ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 過去に縛られ、手放すこともできない。


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 035

 

「────っ!」

 

 咄嗟に。

 ほとんど無意識に動いた口を、紡ぎかけた言葉を、手で無理矢理塞いで押さえ込む。

 俺は今、何を言おうとした。

 あいつの……名前を呼ぼうとしたのか?

 死者を、無関係の少女に重ねて?

 

「ぐ、ぅ……!」

 

 吐き気、眩暈、頭痛──およそ体調不良と言える全ての症状が同時に襲いかかって来たことで、思わず膝を突いてしまう。

 右手の杖で辛うじて身体を支えられているが、もし杖が無かったのなら、俺は今すぐに吐瀉物を地面に撒き散らしていたかもしれない。

 

「先生っ!」

 

 俺が突然崩れるように膝を突いたことで、シロコは伏兵として隠れていたにも関わらず、側へ寄って来た。

 いや、それ自体は構わない。

 便利屋68がこの場所を去った以上、前衛がいなくなった戦線を支えるには対策委員会全員で補う必要がある。

 ただそれは、このタイミングで行うべきではなかった。より適切な状況で、効果的に動かすべきだった──が、姿を晒してしまった以上、シロコを奇襲させることはできない。

 明確に俺のミスだった。

 

「……っすまない、シロコ。俺は……問題ない。戦えるように、しておけ」

「でも……」

「空崎ヒナは、現状この場において最強だ。お前たちの全力を持って対処する必要がある」

 

 これは誇張でもなんでもなく、厳然たる事実だ。

 最強という称号を軽んじていたつもりはないが、しかし実際に目の当たりにしてみると、えも言われぬ圧がある。

 621に通ずるような──あいつと対峙した時に感じたものと似た、強者特有の圧。

 

「…………」

 

 俺は息を整えつつ立ち上がり、再び空崎ヒナを見た。

 冷静に、真正面から、視界に映り込む幻覚を無視して観察する。

 真っ白な髪。色の抜けた髪色ではない。

 小さな体躯。栄養失調からくるものではない。

 紫色の瞳。コーラル汚染により赤く染まったものではない。

 つまり、617では──ない。

 

「────……」

 

 ゆっくりと、深く呼吸して、俺は空崎ヒナに重なっていた617の幻覚を振り払う。

 所々顔のパーツが似てはいるが、似ているだけだ。

 態度と言うか、表情まで似ているのはどうかと思うが、しかし無気力そうに見えても、それは面倒臭がりなだけだろう──まさか617たちのように、強化人間手術の副作用で感情が希薄になったわけではあるまい。

 この世界に、あいつらはいない。

 どんな言葉を尽くそうとも、俺がハウンズを殺した事実に変わりはなく──彼女たちは別の世界で眠っている。

 故に幻覚。

 他人の空似。

 正真正銘、別人である。

 死者を生者に重ねる事など、あってはならない。

 ならない、絶対に。

 

『ゲヘナの風紀委員長……空崎ヒナ。外見情報も一致します、間違いなく本人のようです。ですが、ゲヘナ風紀委員長ということは……ゲヘナにおいてトップの戦闘力……この状況でそんな人物まで……』

 

 アヤネの情報を聞いて、目を瞑り呼吸を整えてから、もう一度空崎ヒナを見れば──やはり、フラッシュバックによる幻覚を重ねていただけなのだろうと、俺は納得した。

 空崎ヒナと、617の違いをようやく脳が認識したのである。

 617と髪型が似ているが、あそこまで毛量はなかった──髪色は同じとは言え、地毛と副作用による白髪化では毛質の差がある。

 体躯も似通ってはいるが、ヒナの方が栄養状態は当然いいだろう。ただ、それなのに何故か健康そうに見えない点は、気になると言えば気になるが。

 何よりも目。

 目だ。

 眼球がコーラルによって赤く染まっておらず、そしてその目に感情が宿っているのを見ると、やはり別人なのだろうと確信を持てた。

 逆に言えば、もしもヒナの目が赤く染まっていたのなら、俺は幻覚を振り払えなかったかもしれない。

 617に似ている、621を彷彿とさせる最強──か。

 それは悪い冗談のようだった。

 皮肉が具現化したかのような存在である。

 

