する不思議な気持ちが記憶の大半を占めている。

 

 ピノンの顔を見て、言葉を交わし、手を触れ合う。そのたびに心がふわふわと落ち着かないのに、同時に安心もする。相反する不思議な感覚だ。なのに悪い気はしない。

 

 その気持ちの一端を、つい口に出したことがあった。

 

「ピノンはきれいですねぇ……」

「へ?」

 

 エメラルドのようにきらめく瞳をぱちくりさせるピノン。その表情がまた、ルゼアの不思議な気持ちを深くさせる。

 

「きれいで、頭が良くて、かっこよくて、私みたいにみすぼらしいのにもぉ、優しくしてくれますぅ……好きですぅ、はい」

「は、えっ、あの」

「あとぉ、かわいいというのも、追加でぇ……」

「待ってー! 流れがおかしい! 文脈って知ってる!?」

「知りませぇん、何ですかそれぇ」

 

 何度も噛みながら、顔を真っ赤にして文脈について解説するピノンは、とてもかわいかった。

 

 その一方で、将来を見据える大人っぽさも同居していた。

 

「魔法ってもっと夢のある使い方をしなきゃダメだと思うんだ」

「はぁ……」

「外国を脅して、使えない人たちを見下して抑圧する今みたいな使い方じゃなくて……そう、みんなで一斉に花火を打ち上げるお祭りをしたいな。知ってる? 東の国のお祭りでね、花火を二万発も打ち上げるんだよ!」

「はえぇ……想像もつきませんがぁ……いつか出来るのでしょうかぁ」

「出来るよ。みんなが魔法を使えるようになったら、きっと」

 

 そう語るピノンの目は、今日でも明日でもない、もっと遠くを見ていた。

 

 未来を見据えるのは大人のやることだ。ルゼアにとって大切なのは、今日と明日のパンと水、それからピノンとの会合。それより後のことは考えられない。

 

 でも、ピノンの夢見る未来のお祭りで、自分が魔法花火を使っていたら──きっと素敵だ、とルゼアは思った。

 

 ピノンと屋敷で会い、勉強をするたび上達する魔法。大きくなっていく不思議な気持ち。

 

 今日も明日も続くと思っていた素敵な日々。

 

 そんな日常にある日、大きな亀裂が走った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 視界が白く染まった。とっさに体を後ろへ流したものの、それでも大の男の拳は痛い。

 

 殴られ、尻餅をついたルゼアを革命派の幹部たちが取り囲む。彼らの顔は一様に憤怒と失望に染まっていた。

 

 中でも特に怒りの色が濃い革命派の参謀、ジャックが口を開く。

 

「王族の女と会っているらしいな」

 

 ルゼアはその一言で察した。首肯すると、未発達な体に幹部たち直々の暴力と罵倒が叩き込まれる。

 

 いつかこうなると分かっていた。ピノンとは敵同士であり、本当は仲良くしてはいけない。分かっているのに日々の楽しさに溺れ、会合を続けたのはルゼア自身だ。体を丸めて暴力という制裁を甘んじて受け入れる。

 

 全身に青あざと、骨のいくつかに亀裂が入ったところで暴行が止まる。

 

 男たちの荒い息が響く中、ぐったりするルゼアの髪をジャックが掴み上げた。

 

「俺たちの情報を売ったのか」

「いいえぇ……むしろ教えてもらってましたぁ」

「何をだ」

「魔法をぉ」

 

 男たちが失笑した。魔法は素質がなくては扱えない。いくら教えを請おうとも、革命派に身を置く孤児が使えるはずはないのだ。

 

 しかし、ルゼアが痛みで震える手のひらの上に魔法の火、水、風、雷を現出させると、男たちは口をあんぐり開けて固まった。

 

「バカな……」

「素質とか関係なくてぇ……誰でも使える魔法を教えてもらって、いつか花火ができたらいいなってぇ……」

 

 叱られた子供のように、ぽつぽつと事の顛末を話しながら、ルゼアのあまりよくない頭にある考えが浮かんだ。もう革命する必要はないんじゃないか、と。

 

 革命派は、王族と貴族が威張り散らしているのが気に入らないから革命を企んでいる。王族と貴族が偉いのは、彼らにしか使えない魔法という武器があるため。であれば、身分に関係なく誰でも魔法が使えるようになれば、みんな肩を並べて暮らしていけるのではないか。もしそうなったら、ピノンに好きなだけ会いに行ける。

 

 それは、きっと素敵だ。

 

