ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 猟犬の牙は研ぎ澄まされている。


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 028

 

 それから俺たちはヒフミと共にアビドスへ戻り、全員で書類の確認を行っていた。

 便利屋68とはあの場所で別れたが、アルの妙に輝いた目に見送られたのは気のせいではないだろう。

 純粋な子供の尊敬や憧れの眼差しは、無垢で高潔であるが故に、ああも俺のような人間を苦しめるものなのかと再び実感した。

 ハウンズや──きっとかつての俺でさえ、そうだったに違いない。

 ナガイ教授。

 貴方にとって、俺はどう映っていたのだろう。

 どんな子供に、見えていたのだろう。

 貴方が今でも尊敬する大人であることに違いはないが……俺は貴方を苦しめていたのかもしれないと思うと、忸怩(じくじ)たるものがある。

 せめてもの恩返しとして、俺は貴方から受け継いだ(教え)を未だ持ち続けてはいるが……俺が死ねば、それはいずれ消える。

 

「…………」

 

 ふと周りを見ると、書類整理をしている対策委員会の面々は、真剣な面持ちで書類の内容を読み解いていた。

 ……彼の教えが、もしもこの子供たちの役に立つのなら。

 俺がその火を持ち続けた意味が──この世界に来た意味が生まれるのだろうか。

 などと、そんな気休めにもならない気の重くなるような思考は、セリカの書類を叩き付ける音と共に霧散する。

 ……書類の中身は、やはり良い内容ではなかったようだ。

 

「なっ、何これ!? 一体どういうことなのっ!?」

「現金輸送車の集金記録にはアビドスで七百八十八万円集金したと記されてる。私たちの学校に来たあのトラックで間違いない」

 

 シロコは淡々と言うが、その目はどこか剣呑である。そのまま彼女は、手に持っていた別の書類を上に重ねて指し示した。

 

「……でも、その後すぐにカタカタヘルメット団に対して『任務補助金五百万円提供』って記録がある」

「ということは……それって……」

「私たちのお金を受け取った後に、ヘルメット団のアジトに直行して任務補助金を渡したってことだよね!?」

「…………」

 

 セリカの激昂が教室に響く。かなりの声量だったが、怒鳴りたくなる気持ちは理解できた。いや、むしろカイザーローンの所業に怒るのは真っ当とさえ言えよう。

 借金返済を襲撃相手の補助金に変換するなど、マッチポンプとしては行き過ぎである。

 セリカの怒りも当然だった──しかしそれと同時に、俺は納得もしていた。

 普通五百万ともなれば大金だ。アビドスは驚異的な実力で毎月返済しているが、並大抵の子供……否、大人であっても月に五百万稼ぐ人間などほとんどいないだろう。

 そんな金額を任務補助金として流しているともなれば、いくらチンピラと評されることの多いヘルメット団であっても、装備を新品や良品に揃えるのは不可能ではないはずだ。

 ……しかし、てっきり俺はヘルメット団は依頼主に切り捨てられて既に壊滅したものと思っていたが、どうやらそんなことはなかったらしい。

 となると、便利屋が行ったヘルメット団への攻撃はあくまで彼女たちの独断ということになるのか。

 ……彼女たちは一体何をやっているんだ、という思いの反面、アルがハードボイルドなアウトロー像を追い求めた結果なのだろうな、と予想もできた。

 仕事を失敗した前任者は始末するべき、などとそんなことを考えたのかもしれない。

 ヘルメット団が味方であったなら、いくら烏合の衆とは言え傭兵を雇うよりはいくらか楽に戦えただろうに──と言うのは、きっと野暮なのだろう。

 

「任務だなんて……カタカタヘルメット団に……? ヘルメット団の背後にいるのは、まさか本当に……カイザーローン?」

 

 アヤネの悲痛な声は呟くような声量だったにも関わらず、嫌に教室に響いた。

 彼女たちにとって受け止めきれない、受け止めたくないような事実ではあるが、しかし不可解な点も残る。

 カイザーローンの()()だ。

 

「ど、どういうことでしょう!? 理解できません! 学校が破産したら、貸し付けたお金も回収できないでしょうに……どうしてそのようなことを……?」

 

 ノノミの困惑と疑問はもっともで、十億もの借金を抱えたまま破産させてしまえばカイザーローンは赤字どころではないだろう。むしろ毎月八百万もの金額を返済する能力をもつアビドスを潰すことはデメリットしかないはずだ。

 

「ふーむ……」

「…………」

 

 ホシノは──そして俺は考える。

 カイザーローンの行動に説明がつくような動機とは果たしてなんだろうか。

 金の回収が目的ではないとして、そして仮に襲撃によってアビドスが潰れたとして、カイザーローンは何が得られるだろうか。

 順当にいけば、まずはこの校舎。次いで校舎内にある物品。

 あとはアビドスが保有している土地だろうか。普通に考えればそうなのだろうが、しかしアビドスは著しい砂漠化が起きている地域だ。

 そもそもこの借金ですら、砂漠化を食い止めようとしたからこそ過去の先人が行ったものである。億単位の金を使ってなお対策できない自然災害に、企業だからと言って太刀打ちできるのだろうか。

 例えできたとして採算が取れるのか?

