ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 悪い大人の戦い。


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050

 

 実際のところ、俺はアビドス廃校対策委員会が非認可であることを知っていた。

 いつからかと聞かれれば──アビドス廃校対策委員会へ手紙の返事を書くために連絡先を調べた時から。

 つまり、最初からだ。

 連邦生徒会のデータベースに連絡先が載っていないということは、イコールで非認可である、とリンに教わっていたのだ。

 俺は来る前から対策委員会が非認可であることを理解していて、しかしその時は何もしなかった。アビドス生徒会が存在しているのであれば大丈夫という、リンの言葉を信じたのである。

 無論それは間違いではないし、リンに責任があるわけでもない。

 キヴォトスには非認可の部活動などいくらでもあるのだから。

 事実、あれだけ大立ち回りしている便利屋68でさえ非認可なのだから、公的に認可されているかどうかは、普通、あまり重要ではないのである。

 アビドスのような、廃校寸前でもない限り。

 更に言えば、俺はこの作戦を最初から計画していたわけではない。手紙にあった依頼内容はあくまでも暴力集団への対処や補給であって、借金解決については一言も記されていなかったためだ。

 知ってはいたし、関わるつもりもあったが、実際どうするかは情報を集めないことには判断できなかった。

 結果、ひとまずその時はただ受領書のサインをもらうだけに止めた。勿論、いずれ役に立つかもしれないという思いがないでもなかったし、一種の布石ではあったものの、そこに誰かを騙そうとする意図や、あるいはこれを罠にすることを考えていたわけではない。

 もし仮にこれが悪意のこもった偽造であったのなら、当時警戒心を剥き出しにしていたホシノに容赦なく排除されていた可能性もあることを考えると、判断は間違っていないように思う。

 ともあれ、いずれは公認の部活動にした方が良いと考えてはいたものの、しかし暴力集団の背後に組織がいる、あるいは黒幕がいるからと言ってすぐさま認可させるつもりは俺にはなかった。

 リンの仕事があまりにも多いという物理的な側面もあったが、それ以上に下手に動いて相手を刺激することを避けたという部分が大きい。

 しかし事が進むにつれ、どうもそんな事を言っていられなくなってきたのだが。

 銀行強盗──カイザーローン。

 柴大将の情報──カイザーコンストラクション。

 ヒナの情報──カイザーPMC。

 アビドスに巣食う、渦巻く悪意がそこにはあった。

 俺は考えた。

 カイザーの目的を、俺は考え続けた。それは最終的な目的さえわかれば何かしらの対策を打てると踏んだからであり、そして状況を考える限り、目的は土地であろう、と(憶測ではあったものの)仮定した。

 具体的にどういった目的で土地を探しているのかまでは、残念ながら最後にカイザー自身から教えてもらうまで把握することはできなかったが。

 そして、ホシノの言葉である。

 

 ──おじさんに何かあったら、アビドスのことよろしくね。

 

 何かとは、しかし、何だ、と。

 そこまで考えたところで、ここで俺はようやく、一つの答えらしきものに行き着いた。

 もしもカイザーがアビドスから土地を奪おうとしているとして、何が障害になり、そしてどのような手段で奪いに来るのかを考えた時、カイザーにとって最も楽で、最も簡単で、そして最も確実な選択肢は──小鳥遊ホシノを退学させることなのだと。

 小鳥遊ホシノに全ての責任がのしかかっているのだと、俺は気付いた。

 アビドス生徒会が存在しているのであれば大丈夫、というリンの言葉は、逆説的に、アビドス生徒会が消えるとまずいという意味でもあるのだ。

 正式に認可された委員会であるアビドス生徒会さえ消えてしまえば、アビドスという土地は浮くことになる。

 それを奪おうと、法的に責められることはない。

 ホシノそのものをどうにかしてしまえば、アビドスの土地を奪うのは容易で、合法的で、そして理想的な手段だった。

 今までそれができなかったのは、単純にホシノが戦力として強く、そして聡い存在だったからだろう。

 だから、ひとまずカイザーは削ることにした。

 ヘルメット団を利用して補給を断ち、疲弊させ、借金返済に手一杯にすることでホシノの戦闘力と思考力を削る。

 スカウトという名目で甘言を弄し、精神的に追い詰める。

 もしもホシノを騙すなら。

 もしもホシノを無力化するのなら。

 俺ならば──そうするだろう。

 よって俺は、もしこのまま順調にカイザーの思惑通り事が運び、これらの状況が成立し、ホシノが退学、アビドス生徒会が消えたのであれば、カイザーは絶対にアビドスへ侵攻すると予測した。