 ルゼアはピノンに教えられた誰にでも使える魔法の情報を、洗いざらいぶちまけた。幹部たちは当初懐疑的だったが、ルゼアが実演を繰り返すと何も言わなくなり、結局その日はルゼアをアジトの牢屋に押し込んでお開きになった。

 

 数日後、牢から出されたルゼアは、ジャックと他数名の戦闘員に魔法を教えるよう命じられた。

 

「どうせならぁ、もっとたくさんの人に教えた方がぁ……」

「万が一にもこの情報を漏らす訳にはいかん。だが魔法による戦力増強は有用だ。故に、信頼できる精鋭のみを呼んだのだ」

「はぁ……?」

「やはりお前は覚えが早いだけのバカだな。いいからさっさと教えろ」

 

 難しいことを言われて煙に巻かれた感覚がしたが、この程度は慣れっこだ。ルゼアは気にせず誰でも使える魔法──新式魔法の講習を始めた。

 

 最初はピノンがしてくれたように、大気中のマナを認識するところから。次にそれを動かす方法、手順と法則性、出力される魔法との関係などを実技を交え教え込んでいく。精鋭という割に彼らの覚えは悪く、マナを動かす感覚をつかむのにルゼアの数倍はかかった。

 

 ジャックが定めた目標である中等魔法を覚える頃には三か月が過ぎていた。

 

「やっと終わりましたぁ……」

「ご苦労だった。しばらく休め」

「ピノンのとこ、行っていいですかぁ?」

「……ああ、好きにしろ」

 

 ジャックの声には諦念と、隠し切れない憐憫が含まれていた。

 

 そんなものをいちいち気にしないし考えないルゼアは、素直にがんばったご褒美として受け止めて、ピノンの屋敷に走った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 おなじみのガゼボの下に、ピノンの姿は変わらずあった。

 

 ただ、いつも本を読んでいたり魔法で遊んでいたりするのに、今日はテーブルにぐったりと突っ伏している。はちみつ色の髪には寝ぐせがついて、とんがり帽子は今にもずり落ちそうだ。

 

 体調が悪いのかとルゼアが小走りで近づいていくと、ピノンは緩慢に顔をあげる。

 

 ぼんやりした緑眼と目が合った途端、ピノンは椅子を蹴立てて立ち上がり、突進してくる。

 

「ルゼアっ」

 

 甘い匂いと柔らかな感触。身長差のため、ルゼアの顔がピノンの胸に埋まる形で抱かれている。背中と後頭部に回された手に猛烈な力で抑え込まれ、ルゼアは苦しさのあまりピノンの背中をぺしぺし叩く。

 

「嫌われたんじゃないかって……もう来ないかもって、思った」

 

 が、頭上から聞こえる涙声に、抵抗の気力を削がれた。

 

 少ししてようやく体が離れる。ピノンは目の下にクマをこさえ、泣きはらしたように目が腫れぼったい。緑眼の奥には、怒りと安堵、そして寂しさがぐちゃぐちゃに混ざり合っている。

 

 その目を見たルゼアは、背伸びして頭を撫でた。

 

「私のおバカがうつりましたかぁ……? 好きです、と言いましたぁ。嫌いとは言ってませぇん」

「じゃあどうして……」

「いろいろありましてぇ……」

 

 ルゼアは『いろいろ』について話した。革命派のことは言わず、貧民街の住人に魔法を教えることになり、今まで教えていたということを。

 

 ふくれっ面でルゼアの手を強く握ったまま話を聞いていたピノンは、大きく目を見開いた。

 

「魔法を教えた? 人数はどのくらい?」

「たしかぁ、十人くらいだったかとぉ……」

「使えるようにはなった?」

「中等魔法まではぁ……」

 

 強張った表情で考え込むピノン。

 

 握られた手の痛みがどんどん増していくうち、何かまずかったのではないかとルゼアは思い至った。だから、自分なりの言い訳を口にする。

 

「あのあの……貴族と平民の仲が悪いのはぁ、貴族しか魔法を使えないからでぇ……みんな使えるようになったら、ケンカをする理由もなくなると思うんですけどぉ……」

 

 ピノンはルゼアに一瞥を送ると、固い表情から一転、吹っ切れたような笑みを浮かべる。

 

「そうだね。きっとそうなるよね」

「はいぃ」

 

 それからはいつものように、魔法の練習をして、貧民と王族の暮らしの違いとか、東の国の花火大会の話とか、たまたま空に見えた雲の形の話とか、なんてことのない緩やかな日常の時間を過ごした。日が暮れるとルゼアが住処に戻り、この時間は終わる。

 

 しかしルゼアが帰ろうとすると、ピノンがその腕を掴んだ。

 

