もしもMyGoのそよが百合営業カフェでバイトを始めたら 作:りょーへい
44裏. 全てはその蕾を開花させるために
10月22日 日曜
今日は学校がないから、家からバスを使ってリーベに向かっている。
ちなみにひめちゃんと合流するために、乗るバスも合わせてる。
目当てのバスに乗ると、いつもの定位置に座っていたひめちゃんが私に挨拶してくれる。
「おはよ、果乃子!」
「うん、おはようひめちゃん」
私はひめちゃんが一瞬で笑顔に
それからは隣り合っていつものようにひめちゃんが色々話をしてくれる。
いつも通り元気そうなひめちゃんにほっとしつつ、それ以上に落胆している自分がいた。
(昨日みたいに甘える、というか頼ってくるようなことは、もうないのかも……)
もうそろそろリーベ近くのバス停に着くところで、ひめちゃんはポツリとこぼした。
「……果乃子。もしかしたら、昨日みたいにサロンで絡んじゃうかもしれないんだけど……いい?」
上目遣いで、でも媚びるわけじゃなくて私が迷惑に思ってないか伺うように聞いてきたひめちゃん。
私は諦めるつもりだった期待が現実になって、心が幸福感でいっぱいなる。
そんな悦びを隠そうともせずひめちゃんに笑いかける。
「うん! 私に変な気遣わないで。昨日も言ったけど、頼ってくれた方が嬉しいから!」
「……ありがと、果乃子」
安心したようにふにゃっと顔を緩めるひめちゃんは、反則級に可愛かった。
それを、リーベの人間関係的に良い状況下じゃないとはいえしばらく自分1人で独占できるんだと思うと舞い上がってしまいそう。
まるで私じゃないみたいなテンションだ。
(……うん! 今はひめちゃんが頼ってくれる限り精一杯応えよう! それがひめちゃんのためになって、ひめちゃんが元気になれば矢野さんとの問題も上手くいくかもしれないし!)
物凄く自分本意で都合良すぎる理屈を自分に言い聞かせる。
そしてリーベ付近のバス停に停まったので、ひめちゃんと一緒に席を立ち乗降口に向かう。
ひめちゃんの後ろでバス内の通路を歩いてるから、今はひめちゃんの顔を見れない。
(ひめちゃん……今はどんな顔してるんだろう……)
私がバスに乗ったとき、笑顔に変わる直前のひめちゃんを思い出す。
あのときのひめちゃんの顔は見覚えがあった。
ひめちゃんがリーベを辞めると言い出した夏のあの日。
行きのバスに乗っていたひめちゃんの、一切の色を失ったかのような無表情にそっくりだった。
さっきまで感じていた有頂天な幸せも霞んでしまうほど、ひめちゃんらしくない顔が私の頭から離れてくれなかった。
『何か違う』
日曜のリーベは営業時間が長い。
だから、私はいつも以上にひめちゃんと一緒の時間を楽しめている。
姉妹コンビとの絡みが減った隙に、好き勝手にひめちゃんと積極的に絡む。
『何か違う』
ひめちゃんは笑顔だ。
その笑顔を今日一番向けられてるのは私。
矢野さんも姉妹として義務的に絡んでるけど、それは正しい意味で外面を向けられてるだけだった。
今、特別な笑顔を独占してるのは私だけ。
ひめちゃんの特別は私だけ。
『何か違う』
きっと、私の見てないところで表情を殺すひめちゃんがいて。
ひめちゃんが唯一振り回されるぐらい大きな存在である矢野さんと仲がこじれて、絶対平気じゃないのに。
楽しそうにしか見えないような笑顔を向けてくるひめちゃんがいて。
『こんなの、全然ひめちゃんに向き合ってない。前の私と、何も変わってない』
そんなひめちゃんから貰ってるだけで、私は今も本当の意味での助けに、何にもなってない。
現実を少しでも意識すると自分の愚かさや罪悪感に苛まされる。
それでも自分からこの状況を脱しようなんて、胸が張り裂けそうなぐらい惜しいから。