 あるいはそれをするだけの価値がこの土地に眠っているのか──とも思ったが、過去のアビドスが借金返済のために土地の資源すら調べていないとは考えにくい。

 候補はいくつかあるものの、決定的な、断定できるようなものは思い浮かばなかった。

 

「この件、銀行単独の仕業じゃなさそうだね。カイザーコーポレーション本社の息がかかってるとしか思えない……」

「……はい。そう見るのが妥当ですね」

 

 シロコの意見にヒフミは同意するが、俺としてはそれでも理由や動機が弱い。

 カイザーローン──カイザーコーポレーション。

 仮に本社の息がかかっていたとして、十億を失っても割に合うようなリターンをカイザーグループは見込んでいるということになる。

 俺の考えは現状どれも推測の域を出ず、奴らの目的は分からないというのが正直な感想だった。

 経験則だが……こういった場合、俺やアビドスの知らない何かがあると仮定した方が良いだろう。

 今最も重要なことは、カイザーグループがアビドスを破滅に追い込もうとしているという事実だけだ。

 見方によっては分かりやすくなったとも言える。

 借金先も襲撃者も同じであれば、敵の狙いも自ずと見えてくるだろう。

 とはいえ。

 悪い友人が多く、そして本人たちも悪事を働いている企業だが、それらを隠蔽しキヴォトスでも有数の大企業になれるだけの狡猾さを持ち合わせており、連邦生徒会まで手を回しているかもしれないような相手となると真正面から挑むのは得策ではないだろう。

 生半可な攻撃では逆効果どころか、こちらが潰されかねない。

 カイザーグループが全ての元凶であるという事実でさえ、こちらが罪を犯してようやくのこと掴んだ証拠であり、それがなければ知ることさえできなかったのだから。

 奴らは隙を突かれないよう徹底している。

 弱みを見せず、優位を保ち、崩そうとする相手にリスクを負わせている。

 ……強敵だな。

 奴らは大物であるが故に自発的に動く必要がなく、俺たちがリスクを持って動くしかない──仮に奴らが動くとすれば、それは崩せない程の絶対的な有利を得ている時か、あるいは勝利を確信した時だけだろう。

 強者は叩き潰すだけの力と余裕があるからこそ強者なのだ。

 だが、俺は──俺たちは、それでも牙を研いで喰らいつくしかない。

 隙は突くものではなく作るもの、という考えは当然俺も持っているし、実際今まではそうやって状況を解決してきたのだから。

 弱者には弱者の戦略がある。

 さて、どうやって引き摺り出したものか。

 

 029

 

「みなさん、色々とありがとうございました」

「こちらこそ……変な事に巻き込んでごめんなさい、ヒフミさん」

「あ、あはは……いえ、私が自分で選んだことですので……」

 

 ひとまずある程度の情報を整理できたところで日が傾き始めたため、ヒフミを見送ることになった。思えば、ブラックマーケットの護衛から随分と付き合わせてしまったものだ。

 依頼料は取り消しになったので金銭のやり取りはないが……むしろこちらが迷惑料を支払わねば割に合わないだろう。

 そう思い、シャーレとしてヒフミに打診したが彼女は受け取りを拒否した。

 

「私も助けてもらいましたし……もしまた何かあれば、先生を頼りますから!」

 

 と、ヒフミは言う。

 こういった天真爛漫な笑顔を見ているとやはり普通に見えるのだが……それは見えるだけで、ペロロが関われば倫理というブレーキを消失させるということを俺は覚えておかなくてはならない。

 彼女の癖が、何らかの事故を引き起こさないことを祈るばかりである。

 

「……いずれトリニティに仕事で向かうこともあるだろう。その時は頼む」

「おじさんも今度遊びに行くからよろしくー」

 