「うぇ? ピノン?」

「あっ、ごめん」

 

 はっとした様子で手を放すピノン。

 

 お腹の前で指をもじもじさせながら、続ける。

 

「ど、どうしても帰らなきゃダメ?」

「はいぃ」

 

 ルゼアが即答すると、目に見えてしゅんとした。いたたまれない気持ちが湧く。

 

「帰らないとぉ、パンと水をもらえませぇん……食べて飲まなきゃぁ、人は死ぬのでぇ……」

「パンと水ならここにもあるよ!」

 

 食い気味に屋敷を指さすピノンに、きょとんとするルゼア。

 

 王族であるピノンが住む屋敷なのだから、当然そのくらいあるだろう。だからといってもらえるわけでもない。

 

「まさかくれるんですかぁ? うぇへへ、なーんてそんなわけ……」

「あげる」

「うぇ」

 

 ピノンがルゼアの手を取り、両手で包み込む。

 

「あげるから、帰らないで」

 

 突然の提案に、ルゼアのあまりよろしくない頭が急速回転を始めた。

 

 ルゼアが革命派に身を置いているのは、物心ついたときにはそこにいて、パンと水をもらえたからだ。王族と戦ったり人員を守ったりするのは、どこまでもパンと水のためであり、組織の目的には微塵の興味もない。

 

 だから、革命よりもずっと楽しくて素敵なことを教えてくれるピノンが、帰らないでと言ってくれるなら。

 

「はぁい、分かりましたぁ」

 

 断る理由はどこにもないのだ。

 

 こうしてルゼアは、惰性で身を置いていた反体制派組織を裏切り、ピノンと暮らすことになったのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ピノンとの暮らしは夢のように甘く、安らぎに満ちていた。

 

 やりたくもない訓練を強いられることなく、意味不明なボスの演説を聞かされることもない。突然理不尽に殴られることも怒鳴られることもなく、ピノンとおしゃべりしたり、魔法の練習が好きなだけできる。食事にはパンと水だけでなく貴重な肉が調味料付きで出てくるし、寝床は驚くほどふかふか、すべすべしている。屋敷には給仕も侍従もおらず、二人で使わない大半の区画は埃まみれだったが、それでもルゼアには十二分に満たされた生活空間だった。

 

 普通の感覚なら気が引けそうなほどに生活水準が上がったものの、ルゼアは幸か不幸か遠慮を知らない。一切の気兼ねなくふにゃふにゃと笑いながら、ルゼアと二人の時間を享受していた。

 

 ただ、一つ戸惑った点があるとすれば、ピノンとの距離感だろう。

 

「あのぉ、一人で洗えますからぁ……」

「ダメ! せっかくキレイな黒髪なんだから、きちんと手入れしないと」

「教えてもらえればぁ、すぐ覚えますよぉ……」

「それもダメ。覚えなくていい!」

「んひゃぁ!? そーゆー触り方は良くないかとぉ……」

 

 初めて見る浴槽に入る前、なぜかピノンも裸でついてきて、全身を洗われた。そんなところまでキレイにする必要はあるのかという隅々まで丹念に。古傷だらけの肌の上を、濡れたピノンの指が滑るのがくすぐったくて、ルゼアは自分でも聞いたことのないような声を上げて体を跳ねさせた。

 

 ピノンは的確に、ルゼアの敏感な部分に指を這わせる。最初は偶然としても毎回やられるとさすがのルゼアも勘付いて、ジト目で睨みつける。

 

「ぴーのーんー……」

「ごめんごめん、ルゼアの声がかわいくって」

 

 悪びれずに笑って舌を出すピノン。その笑顔を向けられると、何も言えなくなる。

 

 そして共に浴槽につかり、温かいお湯とピノンの柔らかな体に抱かれると、もう全部がどうでもよくなってしまう。

 

 夜に別々の寝床で寝たのに、朝にはなぜかピノンが隣で寝ていて、しかも二人そろって裸になっていることもあった。それもまた、寝ぼけた顔で「おふぁよう」と言われたのに、ふにゃふにゃ笑って「おはよぅです」と返したら、もう細かいことは気にならなかった。

 

 魔法の習得も進んだ。魔法花火の難解な理論はすでに暗記し、後はそれを出力する感覚を反復練習で身に着けていくだけだ。素敵な花火を咲かせる日は遠くない。

 

 おいしい食事、きれいな寝床、楽しい魔法の練習、好きな女の子。

 

 十四年の人生の中でもっとも安らかな時間が過ぎてから半年。

 

 革命の火が灯った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ルゼアとピノンが気付いたのは朝、ゆっくり朝食を済ませ、庭に出たときのことだ。

