玄関を出ると、ハイドラが追いかけてきた。
「待てよスネーク、なんでそんな急に」
「俺が夜までに戻らなかったら、モニクを連れて終わりの街へ帰れ」
ハイドラの感情に、瞬間的な怒りの色が浮かぶ。
「あ? テメーまさか自分だけで」
「ダンマスとは別件だ。俺ひとりなら逃げ切れる。だからひとりで行く」
「……何をしに行くのか言え」
「《九つ首》の生き残りを探してくる」
困惑の表情を浮かべるハイドラ。
それはそうだろう。
九つ首の残る三体、その名前と大まかな能力は先刻聞いたばかり。
今まで俺たちの話題には、そいつらの影も形も無かったのだ。
当然、今そいつらが何処に居るかなど分かるわけもない。
「ダンマスとの戦闘中に乱入されてはたまらない。奴らの動向を掴んでおくことは絶対に必要だ」
「だからってお前、相手は超越者……。いや、九つ首はもう超越者じゃないんだったな。なら、他のダンマスとかと同じ程度になってるってことか?」
「そうだ。その程度の相手なら、俺は逃げ慣れてるからな。だから心配無用だ」
まだ何か言いたげなハイドラを残し、俺は街の中心部へと向かって歩き出した。
ウィスプの記憶の中で見た風景。
眼下に百頭竜イルヤンカを収められる建物。
イルヤンカの居た場所にもよるが、その条件を満たせるビルはそこまで多くないはずだ。
木を隠すなら森の中とは良く言ったもので、こうも破壊された建物が多いと、初見では見逃してしまうのも仕方がない。
だが――
あのモニクが破壊した建物が、そこらの廃墟と同レベルのはずはない。そうと分かっていれば、それを発見するのは容易いことだ。
下から見上げると分かりづらいが、屋上から数階がごっそりと削り取られたビルが一棟だけある。
知らなければ、元からそういう形だったのかと思ってしまいそうだ。
エキドナと五体の百頭竜が命を落とした場所。
その場所自体に意味は無いのだが、もしかしたら。
無人のビルの階段を上がる。
思ったほど、消失した人間たちの衣類は見当たらない。
普通は階段を使ってビルを上ったりはしないからな。
そしてビルの終点、最上階に辿り着く。
ここが最上階になったのはつい最近のことだが。
削り取られた天井の代わりに真夏の空が広がっていた。
奥に見えるのは屋上が斜めに削られたビル。
モニクが《死の権能》を使った場所だ。
そして、その間には人影がひとつ。
どうやら先客が居たようだ。
「貴様は……なんという名だったか。
フィクション世界の魔術師のような派手なローブ。
口調の割に、その男の外見は若い。
「覚えてるさ。長生きしたいからこの街からはもうすぐ去る予定だよ、《嵐の超越者》。いや――」
こいつを刺激するのはまずいが、それでも確認はしておかないとな。
「――《ヒュドラ・オリジン》テュポーン」
「ふ、ははは。やはりたいした洞察力じゃないか。大人しいフリなどしおって……その心の奥底に潜む殺意の牙、隠し通せるとでも思うてか」
生き残った九つ首は三体、そのうち一体がヒュドラ・オリジン。
一説には台風、つまり
モニクが使った《死の権能》の反動――世界に残された歪みが収束した結末。
それはつまり。
「《毒の超越者》の消失と引き換えに、あんたが新たな超越者――《嵐の超越者》になったんだな」
「そうよ。その通りだ。ヒュドラなどという、紛い物の超越者ではない。儂ひとりで完全な超越者となったのだ。まさか、我が悲願がこのような形で成就しようとはな!」
お、おう……。
凄いテンションだ。よっぽど嬉しかったのか。
それとも九体でひとつの超越者という、ヒュドラのシステムに嫌気が差していたのか。
確かにこいつとエキドナが仲良くやってるところは全然思い浮かばんが。
「そうと分かっていて、貴様は何故儂の前に立つ。儂が小者ならば相手にせず、殺さない。そんな虫のいい考えなのではあるまいな!」
これはまずい展開だな。
相手は台風の神だ。あいにくチェーンソーは持ってない。
さて、どうやって逃げたものか。
「出来ればそうであってほしいけどな。ここにあんたが居たのは予想外というかハズレというか。俺はどちらかというと、あんたの眷属に用があったんだが」
本心だ。
三分の一の確率で、最も会ってはいけない相手を引いてしまった。
接敵ガチャ大失敗である。
だが予定通りダンマスに挑んでいる最中に、こいつに襲われでもしたら俺もハイドラもひとたまりもあるまい。
真相を確認する前に瓦礫の街から逃げると言っても、ハイドラは聞いてくれたかどうか。
だからこれは必要な確認作業だった。
出来れば眷属のほうから話を聞いておきたかったが。
「貴様の用件になど興味は無いな。忠告はした。そろそろ死――」
「死の権能」
「なに……?」
動きを止めたな。
アネモネやモニクから聞いていなければ想像もつかなかったが。
超越者は万能ではない。
超越者は一定の強さの基準を満たす者でしかない。
超越者は物事を全て見通すような頭脳を持っているわけではない。
人間よりは強くとも、常に対等の超越者たちを警戒し――
そして、
「おかしいとは思わなかったのか。《死の権能》とは確実に対象を殺す能力でしかない。超越者ヒュドラが消えたから、あんたが新たなる単独の超越者に。そんなうまい話があるとでも?」
「…………!」
「これ以上の情報はこの街では話せない。どこで《死の超越者》が聞いているかも分からないからな」
「……………………」
完全にかかったな。
相手を騙すには、真実を少しだけ混ぜてやればいいって誰かが言ってたぜ。
ネットの情報だから鵜呑みにするのはアレかもしれんが……。
俺が話したことはほとんどが真実だ。
死の権能はそういう能力だし、『元』死の超越者は健在だ。
しかし実のところこの話、テュポーンにデメリットは多分ない。
こいつは偶然に、棚ぼたで単独の超越者になった。
そんなうまい話はあったのだ。
このバカがそれに気付く前に、とっととこの街から逃げよう。
そして、後はアネモネに任せよう……。
「続きが聞きたけりゃ、《終わりの街》に来な」
俺はさりげなく振り返り、上ってきた階段に引き返そうとした。
「待て」
まだ何かございましたか!?
