ハンドラー・ウォルター先生概念。 作:ヤマ
057
ロイからの通信。
彼女の決意表明。
俺はそれを聞いた──聞いてしまった。
当然俺は、ロイに猟犬になることを強制していない。どころか、『猟犬』という言葉さえ、俺は彼女に一言も伝えていないのだ。
あくまでも今回の仕事を依頼したに過ぎない。
それでも、ロイは言った──『俺の猟犬』だと。
それが、自らの誇りであるかのように。
もしもそれが彼女の自負であり、自信であり、自らを構成する一部分となったのであれば、俺がそれを否定する権利など無いのだろうが──彼女がようやく見つけた意味を否定することなど許されないのかもしれないが、しかし。
猟犬など。
やはりなろうとしてなるべきではないし、なってはならないものだ。
617たちのように俺に強制され、已むを得ない事情でならざるを得ないならばともかく、まだ傷を癒している最中に──迷子のままに道を決める必要はないのだと、俺は通信を入れてまで忠告したい気分だった。
流石にそれは、彼女たちの戦闘の邪魔になるため自戒したが。
──飼い主が違えば、もう少し長生きできただろうに。
……呪い、だな。
「先生?」
「……いや、なんでもない」
アヤネの声に首を振ってから、俺は決意を新たにする。
ロイたちを、猟犬にはさせない。
彼女たちの意味は他にもあるはずなのだ──今までの境遇がいかに辛いものであり、俺に拾われることで初めて光明が見えたのだとしても、それは選択肢の内の一つでしかない。
初めて見つけた道でしかない。
だが……別の道を指し示すのもまた、今はできそうになかった。
「ホシノ先輩の位置、確認できました! あそこです、あのバンカーの地下に!」
風紀委員会と便利屋、そしてロイたちが戦っている以上、他のことに時間を割いている余裕は無かった──ホシノへの実験を止めなければ、俺たちの勝利とは言えないのだから。
幸い、バックドアからのアロナの侵入により、ホシノの移送ルートを把握し、正確な居場所を割り出すことができた。
厄介なことにホシノを拘束している部屋は電子制御ではないため、アロナであろうとも部屋の開錠はできず、物理的に扉を破壊しなければならないようだが……ここまで来て今更気にすることでもないだろう。
『……行こう』
『はい、急ぎましょう……!』
アヤネの通信を聞き、シロコとノノミが頷き合い、マーカー情報を確認して、位置を把握したその時。
視線を向けた──その先。
『──何処に行くつもりだ……!』
と。
対策委員会が目的の扉に近づく前に、直線上を遮るように、いつの間にかここに辿り着いたらしいカイザーPMC理事が立ち塞がっていた。
ロイたちと未だ戦っているはずの理事本人が──だ。
「カイザーの理事……!? どうして、まだ向こうで便利屋と戦っているはずでは……!?」
アヤネの戸惑った声を聞き、まさかロイたちがこの短時間に倒されたのか、と一瞬思ったが、タブレットを見れば、監視カメラ越しに二足歩行兵器ゴリアテ及びカイザーPMC兵士たちを相手取っている姿が確認できる。
通信やバイタル状況から見ても、映像が偽物にすり替わっている可能性は無い。
映像は本物だ──しかし、目の前の理事が偽物だとも思えない。
だとすれば。
「……理事の乗ったゴリアテが戦っていると思ったが……なるほど、あの中身は別人か」
奴は便利屋とロイたちの相手を部下に押し付けて、姿を隠しながら一人でここまで来たということだろう。その証拠に、奴と対策委員会の周囲に敵の反応は一切無い。
『特別な人間にしか乗れない兵器など価値は無い……! 誰もが使え、量産できてこそ、兵器は兵器たりうる!』
「……ごもっともだな」
耳の痛い言葉だ。
技術水準が違うため一概に言うことはできないが、しかし特別な人間──強化人間を主としたACの事を考えると、理事の主張は正鵠を射た、ともすれば誠実なものとさえ言える。
兵器そのものでなく、搭乗する人間を改造しようという発想は、常軌を逸しているのだと思い知らされたような気持ちになった。
腐っても大企業の理事、複数の系列会社で利益を出しているだけのことはある、至極真っ当な意見だった。
『しつこい……』
『ああもう、どこまで邪魔すれば気が済むのよ!』