「…………」

『そ、その……これは、素行の悪い生徒たちを捕まえようと……』

「便利屋68のこと? どこにいるの? 今はシャーレとアビドスと、対峙してるように見えるけど」

『え、便利屋ならそこに……って、い、いつの間に逃げたのですか!? さ、さっきまでそこにいたはず……!』

 

 俺が一人で勝手に苦しんでいるのを他所に、ヒナはアコへ詰問していた。

 どうやら便利屋の逃げ足の速さを考慮していなかったらしいアコは、忽然と消えた彼女たちを探して目を白黒させている。

 かなりの動転ぶりだが、無理もない。この状況は、ヒナの視点からすれば風紀委員会がアビドスと衝突し問題を起こしているようにしか見えないからだ。

 便利屋の存在を立証できなければ、俺を捕縛するための口実が消え、アコの計画が破綻する。

 アコ自身もそれを理解しているからこそ、便利屋を必死に見つけ出そうとしているのだろうが……そもそも便利屋はヒナの通信を聞いた時点で撤退しているため、今から探そうと影すら見つけられまい。

 

『え、えっと……委員長、全て説明いたします』

「…………」

 

 結局、便利屋を見つけることを諦めたらしいアコは、明らかに縮こまった態度でヒナに弁解をしようとしている。

 まるで親に怒られるのを待つ子供だ。

 しかし、当のヒナ本人はアコを無言で一瞥し、部下である風紀委員たちに視線を移し、それから対策委員会、そして最後に俺を見て、

 

「いや、もういい。だいたい把握した」

 

 と言ってのけた。

 

「察するに、ゲヘナにとっての不安要素の確認及び排除。そういう政治的な活動の一環ってところね」

 

 中々に的確な理解である。

 とても今来たばかりとは思えぬ理解力だ。どうやら彼女は腕っぷしだけではなく、頭の回転も速いらしい。

 ……敵に回したくない相手だ。

 ただでさえ相手にしたくないというのに。

 

「でもアコ、私たちは風紀委員会であって、生徒会じゃない。シャーレ、ティーパーティー、それに連邦生徒会長。そういうのは『万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)』のタヌキたちにでも任せておけばいい」

 

 それは私たちの仕事じゃない、と。

 辛辣とも取れる口調で、ヒナはアコの行動を(たしな)めた。

 確かに──よく考えてみれば、政治的な有利を作るために風紀委員会であるアコが動いているというのは妙な話である。

 アコ本人が行政官であるとは言え、しかし風紀委員会を動かしてまで俺を確保しようとするのは、()()()()と言えるだろう。

 これらの行動は、最終目標というか、得たい結果がどこか不明瞭である。

 今回の作戦がヒナの指示ではなく、そして生徒会としての行動でもないとなれば……アコは一体何を目的として、どういった動機でトリニティへの牽制をするに至ったのだろう。

 ……ふむ。この辺りは意外と、アコの私情なのかもしれん。

 

「詳しい話は帰ってから。通信を切って校舎で謹慎していなさい、アコ」

『……はい』

 

 縮こまるどころか、もはや借りて来た猫のようになったアコは、今までで最も素直に返事をして、通信を切った。

 ホログラムが消え──ここに残るは、現実にいる人間のみ。

 

「…………」

「……じゃあ、あらためてやろうか」

 

 ヒナの圧を物ともしない態度で、僅かに怒りを孕んだ声でシロコは言う。

 どうやらシロコは、俺が倒れ掛けた原因がヒナにあると思い込んでいるようで、剣呑な目を彼女に向けていた。

 しかし、ヒナからすればそれは理不尽と言う他ないだろう。彼女に俺が倒れ掛けた理由などあるはずもない──謂れのない罪、どころか、まるで無関係な赤の他人を重ねられたことを、寧ろヒナが怒ってもいいくらいである。

