第41話 一場春夢
「先輩、もう交代の時間ですよ」
感情のこもってない声でそう告げられる。
女の声だった。
「ん? ああ……。もうそんな時間だったか」
ぼんやりと答えて声のした方向を見る。
コンビニ制服を着た、ショートヘアの無表情な女の子が俺を見ていた。
レジカウンターから外を見ると妙に明るい。
時刻は昼前とかそんな感じだろうか。
こんな時間に交代するようなシフト、俺入ってたっけ……?
気づけばカウンター内に三人も居る。
レジはふたつなんだから、こんなに人はいらないな。
「お疲れ様、オロチくん」
もうひとりの店員、年配の男にねぎらわれた。
この人はいつも丁寧だ。
名前は確か――
年上の男性が
俺より少し年下であろう、背の小さな女の子が
穏やかで笑みを絶やさない小木さんと、無表情な最上さんが対照的だ。
もっとも、コンビニの店員に愛想なんてさほど求められはしない。
個人の感想です。
どちらのほうがよりこの仕事に向いているのかは……なかなか難しい問題だな。
小木さんは元銀行員だ。
リストラされて仕方なくやっているバイトが、自分に向いていると言われても嬉しくはなかろう。
俺も就職が決まらなくて仕方なくバイトしているので、あまり他人事ではない。
こんな理由で親近感を抱いていると言ったら、流石の小木さんも表情が曇るに違いない。
最上さんは……なんだろうな? 学生? フリーター?
女の子に身の上話とか聞きづらいし何者なのか全然知らない。
「じゃあ、お先に」
「はい先輩。ここは私に任せてください」
なんだその挨拶。
無表情無愛想だが、もしかしたら面白い人なのかもしれんな最上さん。
……バイト、俺のほうが先輩だっけ?
違ったような気がするんだが。
着替えるためにバックヤードに入ろうとドアに手をかける。
シフト表が目に入った。
日付は『五月一日』。
昼番の名前は『小木』、『最上』。
そうか。ゴールデンウィークか。
普段の平日昼番は主婦の人たちがメイン層だ。
たまの休みには家族と過ごすのだろう。
だから昼番にはちょっと珍しい組み合わせの二人なんだな。
カウンターに振り返ると二人の姿は消え、代わりに中身の無い服が落ちている。
戻って制服を拾い上げると、名札には確かに二人の名が記されて――
これは夢だ。かつての悪夢。今となっては
そして目が覚めた。
上に見えるのは、そば屋の天井……ではない。
ここはショッピングモールの宿直室だ。今の俺のアジトとでもいうべき場所。
五月の頃には何回か繰り返し見た悪夢。
その悪夢もその後アオダイショウの夢に上書きされた。
今だにどちらの夢もたまに見るが、恐怖心は薄れている。
それよりもむしろ――
バイト先の人たちとは特に交流はなかった。
だが小木さんはいい人だったし、最上さんはちょっと面白いねーちゃんだった。
……仇を討つには充分すぎる理由だな。
*
食堂へ行くと適当な席に座る。
屋上への窓は開け放たれ、気持ちの良い風が吹いていた。
季節はすっかり夏だが、当然ながらセミの鳴き声ひとつ聞こえない。
セミ型のヒュドラ生物でも居れば話は別だが、どうも虫は創造主の好みじゃないのかあまり見かけない。
居たとしても、戦闘用ではないのかその辺をふらふら飛んでいるだけだ。
食堂メニューのアイスコーヒーを召喚して少し飲む。
そのままぼーっとしているとモニクが顔を出した。
「おはようアヤセ。エーコは
「あー、そりゃあ呼び出されるよな。勝手にこっちに来たら。大丈夫なのかねー」
「彼女は国内トップクラスの異能者だし親族である
秘密組織を牛耳る財閥のお嬢様みたいなポジションだな。
本人はせいぜい学級委員長みたいな素朴なキャラなんだが。
「こっちにもアマテラスの支部があったんだな」
「それもあるが、どうやら
なんだか楽しそうにモニクは語る。
外の世界の人間か……。
俺のことはそっとしておいてほしいのだが、隠し事をしたためにエーコの立場が悪くなることは望まない。
それにダンマスの力を過小評価して、異能者ひとりでも倒せるなどと思われたら、他の地域で要らぬ犠牲者が出るかもしれない。
それなら俺のことは適当に情報公開してもいいと、エーコにお任せにしてある。
どうせ俺は封鎖地域から出る気はないからな。
個人情報をバラされたところでどうということはない。
「アヤセ。エーコに地下迷宮の案内をするのはまだ先になるだろう。今日は羽を伸ばしてきたらどうだ?」
「そうか? そうかもな……」
昨日は引っ越しというか、俺が使ってる宿直室の近くの部屋をエーコが使うことになった。
必要なものはショッピングモールで揃うし、《収納》もあるから持ち運びも問題ない。
というより、必要なものは元からほとんど収納に入れてあったらしい。
でもアマテラスに呼び出されたということは、結局は封鎖地域外からの通いになるかもしれないな。
アマテラスにしてみても、ラスダン攻略自体を止める理由はあまりない。むしろ推進派も多いそうだ。
しかしエーコが四六時中封鎖地域に居ることには、あまりいい顔はしないそうで。
それは分かる。
俺が連中の立場だったら、ダンジョン攻略以外の時間は封鎖地域の外に帰ってきてもらわんと気が気じゃないだろう。
ヒュドラ毒の中で寝るとか健康に悪そうだしな。
それにいい加減エーコも休ませたほうがいい。
そうなると、ダンジョン探索もしばらくは俺ひとりかな。
