ハンドラー・ウォルター先生概念。 作:ヤマ
052
どうやら黒服は、俺が取り出す物を大人のカードだと決めつけているようだったが、しかし俺は大人のカードなど持っていない。
一体奴は──何と勘違いしたのだろう。
何と、何を。
「…………」
俺が取り出したベレッタに──いや、俺が大人のカードを取り出さなかったことに驚いていたように見える黒服は、暫く沈黙した後。
「…………解釈違いですね、先生」
と言った。
解釈違い、と。
「先生は銃を持ち歩きさえしない大人だと聞いていましたが」
「
「……なるほど」
俺とて、無差別に銃を向けるつもりはない。
そもそも拳銃ですら、この世界に来て初めて持ち歩いた──いつも相手が子供である以上、俺に銃は必要ない。
撃たれても、撃つつもりはない。
だが、黒服は大人だ。
ならば俺のルールの外であり、俺の罪には抵触しない。
この場所に来るにあたって、必要な力である。
交渉とは、相手を殺す力があって初めて成立するものだ。
「……厄介ですね、先生。これを『責任』だとか『大人のやるべきこと』だとか……そういう事を言うのであれば、違う事を言えたのですが。貴方はこれを使命とし、仕事とすることを既に選んでいる。しかし貴方は究極的に言えば……生徒を見ているようで、見ていない。貴方の世界はどこまでも閉じている」
「……否定はしない。俺は結局死人であり、燃え尽き、灰となった男だ。俺のような男が『先生』をしているのが、そもそもの間違いだろう」
じっ、と黒服は俺を見つめている。
脳天に銃を突き付けられているのにも関わらず、一切の動揺を見せる事はない。
表情がずっと笑顔に見えるせいで黒服の感情は読み取り難いが、しかしそれを差し引いても、銃に対する怯えは見受けられなかった。
……殺せない、ということだろうな。
直感する。
根拠はまるで無いが、この幽霊のような存在に弾丸を撃ち込んだところで、俺の望む結果は得られないだろう。
俺に神秘が宿っていれば、また話は変わるのかもしれないが。
「──なるほど。ようやく分かりました。貴方は
「…………」
そう問われて、俺は咄嗟には答えられなかった。
言われてみれば、確かに今の俺は随分と曖昧な存在だ。
俺が一体誰なのか。
俺は一体何者なのか。
単純に考えるならば、俺はハンドラーであり、先生であり、大人であり、ウォルターである。
だが、そんなありきたりな答を黒服は求めているわけではないのだろう。
本質を訊いている──俺が誰なのかを訊いている。
正直に言えば、まるで分からないというのが本音だった。
だとすれば、俺はきっと、何者にもなれていないのだろう。
「ならば、私は貴方をウォルター、と。そう呼ぶことにします」
「……好きにしろ」
そう──俺は先生ではない。
ないのだ、最初から。
──七神リン。一つ訊くが、お前は俺に会ったことがあるか?
──つまり、それは本当に俺だったのか?