 

 庭に茂った常緑樹の青い匂いの中に、かすかに焦げ臭いにおいが混じっている。

 

「……っ!」

 

 空を見上げたピノンが息を呑む。視線を追うと、ルゼアの口からも「あぁ……」と腑抜けた声が漏れる。

 

 屋敷の外、貴族街のあちこちから黒煙が立ち上っている。雲一つない青空が黒い柱で割られ、橙色の火の粉が雪のように舞っていた。耳をすませば甲高い悲鳴、雄叫び、怒号などが遠くに聞こえる。

 

 未明から始まった革命派による動乱は、明け方には佳境に入っていた。すでに支配階級の中核を占めていた王族や上級貴族のほとんどは討たれ、今は戦乱の興奮冷めやらぬ民衆が木っ端の貴族を標的に焼き討ちをしている最中だ。

 

 そんな状況とは知る由もなく、ルゼアは呑気な顔で、

 

「延焼したらぁ、危ないですぅ……逃げましょぉ……」

 

 ピノンの手を引くと、ふらふらと頼りなくついてくる。

 

 屋敷を出て、火の手の反対方向へ逃げればひとまず安全だ。屋敷は燃えてしまうかもしれないが、生きていればどうとでもなる。

 

 しかしルゼアが考えるほど現実は甘くない。

 

 屋敷の正面、敷地の外へ通じる門扉は、革命派の男たちでふさがれていた。彼らは全身に生々しい傷と返り血、煤に塗れていて、抜き身の剣を手にしている。中にはルゼアの知った顔もあった。

 

「あれぇ、ジャックぅ……久しぶりぃ」

 

 ひと際大きな体躯の男、ジャックはルゼアを無視して、その隣のピノンに鋭い目を向ける。

 

「ピノン・ペル・レイランドだな」

「ええ」

「すでに愚王を始め、腐敗と搾取を主導した連中は始末した。貴様の死によって王家は根絶し、この国は生まれ変わる」

 

 ピノンが悠然と、革命派の男たちに歩み寄る。殺気だった視線が集中するのをまるで気にしていない。

 

 王家を根絶やしにする? ピノンが死ぬことで? ルゼアだけがこの状況についていけない。

 

「ルゼア、よくやった」

「はぇ?」

 

 唐突な労いの言葉に目を丸くする。

 

「お前がこの女から聞き出した新式魔法がなければ、革命は成しえなかった。支配階級の連中のみが魔法を使える優位性を奪ったのだ。本当によくやってくれた」

「ち、違いますぅ……」

 

 ルゼアは革命なんてどうでもよかった。ただ日々を生きるために行動していただけ。

 

「みんなが魔法を使えればぁ、えっと、みんな同じだからぁ……争わなくてもよくなると思ってぇ……」

 

 ジャックは心底呆れたというように溜息をつく。

 

「お前は本当に……救いようのないバカだな。その程度で和解できるなら、最初から革命の機運など生まれていない」

 

 また、難しい言い回しでバカにする。ジャックはいつもそうだ。

 

 ルゼアを置いてけぼりにして事態は進む。

 

 ピノンが無言で歩を進め、ジャックのすぐ前に立つ。ジャックの血と煤にまみれた剣が、ピノンの細い首に添えられる。

 

「ぴ、ピノン……?」

「気にしないでいいよ、ルゼア」

 

 振り向かずに続けるピノン。

 

「新式魔法があってもなくても、いつかはこうなってた。ルゼアの言ってたみたいに、みんな仲良くできるかもって夢を見たけど……夢を見ただけで、私は満足。だから──」

 

 さよなら。

 

 呟きと同時、ジャックが剣を振り上げる。

 

 横一閃にして首を刎ねようというのだろう。ジャックの冷淡な顔が、その後ろの男たちの血走った瞳が、やけに鮮明に見える。

 

 なぜこうなったのか分からない。ルゼアは今日と明日のパンと水のことだけを考え、刹那的に生きてきた。ただ生きることがルゼアのすべてだった。

 

 ピノンが殺されたら、また前のように生きるだけの生活に戻るだろうか。魔法花火の練習は続けたい。でもどんなに上達しても褒めてくれるピノンはいない。共に食べて笑い合い、触れ合って暖かみを分け合い、安らぎを与えてくれる相手がいない。

 

 そんなの、嫌だ。

 

「きゃっ!?」

 

 ピノンのローブを掴んで後ろへ引っ張る。勢いのあまりピノンはお尻を思いっきり石畳に打ち付け、首のあった空間をジャックの剣が薙いだ。

 

