終末街の迷宮   作:高橋五鹿

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第10話 ヒュドラ

「ふう……」

 

 疲れた……。

 実物大のカラス一匹にこのザマだ。実物大のカラスってなんだよって思うけど、俺の中では巨大化した猫の印象が強すぎてな。今のカラスがあれと同類なのかどうかは分からんけども。

 

 奴ら、北のほうへ飛んでいったな。やはりそっちに何かあるのか。調べるべきだろうか。逃げたほうがいいような気がする。

 その場合、何処まで逃げる?

 自宅はもうあきらめないと駄目なのだろうか?

 逃げても追いかけてくる可能性は?

 東の境界線や、南の海まで追い込まれたら?

 

 駄目だ。何も知らずに逃げるのは駄目だ。これから先ずっと怯えて暮らすことになる。なら今の怖さに抗うべきだ。せめて北がどうなっているのかこの目で……。

 

 待てよ?

 直接北のほうへ深入りする必要はなくないか? 階段を使ったら逃げられないと思って高所に登るのは避けていたけど、鳥くらいならギリギリ対処できる。それに巨大化生物がいたとしても狭いところには入れない。駅は広いから危険だが、そこらの雑居ビルなら入り口は狭い。

 

 よし、この辺で一番高い建物はどれだ。

 十階建てくらいの雑居ビルがまず目に入る。その奥の方には、更に高いマンションも。だがあれは分譲マンションだろうな。構造にもよるけど、侵入には手間取るかもしれない。

 

 だったら近場のビルで済ませるか。この街に南北に走る電車の路線はないが、距離でいえばここから北の川まで駅ひとつ分くらい。十階建てのビルから見えるものはたかが知れているかもしれない。何も見えないようなら仕方ない。少しずつ北に移動してみよう。

 

 道路を渡って雑居ビルに向かった。吹き抜け状の入り口に入るとまずエレベーターの確認。やはり動かない。次は奥の階段へ向かって上階を目指す。上の方まで安っぽい酒場が詰まってるビルだ。誰でも入れるよう、セキュリティなんて上等なものはない。

 

 何階まで登っただろうか。突然妙な音が聞こえた。

 

 遠くから聞こえる。工事現場のような――これは、破砕音か!?

 あり得ない音だ。隣街には地震で壊れた建物がたくさんあるが、今は揺れを感じない。何がどうやって壊れる音なんだ?

 

 方角はどっちだ。全然分からない。人間の耳が音の方向を察知する能力はあまり当てにならない。アパートの騒音トラブルとかで、クレームで指摘された部屋と全く違う場所が音源だった、なんてのはよくあることらしい。だから屋内で、外からの音がどの方角から聞こえてくるかを判別するのは難しい気がする。

 なんなら今登ってる階段のどっちが北なのかもちょっと分からなくなってきた。

 

 どうする?

 いったん外に戻って音が聞こえる方角を確認するか?

 

 ……いや、もう半分以上登ったはずだ。音の原因も含めて、最上階ないし屋上から確認したほうが早い。

 

 俺は足早に階段を登る。

 屋上は先日登ったマンション同様、鍵はかかっていなかった。

 

 どうなのこれ?

 以前のマンションは屋上で洗濯物干すようなおおらかな場所だったし、手すりもしっかりしててお子様が間違えて落ちるような環境ではなかった。

 でも飲み屋入り雑居ビルの屋上ドアがあいていたというのはどうなんだ。屋上の縁に靴が揃えて置いてあった、とかにならなきゃいいんだが。余計なお世話か。特にこの街では今更な話だ。

 例の世界大災害の日に、たまたま開けて使ってたのかもしれないしな。

 

 少し思考が脱線したな。いつものような気もするが。

 

 俺は屋上に足を踏み入れ、手すり越しに周囲の景色をぐるりと見ようと……。

 

 見ようとして固まった。

 先客がいる。

 先客はカラスでも猫でもない。

 屋上の手すりに寄りかかってこちらを見ている。

 先客は、金髪の女性だった。

 

 つまり、先客は人間だった。

 

「よう、同類」

 

 声をかけてきた人間……モニクさんに続いて二人目の遭遇者。

 

 それは絵に描いたような、金髪でグラマーなねーちゃんだった。

 背丈も年代も俺とそう変わらなそうな、吊り目の美人。

 ウェーブのかかった長い金髪がビル風に揺れている。

 

 絵に描いた、というのは比喩だけどあんまり比喩じゃない。

 金髪色白で日本人離れしたスタイルなのだが、どうも西洋系とは違う。

 ハーフとも違う。妙に違和感のある、強いていうなら造り物のような……。

 

