ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 ハンドラー・ウォルターは聖人ではない。
 限りなく善人であるだけだ。


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 004

 

「……巡航戦車の撃破を確認。作戦(ミッション)完了だ」

 

 ハスミの貫通弾により、装甲を貫かれた巡航戦車は一瞬間を置いた後、ごう、と爆音を鳴らし炎上した。

 ……これ以上の行動は不可能だろう。目下の脅威は排除できたと考えてよさそうだった。

 あわあわと蜘蛛の子を散らすように、燃え盛る戦車の中から不良──スケバンと呼ばれていた子供たちが、悲鳴を上げながら立ち去っていく。

 ……やはりキヴォトスに存在する生徒は『ヘイロー』を所有しており、そしてそのヘイローによる肉体強度は並々ならぬもののようだ。

 炎上、いや、爆発に巻き込まれてなお、虫を見た程度の悲鳴で逃げていく様を見る限り、なるほど、銃そのものに危機感を抱かなくなるのも無理はないのかもしれなかった。

 ……それでもやはり『普通の人間なら死ぬ』ことを知っていて一切の配慮なく銃弾を撒き散らす彼女たちの倫理観はどこか欠けていると言わざるを得ないのだが、まあ、こればかりは文句を付けても仕方がないのだろう。

 世界の常識を疑うのは、どんな人間でも難しいのだから。

 

「着いた!」

「はい」

「……ここが、シャーレか」

 

 ユウカたちの奮闘により、俺は無事にシャーレの部室がある建物へ辿り着いた。

 見上げれば、サンクトゥムタワーほどではないにせよ、ビルと言って差し支えない建造物が聳え立っている。頂点には、生徒たちにもあるような水色のヘイローが屋上付近を囲うように浮いていた。

 ……この世界の建造物にも、全てではないがヘイローが浮いていることがある。これも生徒たちと同じように銃弾に対しての強度が上がっているのだろうか。

 その中でも、サンクトゥムタワーのヘイローの大きさは桁違いだが……そもそも『ヘイロー』という不可思議な物体(現象か?)の仕組みが分からない以上、考えても仕方のない事か。

 

『「シャーレ」部室の奪還完了。私も、もうすぐ到着予定です。建物の地下で会いましょう』

「支援感謝する、リン。また後で会おう」

『はい、それではまた』

 

 リンを映し出していたホログラムが霧散するように消え、通信が遮断される。

 ……色々あったが、ひとまず脅威は去ったようだな。

 

「なんだか、いつもより戦闘がやりやすかった気がします……」

「……やっぱりそうよね?」

「先生の指揮のおかげで、普段よりずっと戦いやすかったです」

「なるほど……これが先生の力……。まあ、連邦生徒会長が選んだ方だから当たり前か……」

 

 スズミの言葉に振り返れば、口々に称賛する声を上げる生徒たちの期待のこもった、あるいは信頼の込められた視線が俺を貫いている。

 ずくずくと──じくじくと。

 その称賛が身体を蝕む。

 俺に向けられるべきでない信頼が、俺を雁字搦めに拘束する。

 

「…………」

 

 その声に、その姿に。

 俺は、どうしようもなく回顧を──もういない渡鴉(621)を重ねてしまう。

 

 ──ウォルター。

 

「ウォルター先生?」

「…………指揮ではなく、妨害工作が上手くいったのだろう。俺は相手の通信を傍受し、内容をお前たちに伝えたに過ぎない。この戦果を掴み取ったのはお前たちの実力だ」

 

 誤魔化すように答えつつ、事実をそのまま述べる。この結果は彼女たちが戦場で得たものであり、俺だけではシャーレに辿り着くどころか、近付くことすらできなかっただろう。

 俺はいつも、誰かが拓いた道を歩いている。

 

「いえ、そんな事は──」

「称賛は素直に受け取っておくものだ。お前たちを少年兵として見ていたが……射撃精度は歴戦の兵士にも劣らない。お前たちを侮っていたことを謝罪しよう」

「え、あ、ありがとうございます……」

 

 子供らしからぬ謙遜を大人げない言葉で封殺し、俺はそれ以上の称賛を受け取りたくないがために、言葉を挟ませないよう続けた。

 

