たとえば、高校生入試に面接があったとしよう。
そこでまずすべき事といえば、名乗ることだ。
日本人には北海道か沖縄にでも産まれない限り馴染みのない話かもしれないが、人の名前にはそのルーツが記載されている。
人種の坩堝たる欧州では、人種、母語、出身地、屋号、信仰する宗教、祖父母の代の名前まで名前の一部になることがある。
では、日本人の名前には何か表れるか?
簡単に言うと、どんな親に名付け育てられたかが一目瞭然となる場合がある。
具体例を挙げよう。
「へぇ〜、アクたんの本名ってアクアマリンっていうんだ。
なんかキラキラしいね」
「おい、母さんがつけてくれた名前に文句があるなら聞こうじゃないか」
現役女子高生YouTuberであるMEMちょことメムが星野アクアの本名を知ったのは、アイドルにスカウトされた翌日の苺プロダクション事務所。
前日に渡された契約書類を隅から読んで、翌朝夢でなかったことにちょっと涙してからサインしたそれを、提携している事務所にチェックしてもらい――――案の定チェック漏れがあったが――――苺プロに持って来れば、既に学生が放課後街に繰り出す時間帯。
改めてルビーとかなに歓迎されつつ、ミヤコ社長の確認待ちで時間を持て余していた時のことだった。
休憩室で改めての自己紹介をする中で、やや渋ったアクアが名乗った本名。
星野アクアマリン。
いわゆるキラキラネーム。くちさがないネットの住民からはDQNネームと揶揄される類のそれである。
「言っとくけど、入試の面接で『すごい名前だね』って言った教師は未だに許してないからな?」
「いや、アクアの名前は驚いても仕方ないと思うわ」
と、半笑いでメムを擁護したのは有馬かな。
日頃アクアに転がされているチョロい女だが、その仕返しのつもりなのか、マウントと煽りのタイミングは見逃さない。
「いい事教えてあげる。アクアって偏差値70あるんだけど、ウチの高校って偏差値40がせいぜいなのよ。そんな学歴にならない高校の普通科に偏差値70が入ったら入学式でとうなると思う?」
「入学式……?」
何分10年も昔のことなのではっきりと覚えていないが、メムも日本に生まれ育った若者だ。行事で何をするかくらい覚えている。
開会の言葉、お祝いの言葉、校長先生の言葉、春の麗らかな日差しが学生たちの眠気を誘い、そして……
『新入生代表挨拶。
新入生代表 星野アクアマリンさん』
仮想の体育館にざわめきが広がった。
ボイストレーニングの成果だろう、無駄に透き通ったかなのアナウンスだった。
「アクアって芸名だと思ってたのに本名アクアマリンって何よ、芸名の方がまとも系芸人でも目指してるわけ?だとしたらアクアマリンの狙い通り過ぎておかしくなってくるわ。あははははははっ!」
「うわー、人の名前を笑うとか先輩サイテー。今度から重曹先輩って呼ぼ」
「昔はガキの言うことだと思って見逃してたが、そろそろわからせた方が有馬の為だな。だから干されるんだって」
「アクアと私が一週間くらい無視したら泣いて謝るかな?」
「あはは……。アクたんもルビーも勘弁してあげて?」
「安心しろ、殺しはしない」
それ以外の何をするつもりなのか。
双眸を黒く輝かせる双子を見ていると本当に殺りそうだから困る。
自分の質問がきっかけでまだデビュー前のアイドルグループが瓦解寸前は勘弁してほしい。
お姉さんとしては歳下の三人がギスるのは色々と思うところがあるのだ。
「そうだ!ルビーの本名は何て言うの?気になるなぁ〜」
「メムちょ……。メムちょはやっぱり良い人だね。アクアの本名聞いても笑ったりしないし、大人の余裕っていうか」
「うん、流れ弾当てるのやめようか」
「あっ、ごめんメムちょ!そうじゃなくって、身近に年上の頼れるお姉さんって感じの人がいるのはじめてでさ。やっぱ包容力?違うよね!」
「そんなことないよぉ」
実際、メムがアクアマリンの笑撃に耐えたのは大人のお姉さんだからとかそんな理由ではない。
メムの正直な感想は『やっべ、ガールズバー時代の源氏名と被った』である。
よって速やかにアクアマリンから話題をそらしたかった。
「ルビーはね、こう書くんだよ!」
星野瑠美衣。
ホワイトボードにでかでかと書かれた当て字にメムは目眩をおぼえた。
おお神よ、何故この子らに過酷な試練を与えたのですか。内心では天を仰ぎつつ、夜の街で培った処世術スキルは「へぇ〜、個性的な名前だね」とメムの口を動かした。
メムはそれ以上の言及を避けた。
だが有馬かなはそうではなかった。
「改めて見るとすごい当て字ね。ルビーのお母さん、一度会ってみたかったわ」
「はぁー?ママのつけてくれた名前は人生最高のプレゼントで世界で唯一の宝物なんですけど?」
ひと目でそうとわかる逆鱗を、有馬かなはなんの躊躇いもなく踏み抜いた。
さすがかな、メムにはできない事を平然とやってのけるッ
そこにシビれぬ!あこがれぬゥ!