『どいてください! さもないと……!』
ただし、それが如何に企業として誠実であっても、子供たちからすれば奴等の事情など無関係だ。
対策委員会は、うんざりしたような声で警告する──が、それを聞き咎めたのか、理事は再び対策委員会に目を向けて、
『さもないと、なんだ』
と、怒気を孕んだ声で言った。
『対策委員会……ずっとお前たちが目障りだった』
ざり、と砂を踏み躙って、怒りによってわなわなと震えながら、奴は喉から怨嗟を撒き散らす。
明確な──敵意。
『これまで、ありとあらゆる手段を講じてきた……! それでもお前たちは、滅びかけの学校に最後まで残り、しつこく粘って、どうにか借金を返済しようとして! あれほど懲らしめたのに、徹底的に苦しめたのに、毎日毎日楽しそうに!』
そして、俺を見る。
ホログラム越しではあったが、それでも、俺を見た。
機械でありながら、感情豊かな恨みがましい目の光を持って。
『極め付けはシャーレ、貴様が来て全てが狂った! 貴様らのせいで、計画がっ!! 私の計画があぁあっ!!!』
発狂と表現しても差し支えない取り乱しように、俺は何か言葉を掛けるべきか悩んだが、やめた。
同情から来る慰めの言葉など必要ないだろう。
ただの煽りにしかならない。
別段煽っても問題は無いのだが、しかし、かつて計画を失敗した自分と同じ境遇に陥った理事に、そこまでの攻撃をする気にはならなかった。
当然、同情をしたからと言って手加減をするつもりはない。ただ、それ以上の理由として──その役割は俺のものではないのである。
『ふん、あんたみたいな下劣で浅はかなやつが何をしようと、私たちの心は折れたりしないわよ!』
『はい! あなたみたいな情けない大人に、私たちは負けません! 絶対に!』
『ホシノ先輩を、返してもらうよ』
対策委員会が啖呵を切って、理事に対面した。
積年の恨みはお互い様だろう──彼女たちには、いや、彼女たちにこそ、理事に怒りを向ける権利がある。
『──いいだろう……ここで貴様らを処理すればどうにでもなるのだからな……!』
今の状況から、仮に俺たちを殺してどうにかなるとはとても思えないが、とにかく。
全力で相手をしてやる、と。
どうやら理事も戦闘態勢に入ったようだった──しかし現状、奴は銃さえ所持していないように見える。
もしも今の装備で精鋭である対策委員会と戦闘をするつもりだとすれば、俺としてはそれは無謀だと言わざるを得ない。
だが理事は、俺の心中を察したかのように──笑った。
『舐めるなよ、シャーレ……! 私がここに一人で来たのは目を盗むためではない──貴様ら如き一人でも十分だからこそ、ここに来たのだ!』
そう言って、奴は通信機らしき物を懐から取り出す。
いや、通信機と言うよりは──発信機か?
『ゴリアテに改良を加えた新型が、まだこの基地には存在する! それを以て、貴様らを始末してやろう!』
と、理事はそれを持った手を高く掲げ、合図を送って大きく叫ぶ。
『来い、ゴリアテ──!!』
どうやら奴の言う兵器は、戦場から特定の地点へ要請し、派遣できる機能を備えているらしい──それは確かに、兵器としては素晴らしいと素直に感心せざるを得ない機能ではあった。
が、しかし。
『……?』
何も、起きなかった。
何かが来ることはなかった。
何一つとして訪れない──飛んでくることも、落ちてくることもない。
強いて言えば砂が大きく舞っているが、それはアビドスにおいては当然のことで、強襲の予兆や余波ですらない。
『……来ないね』
『バ、バカな……!? 何故──』
「……最後の最後に抜かったな、理事。お前が戦闘をするつもりだったのなら、兵器に搭乗してから来るべきだった」
もっとも、それができたのなら苦労はない。
ホシノ奪還阻止のために、理事がわざわざ一人戦場を潜り抜けて来なければならない状況で、搭乗する兵器を探す精神的な余裕も、時間の余裕も無かったはずだからだ。
だからこそ──何処からでも
戦場に、後から兵器を要請できる。
それは確かに、相手に対策をさせることなく、情報を漏らすことなく、油断さえ誘うことのできる奇策ではあるだろう。
俺の前でなければ──
「覚えておくと良い、理事。俺が最も得意とすることは指揮ではない──通信傍受と妨害だ」