「俺はこれからシャーレの地下室へ向かう。……お前たちはどうする」

「え? うーん……先生の安全を鑑みるなら一緒に行くべきなんでしょうけど……」

「しかし、暴徒を制圧したとは言え、原因となった生徒は見つかっていません。シャーレに入って来ることのないよう……そうですね、せめてタワーが復旧するまで出入り口を警戒した方が良いと思います」

「既に不良が入ってる可能性はない? いや、不良じゃなくても、もしワカモが侵入してたら……」

「ただ、この人数を分けてしまうと、もし先程の規模で戦闘が起こった場合、手薄になった側が非常に苦しくなります」

「うーん……」

 

 生徒たちは俺の安全を一番に考慮し、リスクがもっとも少ない方法を探し出そうとしている。

 ……これ以上、俺のことで時間を消耗させてしまうのは気が引ける。

 何よりその心配は俺にとって罪悪感に変換され、身体を軋ませるのだ──俺は既に、子供に戦闘をさせていることに対して負い目を感じているというのに。

 だからこそ、俺が言えることは一つだった。

 

「四人はここを守れ。俺は地下へ一人で行く」

「大丈夫なんですか? もし既に侵入されていたら……」

「心配するな。サンクトゥムタワーの復旧を(おろそ)かにはしない」

「いえ、そうではなくて……」

「それに」

「?」

 

 尚も身の心配を続けるユウカに、俺は言う。

 かつての教訓、そしてここに来たことで変質した言葉を。

 

「一度生まれたものは、そう簡単には()()()()

 

 005

 

 ──今、この騒ぎを巻き起こした生徒の正体が判明しました。

 

 ──ワカモ。百鬼夜行連合学院で停学になった後、矯正局を脱走した生徒です。

 

 ──似たような前科がいくつもある生徒なので、気を付けてください。

 

 シャーレ部室に辿り着く前、リンからこの騒動の原因となった生徒の情報を俺は得ていた。

 和装に、黒髪。特徴的な狐面で顔を隠し、その素顔は窺い知れない。

 

「うーん……これが一体なんなのか、まったくわかりませんね。これでは壊そうにも……」

 

 そんな少女が、目の前にいる。独り言をしている狐面を被った……顔が見えないが恐らく少女だろう。傾向として、ヘイローを所有している人間は子供しかいない。であれば、目の前にいる彼女は子供と判断してもいいはずだ。

 ワカモというらしい彼女は、タブレットらしき端末を傾けたり、透かすように見ているが、それがどういったものなのか理解が及んでいないようだ──恐らくあれが、リンの言っていた『連邦生徒会長が残したもの』なのだろう。

 

「……あら?」

 

 特に気配を隠していない俺の存在に気付いた彼女は、こちらへと視線を移した。

 …………例に漏れず、彼女はライフルを──さらには先端に刃が付いている銃剣を所持している。

 彼女が本当に敵なら俺は死ぬだろうな、と他人事のように思う。

 とはいえ。

 彼女が敵だったとしても、俺が銃を向けることはないだろう。

 銃を持つ権利も、勇気も──俺にはない。

 子供を殺すことなど、俺にはもう、できない。

 

「……お前も、生徒か。俺はウォルターという。好きに呼ぶといい」

 

 さあ、どう出るか。

 どうせ──死ねない。

 ならばこの身を賭けるのは安いものだ。

 そういう、一種の開き直りのような心持ちでワカモという少女に真正面から声をかけた。

 の、だが。

 

「あら、あららら……」

 

 と言うだけで、銃を向ける気配も、言い訳することも、逃げることもしない。

 相手からのリアクションがない以上、俺が動くこともできず、二人して固まってしまった。

 

「…………」

「…………」

 

 なんだこの間は。

 気まずいなんてものじゃない。

 流石にこのまま静観するわけにもいかず、再び声を上げようとすれば。

 

「あ、ああ……」

 

 彼女は震えるような声を漏らした後。

 

「し、し……失礼いたしましたー!!」

 

 生娘のような──いや、ようなもなにも子供だが、それに近い悲鳴を上げて、そして思わずといった様子で手に持っていたタブレット状の何かを放り投げて一目散に逃げだしていった。

 

「……?」

 

 何が目的だったのだろうか、あの少女は。

 ……いや待て、今天井裏に逃げていかなかったか?