柳眉を逆立て今にも白い薔薇の花束を取り出しそうなルビーと、泳ぎを止めたら呼吸ができなくなって死ぬマグロのように引くことを知らないかなの二人は、だんだんとヒートアップしてゆく。
(ひーっ!話をそらしたのにスグかなちゃんと衝突事故してるよぉ!アクたん止めて!)
短い付き合いながらも、アクアの精神年齢が高校生離れして高いことはメムもよく知っている。
振る舞いが大人びている、ではなく、中身が大人だ。メムが弟たちの姉であるようにアクアはルビーの兄であり、天衣無縫を人の形にしたようなルビーと一言多い口が災いの元なかなを日頃から上手くコントロールしているのは間違いない。
そんな頼れるお兄ちゃんは、しかしメムのアイコンタクトに首を振った。
(何してるの、アクたんの釣った女と妹でしょ?はやく何とかしてよぉ!)
(何か勘違いしてるようだが、俺は二人のお守りをするつもりは無いぞメム。これくらいのことで一々俺が割って入ったら新生B小町は長続きしない。そろそろルビーにも自立してもらわないとな)
(アクたん……)
(それに、ルビーの名前まで揶揄したのは許さん。
安心しろ、有馬を泣かすだけだから)
ダメだこいつ、ただのシスコンだ。
年長者としての責任を放棄するというなら仕方ない。ここはアクアに泥を被ってもらおう。
「ねぇねぇ、ルビーの名前はわかったけど、じゃあアクたんの名前も漢字で書くのかな?どんな字で書くんだろう」
「俺を売りやがったなメム!」
今のメムはアイドルになれるかどうかの瀬戸際にある。
長年の夢を叶えるためならば、たとえ新生B小町の立役者だろうと犠牲を出すにやぶさかではない。バスと数字に魂を売ったYouTuberに不可能はないのだ。
「そんなことどうだっていいじゃないか。そうだ!むしろ新生B小町のメンバーで有馬だけ本名なのはおかしくないか?ここは先代に倣って何か渾名を――――」
「アクアの綴り……。私、気になるわ!」
「有馬!?」
かなはピタリとレスバを止めた。
好きな男の名前の綴りを知らないというのは年頃の乙女にとってそれなりに懸案事項だったらしい。
計算通り。メムは内心でほくそ笑み、いかにもメンバー間の話題を転がすように舵を切った。
「ほらアクたん、かなちゃんもこう言ってるんだしさ。腹括って男らしく名乗りなよ」
「くっ、おのれメム……!だが有馬を味方に付けたところで、俺には同じ宿業を持って産まれた妹が」
「アクアマリンはこう書きまーす」
「ルビー、お前もか!」
アクアが振り返れば、そこにはホワイトボードを裏返し大きな文字で『愛々――――』とペンを走らせる妹の姿があった。
「私だけロリ先輩にいじられるのが納得いかないから、アクアも道連れだよ!これで2人いっしょだね、お兄ちゃん!」
「めんどくさいヤンデレみたいなこと言い出すなルビー!そんなことしたって誰も喜ばないんだぞ!」
「却下でーす。産まれた時が同じなんだから、死ぬ時も一緒でしょ!」
双子だからって三国志みたいな誓いを立てた覚えはない。
アクアは愚昧を止める方法を探して視線を巡らせ、テーブルの上で飲みかけのままのタピオカミルクティーに目をつけた。
「かくなる上は……、おおっと手が滑ったあ!」
「!させない、かなちゃん確保!」
「か、かくほー!」
「何ィ!」
タピオカミルクティーを投擲しようとするアクアの右腕をメムが、特に理由もなく左腕をかなが、それぞれ両腕で抱くようにして拘束した。
体格差があるとはいえ、長年役者としての稽古やダンスのレッスンを積んできた二人だ。身体ごと拘束にかかれば、アクアといえども身動きを封じられる。
「そこまでして俺の名前が知りたいのか!