 社交辞令じみていたが、俺とホシノはそんな風に答えた。

 ホシノが俺に合わせて挨拶をするのは意外だったが、これもアビドスのリーダーとしての行動なのかもしれない。

 トリニティ総合学園との繋がりを──いや、トリニティに限らず、他校の情報を得られる人間と繋がっておくのは悪い選択肢ではないはずだ。

 

「はいっ、もちろんです。まだ詳しいことは明らかになっていませんが……今回の件、カイザーコーポレーションが、犯罪者や反社会勢力と何かしら関連があるという事実上の証拠になり得ます」

 

 仕舞い込んだ書類のコピーを思い出しているのか、背負った鞄に視線を向けつつヒフミは言う。

 証拠。

 カイザーの不正の証拠──なのだが、それは同時に俺たちの罪の証でもある。

 あまり大っぴらに見せるものではないし、そもそもコピーなどさせるべきではないのだが、これに関してはホシノが許可した。

 何かあった時のための保険だと彼女は言うが……何か、とはしかし、何だ?

 

「戻ったら、この事実をティーパーティーに報告します! それと、アビドスさんの現在の状況についても……」

 

 そしてどうやらヒフミは、トリニティへ帰っても協力し続けてくれるようだ。恐らくアビドスの現状をより良くしようと行動するつもりなのだろう。

 ヒフミは希望を持たせるように明るく言うが、しかし。

 

「……まー、ティーパーティーはもう知ってると思うけどねー」

「は、はいっ!?」

「……だろうな。そもそも部外者の俺が調べられる情報を、三大学園と呼ばれるトリニティが知らないとは考えにくい」

 

 シャーレという特殊な立場を除いても、アビドスの現状は『調べようと思えば調べられる』範囲で十分に知ることができた。

 アビドスの現状を知らない人間が多いように感じるのは、知ろうとしていない人間の方が多いだけだろう。

 存外人間は、興味のないことを調べるためには根気を要する。面倒、という感情は最も人のやる気を削ぎ、苦痛を感じさせるのだ。

 ましてや別の学校の、在校生が五人しかいない自治区のことを調べるようなことは情報部でもない限りすまい。

 逆説的に、情報部であれば調べ尽くしているだろうとも言える──ましてや三大学園ともなれば、その情報収集能力は高いはずだ。

 

「先生の言う通り、それぐらいはもうとっくに把握してると思うんだよー。みんな、遊んでばかりじゃないだろうしさ」

「そ、そんな……知っているのに、みなさんのことを……」

「うん、ヒフミちゃんは純真で良い子だねー。でも世の中、そんなに甘くないからさ」

「…………」

 

 悲観的で、そして現実的なことを言うホシノだった。

 だが、これ以上ない事実だろう。

 知っている。

 知った上で、放置している。

 

「ヒフミちゃんの気持ちはありがたいけど、そっちに知らせたところで、これといった打開策が出るわけじゃないし、かえって私たちがパニくることになりそうな気がするんだよねー」

「そ、そうですか……?」

「ほら、今のアビドスって廃校寸前じゃん? トリニティとかゲヘナみたいなマンモス校からのアクションをコントロールできる力がないんだよー。言ってる意味、わかるよね?」

「……サポートするという名目で悪さをされても、それを阻止できないってことですよね。……そうですね、その可能性もなくはありません。あうう……政治って難しいです」

 

 まるで国同士の小競り合いだと思ったが、思ってみて、それは決して誇張表現ではないように感じた。

 学園都市と銘打っているせいで分かりにくくなっているが、学園を国だとすれば、多少はイメージしやすいかもしれん。

 世界が変わろうと、人間のやることは変わらない。

 

「でも……ホシノ先輩、悲観的に考え過ぎなのではないでしょうか? 本当に助けてくれるかもしれませんし……」

「うへ、私は他人の好意を素直に受け取れない、汚れたおじさんになっちゃってねー。『万が一』ってことをスルーしたから、アビドスはこの有様になっちゃったんだよー」

「…………」

 

 酸いも甘いもかみ分けた人生を送っていそうな、そんな重みを感じさせる言葉だった。

 年長者の、アビドスの長としての重さ……だけではないだろうな。

 きっと俺の計り知れない何かを背負って、彼女は生きている。

 

「では……」

 

 ある程度の話が終わり、そしてアビドス自治区の駅まで辿り着いた。

 流石にブラックマーケットまで送ることはできないが(下手をするとまた入り浸る可能性があるので送らない方がいい)、駅からであれば比較的安全にトリニティへ帰ることができるだろう。

 

「えっと……。本当に、一日で色んな出来事がありましたね」

「そうだね、すごく楽しかった」

「……楽しかったのはシロコ先輩だけじゃないの?」

「あ、あははは……私も楽しかったです」

 

