一夜が明けた。
昨日作った弁当を食いながら考える。日用品が要るな。家電ショップには電池対応の生活用品も多少は売っていると思う。後で探しに行ってみよう。
物資を持ち帰るためにリュックの中はなるべく軽くして、バックヤードからフロアへと出る。
中央通りは天窓から光を取り入れているためそこそこ明るいが、日陰になる各テナント内は非常灯の光に照らされているだけだ。昼間でも昨夜見た日没後の光景と大差ない。
これなら従業員用バックヤードのほうがよほど明るい。普通のご家庭でも見られるような飾り気のない窓が、そこかしこにあるからな。
二階にある家電ショップを物色する前に、一階の食品売り場に寄ることにする。時間がかかるようなら、途中で腹が減るかもしれない。
食品売り場に近付き、中に入る前にそれに気付いた。
中で何か動かなかったか?
おいおい、もうかよ……。
たった一日で、電車一駅区間の半分の距離を行動範囲に収めてしまったのか?
このペースだと、あと一週間もすれば封鎖地域内に俺の逃げ場はなくなってしまう。月末を待たずして、東の隣街も奴らに制圧されてしまうだろう。
来月まで俺が生きているかどうか、かなり怪しくなってきた。
「チッ」
仕方ねえな……。
我知らず舌打ちをすると、バールを抜いて食品売り場の中に踏み込む。
俺にもう迷いはなかった。
俺とて巨大化生物に無謀な戦いを挑むつもりはない。なら何故自分から危険な場所に踏み込むのか。
それは先日に自宅の前で見た雀の存在が気になったからだ。
雀は襲ってはこなかったが、アオダイショウは正確に留守中の俺の部屋を破壊した。いくら鼻が利くといっても、ちょっと出来過ぎだろう。
なんらかの情報共有をしたと見るべきだ。
最初はそんな荒唐無稽なこと、考えもしなかった。
だが、敵は人智を超えた神のような存在らしい。
巨大化生物だけなら突然変異の怪獣みたいなものだと思えなくもないが、俺はそれを超えるであろう存在を既に二人も目にしている。片方は金髪のねーちゃん。もう片方は……。
常識は通用しない。
さっき売り場の外から見えた影は小型だった。
なら俺にも勝ち目はあるかもしれない。
発見されたら始末する。なんなら発見される前でも始末する。
これがたった今決めた俺の方針だ。
カリカリとなにかを引っ掻く音が聞こえる。
生鮮食品売り場の方だな。腐敗臭が漂ってくる。
棚の陰から音のするほうを覗いた。
ネズミ……だよな?
ネズミが生鮮食品を乗せる棚の足元をカリカリ引っ掻いてる。
ネズミも例によって街中じゃ見ることはなかった。食品卸売市場とか、古い食堂が並んだ商店街とかではそれなりに出るらしいし、チラッとなら見たことはある。その程度だ。
遠目にもネズミだとすぐに分かったのは――
デカいなおい!
そう、巨大化生物を引いてしまった。接敵ガチャに敗北した気分だ。リセマラを所望したい。
ただし、ネズミが巨大化したところで猫ほどの大きさもない。ただデカくなったネズミというなら、勝てないこともないのではないか。
ネズミの戦闘能力とかよく知らんけども。電気とか出さないよね?
それにしても何してんだアレ?
腐った食品を漁りたいのか。だったら棚に登ればよさそうなもんだが。
昨日も考えたけどヒュドラ生物は普通のもん食うの?
ボスは踊り食い専門のグルメなのに?
ふと、奴らは生前の記憶に従って、クセでそういう行動をしているだけなのではないかという考えが浮かんだ。
そこまで本気で食事を求めていないから、棚の上にも登らないのでは、みたいな。
あれ?
でもそうすっと俺が普通の食事をしているのも、もしかしたら……。
いやこの考えは止め止め。怖いわ。
あ。こっち気付いた。やるしかないか。
俺は落ち着いていた。まあだからこそくだらんことを延々と考えてたんだが。
ネズミはこちらに向かって駆けてくる。俺がヒュドラ生物に嫌われているというのは本当のことらしい。
だが。
だが遅い。
そう、このネズミの動きは遅かった。
元の大きさと比べて、絶対的な速度は上がっていると思う。通常サイズと競争すれば、デカいほうが勝つだろう。大きい分当然ともいえる。しかし動きは精彩を欠くというか、デカい身体を持て余しているように見える。
この巨大ネズミは小さめの猫くらいの大きさだが、猫には及ばない動きだ。
だけど仮に普通の猫と同じ動きが出来たところで、その程度では結果は変わらない。
俺は足元に迫ったネズミを、思いっきり蹴り上げた。
わざわざ向こうから突っ込んできたのだ。サッカーボールを蹴るよりも容易い。俺はサッカーボールを蹴った経験がほとんどないけれども……。斜めに飛んでくるパスとか受け取るの、難しくね?
