「その顔、冥王の眷属……いや、今は貴様が冥王であったな。何故そのような姿になっておる」
「超越者ヒュドラとは痛み分けだったんだ。それでこうなってしまった」
ケクロプス……?
こいつが夢幻階層で戦った公国騎士たちの創造主か。
言われてみれば鎧の系統が似ている気がする。
「フン、奇妙なこともあるものだな。だがわし自身も奇妙なことになっておる。世の中、何が起きても不思議ではないということか」
「それで? キミはアヤセに話があるのだろう?」
ケクロプスは俺を睨むと、後ろのセレネとミノにも視線を動かしたようだ。
「オロチ、それにドゥームルーラー、犬の戦士たち。夢幻階層での戦いは見せてもらった」
「…………あんたの眷属の仇討ちなら、いつでも受けて立つが?」
「仇か……。それを言うなら貴様らにとって我々は地上の人間たちの仇であろう。互いに譲れぬものがあって戦う。今まではそれだけのことだったのだ。しかし――」
ケクロプスはそう言いかけると、目を伏せて黙ってしまった。
エキドナの不老不死がこいつの言う譲れないものなのかよ、と言いたくなったが。
話し合いはまだ始まったばかりだ。ここは我慢しておこう。
ヒュドラ生物は創造主が健在ならまた増えるのだ。リーダーのエキドナを守ることが種を守ることだという考え自体は、納得はせずとも理解は出来る。
短い沈黙だったが、緊張感のせいで妙に長く感じる。
老騎士は目を伏せたまま、再びぽつぽつと語り始めた。
「……ヒュドラ生物の本能が、オリジンに植え付けられたものだということは理解しておる。だが、わしはそれでも構わなかった。同胞のために戦って死ぬことに疑問などなかった」
話の内容が過去形だな。
こいつはさっき、自分自身に奇妙なことが起こったと言っていたが、それと関係があるのか?
「ある日、『自分の同胞を守る』という本能が別のものに置き換わった。理由は分からない。わしの勘では、エキドナ様の死とは直接の関係は無いと思う。カオス様やクロノス様の仕業でもない。何か別のものがわしの中に入り込み、生命の目的そのものを書き換えてしまったかのようだった」
なんの話なのだろうかこれは?
ケクロプスに何らかの変化が訪れた?
それとも、未知の外敵に精神的な攻撃でも受けたのだろうか。
言葉が途切れたタイミングでモニクが尋ねる。
「その新たな本能、目的とはどういうものなんだい?」
「『全てを滅ぼせ』、というものだ。その対象は、我が同胞たちにも及んでいる」
なんだそりゃ?
ヒュドラ生物は人類から見れば元から単なる侵略者だ。
異なる種を本能的に攻撃するように造られている。
確かに自分と同じ種まで攻撃対象になったというのは大きな変化なのかもしれないが、俺にとってはあんまり前と変わらないのだが。
「それはあなたという個体の精神が壊れてしまっただけなのでは? そしてその大層な目的の割に、今も冷静みたいじゃないですか」
どストレートに辛辣なことをセレネが言うので、俺の言うことが無くなってしまった。ひらきかけた口を所在なさげに閉じる。
「本能とわし自身の記憶、感情は別のものだ。だからこうして今は話をすることも出来る。だが次もそうだという保証はない。壊れてしまったというなら、それはわしだけではない。わしを含めた九つの魂が互いを認識することが出来るようになっており、目的を同じくする存在となっておる。そして、恐らくこの九つの……いずれかが元凶だ」
「九つだと? それは――」
ヒュドラ生物で九つといえば。
俺の言葉をモニクが引き継いだ。
「それはまるで新たなヒュドラだね。以前とはだいぶ異なるタイプのようだが。そしてキミはその新生《九つ首》のひとつに選ばれてしまったと」
「そうだ。新たな九つ首には既に死亡している者さえ居る。だがその記憶と人格――魂は、確かに今も存在すると感じられる。ならば、今わしが死んだところで新たなヒュドラは滅びぬのではないか。以前のヒュドラとは、似ているようで非なるものなのだ」
「エキドナの魔法は消失してしまったからね。全く同じヒュドラは生まれない。百頭竜が入れ替わるのではなく、九つ首が死亡しても記憶と人格が残っている限り保持される魔法、ということかな?」
モニクの推測通りだと、以前に劣らず不死身度の高い化け物ってことになるな。
そんな奴が本当にいるのか、いるとすればどうやって倒すのか。
ヒュドラ生物の中には、まだそんなエキドナ級の魔法使いが残っていたのか?