 

「お待たせしました」

 

 さながら忍者のようにこの場を去ったワカモの逃走先を見上げていれば、入れ替わるようにリンが地下室へと入ってくる。

 

「……? 何かありましたか?」

 

 ワカモが出て行った方向を見つめていたからか、リンは俺の姿を見るなり首を傾げた。

 言うべきか、否か。

 リンの言葉によれば、ワカモという少女は不良どころか囚人なのだろうが……どうにも、俺に危機感が湧くことは無い。

 ……囚人だろうと子供、か。

 被害なきは無害。ならば被害がなかった以上、わざわざ口に出す必要も無いだろう。

 俺は首を振って否定した。

 

「いや……なんでもない」

「……そうですか。ここに、連邦生徒会長が残したものが保管されています。……幸い、傷一つなく無事ですね」

 

 俺の否定に特に言及することもなく、リンは先程放り投げられたタブレットを取りに行く。どうやら奇跡的に机の上に収まったようで、これがつい先程空中を舞っていたことには気付いていないようだった。

 宙を舞い、そして机の上を滑った拍子についたのであろう埃を手で軽く払った後、俺に対して『それ』を差し出してきた。

 

「……受け取ってください」

「……タブレット端末のように見えるが」

「はい。これが連邦生徒会長が先生に残したもの。『シッテムの箱』です」

 

 俺はこの存在について、何も知らない。

 知らないはずだ。

 だが……火の海の中で、俺はその言葉を聞いたような気がしてならない。

 幻聴、あるいは夢なのかもしれないが、心のどこかでそれを否定する自分がいた。

 

「普通のタブレット端末に見えますが、実は正体の分からない物です。製造会社も、OSも、システム構造も、動く仕組みのすべてが不明」

「…………」

「連邦生徒会長は、この『シッテムの箱』は先生の物で、先生がこれでタワーの制御権を回復させられるはずだと言っていました。私たちでは起動すらできなかった物ですが、先生ならこれを起動させられるのでしょうか、それとも……」

 

 リンはそこまで言って、口を噤む。

 本当にこれが最後の希望なのだろう。藁にもすがる思いで俺にこれを託しているのかもしれないが、しかし、俺は未だに踏ん切りがつかないでいた。

 先生として──大人として。

 罪を償おう。

 罰を受けよう。

 そういった気持ちは常にあるが、子供を導き救う立場としてこれを起動できる自信は、俺にはない。

 

「……リン。お前は、俺を未だに『先生』だと思うか」

「ええ」

 

 往生際の悪い俺の問いに、一切の澱みなくリンは首肯した。

 いっそ盲目的なまでに、七神リンという少女は『連邦生徒会長』という人物を信用しているように見える。

 彼女が言っていた、と。

 ただそれだけの理由で、先生どころか罪人である大人を信頼し、シッテムの箱という何らかの鍵を俺に渡そうとしているのだ。

 疑問──違和感。

 俺は言語化できぬ感情に苛まれたまま、再びリンに問い掛けた。

 

「俺に会ったことすらない連邦生徒会長が、俺を選んだと?」

「勿論です」

 

 しかし、大人げない問いに対しても、リンは態度を崩さない。それどころか、

 

「仮にそうでなかったとしても、貴方は既に『先生』として私たちを導きました。他に候補など、きっといないでしょう」

 

 と、そう言い切った。

 それは紛れもない、俺という人間への信頼だった。

 

「……そうか」

 

 リンは()()()()()()()

 連邦生徒会長が選んだから俺を信じるのではなく、『先生』を信じるという道を、彼女自身の意志で選び進もうとしている。

 ……俺にはそれが、どうしようもなく眩しく見えてしまい、それ以上の言葉を返すことができなかった。

 

「…………では、私はここまでです。ここから先は、全て先生にかかっています」

 

 俺にシッテムの箱を渡したリンは、真摯な眼差しで俺に言う。

 俺を、先生として信じるのだと。

 

「邪魔にならないよう、離れています」

 

 最後にそう言って部屋の隅へと移動するリンを後目に、俺はシッテムの箱と呼ばれた端末を見つめる。

 ……やはり外観は何の変哲もないタブレットにしか見えない。分かりやすい電源などもついていないようだ。

 

「…………」

 

 やるしかない、か。

 これが鍵となるのなら……俺はこれをハッキングしてでも起動しなければ、彼女たち生徒の期待に応えることすらできないということだ。

 生徒は俺を信じることを選んだ。

 ならば、俺は大人として──先生としてその選択を尊重できるよう、支援しなくてはならない。

 ハンドラー・ウォルターの罪を償いたいのであれば、そうする以外に道はない。

 それが……今の俺の仕事だ。

 意を決して画面に触れれば、拍子抜けするほどあっさりと、画面が点灯する。

 そこに表示されたのは、パスワードの入力を求める画面だ。

 