 美人には違いない。不気味の谷って言葉があるけど、そういうのとも違う。

 造り物といっても願望と妄想を注ぎ込んだような、理想的造り物といった感じ。

 まるでゲームとかに出てくる出来のいい美形CGキャラみたいだ。

 

 人種不明というならモニクさんもそうだけど、あの人は不自然な感じはしなかったな。

 自然界の生き物としてすんなり受け入れてしまった気がする。

 

 この金髪ねーちゃんはモニクさんとは逆に服装は普通だ。

 破けたジーンズも含めて、その辺歩いてそうな感じ。

 

 目……。

 目も髪と同様に金色かと思ったが、よく見ると蛇とか猫みたいな縦長の瞳孔してないか?

 

 コンタクトかな?

 いや、すっとぼけるつもりはない。

 あれだ、この人もモニクさん同様、まともな人ではないんだろう。

 今モニクさんを悪く言ってしまったみたいになったが誤解です。

 良くも悪くもまともじゃない、的な?

 あんま変わらんな?

 

 だいたい封鎖地域の中にいる時点でどう考えてもまともでは……。

 俺?

 俺はいいの。まともとかまともじゃないとか、全ては俺の主観の話だから。

 

「なんか言えよ」

 

 心の中では滅茶苦茶しゃべったけどな!

 

「あ、あー。はじめまして……」

「お? おう」

 

 …………。

 どうしようこれ?

 

「お前、名前は?」

「……スネーク」

「は?」

 

 しまった……うっかりハンドルで名乗ってしまった。

 だってかれこれ半月は本名を呼ばれることがなかったからな。ネットのアカウント名でしか呼ばれない生活だった。むしろスネークのほうが馴染みのある名前になりつつある。

 これはヤバい。まともではない。これではただのおかしい人だ。

 

「ふむ……なるほどな」

 

 なんだよ。なんでこのねーちゃん納得してんの?

 あと人に名前を尋ねるなら、まず自分から名乗るがよい。

 

 そういえば俺のこと同類って呼んでなかったか? この街に住んでる以上は同類みたいなもんか。

 

「あの、同類とはどういう……」

「人間の形してるけど、ヒュドラ毒を吸っても平気なヒュドラ生物ってことだよ」

 

「えっ……? いや、でも俺盛大に気絶してたし、もしもっかい毒とか吸ったらヤバいと思うけど」

「ん?」

 

 金髪ねーちゃんは首を傾げた。何か俺の発言に失礼でもあっただろうか?

 

「なに言ってんだ? もう一回毒を吸う、とは?」

「え? ほら、封鎖地域の境界線ってまだその毒?があるっていうし。近付いたらまたぶっ倒れるかなって」

 

 金髪は俺の目をじっと覗き込むように見ると、少しだけ考えてから何かに気付いたように言った。

 

「お前なんか勘違いしてねーか? 封鎖地域の中に安全な場所なんかねーぞ。この街は普通の生物が触れれば数分と生きていられない猛毒――ヒュドラ毒に満たされた死の世界だ」

 

「は?」

 

 え?

 するとなにか。たった今俺が呼吸しているこの空気も、そのヒュドラ毒とかいうヤバいアレなの? まじでか? 俺、猛毒の空気の中で思いっきり飲み食いとかしてたの? うまいうまいとか言いながら?

 

 今月何度目かの常識崩壊が起きた。

 

 あと俺がアホだということも再確認できた。なんだよ封鎖地域の端以外は安全って。「俺の説によれば~」とかSNSでドヤ顔発表しなくてよかったわ。この歳で黒歴史を追加生産するところだった。

 

「スネークお前……マジで現状把握してないんだな。もしかして自分が普通の人間だと思ってる?」

 

 主観的にはその通りなんだが、客観的に見たら俺もこのねーちゃんと同類なんだろうか……。

 あとスネークって呼ぶのやめて。恥ずかしい。そう名乗ったのは俺なんだけども!

 

「ヒュドラ生物ってなんですか? そのヒュドラ毒ってのに抗体が出来た人間をそう呼ぶとか?」

 

 俺がそう聞くと金髪は眉間にシワを寄せた。苦々しげに俺を睨みつける。急にどうした。

 

「なんで聞いてないんだよ……あたしは生まれたときに聞かされたぞ……」

 

 生まれたときってだいぶ前なのでは。言葉の意味を考えてる間も金髪の話は続いた。

 

「いや、あたしも自分以外に喋れる人間型は初めて見たからな。お前はなんか、特殊な個体とかそういうアレか」

 

「喋れる?」

 

 金髪は目を閉じると苛立たしげに頭を掻く。

 俺はその様子を黙って見る。

 やがて目を開けこちらに鋭い視線を向けると、再び口を開いた。

 

「お前、ニュースは見てるか?」

「ああ、うん。今日は封鎖地域に生存者が居たってニュースが」

「そいつが外に出てすぐ死んじまったことも知ってるな?」

 

 黙って頷いた。

 何故その話題を出したのか。この時点でもう悪い予感しかないんだが。

 

「ヒュドラ生物が外の世界に出ていったら死ぬ」

 

 やっぱりかよ!