 ヒフミは苦笑しながら答えたが、あれを楽しかったと言える胆力は流石だった。話を合わせただけにしても、曲がりなりにも銀行襲撃は大事件ではないだろうか。

 そしてシロコはシロコで長年計画していたであろう銀行襲撃を体験し、俺に罪は罪だと咎められても、楽しんではいたらしい。

 …………まあ、非日常的な事を体験して、常に反省しておけと言うのも違うだろう。

 その切り替えの早さも、美点と言えば美点である。

 

「いやぁー、ファウストちゃん、お世話になったね」

「よっ、覆面水着団のリーダーさん!」

「そ、その呼び方はやめてください!」

 

 ヒフミがファウストという呼び方をされて困惑しているが、それはヒフミがペロロの軍資金のために選んだ事なので、俺は止めなかった。

 普通はやらないことをやったのだと自覚するために、甘んじて受け止めてもらおう。

 

「と、とにかく……これからも大変だとは思いますが、頑張ってくださいね。応援してますから!」

 

 少しだけ顔を赤くしたヒフミは咳払いをしてから、にこやかに、元気に、晴れやかな笑顔を持って、アビドスを激励した。

 可能であれば、その普通(の仮面)を維持し続けて欲しいと俺は切に願う。

 

「それでは……みなさん、またお会いしましょう」

 

 そして最後はトリニティ総合学園所属らしい、ヒフミの丁寧な挨拶で、俺たちは別れた──流石にその足で何処かに寄り道はしないだろうと信じて。

 もっともその翌日、心配とは裏腹に、ヒフミから寄り道せずトリニティへ帰ったと本人の連絡が来たので律儀なものだと思う。

 あるいは、俺の疑いの目に気付いていたのかもしれないが……それならそれで今後の反省に繋がるため、悪いことではあるまい。

 依頼完了の処理をして、俺はタブレットの画面を切った。

 

「……さて」

 

 俺はアビドスの教室へと歩きつつ、今後の事を考える。

 珍しく暇のある日である──なんだかんだと目標が定まり、そして全容が見えてきたことで余裕ができたのかもしれない。

 ブラックマーケットで銀行襲撃をした次の日だとは思えないほどだった。

 もっとも、シャーレの仕事は常にあるのだが。

 アロナと共にある程度の書類を捌きつつ、そしていずれ退院するであろうロイたちに書類の選別の教育をすれば、もう少し楽になるとは思うが……シャーレの事務作業を、こういった出張中にこなすにはもう少し工夫が必要だ。

 と、そんな事を考えながらアビドスの教室に入ると、ホシノがノノミの膝枕で横になっていた。

 扉の音に反応したホシノが、一切姿勢を動かさずに手を上げる。

 

「おはよー、先生」

「先生、おはようございます。今日は早いですね?」

「……少々落ち着いたのでな。お前たちも休みか」

「うへ、ノノミちゃんの膝枕は柔らかくてサイコーなんだよー。私だけの特等席だもんねー」

 

 答えになっているのかなっていないのか、よく分からないホシノの返事だった。

 いや、それくらいの事ができる休みと捉えておこう。

 何かと背負い続けるホシノには休息が必要だ。

 

「先生もいかがです?」

「……遠慮しておこう」

 

 ホシノをゆっくり休ませたいという思いからの返事だったが、それと同時、老人の男に対してそんな事を言えるノノミが怖かった。冗談だとは思うが、それでもだ。

 勘違いされやすいが、感情が分かりやすく表に出ないだけで、俺にも感情の変化は当然ある。

 恐怖くらいは普通に感じる。

 怯えもすれば恐れもする。

 それを感じなくなってしまうと危険予測ができなくなるという面もあるが……やはり感情というのは、人間に必要な機能であると、俺は思う。

 人間に必要な機能。

 強化人間であっても有るべきだと──そう思う。

 不要では、ないはずだと。

 …………まあ、偉そうなことを言ったが、今現在ノノミに対して恐怖に近いものを感じるあたり、正常に機能しているか怪しいものだが。

 何にせよ、ノノミには今後男性と付き合う時は発言に気を付けるよう言い含める必要がありそうである。

 

「ダメだよーノノミちゃん、ここは私の場所なんだから。先生はあっちの座り心地悪そうな椅子に座ってねー」

「私の膝は先輩専用じゃないですよう……」

 

