IF√Niger Leoの紙本3書き下ろしを再録。
※お手にとってくださったかた、ありがとうございます。
この男と一緒にいると、心臓がいくつあっても足りない。
クイン・マグダラ――ハッフルパフ系純血名門の令嬢――は、聖マンゴのとある一室で、拳を握りしめた。強い薬の匂いが漂っている。寝台に横たわるのは恋人だ。黒髪は綺麗に整えられ、顔の左半分は包帯に覆われている。単なる軽い怪我――に見えなくもない。まったく、軽くはないのだが。
「自分で左眼をえぐり取ったって馬鹿なの」
恋人――ウィスタ・リアイス、正確にはウィスタ・ブラック=リアイスが怪我をしたと一報がもたらされ、駆けつけてみればこれである。大惨事である。もちろん、彼が死ななくてよかった。だけれども……いくらなんでも。
「あなたはなにをしていたのよ」
クインは背後を振り返る。一報を送ってきた魔女――ウィスタの従者は眼を逸らした。大変後ろめたそうで、その顔は青ざめており、たった数時間で――そう、まだ神秘部の騒ぎから一日も経っていないのだ――何歳も年をとってしまったかのようだった。それも、穏やかな年のとりかたではない。くたびれ果て、すすけてしまったようだった。
元より従者エリュテイア・リアイス・リエーフは、クインより一つ下とは思えないほど物腰が落ち着いていて、時たま大人と話しているような気分にさせられることがしばしばだった。その余裕が、今の彼女には見あたらない。主の怪我が従者に深刻な影響を――それも、悪いほうの――を与えていた。
「申し訳ありません」
従者は言い、主の恋人を立たせたままでいる愚に思い至ったのか、椅子を出現させる。クインを座らせようとするものだから、逆に従者を椅子に押し込んだ。
「――あなたのほうが必要でしょう」
ぴしゃりと言う。気分は最悪だった。本当は従者に命令する権限などないのだ。しかし、なにかを――それが恋人の従者に命令することでも――していないと落ち着けなかった。八つ当たりと言ってもいい。
立ち上がろうとする従者を一睨みする。彼女は穏和しくなった。小さく息を吐き、遠い眼をする。どうやら本当に参っているらしい。恋人でしかないクインの言うことを聞くほどに。
なんともいえない居心地の悪さを、振り払うようにして身を屈める。クインはウィスタの恋人でしかない。婚約をしているわけでもないので、ただの部外者である。つまり、彼を聖マンゴからマグダラ家に連れ去って、監視して、穏和しくさせる……なんてことも不可能だ。
婚約という手札を切り、バグノールドのご息女を見事救出したルキフェル・リアイスとは違うのである。その救出譚は一部の間で安堵と賞賛とともに語られている。クインは現代の『私の魔法騎士』について、父から聞いた。父はバグノールドのご息女が所属している、野伏局の長であった。
クインは唇を噛む。眠るウィスタの前髪を払った。その手が、その指先がかすかに震えている。たかが片眼だと言い聞かせようとする。なんで呼んでくれなかったとも思う。なにもかもが腹立たしかった。
こんなに腹立たしい男なんて、捨ててしまったほうが楽になるだろう。クインの寿命を縮めるばかりなのだ。たかが恋人のくせに。
――恵まれた育ちでもなく
――厄介事を抱えていて
――己を傷つけることに躊躇いがない
とても普通ではないし、常識では測れない。たぶん、同じリアイスから、誰かを選んでしまったほうが、ウィスタにとってはよいのかもしれない。少なくとも、ウィスタは「適当な誰か」を選ぼうと考えたことはあるだろう。クインを巻きこむわけにはいかないという理由で。
「……馬鹿だわ」
危なっかしくてならない。ヴォルデモートを倒すために片眼を抉り取った? まったくふざけている。どれほど痛かったろうか……。
「あなたがする必要なんてなかったのに」
蚊帳の外で、結果だけ知らされて、いっそのこと気を失いたいのにそれもできない。そんな大馬鹿者を捨てようにも捨てられない。一人になればなにをしでかすかわからないから。
ウィスタには、一生隠し通すしかない秘密がある。秘密は心を脆くするだろう。無理矢理、その秘密を吐かせたのはクインだ。ならば、責任があるのだろう。巻き込まれたのではない。巻き込まれに行ったのだ。
「ねえ、エリュテイア」
「なんでしょう」
「学生のうちに婚約っていいと思う?」
「……我が君ももうすぐ十六におなりですし、よろしいのでは?」
従者の答えはあっさりとしていた。クインは巻き起こるであろう諸々に思いを馳せた。クインは跡取り娘なのだけど――なんとかなるだろう。父母には血族から養子をとってもらえばいい。父はいますぐどうこうという年齢ではないし、どうとでもなる。
問題があるとすれば、眠りに沈んでいる恋人である。まだ若い、やっぱり別れようと言いかねない大馬鹿である。クインが来ているのにも気づかずに眠っているのだから。腹の立つこと。
「……覚悟しておきなさいよ」
起きたらまずは平手を食らわせてやる。どれだけ心配したと思っているのだ。少し――彼が十六歳になって、落ち着いたら婚約の話を持ちかけるのだ。たかが片眼、されど片眼。歩行その他にも支障をきたすだろう。そのあたりを解決してからだ。
眼帯もつくってやらないといけないかも。
それより、なにより……。
「無事でよかった」
囁いて、包帯に覆われた――彼の片眼があったあたりに、唇を落とした。
しばらくして、彼らは学生のうちに婚約し、卒業して数年で結婚する。
そして、三子に恵まれる。
とある時の一枝と同じように。
少しだけ違うのは、彼らは頻繁に北米に足を運び――白銀の髪に赤い眼の女の子を訪ねることだ。
そして赤い眼の女の子は、寄り添い、幸福そのものといった二人の姿に憧れを募らせることになる。
いつか、あんな風に――誰かに恋をし、愛せればいいのに、と。