「……パスワードか」

 

 電源が点く以上、何らかの端末に繋げばハッキングできるのかもしれないが……俺には一つだけ、心当たりがあった。

 あの火の海で薄れゆく意識の中聞いた、最後の言葉。

 

 ──我々は望む、七つの嘆きを。

 

 ──我々は覚えている、ジェリコの古則を。

 

 誰の言葉なのかは知らない。

 その意味もまた、知らない。

 だが……どうにも。

 それが誰かの願いのような気がしてならないのは、俺の思い込みだろうか。

 

『「シッテムの箱」へようこそ、ウォルター先生』

 

 これか……この声だ。

 この声が俺を此処に導いたのだろう。

 それが誰の願いなのかは──俺にはもう、知るべくもない。

 

『生体認証及び認証書作成のため、メインオペレートシステムのA.R.O.N.Aに変換します』

 

 唐突に。

 その文面を最後に画面が真っ白に染まり、眩しさに思わず閉じた目を再び開ければ、それに映るのは見たこともない教室だった。

 床は浸水し、まるで水面のように揺れており、崩落した天井や壁からは空を透き通る青に染める海が──汚染などどこにも見えない、眩しいまでの青が、見える。

 

『くううぅぅ……』

 

 そして恐らくAIであろう、今まで見てきた中でも一際幼い子供が、寝息を立てて教室の机の上でうつ伏せに眠っていた。

 ……こんな場所でそんな寝方をしていては間違いなく風邪を引く。

 などと。

 画面の中にいる子供にまでそんな事を考えてしまう自分が、酷くおかしかった。

 

「むにゃ……カステラにはぁ……いちごミルクより……バナナミルクのほうが……」

 

 ひとまず状況の確認のために画面を操作して少女に寄せれば、食糧難になったことなど絶対にないだろうと感じさせる幸せそうな寝言が俺の耳に届く。

 ……気が削がれるな。

 子供、それも特別幼く見える子に対して無理矢理起こすのはAIとはいえ些か気が引けるが、しかし今は起こさねばならない。

 サンクトゥムタワーは未だ復旧していないのだから。

 リンやユウカが、()で待っている。

 

『えへっ……まだたくさんありますよぉ……』

「……起きろ」

 

 彼女の机を(というよりは画面というべきだろうか)人差し指で叩き、目覚めを促してみる。

 

『うへ……うへ……ひへ!?』

 

 こんこん、と軽い音。

 熟睡しているのであれば到底気付けぬような音量だったはずだが、しかし少女はそれを聞き咎めたらしく、一度で意識を覚醒させた。

 

『むにゃ……んもう……ありゃ? ありゃ、ありゃりゃ……!? え? あれ? あれれ?』

 

 とはいえ、いきなりだったこともあって混乱しているのだろう。全身に疑問符を浮かべ、わたわたと手を動かし、忙しなく視線を巡らして、そしてようやく状況を把握したらしい。

 

『う、ウォルター先生!?』

 

 と。

 水色の髪をした少女は、もはややはりと言うべきか、俺のことを先生と呼んだ。

 

『この空間に入ってきたっていうことは、ま、ま、まさか、本当にウォルター先生……!?』

「……お前も、俺の事を知っているのか」

 

 俺の知らない彼女たちが、俺の事を知っている。

 勿論、俺がどんな人間なのかまでは知らないのだろうが、それにしたってこんな幼子にまで名前を把握されているとなれば、気味の悪さを感じざるを得なかった。

 

『う、うわああ!? もうこんな時間!?』

 

 しかし、俺の疑問に答えることなく大声を上げた少女は、座っていた椅子を弾き飛ばすように立ち上がる。

 ……その動きは、今までの生徒に比べればかなり年齢相当だな、と勝手に思った。

 

『うわ、わああ? 落ち着いて、落ち着いて……えっと……その……あっ、そうだ! まず自己紹介から!』

 

 見た目通りの子供らしい溌剌とした声で、彼女は俺に向き直った。

 

『私はアロナ! この『シッテムの箱』に常駐しているシステム管理者であり、メインOS、そしてこれからウォルター先生をアシストする秘書です!』

「…………」

 