それも気にはなるが……。
「あんたはなんで、そんなことを俺たちに話すんだ。新生ヒュドラはあんたの意にそぐわないから、俺たちになんとかしてくれってことか?」
「わしは戦いを否定せぬ。わしと貴様らはどちらかが滅びねば決着はつかぬ。だが……これは戦いではない。新たなヒュドラはただ殺し、壊し、滅ぼすだけの存在だ。新生ヒュドラを完成させてはならぬ。わしが自らの命を絶って止められるなら、とうにそうしておるわ!」
「落ち着いてください。それ、結局先輩になんとかしてほしいってことですよね?」
買い被られたもんだ。
前のヒュドラを倒したのだってモニクだし、俺に超越者の相手は荷が重い。
しかしこの場所は対超越者結界の先であるからして、アネモネたち味方の超越者の力を借りることは出来ないのだ。
「完成させたらってことは、今は不完全なのか?」
「新生《九つ首》のひとつに、シュウダという名の者がいる。わしは会ったことはないがな。その者の魂だけは、世界の何処にあるのかが分からない。存在はしているはずなのだが、反応が微弱すぎるのだ。もし新生ヒュドラに付け入る隙があるとすれば、あるいはその魂を――」
「私たちにその魂を探させて、ヒュドラを完成させようという話にも聞こえますが?」
「わしにそのような意図は無い。だが、結果としてそうなる可能性はあるやもしれぬ。いずれにせよ、他に手掛かりは無い」
そのシュウダという奴の魂を見つけて、どうにかしてとどめを刺すなりなんなりすれば、新たなヒュドラは完成しない可能性がある。そう言いたいわけか。
「あんたに見つけられないような奴を探せとか言われてもなあ……」
「シュウダについてはこの奥の階段の先に居る者が詳しい。先に言っておくが、『迷宮の果て』に居る者たち――『ネメアの民』は基本的には貴様らの敵対者ではない。すぐに戦おうとはせず、慎重に対応することだ」
迷宮の果て……。
もしかしてこのすぐ先なのか?
「ネメアの民ってのは?」
「説明するよりも、見たほうが早い。わしから伝えるべきことは伝えた。次に貴様らと会うときは殺し合いになるだろう」
そう言ってケクロプスは振り返る。
「待ちたまえ、ケクロプス。会ってもいない九つ首の名が分かるなら、他の七体の名前も分かるんじゃないのか? ついでに教えてくれないかな」
「名前を知っておいたところで、意味は無いと思うがな……」
俺も正直なところ、ケクロプスと同意見だ。
以前の九つ首も、大半の奴の名前はもう忘れた。
だがケクロプスは律儀にその名を伝え、部屋の奥へと去った。
最後にこう言い残して。
「オロチよ。わしは貴様の戦いを最初の頃から見ていた。貴様は、戦意の無い者は敵であろうとも手にかけることは無かったな……。貴様ならドゥームフィーンドのみならず、ネメアの民の力を借りることも可能だろう」
…………?
その言い方からするとネメアの民というのは、ドゥームフィーンドと似たような立場のヒュドラ生物なのだろうか。
ケクロプスから伝えたられた名は次の九つ――
――《空間神》カオス。
――《時間神》クロノス。
――《竜王》ヴリトラ。
――《百頭竜》ネメア。
――《百頭竜》ケクロプス。
――《百頭竜》メドゥーサ。
――《
――《
――《
カオスとクロノスの名が普通に入っていた。二つ名が『神』とは大げさな。
ケクロプスは何者かに《九つ首》のひとつにされてしまったと言っていたが、新たなヒュドラの術式を編み出したのはあいつらとは別の奴なのか?