 そして。

 ホシノに、何かあったらよろしくねと言われたあの日。

 似ている事は同じじゃないと言われた、あの日。

 俺は作戦を計画する。

 唯一の勝ち筋のための、罠を張る。

 念には念を入れて、対策委員会全員にも秘密が漏れないよう徹底するため申請書は署名を利用して偽造し(必要なのは筆跡なので、当人は必要ない)、カイザーの息が掛かっている(かもしれない)人間の手に渡る事を避けるため、メニを通じてリンに直接『仕事』として手渡ししてもらった。

 懸念点はメニが『向こう側』の人間であった場合手の打ちようがないことだったが、それも大過なかった。

 とは言え──やはり、無謀な賭けであったことは否めない。

 何せ、ここまで語ったカイザーの話は、全て仮定だ。

 仮定に仮定を積み重ねただけだ。

 何一つ正しいと証明されていない、推理と想像と、そして希望的観測の産物である。

 非情で、無情で、無謀な賭けだった。

 賭けているのが俺の命ではなく、ホシノの命であるという点が尚更まずかろう。正真正銘、やっていることはルビコンと変わらないハンドラーの所業だ。

 先生、などととても名乗れない。

 だがしかし、他に方法がなかったと言うのは、言い訳だとしても事実だった。

 カイザーを真正面から打ち負かす方法はなかったと言い切ってもいい。

 実際大企業であるカイザーは、そういったアビドスが可能な正攻法の悉くを潰していた。

 そう、勘違いしてはならないのは、カイザーPMC理事は決して愚かではないという点だ。

 強大で、強敵だった。

 今回の作戦は成功したものの、俺のとった方法はあまりにも定石外れの賭けであり、普通、そんなものを想定する方がおかしいような作戦である。

 ルビコンの常套手段であったとしても、それは決して、まともな作戦だとは言い難いのだから。

 作戦が上手くいったのはほとんど偶然であり、運が良かっただけだ。

 もしも、カイザーがサンクトゥムタワーの違和感に気付いていたら、この計画は頓挫していただろう。

 もしも、カイザーがすぐに攻めて来なかったら、ホシノ救出は現実的ではなくなっていただろう。

 他にも様々な穴はあった。

 極力対処はしたが、しかし完全ではない。

 不利で後手、というのはそういう意味でもあった。

 はっきり言えば、そしてかなり悪い言い方をすれば、俺が来た時点でアビドス廃校対策委員会及びアビドス高等学校は、既に詰みに近い状態だった。

 あと一歩カイザーが動けば、あるいはこちらが打ち損じていれば全てが終わっていた、本当にギリギリの状態だった。

 そこに間に合ったのは僥倖としか言う他ないが、しかしルビコンといい、どうしてこうもそういった状況に縁があるのか、俺は神に事情を聞きたい気持ちにもなる──神なんてものが存在すればだが。

 いなくていいが。

 ともあれ、ここからが一番の問題なのだが──実のところ、この作戦は未だ完全には成功していないのである。

 カイザーを罠に嵌めることには成功した。

 しかし、その為の餌は、囮は、ホシノなのだ──もちろん、彼女が今どこにいて、彼女がどうやって移動し、彼女が誰に連れ去られたのか、大体の調べはついている。

 ただ、だからと言って到底許されるものではない。

 最低の作戦だった。

 対策委員会の信用を、信頼を全て消し去ってしまう作戦だった。

 もしも、助けが間に合わなかったのなら。

 もしも、既に悲惨な目に遭わされているとしたら。

 もしも、ホシノが取り返しのつかないことになっていたら。

 仮にアビドスは救えても、それは真の意味で救えたことにはならない。

 俺は、それを考慮した上でホシノを見送った。

 酷い言い方をすれば、作戦のために見捨てたとさえ言える。

 この作戦のためには、どうしてもアビドス生徒会を一度解散させる必要があった──なくなったと誤認させる必要があった。

 奴を盤上に引き摺り下ろし、奴のミスを引き出すためには必要な行為だった。

 ……などと、言い訳をしてみても、事実は変わらない。

 現実は変わらない。

 それを黙認できてしまうのが、きっと俺の限界なのだろう。

 俺の、性質なのだろう。

 スッラの言う通り、俺はあまりにも非情で、無情な人間である。

 俺がこのキヴォトスでやっている事は、結局ハンドラーでしかない。本質はルビコンとは変わりなく、悪い大人だった。

 ハンドラー・ウォルターだった。

 