 うとうとしながらホシノは心地良さそうにノノミに甘えている。

 人によってはそれを頼りないと揶揄するのかもしれないが、しかし俺は、これこそ今のホシノに必要な休息のような気がしてならない。

 未だに、睡眠不足のようだしな。

 アビドスに来てそれなりに経つが、ホシノは眠らないのではなく、恐らく眠れない、睡眠障害のようなものを抱えているのかもしれない。

 あるいは──。

 

「よいしょっと。ふあぁ~、みんな朝早くから元気だなあ」

 

 大きく伸びをして、ホシノはノノミから離れつつ言う。

 もう少し眠っていても構わなかったのだが、俺の目が気になったのかもしれない。

 …………帰った方がいいだろうか。

 

「のんびりできるのは久しぶりですから……今はみんな、やりたいことをやってるんでしょうね。んー、シロコちゃんはきっとトレーニングでしょうし、アヤネちゃんは多分勉強しに図書館でしょうか……」

「ノノミちゃんは学校の掃除と教室の整頓をしてくれたよねー。うへ、みんな真面目だなー」

 

 みんな真面目、とホシノは言うが。

 俺がアビドスに来た初日に牽制した通り、お前は夜に何か──アビドスのために何かしているんじゃないのか、と言おうと思ったが、やめた。

 それを訊くのであれば、一対一の時の方がいいだろう。

 

「ん? どしたの、先生? うへ、私は当然ここでダラダラしてただけだよー」

 

 俺の視線が気になったのか、ホシノは誤魔化すようにそんな事を言う。

 

「先輩も何か始めてみてはどうでしょう? アルバイトとか、筋トレとか」

「無理無理ー、おじさんは年齢的に無理がきかない体になっちゃったもんでねー」

「歳は私とほぼ変わらないですよ?」

 

 そもそも本当の老人の前で言うことではない。

 俺の身体は正真正銘無理がきかないため、身軽そうなホシノは、と言うより生徒全員が心底羨ましいと思える。

 あるいは、本当にホシノは身体や肩に重さのようなものを感じているのかもしれないが、老人の俺から言わせて貰えば十代の身体の重さなど気のせいだ。

 今感じている負荷など序の口だ──などと言うのは流石に大人げないので、俺は特に何も言わなかったが。

 そもそも動きたくない、というのも、睡眠不足から来るものだろうしな。

 

「うへ~。とにかく先生も来たし、他のみんなもそろそろじゃない? そんじゃ、私ゃこの辺でドロン」

「あら先輩、どちらへ?」

「うへ、今日おじさんはオフなんでね。てきとうにサボってるから、何かあったら連絡ちょーだい、ノノミちゃん」

 

 先程まで眠っていたとは思えないほどに身軽に動き、ひらひらと手を振って、俺の横を通り過ぎてホシノは扉から出て行った。

 …………本当にオフであれば良いのだが。

 

「ホシノ先輩……またお昼寝しに行くみたいですね。うーん、まあいいんじゃないでしょうか。会議はアヤネちゃんがしっかり進めてくれますから」

「……アヤネにあまり負担をかけ過ぎると二の舞だろう」

「あはは……」

 

 アヤネのちゃぶ台返し、もとい教室の大机をひっくり返す所業を見たことはないが、この間の会議で俺が案を出していなければひっくり返されていたかも、というホシノの言葉を信じるのであれば、やはりアヤネは感情の起伏が激しいタイプのようだった。

 ……もう少し後輩を労ってやれ。

 

「それにしてもホシノ先輩は、以前に比べてだいぶ変わりました」

「……変わった、か」

「はい」

 

 俺の返事に、少しだけしんみりとした空気で、ノノミは答える。

 昔を思い出しているような、そんな目で。

 

「今はいつも寝ぼけているような感じですが……初めて出会った頃のホシノ先輩は、常に何かに追われているようでした」

 

 追われる。

 何かに──追われる。

 何に?

 

「何に追われていたかというと……んと、ありとあらゆることに、と言いましょうか」

 

 俺の言わんとした事を理解したのか、言葉を濁しながらノノミは言う。

 

「聞いた話ですが、以前とある先輩がいたそうで……アビドス最後の生徒会長だったらしいんですがとても頼りない人で、その人がここを去ってからはすべてをホシノ先輩が引き受けることになった、と……」

 

 ここを、去った。

 俺はそれを聞いて、何故かとても嫌な、それでいて妙な納得をしてしまう。

 

 ──私にとって、罰にならないようにね。

 

