「新世界とその住民、ネメア人かー。ヒュドラはどうしてそんなもの創造して、四百年も放置してたんだろうね?」
「造ってる途中で飽きたんじゃねえの」
朝食を終えた食堂で、エーコの疑問とハイドラの考察が聞こえてくる。
ヒュドラの意図なんて真面目に考えるだけ損みたいなところはあるし、ハイドラの投げ遣りな返答も、あり得なくもないのが困る。
――『新世界ネメア』。
異空間迷宮というには余りにもデカいその場所を、俺たちは便宜上そう呼ぶことにした。
昨夜はあの後神殿でネメア帝国の地図を見せてもらい、翌日また来る約束をしてから帰ってきたのだ。
ネメア帝国は南北と東西にそれぞれ最長で六百キロ程度の陸地ということらしい。
こっちの世界じゃ島国の規模だが、向こうだとそれが世界の全てだ。
面積は良く分からん。そんなに計算しやすい形をしているわけじゃないからな。
北海道より少しデカいくらいか?
海もまだ見ていない。
コセンの話だと、海の先は『世界の果て』と呼ばれているらしい。
それが異空間迷宮の境界線ではないか、というのがモニクの見解だ。
「とりあえず、私とコボルドレギオンは拠点設営のために向こうの世界に常駐します。連絡役は少し残しておきますが」
「大丈夫なのか?」
「異空間迷宮に潜伏するのは慣れています」
周囲を敵勢力に囲まれた夢幻階層で二ヶ月間生き延びたセレネの言葉だ。
すげー説得力があるな……。
「そんなに離れた場所と往復していたら、最後の決戦に参加する機を逃すやもしれぬ。拙者もその新世界とやらに常駐させてもらおう」
「それは一理ある……私はどうしよう」
「あたしもどうすっかな。常駐すっかは向こう見てから考えるわ」
ブレードは向こうに常駐希望か。なら拠点の護りも任せられる。
エーコとハイドラは保留、と。
エーコはこっちの生活もあるからな。長期滞在するかは悩ましいところだろう。
準備のため、一度各々部屋へと戻ることになった。
俺も自室に入ろうとすると、モニクに声をかけられる。
「アネモネにはボクから報告しておこう。後で合流する」
アネモネは直接新世界に行くことは出来ないが、アドバイスは是非欲しい。
今後も情報共有は小まめにおこなうべきだな。
ところで。
なんか皆、ヒュドラと戦う気満々なんだな。
瓦礫の街じゃ結構追い詰められていたせいか、独りで戦い続けるような気分になっていたが。
素直に感謝しておこう。
そして俺は……ヒュドラと決着を付けるのはもちろんだが、それとは別に。
ここに居る皆が、納得できるような結末を目指そうと思う。
*
神殿階層を通り、再び新世界ネメアにやってきた。
メンバーは俺とエーコ、ブレード、セレネ、ハイドラの五人だ。
コボルドたちはいっぺんに連れてくると、戦争でもしに来たのかと誤解されかねない。現地で少しずつ転移召喚していく方向らしい。
「オロチ殿、待っていたぞ。昨日とは違う面子なのだな」
「ああ、よろしく頼むラウル」
神殿地下への扉の番人であるワーウルフは三名に増えていた。
ラウルは俺たちの案内として、他二名は増員されたのかな?
俺たちの出現は、この神殿のネメア人にとってもそれなりに大事みたいだからな。
昨日よりも広い部屋に通されると、ほどなくしてコセンが現れ、互いに自己紹介を済ませた。
「さて、本日はシュウダに関するお話でしたね……。まず、シュウダというのは今から二百年ほど昔に活躍した、ネメア帝国史における英雄の名前です」
「一応聞くけど、それってもう死んでる……よな?」
俺たちとネメア人の間では、前提知識や常識の共有が欠けている。
まずそこからの話し合いとなった。
ネメア人の寿命は普通の人間よりやや短いくらいで、俺たちと大差はないらしい。
新生《九つ首》には既に死んでいて魂のみの者もいる、とケクロプスは言っていた。
シュウダという名のネメア人の男も、そのひとりだったようだ。
ネメア人は通常のヒュドラ生物からかなりかけ離れた存在だが、それでも《九つ首》に選ばれるのか。
単純に考えて、シュウダという男は百頭竜に比肩し得る存在ということになる。
「では、創世神ヒュドラは『始まりの地』――あなた方の世界において滅んだ後に代替わりしており、新たな神の一部としてシュウダの魂が選ばれたということですか?」
「途中からは聞いた話だけど、そういうことになんのかな」
前のヒュドラが如何にして滅んだのかは端折って説明したが、コセンは特に思う所は無いようだ。
新世界ネメアにおける創世神話の神々というのは、過去に実在した主導者という扱いだ。
信仰の対象というより、歴史上の偉人みたいな感覚なんだろうか?