「ぐあああああっ!?」

 

 そして現在。

 アルのスナイパーライフルの弾丸が、カイザーの兵器──ゴリアテと言ったか。MTよりは劣るであろう兵器を破壊して、それに搭乗していたらしい理事を弾き飛ばした。

 脱出機能は備わっているらしい。

 人道的だな。

 

「貴様ら、飼い犬の分際でよくも……!」

「あら、知らないの? 傭兵は、裏切りを考慮して雇うものよ?」

「あはっ。アルちゃんかっこいいー! お爺ちゃんが言ってた気がするけど!」

「…………」

 

 先程からやけにアルの言葉の節々から、強烈な尊敬の念を感じないでもないが、恐らく気のせいだろう。

 ……一応、振る舞いには気を付けておくか。

 

「理事、傷が……! すぐに治療を!」

「──くっ、一度退却だ! 兵力の再整備に入れ!」

「は、はいっ!」

「覚えておけシャーレ、この代償は高くつくぞ……!」

 

 理事は、俺を見て言った。

 敵意のこもった目で、俺を見ている。

 ようやく──俺を見たな。

 

「たっ、退却命令っ!」

『本部から退却命令。繰り返す、本部から退却命令が下った。戦列を整え、HQに帰投せよ』

 

 理事の一言で、波が引くように一斉にカイザーの軍勢が撤退していく。

 追撃をするべきか悩んだが──止めた。

 本来であれば追撃するべきところだが、逆に過剰防衛とされる可能性もある上、対策委員会の状態が万全でない時に長期戦に持ち込むのは得策ではないだろう。

 

「……敵兵力の退却を確認。作戦(ミッション)完了。便利屋68、よくやった」

「いや~、あれこそ正に本物の三流悪党のセリフって感じだね。『覚えておけー』なんて実際に初めて聞いたよ」

「想定通り、大体上手く行った。風紀委員会相手でも通用すると良いけど……」

 

 にこにこと笑うムツキに反して、カヨコの風紀委員会への妙な敵対心は気になったが、今は置いておこう。

 カイザーを一度撤退させることには成功したが、ホシノ救出はこれからなのだ──ここからが本番である。

 俺たちはホシノを救うために、カイザーPMC基地に乗り込まなくてはならない。

 もはやここまで追い込まれた奴に失うものはなく、それでいて最悪俺たち五人の処理さえできれば晴れてアビドスは壊滅するのだから、向こうも本気で待ち構えているだろう。

 俺たちがホシノを何としても取り戻そうとしているのは、向こうとて理解しているはずだ。

 つまり今回とは逆で、俺たちがカイザーを攻め落とさねばならない。

 もちろんここまでの失態によりいずれ理事は罰と裁きを受けるだろうが、しかしそれでも、全てが破綻する前に、強引にでもアビドスを手に入れる方法を選ぶに違いない。

 

「次は──全力で殺しに来るだろうな」

『……はい、先生。きっとこの次は……今までで一番大きな戦いになると思います。まずは帰って、ホシノ先輩を助ける方法を探さないといけません』

 

 アヤネの言葉を聞き、そういえば俺は対策委員会にホシノの位置情報を伝えていなかったことを思い出し、情報を転送するため、操作するために端末を取り出した。

 その端末に、メッセージが一件。

 匿名。

 無機質で、それでいて丁寧な文章。

 読み解いてみれば、書かれているのは日時と位置情報だった。

 ここに来い、ということらしい。

 当然、文章から誰なのかはわからない──知り合いでもなければ、見覚えもない、差出人不明のメッセージ。

 

「…………」

『……? 先生?』

「少し、行く場所ができた。ホシノの位置情報を送っておく。俺が戻るまで準備をしておけ」

『えっ……えっ!? 先生!?』

 