 果たしてあの表情が、あの言葉が、ただ学校からいなくなった人間がいるだけで出るものだろうか。

 あれではまるで──懺悔である。

 もう二度と届くことのない言葉を吐く、戒めのような。

 あまり他人の過去を詮索するものではないが、しかし、ホシノの精神状態が()()なっているのは、恐らくそのあたりの事情なのだろう。

 小鳥遊(たかなし)ホシノの、心の闇。

 

「ホシノ先輩は当時一年生だったとか……詳しくは、私も知らないのですが」

「…………」

 

 二年以上前の出来事。

 それからずっと、たった一人で、アビドスを守ってきた。

 

 ──うへ、私は他人の好意を素直に受け取れない、汚れたおじさんになっちゃってねー。

 

 ──『万が一』ってことをスルーしたから、アビドスはこの有様になっちゃったんだよー。

 

 色々と思うところはある。

 睡眠不足、自罰的思考、自己犠牲を厭わない少女。

 

「でも今は、先生もいますし、他の学園の生徒たちとも交流できますし……。以前だったら、他の学園と関わること自体嫌がっていたはずが……かなり丸くなりました。うん、きっと先生のおかげですね☆」

「……だといいが」

 

 俺はホシノが出て行った扉を見つめながら言う。

 あれで丸くなった、か。

 あれほど壊れそうな笑みを浮かべる少女が、まだ良くなったと言える精神状態とは一体どういうものなのだろう。

 何に追われ。

 何に追いつかれ──その背に、乗せているのだろう。

 

 030

 

 俺は久しぶりに、そして初めて一人で柴関ラーメンへと向かっていた。

 かつて柴大将に『一人でも来てくれ』と言われたことを思い出したのである。

 この老体にラーメンはかなり苦しいが、柴大将はそのあたりの事情を察して食べやすいものを出してくれると言っていた。

 俺としても、尊敬できる大人の柴大将と関わりを持つのは悪くない──どころか望むところではあったので、余裕のある今のうちに、一人で訪れることにした。

 

「いらっしゃい! おお、先生! 待ってたぜ、一人かい?」

「ああ。ラーメンを食べることはできないが……」

「構わねえさ。待ってな、良いやつを出してやるよ」

 

 俺が店に入ると柴大将は愛嬌のある笑顔を浮かべつつ、俺を席に促した。

 人の少ないアビドスにしては繁盛しているこの店だが、比較的早い時間……どちらかと言えば朝に近いこの時間のためか、今は店内の客はおらず、俺一人らしい。

 

「よく来てくれた、先生。こいつはサービスだ」

 

 と、何か言う前に出されたのは、貝に辛味噌を和えたものだった。

 明らかに酒のつまみである。

 

「……メニューにないだろう、これは」

「試作メニューってやつさ、先生。夜に来てくれたら酒も振る舞うつもりだったが……流石に朝からは呑めないだろう? ま、それ以上食べられるなら、いくつか試作を味わってくれ。できれば感想も聞きたい」

「……そうか。感謝しよう」

 

 どうも試作メニューという口実で、柴大将は色々と準備してくれたようだ。

 柴大将や他の客に邪魔にならないよう開店早々に来たが、次は余裕があれば夜に来ても良いかもしれない。

 酒のつまみもあるようなら尚更だ。

 

「……美味いな。本当に酒が欲しくなる」

「そりゃ良かった。コーラはあるが……どうする先生?」

「いや、水でいい。次に来た時に酒と一緒にいただくとしよう」

 

 コーラ、と聞いて嫌な物質(コーラル)を思い出してしまい、思わず俺は拒否した。

 全く関係ない飲み物であることは既に知っているが、いかんせんその文字の綴りは俺にとっては警戒してしまうものだ。

 病的な忌避だが……これはもう職業病なのかもしれん。

 そんな事を考えながら、俺は柴大将といくつか話をする。

 アビドスのこと、セリカのこと──そして『願い』を聞いた。

 これは正直に言うと夜に……それこそ酒を呑みながらしたい話だったが、時間を変えることはできないので、俺たちは客が来るまで話を続けた。

 そして凡そ一時間後、新しい客が訪れる。

 

「いらっしゃい! おお、アビドスさんとこのお友だちか、好きに座ってくれ」

「どもどもー。ん、あれ? お爺ちゃん?」

「……ムツキか。いや、便利屋全員いるようだな」

 

 扉を開けて入ってきたのは、最近何かとよく会う便利屋68の面々だった。

 店内を見渡してカウンターに俺がいることを見つけたムツキは、どこかやつれた様子のアルを引きずっている。

 

「うん、アルちゃんの元気がなくて、って──」

「せ、先生……!」

 