 メイン、OS。

 つまり彼女は想像通り、人格を与えられたAIか何か。

 そしてこの崩落した教室が──アロナの世界。

 シッテムの箱。

 

『やっと会うことができました! 私はここでウォルター先生をずっと、ずーっと待っていました!』

 

 『先生』を待っていたのだと、溢れんばかりの満面の笑みで、念願の出会いを祝うようにアロナは言う。

 その言葉は果たして、俺に向けたものか。

 あるいは、本物の『先生』に用意されたものだったのか。

 今の俺に知る術はない。

 

「……眠っていたようだが、それほど長く待っていたのか」

『あ、あうう……も、もちろんたまに居眠りしたこともあるけど……』

「……気にするな。責めていない。……俺を先生だと言うのなら、よろしく頼む」

『はい! よろしくお願いします!』

 

 ころころと表情が変わるアロナは、素直な子供にしか見えない。AIと言えば俺にとって最も馴染み深いのはチャティ、次点でオールマインドだが、ここまで感情表現豊かなAIはまず見たことがない。

 

『まだ身体のバージョンが低い状態でして、特に声帯周りの調整が必要なのですが……これから先、頑張って色々な面でウォルター先生のことをサポートしていきますね!』

 

 ふんす、と。

 全身を使って気合いを入れる動作を──というよりはもはや口で「ふんす」と言っていたように見えるが、ともかく、アロナのやる気は十分なようだった。

 本当に。

 ただの子供にしか、見えない。

 

『あ、そうだ! ではまず、形式的ではありますが、生体認証を行います!』

「……そうだな」

 

 シッテムの箱としての役割はあるのだろう、先程より流暢になった言葉使いで俺に認証を促してきた。

 

『うう……少し恥ずかしいですが、手続きだから仕方ないんです。こちらの方に来てください』

「? ……ああ、操作をすればいいのか」

 

 近付いてくれと言われて一瞬混乱したが、要は画面操作でアロナを拡大すれば良いらしい。

 ……向こう側からはどう見えているのだろうな。

 

『あ、もう少しです。うん、その辺りで。さあ、この私の指に、ウォルター先生の指を当ててください』

 

 ぴっ、と突き出すように構えられたアロナの指目掛けて、画面越しに俺の人差し指を当てる。

 ……これでいいのだろうか? どうにも緊張感が無いせいか、俺は今キヴォトスの危機を救うために動いている自信がまるでない。

 子供と──遊んでいる感覚だ。

 

『うふふ。まるで指切りして約束するみたいでしょう?』

「……ああ。そうだな」

 

 俺は頷いた。幼子の独特の感性に話をただ合わせただけのつもりだったが、しかし、その頷きに必要以上の力が入ってしまったのも事実だった。

 

 ──約束だ。

 

 小指がなかったから人差し指を。

 指がなかったから手を合わせた。

 それだけの話だ。

 

『えへへ、実はこれで生体情報の指紋を確認するんです! 画面に残った指紋を目視で確認するのですが……すぐ終わります! こう見えて目は良いので』

 

 にこやかに、そして自信満々に言い放ったアロナは、早速認証に取り掛かった。

 

『どれどれ……』

 

 じぃっと、擬音がつきそうなほどに画面に残った指紋を目を細めて見ているアロナは、さながら研究者が対象を観察している様に等しい──と、思ったその時である。

 

『うう……うーん……よく見えないかも……』

 

 …………。

 せめて、言うな、そういうことを。

 いや、確かに、仮にアロナが声に出していなかったとしても、表情に分かりやすく出ているので聞こえているも同然だろうが……。

 

『……まあ、これでいいですかね?』

 

 やはり言わないで欲しかったと切に思った。

 何一つ良い気がしない。

 

『……はい! 確認終わりました!』

「……そうか」

 

 晴れやかな笑顔で宣言したアロナに対して、俺は無感情に頷いた。

 もはや言うのは野暮なのだろう。

 何より、幼子が一生懸命物事に取り組む様子に水を差すのは、大人としてはやってはならないことだ。

 そういう、些細なきっかけが将来大きな成長につながる事もある。

 ……OSにそういった機能があるかは知らないが。

 

『……なるほど……ウォルター先生の事情は大体わかりました』

 

 ともあれ。

 認証が無事に済んだということになった以上、俺の用件を済まさなくてはならない。

 つまり本来の目的である、サンクトゥムタワーの復旧だ。

 