 革命派の男たちの視線が、ピノンからルゼアへ移る。

 

「何の真似だ」

 

 鋭く問うジャック。場に漂う殺気が一人の少女に集中する。

 

 身じろぎさえ躊躇われる張り詰めた空気の中、ルゼアは背中の剣に手を添えることで答えた。

 

「私ぃ……きっと今まで、死んでたんだと思いますぅ……」

 

 剣を抜く。自分の意志で抜いたことのないそれを、紛れもない自分の意志で、革命派の男たちへ向ける。

 

「いつもいつも、考えることは今日と明日のパンと水で……革命なんて興味ないけどぉ、そのくせ他にやりたいこともなくてぇ……薄っぺらで灰色で、生きてるのに死んでるみたいでしたぁ……」

 

 視界が透明だ。体中に力が満ちている。ごうごうと血潮の流れる音が聞こえ、常にぼやけていた思考がみるみる透き通っていく。

 

「でも今はぁ……やりたいことができましたぁ。ピノン、あなたのおかげですぅ……」

「わ、わたし?」

 

 振り向くと、ピノンが目をぱちくりさせている。エメラルドの瞳、ミルク色の肌、果実のように瑞々しい唇に、柔らかな肢体。魔法が好きで、夢見がちで、実は寂しがりで甘えるのが好きな彼女が、何よりも愛おしい。

 

 今日と明日のパンと水よりも、はるかに焦がれている。

 

「今日も明日もその先も」

 

 その思いをまっすぐに。

 

「あなたと共に()ることを」

 

 欠片も余さず伝わるように。

 

「私は、望む」

 

 未来への望みと共に、告白した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 生きる意志を得たルゼアの頭脳は、曖昧に捉えていた状況を急速に把握していく。

 

 革命は成った。革命派はピノンを殺し王族の血を根絶やしにしようとしている。この国に居場所はなく、他の国に逃げようにも、屋敷は完全に包囲されている。

 

 であれば打開策はただ一つ。

 

 強行突破だ。

 

「血路を開きます。少し待っててください」

 

 突撃のため身を低くしたルゼアを、ピノンが慌てて呼び止める。

 

「無理だよ! もう囲まれててどんどん人が集まってきてるのに……! 私が囮になるから、ルゼアだけでも」

「ピノン」

 

 首をひねって振り返り、断言する。

 

「私を信じて」

 

 それを合図に、ルゼアは包囲網へ突っ込んだ。

 

 興奮と殺意に浮かされた刃と魔法の光が煌めき、ルゼアの小さな体に雨あられと降り注ぐ。いかに戦い慣れたルゼアであっても、到底捌ききれない物量だ。

 

 しかし今のルゼアの動きは尋常のそれではない。

 

 微細な筋肉の動き、敵の目線、息遣い、微かな空気の揺らぎ。あらゆる情報を読み取り、視界外から迫りくる剣戟でさえも、見えているかのように躱し、受け流していく。不規則に迫りくる魔法の火や雷もまた、マナの揺らぎを読み取り紙一重の精度で回避する。そして回避の合間に剣を振るい、急所を突き、裂くことで着実に包囲網へ損害を与える。

 

「構うな、レイランドの娘を狙え!」

 

 男たちのうち幾人かは、ルゼアを無視してピノンを狙おうとする。しかしルゼアから注意を逸らすや否や、彼らの背中を火炎の槍が穿つ。ルゼアが剣を振るうのと並行して放った火炎魔法である。

 

 背中を晒せば死ぬ。黒焦げになった仲間の死体からそう印象付けられた革命派の面々は、ルゼアに集中せざるを得ない。

 

「なんだこの動きは!」

「後ろに目がついているのか!?」

 

 神がかり的な大立ち回りに革命派が戦慄する。

 

 一方、ルゼアは「長くはもたない」と冷静に俯瞰していた。

 

 目、耳、鼻、肌の感覚を最大限利用しつつ、そこから得られた情報を元に全身を駆動させているのだ。動くたびに筋骨が軋みを上げ、呼吸が乱れる。身体が限界を迎えるのはそう遠くない。

 

 それでもよかった。最悪、ピノン一人が生き延びてくれたなら構わない。ピノンは成し遂げたルゼアをきっと忘れない。それもまた、「共に在る」未来の一つだから。

 

 ルゼアは初めて本気で何かを成し遂げようとしている。そんな自分を頭だけが冷徹に客観しながら、革命派の人達はこんな気持ちだったのだろうか、と考える。

 

 四六時中難しい言葉を交わし合って、革命だ変革だと騒いでいた目の前の大人たち。彼ら彼女らもルゼアと同じように、意志なき惰性の檻を破り、本気で何かを成そうとして今に至るのかもしれない。