最初の記憶。
この世界で初めて目覚めた時の記憶を、俺は思い出す。
俺はあの時確かに、『本来ここにいるべきだった誰かと入れ替わっている』と感じたはずなのだ。
では、誰か、とは果たして、誰か。
……考えるまでもない。
今にして思えば、一番最初に見た夢のような景色も意味深である。
──あなたにしかできない選択。
俺はあれを
今でも見覚えはないし、あれが誰かも分からない──そもそもノイズだらけでまともに聞き取ることも難しかった。
そして、先生という役職に対する周囲の反応。
先生という表現をする役職は『シャーレ』の先生でしか使わないことは確認済みだ。つまり、俺以外に先生はおらず、俺の前に前任者はいない。
だと言うのに、先生という名前を聞いただけで、ある程度の人間の警戒が解けるというのはやはりおかしい。
それは、『先生』としての実績がなければ起こるはずのない現象だ。
信頼と、信用に基づいた心境の変化だ。
先生という実績を持った人間がいたならばともかく────いや。
ならば、
何故か、前任者である先生の記憶は全員から消えているようだが、痕跡は微かに残っている。
…………もちろん、凄まじく荒唐無稽な事を言っている自覚はある。
だが、それでも。
──解釈違いですね、先生。
黒服は言った。不満そうに。
しかし何を持って、解釈違いとするのか。
誰と比較して、解釈違いとするのか。
俺は確かに普段銃を持ち歩いてはいないが、しかしそれを公表はしていない。
銃を持ち歩かない人間は、全裸の人間より少ないという信じられない説明をされたことがあるためだ。
流石にそんな変態と同列に扱われたくはないので、俺は銃を持ち歩いていることにしているが、それを知っているのはごく少数の人間である。
リンと、ユウカと、ロイ。
後は……ホシノか。
だが、黒服は知っていた。
いや──知らなかった。
俺が必要ならば銃を抜く人間であることを、想像していなかった。
銃を持たないというイメージを強烈に植え付けた人間がいなければ、ここで大人のカードを出す人間であると理解していなければ、先程のような言葉は出てこないはずだ。
俺が拳銃を
だが──黒服は間違えた。
ならば、と俺は考える。
一つの『仮説』を。
信じられないくらいに荒唐無稽な想像を。
仮定、推理、想像、妄想、希望的観測、全て含めた、妄言の類を。
────俺に。
ハンドラー・ウォルターに。
先生という
俺に先生を託した者がいる。
先生だった者が、いる。
これらが同一人物か、はたまた全て別人なのかは定かでないが、しかし俺はなんの根拠もなく確信した。
だとすれば、俺の仕事は。
俺の使命は、本物を見つけ出すことではないか?
その本物へ、生徒を無事に受け継ぐことではないだろうか?
…………あり得ない、と、冷静な自分が否定しているのが分かる。今の重責から逃げたがっているお前の現実逃避に過ぎないと、非難しているのが分かる。
分かる、が──しかし。
そんなことを言ってしまえば、そもそもルビコンで死んだはずの俺がキヴォトスで先生をやっている時点で荒唐無稽なのだ。
故に理由が必要だ。
俺がキヴォトスにいる理由。
死ねない理由。
先生である、理由。
それがもし、本物に意志を託すためなのだとしたら──納得がいく。
俺は死ねない。
俺は
この世界を、本物に託すまで生き続けなければならない。
「──クククッ」
そして唐突に、黒服は笑う。
黒い炎を揺らして。
「ククッ、クククッ……クククククッ──!」
喉を鳴らして笑う。
まるで思わぬ掘り出し物を見つけたかのように、思わぬ研究材料を見つけた父親のように、笑う。
とても嬉しそうに。
爛々と、炎が揺れる。
「──なるほどなるほど。
「…………」
面白い、と黒服は呟いたが、反対に俺は、うんざりするような気持ちにさせられた。
……研究者という奴は、どうしてこうも抽象的な物言いが好きなのだろうか。
詳しく問い詰めようかとも思ったが……無駄だろう。
心底呆れる。これには若干の自嘲も含まれているが、研究者という奴は秘密主義で訊いたところでまともに答えないか、適当にはぐらかすだけなのだ。
その癖、語り出すと一切の容赦なく専門用語で言葉を並べ始めるのである。
俺は黒服と仲良く議論するつもりは無い。
「……さて、改めて。交渉は決裂です、ウォルター」
気を取り直して、というわけではないだろうが、しかし先程より明らかに上機嫌になった黒服は、ベレッタを指で叩きながら言う。
下ろせということらしい。
「ウォルター、貴方はホシノを助けたい──いえ、助けなければならないのでしょう」
どうやら今回の件は諦めることにしたらしい黒服が語り始めたので、俺も素直に拳銃を下ろし、懐にしまった。
「ホシノは、アビドス砂漠のPMC基地の中央にある、実験室にいます。『ミメシス』で観測した神秘の裏側、つまり恐怖。それを、生きている生徒に適用することができるか。そんな実験を始めるつもりです。そう、ホシノを実験体として」