案内がてら軽く潜るくらいはいいが、それ以外はのんびり過ごしてもらおう。
「じゃ、駅前にでも行ってくるわ」
「ああ、行ってらっしゃい」
モニクに挨拶してバックヤードを出るとスマホを確認した。
エーコからメッセが届いている。
『アヤセくんおはようッス。剣の街対策班から人が来てるんスけど、今日は帰れないかもしれないッス…早くダンジョンに行ってみたいのに』
ダンジョン中毒かよ。
頼もしいんだが、《剣の迷宮》のスカスカぶりを思い出すとちょっと怖い。
ヒュドラ生物根絶やし状態だったじゃねーか。
エーコさん働きすぎなのでは……。
ブラック組織に所属しているとブラック魔女になっていくのか。
無理にでも休ませよう。
『今日は街の清掃と復興作業するから俺も留守にします。ダンジョンには行かないので外でゆっくりしていてください』
これでよし、と。
せっかく遠くから来たのだから観光でもすればいいんじゃないかな。
ああ、でも東の境界線の向こうなのか。
あの辺はベッドタウンで観光するような場所なんかないよな……。
もし定期的に内外を往復するなら、断然東側にするべきだ。
これは俺から提案しておいたことなんだが、エーコなりアマテラスなりにもすんなり受け入れられたのかもしれない。
ここから西のエリアは《終わりの迷宮》の真上に当たり、ヒュドラ生物と遭遇する可能性も高い。
剣の街で見たような巨大化生物が現れないとも限らない。
エーコはそうそうやられたりはしないだろうが、通勤の度にいらん消耗は避けたほうがいいという考えだな。
境界線である東の川には道路や線路など複数の橋が架かかっているので封鎖地域への出入り自体は簡単だ。
警備中の警察や自衛隊には、アマテラスの人間が通ることは了承済みらしい。
とはいえ例のステルスローブを使うので、彼らにもまず発見されることはないだろう。
厳戒態勢中ならともかく、世界大災害から二ヶ月も経過した今は、バリケード前の詰所に多少の人員が居る程度だ。
駅前へとやってきた。
少し悩んだ後、北口へと移動する。
さて、街の清掃と復興作業に向かうとしよう。
しばらくそば屋のメニューばかりだったからな……なんか方向性の違うところに。
時間はあるから、普通の居酒屋とかもいいかもな。
北口の路地をうろうろして、いい感じの居酒屋を見つけた。
どこがどういい感じかというと、メニューに節操がなさそうな辺り。ここなら色々ありそう。
知らない名前なのもいい。チェーン店なのかもしれないが、小規模展開だとたまに面白い店があるからだ。
そんなわけで、地域の清掃と復興作業に入った。
もうまともな食材はほぼ残っていないので、ゴミとして消失させ情報化する。
魔力のロスが大きいが、魔力だけは無尽蔵にあるので気にしない。続いて店舗の記憶を読む。
体力は相変わらず消耗した。感覚としては、店舗全体をひとりで大掃除したんじゃないかというくらいの疲労がいっぺんに来る感じだ。
俺の体力も結構上がってはいるが楽ではない。
先日はバジリスクの力を使って大規模魔法を行使した。
しかしあんなことを自前でやろうとしたら、一瞬で体力が尽きて死んでしまう。
いや。その場合は無意識にストッパーがかかるので、『スペック不足で使えない魔法』ということになるのだろう。
普通に出来ることを魔法でやろうとすれば、余計に体力を消耗するという原則は変わらない。
しかし場合によっては、魔法ならではの結果をもたらすことも出来る。
例えばこの店舗。二ヶ月も放置された生ゴミを臭いまで全て消すとなると、労力だけでなくそれなりの時間も必要になる。だが相応な体力スペックが要求されるものの、魔法なら一瞬だ。
もし人並みの体力しか残ってなかったとしても、キッチンシンク程度なら一瞬で清掃することも可能かもなー。などと考えつつ、引き戸の入り口をガラガラと開ける。
暖簾は出ていたし、鍵もかかっていなかった。
世界大災害が起きたのは昼前なので、居酒屋は開いてないんじゃないかという懸念もあったが。このお店ではランチメニューも扱っていたらしい。
カウンターとテーブル席か。
一応入り口が見えたほうがいいだろうとテーブル席に座る。
ギシリと椅子に寄り掛かって壁を見上げる。一面に貼られたお品書きの数に圧倒された。
いいね。眺めてるだけでも楽しい。休日の昼だなあ。
で、召喚したのは生ビールと……冷奴だ。
魔力剣の試し切りで連日食ってたけど、自分で作ったやつじゃなくて店のが食べたくなったのだ。
そば屋と方向性が違うところに来たはずなのに、結局同じものを食うって……。
とりあえず生ビールをひと口。そして箸で切った柔らかな豆腐もひと口。
醤油の塩気と旨味、そしてネギとショウガの刺激。本体のシンプルで淡泊な味わいが妙に引き立つ。
自分で作ったやつより美味い。
おかしいな? 材料は同じはずなんだが。
見た目の良さも大事なんだなやっぱ。こう、テンション的な意味で。
そのとき、開けっ放しの出入り口の前に人影が立った。
実を言うと、それが近付いてきたのは見える前に気付いていた。
今までは鑑定索敵に引っ掛からなかったそいつを、俺は五十メートルの距離で補足することが出来ていた。
俺の能力は確実に成長している。命の《継承》という具体的手段を伴わなくとも、能力を使い込むごとに研ぎ澄まされていっている実感がある。
出入り口の前で一度止まったそいつに声をかけた。
「よお、ハイドラ。久しぶりだな」