 しかし、俺は──この相手はホシノと取引した『黒服』なのだろうと直感した。

 直感できた。

 ならば俺はメッセージの指示通り、奴の指定した時間に、指定された場所に向かわなくてはならない。

 大人の責任を、果たすために。

 

 051

 

 夜。

 黒服のものと思わしきメッセージに指定された場所は、ごく一般的なビルだった。

 ブラックマーケット内にでもあったのなら、黒幕の本拠地としてはそれらしいのかもしれないが、特にそんなこともなく、普通に営業しているであろうビルの一室である。

 ……これでは正体を探るのは難しいだろうな。この場所は奴の本拠地ではなく、今回の『招待』のためだけに用意されたものだと思った方がいい。

 無視しようかとも考えたが、しかしそれを見越したように『来ていただけるのなら、それまでホシノには手は出さないとお約束します』と文を添えられてしまえば、ここに来る他なかった。

 俺は指定された部屋の前に立ち、ノックをせず、ゆっくりと扉を開く。

 

「……お待ちしておりました、ウォルター先生。貴方とは一度こうして、顔を合わせてお話ししてみたかったのですよ」

 

 その男は、紳士のような態度と口調でそう言った。

 男、とは言ったものの、実際に男なのかどうかはわからない。発声や声のトーンから男だろうと推測しただけで、立ち姿は……正直に言えば、人間のそれではない。

 人型であっても、人ではない。

 『黒服』──その名前の通り黒いスーツを着込んでおり、体は影の様に黒く、そしてマネキンのような無機質さである。

 俺や生徒たちのような皮膚と呼べるような質感ではない。

 また、右目にあたる箇所が大きく割れている──さながら骸骨のような眼孔で、そこから黒い炎のような()()が、揺らめいていた。

 ゆらゆらと、揺れる。

 そんな眼孔から顔全体に走る亀裂が、かろうじて、人間の表情を模っていた。

 常に笑っているような、そんな亀裂。

 

「……貴方のことは知っています、連邦生徒会長が呼び出した不可解な存在。あのオーパーツ『シッテムの箱』の(あるじ)であり、連邦捜査部『シャーレ』の先生。貴方を過小評価する者もいるようですが、私たちは違います」

 

 丁寧かつ達観した様なその口調と立ち振る舞いは、外見と相まって不気味な雰囲気を漂わせている。

 なんとなくぞっとするやつ、とはホシノの談だったが、なるほど、確かにこれは他に類を見ない存在だろう。

 俺の印象としては、幽霊や亡霊の類だった。

 

「まず、はっきりさせておきましょう──私たちは、貴方と敵対するつもりはありません。むしろ、協力したいと考えています。私たちの計画において、一番の障害になりうるのは貴方だと考えているのです」

 

 奴は部屋の窓を背後に設置された椅子に座り、机に両肘を突いて、手を組んで俺の方を見ている。

 殊勝な事を言いながら、黒く光る炎で、俺を見ている。

 

「私たちにとってアビドスなんて小さな学校は、全くもって大した問題ではありません。ですが先生、貴方の存在は決して些事とは言えない。敵対することは避けたいのですよ」

 

 しかし、言っている内容は矛盾の塊である。

 生徒を拉致しておいて、俺の仕事の邪魔をしておいて、敵対するつもりはないという主張は通らないだろう。

 俺はその、交渉のような主張を半分無視して、

 

「お前は……随分と違う存在のようだな」

 

 と、言った。

 これは俺の素直な気持ちで、感じた印象をそのまま口に出しただけなのだが、それを利用して探りを入れてみた、という狙いもある。

 実際奴は生徒でもなければ、柴大将のような動物でもなく、またカイザーのような機械でもない。

 俺のようですら──ない。

 

「……おっと、そういえば自己紹介をしていませんでしたか? 私たちは貴方と同じ、キヴォトスの外部の者……ですが、貴方とはまた違った領域の存在です」

 

 妙な表現をする。

 キヴォトスの外部のもので、違う領域。

 まあ、ルビコンに奴のような人間がいなかったことは確かだが。

 

「適切な名前がありましたので、今はそれを拝借して使っております。私たちのことは『ゲマトリア』、とお呼びください。そして私のことは、『黒服』とでも。この名前が気に入っていましてね」

 