ヒュドラ生物もピンキリというか、こいつは失敗作だろう。
こいつは棚に登らなかったんじゃない。登れなかったんだ。
ネズミはサッカーボールの如く弧を描いて飛び、床に叩きつけられた。
ここで「やったか?」とか言って手を止めるのは駄目。
もう俺は先日のカラスで学習した。バールで殴られてアスファルトに叩きつけられた鳥がすぐ起きて飛べるわけがない。こいつらはオリジナルより頑丈だ。それもピンキリなのかもしれないが簡単に見分けはつく。
あいつはまだ『消失』していない。
俺はバールを構えて飛んでいったネズミをダッシュで追った。
案の定、床に転がったネズミは手足をバタつかせて起き上がろうともがいている。
逃がさん……!
慌てては駄目だ。止まっている標的とはいえ、走り込みながらバールを振り下ろしたら隣の地面を叩いてしまう可能性がある。練習もしていない動作など急にはできない。
俺は倒れたネズミの直前で急停止すると、狙いを定め、力を込めてバールを振り下ろす。
先端部がネズミの腹に命中し、妙な悲鳴と血を吐き出す。まだだ。
更に踏み込むと、バールを持ち替えてテコと逆側の先端部を下に向ける。
それをネズミへと突き立てた。
最悪の感触だ。しかし怯んでなどいられない。
腹部を貫かれたネズミは、力尽き動かなくなった。
周囲に飛び散った血、俺への返り血も急速に色を失っていく。
死体消失現象が始まった。
だが、予想外のことが起きた。
ネズミの死体は発光しほどけるように粒子と化していったが、その光の粒子が突然俺に襲いかかってきたのだ!
「んなっ!?」
どういうことだ? この状態ではまだ完全に死んではいないのか?
反応が少し遅れる。跳び退こうとしたが間に合わない。
俺は光の粒子にまとわり付かれ――
だが、粒子はそこで消えてしまった。
助かった、のか?
体に痛みはない。特に異常も感じられない。
ネズミは最後に反撃しようとしたが、あの状態では結局なにも出来なかった。
ということでいいのだろうか?
俺は一度食品売り場から離れ、考え事をしていた。
ネズミは一匹だけだろうか。他にもいるとして、場所は食品売り場内だろうか。
巨大化とは相性の悪い相手で助かった。
もし小さいままだったら負けることはなくとも、むしろ倒せなかったまである。
的が小さいと攻撃を当てるのも一苦労だからな。
また、巨大化したら鈍くなるとは限らない。油断はできない。
アオダイショウのサイズまでいくと鈍くなってるのかどうか、もはや見当も付かない。金髪のねーちゃんは人間の動きとは思えなかった。大きさではなく身体能力そのものを強化した個体が混ざっている可能性もある。
普通サイズの猫でも、虎の如き戦闘能力を有していたら俺に勝ち目はない。
事前に分かるわけもなし。これはもう完全に運だ。
接敵ガチャ。次もいいカードが引けるように祈っておこう。
考えをまとめた俺は、侵入者を駆除するべく再び食品売り場へと向かって行った。
*
食品売り場を調べていると、すぐにもう一匹のネズミを発見してしまった。
単独で来ていただけなんて、都合のいいことはやっぱりないか。こんなにも早く次に遭遇するとはな。
何十匹もいたら流石に逃げる。リュックの中を軽くするため、非常食を宿直室に置いてきてしまったのは失敗だったか。
十匹以内だったら頑張って駆除しよう……。
さて、二匹目は先制攻撃をしてみたい。近付いても見つからないように……。
無理でした。
向かってきたネズミを蹴って、殴って、刺して倒す。
止めを刺したことを確認したらバックステップ。
光の粒子がふわっと襲いかかってきて、一瞬で追い付かれた。でも消えた。
なんなのこれ。呪いかなんかか?