 無論、わざわざそんな事をヒナに言うつもりもないが。

 

『ま、待ってください! ゲヘナの風紀委員長と言ったら、キヴォトスでも匹敵する人物を見つけるのが難しいほどの、強者の中の強者ですよ! ここは下手に動かず、一旦交渉するのが吉です! どうしてそんなに戦うのが好きなんですかっ!』

「……ご、ごめん」

 

 ただ、この場にはシロコの怒りを凌駕する激情を持つアヤネがいた。

 あまりの剣幕にシロコの怒りは鳴りを潜め、あろうことか戦闘態勢だった彼女から謝罪を引き出してしまった。恐るべき少女である。

 ここまで来ると素直に感心してしまう俺だった。

 

『こちらアビドスの対策委員会です。ゲヘナの風紀委員長ですね、初めまして。この状況については理解されてますでしょうか?』

「…………もちろん」

 

 そんなアヤネの問いに、ヒナは目を瞑り少し沈黙してから、端的に答える。

 

「事前通達無しでの他校自治区における無断兵力運用、及び他校生徒たちとの衝突。……けれど、そちらが風紀委員会の公務を妨害したのも事実。違う?」

『それは……!』

「…………少し、違うな」

 

 遮るように。

 吐き気を堪えながら、俺はヒナの言葉に異を唱えた。

 気を抜くと幻が重なるが……それを恐れて行動せずヒナを説得できないような事になれば、俺がいる意味が無い。

 便利屋に仕事を依頼した意味を、結果をもたらさなければ。

 

「最初から現場にいた俺が……保証しよう。順番として、風紀委員会がアビドス自治区で民間人の建物ごと便利屋を襲い、便利屋がお気に入りの店を潰されたことにより怒り抵抗し、戦闘になった。その後、戦闘を収めるために、仕方なくアビドスが参戦したという流れだ」

 

 これは真実ではないが、しかし限りなく事実ではある。

 公務の妨害ではなく、あくまでも先に違反を犯したのは風紀委員会であると主張するために、俺はアビドスを最初から戦わせなかった。

 今回の衝突はあくまでもゲヘナでのいざこざが原因であり、アビドス自治区で暴れた風紀委員会やゲヘナ生徒に全ての非がある、という形に収めたかったからだ。

 詭弁や暴論の類ではあるが、嘘は吐いていない。

 言っていない事──例えば便利屋と対策委員会はほとんど味方のようなものといった裏事情はあるが、それを知っていたところで事実は揺るがない。

 

「……便利屋はいなかったことにしたいと思っていたけれど」

「どの道、お前は気付いているだろう。通信を始めた時点で戦場にいたお前が、撤退する便利屋に気付かないはずがない」

「…………」

 

 アコの前で気付かない振りをしたのは……色々と考えられるが、一番は彼女をこの場から引かせるためだろう。

 アコに今回の作戦を諦めさせて──これ以上は無理だと思わせて。

 ヒナが、指揮と責任を受け継ぐために。

 …………こういった一面を見ると、ヒナは長として()()()()だと、俺は思う。

 大人顔負けの責任感と自負を、617に似ている彼女が持っているというこの光景に、思うところがないでもない。

 どころか思うところしかないが、しかし仕事に私情を混ぜるつもりも俺にはない。

 なに、いつも通りだ。

 いつも通り、心を殺して仕事をするだけだ。

 そう──今までと同じ。

 何も、変わらない。

 

「うへ、こいつはまた何があったんだか。すごいことになってるじゃーん」

「…………!」

 