 予想通り、ではあったものの、奴──黒服はどこか楽しそうに名乗った。

 確か黒服という名前は、あくまでもホシノが便宜上つけた名前だったはずだが、彼女のネーミングセンスは奴の琴線に触れたらしい。

 俺がもし、奴を表現するのなら『喪服』になるのだろうが、しかしそれでは気に入らないであろうことは、何となく分かった。

 

「私たちは、観察者であり、探求者であり、研究者です。貴方と同じ、『不可解な存在』だと考えていただいて問題ございません。一応お訊きしますが、ゲマトリア(私たち)と協力するつもりはありませんか?」

「無いな。……俺は研究者ではない」

 

 はっきりと断った。

 俺を研究者と呼ぶのは、半分褒め言葉で、半分侮辱だ。

 俺は──(父親)とは、違う。

 

「……左様ですか」

 

 取り敢えず、駄目で元々といった姿勢を取っていた割には、思いの外残念そうに黒服は言って、

 

「真理と秘義を手に入れられるこの提案を断ってまで、貴方はキヴォトスで何を追求するおつもりなのですか?」

 

 と、更に追求してきた。

 真理。

 秘儀。

 ()()()()()

 罪人を増やすだけに過ぎない──俺がこの世界で研究を進めることはないだろう。

 俺は言う。

 

「……さあな。分かるならむしろ教えて欲しいくらいだ」

 

 とぼけているのではなく、限りなく正直な気持ちだった。

 何のためにここにいるのか、俺の方が知りたいくらいである。

 

「……聞かせてもらおう、黒服。お前は何故、ホシノを狙った。カイザーの目的とお前の目的は別だろう」

 

 とは言え、交渉を続けるつもりはない。

 俺は無駄話を終わりにして、本題に入ることにした。

 

「…………」

 

 黒服は、少し考え込むように黙ってから、

 

「……小鳥遊ホシノは、キヴォトス最高の神秘です。彼女を実験体として研究し、分析し、理解する。この興味深い実験こそが、私たちが観測を渇望していたもの」

 

 と、言った。

 ……どの世界でも碌でもない研究者はいるものなのだなと、今度は呆れた。

 些か食傷気味ですらある。

 

「……クックックッ。意外ですね、先生。私はてっきり、ホシノの身柄を要求するかと思っていましたが……訊かないのですか?」

 

 俺の呆れた雰囲気を察したのか、黒服は確認するかのように質問を続けた。

 これもまた言う必要もない、分かりきったことではあったが、まあ言葉にしてはっきりさせておくのも大事だろうと、俺はその質問に答えた。

 

「……お前はもう分かっているだろう、黒服。俺がここに来た時点で、それらの契約は既に破綻していると」

「……ほう?」

「連邦生徒会に認可された部活動である以上、生徒一人の一存では退部や退会はできん。更に言えば、顧問である俺が、まだサインをしていない」

「…………」

「正式な手続きを踏んでいない以上、ホシノはまだ対策委員会の所属であり、アビドスの副生徒会長だ」

 

 これこそ確認のような台詞だったが、しかし黒服は意外にも、神妙に頷いていた。

 

「……なるほど。貴方が『先生』である以上、担当生徒の去就には貴方のサインが必要……そういうことですか。なるほどなるほど……。学校の生徒、そして先生……ふむ。中々に厄介な概念ですね」

 

 俺が先生──か。

 今となっては、いや、最初からずっと分不相応な役職だ。

 先に生きるもの。

 先に生きたもの。

 

「……どうしても、アビドスから手を引いていただくことはできませんか、先生」

 

 と、更に確認をしてくる黒服だった。

 諦めがつかないらしい。

 小鳥遊ホシノがキヴォトス最高の神秘……だったか。

 神秘が具体的に果たして何なのか、俺には皆目見当もつかないが、しかし俺に宿っていないことだけは知っている。

 誰から聞いたのかは覚えていないが、この世界に生まれ生きる者誰しもが持っている神秘を、俺だけが全く持っていないことだけは知っていた。

 ……目の前の黒服は持っているのだろうか。

 

「ホシノさえ諦めていただければ、あの学校については守ってさしあげましょう。カイザーPMCのことについても、私たちの方で解決いたします。あの子たちもどうにか、アビドス高等学校に通い続けることができるはずです。そしてこれは、あのホシノさんも望んでいることのはず。……いかがですか?」