「初代皇帝ネメアが創世神の命令を受け、その後代々の皇帝がこの地を治めていましたが、必ずしも安定した時代ばかりではありませんでした。建国から二百年ほど経った混乱期に活躍したのが、我が先祖シュウダになります。私と同じ、人間種だったそうです」
「あんた、シュウダの子孫だったのか」
狐とか蛇とか、そういう獣人種かなんかの可能性も考えたが、人間種ってのは普通の人間と同じ外見の種族らしい。
コセンたち一族の名前は妖怪縛りかなんかなの?
「この国では、神や英雄の子孫を名乗るのはよくあることなのです。英雄シュウダの子孫を自称する者も珍しくはありません。しかし……私の一族にはシュウダに託された使命があります」
そう言うとコセンは立ち上がり、部屋の奥にある扉の前へと進む。
この神殿の扉は、基本的にデカくて頑丈そうだ。
そこに更に錠前が取り付けられている。
「こちらへどうぞ。あなた方にお見せしたいものがあります」
扉の奥は、展示室のような場所だった。
骨董品のようなものがいくつか飾られている。
「ここにある古い道具の数々はシュウダと同時代の名匠、トウテツが作成した《
トウテツ……?
その名前も《九つ首》のひとつだったな?
セレネの顔を見ると、肯定と思しき頷きを返された。
「歴史上では強大な魔法の力を秘めた道具とされていますが、私どもにはただの骨董品。そして、これは英雄シュウダが使っていたという剣です」
展示室の奥に、水晶のような透明の巨岩が鎮座している。
その中には、確かにやや短めの剣のようなものが入っているが。
――『いつの日か、始まりの民がこの剣を取りにやって来る。それまでに子々孫々この剣を護り続け、確実に渡せ』――
それがコセンの一族が、シュウダから命じられた言葉だという。
「コセンはそれを俺に確認したかったんだな? でも、俺とシュウダって対立勢力なわけだし、剣を渡したかった相手は別の奴なんじゃないかなあ」
この剣と、それを渡したかったという相手。
シュウダの魂を探すのに有力な情報になるかもしれない。
それはそれとして、俺はこのコセンという親切な男を騙したくはない。
だから正直に所感を述べた。
「まあそれを承知の上で、調べさせてくれるっていうなら――」
「本当にご存知ないのですか? この
…………なに?
アメノムラクモノツルギだと!?
その名を聞いて一瞬固まった俺を、コセンは見逃さなかった。
「やはり、何かご存知なのでは?」
「いや、その名前は……」
振り返ってエーコを見た。
「アメノムラクモだって、アヤセくん! 本物……?」
いやそんなわけないじゃん。本物があるのは名古屋です。
つーか、アメノ一族のご令嬢であるキミがそれを知らないのはどうなの……。
「天叢雲剣ってのは、俺たちの世界だとオロチっていう怪物の中から出てきた剣の名前なんだよ。俺の名前も多分その剣の名前も、本物から借りてるだけだから偶然の一致……」
だと、思うんだよなあ……。
それにしては出来過ぎだが。
「創世神話においてオロチという名は、ヒュドラの眷属を多数滅ぼした悪神の名です」
「げっ。じゃあ俺の名前って、ここじゃまずい名前だったりするの?」
「いえ。神代の話ですし、悪神も民衆に一定の人気がありますから、気にすることはありません」
なんだ、そうか……。
しかし引っ掛かるな。
大昔にヒュドラの眷属を多数滅ぼしたオロチというのは何者だ?
作り話かもしれないが、もしかして俺のご先祖様だったりするんだろうか。
「オロチ様……それで、本当はこの剣のことを?」
「いや、知らないけど?」
そりゃあ元ネタの名前くらいは知ってるけど、このパチモンのことなんか知らん。
「…………そうですか」
なんか妙に残念そうだな?