 かと思えば、アルは俺を視界に入れた瞬間、目を輝かせて店内に入ってきた。

 …………。

 あの様子ではまだ俺に憧れのようなものを抱いているらしい。ムツキとカヨコから、覆面水着団がアビドスであることを聞いているはずだが、それでは相殺されなかったようだ。

 

「あれ、元気になっちゃった」

「まあ、いいんじゃない? どの道ラーメンは食べるんでしょ」

「アル様が元気になって良かったです!」

 

 俺の隣に駆け寄ってきたアルを見ながら、三人は微笑みながら言う。

 三人の視線に尊敬や信頼のようなものが窺えるあたり、アルは本当に心配されてこのラーメン屋に連れてこられたらしい。

 リーダーとしての適性は、彼女たちの様子を見ても間違いないようだ。

 

「せ、先生、その……えっと」

 

 アルは俺の側に駆け寄ったはいいものの、何か言い淀んでいる。

 その様子はまるで、途轍もない暴露を今にもしてしまいそうな──そんな嫌な予感がした。

 

「あの、昨日の──」

「アル」

「?」

 

 何か言いかけたアルの言葉を、俺は遮る。どうやら昨日の出来事が未だに脳裏から離れないようだったが、しかしここで『昨日の銀行襲撃や先生がボスなのは本当よね?』と訊かれたら面倒極まりないため、俺は機先を制する。

 

()は連邦捜査部シャーレの顧問だ」

「────そう、そうよね! もちろん分かってるわ!」

 

 俺の言葉に、再び目を輝かせて幼子のように頷くアルだった。

 ……何となくだが、この子の喜ぶ言動が分かってきた気がした。それと同時に、子供を騙している感覚に陥るのは如何ともし難いが。

 

「アルちゃん、とりあえず食べよ? かき集めた一杯分しかお金ないけど」

「……お前たち、また困窮しているのか」

「ち、違うのよ先生! 本当は融資を受けられるはずだったんだけど……!」

 

 彼女たちは相変わらず食費もままならないほどに金に困っているらしい──もっとも、本来であればアビドスの襲撃を成功させた報酬があったのだろうが、それは俺が阻止したため、現状の懐は相当に寂しいようだ。

 だからと言ってカイザーローンに融資を頼むというのは、どう考えても行き過ぎだが。

 

「……まあいい。今回のラーメン代は俺が持とう。一人一杯ずつ選べ」

「え、いいの?」

「構わん。いずれお前たちに仕事を頼むこともあるだろう。顔繋ぎのようなものだ」

「やった、ラッキー!」

「……なんか、一回も払ってないね、私たち」

「ひ、ひとりにつき一杯……そんなに贅沢してもいいんですか?」

「…………」

 

 これを贅沢だと言うハルカに思うところがないわけでもないが……今考えても仕方がないだろう。

 それに恐らく彼女たちは、こうなることを分かっていて便利屋を続けているのだろうから、下手な同情は必要ないはずだ。

 仕事を続けられている以上、失敗ばかりという訳でもないだろうしな。

 

「大将、注文いいか」

「おう。アビドスさんとこのお友だちで、先生とも知り合いなんだろう? 替え玉もサービスしてやるよ」

「……!?」

 

 大将の心意気に何故か驚愕した顔を見せるアルは、そのまま硬直し、そしてラーメンが運ばれてくるまで微動だにしなかった。

 見る限り何か考え込んでいるのだろうが……。

 

「はいよ、お待ちどうさん。熱いから気を付けてな」

「来たあ! いただきまーす!」

 

 ともあれ、他の三人が大して動揺していないあたり、珍しいことでもないらしい。

 むしろ、たった今到着したラーメンに三人とも視線を奪われている。

 

「こんなに美味しいのにお客さんがいないなんて」

「場所が悪いんじゃない? 廃校寸前の学校の近くだし」

「まあ、美味しいからいいけど。それじゃ、いただ……」

「────じゃない」

 

 と、その瞬間だった。

 今まさに食事を始めようとした瞬間、アルが震えた声を出し、そして。

 

「ん?」

「友だちなんかじゃないわよぉーーーー!!」

「わわっ!?」

 

 いきなり立ち上がって机を叩き、大声で叫んだ。

 噴火したかのような激情である。

 

「わかった! 何が引っかかってたのかわかったわ! 問題はこの店、この店よっ!」

「どゆこと!?」

「私たちは仕事しにこの辺りに来てるの! ハードボイルドに! アウトローっぽく! なのに何なのよ、この店は! お腹いっぱい食べられるし! あったかくて親切で! 話しかけてくれて、和気あいあいで、ほんわかしたこの雰囲気! ここにいると、みんな仲良しになっちゃう気がするのよ!!」

