雉が死んだ。
鬼ヶ島上陸直後のことだった。
島の偵察のために空へと飛びあがった雉は、突如として破裂した。
「え」
べちゃべちゃと血肉が降り注ぐ。
飛び散った血が白い砂浜へと滲んだ。
「えっ。・・・・・・えっ?」
桃太郎は、目の前の現実に理解ができなかった。
雉が、死んだ?
雉が?雉が?
なんで?
――――バンッ。
思考が現実に追いついたときには、犬は既に死んでいた。
気づけば犬の姿はなく、遠くの方で真っ赤な毛むくじゃらが海へと落ちるところだった。
「狙撃ダッ、隠れるゾッ」
そういったのは、猿だった。
何もできずに立ち尽くす桃太郎の手を引いて、近くにあった大岩の傍へと隠れる。
「オイッ、しっかりシロッ」
「いったいなにが」
「石ダ」
「……いし?」
石。石。石。石が何なんだっていうんだ。
状況を全く理解できていない桃太郎に、猿はどこか物分かりの悪い相手に言い含めるようにいった。
「投石ダ。石を投げられたんダ」
「投石だって?はあ?ふざけてるのかっ?石を投げられたくらいで犬も雉も死ぬわけないだろっ」
犬と雉が戦っているのなんて見たことないが、そのくらいは桃太郎にも分かる。
石を投げたくらいであんな死に方するわけがないのだ。
そう言い募る桃太郎を心底侮蔑するような様子で、猿がいった。
「ジャア、貴様は」
そう言いながら、猿は居もしない狙撃手を伺うようにして、岩から頭を出し
――――バンッ。
何かが猿の頭に当たって、真っ赤に弾けた。
「は」
頭を失った身体はばたりと砂浜に倒れ込む。
「え、え?」
本当に石で?
桃太郎は猿の死体を見て茫然とし。
そして、現状の危うさに気づいた。
頭を出した直後に猿が撃たれたということは、つまりは桃太郎がここに隠れていることを襲撃者は知っているということだった。
バクバクと心臓が鳴る。
ここから出たら死ぬ。
桃太郎は不安と恐怖の雁字搦めでがくがくと足を震わさせた。
「ど、どうするんだよ、これ」
勝てるわけがなかった。
夜になったら逃げられる。
そう信じるしかなかった。
頭を膝に抱え込みながら、身を小さくしうずくまる。
身体が岩からはみ出ないよう少しでも危険から逃れようしたのだ。
どれだけの時間がたっただろう。
「・・・・・・」
潮の満ち引き、木々のざわめき。
静寂の中に鳴る自然の音だけが、桃太郎の心を慰める。
ああ、そもそも僕は鬼退治など端からやりたくなかったのだ。
それをあの爺さん婆さんがよくわからないことをほざくから。
さっさとこんな島なんて出て、家に帰ろう。
何か言われたら、殺して埋めればいい。
それで綺麗な奥さん探して、終わりだ。
後は適当に柴刈りでもしながら余生を過ごそう。
頭の中で恨み言を繰り返しながら、穏やかな未来を願いながら、桃太郎は暗闇の時をじっと待った。
そして。
足音が聞こえた。
「ひぃッ」
どすん、どすん。
人間とは到底思えない足音だった。
桃太郎は岩にじっと息を潜め、見つからないようぎゅっと身を小さくする。
どっかいけっ、どっかいけっ。
消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。
どんどんと近づいてくる足音は、桃太郎の眼前でとまった。
「何や小さく丸まりよって……桃太郎ちゅうんはお前さんのことかいな?」
石だ。自分は石だ。
そう言い聞かせながら、桃太郎は半ば耳に届く音を無視して丸くなり続けた。
「おいッ、お前にゆうとんやぞッ」
自分は石だ。石なのだ。
「なあッ、聞こえんのかッ、ああッ」
石だから何も聞こえないのだ。
野太い怒鳴り声に、桃太郎はじっと固まって動かない。
「おいッ、もお、めんどいのお」
「ッ」
突然、桃太郎は服の後ろを掴まれ、そのまま持ち上げられた。
そして、顔をのぞき込むようにしたそれと目が合った。
鬼だ。
鋼のように強靭な肉体は朱く、頭からは象牙のように角があった。
それが鋭い犬歯をむき出しにして、口を開いた。
「なんや起きとるやんけ」
「うっ」
「おん?」
「うあああああああああああっ」
人生で初めて味わう恐怖に駆られた桃太郎は、不安定な態勢のまま、腰に佩いた刀を一気に振り抜く。
乱雑な攻撃ではあった。しかし、それでも十分に人間相手ならば首を切り裂けるほどに鋭い一撃だった。
そうして振るわれた刀は鬼の首へと吸い込まれるように当たり、軽くその表面を撫でるだけにとどまった。
「え」
「なんやあ、危ないのお。刀もうとんのか」
「あ」
鬼はこともなさそうに桃太郎から刀を取り上げ、ぱきりとへし折って海へと捨てた。
「そんじゃまあ、連れてこいいわれとるから行くぞ、ええな?」
「え、は?」
茫然としたままの桃太郎は鬼に担がれ、島の中へと連れていかれた。
ああ、鬼がいる。いっぱいいる。
赤鬼に連れていかれた先にあったのは鬼の村だった。
ここに来るまでに我に返った桃太郎は、当然鬼の手から逃れようと必死に抵抗した。
しかし、顔の形が変わるまで執拗に殴られたことで、もうその気力を失っていた。
そうしてされるがままに連れてこられたのが、ここだった。
村の中に入っていくと鬼たちが群がり、桃太郎を指をさして口々に声を上げた。
それは罵声であり、暴言であり、嘲笑であった。
罵詈雑言の中、赤鬼を進んでいった先は、村を囲うように作られた広場であった。
こんなところで何をするのかと桃太郎が目を向けた先に、それはいた。
巨大な鬼だった。
ここまで桃太郎を連れてきた鬼も、只人の二回りも大きかったが、この鬼はそれ以上だった。
桃太郎はその鬼の前に放り出され、痛む体で茫然とそれを見上げた。
「おうおうおう、お前がわしら退治しようとかいうとる桃太郎ちゅうもんか」
大きな声だった。
ただ声を張り上げるだけで、地面が揺れていた。
「お前なんや、何やつまらなそうな奴やな」
くだらそうな顔で、鬼は嗤った。
桃太郎は口から嗚咽を溢しながら涙を流し、失禁していた。
「うお、ばっちいなあ。なんやせっかくやから戦こうてみよう思うとうたが、お前みたいなのにわしの斧使いとうないわ」
そういって、鬼は傍らに置いてあった大斧を手に取らず、石を拾った。
それはどこにでも落ちている普通の石だった。
あああ。
桃太郎の頭に浮かぶのは、つい一刻前のこと。
破裂した雉。肉団子になった犬。頭を無くした猿の死体。
ああああああああああ。
「い、嫌だっ。いやだっ、死にたくないっ」
「なんや自分からカチコミに来といて、ただで済むと思うとんのか」
「ああああああああああああああああああああああああああっ」
桃太郎は全身の力を振り絞り、脱兎のごとく逃げ出した。
速く速く速く速く。
身体を全力で前へと傾け、風を切り裂くように走った。
呆気に取られていた周りの鬼たちも捕まえようとしたときには、既に鬼の村を飛び出していた。
ああ、助かった。
桃太郎がそう思ったときだった。
「逃がすか、どあほう」
そんな声が後ろから聞こえた気がした。
バンッ。
桃太郎は絶命した。