恐る恐る再び振り向くと……。
「《終わりの街》だと……そのようなくだらぬ策で儂を嵌めようなど……」
あ、あれ?
なんかスゲー怒ってない?
終わりの街がなんかマズかったのか。
あの街は《九つ首》の一体が居る場所だぞ。
こいつにはむしろ有利な場所のはずなんだが……。
考えてる場合じゃねえ、今にも攻撃してきそうだ!
どうする?
ウィスプを大量に喚んで衝撃吸収材にするか?
我ながらヒドい考えだが俺が死んだら多分あいつらも共倒れだ。
手段は選んでられねえ。
とにかく防御を――
テュポーンに向けて咄嗟に身構え、姿勢を低くし意識を集中する。
そんな俺の肩に、背後から
それは腕だった。
俺の背後に誰かが居る。
そいつは肘を俺の肩の上に乗せ、白いしなやかな前腕部をテュポーンに向けている。
そして、その手にはどこかで見たような拳銃が握られており――
「テメェが――」
爆発的な殺気が背後より発せられ、それは腕を伝わり拳銃へと収束し。
そして、引き金が引かれる。
「『ヒュドラ』かっ!!!」
その銃口の先に居たテュポーンの姿が瞬時に遠ざかる。
奥に見える、今ではこちらよりも少し背の高いビル。
かつてモニクの剣撃により抉れた屋上の斜面にそのまま突き刺さる。
轟音、爆音、破砕音と共にビルに亀裂が走る。
元々は同じくらいの高さのビルだった。
こちら側のビルはモニクによって頂上を削られ。
そしてあちら側のビルは。
今、ハイドラによってその頂上を粉々に粉砕されていた。
…………おいおい、ウッソだろ!?
なんで超越者が交番の拳銃でふっ飛ばされてんだ!?
あれ? もしかして交番の拳銃最強だった?
じゃなくて。
なんだ、ハイドラのこの力は。
実戦に強い、どころの騒ぎではない。
危険回避能力とは一体なんだったのか……。
こいつ――物凄く強いぞ!?
*
背後から俺を抱え込むハイドラは、俺の耳許にそっと囁く。
「知らなかった……」
「?」
「銃って凄く強いんだな」
「んなわけねーだろ!!!」
あんな威力の交番の拳銃があってたまるか!
あったらヒュドラハンター引退して後は警察に任せるわ!
「ただのボケだよ……」
「俺のもただのツッコミだよ……」
お前のはボケなのか本気なのか分かりづらいけどな!
「おら、いつまで寄り掛かってんだスネーク。シャキッとしろ」
今の攻撃のあまりの威力に、後ろに倒れかけていたのをハイドラに支えられていた。
背中を押されて助け起こされる。
なにこのイケメン女。
「ありがとう、助かった…………ハイドラ?」
振り返ったら、何故かハイドラが居なかった。
手品か?
……いや違った。
俺が振り返ったのと逆側の死角に転んだらしい。
ドサリという音がした。
慌ててそちらを向くと、ハイドラはうつ伏せに倒れていた。
大丈夫か? 今顔面から行ったよな?
転んで頭を打ったくらいで死ぬようなタマでもないだろうが。
「おい……どうした?」
慌ててしゃがみ込むとハイドラをひっくり返す。
背中にも正面にも外傷は無い。呼吸もある。
鑑定しても怪我などの異常はみられない。
気絶しただけか? 何故?
まさか、本気で攻撃した反動でこうなったのか?
強すぎる力は反動を呼ぶ。
……つったって、一発ぶっ放したら倒れるとかコスト悪すぎでは?
こいつ、絶対にソロでは戦闘させたらダメなやつだ。
護衛必須とかある意味、王様らしくはあるな……。
ハイドラが手に持っていた拳銃は床に落ちていた。
うわ……なんだこれ。
原形を留めているのはグリップまでで、弾倉から先は融解してしまっている。
この銃そのものは、先程の攻撃の威力とはほぼ関係ないはずだ。
以前エーコに、魔術師は杖を持つことで精神集中の助けにするという話を聞いたことがある。
ハイドラにとって、拳銃は魔術士の杖のような役割を果たしたのか。
しかし、これではもう使えまい。
情報収納に入れて、形だけでも修復しておくか?
でも、本当に銃があったからあの威力だったのだろうか。
怒り――
ハイドラは怒っていた。
そういう感情はあるのだと思っていた。
こいつの故郷を滅ぼした百頭竜イルヤンカに対しては。
だが、それだけではなかった。
超越者ヒュドラが滅んだ今となっても、ヒュドラへの怒りは消えていなかった。
テュポーンという敵性超越者が、ハイドラの眠れる素質を呼び起こしたのか。