勝ったのは俺のはずなんだが、なんか不安になる。
売り場を一周する間にもう一匹見つけたので駆除。以下同文。
これで全部か?
むっ……。
今なんか動いたな。あれは……。
惣菜コーナーの窓ガラス。その奥は調理場だ。ガラス越しでよく分からないが、そこに何かいたような気がする。
バックヤードか……。
なんとなく俺の直感が、そこに入ることをためらった。アオダイショウから逃げるとき、狭い屋内は俺に有利に働いた。今回はどうだろうか。食品売り場は俺にとってそこそこ戦いやすい広さだ。落ちてる衣類や買い物カゴ、カート類は邪魔だけれども。
深呼吸をしてからゆっくりバックヤードの入り口を開ける。中は売り場よりも雑然としていた。ここには既に入ったことがある。
食料の在庫が置いてあるからな。ただ、店頭在庫だけでも俺一人ではとても消化できない。だからこっちは放置していた。
狭い通路を奥へと進んでいく。
ネズミは突如上から襲いかかってきた。
しまっ……。
奴ら、高いところには登れないんじゃなかったのか!?
いや、雑然と積まれた荷物、棚の横のダンボール群。ここは。
ここは奴らにとって、上に登りやすい環境だったんだ。
咄嗟にバールを持ち上げて防御する。上手く当たってネズミを弾いた。
これはバント? バントっぽいな? 別にどうでもいいけども!
落ちたネズミに追撃すべく、バールを長く持ち替えて振ろうと――
甲高い金属音とともに、バールの動きが止められた。スチール棚の柱に先端がぶつかり手にしびれが走る。「狭い場所では長ものは不利ッス」と、誰かに言われたような気がする。ネズミはすぐに起き上がった。
バールから手を離すと、落下するそれにぶつからないよう前方に踏み込んだ。そして起き上がったネズミを蹴飛ばす。吹っ飛んだネズミは奥の荷物に激突するが、多分たいしたダメージではない。
右腰のアックスホルダーから力任せに手斧を引き抜いた。前方に走りながら刃に取り付けられたカバーを引き剥がす。
体勢を立て直してこちらを向くネズミに対して、腰を折るように、地面に叩きつけるように手斧の一撃を振り下ろした。
肩口からざっくりと、胴体の半分まで切り裂かれたネズミはそのまま絶命する。
光の粒子はもろに浴びてしまった。
手斧をじっと見た。べっとりと付着したはずの血液はきれいさっぱり消え失せている。
……ダメだこの武器。
地面すれすれを攻撃するのに使う武器じゃない。腰を痛めるかと思ったわ。これならバールを慎重に振り回したほうがマシ。どう転んでもこの場所ではネズミに有利みたいだ。
手斧を腰に戻してバールを回収し、探索を再開する。今度は上に注意を払うのも忘れない。
居た。棚の上を走ってくる。
バールを振りかぶって上斜めの方向に振るう。ネズミに直撃した。
地面に落ちたネズミは今のカウンターで既に虫の息。
バールの先端を振り下ろすと胴体をあっさり貫通し、更に床に穴を穿った。
はい?
なんかこの個体、妙に柔くないか?
あとここの床も脆くない?
違和感を感じつつ周りを見渡す。視界に新手はいない。
バックヤードを出ることにした。
扉を開けてフロアに出た瞬間それに気付く。
一匹、二匹……三匹いるな。
よくすぐに気付いたものだ。普段の俺なら一匹目に気付いた後それに集中して、背後から他の二匹に襲われていたに違いない。なんか勘が冴えてた。
三匹が一斉に飛び出す。だが連携はいまいち。距離が違うんだから、一斉に飛び出しても俺のところに来るのはバラバラだ。
三匹を同時に俯瞰する。一匹目のネズミを視界の端に捉え、片手で無造作にバールを振り下ろす。直撃。骨を砕いた感触が伝わってくる。致命傷であることを即座に理解した。
二匹目と三匹目の距離が近い。二匹目を攻撃したら、その隙を三匹目に突かれるタイミングだ。どう戦うか。蹴るのは駄目だ。蹴った直後、軸足一本で立っている体勢だと俺に出来ることは限られる。
振り下ろしたバールの先端を走らせる。地面で弧を描くように、持ち手を変えて振り抜いた。二匹目の頭を砕いて吹き飛ばす。
振り払われたバールの隙を突くように三匹目が突進してきた。俺は片足を上げると、三匹目の頭を踏み抜いた。頭蓋骨を一撃で砕き、そいつの命を散らす。靴の下のそれはもはや原形を止めておらず、やがて色を失い消えていく。
周囲には三匹分の光の粒子が舞い、それらは全て俺の身体へと吸い込まれていった。
俺は理解した。
最初のうちは何が起こっていたのか分からなかった。だが光の粒子を浴びる度に、少しずつその内容が感覚で分かってきた。
俺はヒュドラ生物の命を奪い、自分のものにしていることに。
十匹も倒さないうちに、ネズミの駆除効率が格段に上がってしまった。コツを掴んだどころの騒ぎではない。身体能力が明らかに向上している。
何故俺にこんなことが出来るんだ? 何故俺はこんなに戦える?