 

 心持ちは同等、ルゼアは戦力で勝り、革命派は数で勝る。拮抗するかに思われた趨勢は次第に、莫大な対人経験を持つルゼアに傾いていく。

 

 拠点に攻め込まれたとき、しんがりで多数の魔法使いを相手にするのはルゼアだった。狡猾な位置取りにより同士討ちを誘発させ、革命派の数的優位を失わせる。

 

 そうしてついに、革命派は最後の一人になる。

 

 屍山血河の只中に立つルゼアと相対するのは、ジャックだった。

 

 乱戦の中ですでに幾度となく刃を交えた。お互いに無傷ではなく、ジャックは首筋に一筋の傷を刻まれ、ルゼアは紙一重の回避が連続した代償に、全身に浅い傷を負っている。

 

「いい目をするようになった」

 

 低く唸るようなジャックの声に、ルゼアは答えない。そんな余裕は残っていない。

 

 過度な集中と激しい乱戦によって頭が割れるように痛み、剣を支える腕は頼りなく震えている。気を抜けば今にも気を失いそうだ。

 

 しかし目の前の男を倒さなければピノンが殺される。底を尽きかけた体力を振り絞り、ジャックに躍りかかっていった。

 

 刃が閃き、魔法が瞬く。最小限の動きで攻撃を躱し、いなす。回避行動の慣性をそのまま急所への攻撃につなげていく。合理的に人を殺すための動きを両者繰り返す。

 

 がむしゃらに剣を振るいながら、ルゼアは悟った。

 

 無理だ。

 

 元より体力はジャックに分がある。互角の立ち合いを続ければ、先にバテるのはルゼアだ。鈍った剣筋を見逃すほどジャックは甘くなく、確実にルゼアの息の根を止めるだろう。

 

 だからこそ、その時が勝機になる。

 

「くっ……!」

 

 刃を交える。衝撃をいなそうとするが失敗し、体が流れて無防備に急所を晒してしまう。

 

 ジャックはすかさず下から抉るような刺突を放つ。恐ろしく正確な剣筋で、ルゼアの肝臓を抉ろうと迫る。

 

 ルゼアはこれを読んでいた。ジャックなら好機を逃さず最短距離で殺しにくることを信じていた。

 

 回避はできなくてもいい。身体で刃を受け止め、ジャックが勝利を確信した隙を狙い、刺し違えてでも倒す。それが自分にできる精いっぱいだ。

 

 そうしてルゼアはジャックの刺突を受け入れ──

 

「ぐおぉっ!?」

 

 受け入れる寸前、ジャックの顔が火に包まれた。視界の端に、ピノンがこちらへ手のひらを向けているのが見える。魔法で援護してくれたのだ。

 

 たたらを踏み、剣を取り落とすジャック。

 

 致命的な隙をルゼアは見逃さない。瞬時に距離を詰め、ジャックの分厚い胴体に刃を突き立てる。

 

 ジャックの体はびくりと大きく震え、やがてどうっと後ろへ倒れ込んだ。

 

 ジャックの顔を燃やしていた炎は程なく消え、先ほどまでの狂騒は嘘のように消えた。ただ、むせかえるような血の匂いと、遠くに響く悲鳴と怒号は、紛れもない現実であると告げている。

 

 と、そこでルゼアの集中が切れ、前のめりに倒れ込む。

 

「ルゼアっ!」

 

 ピノンに抱き止められるが、もう体が動かない。

 

「ピノン……助けて、くれたぁ……私はぁ、ピノンに貰ってばかりですぅ……うぇへへ」

 

 ピノンは生きる意味を教えてくれた。ここぞというとき、助けてくれた。優しくて大切で愛しくて、共に在りたいと思える人。共に在ることが叶わずとも、生きてほしい人。

 

「ルゼア、立って! とにかく逃げないと……!」

「無理ですぅ……ちょっと休んでからぁ、追いかけますのでぇ……」

「何言ってるの! ルゼア、起きてルゼアっ!」

 

 意識が朦朧として、ピノンの声が遠くなる。今はただ、眠い。

 

 急激な眠気と同時、浮遊感を覚える。柔らかくていい匂いのするものに背負われているようだ。汗を流し、必死で息を切らすピノンの横顔が見えた。後ろからは荒々しい足音と怒声が追いかけてきている。

 