……本当に語り始めるとはな、とむしろ感心したような気持ちになったが、しかし。
実験体──か。
……こうして聞くと、いくら作戦だったとは言え、やはりホシノを囮にしたことは許されない罪であると痛感する。
もしも、カイザーが別の手段を取っていたら──作戦は失敗し、ホシノは実験体として消耗されていたということなのだから。
「そして、もしホシノが失敗したらあの狼の神が代わりに、と思っていたのですが……ふう、どうやら前提から崩れてしまったようですね。そういうことですので、精々頑張って生徒を助けると良いでしょう。微力ながら、幸運を祈ります」
狼の──神。
狼……姓が砂狼のシロコしか思いつかないが、どうやら俺の知らないところの、知らない因縁がまだアビドスには存在しているらしい。
しかし……あろうことか、ホシノが駄目だったのならシロコを実験体にするつもりだったと俺に言い切るあたり、根本から研究者のようだ。
過去の記憶が呼び起こされて不愉快極まりない。
だが──とにかく、必要な情報は得た。
ならば、もはやここにいる必要もないだろう。
俺は話は終わりだと勝手に解釈して、背を向けて扉に向かう。
すると、
「……これは貴方に言うべきか悩みますが」
と、前置きしてから、最後に黒服は──こう付け加えた。
忠告のように。
「ウォルター
053
アビドス高等学校に戻ると、教室で四人が俺のことを待っていた。
俺が黒服と会話している間、しっかりと準備していたようだ。
「おかえり、先生」
「先生、お待ちしておりました」
「先生……」
とは言え──歓迎ムードというわけではない。
……それも当然か。
俺はまだ、彼女たちに対して何の説明もしていないのだから。
「じゃあ、あらためて──話をしようか、先生」
「……そうだな。何から聞きたい。お前たちには全てを聞く権利がある」
「…………」
ここに来て隠すこともない。
俺は椅子に座り、彼女たちの質問を待つ。
しばらく彼女たちは沈黙を保ったが、それを打ち破ったのは──やはりシロコだった。
彼女は考えをまとめたのか、はきはきと俺に問う。
「じゃあ……対策委員会が正式に認可されたのは本当?」
「本当だ。昨日、連邦生徒会首席行政官である七神リンに承認されている」
「…………それを」
そこでシロコは一度言葉を切って。
俺に真正面から問い掛ける。
「それを利用して、ホシノ先輩を囮にして、カイザーを罠に嵌めたの?」
「…………ああ」
「…………」
否定はしない。
否定できない。
シロコからすれば、これは裏切りに等しい行為だろう。
彼女は以前、俺のことを信用してホシノの退部届を渡したのだ──俺がホシノを止めてくれると信じたから、俺に託したのだ。
なのに。
蓋を開けてみれば、むしろ俺はホシノが消えることを前提に作戦を組んでいた。
ホシノを見捨てたと言っても過言ではない。
いや──事実だ。
「……許せとは言わん。許さなくていい。この結果を引き寄せるために、俺はホシノを見捨てた」
「それは……それは、でも……」
「…………」
セリカは俺の言葉に何かを言おうとしているようだったが、上手くまとまらないらしい。
シロコもまた、それ以上何も言わなくなってしまった。
俺は続ける。
「これはお前たちにとっては裏切りだ。ホシノがいなくなることを分かっていて、俺はそれを止めなかった。お前たちを危険に晒した。お前たちには俺を罰する権利がある。殺されても文句は言わん」
「…………」
何をしてもいい、と言ったのにも関わらず。
誰も、何も言わない。
逆にそれが、俺の罪悪感を掻き立てられていた。
責めてくれた方が楽だと言うのに──楽になるだろうに、彼女たちは俺を一切責め立てることはない。
ただただ沈痛な面持ちのまま、適切な言葉を探そうとしている。
……強い子供たちだ。
大人である俺よりも、遥かに強く、優しい子供たちだった。
ただ──それでも。
やはり許せない人間はいたようだ。
「……そうですね。許せません」
「ノ、ノノミ先輩……?」
そこで、言葉を探しているアヤネたちとは対照的に、決意を固めたように見えるノノミは俺を真っ直ぐに見て、はっきりと言った。
強い意志を感じさせる目で。
「許しません、先生」
「…………だろうな。どんな罰でも受け入れよう」
一番最初に許さないと主張した人物がノノミであることは少し意外だったが、そう言えばホシノと最も関わりが長いんだったか。
ならば無理もない。
俺は彼女の言葉を待つ。
どんな罵倒も、暴力も、弾丸すらも、俺は受け入れるつもりだった。
「はい、ですから──ホシノ先輩を、褒めてあげてください☆」
「…………」
だがしかし、続く脈絡のないノノミの言葉に、俺はまともな反応を返す事ができなかった。
……褒める?