だとしたらカオスとクロノスも、今はヒュドラ生物としての本能を書き換えられてしまっているのだろうか。
そして、先程聞いたばかりのネメアという名もある。
……この中の誰が黒幕か。そんなことには、今はあまり興味を持てなかった。
俺の標的は、元よりカオスだけなのだから。
*
ケクロプスが去った後の部屋を奥に進むと上り階段を発見した。
特に敵の気配はない。先頭に立って階段を上る。
階段の上には大きな扉があった。俺の鑑定ではその先を見通すことが出来ない。
「先の様子が分からないな。どうなってんだ?」
「少し離れた場所に生物の気配があります。でもこちらには気付いていませんし、脅威というほどの相手でもないですね」
ケクロプスが言うには、そこに居る連中は俺たちにとって敵ではないって話だからな。
鵜呑みにはしないが、全てを疑っても話が進まない。
意を決して、扉を引いてみる。
……動かない。
押してみたら、軋みながらもゆっくり扉が開いていった。
扉を押し開けながら一歩を踏み出す。
そして、その違和感に気付いた。
「これは……?」
空気が変化した。
扉の先にあったのは、ヒュドラ毒の満ちる空間ではない。
そこは、封鎖地域の外と同じ『清浄な空気』で満たされていた。
その感想を述べる間もなく、次なる問題に思考を奪われる。
先程セレネが察知した生物の気配。
扉を開けた先にも続く神殿内部の正面、大柄な人影がこちらに顔を向けている。
開けるとき、結構音が響いたからな。そりゃ気付くか。
問題はその人影……頭部が人間のそれではない。
犬?
でかいコボルド……?
いや、あれは――ワーウルフ!
爪は長くはないようだ。
狼の獣人には違いないが、完全な別種なのかもしれない。
目が合ったまま、互いに停止してしまう。
相手は帯剣しているものの、それを抜く気配はない。
敵意も感じられないが、狼の表情とか分からないので何を考えているのかさっぱりだ。
「アヤセ。あの狼男、ヒュドラ生物ではないぞ……」
「え?」
どういうこと?
そういやこの扉の先は普通の空気だ。
ヒュドラ毒が無くても百頭竜やドゥームフィーンドは平気なわけだが、前方に居るワーウルフはそこまで強力な個体ではない。
ヒュドラ生物でないという点に関しては……。
鑑定した感じそんな気もするけど、じゃあ一体なんなんだあいつは。
ヒュドラ以外の眷属か?
あと扉はもう全開まで開けちゃったけど、ヒュドラ毒そっちに漏れてかない?
…………。
鑑定によれば扉の閉まっていたラインから先にヒュドラ毒は全く動いていない。
その場所が境界線なのだろうか?
相手を警戒させないよう、距離を縮めずに声をかけてみる。
「えっと、言葉分かるかな? あんたは?」
狼男はこちらの言葉が分からないのか、少し間を空けてから返答した。
「すまない。あなたの言葉が分からない。私の言葉は伝わるだろうか?」
うん? 念話か?
「あ、ああ。あんたの言葉は分かるよ」
「おお、そうか」
いや……何か妙だ。
その狼男は、冷静に聞くと俺の知らない言語で喋っている。
そこに何らかの魔法が込められている気配は無い。
俺の念話はいつの間にか次なる段階へと進化しており、念話を使えない相手とも意思疎通が可能になっていたようだ。
最初だけ、普通の日本語で喋ったために通じなかったのだろう。
かつてはバジリスクなどの上位者が、俺に対してこの念話の能力を使っていた。
今は俺が、言語の異なる相手に対して翻訳をしてやる立場になったのか。
遠くへ来たものだな……。
「して、あなた方は何者だ? 神殿の地下から出てくるなど、尋常な存在ではあるまい」