『連邦生徒会長が行方不明になって、そのせいでキヴォトスのタワーを制御する手段がなくなった……』

「……アロナ。お前は連邦生徒会長について、何か知っているか」

 

 ふと思い付いた俺はアロナに訊く。

 シッテムの箱を用意した人物。

 俺を──ハンドラー・ウォルターを知る者。

 どこか掴みどころの無い、全貌の見えぬ人物像の手掛かりを欲した俺は、所有者に最も近いであろうメインOSであるアロナなら知っているのではないかという希望を持って問い掛けたのだが、しかし、返ってきたのは否定の言葉だった。

 

『私はキヴォトスの情報の多くを知ってはいますが……連邦生徒会長についてはほとんど知りません。彼女がどうしていなくなったのかも……。お役に立てず、すみません』

「いや、構わない。気にするな」

 

 まあ、仕方があるまい。

 これほど謎に包まれた人物だ。むしろ、意図的に情報を隠していると見ていいだろう──と。

 思考内容が連邦生徒会長に意識が逸れた瞬間、アロナは非常に軽い口調でこう続けた。

 

『ですが、サンクトゥムタワーの問題は何とか解決できそうです』

 

 あっけらかんと。

 大した問題ではないと言わんばかりの口調で、言った。

 指紋認証の時より自然体で。

 

「……今、復旧できるのか」

『勿論です! ウォルター先生が指示していただければいつでも!』

 

 ……シッテムの箱。

 メインOS、アロナ。

 リンが言っていたことが事実なのだとすれば、これは──いや、今考えることではない。

 

「……すまない。頼めるか、アロナ」

『はい! 分かりました。それではサンクトゥムタワーのアクセス権を修復します! 少々お待ちください!』

 

 アロナが言うやいなや、それからほんの十数秒で、シャーレの地下室であるこの部屋の電力が復旧した。

 この建物そのものが駆動し、回復していく音が聞こえ始める。

 ……まさか、今のでハッキングを完了させたというのか?

 専用端末もなしに、遠距離で、生徒たちがどうしようもなかったサンクトゥムタワーを?

 

『……サンクトゥムタワーのadmin権限を取得完了……』

 

 淡々と。

 瞑っていた目を開いて、アロナは宣言する。

 

『ウォルター先生。サンクトゥムタワーの制御権を無事に回収できました。今サンクトゥムタワーは、私アロナの統制下にあります』

 

 メインOS。仕組みも何もかもが不明のシッテムの箱。

 オーパーツ、あるいはオーバーテクノロジーに等しいハッキング性能。

 連邦生徒会長とは、一体何者だ?

 ……カーラといえども、同じ環境でのハッキングは不可能だろう。そんな技術を可能にするシッテムの箱をどうやって手に入れた?

 

『今のキヴォトスは、ウォルター先生の支配下にあるも同然です!』

 

 あけすけに。

 にこやかに。

 アロナは恐ろしい台詞を吐いた。

 キヴォトスの──いや、どんな世界であれ支配権を一個人が所有している状態など、碌なことにならないのが目に見えている。

 今すぐにでも、制御権をあるべき場所に戻さねばならなかった。

 

『ウォルター先生が承認さえしてくだされば、サンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管できます。でも……大丈夫ですか? 連邦生徒会に制御権を渡しても……』

 

 何の心配なのだろうか。どこか生徒会への不信さを感じる言葉に引っ掛かりを覚えつつも、俺はアロナの言葉を肯定する。

 身の丈以上の権力など、持つべきではない。

 

「……ああ、承認しよう」

『分かりました。これよりサンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管します!』

 

 その言葉を確認して俺はようやくのこと、画面から目を離した。

 どっと疲労が溜まる感覚がある。この疲労感は……621の任務が無事に終わったときのそれと、似ている、気がした。

 ともあれ、サンクトゥムタワーの復旧及び権限の移管は、たった今完了した──そのことをシッテムの箱で確認した俺は、今まで部屋の隅にいたであろうリンの方へ目を向ける。

 

「はい……はい……分かりました」

 

 電話、恐らくは連邦生徒会としての連絡だろう、何度か頷き、いくつか指示を出した後、俺の様子に気が付いたリンは電話を切った。

 