 唐突に。

 何の前触れもなく、今まで音沙汰がなかったホシノが普段通りの態度で現れた。

 普段通り、とは言ったが、緩い雰囲気を纏いながらも、ショットガンをしっかりと装填しているあたり戦闘ができる状態ではあるようだ。

 俺たちは当然ホシノの登場に驚いたが、しかし最も驚いていたのは意外なことに、風紀委員長であるヒナだった。

 ただ、どうもホシノの唐突な登場に驚いた、というわけではないようで、どちらかと言えば──その()()()()()()に驚いているかのような、そんな態度である。

 

『ほ、ホシノ先輩!?』

「ごめんごめん。ちょっと昼寝しててね〜、少し遅れちゃった」

 

 嘘だな、と直感する。

 今までのホシノの行動からして、わざとらしい頼りなさげな態度を取る事はあっても、有事の際に手を抜く事は決してない。

 それは他の対策委員会の信頼からも見て取れるように、彼女は基本的に一番最初に駆け付けるような存在である。

 故に今まで来なかったのは──別の何かがあったのだろう。

 ホシノにとって、何よりも優先すべき何かが。

 

「昼寝ぇ!? こっちは色々大変だったのに! ゲヘナのやつらが……」

「でも、もう全員撃退した」

「まだ全員ではないですが……まあ大体は」

「ゲヘナの風紀委員会かあ……便利屋を追ってここまで来たの?」

「…………」

 

 ヒナは答えない──と言うより、未だ呆然としているらしい。

 目を瞬き、ホシノを観察している。

 まじまじと見ていると言ってもいい。記憶と照らし合わせているような……その記憶との齟齬に混乱している様子が見て取れるようだった。

 

「うーん、事情はよく分からないけど、対策委員会はこれで勢揃いだよ。ということで、あらためてやり合ってみる? 風紀委員長ちゃん?」

 

 笑顔を浮かべてはいるが、どこか機嫌の悪そうなホシノはショットガンをすぐに撃てるように構えつつ、挑発的に言う。

 だがヒナに挑発に乗る様子はない……どころか、戦う気さえないように見える。

 先程までは警戒心のようなものが見て取れたのだが、ホシノがこの場に現れてからヒナの様子は何処か軟化している。

 

「……一年生の時とはすいぶん変わった、人違いじゃないかと思うくらいに」

「……ん? 私のこと知ってるの?」

 

 ようやく思考が追いついたらしいヒナは、どこか懐かしさを滲ませてそんな風に言った。

 しかし、ヒナとは対象的にホシノは首を傾げている──知り合いかと思ったが、ホシノの反応からしてヒナが一方的に知っているだけのようだ。

 

「情報部にいた頃、各自治区の要注意生徒たちをある程度把握してたから。特に小鳥遊ホシノ……あなたのことを忘れるはずがない。あの事件の後、アビドスを去ったと思ってたけど」

「…………」

「……そうか、そういうことか……だからシャーレが……」

 

 ひとしきり語り切って、ヒナは呟く。随分と事情を知っているような口振りに、ホシノは訝しげな表情になったが、ヒナはそれを無視したまま頷いて、それから彼女の中で何がまとまったのか定かではないが、どこか納得したような様子を見せる。

 そして。

 

「まあいい、私も、戦うためにここに来たわけじゃないから。……イオリ、チナツ。撤収準備、帰るよ」

 

 と、あっさりと言った。

 

「えっ!?」

『帰るんですか!?』

 

 逆にイオリやアヤネが聞き返してしまう始末である。

 敵味方入り混じった困惑が飛び交う中、ヒナは堂々とした足取りで俺たちの前まで──およそ五メートルほどの距離まで近付いた後、姿勢を正し、それからしっかりと頭を下げた。

 最敬礼の謝罪、である。

 

「えっ?」

「頭を……」

「事前通達無しでの無断兵力運用、そして他校の自治区で騒ぎを起こしたこと。このことについては私、空崎ヒナより、ゲヘナの風紀委員会の委員長として、アビドス廃校対策委員会に対して公式に謝罪する」

 