その全てから逃れるように、夢のような多幸感で塗りつぶす。
まともに見ていられないくらい愛おしいひめちゃんとの時間にのめりこんでいく。
この手放したくない魔法が溶けて、泡沫の夢と消える前に。
人生で一番、今を生きるのに必死だった。
だから。
「果乃子。悪いけれど、こっちを手伝ってくれるかしら?」
私を呼ぶ純加さんの声が煩わしい。
目を背けてる方へ引き戻そうとしてるように感じて、癇に障るから。
「……お姉様。ひめちゃんを手伝ってますから、申し訳ありませんが他の人に頼んでください」
この対応がお店的にいいかどうか。
お客さんにどう思われてるか。
——純加さんが、どんな顔をしてるか。
全部無視して、私はひめちゃんの方だけを見るようにした。
(……別にいいよね? だって、最近は純加さんも夏八木さんとよく絡んだり一緒に給仕してたんだから。ひめちゃんたちもあんな感じなのに、今さら姉妹の形に拘らなくったって……)
ここ数日ひめちゃんを一番に注視する中、幾度となく目に入ってきた光景を言い訳にして。
私は自分を正当化しながらひめちゃんとの仕事を終業まで続けた。
(結局、恋愛なんてこんなもんだった。いっつもあたしはねじ伏せられる側で。それでも、今回は……。あの夜、果乃子ちゃんがあそこまで言ってくれたのになぁ……)
「橘様。よろしければ、また私にお手伝いさせてください! ……妹である雨宮さんの代わりにはなれないかもしれませんが……」
「……いいえ、嬉しいわ。最近あなたから話しかけてくれることも含めて、感謝してるの。ありがとう、是非お願いするわ。夏八木さん」
「はいっ♪」
この日の仕事が終わって、バックヤード。
着替え終わった私とひめちゃんが帰ろうと挨拶したとき。
「…………」
矢野さんだけ挨拶を返さなかった。
それが気に入らなかったのか、ひめちゃんが矢野さんに外面スマイルを向ける。
「お姉さま! 今日はほとんど姉妹できなくて寂しかったですね!」
矢野さんですら分かるだろう嫌味に、純加さんは顔を引きつらせている。
営業外でひめちゃんが矢野さんに敬語を使うときはいつも心を押し殺してるときだ。
私はひめちゃんがそこまで気に病んでることを察知して、背中に冷たいものが流れる。
そして矢野さんだけは、その嫌味を真正面から受け止めていた。
「……アンタにその気がなくなったのだから、当然でしょ」
「は?」
笑顔のまま固まったひめちゃん。
これは、取り返しのつかない事態になる気がする。
「よく言えたよね。避けてるのはそっちのくせに」
「避けてる、ね。そうね、気を遣い過ぎてそんな風に見えてしまったのは私が悪いのかしら。そもそもの原因はそっちにあるのに」
「……どういうこと? 原因って何?」
心当たりが本気でないらしいひめちゃんが真顔で問い質す。
対する矢野さんは怒ってるような、悲しんでるような、絶望してるような。
いまいち感情の読み切れない表情で訴えた。
「本当にどうでもよくなったの? 約束したじゃない! 私たちは、本音を言いあう姉妹であろうって! なのにどうして私に話してくれないの!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんで矢野がそんなに怒ってるの!? 怒りたいのはこっちなのに! しかもなんでそんな話になるの!? 意味分かんないんだよ!」
「そっちこそ本気で言ってるの!? いえ、もう何が本音で何が嘘か分からなくなりそうだわ……」
急に怒ったと思ったら、今度は辛そうに顔を押さえて、ひめちゃんから顔を逸らす矢野さん。
ひめちゃんとまともな会話になってない。ひめちゃんのなんでに、ひとつも答えてない。
まさか一昨日2人で話したときもこんな感じだったのだろうか。