「サンクトゥムタワーの制御権の確保が確認できました。これからは連邦生徒会長がいた頃と同じように、行政管理を進められますね」

「……重畳だ。苦労をかけたな、リン」

「いえ──こちらこそ、お疲れさまでした、先生。キヴォトスの混乱を防いでくれたことに、連邦生徒会を代表して深く感謝いたします」

 

 リンは。

 恐らく、このキヴォトスで政府としての役割を担う組織所属であろう少女は、深々と俺に頭を下げた。

 

「……リン、あまり簡単に頭を下げるな。お前の立場を俺は詳しくは知らないが、お前の方が立場としては上だろう」

「年長者に敬意を払うのは、おかしいですか?」

「……さあな。俺なら、やるかもしれん」

 

 矛盾していますね、と呟いた後、リンは再び頭を上げて話し始める。

 

「……ここを攻撃した不良たちと停学中の生徒たちについては、これから追跡して討伐いたしますので、ご心配なく」

「……程々にな」

 

 ワカモと、それに扇動された生徒たちのことを指しているのだろう。討伐という穏やかではない表現に、俺は思わず釘を刺した。

 子供同士で討伐戦など、起こらないに越したことはない。

 ただ、俺の思いをどう汲み取ったのだろうか、リンは淡白に「そうですね」と返すだけだった。

 

「それでは『シッテムの箱』は渡しましたし、私の役目は終わったようで……あ、もう一つありました」

「?」

「ついてきてください。連邦捜査部「シャーレ」をご紹介いたします」

「……ああ、そうだな。頼めるか」

「はい、こちらへ」

 

 再びリンが先導する形で地下室から出る。

 ……しかし、存外に広いな。外観を見たときも感じたことだが、ビルと表現しても差し支えない大きさだ。ただの部活動に用意する建物ではない以上、この組織はまさしく『超法規的機関』なのだろう。

 ……エレベーターがあって助かったと、心底思った。再教育前に戻った(と思われる)肉体だが、元々不自由な身体だ、杖があるとはいえ階段で移動するのは骨が折れただろう。

 移動中リンとは会話がなかったが、特に話すこともない。

 結果、無言のまま目的地へと到着した。

 

「ここが、シャーレのメインロビーです。長い間空っぽでしたけど、ようやく主人を迎えることになりましたね」

 

 感慨深い様子で、リンが言う。

 ロビーの扉には『空室。近々始業予定』と書かれた紙が貼られていた。

 ……誰が書いて、誰が貼ったのか。それを口にするのは、野暮なのかもしれない。

 

「そして、ここがシャーレの部室です」

「……想像していたよりも整頓されているな」

「──ええ。業務の一環として管理していましたので」

 

 大きな長机にモニターが並び、ホワイトボードにはキヴォトスの地図と見られるものが貼られている。壁に銃火器が並んでいるのは気になるが……まあ、生徒用なのだろう。

 これらを見て、すぐに仕事を始められる状態になっていると感じた俺が素直な感想を述べれば、淡々とリンは返した。

 それ以上の反応は……いや、ただの推測だ。言わないなら、そういうことなのだろう。

 

「ここで、先生の仕事を始めると良いでしょう」

「……仕事、か。優先順位はあるか」

「……シャーレは、権限だけはありますが目標のない組織なので、特に何かをやらなきゃいけない……という強制力は存在しません」

 

 俺の問いに首を振って答えるリンは、どこか思いを馳せているように見えた。

 なるほど。

 目標がない──と言うよりは。

 

「キヴォトスのどんな学園の自治区にも自由に出入りでき、所属に関係なく、先生が希望する生徒たちを部員として加入させることも可能です。……面白いですよね。捜査部とは呼んでいますが、その部分に関しては、連邦生徒会長も特には触れていませんでした」

 

 敢えて目標を設定しないことで中立状態にさせようとしている、ような気がした。

 これも、まあ、憶測だが。

 

「つまり、何でも先生がやりたいことをやって良い……ということですね」

 

 やりたいこと。

 したいこと。

 その言葉は、俺にとって最も難題だった。……使命に突き動かされる方が迷わないで済むことを、俺は知っている。

 使命を選んでしまえば、選ぶ必要が──ない。

 

「……本人に聞いてみたくても、連邦生徒会長は相変わらず行方不明のまま。私たちは彼女を探すのに全力を尽くしているため、キヴォトスのあちこちで起きる問題に対応できるほどの余力がありません」

 