 ……先程も思ったが、やはり長として出来過ぎていると、俺は感じた。

 頭が回り、実力を兼ね備え、礼節を持ち、責任感まである人間などそうはいまい。

 それを持ち合わせているから長なのだと言われれば勿論その通りだが、しかしこれで生徒会──学園のトップではないのだから、意外なものだ。

 風紀委員長という肩書きが、どこかちぐはぐにすら感じてしまう。

 

「今後、ゲヘナの風紀委員会がここに無断で侵入することは無いと約束する。建造物や治療費についても、こちらで補償する。どうか許してほしい」

「委員長⋯⋯」

「ま、待って委員長! あの校則違反者たち……便利屋はどうするんだ!?」

 

 イオリの言葉に、ヒナは目線だけを動かした。

 睨め付けるような視線である。恐らく、これ以上余計な事を言うな、という意味の視線だったのだろうが、イオリはそれだけで黙らされてしまった。

 ……まあ、藪蛇だったな。これ以上アビドス自治区で問題を起こしたくないヒナに言う台詞ではない。

 

「あ、う……」

「ほら、帰るよ」

 

 ヒナが手を叩いて風紀委員会全体に通達すれば、俺たちを包囲していた大部隊は素早く隊列を整えて、恐らくゲヘナ方面であろう方向へ帰投していく。

 あれほど大規模な兵力を、一糸乱れずに統率するヒナのカリスマ性も推して知るべしと言ったところか。

 このまま空崎ヒナも部隊と同じように去っていくのだろうと高を括っていたのだが、しかしそうは問屋が卸さず、彼女は俺の側へ歩いて来た。

 しっかりとした歩調で。

 自分の、足で。

 

 ──ウォルター。

 

「……シャーレの先生」

「…………俺に何か用か」

 

 やめろ。

 俺を──見るな。

 幻覚が、再び重なり始める。

 

「そう。あなたに伝えておきたいことがある。これは直接言っておいた方がいいと思って」

「……なんだ」

 

 一メートル付近で立ち止まったヒナの背丈は、617と酷似している。

 痩せぎすだった彼女に、似ていた。

 いや──別人だ、似ていない。

 

「カイザーコーポレーションのこと、知ってる?」

「……大まかにはな。だが詳細は知らん」

「……そう」

 

 儚げな声。

 気怠そうな、無気力そうな口調。

 似ている。

 違う。

 

「…………これはまだ『万魔殿』も、ティーパーティーも知らない情報だけど。あなたには知らせておいた方が良いかもしれない。アビドスの捨てられた砂漠……あそこで、カイザーコーポレーションが何かを企んでる」

「アビドスの砂漠……郊外か」

「そう。本当なら、廃校予定のアビドスに教える義理はないのだけど……一応、ね」

 

 ヒナの綻ぶような微笑みだった。

 疲労の溜まった表情。

 不安定な足取り。

 不健康そうな隈。

 

「じゃあ、また。ウォルター先──」

 

 ──ウォルター。

 

「隈が酷い。眠れていないな。休め、6──」

 

 気付けば、俺は。

 空崎ヒナの目線に合わせるようしゃがみ込み、彼女の頬に手を添えて、その目を覗き込んでいた。

 正確に言えば、その瞳の下にできている隈を観察し、その睡眠不足の度合いを確認していた。

 

「……………………」

「……………………」

 

 振り払ったつもりだった。

 死者を、生者に重ねてはならないと自戒したはずだった。

 のに。

 実際にこうしてヒナが近くに立ち、そして会話してしまうと、情けないことに、そして恥ずべき事に、俺の脳は誤認してしまうようだった。

 現実と過去が──混濁している。

 表面化したトラウマと幻覚の対処法を考え、最低でも会話の最中は症状を抑えなくてはならないと反省すると同時、今この状況を誤魔化す方法を考えなくてはな、とこちらに微笑んだ617の幻覚を見て、そう思った。

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