 その記憶を最後に、ルゼアの意識は途切れた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 深い眠りから浮上する意識を迎えたのは、青々と茂る緑の匂い。さらさらと流れる小川の音と鳥のさえずり。悪臭の漂う故郷の貧民街とは異なる爽やかな空気は、ピノンの屋敷の庭で午睡したときに感じたものと同じ。またあの場所で眠ってしまったのだろうか。

 

 もう少し眠っていたい。

 

 その意に反するように、胸がずしりと重くなる。息が苦しい。

 

 重い瞼を上げると、目の前に黒い毛むくじゃらが座っていた。胸の上に黒猫が座り込んでいるのだ。

 

 金の瞳と目が合う。すると、興味をなくしたのかそっぽを向いて、黒猫は立ち去った。

 

 寝ぼけ眼で周囲を見やる。薄暗い森が広がっていた。鬱蒼と茂った梢が頭上を覆い、その隙間から糸のような木漏れ日が垂れている。ルゼアが目を覚ましたのは、木々がまばらになった広場のような場所だ。

 

「ブルン」

「うわぁ、誰きみぃ……?」

 

 不意にすぐ横から聞こえた鼻息に振り向く。

 

 立派な体格の馬が木に繋がれていた。馬はルゼアの寝ぼけた声に答えることなく、黙々と草を食んでいる。

 

 ぼうっと馬を眺めていると、少しずつ意識がはっきりしてきた。状況を確認していく。

 

 ルゼアは分厚い毛布に包まれて寝かされており、毛布の下は包帯の他に何も身に着けていない。広場の中心にはまだ煙を上げている焚火の跡があり、気絶する前のあの土壇場から、誰かが助け出してくれたのは明白だった。

 

 その誰かが傍にいない。

 

 そう思った途端、猛烈な悪寒に襲われる。鼓動が速まり、冷や汗が噴き出す。全身の傷が痛むのも構わず飛び起きた。

 

 焦燥に駆られ、あてもなく走り出そうとしたとき──

 

「ルゼア……?」

 

 恋しい人の声が聞こえ、弾かれたように振り返る。

 

 ピノンが唖然とした顔で、木立の間に立っていた。薪を集めていたのだろうか、よく燃えそうな枯れ枝を抱えている。とんがり帽子は身に着けておらず、黒いローブを腰に巻き付け、その下は肌着だけだ。白い肌とはちみつ色の髪は、煤と土埃で汚れている。

 

 でも宝石のような瞳の輝きは、変わらず眩しい。

 

 ルゼアは体から力が抜け、へなへなと座り込む。

 

 慌てて駆け寄るピノン。

 

「ルゼアっ!?」

「うぇへ……ピノンいないから、びっくりして……元気そうで安心ですぅ……」

「私より自分の心配してよ! まったくもう、この子は……」

 

 ルゼアは再び毛布にくるまれ、横になる。

 

 ピノンは薪に魔法の火をつけると、ルゼアの隣に座って口を開いた。

 

「ルゼアが気を失ってから──」

 

 さてピノンは、ルゼアをおぶって暴動のさなかにある王国を駆け抜け、襲い掛かってくる民衆と革命派を魔法で退けながら軍馬と最低限の物資を強奪し、命からがら国を脱出してきた経緯をかいつまんで話すのだが。

 

「というわけで……聞いてる?」

「ひゃい」

 

 ルゼアは半分程度しか頭に入っていない。声が裏返る。

 

「顔が赤いけど、もしかして熱があるの!?」

「ありますけどぉ……違くてぇ……うぅ」

 

 心配げに顔を寄せるピノンに、寝返りを打って背中を向ける。

 

「私は望みましたぁ……あなたと共に在りたいとぉ……だけどそれって私のわがままでぇ……ピノンの気持ちを考えてなくてぇ、押し付けがましく恥ずかしいことだった気が、今更してきてですねぇ……」

 

 ただ生きる以外になんの望みもなかった。薄っぺらで空虚な日々を、ピノンは満たしてくれた。その恩に報いるため、叶うならこれからも隣にいることを、ルゼアは願った。

 

 しかしこの願いを吐露したとき、ピノンの気持ちを考慮していなかった。冷静になって考えてみると、すごく図々しくて恥ずかしいことを言ったとルゼアは気づいたのだ。

 

「な、なんなら忘れてもらってもよくてぇ……っ?」

 

 それ以上卑屈な言葉は続かなかった。

 

 ルゼアの頬に両手を添え、顔を寄せるピノン。二の句を継ぐ暇もなく、唇を奪われた。

 

 柔らかで瑞々しい感触。甘い吐息が顔を撫でる。長いまつ毛が当たって少しくすぐったい。

 

 お互いの唇を味わうような優しい感覚が数秒続き、離れる。

 