少し申し訳ない気分になってしまった……。
*
「神殿の地下から人が現れたという話を聞いたとき、コセン殿は先祖代々の使命を自分が果たせるかもしれないと、少しばかり過剰に期待されていたようなのだ。あまり気にしないでやって頂きたい」
「なるほどねえ……」
神殿を後にして外界を調査する俺たちには、ラウルが案内役として付いて来てくれた。
セレネの希望で、森林の中に作られた道を北に向かって進んでいる。
例の剣はエーコに鑑定してもらったが、周囲の透明な岩を砕かないと、はっきりしたことまでは分かりそうにないらしい。
展示室の鍵は頼めば開けてくれるらしいし、また今度調べてみよう。
新世界の地図によれば、神殿の位置は南東にある小さな半島の中央辺り。
北に向けて二時間も歩けば内陸部に出る。
この辺りはまだ森林に囲まれていて、街道は西にあるという街に伸びている。
「さて、それでは東に進みましょう」
ラウルがギョッとしたような反応を示す。
俺にも獣人種の感情が少し読めるようになってきた。
「セレネ殿? 東には川があるが、そこまでの道も橋もないぞ」
「私たちは人知れずこの世界の神と戦うのが目的なのですから、人々が多く通るような場所に拠点を構えるわけにはいきません。ところで、森林って少し伐採しても問題ありませんか?」
この世界の神と戦う。
あらためて言葉にすると非常にアレ。
ラウルも少し絶句していたが、気を取り直して質問に答えた。
「森林開拓は国がむしろ推奨しているくらいだが、それなりに凶暴な獣も出る。あなた方には問題ないのかもしれないが……」
「それくらいはあたしがなんとかする。でも、狩っても問題ないのか?」
「食えるのか?」
ハイドラが意外と良識的な質問をした。
ブレードはいつも通りだった。
ネメア人以外の生物もヒュドラの創造物なのかね?
ヒュドラは眷属以外にも迷宮とか色々創造できるし、動物や植物なんかの再生産も得意なのかもしれない。
食い物しか再生産できない俺の上位互換だ。
武器の修繕とかも多少は出来るが……。
「我々も狩っているし、食べてもいる」
「では、少々手荒にいっても問題なさそうですね」
ラウルの返事を聞いたセレネはおもむろに対物理障壁を展開すると、それらを水平にして地面の高さまで降下させた。
半透明多角形の薄い膜は地面の上で高速回転を始め、周囲の草を切り飛ばしながら唸り声を上げる。
これは……電動丸ノコギリだな……。
地面に沿って東へ進む丸ノコが、進行方向のあらゆる草木を削り始めた。
「木はそう都合良く外側に倒れてくれないので、適当にフォロー願います」
「あいよ」
答えたハイドラが、片手から魔力弾を射出して倒れかけた大木に命中させた。
こちら側に倒れかけていた大木は、切り開かれた道の外側へ方向を変えて倒れていく。
道の中央部に残った木々は、俺の収納へ放り込むことにした。
「では、行きましょう」
「まさか……このまま川まで道を作る気なのか!」
ラウルは唖然としているが、俺も少し呆れている。
新世界を開拓する気なんだろうか。
ほどなくして川に着いた。思ったより川幅がデカい。
聞いた通り、橋も何もない。というかこの世界の文明度合いからすると、ここに橋を架けるとか無理だろ……………………とか思った次の瞬間には橋が出来ていた。
「セレネさん……?」
「これはダンジョンマスターの魔法、《迷宮生成術》ですよ先輩。夢幻階層にあった橋は地上の橋のコピーですが、これも同じものです」
異世界の大森林に似つかわしくないコンクリの橋がそこにあった。
実に見覚えのあるデザインである。
具体的には西の隣町の境界線にある橋だろこれ。
アスファルトの道路には、ご丁寧に車線まで引いてある。
絶対この世界には必要ないと思うぞ……。
「ドゥームルーラーの技、ますます冴え渡っているようだな」
「すげえな! これが裏ボスの力か!」
「私の親戚の人たち、この魔法見たら卒倒しそう……」
ブレード、ハイドラ、エーコが口々に感想を漏らす。
「セ、セレネ殿。いったいどこまで……」
「始まりの神殿から見て、北東沿岸部の森は川に阻まれて、神殿と北側の街の間での往来は無いと聞きました。拠点にするならこの地域が妥当でしょう」
……俺、拠点って聞いて家一軒とかそういうのをイメージしてたんだけどな。
セレネの中でなんのスイッチが入ったのか、歴史シミュレーションゲームが始まりつつある。
ラウルの立場からすると、隣接地にいきなりわけわからん強国が旗揚げしたようなもんだな。
「それに先輩。この地形、似ていませんか?」
「え? 何に……ってああ、そういえば」
神殿にあった地図を鑑定した際に、魔力に刻まれたその形状を思い起こす。
西側に川。南に海。東は川ではなく海だが。
三方向を水に囲まれ、広さも恐らく同じくらい。
新世界ネメア南東端沿岸部の森林地帯は、《終わりの街》の地形に似ているのだ。
ちなみに帝国の首都は島の反対側、北西沿岸部に位置している。
うん。セレネさんはやっぱ森林全域を拠点にする気らしい。
帝国と戦争とか始めたり……しないよね?