 俺の返事がないことをどう捉えたのか、あるいは彼女の思いを馳せた先の話なのかは分からないが、リンはそんなことを言った。

 

「今も連邦生徒会に寄せられる様々な苦情……。支援物資の要請、環境改善、落第生への特別授業、部の支援要請などなど……」

 

 指折りながら具体的な要望を上げていくと、リンはさも今思いついたかのように目を光らせて、それでいて今までで一番明るい声で言う。

 

「もしかしたら、時間が有り余っている『シャーレ』なら、この面倒な苦情の数々を解決できるかもしれませんね」

「…………」

 

 なるほどな。

 いや、むしろ助かったと言うべきだろう。

 思考誘導としては見事であるし、俺のようにやりたい事がない人間に対してのアドバイスとしては的確だ。

 ただ。

 

「……いい性格をしているな、リン」

「それほどでも」

 

 俺の言葉に肩をすくめて、彼女は言う。

 いい性格をしている。

 

「その辺りに関する書類は、先生の机の上にたくさん置いておきました。気が向いたらお読みください。すべては、先生の自由ですので」

 

 そう言ってリンは身を翻して扉に向かい──最後にこちらを振り返った。

 

「それではごゆっくり。必要な時には、()()ご連絡いたします」

 

 扉が閉まり、リンの姿、そして足音が遠ざかっていく。

 ……俺は椅子に座る事なく窓へと近付いて、そこから見えるサンクトゥムタワーを眺めた。

 30㎞離れた場所からでも見える高さ、そしてそれを取り囲むヘイロー。

 あれがこの世界の核なのだとすれば──シッテムの箱は何になる?

 

「──自由か」

 

 誰一人。

 いや、ただ一人を除いて自由にできなかった俺に、与えられた自由の価値を測ることは、できそうもない。

 

 006

 

「ええ。サンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会が取り戻したことを確認したわ」

「ワカモは自治区に逃げてしまったのですけど……すぐ捕まるでしょう。私たちはここまで。あとは担当者に任せます」

「お疲れさまでした、先生。先生の活躍はキヴォトス全域に広がるでしょう。すぐにSNSで話題になってしまうかもしれませんね?」

「……縁遠い話だ」

 

 しばらくして。

 といっても、精々五分十分の話だが、シャーレ前でユウカたちを労っていた。

 今回の件での功労者は、間違いなく彼女たちなのだから。

 

「これでお別れですが、近いうちにぜひ、トリニティ総合学園に立ち寄ってください、先生」

「私も、風紀委員長に今日のことを報告しに戻ります。ゲヘナ学園にいらっしゃった時は、ぜひ訪ねてください」

「ミレニアムサイエンススクールに来てくだされば、またお会いできるかも?」

 

 各々が感謝と、俺に対して未来に明るい言葉をかけてくれている。

 ……ならば俺ができることは、やはり彼女たちの支援なのだろう。この子たちが選び進む道を、俺は支え続けなければならない。

 

「……戦闘での弾薬費や修繕費はシャーレに回しておけ。すぐにとは言えないが……後日必ず補填することを約束しよう」

「え、本当ですか! ありがとうございます!」

「……よろしいのですか? まだ組織が発足したばかりなのに……」

「いずれ必要なことだ。お前たちには今後世話になるだろう。今回は正式な依頼ではなかったが……ここまで協力してくれたこと、感謝する」

 

 軽く頭を下げた後、俺はシャーレへと足を進め始める。

 そうすると、ユウカが底抜けに明るい声で。

 透き通る青空の下、俺の背中へ声を掛けた。

 

「ウォルター先生! 今日の指揮、ありがとうございました! またお願いしますね!」

「……ああ」

 

 振り返らず、軽く手を上げることで返事をする。

 621。

 またな、と言えない俺を、お前はどう思う。

 お前が道を選び、俺と敵対して尚も友人を優先したにも関わらず、俺は。

 決まったはずの──否、自分でキヴォトスの子供を導くと決めた俺は未だに、失った使命に心を燻ぶられたままだ。

 俺は未来を歩む子供の隣にいながら、どうしようもなく、過去に囚われている。



















 シッテムの箱とか、アロナの空間とか、これ空間入ってない?って感じることもあって、解釈に悩みました。とりあえず画面越しという形にしましたが、イメージと違ったらすみません。あと自分なりに拡大解釈している部分もあるので、違うところがあったら直します。
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