目の前で通信など、応援など、増援など──俺とアロナが許すはずもない。
それが、戦闘に参加しない俺に可能な最大の支援。
相手に全力を出させない事こそ、俺の本分である。
『貴様ァッ────!』
『ん』
ばこん、と。
奥の手を封じられた理事に向けて、新たな脅威が訪れない事を確認したシロコが、理事の脳天に弾丸を撃ち込んだ。
躊躇も無ければ容赦も無い。
無防備な状態で頭部に弾丸を食らった理事は、ものの見事に後ろに吹っ飛び、砂を大きく巻き上げながら仰向けに倒れた。
……死んだかもしれないと思ったが、どうやら気絶しているだけらしい。
機械の身体での意識の消失を、気絶と表現して良いのであれば。
『完勝』
『いや……ええ……?』
満足そうに頷くシロコに、心底困惑するセリカだった。
しかし、頭部に直接弾丸を撃ち込まれて気絶で済むとは、相変わらずこの世界の住人は頑丈である。
これも神秘──か。
この世界に生きるものが持つ力。
俺が持っていない力。
すぐにとは言えないが……いずれは知っておく必要がありそうだ。
『なーんか、消化不良……』
『ま、まあ良いじゃないですか。楽に勝てたことを喜びましょう!』
『……ん、行こう』
微妙に納得していない様子のセリカとノノミだったが、作戦の最終目標が達成されていない以上、気にしても仕方がないと無理やり言葉を飲み込んだらしい。シロコの催促を聞いて、理事を軽く拘束してから三人は進み始めた。
俺は拘束されたまま気絶している理事を見て、同情──いや、共感を覚えた。
まさかアビドスに来て、使命を背負ったホシノたちの次に共感できる人物が敵側のカイザーPMC理事だとは思いもしなかったが、しかし、事実ではあった。
長い年月の果てに計画が破綻した共感など、何の得にもならない傷の舐め合いでしかなかったが、それでも俺は、似たような存在への微かな敬意として、
「脅威の排除を確認」
と、呟くように言ったのだった。
058
それから俺とアヤネはヘリから降りて、対策委員会全員と共にホシノが拘束されている部屋の前まで辿り着いた。
黒服がカイザーに作らせた実験室の扉は相当に頑丈であり、破壊は容易ではなかった──と言うより、扉には俺の知らない技術が用いられており、俺の策やアイデアといったものが通用しなかったのだ。
黒服。
ゲマトリア。
神秘と恐怖──だったか。
ただ、それでも神秘を帯びているらしい生徒たちの銃撃で壊せる範囲ではあったので(相応に銃弾は消費した)、地道に破壊を繰り返し、残るは扉一枚というところまで漕ぎ着けたのだった。
そうして、最後の一撃。
「こ、のっぉ!」
普通に考えれば骨が折れ、肉体が破壊されるのではないかと思うような力任せなシロコの突進は、俺の想像を覆すかのように、ホシノとの間を隔てていた扉を見事にひしゃげさせた。
扉だったものが大きく歪んでいる。
丁度──人一人通ることができるくらいの歪みを、生んだ。
そして、彼女が見える。
囚われの身であったホシノの姿が──見える。
唐突な衝撃に呆然としているが、身体に怪我らしい怪我は無い。
どうやら間に合ったようだ。
「ホシノ先輩っ!」
対策委員会の声に、彼女の体はびくりと跳ねる。
まるで夢現のような、朧げな──視線だ。
ホシノが閉じ込められていた部屋を見れば、薄暗い、いや、真っ暗な闇がそこにはあった。
光を通さない暗い部屋で、彼女は何を思ったのだろう。
強靭な精神性であるが故に取った選択の果てで、大人に騙されたことを知った彼女は──何を。
「あ、あれ……みんな、どうやって……先生、どうして……だって、私は……」
約束は、と。
彼女は言う。
目の前の光景が信じられないとでも言うように、立ち上がる事なく、呆然とへたり込みながら。
「……言ったはずだぞ、ホシノ。俺は約束を守らない、悪い大人だと」
「──はは。そっか……みんなが、先生が……」
力のない笑いだった。
呆気に取られて、己の許容範囲以上の出来事が起きてしまって、笑うしかないといったような弱い笑みだ。
「大人が……ね」
彼女が一人の時に、黒服から何を言われたのかは分からない。
あの暗い実験室で、一人何を思ったのかも分からない。