「それに何か問題ある?」

「そもそもそれは店に来たお前の責任であって、店の責任ではないだろう」

「うぐっ…………」

 

 一通りの言葉を聞いた後、ムツキと俺が(たしな)めるように言うと、痛いところを突かれたと言わんばかりの表情で呻くアルだった。

 …………ハードボイルドとするには、些か表情に感情が出過ぎだな。

 それがきっとアルという人間の魅力でもあるのだろうが、自分の目指しているものと現状が乖離しているのは悔しいのかもしれない。

 

「い、いや、違うのよ先生! 私に必要なのは冷酷さと無慈悲さと非情さなの! こんなほっこり感じゃない!!」

「アルちゃん、それは考え過ぎなんじゃ……」

 

 考え過ぎというか、もはや贅沢の域だな。

 自分にない物を欲しがる。

 他人が持っていない物を自分が持っていたとしても、それは自分の自信には繋がらない。

 思春期らしい悩みと言えば悩みだが、こういったものを解決するためには自己解決が最も望ましい。

 周りの助力も必要だが、結局は自分が納得するかどうかなのだ。

 しかし、ほっこり感、か。

 …………言いくるめるような形になってしまうが、少しだけ助言するとしよう。

 

「……ふむ。アル。お前は温かい店が必要ないと言ったな」

「え? ええ。だってハードボイルドなアウトローには必要ないでしょう」

「では、俺を見てどう思う。今、ラーメン屋にいる俺はハードボイルドではないか」

「いいえ! 先生はいつ会ってもハードボイルドよ!」

「……そうか」

 

 予想通り、予定調和の返事ではあったが、あまりにも想像通りの返事に俺が詰まってしまう。

 多少言い淀むくらいのことはすると思ったんだが。

 

「……そうだな。では分かるだろう。ハードボイルドに場所は関係がないと言う事を。例えば、俺が()()()裏の顔がある人間だとして。そんな裏の人間が、柴大将のような善良な人間と、夜に酒を酌み交わす仲だったとしたらどうだ。表と裏が交錯する場所がこの店だとしたら」

「こ、このお店もハードボイルドに見える……!」

「…………そういうことだ」

 

 アルの目指すハードボイルド像を想像しながら例え話を話せば、アルは酷く心を打たれたようだった。……しかし、誘導尋問のような言葉にそのまま乗っかっていくアルを見て、俺は何とも言えない気持ちになる。

 本当に大丈夫なのだろうか……セリカも詐欺に引っかかっていたが、それよりも不安になる純真さである。

 

「お爺ちゃんお爺ちゃん、先生になる前は詐欺師だったりした?」

「……言いがかりはよせ」

 

 と、ムツキの質問を思わず否定したものの、かつて俺は621に『コーラルを手に入れれば、お前のような脳を焼かれた独立傭兵でも人生を買い戻せる』と嘘を吐いたこともあるので、一概に的外れというわけでもなかった。

 詐欺師という程ではないが、やはり嘘吐きではあるのだろう。

 碌でもない大人である。

 

「……アル。お前がハードボイルドを目指すのは構わないが、それを他責にするべきではない。品格とは、自身の立ち振る舞いで変わる物だ。どんな場所であれ、お前が自信を持っていれば望む姿になれるはずだ」

「流石ね先生! やっぱり先生は私の目標よ!」

「…………」

 

 言い切ってから、しまった、と思った。

 憧れを払拭しようとしていたはずだったが、これでは実績を積み重ねただけではないか。

 むしろ説得力が増したようで、アルの中での目標が確固たるものになってしまった。

 

「はは、先生。いい事言うじゃねえか」

「…………話に付き合わせてすまない、大将」

「構わねえさ。今度は良い酒をちゃんと用意しとくよ」

「……次は夜に来よう」

 

 柴大将のイメージを変えてしまう例え話をしたことを俺は謝罪をしたが、柴大将は笑って、俺との次の約束を取り付ける。

 本当に善良な大人だと思った。

 先程は例え話だったが……どうだろう。表の世界の癒しを求めて、普通の店に入るアウトローも、本当にいるのかもしれない。

 俺は少しだけ、柴大将と酒を酌み交わすその未来を想像して──()()()を聞いた。

 

「──伏せろ、大将!」

「!?」

 

 未来も想像も何もかも。

 全てを吹き飛ばす爆撃が──迫撃砲が柴関ラーメンへと降り注ぎ。

 今この瞬間、爆音と共に、店が瓦礫と化した。

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