やっぱり俺は、化け物になってしまったのか……?
ヒュドラの捕食という、おぞましい言葉が脳裏をよぎる。
違う。俺はネズミを食う趣味とかはない。しかし死体消失はヒュドラの捕食行為って話だよな……。
殺して喰うことはしても、食料には手を出さないヒュドラ……。
もしかして、それが目的か? 他者の命を奪うことで強くなれる能力を持っているのだとしたら。
世界大災害で途轍もない量の命を奪ったヒュドラは、いったいどれだけ強化された?
想像も付かない。ネズミ十匹程度を倒した俺でも、今や一流のネズミスレイヤーだ。
でもあれだな。成長曲線的な? なにごとも最初は急激に上達するものだ。ネズミ百匹倒したら今の十倍強くなるかと言われたら、ならない気がする。俺の感覚がそう言っている。これも命を奪うことで得た、新たな能力なんだろうか?
腹が減った。
あんだけ動けばな。でも腹が減るってことは、やっぱネズミを食ったことにはなってないみたいだ。メシを食うのと命を喰うのは別の概念なんだろうな。
ドリンクのゴンドラからスポドリを取って飲む。ついでにサプリコーナーでプロテイン系のバーを取ってかじった。それからインスタント食品コーナーで袋麺を回収する。一度部屋に帰ろう。
急に行動が隙だらけになったが問題ない。
俺の感覚――索敵能力が、この場にはもう敵が居ないことを告げていた。
*
食堂に戻ってきた。
鍋に水を入れて、食堂前の屋上に出る。いい天気だ。
カセットコンロを点火して、鍋を火にかける。昨日はそんな余裕がなかったが、屋外で調理というのも結構楽しい。インスタントラーメンもキャンプで食うのは美味いらしいし。
そう、この袋ラーメン。
普段はたいへんお世話になっていたけど、半月くらい食ってない。大災害で最初に食ったのはカップ麺だったような気がするが、それ以降は保存の利かないものを優先的に食べるようにしていたからだ。
とても腹が減ったので二袋茹でた。スープはとんこつ。何故なら一番空腹に効きそうな気がしたから。
たまごとかチャーシューとか入れたいけど。その辺はもう難しいかな。代わりに瓶入りの胡麻を持ってきた。火から下ろした鍋の中にどさどさ入れる。
青空の下、鍋の中に直接割りバシを突っ込む。持ち上げた麺に息を吹きかけ冷ます。ずるずるとすすった。麺を噛むと口の中に小麦粉の香りと甘みが広がる。胡麻のぷちぷちとした食感が快感を増幅する。飲み込むときの喉越しも気持ちいい。夢中で食った。
即席麺は久々に食うと美味い。この世の真理だな。
パイプ椅子の背もたれに体重を預ける。食堂の椅子としては酷いチョイスだ。従業員用なのでこんなものか。屋上の上は殺風景だが、その先には街が広がっているのが見える。
空気が綺麗だ。排ガスとか一切出てないからなあ……。まあ見た目は綺麗でも猛毒なんだけどな、この空気。
鍋を片付けるとケトルで湯を沸かす。食後のコーヒーを淹れた。違いは分からなくても香りはいい。ヒュドラ毒に満たされた死の世界でも、その香りは公平だった。
あるいは今月に入って、今が最も穏やかな気分だ。
それは……俺の心が怪物に一歩、近付いたことの証左なのかもしれないが。