ただ、その言葉には、一度諦めたものから思わぬ救いを得たかのような、都合のいい夢を見ているかのような、困惑や戸惑いを混ぜた複雑な感情の色が含まれていた。
「ホシノ先輩、取り敢えずそこ、出てください」
「……え、あ、うん」
ノノミが部屋の中へ手を伸ばし、呆然としている様子のホシノの手を取って、部屋から引き摺り出した──そして、そのまま俺の前まで引っ張って来る。
困惑一色。
「ほら、先生」
「え、何、ノノミちゃん……? うへ、どうしたの先生……?」
「…………」
一瞬、目の前に来たホシノに謝罪から入ろうかと思ったが、しかし、そんなことをしてしまえば対策委員会から失望されてしまうだろう。
今まで築いてきた信用が失墜しかねない。
「ん」
げし、とシロコの肘が俺の脇腹を突く。
いい加減腹を決めろと催促しているようだ。
俺の仕事──俺の罰。
彼女を作戦に巻き込んだ、俺の償い。
やるべきこと。
しかし、そういった事情を差し置いても、俺は言わなければならない。
俺は一度目を瞑って、思考を巡らせてから──ゆっくりと目を開けた。
ホシノを見る。
真っ直ぐに見る。
そして、謝意と、敬意と、労いを込めて、俺は言った。
「誇れ、ホシノ」
褒め称えよう。
お前の努力を、結果を、決意を、意志を──認めよう。
お前が弱いなど、何も守れなかったなど、有り得ないのだから。
「この光景は、この結果は──お前が先人から受け継ぎ、守り、紡いできたことの証明だ。お前が、お前にしかできなかったことをやり遂げた証だ」
それは、俺にはできなかったことだ。
尊敬しよう──そして俺は、お前が羨ましい。
「お前が、アビドスを守り抜いた証だ」
俺が今、どんな声で話しているのかは分からない。
ホシノにどう聞こえているかは、彼女の受け取り方次第だ。
ただ──ヒナが言うには、それで良いのだと。
貴方の言葉で良いのだと、言った。
「
だから俺は言う。
いつも通りに。
かつて621へ言っていたのと同じように。
「──よくやった、ホシノ」
「……ぅ、あ……ぇ、へ? なん……で、そんな、こと……」
嬉しいのか。
悲しいのか。
苦しいのか。
驚いているのか。
喜んでいるのか。
そのどれとも取れぬ複雑な表情で、ホシノは、声が震えて言葉になっていない音を漏らす。
年長者として最後の意地なのか、涙を流しこそしなかったが──しかし目尻に溜まった、今にも決壊しそうなものを見てしまえば、ほとんど泣いているようなものだった。
そこへ畳み掛けるように、絶対に泣かせると言わんばかりに対策委員会は。
セリカを筆頭に、ホシノを出迎えた。
「……お、おかえり、先輩! あんまり遅いから迎えに来たよ!」
「ああっ、セリカちゃんに先を越されてしまいました! 恥ずかしいから言わないって言ってたのに、ズルいです!」
「う、うるさいうるさいっ! 順番なんてどうでも良いでしょ!」
「……無事で良かった」
「ホシノ先輩、おかえりなさい!」
「おかえりなさい、です!」
そんな、温かい全員の言葉から一拍置いて。
シロコは、微笑んで言った。
「──おかえり、ホシノ先輩」
シロコの慈愛に溢れたそれは、どうやら逆にホシノを安心させてしまったらしい──ホシノは一度だけ目を瞑って、溜まりに溜まっていた涙を振り払ってから、笑った。
憑き物が落ちたかのような笑みだった。
「……ふ、あはは。……何だかみんな、期待に満ちた表情だけど……求められてるのは、あの台詞?」
「ああ、もうっ! 分かってるなら焦らさないでよ!」
「……うへ」
そして彼女は再び笑う。
今までのどんな笑顔とも違う、弱さも、脆さも、儚さも感じさせない、自然な笑みで。
奇跡のような──笑みで。
「まったく、可愛い後輩たちのお願いだし、仕方ないなあ……」
ホシノは言う。
自ら守り抜いた居場所と、仲間に対して。
託された使命を果たし続けたからこそ、守り続けて来たからこそ掴み取った奇跡を噛み締めるように──俺がついぞ言えなかった台詞を、言った。
「──ただいま!」
だからこれはきっと──良い話なのだろう。
俺が使命の果てに辿り着けなかった、夢のような、奇跡のような物語。
幸せな物語。
何のことはない。
灼けた空の向こうには──透き通る空の下には、未来があった。
それだけのことだった。