贔屓目なしに、あまりにもひめちゃんが可哀そうだった。
同じことを考えてたのか、見かねた純加さんが矢野さんへ穏やかに指摘する。
「矢野ちゃん、ひめちゃんに話が通じてないみたいだし、もうちょっと落ち着いて——」
「通じてないはずありません! この人はとぼけてるだけです!」
「……いい加減にしろよ……」
あまりの言い草に、ついにひめちゃんがキレた。
ひめちゃんが本気の感情をぶつけるのは矢野さんくらいだけど、今回は明らかに向こうが悪かった。
「とぼけるも何もないだろ! 隠し事なんてしてないのに、なんでそんな決めつけてくるんだよ! そんなにいうなら、その隠し事とやらが何なのか言ってみろよ!」
「言ったところでどうせあなたは認めないんでしょう!? じゃなきゃとっくに私に話してるはずだから! 私はどんなことでも受け入れるつもりをしていたのに……どうして話してくれないの!?」
「だから、何の話なのか分からなきゃこっちも何も言えないって、なんで分かんないんだよ……!」
「——美月ちゃん」
話が平行線のままで終わりが見えそうにないところに、今度は夏八木さんが割って入った。
「今のは美月ちゃんが悪いよ。そんな感情的になっちゃったら通じる話も通じないよ。それに言ったでしょ? 早まったらダメって」
「そよさん……でも……!」
「今日はここで止めて、冷静になってからまた話した方がいいよ。じゃなきゃひめちゃんとの仲だって取返しのつかないことになっちゃうよ?」
「……分かったわ……」
「……ッ! もういいっ!!」
夏八木さんに叱られて、夏八木さんの話だけは素直に聞き入れる矢野さん。
そんな2人を見てひめちゃんは今日一番感情的な表情で、これ以上ないくらい悲痛な声で叫んだ。
そのまま踵を返して裏口から飛び出し、勢いよく扉を閉める。
まるで、一秒も目の前の光景を見てられなかったみたいに。
「ひめちゃん! 待って……!」
去り際に見た、今にも泣きそうなひめちゃんの様子に、私は冷や水を浴びたようにやっと我に返る。
私がいくらひめちゃんに頼られて、その隣を独占できても。
ひめちゃんの問題を何にも解決する助けになってないことに、ようやく心が思い知る。
それどころか、足を引っ張っていたかもしれないとさえ思い始めていた。
(やっぱり私一人じゃ……純加さんに、相談しなきゃ……)
自分だけじゃひめちゃんの助けにならないから、無意識に純加さんに助けを求めようと振り向く。
営業中に無碍にしたことはもちろん覚えてる。
この期に及んで都合よく純加さんを頼ろうとしてるのは重々分かってるけど、気にしてる場合じゃない。
純加さんが気にしてたら、そのときは何を言われても素直に謝ろう。
(そもそも、こんなやりとりを見て放っておく純加さんじゃないよね? なんだかんだ手伝ってはくれるはず……)
「すみかさ——」
「純加さん、この後時間ありますか? 流石に……」
「うん、あたしは大丈夫だよ。早速行こうかそよちゃん」
「はい!」
(…………)
私が呼びかけようとしたことにも気づかず、2人で話そうとするのを見て、心が急速に冷めていく。
頼ろうとした自分が滑稽みたいた。
私の方へ向いてない純加さんを、ギザギザな心のままに睨む。
(……そういえば純加さんって私を頼ろうとしたこと、ほとんどなかったですよね。その割に夏八木さんの誘いに息がピッタリ合ってるように反応するんですね。まるで最初からそっちを頼るつもりだったみたいに。いいんじゃないですか、頼りになる後輩がいてよかったですね。……それなら、私は私でひめちゃんの心配に専念してますから!)
リーベを飛び出したひめちゃんを急いで追うためにも、私は乱暴気味に裏口の扉を開いて店を後にした。