ていうか、有馬、当たってるけどいいのかこれ!?」
「当たってるんじゃなくて当ててんのよ!文句あるの!?」
「あるに決まってんだろ新人アイドル!」
「……ねぇ、お兄ちゃん。なにドサクサに紛れて先輩やメムちょとイチャイチャしてるの?」
あっ、と思った時は遅かった。
ジト目でアクアを睨むルビーの背後には、でかでかとした文字で『愛々愛海』と書かれていた。
「あー。なるほどねぇ」
「……有馬、何か言いたい事があるならはっきり言っていいんだぞ?」
「あるにはあるんだけど、予想より斜め上からの衝撃で頭からすっぽ抜けたというか。
ほら、その……元気出しなさいよ、おっぱい揉む?」
「下手な慰めや同情は相手を傷つけるだけだぞ有馬」
いっそ揉みしだいてやろうか、と動かそうとした右腕は、しかしメムとかなのサイズ差を感触で伝えて来るばかり。代わりに握り潰したタピオカミルクティーが容器から溢れ出しビシャビシャと足元を濡らした。
「あっ、すまんメム。かからなかったか?
……メム?」
そこでようやく、アクアはメムの反応が無いことに気がついた。
口を半開きにして、愛々愛海の綴りに呆然と視線を固定している。
ルビー、かなと顔を見合わせるも、原因は判然としない。ただ愛々愛海を見ているばかり。
「どうしたのメムちょ。まさか読み込みに失敗してフリーズした?」
「そんな構文エラーみたいなことがあるか」
「どうせ驚きのあまり固まったんでしょ」
「――――あなた達、随分賑やかなようだけど何をしているの?」
そこへやってきたのは、苺プロの女社長。加齢を止めた美魔女こと斎藤ミヤコ。
さすがに騒ぎ過ぎたかと、かなは軽く頭を下げる。仕事とプライベートの区別をつけるためか、アクアとルビーも続いて頭を下げた。
「メムさんの契約書の署名について確認したいことがあるのだけど……。メムさん?大丈夫かしら?」
「――――ハッ!大丈夫ですなにも問題ありません!
ささっミヤコさん続きはあちらの部屋で話しましょう!ね!」
「まぁまぁメムちょ、別に隠さなくてもいいんじゃない?」
ミヤコを隣の部屋に押し戻そうとして、しかしガッと肩を掴まれる。
ルビーは目で語っていた。
自分だけ逃げられると思うなよ、と。
そして反対側の肩をかなに掴まれ、身動きを封じられる。
「そうね、私もメムの本名って気になるし。自分だけ隠したままなんて言わないわよね?」
「いや、そーゆーの良くないよかなちゃん!プロ意識、プロ意識持とう?ね?」
「そうね。流石に本名バレNGなら勝手に明かすのは……」
「ミヤコさん、あれを見てくれ」
そこでアクアが、ホワイトボードを指差した。
ミヤコが視線を向けると、そこにはでかでかとした文字で『愛々愛海』の文字が。
「メムがルビーに書かせたんだ」
「なら仕方ないわね。自業自得よ」
そんなぁ!というメムの悲鳴を無視して書類がアクアの手に渡る。
そして珍しいことに悪戯っ子の笑みを浮かべたアクアはその署名欄に目を通し――――
「……あー。そういう」
すんっ、と真顔になった。
「えっ何々気になる!アクアはやく見せて!」
「アクたん!アクたんはそんなコンプラ意識低いことしないよね?ね?」
「メム……。俺たちは産まれた時は十年違うが、死ぬ時は一緒だよな?」
「9年だよ裏切り者ぉ!」
「先に裏切ったのはどいつだ」
やや思案顔をしたものの、最終的にアクアはにっこりと、とてもイイ笑顔でその書類を開陳した。
「愛久愛海(あいく めぐみ)さん、ようこそ新生B小町へ。
これから現役女子高生(25)アイドルとして頑張ろうな!」
「アクたんの言葉から棘しか感じないんだけど!」
名前いじりして悪かったよぉ!という叫びが苺プロに木霊した。
メムちょの本名を考えてて、「メグミ」で何度も漢字変換してしっくりくるのを探してたんですよ。
すると愛海もメグミで変換できるんですね。
そうと思ったらもう書いてました。
ちなみにメムちょの本名が愛(めぐ)で弟二人の名前がゴローとリョースケだったらとか考えてみたんですけど需要ありますかね?