 その行為の意味をルゼアは知らない。けれど、自分と同じかそれ以上に顔を赤くして目を逸らすピノンを見ると、胸がいっぱいになって何も聞けない。

 

 切ない気持ちが迸るまま、体が動く。ピノンの手を取って指を絡める。戸惑いがちに震えていたピノンの手は、やがて強く握り返してくれた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 手をつないだまま寝てしまったルゼアの顔をじっと見つめる。心の底から安堵して緩み切った寝顔。高ぶる気持ちのままにその小さな体を抱きしめたい衝動に駆られるが、どうにか自制した。

 

 ルゼアを好きになったのは、いつからだったろう。気を紛らわせるように、ピノンは出会いを思い返す。

 

 最初は野良猫が迷い込んだのかと思った。伸ばしっぱなしの黒髪はあちこちが跳ねていて、毛玉が動いているよう。長い前髪の間から覗く金の瞳は子猫のように丸く、純粋な光を湛えていた。

 

 流れで魔法を教えるようになり、時間を共にするうち、この子は何も考えていないのかもしれないと思った。きれいなものをきれいと言う。楽しければ笑う。うまくいかないと落ち込む。欺瞞に慣れていたピノンにとって、ルゼアの純粋さは目を焼くほどまぶしかった。

 

 ピノンは現王の妾が産んだ末子である。父母や兄弟姉妹と顔を合わせたことはなく、日ごとに違う侍従たちを乳母として育った。

 

 聡明なピノンは、十になる頃には王国の腐敗と欺瞞に気が付いた。国民は王に忠誠を誓う代わりに、王の寵愛を得るという。しかし建前に語られる寵愛は、実際は弾圧と搾取だった。王族と貴族は平民を思うままに嬲る傍ら、その成果の多寡によって政争に明け暮れていた。

 

 バカらしいと距離を置き、魔法の勉強に打ち込んだ。努力がそのまま結果につながる魔法が好きだったのはあるが、王国の腐敗と、腐敗によって生かされる自分から目を逸らすための、逃避でもあった。

 

 この国は腐っている。狂っている。こんな国から逃げ出したい。毎日のようにそう思っても、行動に移すことはなかった。

 

 逃避の過程で「新式魔法」の理論に至ったときは、何かが変わると期待したが、それだけだった。ああすればいい、こうすればいいのにと夢を見ては、どうせ叶わないからと諦める毎日。好きなことを建前にして逃避に浸かるピノンは、諦念の檻に囚われていた。

 

 だがルゼアは成し遂げた。意図したことではないにせよ、袋小路の現状を破壊した。

 

 革命の火の手を見たあの瞬間、ピノンはすべてを理解した。ルゼアが伝えた新式魔法によって、支配階級の優位性が崩れたのだと。妾腹とはいえ王族の自分は殺されることも予想がついた。

 

 ルゼアが革命派に与しているのは薄々察していた。だから、自分が殺されてもルゼアは生き残る。それで満足だった。

 

 しかし──

 

『今日も明日も、その先も』

『あなたと共に在ることを』

『私は、望む』

 

 凛とした、ルゼアの宣言。猫背の背中をまっすぐに伸ばし、小さな体で男たちに敢然と立ち向かうその姿に。

 

 共に生きたいと、初めて本気で願ったのだ。

 

「……ふぅー」

 

 あの瞬間を思い出すと、どうしようもなく鼓動が速まる。

 

 ふと、つないだ手に何かが触れた。

 

 熟睡するルゼアが、顔を摺り寄せている。

 

「うぇへへ、ピノン……素敵ですぅ……」

 

 緩み切った顔と、ふにゃふにゃした寝言。

 

 ピノンの体の芯がどんどん熱くなっていく。今にも我慢が利かなくなりそうだ。

 

 気を静めるために空を見上げ、現実的なことを考える。

 

 旧王国の混乱が収まれば、いずれ追手が来るだろう。それまでにもっと遠くへ逃げなければいけない。

 

 行く当てはもう決まっている。

 

「東の国に行こうか」

 

 東の果てにあると言われる、火薬の発達した国。幼い頃に王城の書物で知ったそこへ向かう。

 

 具体的な道筋や、着いた後の暮らしなど、何もかもあやふやだ。諦念と逃避に満ちた暮らしを今までした挙句、また逃げるのかという自問もある。

 

 しかしピノンの目に迷いはない。

 

 この手に握ったぬくもりを離さず、ずっと共に在る。

 

 その望みから逃げることだけは、絶対にしないと誓ったから。

 

 

 

ーーー

 

 

 

『命をくれたあなたと』・完


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