俺が──ホシノを?
いや、それ以前に──。
「何を言って……」
「あれ、どんな罰でも受け入れるんじゃなかったんですか?」
「…………そうは言ったが、俺にホシノを褒める権利などありはしない。仮に褒められたところで嬉しくもないだろう」
「いいえ、先生が誉めなくちゃいけないんです」
逃げちゃ駄目です。
そんな風に強く否定して、ノノミは言う。
「もしも先生に、ホシノ先輩を作戦に組み込んだことを申し訳なく思う気持ちがあるのなら、先生はホシノ先輩を褒める義務があります」
俺の前に立ち、シロコ顔負けの強い視線で、俺に語る。
俺に思うところはもちろんあるのだろうが、それでも。
彼女はあくまでも、逃げる事を許さない。
罰せられて、楽になる道を許さない。
「もちろん、ホシノ先輩は厳しく叱りますよ? 自分で言ったことを守れなかったんですから、お仕置きとして、きちんと叱ってあげないといけません──でもそれは、私たちがやります」
だから、とノノミは言う。
とびきり優しい、柔らかい声で、言う。
「たっくさん、うんと褒めてあげてください。助かって良かったって、ホシノ先輩に思わせてください」
それは、あまりにも。
あまりにも。
厳しい、優しい罰だった。
「生きてて良かったって、思わせてあげてください。先生なら、それができるはずです──いえ、先生にしか、できないことです」
助かって良かった。
生きてて良かった──と。
思わせる。
自己犠牲の果てで、そう思わせる、か。
俺が、俺自身が思えないことを、ホシノに思わせる。
俺にしか──できないこと。
「…………きっとホシノ先輩は、先生が止めたとしても一人で行ったと思います」
そういうところがある先輩です。
と、困ったようにノノミは笑った。
「ですから、叱るのは私たちの仕事です。だからこそ、先生は褒めてあげてください☆」
「…………ああ」
これは……断れんな。
断れるはずもない──ノノミの言う通り、これは俺にしかできない仕事だろう。
心を殺し、障害を殺し、子供を殺し、それでも使命のために進み続けた俺にだけができる、反面教師の説教だ。
これが罰だと言うのなら、受け入れるしかない。
俺は息を一つ吐く。
深呼吸である。
そして、再び対策委員会へ視線を向ければ、彼女たちは笑っていた。
俺を──信じていた。
こんな俺を、信じ続けている。
ならば──俺の言うべきことは一つだった。
「仕事を──いや、ホシノを助けに行くぞ」
「……ん、行こう」
大人として。
「ホシノを助けて、ここに連れ戻す」
「はい、そう言ってくださると思っていました!」
先生として。
「ここがホシノの居場所だと教えてやれ」
「うんうん! みんなで『おかえり』って言ってあげましょう! 『ただいま』って言えるように!」
「うん……えっ!? 何それ、恥ずかしい! 青春っぽい! 背筋がぞわっとする!」
「私はする」
「え、え!?」
「セリカちゃんがしなくても、私はします!」
「えっ、えぇっ!?」
「わ、私も。ちょっと恥ずかしいけど……」
「か、勝手にして! 私は絶対、そんな恥ずかしいこと言わないから!」
俺は、この景色を守らなくてはならない。
ホシノのために。
再びここへ、ホシノを戻すために。
「あ、あはは……ではそれはそうとして、救出のための準備をしましょう」
「……でも、今の私たちだけじゃ勝てない。誰か協力者がいる」
「先生、便利屋は?」
「既に依頼済みだ。だが──それでも足りんだろうな」
「え、じゃあどうするの……?」
しかし、現実問題として、シロコの言う通り戦力が足りない。
いくら便利屋が精鋭とは言え、数百の兵や兵器を持つカイザーの全戦力を受け持つのは不可能だろう──ならば。
「──俺に考えがある」
必要なのは、最強だ。
※補足っぽいもの。
「先生」という存在はウォルターがそう思っているというだけの可能性もあります。ひとまずは、ウォルターが頑張る理由付けのようなものだと思ってもらえば大丈夫です。