「ホシノが望んでいたとしても、他の人間はそうではない」

「それがホシノさんの選択だとしても?」

「それが対策委員会の意志だ」

「…………」

 

 黒服は笑顔のまま──笑顔のように見える亀裂のまま黙り込んだ。

 そして、

 

「何故、そこまでするのですか?」

 

 と、訊いた。

 

「貴方はあの子たちの保護者でも、家族でもありません。貴方は偶然アビドスに呼ばれ、あの子たちと会っただけの他人です。一体どうして、そんなことをするのですか?」

 

 黒服は畳み掛けるように言う。

 

「持つ者が、持たざる者から搾取する。知識の多いものが、そうでない者から搾取する。望む通りに社会を改造し、法則を決めて、規則を決め、常識と非常識とを決め、平凡と非凡とを決める。権力によって権力の無い者を、力によって力の無い者を支配する。……大人なら誰もが知っている、厳然たる世の中の事実ではありませんか?」

 

 ある意味、真っ当だなと思う。

 悪い大人として、真っ当である。

 そして俺はそれを否定しない──否定できない。

 俺も、そちら側だからだ。

 

「そうだな──その通りだ」

「…………ほう?」

「大人は縛り縛られている。ありとあらゆることに。利用し搾取し騙し騙される、濁った世界を泳がなくてはならん生き物だ──大人はな。だが──」

 

 世の中とはそういうものだ。

 どんな世界でも、それは変わらない。

 しかし──それでも。

 

()()()()()()()

「…………」

 

 ならば、守られていいはずだ。

 俺がナガイ教授に守られていたように。

 彼女を守る存在が、いて然るべきだろう。

 

「──何故? どうして? 理解できません。何故貴方はそこまでするのですか? なぜ、取る必要のない責任を取ろうとするのですか?」

 

 尚も、黒服は問い掛ける。

 何故──と。

 純粋に答えるのであれば、それが大人の責任であって、やるべきこと──ではあるが、しかし。

 それは表面上の理由だ。

 黒服が求めている事ではないだろう──俺の本心ではないだろう。

 俺が動く理由。

 子供を守る理由。

 しばらく考えて、俺は、

 

「…………さあな」

 

 と、言った。

 

「……なんですって? 今、貴方はなんと言いましたか? 分からないと──理由も分からず助けていると、そう言うのですか?」

「そうだ、黒服。……俺は真似事をしているに過ぎない。かつて尊敬できる大人から『()()()()()()()()()()()()()』からやっているに過ぎない。理由も知らず、ただ俺はそれを──その火を。絶やすべきではないと、そう思っている」

 

 ナガイ教授の遺志()を、俺は全うしなければならない。

 

「それならば、貴方はこちら側でしょう。我々と同類であり、理解できない心を持ちながら──何故?」

「同じ穴の狢だと認めよう、黒服。俺は罪人であり、死ねば地獄に堕ちる人間だ。……これは俺の自己満足であり、自己中心的な贖罪に過ぎない」

 

 事実、俺がかつてルビコンでやっていたことは殆ど黒服と大差ないのだ。

 狂った研究から生み出された強化人間を利用した大人。

 子供を利用した大人。

 それがハンドラー・ウォルターだ。

 俺だ。

 

「貴方は、我々ゲマトリアに敵対すると?」

「お前たちの主義主張は、はっきり言えば関係がない。これが俺の罪であり罰である以上、俺は俺の仕事をするだけだ」

「……どうして? どうあっても、私たちと敵対するおつもりですか? 貴方は無力です、戦う手段など無いでしょうに!」

 

 笑顔のまま。

 笑顔に見える亀裂のまま、黒服は責めるように問い詰める。

 そう──確かに俺は無力だ。

 何もない。

 何も。

 とは言え、丸腰というわけでもない。

 俺は懐に手を差し込み、隠し持っていた物を取り出そうとした時、それを見咎めた黒服は、遮るように言葉を続けた。

 

「大人のカードはしまっておいてください、先生。貴方にも貴方の生活があるはず──」

 

 黒服の機先を制するような発言を無視して、俺は取り出したベレッタM9A1を黒服の頭蓋に押し付けた。

 

「話し合いを続けよう、黒服」

 

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