 え? 俺外の世界に行ったら死ぬの? なんとかならんの?

 

「えっと、それはいずれ治療法とかは……」

 

「お前は根本的に勘違いをしている。まずヒュドラというのは世界大災害の日に人類の半数を殺した化け物のことだ。この街の人間も、ついでに動物という動物も全て殺された」

 

 はい?

 

「中身の消えた服を見ただろ。ニュースを見てるのはネットか? テレビは映らないからな。死体消失の話も知っているか?」

 

「死体消失ならこの目で……見ました」

 

 この女の言っていることはおかしい。だが、現実でもおかしなことは起きている。全てを与太話と切り捨てることは俺には出来そうにない。

 

「なら話は早い。あの現象はヒュドラの《捕食》だ。封鎖地域内で死んだものは奴のエサになる」

 

 …………。

 

「ヒュドラは例えるなら、言いたかねえが神みたいな奴だ。でもエセ神だな。奴が創造した生物は、奴の毒の中でしか生きられない」

 

 神みたいな奴?

 神様みたいな人ならひとりだけ知っている。

 この金髪の言い分によれば、ここではヒュドラ生物しか生きられない。

 そのはずの、この封鎖地域内に居る人物だ。

 創造した生物……?

 おい、待て待て。

 

「ヒュドラ生物ってのは、ヒュドラがこの街の生物を殺して死体を喰って、それを材料にして生み出した生物のことだ」

 

 だから待てよ。

 俺、俺には――

 

「俺には、人間としての記憶が――」

「あるよ。あたしにもある。『人間だったときの記憶』がな」

 

 ピシリ、という音が心の何処かで聞こえた気がする。

 

 俺の記憶は世界大災害の日に途絶え、目が覚めたのは三日後だ。

 

 それからずっと自分の心を鼓舞し、騙し、誤魔化し続けてきた。

 

「あたしは目覚めてすぐに『創造主』の声を聞いた。やたらとはっきり聞こえていたが幻聴かなんかだと思っていた。鏡に映る、記憶の中の自分とは全く違う姿を見るまではな」

 

「鏡。鏡なら俺も……」

 

「お前は記憶の中の自分と同じ姿だとでも? その記憶が本物だという証拠は?」

 

 どうなんだ?

 鏡なら地震の直前に見たのを覚えている。

 だが俺が俺でないのならば、その記憶だって本当かどうかは分からない、ということになるのか?

 

 鏡を見た記憶が偽物だったとしても、過去の写真はどうか。その写真を見れば、今の俺が俺であるか、そうでないのかの証明になる。

 そうだ、身分証の写真……!

 ニュースに出ていた生存者は身分証を持っていたが、そこには本人とは明らかな別人の写真が写っていたという。

 俺の身分証は何処だ?

 持ってない。持ち歩いていない。そんなものはこの終末の街では役に立たない。

 アパートの何処かに置きっ放しのはずだ。

 

「お前、他のヒュドラ生物からやたら嫌われてるな? あいつらの殺気が鬱陶しくてしょうがない。人間としての自我が強く残りすぎているせいか? ……お前以外の人型はまるで人形だったからな。ウンともスンとも言わない」

 

 水滴が顔に付着するのを感じた。

 雨だ。

 ぱらりと雨が降ってくる。

 金髪は忌々しげに空を睨んだ。

 

「チッ、せっかく話し相手を見つけたと思ったのにシケた奴だ。ま、せいぜい同族に喰い殺されないよう気をつけるんだな。あばよ」

 

 そう言って金髪は姿を消した。

 瞬間移動とかではない。ビルの屋上から屋上へと跳び移って北の方へ去っていった。

 本当に普通の人間ではないんだな……。

 

 今月何度目かも分からない常識崩壊。

 でも今度ばかりは、常識だけでなく心まで砕け散ってしまいそうだ。

 

 雑居ビルの屋上で、雨が落ちてくる空を見つめている。

 俺はしばらくのあいだ、そこから動くことも出来なかった。

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